知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 1 巻頭論文 競争行為の正当性評価における 道徳化に関する再考 蒋 舸 孫 友容(訳) 要約:学説と裁判実務の趨勢は、道徳による解釈をして不正競争防止法とりわけそ の一般条項にとって重要な地位を占めさせている。しかし、競争には、道徳的評価 と異なる内在的ルールがあるため、一般条項を応用する際には、不正競争防止法の 文言を遵守し、行為の競争秩序に対する客観的影響に注目すべきであり、道徳感を 競争行為の正当性を判断する際の終局的基準とすべきではない。 キーワード:不正競争防止、道徳基準、競争本位基準、競争の本質 インターネットサービスプロバイダがインターネット検索プロバイダ の検索結果に商業広告を挿入する行為は正当であろうか*1。退職した社員 が新しい会社を設立して退職した会社の重要な取引機会を奪取する行為 は正当であろうか2。無名の作家が名前を変え、著名な作家と同じ名前で 本を出版する行為は正当であうか3。クローラーを用いて他のウェブサイ * 訳者注:本稿は脚注 (1,2,3……) と文末注 ([1],[2],[3]……) という 2 種類の 注を使い分けている。脚注は、追加的説明や裁判文書の出典に関するものであり、 文末注は参考文献を引用する。 1 北京百度網訊科技有限公司訴青島奥商網絡技術有限公司・中国聯合網絡通信有限 公司青島市分公司・中国聯合網絡通信有限公司山東省分公司・青島鵬飛国際航空旅 遊服務有限公司不正競争事件、最高人民法院公報2010年 8 期に登載。 2 山東省食品進出口公司・山東山孚集団有限公司・山東山孚日水有限公司と馬達慶・ 青島聖克達誠貿易有限公司不正競争事件、最高人民法院 (2009) 民申字第1065号 (以 下「昆布配分額事件」と略する) を参照。 3 湖南王躍文訴河北王躍文等著作権侵害、不正競争事件、湖南省長沙市中級人民法 巻頭論文 2 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) トが収集した情報を取得する行為は正当であろうか4。次々に現れる新種 の競争行為に対して、中国の不正競争防止法 5 条から15条にわたる類型化 された条項ではしばしば対応困難に陥り、その際、一般条項である 2 条の 応援を求めざるを得なくなる。もっとも、現段階における 2 条に対する研 究と適用は、往々にしてその道徳の属性を強調するものの、類型化条項に 比べて一般条項は、いまだ有効な市場ルールが形成されていない領域に対 して、その開放性をなお保つ必要がある。総体的な良性的競争秩序として は道徳上の評価から離脱してはならないということは確かであり、また、 大半(全部ではなく)の類型化された不正競争行為の構成要件にも一定程 度の道徳上の評価が含まれている。しかしながら、ある競争行為が不当と されるのは、あくまでその客観的効果として、市場のメカニズムを歪め、 市場の構造を破ったからであり、行為者の主観的動機が悪質であるからで はない[1]。したがって、市場において類型化されていない新型の競争行為 が現れたとき、第一義的に着眼点が置かれるべきは当該行為の客観的効果 なのであって、行為者の主観的動機ではない。競争の中の道徳的要素を過 度に強調すると、新型の競争行為が正当であるか否かを正確に判断するこ とを妨げることになってしまう。 1.中国の不正競争防止法の一般条項における道徳基準に関す る分析 (1)一般条項の文言とその実施の背離 一般条項は、文言と実施という 2 つの面からなるものである。前者は、 立法者の眼に映る一般条項で、いわゆる「law on the books」であり、後者 は、司法実務者の眼に映る一般条項で、いわゆる「law in action」である。 法律関係にある当事者にとって、前者はたしかに重要ではあるが、個々の 事件における権利と義務の配分や利益の構図の変化に真に影響するのは 後者である。よって、現行不正競争防止法の一般条項には道徳要素が含ま 院が2004年に審理。 4 上海漢濤信息咨詢有限公司と愛幇聚信 (北京) 科技有限公司不正競争控訴事件、 (2011) 一中民終字第7512号。 競争行為の正当性評価における道徳化に関する再考(蒋) 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 3 れるか否かという問いに答えるためには、法律の文言を分析するのみなら ず、法律条文が如何に実施されているのかということにも注目する必要が ある。 不正競争防止法の一般条項は、その文言上、道徳を競争行為の正当性を 判断するための考慮要素として定めているわけではない。一般条項の範囲 について見解の相違が存在しており、特に 2 条の最初の 2 つの項のうち、 どれが一般条項であるかについて意見が分かれている5が、法律の文言や 不正競争防止法の文脈を体系的に解釈する場合には、いずれも、行為者の 主観的動機を強調する 2 条 1 項に比し、行為の客観的効果を強調する 2 条 2 項の方が一般条項として適任であることは明らかである。 第一に、条文の文言に着目しよう。2 条 1 項は、「経営者は、市場取引に おいて、自由意志、平等、公平、信義誠実の原則に従い、公認の商業上の 道徳を遵守しなければならない」ということを求めている。このような文 言は、単に経営者に対する立法者の期待を表したにすぎず、そこには、そ の期待に背くことで即、行為が不正となるという意味は込められていない。 一方、 2 条 2 項は、「本法にいう不正競争とは、経営者が本法の規定に違 反し、他の経営者の適法な権益を損害し、社会の経済的秩序を乱す行為を 指す」と定めている。この規定は、行為の効果を競争行為が正当か否かを 判断する根拠としている。第二に、この 2 つの条項の文脈に目を転じよう。 いずれの項もともに総則の部分に配置されているが、この中に一般条項に なり得るものは、類型化された不正競争行為を統括し得るものであるか、 あるいは、類型化された不正競争行為の共通性を抽出したものでなければ ならない。そこで、5 条から15条までに列挙された11種類の不正競争行為 類型を考察すると、各条は、いずれも行為の効果に言及しているものの、 その全てが行為の背後の主観的動機に注目しているわけではない。たとえ ば、13条 3 項の規定によると、経営者が、賞金の最高額が5,000元を超え る抽選式の懸賞付き販売を行う場合、悪意があるか否か、あるいは、当該 5 裁判実務においては稀に、立法目的を定める第 1 条が裁判規範とされることがあ る。たとえば、湖南王躍文訴河北王躍文等著作権侵害、不正競争事件、(2004) 長中 民三初字第221号。このような解釈方法は有益であるが、実例に乏しく、実務への 影響も大きいとはいえないため、本稿ではこれ以上の分析を割愛する。 巻頭論文 4 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 行為が他の経営者や競争秩序にもたらす影響を認識しているか否かに関 係なく、不正競争行為は成立する。また、監察機関は、その行為を停止す るよう命じ、かつ、過料を科することができる(26条)。他の経営者に損 失をもたらした場合、その損失を賠償しなければならない(20条)。たし かに、不正競争行為類型の条項の一部には、その文言に行為者の主観的動 機に対して価値判断を行う色あいを見せるものもないわけではない。たと えば、 5 条の模倣行為における「無断」、6 条の競争制限行為における「排 除」、 7 条の権力的経営行為における「濫用」、11条にいう「排除」等であ る。しかしながら、他の類型化条項は、たとえば前述した5,000元を超え る懸賞付き販売の禁止がその典型例であるが、価値中立的な用語を採用し、 行為の客観的状態を描写することにとどまり、その背後にある主観的動機 について憶測することはしない。