ブルガーコフ文学における「住宅管理人」像 秋 月 準 也 要 旨 本論の目的はミハイル・ブルガーコフ作品にあらわれる1920年代から30 年代の「住宅管理人」像の比較分析を通して,ブルガーコフの文学世界の一 端を解き明かすことである。 ブルガーコフにとって「住宅管理人」は彼の文学を日常的主題である住居 と強く結びつけると同時に,幻想世界への入口としての機能も果たすような ものであった。中編小説『犬の心臓』では,居住面積の調整をめぐってプレ オブラジェンスキイ教授と激しく対立していた管理人シボンデルが,教授が 生み出してしまった人造人間シャリコフを積極的に援助し,彼に正式な身分 証明書と教授宅に居住する権利を与える。つまり住宅管理人シボンデルの存 在が,科学によって創造される人間という『フランケンシュタイン』から受 けつがれる空想科学文学の代表的な主題を20年代のモスクワに組み込むこ とを可能にしている。 また喜劇『イヴァン・ヴァシーリエヴィチ』でブルガーコフは住宅管理人 をH・G・ウェルズ的な時間旅行の世界の中に描いた。タイムマシンの実験に よる住宅管理人ブンシャとイヴァン雷帝の入れ替わりは,20世紀のモスクワ のアパートと16世紀のクレムリンの対比であり,「管理」と「統治」の対比 であった。この戯曲でブルガーコフはツァーリとなったにもかかわらずロシ アをまったく統治することができない管理人ブンシャを通して,アパートの 管理人という革命後に生まれた無数の権力者たちが,実際には総会( )の方針や民警( )の権威に従属した存在であることを明ら かにしている。また他方では,アパートを支配したイヴァン雷帝を通して住 宅管理人が絶対君主としてアパートを「統治」する危険性があることも同時 に示したのである。 ― ―93 はじめに 本論の目的はミハイル・ブルガーコフ作品にあらわれる「住宅管理人」像の比較分析を通し て,ブルガーコフの文学世界の一端を解き明かすことである。このようなテーマを選択する理 由は大きく分けてふたつある。 第一にブルガーコフはいくつかの自作を共通するモチーフによって意図的に結びつけてお り,そうした作品間の関連性の解明に本稿のような手法が有効だと考えられるためである。こ の関連づけは表面的な遊びに近いものから,作品の根幹の一部を成すほど重要なものまで様々 なレベルで行われている。「住宅管理人」は社会戯評『20年代のモスクワ』,中編小説『犬の心 臓』,喜劇『ゾーイカのアパート』,喜劇『イヴァン・ヴァシーリエヴィチ』,長編小説『巨匠と マルガリータ』に登場しており,住宅管理人の他にもネップ期の混乱に乗じてモスクワで金を 稼ごうとする「ペテン師」などが類似した役割をになっていると言えるだろう。 第二に「住宅管理人」という存在自体が初期ソ連社会およびブルガーコフ自身の人生にとっ て重要であり,かつ象徴的なテーマであったことがあげられる。自らも1920年代,すなわち社 会主義革命直後のモスクワの住宅事情に翻弄された経験を持つブルガーコフは,人間の住む場 所とそれを決定する構造上の問題が,ソ連社会の精神的風貌を描き出すような決定的に重要な テーマであると見ていた。彼はこのテーマを扱うに先んじて『20年代のモスクワ』において当 時のグロテスクなまでに危機的な住宅事情を戯画的にスケッチしているが,そこで彼は「家は 人生の土台となる石である。したがって家なしで人間は存在しえないのだ。」(437)と述べ,同 時に権力の末端にいながら大きな力と利権を行使しようとする住宅管理者たちを「背広を着て, 縞々のズボン下をはいた悪夢」(439)と名づけて批判している。 本論では第1節で小説『犬の心臓』に登場する住宅管理局議長シボンデルとプレオブラジェ ンスキイ教授の居住スペースをめぐる対立や,人造人間シャリコフが社会的な権利を獲得して いくプロセスを分析し,住宅管理人の役割を考察する。そして第2節では喜劇『イヴァン・ヴァ シーリエヴィチ』において,タイムマシンで過去へ飛ばされてツァーリとなる住宅管理人ブン シャと,入れ替わるかたちでモスクワの住宅管理人になるイヴァン雷帝のふたりを中心に議論 を進めていく。 1.『犬の心臓』 1925年に書かれた『犬の心臓』のあらすじは次のようなものである。 北海道大学大学院文学研究科 研究論集 第11号 『20年代のモスクワ』からの引用は によ り,()内に頁数を示す。翻訳は秋月による。 ― ―94 革命後のモスクワにおいて,若返り法の権威であるプレオブラジェンスキイ教授は自分の若 返り理論を立証するために,死んだ直後の人間チュグンキンの脳下垂体と睾丸を犬のシャリク に移植する。ところが教授の予想に反して犬はみるみるうちに人間の姿になり,賢いが卑屈な 野良犬シャリクと,酒好きな前科者のバラライカ奏者チュグンキンの双方の性格を併せ持った 人間シャリコフが誕生してしまう。シャリコフは傍若無人に振る舞い,教授の住むアパートは 大騒ぎになる。