知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 301 論 説 知的財産権・不法行為・自由領域(2) ―日韓両国における規範的解釈の試み― 丁 文 杰 序章 第 1 節 問題の所在 第 2 節 論文の構成 第Ⅰ章 不法行為法の構造 第 1 節 条文の系譜 第 2 節 条文の特徴 第 3 節 帰結 第Ⅱ章 知的財産法の制度趣旨 第 1 節 知的財産権の特徴 第 2 節 知的財産権の内在的制約 第 3 節 知的財産権の外在的制約 第 4 節 帰結 第Ⅲ章 学説 第 1 節 はじめに 第 2 節 日本の学説 第 3 節 韓国の学説 第 4 節 帰結 (以上、第46号) 第Ⅳ章 裁判実務 第 1 節 はじめに 第 2 節 日本の裁判例 第 1 款 最上級審判決 第 1 項 厳格な解釈を採用した大審院判決 ―桃中軒雲右衛門判決― 第 2 項 柔軟な解釈を採用した大審院判決 ―大学湯判決― 第 3 項 限定的な解釈を採用した最高裁判決(その 1 ) ―ギャロップレーサー上告審― 論 説 302 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 第 4 項 限定的な解釈を採用した最高裁判決(その 2 ) ―北朝鮮映画放送上告審― 第 5 項 小括 第 2 款 最高裁判決の射程 第 1 項 著作権法が規律対象とする利益と異なる趣旨の法的利益 (以上、本号) 第 2 項 著作権法が規律対象とする利益と異なる趣旨の「財産的利益」 第 3 項 著作権法が規律対象とする利益と異なる趣旨の「人格的利益」 第 3 節 韓国の裁判例 第 1 款 最上級審判決 第 2 款 大法院判決の射程 第 4 節 帰結 第Ⅴ章 日本法への示唆 結語 第Ⅳ章 裁判実務 第Ⅳ章では、知的財産法の制度趣旨を念頭に置きながら、日韓両国にお ける裁判例の動向について考察することにしたい。もっとも、第Ⅲ章の検 討からは、自由領域の確保、政策形成過程のバイアス問題、技術的適格性 の問題や、政治的な責任の問題など、知的財産権の外在的制約を考慮する と、知的財産法の補完問題を限定的に解釈すべきであるが、知的財産の適 度な創出を実現するインセンティヴに不足することが明らかである場合 には、例外的に不法行為の成立が認められることが明らかになった。この ような理論枠組みの下で、知的財産法上の保護が否定された場合に、不法 行為法による保護が認められるのかという問題が争われた事案において、 日本の最高裁判決はいずれも不法行為の成立を否定している反面、韓国の 大法院判決は積極的に不法行為の成立を認めている現象を合理的に説明 することができるのだろうか。第Ⅳ章では、日本と韓国の裁判例を具体的 に分析し、日韓両国の最上級審判決が異なる判断を下した根本的な原因を 判明することが課題である。 知的財産権・不法行為・自由領域(丁) 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 303 第 1 節 はじめに ところで、日韓両国における裁判例の動向を考察する際には、各判決の 抽象論に重きを置いて研究しても得るところは少ないように思われる。な ぜならば、不法行為の成立を肯定した判決も否定した判決も、ほぼ同じ抽 象的な基準を繰り返すことが多く、この抽象論だけでは、一体どのような 場合に不法行為が成立するのか、よく分からないからである127。そうする と、個々の判決の具体的な事案に照らして、換言すれば、不法行為が成立 するとされた事例と、否定された事例の事案の差異に着目して、裁判例に おける不法行為の成否の分岐点を探ることを試みる作業が必要となろう128。 このような問題意識の下で、本章では、個々の判決の具体的な事案に着 目しながら、日韓両国における裁判例の動向を具体的に分析し、知的財産 法の補完問題をめぐる規範的解釈のあり方を模索することにしたい。 第 2 節 日本の裁判例 まず、日本における裁判例の動向について考察しよう。裁判例の動向を 考察するにあたっては、関連する最上級審判決の立場を確認した上で、そ 127 たとえば、不法行為の成立を肯定した裁判例として、前掲東京高判 [木目化粧紙 二審] は、「取引における公正かつ自由な競争として許されている範囲を甚だしく逸 脱し、法的保護に値するXの営業活動を侵害するものとして不法行為を構成する」 と判示し、東京地判平成13.5.25判時1774号132頁 [スーパーフロントマン中間判決] は、「公正かつ自由な競争原理において、著しく不公正な手段を用いて他人の法的 保護に値する営業活動上の利益を侵害するものとして、不法行為を構成する場合が ある」と説示している。一方、不法行為の成立を否定した裁判例として、東京地判 平成14.9.5判時1811号127頁 [サイボウズ本案] は、「著作権侵害行為や不正競争行為 に該当しないような行為については、当該行為が利益を追求するという観点から離 れて、殊更に相手方に損害を与えることのみを目的としてなされたような特段の事 情が存在しない限り、民法上の一般不法行為を構成することはない」と判示してい る。 128 田村・前掲注 1 )『新世代知的財産法政策学の創成』10-11頁における分析方法を 参照。 論 説 304 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) れが裁判実務に与える影響、すなわち最高裁の判断が今後の裁判例に如何 なる解釈指針を提示しているのか、という射程を判明することが重要であ る。以下、敷衍しよう。 第 1 款 最上級審判決 日本では、個別の知的財産法により明文で規律されていない利用行為に 対して、民法709条の一般不法行為が成立することがあるか、という問題 を扱った裁判例は多数存在するものの、最上級審段階の裁判例はその数が 限られている(前掲大判 [桃中軒雲右衛門]、前掲大判 [大学湯]、前掲最判 [ギャロップレーサー上告審]、前掲最判 [北朝鮮映画放送上告審] など)。 さらに、最上級審判決のアプローチを整理すれば、主に、ⅰ)厳格な解釈 を採用したもの、ⅱ)柔軟な解釈を採用したもの、ⅲ)限定的な解釈を採 用したもの、という三つの立場に分類することができる。 第 1 項 厳格な解釈を採用した大審院判決 ―桃中軒雲右衛門判決― 第Ⅰ章で述べたように、平成16年改正までの民法709条は、不法行為責 任の成立要件の一つとして「権利侵害」が必要であることを明確に規定し ている。これは、「故意または過失によって他人に直接・間接に損害を生 じさせることがあっても、権利を侵害する程度に至らないときは、損害賠 償請求権を発生させるべきではない」という趣旨に立脚した要件である129。 そこには、既存の法律体系において権利と認められたものを侵害したので なければ不法行為は成立しないという厳格な解釈を採用することにより、 法的安定性を確保しようとする立法者の意図が窺える。 このような起草趣旨に沿って、厳格な意味での権利侵害のみが不法行為 になるとする立場を採用した最上級審判決として、浪曲レコードの複製に 関する前掲大判 [桃中軒雲右衛門] が有名である。 129 法務大臣官房司法法制調査部監修『法典調査会民法議事速記録 5 』(1984年・商 事法務研究会) 249頁、潮見・前掲注 8 )61頁を参照。 知的財産権・不法行為・自由領域(丁) 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 305 この事件は、有名な浪曲師の桃中軒雲右衛門が浪花節をレコードに吹き 込んで著作権登録をし、これを原告に譲渡したところ、被告らが購入した レコードから原盤を作成し、無断でレコードを複製販売した。