このように、道徳的評価は一部の類型化 条項に見え隠れすることはあるとしても、他の類型化条項に見当たらない ものである以上、道徳基準が競争行為の正当性を衡量する一貫した尺度た り得ないことは、当然の理といえよう。 以上の分析から、不正競争防止法は、その文言からしてすでに道徳基準 を一般条項として格上げする可能性を排除したことが明らかである。しか しながら、司法実務においては、このことは正確には認識されておらず、 逆に、多くの事件において、行為者の主観的動機に関する推定が行為の正 当性を判断するための主たる基準とされている。不正競争防止法に関する 事件の数は少なくないが、筆者は、107個の司法文書と判決要旨に対して 分析を行った上で6、不正競争防止法の一般条項を根拠とする14個の判決 6 北大法宝データベースにおける「司法案例―判例と裁判文書」から、事件理由と して「不正当競争紛争」を選択すると、2,240個の文書が表示される。範囲を縮小 するために、本稿は、条文の限定、審級の限定、有名な事件の手作業による補充と いう 3 段階の作業を行った。条文を限定するために、北大法宝「司法案例」の欄に キーワード「反不正当競争法第二条」を入力して全文検索すると、16個の司法文書 が表示された。審級を限定するために、北大法宝「司法案例」の欄にキーワード「反 不正当競争」を入力して全文検索して、裁判所を最高人民法院に限定すると、88個 の司法文書が表示された。これらに本稿が冒頭に言及した 4 つの典型的な事件 (す でに表示された「昆布配分額事件」を除く) を加え、初動調査の結果として107個の 司法文書を収集した (上記の検索の基準時はいずれも2013年 8 月27日である)。 競争行為の正当性評価における道徳化に関する再考(蒋) 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 5 と裁定を抽出した7。これらの14個の文書は、中級法院8から最高法院9まで、 経済が発達している東部地域10から相対的に発達していない西部地域11ま でカバーする異なる事件に関するものであり、一定程度の代表性があると いえる。判定または裁定の具体的根拠に基づき、これらの14個の文書は以 下の 3 類型に分けることができる。 2 条 1 項に反映されるのが道徳基準で、 2 条 2 項に反映されるのが客観 的な秩序基準であるため、上記の表から明らかになった事実は、一般条項 に従って判断を行った司法文書のうち、ただ 7 %の文書のみが道徳基準へ の考慮を排除したにすぎず、それ以外の93%のものが、行為者の動機が道 徳的であるか否かということを当該行為が正当であるか否かを判断する 考慮要素とし、さらに43%の事件においては、行為者の主観的動機に対す る考察が競争行為の正当性に関する判断に直結している、ということであ る。本来、一般条項は、類型化条項を援用して判断することができず、市 場のルールがいまだ模索中であり、かつ相対的に新種の競争行為について 7 初動調査の結果得られた107個の司法文書に対して個別的に分析した上で、不正競 争防止法と無関係または重複する文書30個を排除し、不正競争防止法に直接に関係 する文書77個を手許に残した。そして、判決の根拠となった主たる条項に基づき、 これらの文書を以下のように分類した。一般条項 2 条に関するものが14個 (18%)、 模倣禁止の 5 条に関するものが31個 (40%)、競争減殺行為を禁止する 6 条に関する ものが 1 個 ( 1 %)、虚偽宣伝を禁止する 9 条に関するものが11個 (14%)、営業秘密 への侵害を禁止する10条に関するものが15個 (20%)、信用毀損を禁止する14条に関 するものが 5 個 ( 7 %)。 8 (2007) 長中民三初字第0246号。 9 (1999) 知終字第17号。 10 (2007) 高民終字第181号。 11 (2000) 渝高法知終字第18号。 判決または裁定の根拠 数量 割合 2 条 1 項 6 43% 2 条 2 項 1 7% 2 条 1 項および 2 条 2 項 7 50% 合 計 14 100% 巻頭論文 6 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 適用するものであることを考えると、慣習を基礎とする道徳がどれほどの 機能を果たし得るものであるのかということに関しては、慎重な考察が求 められるところであろう。もっとも、93%という高い割合は裁判官が道徳 基準に一般的に賛同する傾向を示しており、より焦点を絞った分析を展開 するためには、まずそのような一般的な傾向の根源を分析する必要がある といえよう。 (2)競争秩序の道徳化という観点 一般条項の文言とその実施がこれほど乖離している原因は、その一部は 裁判官の正義感に由来しており、また、他の一部は競争秩序の道徳化に対 する学界の支持に起因している[2]。学界における一般条項に関する文献は、 おおよそ「道徳説」、「秩序説」、「統一説」に分類することができる。これ らは、それぞれ前記の表に列挙した、 2 条 1 項にのみ依拠するもの、また は 2 条 2 項にのみ依拠するもの、もしくは同時に 2 つの項に依拠して非類 型化の競争行為の正当性を判断するもの、という 3 つの実務的な傾向に対 応している。 この 3 つの学説のうち、「統一説」[2]は 2 条の 1 項と 2 項を一括して適用 するという実務の現状により合致しているものの、これに関する体系的な 論述は多くはない[3]。また、「秩序説」は法律の文言が伝える意味に合致 しているが、これを論じる者は乏しい[3]。かかる論述があっても、その論 理の広がりに限界があるため、その深遠な考察をなしているわけでもなく、 したがって競争秩序を歪めないということを何故行為の正当性を判断す る理由とするのかということに対して正面から探究することに失敗する 一方で、何故道徳基準を排除するのかという議論を展開することもできな い。これらに比べると、「道徳説」は、その旗印が最も鮮明であり、一般 条項の内容を突き詰める文献の中で重要な地位を占めている[4]。同説は、 自然法の理念から出発し、市場領域において公平、公正、調和を実現する ことを求め、その核心は道徳を競争行為の正当性の判断基準とすることに ある。 「道徳説」は、競争秩序における既定の慣習の重要性を認識し得るとこ ろにその合理性の一端を窺うことができるが、反面、秩序の形成の異なる 段階を区別せず、よって異なる類型の競争ルールの性質に対する研究を省 競争行為の正当性評価における道徳化に関する再考(蒋) 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 7 略してしまうという欠点も孕んでいる。競争秩序というものは、全般的に 固定化したあるがままのルールというものではなく、すでに定型化したも のといまだ変化の途上にあるものという 2 種類のルールからなるもので ある。如何なる時期を取り上げたとしても、競争のルールの多くの部分が 取引慣習や公認された商業上の道徳に確実に占められている一方で、なお 曖昧である一部の領域が常に存在する。そうした領域内にあっては、個々 の当事者が力を争っており、利益の構造が定型化しておらず、各当事者が 普遍的に受け入れられる行為モデルが現れておらず、言い換えれば、均衡 がいまだ現れていない。ゆえに、秩序の形成の異なる段階にとって必要な ルールをまとめる際には、それらの個性を考慮に入れる必要があり、そし て、このような考慮の必要があるからこそ、一般条項は不正競争防止法に おいて格別に重要視される。 類型化条項と一般条項の間には、互いに協力もあり、分業もある。