北海道アイヌにおけるフクロウ類の 呼称に関する研究 ─聴き取り調査資料を中心的題材として─ 山 本 晶 絵 要 旨 アイヌの古老らに対する聴き取り調査資料を主な対象とし,資料中に記述 されるフクロウ類の呼称について整理・検討を行った。これは,アイヌのシ マフクロウ送りに関する調査・研究の基礎として位置づけられる。本稿では, シマフクロウ Ketupa blakistoni blakistoniおよびエゾフクロウ Strix uralensis japonicaに関する呼称を 10 に大別して地方ごとに整理し,資料中に見られる “フクロウ”に関する呼称が示す種について,考察を行った。シマフクロウを 指す呼称としては,“コタンコロカムイ”が北海道の最も広い範囲で見られた ほか,“カムイチカプ”および“フムフムカムイ”は石狩,胆振,日高地方を 中心に,“ニヤシコロカムイ”や“アノノカカムイ”は主に十勝,釧路地方に おいてのみ確認することができた。雅語であったと考えられる“カムイエカ シ”および“モシリコロカムイ”は,前者は日高地方,後者は釧路(根釧) 地方に偏って確認されたが,今後新たな事例が追加されることで,地域差が 緩やかになる可能性が高いと考えている。エゾフクロウを指す呼称として は,“クンネレクカムイ”が最頻出であった。しかし,シマフクロウと比べる と全体的に事例数そのものが少なく,さらに,“クンネレクカムイ”が重点的 に見られたのは釧路地方のみで,石狩,日高地方では“イソサンケカムイ” および“ユクチカプカムイ”が比較的多く見られたことから,“クンネレクカ ムイ”が一般的な呼称であったとは,現段階では判断できかねるとした。フ クロウに関する呼称については,シマフクロウとエゾフクロウ,および他の フクロウ類を指すものが混在している可能性が高い。記述の内容からシマフ クロウを指すものと推測できる事例はあったが,エゾフクロウおよび他のフ クロウ類を指すと考えられる呼称に関しては,判断材料となる情報が断片的 であることから検討が困難であった。対象とする資料の範囲を広げ,新たな 情報を追加することで,より詳細な検討が可能になるものと考えている。 ― 31 ― 10.14943/rjgsl.17.l 31 ⚑.はじめに 伝統的に,北方諸地域の多くの狩猟民はクマを特に崇高な存在として位置づけ,⽛クマ送り⽜ の儀礼を行ってきた。そして,多くの研究者がこれに注目し,クマという動物の神性および儀 礼の詳細について調査・研究を重ねてきた。しかし,そもそも送り儀礼とは⽛動物の霊魂が宿 るとされている部分を丁重に扱い,その動物の再生を祈る⽜(北海道立北方民族博物館編 1991: 52)ものであり,その対象はクマ以外の動物にも及ぶ。北海道アイヌに関しては,クマ以外に シマフクロウ,キツネ,タヌキ,ウサギ,イヌ,シカなどの動物を送りの対象としていたこと が明らかになっている(秋野 2004:516;秋野 2009:60;佐藤:2004)。なかでもシマフクロウ 送りは,アイヌ文化に関する諸研究において,しばしばクマ送りと並んで非常に重要な位置づ けにあったことが指摘されてきた(佐藤 2004:88;竹中 2006:87;山田 2009:28)。 しかしながら,アイヌのシマフクロウ送りはクマ送りと比較すると研究の歴史が浅く,明ら かになっていないことが多い。その理由として,長谷川(2003:77)は,シマフクロウ送りが 研究対象とされ始めた時期に,送りを経験した古老が少なくなっており,研究者に伝えること ができなかったこと,当時の研究対象はクマ送りが中心で,シマフクロウ送りにはあまり関心 が持たれなかったことを挙げている。また,大塚(1987:81-82)によると,シマフクロウ送り が学術的に注目されるようになったのは 1930 年代のことで,シマフクロウ送りが儀礼として の役割を存分に発揮したそれ以前の時期に,儀礼の様子を⽛確実に眼にして⽜(大塚 1987:81) 全体像を記録した者はいない。1930 年代には,直接の儀礼執行者は一人も存在しておらず,当 時の体験豊かな古老たちでも,幼いときのおぼろげな見聞について語ることのできる者がわず かにいるのみであった。 