そこで、原 告が被告らを刑事告訴するとともに、附帯私訴130として複製レコードの販 売の差止めと損害賠償を請求した事案である131。 大審院は、「本件雲右衛門ノ創意ニ係ル浪花節ノ楽曲ニシテ前示ノ如ク 確乎タル旋律ニ依リタルモノト認ムヘキ事蹟ノ存セサル以上ハ瞬間創作 ノ範囲ヲ脱スルコトヲ得サルモノニシテ之ヲ目シテ著作権法ニ所謂音楽 的著作物ト謂フコトヲ得ス」と判示し、雲右衛門の浪花節は著作権法の保 護を受けることはないとした上で、「他人カ出捐ヲ為シテ蓄音機ノ蠟盤ニ 吹込マシメタル楽曲ヲタノ蠟盤ニ写シ取リテ音譜ヲ製造シ利ヲ営ムコト ノ正義ノ観念ニ反スルハ論ヲ竢タサル所ナリト雖モ是レ独リ雲右衛門ノ 演奏シタル楽曲ニ付キテ然レトモ之ニ関スル取締法ノ設ケナキ今日ニ在 テハ之ヲ不問ニ付スル外他ニ途ナシトス」と述べて、刑事事件を無罪にし たばかりでなく、原告の不法行為を理由とする損害賠償請求の附帯私訴も 130 明治23年の刑事訴訟法 5 条は、「被告人免訴又ハ無罪ノ言渡ヲ受ケタリト雖モ民 法ニ従ヒ被害者ヨリ賠償、返還ヲ要ムル妨碍ト為ルコトナカル可シ」と規定してお り、公訴について無罪の判決がなされても、同じ裁判所で附帯私訴について判決す ることができると解されている。 131 桃中軒雲右衛門 (1873-1916) は、レコード産業の草創期に最も人気があった浪曲 師である。当時、絶大な人気を誇っていた雲右衛門は吹込料がほかと比べて突出し て高かったため、雲右衛門の浪花節はなかなかレコード化されなかった。これを実 現させたのは、横浜市在住のドイツ人貿易商であるリチャード・ワダマンである。 ワダマンは1912年に、15,000円という高額の吹込料を雲右衛門に支払って、「赤垣 源蔵徳利の別れ」「南部坂後室雪の別れ」「大石生立」「村上喜剣」「正宗孝子伝」の 五種類のレコードを72,000枚製造し、三光堂に販売させた。ところが、雲右衛門の 人気に乗じて、正規盤を無断複製して安価で販売する業者が現れたため、雲右衛門 から楽曲の著作権を譲り受け、内務省に著作権登録を行っていたワダマンは、模倣 レコードの製造業者に対して著作権侵害を主張し、複製行為の差止めと 1 万3,960 円の損害賠償を求める訴訟を提起するとともに、刑事告訴した。一審、二審とも原 告が勝訴したが、上告審である大審院は被告に対して逆転勝訴の判決を下した。安 藤和宏「著作隣接権制度におけるレコード保護の研究」(早稲田大学大学院2011年 12月博士学位申請論文) 11-14頁を参照。 論 説 306 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 棄却したのである。 すなわち、大審院は、即興的な音楽が著作権法の保護を受けるためには、 反復可能性を有する程度にその旋律が固定されたものでなければならず、 演奏とともに消滅してしまう程度では、音楽の著作物として著作権法の保 護を受けることはないと判断した132。その上、被告の行為が正義の観念に 反するとしても、明文で権利が定められていない限り、民法709条で保護 されるべき権利には該当しないという立場を示したのである133。 この判決に対して、当時の民法学者からは、「音楽理論に拘泥して浪曲 の上の著作権を否定した理論にも承服できないが、それよりも、権利侵害 のない以上このような不正な行為も不法行為にならない、という根本理論 が反省されねばならない」134という厳しい批判がなされてきたが、最近は、 刑事事件の附帯私訴であるから、罪刑法定主義が妥当すべき刑事事件に与 える影響を慮って請求を棄却せざるを得なかったという肯定的な評価も みられる。たとえば、能見善久教授は、「仮に、附帯私訴を用いずに、民 事裁判で純粋に不法行為の事件として訴えたならば、あるいは著作権侵害 についても、単に民事の不法行為の問題に限定されるので、より柔軟な判 断(拡張的な解釈)がなされた可能性もないではない。しかし、附帯私訴 を用いた結果、裁判官としては、事実上、刑事裁判の判断との連動を強く 132 本判決が契機となって、1920年の旧著作権法改正でその 1 条 1 項の著作物の例 示に「演奏歌唱」が加えられ、演奏歌唱者は著作者として保護されることになった。 斉藤博「『雲右衛門』判決へのもう一つの評価」北川善太郎編『知的財産法制』(1996 年・東京布井出版) 114頁を参照。因みに、著作隣接権制度が導入された現行法下で は、浪曲師が創作的な旋律を加えなかったとしても実演家として著作隣接権を享受 し得る。 133 その後、著作権の及ばない蓄音機音譜 (レコード) を製作した者が、これを複写 した者に対して差止めや損害賠償を請求した、大判大正7.9.18民録24輯1710頁も、 「何等法令ノ禁止スル所ニ非スシテ各人ノ自由ナレハ之ニ依リテ利益ヲ営ミ創製者 ノ営業上ニ損害ヲ被ラシムルモ為メニ複製者ノ行為ヲ目シテ不法行為ト謂フヲ得 ス」とし、著作権や実用新案権等の権利がない以上、原告は請求権を有しないと判 断している。この判決を契機として、1934年の旧著作権法改正により、レコード製 作者も著作権を享有することとなった。斉藤・前掲注132)116頁を参照。 134 我妻栄=有泉亨=川井健『民法 2 債権法』(第 2 版・2005年・勁草書房) 425頁。 知的財産権・不法行為・自由領域(丁) 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 307 意識せざるをえなくなったと思われる。不法行為の成立を柔軟に判断する ために著作権侵害の判断を柔軟にする(拡張的に解釈)と、事実上連動し ている刑事事件としての著作権法違反の判断も拡張的に認めることにな ってしまう。しかし、これは刑事における厳格な罪刑法定主義の考え方か らしてできないことである」135、と指摘している。 ともあれ、知的財産法の観点からすれば、この大審院判決は、即興で旋 律を創作しながら歌唱する浪花節につき、著作権法が著作権と認めていな いことを理由に、民法709条に基づく不法行為の成立を否定したと評価す ることができるだろう。 第 2 項 柔軟な解釈を採用した大審院判決 ―大学湯判決― その後まもなく、大審院が上記の桃中軒雲右衛門判決で採用した権利侵 害の厳格な解釈は、前掲大判 [大学湯] によって変更されるようになった136。 この事件の原告Xは先代の代から被告Y1 が所有する建物を賃借りし 「大学湯」の名称で湯屋業を営んでいた者である。被告Y1 は、右賃貸借契 約が合意解除により終了した後、他の共同被告Y2 とY3 に当該建物を貸借 して湯屋の営業をさせた。しかし原告Xは、先代が借り受ける際に、被告 Y1 との間に、湯屋業にかかる老舗は被告が買い取るか、先代が任意に他 に売却することを許す特約が存在したと主張し、債務不履行と不法行為を 135 能見善久「桃中軒雲右衛門事件と明治・大正の不法行為理論」学習院大学法学 会雑誌44巻 2 号 (2009年) 219頁。 136 民法の学者によると、桃中軒雲右衛門判決から大学湯判決への転換は、不法行 為の成立要件の一つとして「権利侵害」を置くことによって不法行為責任の拡張を 抑制しようとする民法典制定当初の意図が、その後の社会情勢の変化に伴い不法行 為的保護を与えられるべき社会的利益が増加するにつれ、それらの利益を権利とし て構成する方向へと変化せざるを得なかったとされる。林良平「不法行為法におけ る相関関係理論の位置づけ」同『近代法における物権と債権の交錯』(1989年・有 信堂) 267頁、四宮和夫『不法行為』(1987年・青林書院) 396頁、前田達明「権利侵 害と違法性」山田卓生編『新・現代損害賠償法講座 2 権利侵害と被侵害利益』(1998 年・日本評論社) 4 頁、潮見・前掲注 8 )63頁など。 