二者 がそれぞれの役割を果たすことではじめて、不正競争防止法の体系全体の 円滑な作動を確保することができる。類型化条項の任務は、すでに定型化 した市場の理性を集約することであるが、一般条項の任務は、むしろ、条 文の読み手に、この領域において参考に値する定型化した市場の理性が必 ずしもあるわけではない、ということを提示することにある。前者は行為 のモデルを直接に提供することができるのに対し、後者が提供するのは 往々にして価値判断の指針である。一般条項に反映されるのは、最もレベ ルの高い、最も根本的な競争のルールであり、そして、このような根本的 なルールの表現は、法律の文言の読み手による競争の本質に対する理解を 制約することになる。そこで、競争行為の正当性を理解するための「標準 語」が「道徳」に設定されてしまうと、司法実務に携わる者が競争に対す る本来的かつ直観的な認識に基づいて競争行為を不正であると判断する か否かにかかわらず、「道徳」的な言語は、それらの者をして個別の事案 において道徳という枠組みを用いて競争のモデルを制限するように仕向 け、さらには、無意識のうちに非道徳的な要素への考慮を排し、もっぱら 行為の動機への考察に意を注ぐようになり、客観的効果に対する認識を欠 くようなことになる。特に関係する競争領域において既定の慣習も道徳上 のコモンセンスも存在しない場合、かかる思惟による制約はなお相応の効 果を発揮する。相当程度において「言語の限界はすなわち思想の限界であ 巻頭論文 8 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) る」[4]ともいわれるように、一般条項の用語の選択を慎重になすことが肝 要といえる。そのために、本稿は道徳基準が一般条項において発揮する言 葉の力を考察する。その考察はやや厳格に過ぎるように思われるかもしれ ないが、道徳が非類型的な競争行為の正当性を判定するための主たる視点 の如き機能を果たしているという現状に鑑みる場合には、本稿のような些 細な批判的な検討もなにがしかの意義を有するものといえるのではなか ろうか。 2.競争のルールにおける道徳基準に対する解読 道徳に対する解読を分析する前に、競争のルールという文脈における 「道徳」の概念を明らかにする必要がある。本稿は、法哲学のレベルから 道徳の地位を検討するところまで踏み込むものではなく、単に「道徳」が 不正競争防止法の領域内において含有し得る意味と、「道徳」の異なる意 味をもって競争行為の正当性を判断する際に随伴する固有の限界を明ら かにすることを試みる。 道徳概念の曖昧性の端緒は、「道徳」が少なくとも 2 つの異なる意味を 指すことができるというところにある[5]。ここでさしあたり倫理の意味に おける道徳と慣習の意味における道徳と呼ぶこととする。前者は、崇高な 「善」、利他、聖人の徳をその終極的な目標とする一方、後者は、通常の「良」、 不害他、最低限の徳をもって十分とする。前者は価値判断であり、「ある べき」世界を駆けめぐるものであり、未知の領域で人々の実践を導き得る ものである一方、後者は、主に事実に対する評価であり、「ある」ことに 着眼し、遵守し得る古いしきたりがいまだない新天地において立ち往生す ることを免れ得ない。これらの相違点のみに鑑みる場合には、一般条項の 目的が想定しがたい新状況のために判断基準を提供することにある以上、 現行法の体系に拘らない、倫理上の道徳の方が、新種の競争行為の正当性 を判定する役に相応しいものであるといえるようにも思われる。 しかし、倫理の意味における道徳は競争行為の是非を判断する際に参照 すべき体系としてはたして適切なものなのであろうか。結局のところ、市 場が従うのは、自身の利益を最大化するという原理であり、利他という崇 高な境地ではない。「利己」という高尚な倫理上の道徳におよび得ない動 競争行為の正当性評価における道徳化に関する再考(蒋) 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 9 力こそ、道徳の高地に位置する「利他」等のようなスローガンに比べて、 市場秩序の論理的な起点たるに相応しい。思想の浄化を鼓吹する道徳運動 ではなく、倫理の外で超然としている市場こそ、「穀物倉が充実してはじ めて礼を知る」という社会の基礎を築くものなのである[5]。優勝劣敗の市 場システムにおいては、「聖人の徳」は「競争のしきたり」に譲位すべき である。競争のルールという文脈の下の道徳は、倫理の意味上の道徳では なく、慣習の意味上の道徳と理解した方が、比較法的にも支持し得るもの となる12。さらにいえば、競争秩序に対して道徳的な解読を行う立場に与 する研究者ですらこの種の限定に賛同している[6]。 以下、慣習の意味上の道徳が正当性に求める 3 つの視角に関する分析を 行い、道徳的な解釈が、法哲学・比較法・司法実務という 3 つの視角から 支持を得られるかを検討する。 (1)道徳基準に関する論証に存在する法哲学的な陥穽 一般条項を道徳的に解釈すべきことの論証として、代表的なものは、法 律の形式上の理性が、法の簡潔さと抽象さを要求するため、ある程度、個 別の事件の正義の貫徹を諦めたり、犠牲にせざるを得ないことがあるが、 個別の事件における正義にこそ法の価値は存在するという論理が用いら れる[6]32-37。この種の論証の背後には自然法の信念がある。「如何なる行為 も、不道徳、不誠実であると証明されてはじめて、法の範囲に取り込まれ て明確に禁止することが可能となる。このような正当性に関する論証は立 法に先行するものであり、行為が道徳的に合理的であるか否かということ が、立法によって禁止すべきか否かということを考察する際の起点とな る」[1]29。 しかしながら、このような論法はなおさらなる吟味を要するように思わ れる。まず、「如何なる行為も、不道徳、不誠実であると証明されてはじ めて、法の範囲に取り込まれて明確に禁止することが可能となる」という 理解は、法律と道徳の関係の一局面しか捉えておらず、法律と道徳の関係 には、法律が道徳の最低限の保障として機能する場面以外の類型が存在す 12 たとえばパリ条約にいう「商業上の公正な慣習」や、ドイツの1909年から2004 年までの不正競争防止法 1 条にいう「良俗」など。 巻頭論文 10 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) ることを無視している。一部の法規範は―技術性が強い商法や経済法の 領域において―道徳上の規範から導出されるものではないことがあり、 ゆえに道徳はそうした多くの問題についてそれを解釈する力が限られて いるといわざるを得ない。たとえば、如何に道徳観をもって個別の事件の 正義を追求したところで、競合する経営者集中申告のうちいずれを許可し、 いずれを拒絶すべきかということに関して、審査員に何らかの指導理念を 与えることができるものではない。法律と道徳の関係に関して、「法律が 禁止するもの」は「道徳が禁止するもの」の部分集合であり、「道徳が許 すもの」は「法律が許すもの」の部分集合であるというような安易にすぎ る理解は到底、採用しがたいものでしかない。両者は重なる部分があるも のの、互いに関係ない専属的区域をも有する。また、「個別の事件の正義」 は、常に公衆または裁判官の正義感と合致するというわけでもない。とり わけ市場経済の関係をその調整対象とする法分野において道徳が果たし 得る機能は、一般に想像されているもの以上に限定的なものでしかない。 正義の観念は相当程度、直感に根ざすものであり、感情的な色彩が強く、 細かな計算を要することなく「是」または「非」という結論に到達し得る ものであるが、市場経済の関係をその調整対象とする個別の事件における 正義にとって必要であるのは、往々にして直感ではなく計算であり、衝動 ではなく均衡である。 (2)道徳基準に関する論証の立法上の限界 比較法も一般条項に対して道徳的な解釈を行うべき証左として援用さ れることがある。一般条項に対して研究を行うほぼ全ての文献が、ドイツ の不正競争防止法13の旧 1 条の「良俗」原則に言及している。他に、パリ 条約14の「工業上又は商業上の公正な慣習に反する」という規定に言及す る文献も多いが、近時、この規定には歴史的な限界があることが指摘され 13 Gesetz gegen den unlauteren Wettbewerb (UWG) は、最初に制定されたのが1896年で あり、1909年の大改正まで一般条項は定められていなかった。その後、1909年改正 法は2004年まで実施されていた。最も新しい改正は2009年に行われ、その目的は EU2005/29/EG 指令を国内法化するためであった。 14 Paris Convention for the Protection of Industrial Property, Article 10bis. 競争行為の正当性評価における道徳化に関する再考(蒋) 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 11 ており、研究者の耳目を集めている[7]。ドイツの研究者は、パリ条約が規 律する対象は、主として特許や商標の領域における便乗行為であり、新た な商業的実践ではないゆえに、その規定における「公正な慣習」を用いて 新しい問題を解決しようとする際に、その限界を考慮し、かつ、慎重な態 度をとらなければならない[8]、と考えている。不正競争防止法の領域にお けるドイツの立法例の重要性に鑑み、以下ではその近年の展開を俯瞰して おく。 1909年から2004年までの間、ドイツの不正競争防止法は「良俗」15を一般 条項の核心的な概念としており、中国における不正競争防止法の一般条項 に関する研究論文で、この条項に言及しないものはないほどである。しか しながら、「良俗」概念は長年の間にドイツの不正競争防止法領域におい て少なからざる批判に晒されてきた。その結果、立法者は2004年の法改正 の際に、「不公正」(Unlauterkeit)という言葉を用いて、旧不正競争防止法 1 条の「良俗に違反する」(gegen die guten Sitten)という規定に置き換える こととした。このような変更の理由は、良俗基準は不必要に不道徳 (Unsittlichkeit)という汚名を競争者に押し付けるものでしかないところ、 そのような手法はもはや時代遅れと考えられたからであるという16。新法 は「良俗と決別する」17という立場をとったのである。「不公正」の直接な 15 2004年法改正前の一般条項の文言は「業務上の取引において競争の目的をもって 良俗に反する行為をなす者に対しては、差止および損害賠償を請求することができ る」というものであった。 16 BT. - Druncksache 15/1487:16. 17 Schricker. Entwicklungstendenzen im Recht des unlauteren Wettbewerbs [J]. Gewerbli- cher Rechtschutz und Urheberrecht, 1974, (9): 582. ここで説明を要するのは、新法 2 条 7 項による「職業要求上の注意義務」の定義が「良俗」の要素を依然として内包し ており、信義誠実の原則と市場の慣習をもって職業要求上の注意義務を判断する基 準としていることである。しかし、同項は、学者等から厳しく糾弾されている。信 義誠実と市場の慣習という概念には、競争行為の価値の判別という任務を遂行し得 るものではないことが繰り返し指摘されており、信義誠実と市場の慣習をもって注 意義務を定義することはまさに「無用のトートロジー」であると批判されているの である (Harte - Bavendamm/Henning - Bodewig. UWG [M]. Muenchen: C.H. Beck, 2009: 179-190 を参照)。 巻頭論文 12 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 定義はないが、ドイツの学界の主流を占める考え方の観点はすでに明らか なものとなっており、目的解釈を志向し、不公正に関しては「脱道徳化」18 を伴った「機能的理解」をなすべきであり[9]、「競争志向の市場経済がそ の役割を果たすための条件」が不正競争防止法体系における中心的な地位 にあることを確保するべきであるとされている19。このような転換は、ド イツの学界による「良俗」基準への長年の批判が結実したものと評するこ とができよう。このことは、不正競争防止法に対して道徳的な解釈をなし ていた代表例とでもいうべき国においても、立法者は少なくとも概念のレ ベルにおいて道徳基準を競争本位に置き換えられたということを示して いる。概念の変更はただちに司法実務における一般条項の適用の劇的な転 換を意味するものではないが、立法者が学界の長年の議論の末に一般条項 から「良俗」概念を排したのは、司法実務が事件を扱う際の視点を転換し、 道徳上の評価の導入に慎重であるべきというメッセージを送っているよ うに見受けられる。 (3)道徳基準を論証する際の司法上の苦境 法哲学と比較法の視角から行った以上の分析は、道徳基準が競争行為の 正当性を評価することに不適切であることを示す第一歩ということが許 されよう。しかし、実際には、中国の裁判実務において、道徳的な解釈は 競争行為の正当性を判断する際の重要な役割を依然として果たしている。 その原因は、道徳的評価はかなりの程度、直感に訴求するものであり、論 理に対する要求がそれほど高くない場合において、簡便かつ迅速な取扱い を可能とするからである。ただし、一部の裁判官はすでに「一般条項に従 って法律に列挙のない不正競争行為を認定する際には、その行為が競争を 害する効果を特に分析する必要があり、……その様々な効果のうち、便益 が弊害を上回るかそれとも弊害が便益を上回るかを分析することによっ 18 Schuenemann in Harte - Bavendamm/Henning - Bodewig. UWG [M]. Muenchen: C.H. Beck, 2009, 2. Aufl., §3, Rn. 122-126. 19 Baudenbacher. Suggestivwerbung und Lauterkeitsrecht [M]. Schulthess Verlag, 1978: 134; Emmerich. Unlauterwettbewerb [M]. Muenchen: C.H. Beck, 2012: 53-54; Harte - Bavendamm/Henning - Bodewig. UWG [M]. Muenchen: C.H. Beck, 2009: 199 を参照。 競争行為の正当性評価における道徳化に関する再考(蒋) 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 13 て、行為が不正であるか否かということを判断することを心がけなければ ならない」、と述べている。言い換えれば、非道徳的に阻害効果という視 点によって行為の性質を判別してから、不正競争防止法 2 条 1 項が定める 「自由意思、公平、信義誠実の原則」や「公認の商業上の道徳」に従って 判断することになる。行為の性質の判断においては、非道徳的な衡量こそ 決定的であり、道徳的な衡量はせいぜい補助的な役割を果たすに止まる。 もっとも、運用の便宜のために、前述した不正競争防止法の一般的な法の 精神、すなわち競争行為に「便乗」する行為、他人を害して自らの利益を 図る行為、投機的なまたは騙し取る行為が存在するか否かということから 衡量をなすことは妨げられるものではない。