送りの全体像に関する報告としては,佐藤直太郎の⽛釧路アイヌの縞梟送り⽜(⽝佐藤直太郎 郷土研究論文集⽞釧路市 1961)が⽛唯一であり,もっともくわしいもの⽜(大塚 1987:82)と されている。これは釧路市周辺で 1880 年代に生まれた古老たちから聴き取った話で再構成し た内容であるが,これを除くと,シマフクロウ送りの詳細を記述した資料はほとんど存在しな いといえる。しかし,主に昭和以降に採録されてきたアイヌの古老らに対する聴き取り調査資 料のなかには,シマフクロウそのものや,その送り儀礼に関する断片的な記述が散見される。 これらの記述を収集し整理することで,アイヌとシマフクロウとの関係について,新たな知見 を得ることができると考える。 シマフクロウ送りを研究するにあたり,アイヌがそもそもフクロウをどういった存在として 捉えていたかという視点は不可欠である。本稿では,北海道アイヌにおけるフクロウ類の呼称 に着目し,アイヌの古老らに対する聴き取り調査資料を主な対象として,地域的な観点からフ クロウ類の呼称について整理・検討を行う。本研究は,送りを含めたアイヌとシマフクロウと の関係について調査・研究を進めるための基礎として位置づけることができる。 ― 32 ― 北海道大学大学院文学研究科 研究論集 第 17 号 アイヌのフクロウ類の呼称に関する研究は,次の⚒種類に大別できる。まず,更科・更科 (1977)や知里(1962)は現地調査に基づき,地名を伴うかたちでフクロウ類の呼称を整理した。 また,長谷川(1995)や宇田川(2004a)の研究では,文献からフクロウ類の呼称を抽出してい る。しかし,前者は広く動植物を対象とした総合的な研究であり,後者は事例の列挙に重きを おいている。更科(1984)はシマフクロウの呼称の地域差を概観したが,自身が調査を行った 日高・胆振・釧路地方などが内容の中心となっており,全道的な地域比較や実際の生物種との 対応関係については検討の余地が残されていると考える。 地域比較は地方の特色や環境の差についての問題としてのみ重要ということではない。アイ ヌは歴史的に,その周囲を異民族と接してきたため,文化の地域差を明らかにすることは歴史 的見地からも重要である。一口にアイヌの伝統文化といっても地域差があることを考慮しなけ ればならず,文化を正しく理解するために,地域差を含む全道的情報の確保が必須である(北 海道教育庁社会教育部文化課編 1999:1-2)。また,種との対応関係については,文献に記載さ れる“フクロウ”が何を指すかを考える上で重要である。具体的には,①フクロウ類の総称, 話者あるいは書き手にとって“フクロウ”がシマフクロウを指すのであれば,②シマフクロウ Ketupa blakistoni blakistoni,③生物種のフクロウ Strix uralensis,④その他のフクロウ類という, 少なくとも⚔つの可能性が想定される。なお,本稿における生物種としてのフクロウは,北海 道に生息する地域亜種であるエゾフクロウ S. u. japonicaを指す。フクロウ類の呼称について地 域比較を行い,種との対応関係を検討することで,資料に記載された情報を正しく理解できる ものと考える。 筆者は卒業論文において,文献資料からシマフクロウ,エゾフクロウ,フクロウに関する記 述を抽出し,呼称と送りについて整理・検討を行った。本稿はその一部を抜粋したものである。 本稿では,長谷川(1995)や宇田川(2004a)による従来の研究で引用・参照されてきた資料の 記述に,更科源蔵の⽝コタン探訪帳⽞(弟子屈町立図書館所蔵 1950-1970)などから,道東をは じめとする⽛情報不足⽜(北海道教育庁社会教育部文化課編 1999:2)とされてきた地域に関す る記述を加え,北海道アイヌにおけるフクロウ類の呼称について再検討を行うことを目的とし ている。 ⚒.方法 アイヌの古老らに対する聴き取り調査資料を主な対象として文献調査を行った。使用した資 料については,表⚑に概要を示した。本文中で資料を引用する際は資料名と併せて,表⚑に対 応する番号および成立年を付記した(例:⽝コタン探訪帳⽞[⚗;1950-1970])。 ― 33 ― 山本:北海道アイヌにおけるフクロウ類の呼称に関する研究 表 1.本稿で使用した資料一覧 No. 