論 説 308 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 理由に損害賠償を請求した事案である137。 大審院は、「七百九条ハ故意又ハ過失ニ因リテ法規違反ノ行為ニ出テ以 テ他人ヲ侵害シタル者ハ之ニ因リテ生シタル損害ヲ賠償スル責ニ任スト 云フカ如キ広汎ナル意味ニ外ナラス」とし、「当該法上ニ『他人ノ権利』 トアルノ故ヲ以テ」、「必スヤ之ヲ夫ノ具体的権利ノ場合ト同様ノ意味ニ於 ケル権利ノ義ナリト解シ凡ノ不法行為アリト云フトキハ先ツ其ノ侵害セ ラレタルハ何権ナリヤトノ穿鑿ニ腐心シ吾人ノ法律観念ニ照シテ大局ノ 上ヨリ考察スルノ用意ヲ忘レ求メテ自ラ不法行為ノ救済ヲ局限スルカ如 キハ思ハサルモ亦甚シト云フヘキナリ」と判示した。そして、本件老舗が 取引の対象となるものである以上、法規違反の行為によりその売却が妨げ られたことにより、得べかりし利益が失われたとすると、それは所有権の 場合と変わるところはなく、かかる利益も不法行為により保護する必要が あるとして、不法行為の成立を認めた138。 137 本判決の事案を考えると、本件の被告Y2 とY3 は純粋の競業者ではなく、原告 Xの先代と契約関係にあったY1 から造作諸道具付きで建物を賃借りした者である。 Xの先代とY1 との間でX主張にかかるような特約がないのだとしても、XとY1 と の間の継続的な賃貸借契約に関わる信義則上の義務を肯定することにより、Y1 が 大学湯の老舗付きでY2 やY3 に賃貸することは許されないという解釈を導くとと もに、Y2 、Y3 に関しては第三者の債権侵害の問題として処理することができた事 案であったかもしれない。我妻栄『事務管理・不当利得・不法行為』(復刻版・1989 年・日本評論社) 122頁。なお、Y2 、Y3 が「大学湯」という看板を掲げることに 限っていえば、現在では、商品等主体混同行為を規制する不正競争防止法 2 条 1 項 1 号による処理が可能である (旧不正競争防止法の制定は1934年)。もっとも、Xが 営業を停止しているとすると、差止めや損害賠償請求の要件である「営業上の利益」 を肯定し得るのかという関門があるほか、Y2 とY3 が看板を変えて営業を継続する ことまでは止められないという問題がある。田村・前掲注 1 )『新世代知的財産法政 策学の創成』6 頁。また、湯屋業等のサービスマークについて商標登録を認めたの は1991年の商標法改正である。田村善之『商標法概説』(第 2 版・2000年・弘文堂) 256頁。 138 判決の該当部分は、「老舗カ売買贈与其ノ他ノ取引ノ対象ト為ルハ言ヲ俟タサル トコロナルカ故ニ若被上告人等ニシテ法規違反ノ行為ヲ敢シ以テ上告人先代カ之 ヲ他ニ売却スルコトヲ不能ナラシメ其ノ得ヘカリシ利益ヲ喪失セシメタルノ事実 アラムカ是猶或人カ其ノ所有物ヲ売却セムトスルニ当リ第三者ノ詐術ニ因リ売却 知的財産権・不法行為・自由領域(丁) 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 309 すなわち、大審院は、「民法709条が厳格な意味での『権利』が侵害され た場合を規律対象としていることを前提としたうえで、『権利』とはいえ ない『法律上保護される利益』に対する侵害も不法行為による保護を与え るべきである」と述べており、「不法行為を『法規違反の行為』と捉えて いるところからは、『権利』に対する侵害行為と、『法律上保護される利益』 に対する侵害行為とを『法規違反の行為』という統合された観点のもとで 把握しようとする姿勢がみられる。」139 ここでは、「競業者による適法な競争行為によっても売り上げは減退す るところ、得べかりし利益の保護が必要となるのはいかなる場合なのか、 その鍵となるべき『法規違反の行為』とはどのような行為をいうのかとい うことは判文上必ずしも判然としない」140という問題が残されているが、 ともあれ、法律上保護される利益であれば、特に何々権という形で明文が なくても、その利益の侵害として不法行為が成立し得るという柔軟な解釈 を採ったことは明らかである141。この意味では、桃中軒雲右衛門判決と異 なり、個別の知的財産法により明文で規律されていない利用行為に対して ハ不能ニ帰シ為ニ所有者ハ其ノ得ヘカリシ利益ヲ喪失シタル場合ト何ノ択フトコ ロカアル此等ノ場合侵害ノ対象ハ売買ノ目的物タル所有物若ハ老舗ソノモノニ非 ス得ヘカリシ利益即是ナリ斯ル利益ハ吾人ノ法律観念上不法行為ニ基ク損害賠償 請求権ヲ認ムルコトニ依リテ之ヲ保護スル必要アルモノナリ原判決ハ老舗ナルモ ノハ権利ニ非サルヲ以テ其ノ性質上不法行為ニ因ル侵害ノ対象タルヲ得サルモノ ナリト為セシ点ニ於テ誤レリ更ニ上告人主張ニ係ル本件不法行為ニ因リ侵害セラ レタルモノハ老舗ソノモノナリト為セシ点ニ於テ誤レリ本件上告ハ其ノ理由アリ」 である。 139 潮見・前掲注 8 )64頁は、この枠組みは、① 「権利」概念そのものについては厳格 な理解を維持しつつ、②不法行為を「法規違反の行為」と捉えたときには民法709 条の「権利侵害」行為に関する規律だけでは規律の欠缺が存在するから、これを「法 律上保護された利益」に対する侵害行為に関する規律を立てることで補充したとい う意味を持つと評価している。広中俊雄『民法解釈方法に関する12講』(1997年・ 有斐閣) 12頁も参照。 140 田村・前掲注 1 )『新世代知的財産法政策学の創成』5 頁。 141 林・前掲注136)267頁、四宮・前掲注136)396頁、前田・前掲注136) 4 頁、潮見・ 前掲注 8 )63頁など。 論 説 310 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 一般不法行為の成立を認める途が開かれたと理解することができるだろ う。 第 3 項 限定的な解釈を採用した最高裁判決(その 1 ) ―ギャロップレーサー上告審― その後、この論点に関する最上級審判決は途絶えていたが、最近になっ て、上記の大学湯事件の大審院が採用した立場を完全に否定したわけでは ないが、不法行為法による知的財産法の補完問題を限定的に解釈しようと する判決が幾つか登場している。その一つが、いわゆる物のパブリシティ 権142に関する前掲最判 [ギャロップレーサー上告審]143である。 この事件は、競走馬の所有者が、その競走馬の名称を無断で利用してゲ ーム・ソフトを製作、販売した業者に対して、その競走馬の名称等が有す る顧客吸引力の経済的価値を独占的に支配する財産的権利(物のパブリシ ティ権)を侵害したことを理由に、ゲーム・ソフトの製作、販売等の差止 142 田村善之『不正競争法概説』(第 2 版・2003年・有斐閣) 505-541頁、上野達弘「パ ブリシティ権をめぐる課題と展望」高林龍編『知的財産法制の再構築』(2008年・ 日本評論社) 185-207頁、北村二朗「芸能人の肖像写真が雑誌の記事に利用された場 合のパブリシティ権侵害の成否-ピンクレディー・パブリシティ事件-」知的財産 法政策学研究25号 (2009年) 301-343頁、橋谷俊「女性週刊誌『女性自身』に『ピン ク・レディー de ダイエット』と題する特集記事を組み、ピンク・レディーの白黒写 真を無断掲載した行為についてパブリシティ権侵害を否定した事例(1)(2・完)-ピ ンク・レディー事件-」知的財産法政策学研究41号231-276頁・42号297-340頁 (2013 年) など。 