これらの法の趣は、むしろ理 解や把握が容易であり、……「目に見える」、「手で触る」ことができるよ うになるのである[10]。 しかし残念なことは、このような便利な運用には 2 つの問題が存在する ということである。第一に、前述したように、不正競争防止法の領域にお ける「道徳」は、市場の道徳や慣習の意味における道徳であるにすぎず、 倫理上の道徳や聖人の徳は市場取引を調整することに適していない、とい う問題である。裁判官は道徳基準を適用しようとすれば、まず係争行為に 関する市場の慣習とは何かということを明示しなければならない。ところ が、裁判実務においては、かかる市場の慣習について裁判官が具体的に説 明することは滅多にない。道徳基準を適用した場合においても、往々にし て行為者の動機が譴責されるべきであると指摘するか、その行為が非道徳 的であると一般的に認定するに止まる。このような素朴な正義感を具現し た曖昧な道徳に訴求する手法は、必ずしも市場の要請に合致するものたり 得るものではない。とはいえ、このような道徳と市場の要請の間で客観的 に齟齬が生じるという現象は、成熟した司法実務においてもしばしば認識 されるところである。アメリカでは、「ただ乗りすなわち不公正」という 法理を定立した INS v. AP 事件20の多数意見は、「不正競争法の礎石」といわ れるまでの位置づけを与えられている[11]にもかかわらず、その後の裁判例 において貫徹されているわけではない[11]15。欧州連合のコモン・ロー国は、 競争の自由を―いわゆる「ただ乗り」という模倣の自由を含め―十分 20 248 U.S. 215 (1918). 巻頭論文 14 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) に尊重している。大多数の大陸法国においても、「フリー・ライド」行為 を直に不正競争行為と認定することを拒否し、その例外は、「フリー・ラ イド」と同時に情報の事実的かつ自由に流通することまでもが妨げられる 場合に限られている[12]。 第二に、裁判官が道徳基準を「理解や把握が容易である」と感じる背景 には、中国においては、裁判所の判決の論理(すなわちあてはめの部分) に対する要求が高いものではないという事情が存在する。市場が機能する メカニズムに明らかに反している行為に限って、「目に見える」、「手で触 れる」といった道徳基準に基づいて判断することが、中国の司法実務の慣 習に合致することも可能となり、問題を迅速に解決し得るものとなるがゆ えに、中国の司法の現状に鑑みれば、このような手法にも一定の合理性を 認めることができるのかもしれない(もっとも、このように白黒がはっき りしている領域においては、道徳基準を排し、競争秩序に頼っても、同じ く迅速に結論に到達することができる)。しかし、問題は、一般条項の存 在の最も根本的な意義は、立法者の予想し得る範囲を超えた新しい問題を 解決するところにある。現実の経済が日進月歩の展開を見せる現代社会に おいて生起する新しい問題は「難病」となる可能性が高い。こうした「難 病」に対してこそ、一般論としての公正や正義は無力であり、悪くすれば、 間違った方向に司法を導いてしまう可能性すらある21。また、司法実務が さらに発展していけば、その過程において、判決のあてはめの部分は次第 にその緻密さを高めていくことであろう。以下、競争秩序を解釈する局面 における道徳の限界、すなわち、道徳を基準とすると、不正競争防止法の 一般条項に関して人々を納得させるような演繹的なあてはめを挙行する ことが困難となり得ることを論証する。 3.道徳的な解釈の限界 倫理上の道徳であれ、慣習上の道徳であれ、いずれも、多元化、予見不 可能性、遅滞性、価値のデフォルト設定をその特徴とするため、普遍性、 21 素朴な公平と正義観に駆り立てられることによる、危うい競争秩序の形成につい て、崔国斌「知識産権法官造法批判」[J] 中国法学2006年 1 期146頁を参照。 競争行為の正当性評価における道徳化に関する再考(蒋) 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 15 先導性、進化性、価値中立性のある競争ルールに合致しないところが少な くない。前述した通り、競争という文脈の下の道徳は慣習の意味における 道徳でなければならないため、分析が無意味に拡散しないように、以下で は、慣習の意味上の道徳に重点を置き、道徳をもって競争の立ち入り禁止 区域を設定することには、市場活動の範囲を過度に制限するおそれがある ことを指摘する。 (1)道徳基準の多元性と競争ルールの普遍性 健全な競争ルールには普遍性がある。独占の禁止は、アメリカにおいて 競争秩序の道しるべであり、中国もその例外ではない。これに対し、道徳 という命題は、往々にして曖昧で多義的である。ポズナーのいうように、 たとえあらゆる人間社会に共通する普遍的な道徳ルールをいくつか見出 すことに成功したとしても、「これらの原則は抽象的にすぎ、衡量の基準 として用いることはできない」[6]。特定の社会における人々の口端に上る 道徳は、特定の競争環境の下の良俗を含めて、往々にして時代性、地方性、 個別性のある知識である。ドイツの学者は「良俗」基準を批判する際に、 「良俗」の「俗」という言葉自体が複数形22となっているのに、如何に市場 を先導することができるか、と指摘していた[8]119。急速に発展し、社会の 構成員の価値志向が日増しに多元化していく現在の中国社会において、道 徳の多元化傾向は一層歴然なものとなっている。少し考えれば分かるよう に、経済が発達している地区とそれほど発達していない地区においては、 同じ問題に関する市場の慣習も全く異なるものであるかもしれない。いま だ大規模な市場経済の段階に到達していない地区においては、経営者の間 または経営者と消費者の間に、互いをよく見知った人同志の社会における 双方向的な慣習が相当程度、存続している一方で、移り変わりの激しいグ ローバルな経済競争に溶け込んだ地区においては、経営者の間または経営 者と消費者の間には、もはや「義を求める」のではなく「利を求める」慣 習が浸透している。道徳の共通形態を画定するという道徳哲学家を悩ます 難問[13]が、現在の中国の市場経済領域において突如問題とはならなくなっ 22 ドイツ語「gutten Sitten」(良俗)の「Sitten」は、「Sitte」(風俗、道徳)の複数形で ある。 巻頭論文 16 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) た、と楽観視することは許されるものではない。 先に言及した「昆布配分額」不正競争事件を例として挙げよう。事案に ついては、各審級の裁判所の認定に変わるところはない。それは、被告で ある馬達慶氏が原告に勤めている期間内に、原告と競争関係にある会社を 投資し設立したところ、この新会社が被告の退職後、被告が原告の職場で 獲得した人脈に大きく依存して、日本への昆布輸出領域における原告の市 場における地位に取って代わった、というものである。それにもかかわら ず、この同じ事実から、各審級の裁判所は全く逆の結論に辿り着いた。第 一審裁判所は、被告「馬達慶氏は本来原告に属する競争の優位をその自ら 投資し設立した会社に移転させているところ、この行為は自らの職務に属 する行為に対する日本の顧客の信頼に対する濫用であり、信義誠実の原則 に甚だしく違反し、公認の商業上の道徳にも違反する」[14]がゆえに、不正 競争に該当する、と認定した。これに対し、控訴裁判所と最高裁判所は、 「法定または約定の競業への制限がなく、営業秘密等の特定の民事法上の 権益を侵害していない場合……、馬達慶氏の係争行為は信義誠実の原則に も、公認の商業上の道徳にも違反しておらず、この行為は不公正とはいえ ない」と認定した。