Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers >
Graduate School of Humanities and Human Sciences / Faculty of Humanities and Human Sciences >
研究論集 = Research Journal of the Graduate School of Humanities and Human Sciences >
第21号 >
太宰治「女生徒」における模倣と個性
Title: | 太宰治「女生徒」における模倣と個性 |
Other Titles: | Dazai's Schoolgirl : Focusing on Imitaition and Identity |
Authors: | 田中, 帆南1 Browse this author |
Authors(alt): | Tanaka, Honami1 |
Issue Date: | 31-Jan-2022 |
Publisher: | 北海道大学大学院文学院 |
Journal Title: | 研究論集 |
Journal Title(alt): | Research Journal of the Graduate School of Humanities and Human Sciences |
Volume: | 21 |
Start Page: | 13(右) |
End Page: | 31(右) |
Abstract: | 本稿は、太宰治「女生徒」を作中に散見される「模倣」と「個性」の観点から検討するものである。「女生徒」の語り手「私」は、「個性」への憧憬を語りながら「模倣」へ批判的な姿勢をとるが、作品末尾まで「模倣」から抜け出すことはできない。また、有明淑の日記の内容の継承と改変がなされ、本作品が成立したことにも着目した。
川端康成評や先行研究で着目されていたのは、女学生として考えられる「私」が子供から大人へ成長する過渡期であることと、その語りに見られる「不安定」さであり、論者はそこから少女性を読み取った。だがこうした論には、この小説が日記であるといった想定や、小説には一つの主題が貫かれているといった先入観が介在していると考えられる。また先行論の基礎となっている「不安定」さが、本作品成立の本質をなすと考えられる。そこで、「不安定さ」の要因とされる思春期を集中して取り上げることはせず、「模倣」と「個性」、そして女学生という社会的な立ち位置に注目した。よってはじめに、「女生徒」発表と同時代における共有されていた少女像・女学生像を、「女学生ことば」とされたものが女学生によってではなく小説によって作り上げられ、その言葉遣いと女学生とが結びつけられたことを確認した。このことから言葉遣いだけではなく、女学生らしさとして付与される他のイメージも同様に、少女小説や雑誌といった虚構が起源であるとした。作中において「私」も女生徒的とされる要素を多分に発露していた。作品内と作品成立において、「個性」と「模倣」がどのように位置づけられるかを本文に沿って吟味した上で、最後に女学生言説の成立を接続し、言説の虚構性がこの作品で示されているとした。
すなわち「女生徒」は、女学生特有のイメージを展開していた言説への批判と、固定化された女学生像の実在不可能性を示したものだと結論づけた。 |
Type: | bulletin (article) |
URI: | http://hdl.handle.net/2115/84033 |
Appears in Collections: | 研究論集 = Research Journal of the Graduate School of Humanities and Human Sciences > 第21号
|
|