143 この最高裁判決の評釈として、田村善之「競走馬の馬名をゲーム・ソフトに無 断利用する行為と物のパブリシティ権侵害の成否」法学教室294号 (2004年) 21頁、 井上由里子「競走馬の名称と『パブリシティ権利』」ジュリスト1291号 (2005年) 272-273頁、手嶋豊「競走馬の所有者による無断ゲームソフト制作業者への差止め・ 損害賠償請求」私法判例リマークス (2005年・下) 54-57頁、木村和成「物のパブリ シティ権侵害に基づく差止請求・損害賠償請求の可否」法律時報76巻11号 (2004年) 87-90頁、三浦正広「競走馬のパブリシティ権をめぐる最高裁判決」コピライト2004 年 7 月号26-32頁等がある。 知的財産権・不法行為・自由領域(丁) 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 311 め及び不法行為に基づく損害賠償を請求した事案である144。 最高裁は、「現行法上、物の名称の使用など、物の無体物としての面の 利用に関しては、商標法、著作権法、不正競争防止法等の知的財産権関係 の各法律が、一定の範囲の者に対し、一定の要件の下に排他的な使用権を 付与し、その権利の保護を図っているが、その反面として、その使用権の 付与が国民の経済活動や文化的活動の自由を過度に制約することのない ようにするため、各法律は、それぞれの知的財産権の発生原因、内容、範 囲、消滅原因等を定め、その排他的な使用権の及ぶ範囲、限界を明確にし ている」とした上で、「競走馬の名称等が顧客吸引力を有するとしても、 物の無体物としての面の利用の一態様である競走馬の名称等の使用につ き、法令等の根拠もなく競走馬の所有者に対し排他的な使用権等を認める ことは相当ではなく、また、競走馬の名称等の無断利用行為に関する不法 行為の成否については、違法とされる行為の範囲、態様等が法令等により 明確になっているとはいえない現時点において、これを肯定することはで きないものというべきである」と判示し、物のパブリシティ権に基づく差 止め及び不法行為の成立を否定した。 すなわち、最高裁は、物の名称の使用など、物の無体物としての面の利 用に関しては、著作権法等の知的財産権関係の法律が、権利の保護を図る 反面として、使用権の付与が国民の経済活動や文化的活動の自由を過度に 制約することのないよう、排他的な使用権の及ぶ範囲、限界を明確にして いることに鑑みると、競走馬の名称等が顧客吸引力を有するとしても、法 令等の根拠もなく競走馬の所有者に排他的な使用権等を認めることは相 当ではないと判断した。 この判決を厳しく読めば、最高裁が不法行為法による知的財産法の補完 144 名古屋地判平成12.1.19判タ1070号233頁 [ギャロップレーサー]、名古屋高判平 成13.3.8判タ1071号294頁 [同二審] は、GI レースへの出走経験のある馬の名称 (一 審) もしくは GI レースでの優勝経験のある馬の名称 (二審) には顧客吸引力がある として物のパブリシティ権の成立を肯定するとともに、不法行為の成立を認めてい た。しかし、ほぼ同様の事案で、東京地判平成13.8.27判時1758号 3 頁 [ダービース タリオン]、東京高判平成14.9.12判時1809号140頁 [同二審] は、実体法上の根拠が ないとして請求を棄却した。 論 説 312 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 的保護を否定したと理解されることも可能である145。しかし、この事件の 調査官である瀬戸口壯夫の解説によれば、最高裁が判示したのは、本件の ようなケースで所有権や物のパブリシティ権を持ち出したとしても不法 行為は成立しないということに過ぎず、「本件とは異なる事実関係のもと で競走馬の名称等が利用された場合に、他の法律構成によって不法行為の 成立等が認められる可能性があることまで全面的に否定するものではな い」とする。そして、「どのような事実関係があれば、いかなる立場の者 に、どのような範囲において不法行為に基づく損害賠償請求権が認められ るかは、今後の裁判例や学説の積み重ねによって明らかにされるべき問 題」である、と指摘する146。その意味では、物のパブリシティ権という新 たな権利ではなく、他の法律構成に絞って主張した場合には、その侵害に 対して不法行為の成立が認められる余地はあったと思われる。 そうすると、ギャロップレーサー上告審は、著作権法等の知的財産権関 係の法律が、権利の保護を図る反面として、使用権の付与が国民の経済活 動や文化的活動の自由を過度に制約することのないよう、排他的な使用権 の及ぶ範囲、限界を明確にしていることを理由に、原則として、知的財産 法上の保護が否定された場合に、不法行為法による補完的保護を控えるべ きという厳しい態度を採用しつつも、例外的に不法行為の成立が認められ る場合があることを示唆したと評価することができるだろう。 第 4 項 限定的な解釈を採用した最高裁判決(その 2 ) ―北朝鮮映画放送上告審― もう一つは、北朝鮮の国民を著作者とする著作物が日本の著作権法によ って保護されることがあるか147、仮に保護されないとすると、その利用行 145 木村・前掲注143)90頁は、ギャロップレーサー上告審の最高裁判決が、競走馬 の名称等の無断使用につき不法行為が認められる余地を全面的に閉ざしたと批判 している。 146 瀬戸口壯夫「判解」『最高裁判所判例解説民事篇平成16年度 (上)』(2007年・法 曹会) 118-119頁。 147 北朝鮮は、平成15年 4 月28日、世界知的所有権機関の事務局長に対し、ベルヌ 知的財産権・不法行為・自由領域(丁) 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 313 為に対して民法上の不法行為責任が認められるのかという問題が争われ た前掲最判 [北朝鮮映画放送上告審] である148。 この事件は、北朝鮮の文化省傘下の行政機関X1 と、当該機関から日本 国内における独占的な上映、複製、頒布を許諾された日本法人の有限会社 条約に加入する旨の加入書を寄託し、同条約は、同年 4 月28日に北朝鮮について効 力を生じた。ただし、日本は北朝鮮を国家として承認しておらず、また、日本は北 朝鮮以外の国がベルヌ条約に加入し、同条約が同国について効力を生じた場合には、 その旨を告示しているが、同条約が北朝鮮について効力を生じた旨の告示をしてい ない。そして、外務省及び文部科学省は、日本が北朝鮮の国民の著作物について、 ベルヌ条約の同盟国の国民の著作物として保護する義務を同条約により負うとは 考えていない旨の見解を示している。 148 一審判決(東京地判平成19.12.14平成18(ワ)5640 [北朝鮮映画放送一審])の評釈 として、茶園成樹「北朝鮮の著作物について我が国が保護する義務を負わないと判 断された事例」知財管理58巻 8 号 (2008年) 1099-1103頁、横溝大「未承認国家の著 作物とベルヌ条約上の保護義務-北朝鮮著作物事件-」知的財産法政策学研究21号 (2008年) 263-277頁、猪瀬貴道「ベルヌ条約上の日本と北朝鮮との間の権利義務関 係が否定された事例」ジュリスト1366号 (2008年) 172-175頁、江藤淳一「北朝鮮の 著作物にベルヌ条約が及ばないとされた事例」法セ増刊速報判例解説 2 号 (2008年) 251-254頁等がある。 また、控訴審判決 (前掲知財高判 [北朝鮮映画放送控訴審])の評釈として、上野・ 前掲注94)速報判例解説251-254頁、同・前掲注94)Law & Technology 60-71頁、横溝 大「未承認国の著作物-北朝鮮事件:控訴審」中山信弘=大渕哲也=小泉直樹=田 村善之編『著作権判例百選』(第 4 版・2009年・有斐閣) 228-229頁、張睿暎「未承 認国の著作物と不法行為-北朝鮮映画放映事件-」著作権研究36号 (2009年) 182-198頁、臼杵英一「多国間条約と未承認国-ベルヌ条約と北朝鮮-」ジュリス ト臨時増刊1376号 (2009年) 321-323頁、西口博之「未承認国家の著作権の保護-北 朝鮮映画判決を読んで-」コピライト576号 (2009年) 65-69頁、濱本正太郎「未承認 国家の地位-ベルヌ条約事件-」小寺彰=森川幸一=西村弓編『国際法判例百選』 (第 2 版・2011年・有斐閣) 34-35頁等がある。 