被告の馬達慶氏が信義誠実の原則や商業上の道徳に違 反したか否かについて、裁判所が各様の見解を示したのみならず、社会の 全体の利益という観点から研究を行う学者[15]や、自身の利益から出発する 原告の従業員等23もそれぞれ正反対の結論に到達している。客観的な事実 が同じものであるにもかかわらず、そこから異なる主観的認識が生まれる ということは、市場の転換期においてより十分な競争へ向かう過程におい て、異なる集団が市場の正義に対して異なる理解または期待をしているこ とを示している。保守的な観点であれ革新的な観点であれ(いずれも中立 的な意味において)、個々人の見方は、それぞれの出身地域、成長環境、 性別や年齢、教育の背景、審美や趣味ないし偶然的な要素を含む個人的な 23 (2009) 民申字第1065号判決の記載によると、(被告は) 山東食品会社、山孚集団 会社、山孚日水会社の昆布の取引機会を強奪し、山東食品会社の1,000名以上の定 年退職者、早期退職者、在職者の「生活資金」を奪い取るものであったため、社会 的に激しい反発が引き起こされ、従業員の代表は陳情のために複数回省都や北京に 赴いた。 競争行為の正当性評価における道徳化に関する再考(蒋) 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 17 経歴が重なって、特別な問題に投影された結果であり、観点の相違する他 人の道徳的な説教という一言によって改悛するような類のものではない。 これは、競争のルールを展開する司法実務において道徳基準がもたらす 危険性を例証するものである。裁判官は形式上、市場の良俗の名の下で事 件を解決しなければならないが、市場において固定された見方がいまだ現 実には形成されていない段階では、同じ良俗概念から出発しても、異なる 裁判官が互いに異なる結論に到達してしまう可能性は小さくない。担当の 裁判官が、形式的に探究する必要があるのはいわゆる社会の大衆的な道徳 観というものであるが、新しい領域で競争が展開される場合、このような 客観的な道徳はそもそもいまだ形成されていないか、裁判官の知るところ ではないという可能性が大いにある24。いわゆる民衆の立場を探ることは、 司法実務における混乱を引き起こすかもしれない25。客観的な道徳が存在 しない場合、判断者の主観的な道徳を働かせざるを得ず、その結果、最終 的に決定的な影響を生み出すのは個人の好き嫌いであるという事態に陥 ってしまう[16]。「良俗」の導きに従った結果は往々にして裁判官の個人の 道徳感に独占されることになる[17]。 (2)道徳による評価の予見不可能性と競争のルールの指導性 すでに言及した道徳の多元性は、道徳規範が直接に競争のルールへ格上 げされる可能性を大きく妨げる。その理由は、競争のルールは、明確な指 針を提示し、競争者にその行為が競争法によって禁止されるか否かを教示 すべきものであるからである。ところが、伝統的な道徳に関係しない新型 の競争パターンの元で、道徳の名を借りて行う「いわゆる解釈は必要とさ 24 BGH GRUR 1960, 558, 560 f. - Eintritt in Kundenbestellung. 本件は、ドイツ裁判事務 における屈指の、アンケート調査という形で特定の商業的慣習を探究した事件の 1 つである。 25 たとえば、大衆主義の立場を採用したウォーレン・コートによってもたらされた 反トラスト法領域における混乱はその一例である。この混乱は、反トラスト法領域 における経済的分析の大衆主義立場に対する勝利によって終結した(ポズナー著、 蘇力訳『道徳和法律理論的疑問』[M]北京:中国政法大学出版社 (2001) 265頁を参 照)。 巻頭論文 18 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) れる口実を丁寧な言い方に変換したにすぎず」、その結論も人々にとって 捕捉しづらい「偏屈な道徳的直感」[6]57にすぎない。市場の参加者に道徳の 準則に従って行動せよと教えるだけでは、自らの行動とりわけ伝統的な業 界慣習を突破した行動に関する行為者の予見可能性が高まることはない。 道徳は知人社会に由来するものであるに対し、市場経済は―そのグロ ーバル化時代に入る遥か以前から―とうに血縁や友情の枠組みを越え て、他人同士の間の駆け引きという時代に踏み込んだ。他人同士によって 構成される現代社会は郷土社会の慣習で対応できるものではない[7]。一般 的にいえば、知人社会に由来する道徳の体系は他人同士の秩序とは大きな 隔たりがあり、これを完全に埋めることは不可能である。中国の道徳の伝 統は序列差の構造や人間関係を特に重視しており[18]、このような伝統と市 場経済との距離を解消するのには特別な努力が必要である。たしかに、理 想的な裁判官は、客観的かつ中立的であり、知人社会の背景から離脱し、 市場の正義を洞察しなければならない。しかし問題は、裁判官の道徳上の 「正義」と客観的な市場の「正義」とは常に一致しているわけではないと いうことである。抽象的な「裁判官」が具体的な「裁判官」となり、理論 上の完璧な裁判官が現実に(他のあらゆる職業の従業者と同様に)完璧に はなり得ない裁判官に置き換えられると、前述のような隔たりにより、判 断者は知恵と見識上の頼りを失って独断的になり、その判断は一貫した基 準に欠けその指針となる力を失ってしまう。裁判官にとって道徳が明確な 指導を与えられない空白の領域において、なお道徳をその指針とするよう 法が要求すると、裁判官が現実に訴えることができるのはもはや一個人と しての内心への確認というものしかなくなる。他方、競争者にとって、裁 判官の内心への確認は外部から知る由もないため、自らとる行動が不公正 と判定されるかについて予見することができない。以下のような事態を想 定することができよう。ある郷土社会に生まれ育った裁判官は都市で成長 してきた裁判官に比べてより保守的な競争観を持ち、また、細かい点に対 する観察に長じているある裁判官は、イメージ思考(imaginal thinking)が 粗雑である裁判官に比べると、競争者間の模倣に対して否定的な評価をす る傾向にある。このように、成長の環境と観察の能力は本来道徳に関係す るものではないはずであるが、道徳という道具が裁判を指導するという目 的を達成できず、かつ、立法者が合理的に実行し得る基準を提示し得てい 競争行為の正当性評価における道徳化に関する再考(蒋) 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 19 ない場合、道徳上の確信にも競争秩序にも関係のない要素が事件の結果を 左右することになってしまう。道徳という視点から見る世界は個人や角度 によって異なるものの、競争には普遍性のあるルールが存在する。個人の 道徳をもって普遍性のある競争を規律しようとすると、司法者であれ競争 者であれ、遵守できるものがないという苦境を免れることができない。 (3)道徳的な実践の遅滞性と競争活動の進化性 慣習の意味における道徳は、既定の時空領域において既定の集団にある 程度備わった既定の共通認識を反映する。その知恵と見識が過去を指し示 し、現在に終結し、その訴求が保守的であり、革新的ではないゆえに、そ れが適用されるのはルールがすでに固定化されている領域である。逆に、 道徳基準は、新旧交代が永遠のテーマである市場競争領域で適用されると、 その機能に限界があることを露呈するのである。 ある慣習の確立は、往々にして無数の実践をその前提として必要とする。 通例、社会がすでにある種の実践を受け入れてはじめて、人々が主観的な 視点から当該実践の背後の慣習という命題を追認する。商業的実践にも同 様の原則が妥当し、個別事件における合理的な妥当性から普遍的に適用さ れる慣習に至るまで長大な過程を経ることを要する。 