さらにシャリコフは住宅管理局議長シボンデルに革命思想を吹き込まれ,混乱 に乗じてモスクワ清掃局の上役となり,教授を反革命のかどで密告するようになる。教授はつ いにシャリコフを再手術し,元の犬シャリクに戻す。 SF的な視点に立てば,『犬の心臓』は行き過ぎた科学が怪物を生むというモチーフを持った フランケンシュタイン的空想科学小説だと言えるだろう。そしてこの小説の中で「住宅管理人」 はふたつの大きな権限を持って登場する。まず管理人はこの時代に住居の強制的な分割も含め た居住面積の割り当てに関する権限を有していた。これは革命前後に国外に脱出した人々の家 や依然として「ブルジョア的な」人々が住む家に,主に貧しい労働者の居住スペースを割り当 てる「居住面積の調整( )」政策を背景としている。もうひとつの権限は管理人が所 属する住宅委員会に関連するもので,住民に対する身分証明書をはじめとした各種証明書の発 行業務である 。 ではこのような権限を持つ「住宅管理人」が空想科学小説へどのように組み込まれているか を見ていくことにしよう。 1.1.居住面積の調整をめぐる攻防 『犬の心臓』における住居的主題は,若返り医療の権威プレオブラジェンスキイ教授と住宅委 員会の議長(住宅管理人)シボンデルを中心に展開される。シボンデルはプレオブラジェンス キイ教授が暮らすオブホフ横町のアパートの新たな管理人であり,彼を含めた4人の委員は住 宅組合員総会で選ばれてアパートへやってくる。 シボンデルの主な目的は,教授とアパートの玄関番フョードルの会話においてはっきりと示 される。彼は裕福な人間が多く住むオブホフのアパートで居住面積の調整( )をよ り徹底させるつもりであり,「どの住居にも同居人を入れ」るために「衝立てと煉瓦」(125)を 用意している。 シボンデルは理想的なソヴィエト社会の建設に燃える青年であって,党の方針に忠実で,実 直に住宅管理人としての責務を果たそうとする。彼はプレオブラジェンスキイ教授が,その医 秋月:ブルガーコフ文学における「住宅管理人」像 松井康浩「スターリン体制下の公共性とジェンダー」『思想』987号,岩波書店,2006年,55頁。 『犬の心臓』からの引用は により,()内に 頁数を示す。翻訳については水野忠夫訳(『犬の心臓』,河出書房新社,1971年)を参照した。 ― ―95 師としての職務上の特権を加味した上でも,あまりに多くの部屋を保有し過ぎていると考えて いた。こうした彼の考え方は居住面積を切り詰めることによって特権階級を消滅させるという よりも,むしろ知識人の家に労働階級の人間を入れ,交流させることで革命思想の浸透を積極 的にはかろうとするものであった。実際にソヴィエト政府も知識階級と労働階級の交流を居住 面積の切り詰め政策の青写真のひとつとして打ち出している 。そしてシボンデルはこの野望の ために,実験によって造られた人間シャリコフを教育し,利用することになるのだった。 また彼が着任してからアパートでは住民総会が頻繁に開かれるようになっている。この総会 で行われるのは党の方針の確認と労働歌の合唱であり,合唱の歌声は階下のプレオブラジェン スキイ教授の部屋にも響きわたり,教授がいつも口ずさんでいるヴェルディのオペラ『アイー ダ』が き消されてしまう 。教授はこの場面で次のように嘆いている。 これでいよいよ,このカラブホフのアパートも一巻の終わりというわけだ。(中略)この さきどんなふうになるかは,すべてはっきりしている。最初のうちは,毎晩,歌を歌って いる,それから水道管が凍ってしまい,つぎにはボイラーがこわれ,暖房もとまってしま うというしだいだ。(143) シボンデルが住居の管理を通じて彼の理想の社会を追い求めている一方で,「わたしはプロレ タリアートが好きじゃない」(140)と言い放つプレオブラジェンスキイ教授のボリシェビキ批 判も奇妙に住居と結びついている。 いったいなんのために踊り場から花を持ち去ってしまったのだ? 電気にしてもそう だ,ぼくの覚えているかぎりでは,電気がつかなかったことは二十年間に二度しかなかっ たのに,いまでは,一ヶ月に一度はきまって停電するのはどうしてだ?(144) 正面階段から絨毯を取りはずしたのはなぜか? まさか,カール・マルクスが階段に絨 毯を敷くことを禁止したわけでもないだろう? カール・マルクスの書いた本のどこかに, プレチステンカ通りのカラブホフのアパートの第二通路を板でふさぎ,人々は裏庭をまわ るようにすべしなどと書かれているわけでもないだろう?……プロレタリアは大理石を泥 オペラを使ったこのような手法はブルガーコフの他の作品においても見ることができる。例えば中 編『悪魔物語』では,主人公のコロトコフが口笛で吹いているビゼーのオペラ『カルメン』が,職場 の給料が現物支給になったことで中断されてしまっている。 ― ―96 北海道大学大学院文学研究科 研究論集 第11号 で汚すかわりに,自分のオーバーシューズを一階で脱ぐということができないのかね? (143-144) プレオブラジェンスキイ教授の発言にはブルガーコフが得意としたゴーゴリ風の回転の速 い,饒舌な文章力が存分に発揮されている。「踊り場の花」や「正面階段の絨毯」からカール・ マルクスへの展開は,その饒舌さがいかされた論理のすり替わりとみなすこともできるだろう。 しかし教授自身の発言から見れば,彼の住居を軸にした体制批判はあくまで科学者的な思考 にもとづいている。(「ぼくは事実から出発する人間だ,観察者だ。ぼくは根拠のない仮説に反 対する人間だ。そのことは,ロシアだけではなくてヨーロッパにおいても,ひじょうによく知 られている。ぼくがなにかを言うときには,ある事実に立脚し,その事実から結論を引き出す というわけだ。」―143)教授は住民総会が頻繁に開かれるようになったとしても,それはアパー トの生活機能の改善にはつながらないと考え,むしろシボンデルのようなタイプが議長になれ ば住宅環境が悪化するだけだと非難しているのである。『犬の心臓』での教授と助手ボルメン ターリの会話の中では,このような建物自体の質の低下を評して「荒廃 」という表現が 用いられている。二人のやりとりからもやはり教授がボリシェヴィズムやマルクシズムそのも のを批判しているのではなく,「アパートの荒廃」から目をそらし,総会ばかり開いて「精神の 荒廃」を追放することに執着しているシボンデルのような者たちを批判していることが分かる。 結局,荒廃というのは,便所のなかにあるのではなくて,人間の頭のなかにあるという わけだ。だからつまり,あの道化役者たちが「荒廃と戦え!」と叫ぶとき,ぼくは笑わず にはいられないのだ。(中略)それは,彼らの一人一人が,それぞれ自分の頭をぶん殴れと いうことを意味するのだ!(145) 住宅管理局の議長シボンデルと3人の委員は,着任するとすぐさまプレオブラジェンスキイ 教授の部屋を訪問し,ひとりで七部屋もある住居に暮らしているのは明らかに必要以上の面積 を占有しすぎであると主張する。そして書斎を診察室として使用し,食堂も明け渡すよう通告 する。 お仕事にさしつかえないものとして,あなたの意志で食堂を明け渡していただくようお 願いすることを総会で決めたのです。いまどき,モスクワで食堂を持っている人などだれ もいません。(中略)診察室もやはり明け渡してください。(中略)書斎はじゅうぶん診察 室と兼用することができます。(137) 当時の人気舞踏家イサドラ・ダンカンでさえ食堂のための部屋など持っていないと強調され ― ―97 秋月:ブルガーコフ文学における「住宅管理人」像 たことに対し,プレオブラジェンスキイ教授は激昂して反論している。 「寝室で食事をする」彼はあえぐような声で言いはじめた。「診察室で本を読む,応接間 で着がえをする,召使部屋で手術をする,そして食堂で診察する。おおいにあり得ること だ,イサドラ・ダンカンならそんなふうにしているのだろう。もしかしたら,彼女は書斎 で食事をとり,浴室で兎を料理しているのかもしれない。たぶんそうだろう。だが,わた しはイサドラ・ダンカンではない!」彼は突然どなりだし,まっかな顔も黄色くなった。 「わたしは食堂で食事をとり,手術室で手術をする! そのことを総会に伝えてくれたま え」(137) 一連のシボンデルとプレオブラジェンスキイ教授の住居に関する争いは『犬の心臓』におけ る喜劇的効果を高めるためのものであることは明らかだが,一方で同時代の聴衆や読者の中で は極めてリアルな問題として受けとめられていた可能性もある。例えば,象徴主義の代表的な 詩人のひとりであるジナイーダ・ギッピウスは,亡命直前の1919年9月,近所に住む学者が職 務上の権利として書斎を所有することが許されていたにもかかわらず,無学な住宅委員会の議 長によって奪われそうになっている様子を自分の日記に書き残している。 なに? 書斎だって? 書斎ってなんだ? 学者ってなんだ? 聞いたことねえな。 本を書いてるって? でも プラウダ には書いてねえんだろ? きっとブルジョア野郎 どもとつるんでるんだろう 当時はアレクサンドル・ブロークやアレクセイ・レーミゾフといった著名な作家ですら自宅 が居住面積切り詰めの対象になるのではないかと戦々恐々としており,「パブロフの犬」の実験 で世界的に有名な生理学者イワン・パブロフも必要以上に広い住居に住んでいるとたびたび批 判される事態となっていた 。 結局プレオブラジェンスキイ教授は,シボンデルより上の立場にある有力者で若返り治療の 患者でもある「ピョートル・アレクサンドロヴィチ」に電話をかけ,全面的な協力を求めてこ の危機を乗り切ることに成功する。しかし,かろうじて7つの部屋を守ったプレオブラジェン スキイ教授は今度は自らの実験により「最悪の同居人」を造りだしてしまうことになるのだっ た。 C - ― ―98 北海道大学大学院文学研究科 研究論集 第11号 1.2.