そして、本判決の評釈として、山田真紀「北朝鮮著作権事件」Law & Technology 56 号 (2012年) 82-86頁、上野・前掲注94)AIPPI 562-583頁、小泉直樹「北朝鮮著作権 事件上告審」ジュリスト1437号 (2012年) 6 - 7 頁、張睿暎「北朝鮮映画放映事件」法 セ増刊速報判例解説11号 (2012年) 237-240頁、拙稿「未承認国の著作物の保護範囲 (1)(2・完)-北朝鮮映画放送事件-」知的財産法政策学研究41号325-357頁・42号 395-444頁 (2013年) 等がある。 論 説 314 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) で映画や映像関連の業務を行っているX2 が原告となって、被告Yが「ニ ュースプラス 1 」と題するテレビニュース番組において、北朝鮮のテレビ で北朝鮮の兵士が韓国の兵士よりも強く勇敢であることを強調する内容 の映画「命令027号」が朝鮮戦争の開戦日に近接する日に放送されたこと を紹介する目的で、その一部をXらに無断で合計 2 分11秒間放送したこと に対し、著作権に基づく差止め及び不法行為に基づく損害賠償を請求した 事案である。 最高裁は、北朝鮮が未承認国であるために、ベルヌ条約に互いに加盟し ているとしても日本は北朝鮮の著作物を保護する義務を負わないとの解 釈を採用し、著作権法の保護を否定した149。そして、民法上の一般不法行 149 最高裁は、「我が国について既に効力が生じている多数国間条約に未承認国が事 後に加入した場合、当該条約に基づき締約国が負担する義務が普遍的価値を有する 一般国際法上の義務であるときなどは格別、未承認国の加入により未承認国との間 に当該条約上の権利義務関係が直ちに生ずると解することはできず、我が国は、当 該未承認国との間における当該条約に基づく権利義務関係を発生させるか否かを 選択することができる」とした上で、「多数国間条約であるベルヌ条約は普遍的価 値を有する一般国際法上の義務を締約国に負担させるものではなく、日本は、未承 認国である北朝鮮との間においてベルヌ条約に基づく権利義務関係は発生しない という立場を採っていることから、日本は、同条約 3 条 1 項(a)に基づき北朝鮮の 国民の著作物を保護する義務を負うものではなく、本件各映画は、著作権法 6 条 3 号所定の著作物には当たらないと解するのが相当である」と判断した。この判旨を みる限り、最高裁は、従来の裁判例の一元的な解釈にこだわることなく、いわば「ベ ルヌ条約の解釈 (政府の立場)」という二元的な要件論を掲げている。すなわち、 従来の裁判例では、日本が北朝鮮に対してベルヌ条約上の保護義務を負わない積極 的な根拠を、ベルヌ条約 3 条 1 項の趣旨に求めているもの (前掲東京地判 [北朝鮮映 画放送一審])や、憲法上の内閣の権限に求めているもの (前掲知財高判 [北朝鮮映画 放送控訴審]、東京地判平成23.9.15平成21(行ウ)417 [北朝鮮特許])が微妙に分かれ ていたところ、最高裁は、これら二つの意見を融合させる立場を採ったのである。 そして、ベルヌ条約 3 条 1 項の解釈及び政府の立場の相互関係に着目するのではな く、未承認国の著作物とベルヌ条約上の保護義務の関係を、基本的にはベルヌ条約 3 条 1 項の解釈問題に帰結しているものの、ベルヌ条約の解釈に即して具体的な結 論を導くためには、日本政府が、未承認国である北朝鮮との関係で、ベルヌ条約上 の権利義務関係をどのように考えているのかという政府の立場も窺う必要がある 知的財産権・不法行為・自由領域(丁) 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 315 為法の成否につき、「著作権法は、著作物の利用について、一定の範囲の 者に対し、一定の要件の下に独占的な権利を認めるとともに、その独占的 な権利と国民の文化的生活の自由との調和を図る趣旨で、著作権の発生原 因、内容、範囲、消滅原因等を定め、独占的な権利の及ぶ範囲、限界を明 らかにしている」と述べて、前掲最判 [ギャロップレーサー上告審] の説示 を踏襲した上で、「同法により保護を受ける著作物の範囲を定める同法 6 条もその趣旨の規定であると解されるのであって、ある著作物が同条各号 所定の著作物に該当しないものである場合、当該著作物を独占的に利用す る権利は、法的保護の対象とはならないものと解される」とし、「同条各 号所定の著作物に該当しない著作物の利用行為は、同法が規律の対象とす る著作物の利用による利益とは異なる法的に保護された利益を侵害する などの特段の事情がない限り、不法行為を構成するものではない」という 一般論を展開した。その上で、具体的な当てはめとして、「X2 が主張する 本件映画を利用することにより享受する利益は、同法が規律の対象とする 日本国内における独占的な利用の利益をいうものにほかならず、本件放送 によって上記の利益が侵害されたとしても、本件放送がX2 に対する不法 行為を構成するとみることはできない」とし、「仮に、X2 の主張が、本件 放送によって、X2 が本件契約を締結することにより行おうとした営業が 妨害され、その営業上の利益が侵害されたことをいうものであると解し得 るとしても、前記事実関係によれば、本件放送は、テレビニュース番組に おいて、北朝鮮の国家の現状等を紹介することを目的とする約 2 分20秒間 の企画の中で、同目的上正当な範囲内で、1 時間17分の本件映画のうち合 計 2 分11秒間分を放送したものにすぎず、これらの事情を考慮すれば、本 件放送が、自由競争の範囲を逸脱し、1 審原告X1 の営業を妨害するもの であるとは到底いえないのであって、X2 の上記利益を違法に侵害すると みる余地はない」ということを理由に、未承認国の著作物の利用行為が不 法行為に該当するとして損害賠償請求を認容した原判決(前掲知財高判 [北朝鮮映画放送控訴審])を取り消し150、不法行為の成立を否定したので ことを明確に述べた点が特徴的である。具体的な議論について、拙稿・前掲注148) 知的財産法政策学研究41号325-357頁を参照。 150 前掲知財高判 [北朝鮮映画放送控訴審] の裁判所は、「著作物は人の精神的な創作 論 説 316 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) ある。 すなわち、最高裁は、未承認国の著作物の利用行為と一般不法行為との 関係について、著作権法が権利の及ぶ範囲と限界を明らかにしていること を理由に、著作権法 6 条各号所定の著作物に該当しない著作物の利用行為 は、同法が規律の対象とする著作物の利用行為による利益とは異なる法的 に保護された利益を侵害する等の特段の事情がない限り、不法行為該当性 を否定するという限定的な解釈を採用している。 ただし、前掲最判 [ギャロップレーサー上告審] と異なるのは、「特段の 事情」がある場合には不法行為該当性が肯定されるときがあることを明示 した上で、どのような場合に不法行為が成立するのかという問いについて 一定の示唆を与えたという点である。