慣習の受動性と遅滞性は、新旧交代が能動的に行われており、永遠に自 己進化をとげていくという競争の属性に反している。競争に勝つために最 も重要なことは、他人の行為に逐一追従するのではなく、主導権を握るこ とである。この理は、現代の取引社会においてとりわけ顕著となっている。 生産力の発展や基本的な衣食の問題が一般的に解決されるにつれて、消費 者の需要は開放化と多様化の傾向にあり、この 2 つの傾向はともに、既存 の実践を廃棄し、新たな競争優位を追求し続けるよう競争者にインセンテ ィヴを与えている。 開放化の視点からいえば、現在の多くの市場領域の競争者は、単により 低い価格で人の衣食の需要を満たすことだけで競争を勝ち抜くことが明 らかに不可能となっており、消費者自身ですら意識していなかった需要を 掘り起こし、その優位を獲得することで他の競争者に勝る必要がある。競 争が十分になされ、参加者が合理的であることを仮定する伝統的な経済学 のモデルとは異なり、現実の市場は完全とはいえず、消費者も常に合理的 巻頭論文 20 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) に行動するわけではない。市場において「りんご 1 つはみかんといくつ交 換できるか」ないし「いくつのみかんを交換したいか」ということを知っ ていることを消費者に求めることは、しばしば非現実的な望みである[8]。 この点をもう少し敷衍しておくと、過去の市場では、消費者の需要が先行 し(流行語におけるいわゆる「剛需」)、競争者による供給がその後に続く というものであった。ここにおいて供給は受動的なものであったといえる。 これに対して、現在の市場においては、しばしば競争者による供給が先行 し、消費者の需要がその後に続くことがあり、ここにおいて供給は先導的 な特徴を示している。仮に消費者が着用するに十分な衣類を得た場合には 以降、新規の購入を停止し、あるいは、携帯電話に通話と電子メールの機 能がついていればもはや新たな携帯電話を購入する意欲を失うのだとす れば、市場は大いに停滞することであろう。もちろん、現実の市場はこの ような仮想の市場とは異なり、より活況に満ちている。その理由は、消費 者が主動的に様々な新たな要求を提出したからというよりは、互いに競争 する市場の参加者等が絶えず知恵を絞って新たな消費を探し、育成しよう と努めていることに求められる。現代市場における「真の問題は、我々が 既定の限界費用で既定の商品または役務を提供することができるか否か にはなく、如何なる商品または役務が最廉価で人々の需要を満たすことが できるか否かということである」。そして、この問題に関する思考は「こ れまで知られていなかった領域に深く入り込む探索の旅である」[9]。この 視角から見れば、現在の経営者は過去の経営者に比べてより大きく「前進 あるのみ、さもなければ後退」という圧力を掛けられている。過去の消費 者の需要を完成したリストにたとえるのであれば、現代社会における消費 者の需要は未完成のリストということができる。ゆえに、後者における競 争秩序が前者の競争秩序に比べてより複雑で、移ろいやすく、さらに予測 が困難となっている。 多様性の視角から見れば、伝統的な取引社会において競争者が提供でき る商品の内容は相対的に明確であった。しかし現代社会の競争者が消費者 に提供するのは多くの心血が注がれた努力の総合であり、一体何が消費を もたらした決定的な要素であるかを判断することがときとして困難とな る。現代社会におけるブランドに対する人々の憧れはその証拠となり得る。 すなわち、ブランド商品はたしかに品質においてより優れているかもしれ 競争行為の正当性評価における道徳化に関する再考(蒋) 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 21 ないが(もちろん必ずではない)、消費者にとってより高額な価格でブラ ンド商品を購入するインセンティヴは、往々にして品質の差にはなく、ブ ランド商品が消費者に与える達成感、または他人の賛美を受ける際の愉快 感、あるいは豪華な内装のある店舗で買い物をするという消費者の特別な 体験自体にあるのかもしれない。競争者は如何なるものが消費者の心を動 かし得るものとなるのかということをその労力と叡知を尽くして見極め ようとしている。競争者が価格を適宜コントロールしたり、品質をさらに 向上させることだけで十分であったという過去に対し、現在の競争者はよ り鋭敏に、より豊かな想像力をもって、より大きな努力の下に古い因習を 打破し、試行錯誤を繰り返し、創造と淘汰の過程の果てに、消費者自身で すら説明しがたい需要との動態的な黙示の合意を達成しなければならな い。 生産力が十分に発達しておらず、物資も決して豊かといえない過去にお いては、消費者の需要の類型が限られていたため、競争者の努力の方向は ある特定の製品(商品または役務)の領域において他の競争者より高い生 産効率を実現し、もってより低い価格で同じ製品を提供して他の競争者に 勝ち抜くという目的を達成することにあった。この段階において、競争の 優位を高める努力はほぼ競争者の内部に向いており、競争の全体的環境に 対する影響は相対的に小さかった。また、競争における資源の流動を導く 主力は消費者の既定の需要(たとえば衣食の十分さ)であったため、競争 秩序が相対的に安定していた。同時に、商業上の慣習も相対的に確定しや すく、同一の実践が相当期間継続すると、慣習の遅滞性がさほど顕著では なくなり、よって慣習を競争秩序の標尺とすることも実効性のあるものと なり得た。しかし、今日に至っては、一部の領域における慣習は、固定化 される間もなく、すぐに時代遅れとなる可能性があり、ゆえにこのような 慣習をもって競争を規制することは、ときとして旧態依然とした誤った因 習を固守することと同義となり得る。 (4)道徳のルールにおける価値のデフォルト設定と競争過程における価値 中立性 道徳基準が競争行為を評価することへの試みについて限界を露呈する 根本的原因は、道徳がある行為パターンが他の行為パターンより優越的で 巻頭論文 22 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) あるということを予め措定していることにある。これに対し、競争はその 本質からいえば単なる発見の過程にすぎず[19]、如何なる行為に対しても優 越性を仮定しない。競争が我々に提供するのは、試行錯誤の場所にすぎな い。活気にあふれている競争者もいれば、暗然と退場する競争者もいる。 「 1 つの有効な競争市場において……、個人が期待できる相対的な報酬は、 その努力に対する人々の主観的評価ではなく、その努力の客観的結果に一 致する。……我々個人の正義感は頻繁に市場の非人格的な決定に衝突す る」[10]。実際、競争本位論者と道徳論者は、不正競争防止法の領域におい て追求する目標が競争を保障することにあるとすることに変わりはなく、 ただそれを如何に保障するかという方法の点において対立する。競争本位 論によると、競争への保障というものは、如何なる競争者から見ても、自 らが、水平レベルにおける他の競争者に対しても、また、産業チェーンと いう垂直レベルにおける上流の供給者と下流の消費者に対しても、行動の 自由と決定の自由を有することを保障しなければならない[8]243-244。また、 外部的な常に予め設定した価値判断を通じて、如何なる行為であればそれ を求めて良いのか、如何なる行為であればそれを求めてはならないのかと いうことを選別すべきではない、というのである。一方、道徳論は、過去 の経験のまとめを通じて(異なる人に異なる経験があるだけではなく、一 部の行為について過去の経験というものがそもそも存在しないというこ とをさておくとしても)、競争の傍観者が、如何なる行為が市場において 追求できるもので、如何なる行為が追求してはならないものかを予め判断 することができると唱えている。