人造人間シャリコフへの身分証明書発行 事実にもとづき論理を組み立てる「観察者」プレオブラジェンスキイ教授は,上述のように 住居をめぐる戦いを通じてボリシェヴィズムの本質を暴露しつつ批判したが,同時に彼は科学 者として,そして若返り研究の第一人者として倫理の境界をまたごうとしている人物でもある。 彼は自分の研究を証明するため,野良犬のシャリクに死亡直後の男性クリム・チュグンキン の脳下垂体と睾丸を移植する。移植手術の場面で「聖なるナイルの岸辺を目ざし……」とオペ ラ『アイーダ』の一節を口ずさみながら科学の禁断の領域に踏み込んでいくプレオブラジェン スキイ教授は,冷静な論理よりもむしろ野生的な情熱によって突き動かされている様子が強調 される。 彼は金歯の混じった白い歯を剥き出して,シャリクの額に赤い冠を一気に刻みこんだ。 毛を剃り落とされた皮がそっくりそのままめくり取られた。頭蓋骨が現れた。(156) フィリップ・フィリッポヴィチは野獣のような目で彼(ボルメンターリ)をにらみつけ, 口をもぐもぐさせると,さらに深いところを切開していった。(157) 手術中のプレオブラジェンスキイは『アイーダ』に登場するラムフィスのごとく神のもとで 奇跡を行う異教の司祭( )であり,文学史的に位置づければ,人間が人間を創造するとい う主題を初めて提示した空想科学文学の先駆者メアリー・シェリーの描く科学者フランケン シュタインのヴァリアントである。 実験の結果野良犬シャリクに若返りの兆候が見られれば,プレオブラジェンスキイ教授の若 返り法は実証されるはずであった。しかし教授の意に反してシャリクは若返るどころか次第に 人間の形状に変化し始め,言葉も発するようになる。そして禁断の手術から2週間ほどたった 時点で,衝撃から憔悴しきってしまった教授は「自分の誤りを素直に認め,脳下垂体の交換が 有機体を若返らせるのではなくて,完全な人間を創造するものであることを認めた(162)」。 教授への報復の機会をうかがっていた管理人シボンデルにとって,実験の被害者であり,教 授の「望まれない息子」であるシャリコフの誕生は絶好の好機であった。実験の失敗を知った シボンデルは教授を糾弾する文章を新聞に投稿する。 これが彼の私生児(腐敗したブルジョア社会で用いられていた表現によると)であるこ とはいかなる疑問もさしはさむ余地のないことである。これがわがブルジョア的なエセ学 者の娯しみにほかならない。輝かしい正義の剣が真紅の光を放って頭上に振りおろされる 日まで,だれでも七部屋を占有することであろう。(167) ― ―99 秋月:ブルガーコフ文学における「住宅管理人」像 ここでシボンデルはシャリコフを「私生児」と呼んでいるが,このことは革命後の社会では 必ずしも不利になるとは限らなかったのである。当時は低い階層の出身者にはその出自( )を考慮して,すすんで手を差し伸べ,教育や雇用の機会を与えるべきであるとみな されていた。したがってシボンデルにとってシャリコフを教育し,社会的な諸権利を与えるこ とは革命の理念に則った行為でもあり,なおかつ教授の居住スペースを接収することにもつな がる最高の選択だったのである。 人造人間シャリコフは成長すると教授の家で煙草を吸い,唾を吐き,バラライカを演奏しな がら大声で歌うようになり,成り行き上追い出すわけにもいかない教授を大いに困惑させる。 さらにシャリコフは追い討ちをかけるように自分の身分証明書( )を要求する。 「身分証明書を持っていない者は,存在することをかたく禁じられているのです。まず第 一に,住宅委員会……」 「住宅委員会となんの関係がある?」 「関係ないとでも言うのですか? 委員に出会ったら,たずねられるじゃありませんか, ちょっと失礼ですけど,あなたはいつ登録なさるのですかって」(170) この要求は住宅委員会議長シボンデルによって即座に認められる。 「身分証明書というのは,この世でもっとも重要なものです。」(173) 「身分証明書を持っていない居住人,それにまた,民警によって兵役義務者名簿に登録さ れていない者をこのアパートに滞在させるわけにはゆきません。」(173-174) 住宅委員会が発行した身分証明書を手にしたシャリコフは,自動的に教授の家に一人の人間 として正式に居住する権利を得ることになる。つまりブルガーコフは『犬の心臓』において, 身分証明書と居住面積の調整を用いることで人造人間シャリコフをモスクワ社会に溶け込ませ ていったと言えるだろう。このようにブルガーコフにとって身分証明書と住居をめぐる問題は, 空想的なものを日常化し,異常な状況からもっともらしさを引き出すための要素となっていて, 住宅管理人はこれらの諸要素に直接かかわることができる重要な存在であった。そして『犬の 心臓』と『フランケンシュタイン』の大きな相違もここにある。