具体的には、「同法が規律の対象と する著作物の利用による利益とは異なる法的に保護された利益を侵害す るなどの特段の事情」(以下、「著作権法が規律対象とする利益と異なる趣 旨の法的利益」という。)が存する場合には、不法行為が成立する余地が あると説示したことに意義があるだろう151。 第 5 項 小括 以上の最上級審判決の考察をまとめると、個別の知的財産法により明文 で規律されていない利用行為に対して、民法709条の一般不法行為が成立 することがあるのかという問題をめぐって、大正期には、厳格な解釈を採 用した前掲大判 [桃中軒雲右衛門] から柔軟な解釈を採用した前掲大判[大 学湯]への転換があったものの、最近の最高裁判決の傾向は、知的財産法 物であり、多種多様なものが含まれるが、中にはその製作に相当の費用、労力、時 間を要し、それ自体客観的な価値を有し、経済的な利用により収益を挙げ得るもの もあることからすれば、著作権法の保護の対象とならない著作物については、一切 の法的保護を受けないと解することは相当ではなく…、利用された著作物の客観的 な価値や経済的な利用価値、その利用目的及び態様並びに利用行為の及ぼす影響等 の諸事情を総合的に考慮して、当該利用行為が社会的相当性を欠くものと評価され るときは、不法行為法上違法とされる場合があると解するのが相当である」と判示 し、不法行為の成立を認容した。 151 田村・前掲注 1 )『ライブ講義知的財産法』528頁を参照。 知的財産権・不法行為・自由領域(丁) 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 317 上の保護が否定された場合に、不法行為法による補完的保護をなるべく制 限しようとする限定的な解釈を採用していることが明らかである。 また、限定的な解釈を採用した最近の最高裁判決、すなわち前掲最判 [ギ ャロップレーサー上告審]、及び、前掲最判 [北朝鮮映画放送上告審] は、 結論として不法行為の成立を否定したとはいえ、いずれも例外的に不法行 為が成立する余地があることを示唆している。そのうち、特に前掲最判 [北 朝鮮映画放送上告審] は、不法行為の成立要件として「著作権法が規律対 象とする利益と異なる趣旨の法的利益」を初めて明示した重要な最高裁判 決である。このような最高裁判決の要件論は、今後の裁判実務に対して具 体的な解釈指針を提示する重要な役割を果たすことになるだろう。 そこで以下では、最高裁の示した「著作権法が規律対象とする利益と異 なる趣旨の法的利益」という要件論の射程について考察することにしたい。 第 2 款 最高裁判決の射程 それでは、前掲最判 [北朝鮮映画放送上告審](以下、「北朝鮮映画放送 上告審」という。)における最高裁の判断は、従来の裁判例との関係でど のように位置づけるべきであろうか、また、最高裁が示した「著作権法が 規律対象とする利益と異なる趣旨の法的利益」という要件論は、今後の裁 判例に如何なる解釈指針を提示するのであろうか。以下、敷衍する。 第 1 項 著作権法が規律対象とする利益と異なる趣旨の法的利益 さて、北朝鮮映画放送上告審の調査官である山田真紀は、潮見佳男『不 法行為法Ⅰ〔第 2 版〕』の言葉を引用し、「著作権法が規律対象とする利益 と異なる趣旨の法的利益」という要件論の趣旨について、次のように説明 している。いわく、「特別法において、何が不法行為を構成する行為かと いう態度決定をするにあたり、特別法上の規律対象とする分野で、不法行 為となる行為類型と、不法行為とならない行為類型とを、利害関係のある 当事者各層の権利・利益、公共の利益等をも考慮して判断しているから、 不法行為類型の完結的な選択・決定がされているのであり、そこに規律の 欠缺はなく、選択・矛盾する一般不法行為法による補充は認められないの 論 説 318 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) が原則であり、別途の観点から法益を観念することができる場合、想定し ていなかった事態が生じて規律の欠缺が存在するに至ったという場合な どに例外が認められ得る」152。 なるほど、個別の知的財産法は、特定の目的のために、どのような行為 を違法とすべきかを民主的に決定しているのだから、同一の目的のために、 当該知的財産法に規律されていない行為を違法とすることは民主主義の 原則に違反することに鑑みれば、原則としては民主的な決定を尊重し、不 法行為法による知的財産法の補完的保護を謙抑的に止めるべきである。し かし、既存の知的財産法にない目的に基づいて規律し得る、しかも民主的 な決定がなされていない利用行為が問題となった場合には、そこまで裁判 所の自由裁量権が制限されるわけではないから、例外的に不法行為の成立 が認められる余地があると解すべきである。そうすると、最高裁判決の要 件論はそれなりに筋が通っていると評価することができよう。 以下では、北朝鮮映画放送上告審において原告X2 が侵害を主張する「独 占的な利用の利益」、あるいは「営業上の利益」を手がかりに、最高裁判 決の射程をより具体的に考察することにしたい。 1. 独占的な利用の利益 まず、北朝鮮映画放送上告審の確定された事実関係によれば、原告X2 は原告X1 との間で映画著作権基本契約を締結し、映画「命令027号」等の 日本国内における独占的な上映、放送、第三者に対する利用許諾等につい て、その許諾を受けたことが認められる。しかし、このような日本国内に おける独占的な利用は、その映画が著作権法の保護を享受する著作物に該 当することが前提として保護されることになる。そうだとすれば、現行著 作権法が、その保護の発生に国家承認を要求しているにも拘わらず、未承 認国である北朝鮮の著作物に独占的な利用を認めることは、既存の著作権 法と同じ目的のために著作権法で規律されていない行為を違法とする結 果にならざるを得ない。著作権法等の知的財産権関係の法律が、権利の保 152 山田・前掲注148)86頁。それに該当する潮見佳男教授議論の引用部分として、 潮見・前掲注 8 )91-94頁を参照。 知的財産権・不法行為・自由領域(丁) 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 319 護を図る反面として、使用権の付与が国民の経済活動や文化的活動の自由 を過度に制約することのないよう、排他的な使用権の及ぶ範囲、限界を明 確にしている旨を示した、前掲最判 [ギャロップレーサー上告審] の判旨に 照らせば、著作権法が規律対象とする利益に対して、いったん著作権法の 保護を否定しつつ、返す刀で不法行為法による救済を認めることは、著作 権法との関係で整合的に位置づけることが困難であるだろう。 なお、従来の裁判例の中には、著作権法が規律の対象とする利益に対し て、いったん著作権法の保護を否定しつつ、返す刀で不法行為法による救 済を認めた裁判例がある(前掲知財高判 [通勤大学法律コース控訴審])。 たとえば、一般人向けの法律解説書「図解でわかる 債権回収の実際」 ほか計 3 冊の書籍と、個別の論述や全体の構成等がよく似ている「通勤大 学法律コース」なる文庫シリーズの一環として 3 冊の書籍を発行した被告 の行為に対して、不法行為の成立を認めた前掲知財高判 [通勤大学法律コ ース控訴審]153をみてみよう。知財高裁は、原審(東京地判平成17.5.17判 時1950号147頁 [通勤大学法律コース])の判断を覆し、原判決では侵害が 認められた3カ所についても、「法令の内容や判例から導かれる当然の事項 を普通に用いられる言葉で表現したものにすぎず、創作的な表現であると はいえない」ということを理由に、類似性の要件を充足しないとして著作 権侵害を否定しながら、「一般人向けの解説を執筆するに当たっては、表 現等に格別な創意工夫を凝らしてするのでない限り、平易化・単純化等の 工夫を図るほど、その成果物として得られる表現は平凡なものとなってし まい、著作権法によって保護される個性的な表現からは遠ざかってしまう 弊を招くことは避け難いものであり、X各文献の場合も表現等に格別な創 意工夫がされたものとは認められない。