新たなタイプの競争行為が追求してはな らないものであるならば、これを予め禁止し、その現出を未然に防ぐべき であるというのである。以上の 2 つのアプローチの区別についていえば、 競争本位論者が行うのは、競争の機能を維持することを目標とする「正誤」 の判断であり、道徳本位論者が行うのは、行為者の主観的意図や現行の市 場構造を参照系とする「善悪」の判断である[20]。「経済領域においては、 経済の方式で議論すべきであり」、「善」と「非善」ではなく、「利」と「非 利」を主導的な基準とすべきである[21]。道徳論と競争本位論は、たとえ目 標が同じであるとしても、アプローチとしては異なるものを採用している ため、ときとして全く逆の結果を導く場合がある。市場に導きを与えたい という衝動が制御されてはじめて市場はその機能をよりよく発揮するこ 競争行為の正当性評価における道徳化に関する再考(蒋) 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 23 とができる。まさにこの意味において、「競争秩序」(competitive order)は、 人々が口にする「整然とした競争」(orderly competition)とは実に正反対 のものなのである[10]111。 ここで明確にする必要があるのは、競争行為の正当性の判断が行為の道 徳上の評価と連結しないことを、道徳が競争秩序を維持することにおいて 果たす重要な役割を否定することと誤解してはならないということであ る。慣習を含む道徳規範は、社会の自発的な進化過程において積み重ねら れてきた実践的理性として、個人の知能が十分に理解できる範囲を越えた 合理性を含有し、人々が無数のコミュニケーションからまとめ上げてきた ものであり、しばしば繰り返しゲームの後の均衡状態に最も到達し得る行 為のパターンであるため、これに依拠することにより全ての市場の参加者 は試行錯誤を重複して行うことを避けることができる。たとえば、互いの 商業的信用を攻撃して共倒れになるよりは、全ての参加者が最初からその 種の乱闘に踏み込まない方が良いということを認識するために、新たな市 場の競争者は逐一、それを試すことを要しない。したがって、いわゆる「信 用毀損行為を禁止する」というルールは、道徳の要素が含まれている法律 とみなし得るものであって、競争意義上の合理性もあるものといえる。こ のルールは均衡への道筋を示しており、競争が正常に機能することを保障 しているからである。したがって、不正競争防止法の最も重要な構成部分 は、類型化された、具体的な不正競争行為規範である。これらの規範が調 整済みの範囲内においては、ルールの基本が定型化しており、基本的な共 通認識がすでに醸成されており、競争秩序と道徳的な体験も基本的に一致 している。本稿の目的は、市場と道徳の自然的連結26を切断することにも、 両者を完全に対立させることにもなく、ただ両者が異なるシステムとして、 それらの内在的なルールも異なることを指摘しようとすることにある。新 型の競争行為に関する不正競争防止法とりわけその一般条項はしばしば、 まさに両者が重なり合っていないところに適用されるものであるため、道 徳基準の扱いについて特に慎重に行うべきなのである。 通常、我々の正義感はたしかに競争秩序の要求に都合よく一致するが、 26 このテーマに関する文献は数多く、たとえば、万俊人「論市場経済的道徳維度」 [J] 中国社会科学2000年 2 期 4 ~13頁。 巻頭論文 24 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 評価の結果が偶然合致しているということから、逆に評価の基準も合致し ていると推認することは許されない。中国の不正競争防止法 9 条が規制す る虚偽広告や14条が規制する競争相手の名誉を毀損する行為を例として 挙げよう。これらの 2 種類の行為はいずれも不正競争防止法にも、正義感 にも反しているが、このことは、不正競争防止法が否定的な評価を与える 原因はそれらが正義に反するからである、ということを意味しない。これ ら 2 つの行為を禁止する真の理由は、それが「本質的に意見を形成する過 程としての」競争[10]106を破壊し、競争を歪曲したからである。禁止の正当 性は競争自体にあり、道徳上、非難すべき行為の性質にあるわけではない。 禁止の現象と禁止の原因との間の明晰な区別は、これを維持しなければな らない。 4.道徳解釈の矯正 道徳基準を適用し得る領域は、遵守できる成熟した市場道徳があるとこ ろに限られるが、不正競争防止法は、まさにこうした適用をなしがたい領 域にある。とりわけ一般条項が直面する問題は、往々にして市場の進化の 過程において遭遇する新しい問題である。市場経済を完備化していく過程 の中では、競争に対する規律が当時の人々の素朴な正義感に反する状況を 招来することを避け得ない。したがって、行為の正当性に対する分析は、 競争を歪曲したか否かという基準自体に見据えるべきである。 たしかに、ある競争行為が「競争を歪曲した」か否かを判断することは、 ときとして当該行為が道徳的であるか否かを答えるよりも容易でないこ とがある。それは、「競争システムが複雑にすぎ、システム自体をもって するより具象度の低い方法で判断や説明をすることができない」[22]からで あるが、そのことは道徳には根本的に競争秩序を評価する能力がないとい う結論に影響しない。競争の複雑性は、如何なる理論でも裁判官に迷わず に答えを見出すことができるというマジック的な処方箋を提供すること ができない、ということを既定する。また、競争の本質は、異なる理論が 競争秩序にとってそれぞれ有する価値が異なる、ということを既定する。 2 種類の基準は、たとえ競争の最良モデルが明確となった一部の領域にお いてそれらの結論が同様であるとしても、競争ルールの核心的価値を正確 競争行為の正当性評価における道徳化に関する再考(蒋) 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 25 に反映しているとは限らない。この核心的な価値は相当程度において、知 恵と見識には限界があることを認め、市場のルールを尊重し、開放的な態 度をもって競争の力を信用し、価値中立的な試行錯誤や錯誤訂正の場所が 存在しており、かつ、この場所が、如何なる賢い人間の道徳感に基づいて 設計される人為的ルールやただ存在しているだけで合理的であると推定 される慣習のどれよりも、社会自体の進化法則に合致していることを信じ る、ということにある[23]。 以上の観点は実際中国の不正競争防止法の文言に反映されている。2 条 1 項と 2 項の異なる言葉選びは、立法者がすでに道徳と競争秩序それぞれ に異なる地位を与えているということを示している。それは、道徳感をし て、競争行為の正当性を判断する終局的な基準とすべきではなく、他の経 営者の利益と市場秩序への客観的影響こそ、ある行為が不正競争防止法に よって禁止されるか否かを判断するための適切な根拠である、という立場 である。現在の中国の国情に鑑みれば、不正競争防止法とりわけその一般 条項を適用する際に、全ての事件に対して詳細な経済的分析を行うことは 不可能である[24]が、競争法則という視点に立脚して、道徳的な視角よりは、 むしろ市場構造という視角から競争行為を評価することこそが、市場法則 を前にして当然求められるべき謙虚さを具現するものであり、法律の文言 を尊重することにもつながると考える。 [1] Karl-Heinz Fezer. 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