シャリコフは正式な身分証明 書と一定の居住面積をモスクワの住宅管理人によって与えられ,最終的には「モスクワ市清掃 局動物(猫その他)追放課長(198)」なる職まで手に入れているのに対して,ヴィクター・フ ランケンシュタインによって創造された怪物は社会に徹頭徹尾受け入れられなかった。 とはいえ管理人シボンデルも最終的にシャリコフの教化に失敗する結果になる。なぜなら シャリコフは共産主義的な理想をまったく理解するつもりがなく,自分に都合のよい部分だけ ― ―100 北海道大学大学院文学研究科 研究論集 第11号 を抜き出して増長していくいっぽうだったからである。教授はシャリコフがシボンデルによっ てさらに恐ろしい怪物になっていくことを予見している。 ぼくは,手術をして十日目に,すでにわかっていたのだ。それで,問題は,あのシボン デルがおよそこの世に類のないばか者だということだ。シャリコフが,わたしにとってよ りも彼にとって,はるかに恐ろしい,危険な存在だということを理解していないのだから。 いま,彼はシャリコフをぼくにけしかけようと,ありとあらゆる努力を傾けているが,そ のくせ,もしもだれかが,今度は,シャリコフを彼自身に立ち向かわせようとしたら,手 も足も出せないで,シャリコフから逃げ出すほかなくなってしまうということも知らない のだ(195) そしてプレオブラジェンスキイ教授の実験の失敗によって誕生したシャリコフは教授自身の 手によって再手術が施され,犬のシャリクへと戻されるのである。 2.『イヴァン・ヴァシーリエヴィチ』― ツァーリになった住宅管理人― 次に本論での二つめの作品に議論を移すことにする。1935年にブルガーコフによって書かれ た喜劇『イヴァン・ヴァシーリエヴィチ』のあらすじは次のようなものである。 モスクワのとあるアパートで発明家チモフェーエフはタイムマシンを開発する。彼はイワン 雷帝にそっくりの顔をした住宅管理人ブンシャと,隣の部屋にたまたま盗みに入っていた泥棒 のミロスラフスキイを巻き込んで,イワン雷帝の宮殿にタイムスリップする。ところが宮殿は 見知らぬ人間(彼らは悪魔だと思われた)の出現に大騒ぎとなり,ブンシャとミロスラフスキ イは宮殿に取り残され,チモフェーエフはイワン雷帝をモスクワに連れて来てしまう。 チモフェーエフが故障したタイムマシンの修理に奔走するあいだ,イワン雷帝はアパートで じっとしているように念を押されるが,そこに映画監督と駆け落ちしたはずのチモフェーエフ の妻が戻ってきてしまい,女たらしの映画監督も彼女を追ってくる。 一方,16世紀のクレムリンに取り残されたブンシャとミロスラフスキイはオプリーチニキに 捕えられそうになるが,機転のきくミロスラフスキイがブンシャを皇帝に仕立てあげ,自分は 「ミロスラフスキイ公」を名乗りその場を切り抜ける。そして偽のミロスラフスキイ公と住宅管 理人がその場しのぎの政治で時間を稼いでいると,タイムマシンを直したチモフェーエフが再 び登場し,全員をそれぞれの時代に戻す。しかしこの騒動でタイムマシンは完全に壊れ,駆け つけた民警に全員逮捕される。 ― ―101 秋月:ブルガーコフ文学における「住宅管理人」像 2.1.住宅管理人イヴァン・ヴァシーリエヴィチ・ブンシャ 『イヴァン・ヴァシーリエヴィチ』に登場する住宅管理人ブンシャは,1920年代の住宅管理人 シボンデルから受け継いだ部分(居住面積の調整,身分証明書の発行)と30年代に入って住宅 管理人が新たに担うことになった役割を併せ持った人物であり,その新たな側面には家賃の徴 収と文化的啓蒙活動があげられる。また20年代に管理人が所属していた「住宅委員会」は1931 年に「住宅賃貸協同組合(ZhAKT)」と改称された。 ブンシャはアパートの監督(もちろん監視ともみなし得る)と家賃の徴収を第一の義務と考 えており,発明家チモフェーエフから「あなたには驚嘆しますよ,イヴァン・ヴァシーリエヴィ チ! あなたくらいのお年であれば,家で座って孫のお守りでもしてそうなものなのに,あな たは薄汚れたノートを持って一日中アパートをうろついていらっしゃる(429)」と嫌味を言わ れたブンシャは,このノートは居住者名簿であるとことわったのちに次のようなやりとりを交 わす。 ブンシャ もしわたしが歩き回るのをやめてしまったら,恐ろしいことが起こりますぞ。 チモフェーエフ 国家の崩壊でも起こりますか? ブンシャ 崩壊しますとも。皆が家賃を払わなければね。(429) 一見冗談のようなブンシャの答えであるが,彼は家賃が払われなければ国家が崩壊すると本 気で考えている。ブンシャにとって国家とはあくまで共同住宅の管理の延長線上に位置するも のであり,したがって彼は住宅賃貸協同組合のない16世紀のモスクワに飛ばされると,イヴァ ン4世とうりふたつの容貌を持っているにもかかわらず,ペテン師のミロスラフスキイの手助 けなしでは全くなにもできなくなってしまうのである。 ブンシャは「文化的啓蒙活動」の促進にも非常に熱心であり,どうすればアパートの住人が より文化的な人間になるかという問題につねに頭を悩ませている。