もっとも、X各文献を構成する 個々の表現が著作権法の保護を受けられないとしても、故意又は過失によ りX各文献に極めて類似した文献を執筆・発行することにつき不法行為が 一切成立しないとすることは妥当ではない。執筆者は自らの執筆にかかる 文献の発行・頒布により経済的利益を受けるものであって、同利益は法的 保護に値するものである。そして、他人の文献に依拠して別の文献を執 153 この判決の評釈として、山根崇邦「著作権侵害が認められない場合における一 般不法行為の成否」知的財産法政策学研究18号 (2007年) 221-278頁等がある。 論 説 320 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 筆・発行する行為が、営利の目的によるものであり、記述自体の類似性や 構成・項目立てから受ける全体的印象に照らしても、他人の執筆の成果物 を不正に利用して利益を得たと評価される場合には、当該行為は公正な競 争として社会的に許容される限度を超えるものとして不法行為を構成す るというべきである」との一般論の下で、不法行為に基づく損害賠償の請 求を認容した。 この判決は、不法行為法上の保護を必要とするインセンティヴに不足が あるという特段の事情(たとえば、後述する取材体制の構築、広告体制の 構築など)を挙げることなく、単純に平易化・単純化等の工夫を指摘して 不法行為の成立を認めている。しかし、そのような平易化・単純化等の工 夫は、著作権法が保護しようとする著作物の創作活動と不可分の関係にあ り、著作権法は、まさにそれが創作的な表現に至って初めてこれを保護す ることを宣言しているように思われる154。 したがって、北朝鮮映画放送上告審の射程を考慮するならば、前掲知財 高判 [通勤大学法律コース控訴審] のように、既存の著作権法と同じ目的の ために著作権法で規定されていない行為を違法とする場合には、行為者の 予測可能性を過度に害する結果、競争を過度に萎縮させるおそれがあるか ら、破棄されるべきものとなるだろう。 2. 営業上の利益 次に、山田調査官の解説によれば、「本判決が、本件放送の具体的な態 様を示してX2 の営業を妨害するものであるとはいえないとの判断を示し ている点に関連して、たとえば本件放送が本件映画全体を放映するもので あった場合に不法行為が成立するのか否か、議論があり得るところである。 どの程度の行為によって営業妨害との評価が可能かの個別的な問題であ り、本判決は、本件の具体的な事情の下で不法行為成立の余地がないこと を示したにすぎず、営業妨害の不法行為の成否の限界事情を示唆するもの ではない」とする155。すなわち、この解説からすれば、最高裁は営業上の 154 田村・前掲注 1 )『新世代知的財産法政策学の創成』32・47頁を参照。 155 山田・前掲注148)86頁。 知的財産権・不法行為・自由領域(丁) 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 321 利益を「著作権法が規律対象とする利益と異なる趣旨の法的利益」の典型 例として考えており、他人の営業妨害により営業活動上の利益が侵害され た場合には、別途不法行為が成立する余地があることになる。 実際、従来の下級審裁判例の中にも、営業上ないし事業活動上の利益と いう観点から、個別の知的財産法で規律されていない行為に対して一般不 法行為の成立を認めているかのように読める裁判例がある(前掲東京高判 [木目化粧紙二審]、前掲東京地判 [スーパーフロントマン中間判決]156な ど)。 たとえば、他人の製造販売する木目化粧紙をフォト・コピーし、全く同 じ柄の木目化粧紙を競合地域で廉価販売した行為に対して、不法行為の成 立を認めた前掲東京高判 [木目化粧紙二審]157をみてみよう。東京高裁は、 木目化粧紙の模様の原画について、純粋美術と同視できないとして著作物 性を否定しながら、「Yは、X製品の模様と寸分違わぬ完全な模倣である Y製品を製作し、これをXの販売地域と競合する地域において廉価で販売 することによってX製品の販売価格の維持を困難ならしめる行為をした ものであって、Yの右行為は、取引における公正かつ自由な競争として許 されている範囲を甚だしく逸脱し、法的保護に値するXの営業活動を侵害 するものとして不法行為を構成する」と判示し、不法行為に基づく損害賠 156 前掲東京地判 [スーパーフロントマン中間判決] の裁判所は、「人が費用や労力を かけて情報を収集、整理することで、データベースを作成し、そのデータベースを 製造販売することで営業活動を行っている場合において、そのデータベースのデー タを複製して作成したデータベースを、その者の販売地域と競合する地域において 販売する行為は、公正かつ自由な競争原理によって成り立つ取引社会において、著 しく不公正な手段を用いて他人の法的保護に値する営業活動上の利益を侵害する ものとして、不法行為を構成する場合がある」と判示した。 157 事案は、木目化粧紙の原画を作成し、これを原版として着色・印刷したものを 販売していたXが、X製品をそのまま写真撮影し、製版印刷した木目化粧紙を販売 したYに対して、著作権法等に基づく請求を行ったものである。一審判決 (東京地 判平成2.7.20無体集22巻 2 号430頁 [木目化粧紙一審]) はXの請求を棄却しており、 Xは控訴審において、Yの行為は不法行為に該当すると追加的に主張した。この判 決の評釈として、田村善之「他人の商品のデッド・コピーと不法行為の成否-木目 化粧紙事件-」特許研究14号 (1992年) 32-43頁等がある。 論 説 322 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 償請求を認容した。 この判決は、不正競争防止法 2 条 1 項 3 号が新設される以前に、個別の 知的財産法で規律されていない利用行為に対して一般不法行為の成立を 認めたものである。文献の中には、この判決を、営業上の利益ないし経済 活動上の利益を民法709条にいう「法律上保護される利益」と捉えること で、知的財産法とは別の観点から、当該営業上の利益ないし経済活動上の 利益を侵害する行為を不法行為とみて、これにより利益主体に生じた損害 を賠償の対象として認めたものと理解する見解がある158。しかし、そもそ も競争というものが必然的に他者の営業に不利益を与える以上、「自由競 争」や「営業上の利益」という抽象的な概念を持ち出したからといって特 に違法とすべき競争の類型が浮かび上がるわけではない159。たとえば、競 争会社の開業により他社の営業の継続が困難となったとしてもそれだけ では違法となるものではない。また、営業上の利益というものが、論理必 然的に個別の知的財産法が規律対象とする利益と異なる趣旨の法的利益 になるわけでもない。たとえば、不正競争防止法 4 条の本文は、「故意又 は過失により不正競争を行って他人の営業上の利益を侵害した者は、これ によって生じた損害を賠償する責めに任ずる」と規定しており、ここでい う「営業上の利益」は個別の知的財産法が規律対象とする利益にほかなら ない。それゆえ、北朝鮮映画放送上告審の最高裁が示した「著作権法が規 律対象とする利益と異なる趣旨の法的利益」という要件論の射程を考察す るには、「自由競争」や「営業上の利益」という抽象的なものを超える具 体の論拠が必要であるだろう160。 