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ヤンチョー・ミクローシュ監督の『カンタータ』における現代性について
Title: | ヤンチョー・ミクローシュ監督の『カンタータ』における現代性について |
Other Titles: | The Modernism of the ‘Cantata’ by Miklós Jancsó |
Authors: | モルナール, レヴェンテ1 Browse this author |
Authors(alt): | Molnár, Levente1 |
Issue Date: | 31-Jan-2022 |
Publisher: | 北海道大学大学院文学院 |
Journal Title: | 研究論集 |
Journal Title(alt): | Research Journal of the Graduate School of Humanities and Human Sciences |
Volume: | 21 |
Start Page: | 141(左) |
End Page: | 158(左) |
Abstract: | 本稿の目的は,ハンガリーの映画監督ヤンチョー・ミクローシュの2本目の長編劇映画である『カンタータ』(1963)の現代性を分析することである。理論家の多くは『カンタータ』を「ハンガリー映画史の最初の現代的な傑作」とみなしており,論者も現代性の高い映画だと考えている。しかし,それと同時に,『カンタータ』には,当時の現代的とみなされるハンガリー映画において描写されることのなかった問題も姿を現してくる。すなわち,1946-49年におけるいわゆる「カレッジ運動」に携わった映画作家として社会主義ハンガリーの知識人階級をその内部から批判し,自らの偽善性に直面させるということである。本稿はそれを説明するために,内容を3つに分けて作品分析する。まずは,先行研究を触れるうえで,ハンガリー映画史の1963-68年におけるとされる「新しい波」と同時代の現代的とみなされる西欧の映画における相違性を概括する。その次に,作品分析に入り,『カンタータ』においてアントニオーニやゴダールを言及する視覚的な要素のみならず,物語ととりわけ登場人物の描写方法における自伝性を明らかにする。そのことによって,今までのヤンチョー論ではあまり研究されてこなかった問題点もみえてくる。とりもなおさず,表面下では「カレッジ運動」を仄めかしている,監督自らも属していた知識人階級への批判的な立場である。従って,本稿の最後では,以上のことを踏まえて『カンタータ』にみられるヤンチョーなりの「自己言及・内省」を明らかにするうえで,本作品を若い映画作家の才能がすでに見えてきた現代的な「試作」として再評価して結論をまとめる。 |
Type: | bulletin (article) |
URI: | http://hdl.handle.net/2115/84026 |
Appears in Collections: | 研究論集 = Research Journal of the Graduate School of Humanities and Human Sciences > 第21号
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