このことは『イヴァン・ヴァ シーリエヴィチ』において,彼がはじめて登場する場面のせりふによく表れている。 このアパートに文化をもたらそうと,わたしは信じ難いほど努力しておるのだ。ラジオ の装置だって付けてやったのに,こいつらは頑なにラジオを活用しようとせんじゃないか。 (428) ブンシャが共同アパートの各玄関に設置したラジオのスピーカーからは彼が選んだ通俗教養 的な番組が大音量で流され,住民をうんざりさせている。また政治的,文化的啓蒙活動の一環 として管理人総会では管理人に対する様々なレクチャーが行われていて,ブンシャはそこで得 た知識をアパートの住民に広める役割もになっている。 ― ―102 北海道大学大学院文学研究科 研究論集 第11号 戯曲の第一幕において,ブンシャは総会で知ったにわかじこみのソヴィエト的宇宙論を,タ イムマシンを開発しているチモフェーエフはウェルズ的四次元論をそれぞれ相手に理解させよ うとするが両者の話は見事にかみ合わないままである。 ブンシャ わたしは先進的な人間ですからな。昨日,管理人のための講演がありましてね, いやあ非常にためになりましたぞ。もちろんほとんど理解していますとも。成層圏につ いての話でしたな。そもそも我々の人生はきわめて興味深く,有益なものであるのに, このアパートの住民はそのことをまったく理解しておらんのです。 チモフェーエフ イヴァン・ヴァシーリエヴィチ,あなたがしゃべっていると,うわ言を 聞かされているように思えてきますよ!(429-430) チモフェーエフ わたしはただ時間の中に入っていく実験をしているだけなのです……と はいえ,時間というものをどのように説明したらよいかな? あなたは四次元空間も, 運動の法則もご存じないのだから……それにそもそも……ようするに,いいですか,こ の装置は爆発しないだけでなく,国家にいまだかつてない規模の利益をもたらすのです ……もっとわかりやすく解説したいんだが……たとえばわたしが今,空間をつらぬいて 過去へ行きたいとします…… ブンシャ 空間をつらぬくだって? そのような実験は,警察の許可がないと行えません ぞ。管理人としてわたしは自分の監督下にあるアパートで,このような実験が行われて いることに不安を感じておるのです。(430) 作家ブルガーコフのユーモラスな視点と卓越した構成力がよくあらわれている場面である が,ここでブンシャとチモフェーエフは同じ時代の同じアパートで暮らしているにもかかわら ず,互いに別の次元から発言し合っている。つまり『イヴァン・ヴァシーリエヴィチ』の中で はタイムマシンが時空を超えて現在と過去が交錯する以前から,すでにアパートの住民がそれ ぞれが別世界で暮らしているような滑稽な状況が強調されるのである。 ブンシャのアパート管理者としての職務権限は民警( )と管理人総会( )の権威によって裏付けられており,彼はアパート内の人間や物の動きを常に把握し, 必要があれば警察や総会に報告しなければならない立場にある。この点からすると彼はたしか に『犬の心臓』のシボンデルの系譜を受け継ぐ人物と言えるだろう。だがブンシャはシボンデ ルに比べると気弱で,ときには卑屈さすら感じさせる。彼がいつも持ち歩いている薄汚れた居 住者名簿はたしかに監視を暗示するが,この名簿は彼自身の不安の象徴でもある。何かが起こ ると彼はすぐさまこの名簿を取り出して記録せずにはいられないのであり,チモフェーエフが 作っているタイムマシンへの反応も同様である。 ― ―103 秋月:ブルガーコフ文学における「住宅管理人」像 ニコライ・イヴァーノヴィチ,頼むからその機械について申告してくれ。そいつを登録 せねばならんのだ。……あなたが破滅すれば,わたしも道連れなんですぞ。(430) また彼は革命後のモスクワで不利になるような要素を極力排除しようともしていて,自分の 出自は断じて貴族階級ではなく労働者階級であると主張している。 わたしを公爵と呼ばないでいただきたいですな,すでに身分証明書を提示してちゃんと 証明いたしましたが,父親はわたしが生まれる一年前に外国へ行ってしまったのです。よっ てわたしが我が家の御者であるパンテレイの息子であることは明白なのです。しかもわた しの顔はパンテレイにそっくりなんですぞ。(429) バビチェヴァやスメリャンスキイは管理人ブンシャの性格について「病的に頭の悪い,非常 に滑稽」,あるいは「非常に,並外れて愚かである」と評している。しかしこのブンシャに対す る評価はやや一面的であろう。たしかにブンシャはブルガーコフの風刺対象として非常に愚か で滑稽な人物として描かれているが,同時に彼は現代社会から排除されるかもしれない不安や 苦悩を抱えていることも事実である。彼の苦悩はタイムマシンで過去へ飛ばされたのち,第三 幕の宴会の場面で吐露されている。 なぜわたしをそんな目で見るのだ? おまえがなにを考えているかわかっておるぞ! わたしが御者の息子かなにかだと思っておるのだろう?