158 潮見・前掲注 8 )92-93頁を参照。なお、潮見教授は、「営業権」あるいは「営業 上の利益」と呼ばれるものが、所有権などと違い、外延が固定した絶対権・排他的 性質を持つ権利といえないことを理由に、「被害者とされる者のもつ営業上のさま ざまな利益の営業権・営業利益としての要保護性は、加害者とされる者 (競業者の 場合もあれば、そうでない場合もある) のさまざまな権利、すなわち、この者の営 業の自由、職業活動の自由、表現の自由 (ボイコット・不買運動などの例)、各種の 労働基本権 (労働争議などの例) などとの衡量を経て、はじめて確定されることにな る」とする。潮見・前掲注 8 )96頁。 159 田村・前掲注142)459頁の注 1 )を参照。 160 たとえば、会社の工場を不法に占拠して営業妨害を行ったとか (営業の自由ない 知的財産権・不法行為・自由領域(丁) 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 323 以上のような理論的な側面はともかくとして、とりわけ前掲東京高判 [木目化粧紙二審] の具体的な事案に照らしてみれば、この判決は、被告が 木目化粧紙の模様をデッド・コピーして被告製品を製作し、これを原告と 競合する販売地域において廉価販売することによって、原告製品の販売価 格の維持を困難ならしめたことを斟酌している。しかし、たとえ廉価販売 がなかったとしても、被告はデッド・コピーすることにより商品化のため の時間を節約し、被告の市場先行の利益を失わしめているから、それのみ で被告の行為を違法とするに十分であったと思われる。 もっとも、他人の商品の模倣手段がデッド・コピーではない場合には、 たとえアイディアが盗用されたとしても、模倣は自由であることを原則と すべきである。しかし、単なるアイディアの模倣とは区別してデッド・コ ピーを問題としなければならないのは、デッド・コピーによる競争まで放 任する場合には、模倣者が市場に通用するための商品とする過程、すなわ ち商品化のための時間、労力、費用を節約することができる結果、先行者 の市場先行の利益が失われるからである。それゆえ、市場先行の利益を保 護する個別の立法がなされていない当時は、明文の知的財産権による法的 保護の外側で働いているインセンティヴを守るために、既存の知的財産法 と異なる趣旨でデッド・コピーを一般的に規制する必要があったのであ る161。 したがって、知的財産権という権利の枠を超えて包括的に世の中に存在 している、商品開発のインセンティヴとなる市場先行の利益を担保するた めに、民法709条の不法行為に基づいてデッド・コピーする行為を規制し たとしても、こうした市場先行の利益は個別の知的財産法が規律対象とす し所有権の侵害の視点)、信用毀損行為が行われたとか (不当需要喚起の視点)、原 価割れ売買を行い当該地域内の市場の独占を図ったとか (競争減殺の視点)、営業秘 密を不正に利用したとか (成果冒用の視点)、自身が競業避止義務に違反して開業し たり、競業避止義務がある従業員を引き抜いたり、そうではなくとも大量の従業員 を引き抜いて営業の継続を困難にしたとか (債権侵害の視点) の事情の有無により、 違法か否かが判断されることになる。 161 田村・前掲注58)30-32頁、同・前掲注 1 )『ライブ講義知的財産法』71-78頁等を 参照。 論 説 324 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) る利益と異なる趣旨の法的利益であるから、直ちに知的財産法の趣旨を潜 脱することにはならなかったと思われる。 しかし、前掲東京高判 [木目化粧紙二審] を一つの契機として、1993年の 不正競争防止法改正により商品形態のデッド・コピーを規律する 2 条 1 項 3 号が導入されており、市場先行の利益を保護する個別の立法がなされて いる現在は、市場先行の利益も個別の知的財産法が規律の対象とする利益 にほかならず、最高裁判決の射程外にあるだろう162。 3. 小括 以上の分析をまとめれば、次のようになる。現行著作権法が、その保護 の発生に国家承認を要求している以上、未承認国である北朝鮮の著作物に 独占的な利用を認めることは、既存の著作権法と同じ目的のために著作権 法で規律されていない行為を違法とする効果があるから、著作権法との関 係で整合的に位置づけることが困難である。したがって、北朝鮮映画の独 占的な利用を否定した最高裁の判断は妥当であるだろう。 また、最高裁は、営業上の利益を「著作権法が規律対象とする利益と異 なる法的な利益」の典型例として考えており、他人の営業妨害により営業 活動上の利益が侵害された場合には、別途不法行為が成立する余地がある ことを示唆している。しかし、そもそも競争というものが必然的に他者の 営業に不利益を与える以上、「自由競争」や「営業上の利益」という抽象 的な概念を持ち出したからといって特に違法とすべき競争の類型が浮か び上がるわけではない。そして、営業上の利益というものが、論理必然的 に個別の知的財産法が規律対象とする利益と異なる趣旨の法的利益にな るわけでもない。したがって、「著作権法が規律対象とする利益と異なる 趣旨の法的利益」という要件論の射程を考察するためには、「自由競争」 162 ただし、不正競争防止法 2 条 1 項 3 号は、販売開始から 3 年に限り、商品形態 のデッド・コピーを規制する旨を定めており、3 年の保護期間経過後であっても、 市場先行の利益という観点とは別に、先行者に営業上、信用上の損害を被らせたと いうような特段の事情が存する場合には、不法行為の成立を認める余地がある。山 根・前掲注153)251-252頁を参照。 知的財産権・不法行為・自由領域(丁) 知的財産法政策学研究 Vol.47(2015) 325 や「営業上の利益」という抽象的なものを超える具体の論拠が必要である。 それでは、「著作権法が規律対象とする利益と異なる趣旨の法的利益」 という要件論を、一体どのように考えるべきであろうか。第Ⅱ章の述べた とおり、著作権は、国民が文化の発展の恩恵を享受するために必要とされ る手段であり、国民の憲法13条後段の幸福追求権を支援するために設けら れた権利である。このような権利は、個人の自律を保障するための人権で はなく、「公共の福祉」にかなう限りで保護を受ける政策的な権利である と理解すべきである。一方、著作権法には、著作者人格権のように個人に 自律的な決定権を人権の行使として保障される、いわば「切り札」として の人権も存在するが、このような権利は、個人の尊重を規定する憲法13条 前段によって保障されていると考えるべきである。すなわち、著作権法は、 著作者の財産的利益を保護する著作権と、著作者の人格的利益を保護する 著作者人格権とを明確に区別する、いわば二元的構成を採用している。た とえば、著作権法60条 1 項は、「著作権は、その全部又は一部を譲渡する ことができる」と規定する一方、同法59条は、「著作者人格権は、著作者 の一身に専属し、譲渡することができない」と規定し、両者を別々の者に 分属し得る別の権利として観念している。また、著作権の存続期間と、著 作者死後の人格的利益の侵害に対する民事上の請求権の行使可能期間 (116条)や刑事罰が科され得る期間(60条、120条)が異なっていること も、二元論を補強するものといえよう163。 したがって、北朝鮮映画放送上告審の最高裁が示した「著作権法が規律 対象とする利益と異なる趣旨の法的利益」の射程についても、財産的利益 と人格的利益とを区別して議論する必要があるように思われる。 163 田村・前掲注58)502頁を参照。