……御者の息子であるはずがない だろう? あれはわたしの手の込んだ冗談だ。(459) これは酒に酔ったうえでの発言であるが,ツァーリとなった管理人ブンシャは今度は貴族と しての出自を周囲にアピールし始めるのである。ブンシャのこのような「揺れ」は,革命後の 新たな現実のなかでもがいているものの,自分のアイデンティティが定まりきらない住宅管理 人の不安感をよくあらわしている。 2.2.入れ替わる二人のイヴァン・ヴァシーリエヴィチ 第一幕の終盤に行われるタイムマシンの実験によって16世紀のクレムリンに飛ばされた管 理人ブンシャはツァーリとして,1930年代のモスクワに来てしまったイヴァン雷帝はアパート の管理人として振る舞うことになる。ここでは入れ替わってしまった後にふたりがどのように ― ―104 北海道大学大学院文学研究科 研究論集 第11号 国家やアパートを管理したかを比較しながら考察していく。 違う時代に飛ばされた両者は,どちらもまずパニックに陥る。 ヨアーン (小声でつぶやく)わしは大罪を犯してしまった……主よ,我を救いたまえ ……モスクワの奇跡を行う者どもよ,我を救いたまえ……(438) ブンシャ (壁に突進する)同志チモフェーエフ! 同志チモフェーエフ! 管理人とし て,わたしはすみやかにこの実験を中止することを要求しますぞ! 助けてくれ! 我々はいったいどこに入り込んでしまったのです?(449) だがその先のふたりの行動は対照的である。イヴァン雷帝はチモフェーエフに状況を説明さ れ,なだめられ,励まされていくうちにツァーリとしての自分を取り戻していく。「人の意志に あらず,神の意志によりツァーリは君臨せり!」(436)というせりふにあらわれているように, 彼は生まれながらの統治者であり,この点でブンシャとは完全に逆の性質を持つ人物として描 かれる。イヴァン雷帝はアパートを管理するのではなく,アパートを統治するのである。 戯曲の中で彼はただ恐ろしいだけでなく,時おり寛大でもある。ツァーリはチモフェーエフ の妻を奪った映画監督ヤーキンを赦し(「懺悔せよ,色魔!」,「おまえの汚らわしい頭を垂れ, たぶらかした奥方の清き足元にひざまずけ!」―443),この女たらしの映画監督に対しコスト ロマに世襲領地を与えて送り出す。また,盗みに入られたと泣きついてきたチモフェーエフの 隣人シパークには金貨を与えている(「受け取れ,下僕よ,そしてツァーリにして大公なるイヴァ ン・ヴァシーリエヴィチを讃えよ!」―442)。そして小言をならべるブンシャの妻ウリヤーナ・ アンドレーヴナには雷帝の恐怖の象徴でもある伝説の錫杖を振りあげるが,彼の恐ろしい癇癪 をアパートの住民はむしろ管理人として肯定的に評価してしまうのである。 シパーク イヴァン・ヴァシーリエヴィチ,落ち着いてください……いらいらした男が憂 さ晴らしに飲んでしまった……気持ちはよくわかります。しかしあなたがこんな風にな るとは知りませんでしたよ! わたしはてっきりあなたはおとなしい人で……はっきり いって,奥さんの尻に敷かれているとばかり思っていましたが……いや,たいした亭主 関白ぶりだ!…… ヨアーン 魔女め!…… シパーク 正直に言ってしまえば,そうですよ。おっしゃる通り。あのように自分の女房 をしかりつけるのは,むしろよいことです……奥さんにはもう少し厳しく接したほうが イヴァン雷帝のこと。原語では と表記されている。 ― ―105 秋月:ブルガーコフ文学における「住宅管理人」像 よろしいですぞ(446-447) 一方,16世紀に取り残されたブンシャはどうだろうか。彼は16世紀においてもひたすら民警 と連絡を取ろうと試み,次の管理人総会での報告について心配し続けている。 ミロスラフスキイ どこにかけるつもりだ!? ブンシャ 警察に! ミロスラフスキイ 受話器を置け! その手をもぎ取ってやる! 警察なしでは一秒たり とも生きられないのか!(434) ブンシャ わたしは我々が犯した国家的犯罪という重荷に押しつぶされそうだ。おお,な んたることか! 今頃,不幸なウリヤーナ・アンドレーヴナはどうしておるだろうか? おそらく彼女は警察に行っとるだろう。彼女は泣き,うめき,わたしはむりやりツァー リにさせられて……わたしは今度の総会で他の管理人に合わす顔がない。(455) ブンシャにとっての支配とは何らかの機関と連携した上での「管理」であって,純粋な「統 治」ではない。したがって総会と民警が存在しない16世紀でツァーリとなってもブンシャは国 家を統治することができず,それとは反対にイヴァン雷帝は前述のとおり「神の意志により」 アパートを統治するのである。それ故ブンシャは管理人としての限定された権限を過去のモス クワでも頑なに,そして正確に守ろうとしており,例えばクリミア・ハン軍撃退を目的とした オプリーチニキ派遣についての書類にツァーリとして署名することも拒否している。 書記 陛下,ご署名を。 ブンシャ (小声で)わたしは管理人の職務上,このような書類にサインをする権限はな いのだ。 ミロスラフスキイ いいから書きやがれ。なんだこのサインは? まぬけ! 管理人だ と? しかも借家人組合の判子まで押したのか?……このばか! イヴァン雷帝と書く んだ。(453) ミロスラフスキイの言葉を借りれば,ブンシャは「まるで玉座に魚が座ってるみたい(454)」 な状態であった。だからこそブンシャには自分の意思決定を委ねられるような機関がどうして も必要であり,彼のツァーリとしての最初の命令は「わたしはあれこれ算段したが,まず住宅 賃貸協同組合の設立から始めるべきだと決めたのだよ(458)」というものだったのである。 全体として,この戯曲の中でブルガーコフは20年代の住宅管理人像を引き続き活用しつつ ― ―106 北海道大学大学院文学研究科 研究論集 第11号 も,その視点はより「権力」に向かっているように思われる。彼は戯曲中で住宅管理人と専制 君主を入れ替えることによってふたつのことを提示している。まず一方では革命後に生まれた 無数の権力者であるアパートの管理人たちが,実際には総会の方針や民警の権威に従属した存 在であることを示し,他方では住宅管理人が別の権威によらずに絶対君主としてアパートを「統 治」する危険性があることを示したのである。特に後者は,スターリンの独裁体制の影が濃く なっていった30年代のソ連社会を象徴するような恐ろしいイメージでもあり,結局この戯曲は 検閲を通らず上演禁止となったのだった。 おわりに 本論文の目的はブルガーコフ作品にあらわれる「住宅管理人」像の比較分析を通して,ブル ガーコフの文学世界の一端を解き明かすことであったが,最後に住宅管理人の役割をもう一度 振り返りつつ結論を述べていきたい。 ブルガーコフにとって「住宅管理人」は彼の文学を日常的主題である住居と強く結びつける と同時に,幻想世界への入口としての機能も果たすようなものであった。中編小説『犬の心臓』 では,居住面積の調整をめぐってプレオブラジェンスキイ教授と激しく対立していた管理人シ ボンデルが,教授が生み出してしまった人造人間シャリコフを積極的に援助し,彼に正式な身 分証明書と教授宅に居住する権利を与える。つまり住宅管理人シボンデルの存在が,科学によっ て創造される人間という『フランケンシュタイン』から受けつがれる空想科学文学の代表的な 主題を20年代のモスクワに組み込むことを可能にしているのだ。 30年代に入り,ブルガーコフは喜劇『イヴァン・ヴァシーリエヴィチ』で今度は住宅管理人 をH・G・ウェルズ的な時間旅行の世界の中に描いた。タイムマシンの実験による住宅管理人イ ヴァン・ヴァシーリエヴィチ・ブンシャとイヴァン雷帝の入れ替わりは,20世紀のモスクワの アパートと16世紀のクレムリンの対比であり,「管理」と「統治」の対比であった。この戯曲 でブルガーコフは,ツァーリとなったにもかかわらずロシアをまったく統治することができな いブンシャを通して,アパートの管理人という革命後に生まれた無数の権力者たちが,実際に は総会( )の方針や民警( )の権威に従属した存在であることを明ら かにしている。 同時に『イヴァン・ヴァシーリエヴィチ』における住宅管理人は,ネップ期からスターリニ ズムの時代への社会そのものの変化を反映したものと捉えて間違いないだろう。スターリン期 に入った30年代の社会ではすでに「居住面積」の原理を真っ向から否定し,プロレタリア嫌い を公言するプレオブラジェンスキイ教授のような人物は喜劇の世界の住人として存在を許され ない。住宅の管理は権力の方針に従ってより一元的に行われ,そしてその最高権力の主体の像 をほのめかすこと自体も空想科学的な時間移動の手続きを経てしか実現し得ないのである。ブ ― ―107 秋月:ブルガーコフ文学における「住宅管理人」像 ルガーコフにおける「住宅管理人」のテーマはこのように時代の変遷を映しつつ,彼の文学の 本領のひとつである喜劇的なダイナミズムの源泉として,またときには人間や社会の暗い側面 を描き出すための素材として,重要な役割を果たし続けたのだった。 (あきづき じゅんや・歴史地域文化学専攻) 参考文献 // // ハンス・ギュンター(桑野隆訳)「社会主義リアリズムとユートピア的思考」『思想』952号,岩波書店, 2003年。 フセヴォロド・サハロフ(川崎 ・久保木茂人訳)『ブルガーコフ 作家の運命』群像社,2001年。 梅村博昭「ブルガーコフとH.G.ウェルズ― 「修辞としての科学」の観点から― 」『スラヴ学論叢』 (北海道大学文学部ロシア語ロシア文学研究室年報),1997年。 松井康浩「スターリン体制下の公共性とジェンダー」『思想』987号,岩波書店,2006年。 松井康浩「スターリン体制下の個人と親密圏」『思想』952号,岩波書店,2003年。 ― ―108 北海道大学大学院文学研究科 研究論集 第11号