著者・編者 成立年 資料名 ※⚑ 出版者 ⚑ アイヌ民族博物館 編集 2001 ⽝虎尾ハルの伝承:鳥⽞ 白老:アイヌ民族博物館 ⚒ 青柳信克 編 1982 ⽝河野広道ノート 民族誌篇⚑:イオマンテ・イナウ篇⽞ 札幌:北海道出版企画センター ⚓ 宇田川洋 2004 ⽛聴き取り調査で得られた民族学的情報(⚑)⽜宇田川洋編⽝クマとフクロウのイオマンテ─アイヌの民族考古学⽞pp.143-181 東京:同成社 ⚔ 佐藤直太郎 1961 ⽛釧路アイヌの縞梟送り:モシリコロカムイオブニレ⽜佐藤直太郎⽝佐藤直太郎郷土研究論文集⽞pp.241-263 釧路:釧路市 ⚕ 更科源蔵 1933 ⽛コタン夜話一(釧路堀斜路村のアイヌに就て)⽜⽝ドルメン⽞⚒(⚘),pp.50-53 東京:岡書院 ⚖ 更科源蔵 1942 ⽝コタン生物記⽞ 札幌:北方出版社 ⚗ 更科源蔵 1950-1970 ⽝コタン探訪帳⽞ ※⚒ ⚘ 更科源蔵,更科光著 1977 ⽝コタン生物記 Ⅲ 野鳥・水鳥・昆虫篇⽞ 東京:法政大学出版局 ⚙ 更科源蔵 1984 ⽛川魚の神⽜更科源蔵ほか⽝シマフクロウ:神鳥・コタンコルカムイ⽞pp.4-⚙ 東京:平凡社 10 知里真志保 1962 ⽝分類アイヌ語辞典 第二巻 動物篇⽞ 東京:日本常民文化研究所 11 藤村久和 編 2009 ⽝平成 20 年度 アイヌ民俗文化財調査報告書:民俗技術調査⚑(狩猟技術)⽞ 札幌:北海道教育委員会 12 北海道教育庁社会教育部文化課 編 1982 ⽝昭和 56 年度 アイヌ民俗文化財調査報告書(アイヌ民俗調査Ⅰ):旭川地方⽞ 札幌:北海道教育委員会 13 北海道教育庁社会教育部文化課 編 1983 ⽝昭和 57 年度 アイヌ民俗文化財調査報告書(アイヌ民俗調査Ⅱ):旭川地方⽞ 札幌:北海道教育委員会 14 北海道教育庁社会教育部文化課 編 1984 ⽝昭和 58 年度 アイヌ民俗文化財調査報告書(アイヌ民俗調査Ⅲ):静内地方⽞ 札幌:北海道教育委員会 15 北海道教育庁社会教育部文化課 編 1985 ⽝昭和 59 年度 アイヌ民俗文化財調査報告書(アイヌ民俗調査Ⅳ):静内・浦河・様似地方⽞ 札幌:北海道教育委員会 16 北海道教育庁社会教育部文化課 編 1986 ⽝昭和 60 年度 アイヌ民俗文化財調査報告書(アイヌ民俗調査Ⅴ):釧路・網走地方⽞ 札幌:北海道教育委員会 17 北海道教育庁社会教育部文化課 編 1987 ⽝昭和 61 年度 アイヌ民俗文化財調査報告書(アイヌ民俗調査Ⅵ):十勝・網走地方⽞ 札幌:北海道教育委員会 18 北海道教育庁社会教育部文化課 編 1988 ⽝昭和 62 年度 アイヌ民俗文化財調査報告書(アイヌ民俗調査Ⅶ):沙流・十勝地方⽞ 札幌:北海道教育委員会 19 北海道教育庁社会教育部文化課 編 1989 ⽝昭和 63 年度 アイヌ民俗文化財調査報告書(アイヌ民俗調査Ⅷ):鵡川・有珠地方⽞ 札幌:北海道教育委員会 20 北海道教育庁社会教育部文化課 編 1990 ⽝平成元年度 アイヌ民俗文化財調査報告書(アイヌ民俗調査Ⅸ):千歳地方⽞ 札幌:北海道教育委員会 21 北海道教育庁社会教育部文化課 編 1991 ⽝平成⚒年度 アイヌ民俗文化財調査報告書(アイヌ民俗調査Ⅹ):千歳地方⽞ 札幌:北海道教育委員会 22 北海道教育庁社会教育部文化課 編 1992 ⽝平成⚓年度 アイヌ民俗文化財調査報告書(アイヌ民俗調査Ⅺ):道南東部地方⽞ 札幌:北海道教育委員会 23 北海道教育庁社会教育部文化課 編 1993 ⽝平成⚔年度 アイヌ民俗文化財調査報告書(アイヌ民俗調査Ⅻ):道東地方⽞ 札幌:北海道教育委員会 24 北海道教育庁社会教育部文化課 編 1994 ⽝平成⚕年度 アイヌ民俗文化財調査報告書(アイヌ民俗調査ⅩⅢ)⽞ 札幌:北海道教育委員会 25 北海道教育庁社会教育部文化課 編 1995 ⽝平成⚖年度 アイヌ民俗文化財調査報告書(アイヌ民俗調査ⅩⅣ):補足調査⚑⽞ 札幌:北海道教育委員会 26 北海道教育庁社会教育部文化課 編 1995 ⽝平成⚗年度 アイヌ民俗文化財調査報告書(アイヌ民俗調査ⅩⅤ):補足調査⚒⽞ 札幌:北海道教育委員会 27 北海道教育庁社会教育部文化課 編 1996 ⽝平成⚘年度 アイヌ民俗文化財調査報告書(アイヌ民俗調査ⅩⅥ):補足調査⚓⽞ 札幌:北海道教育委員会 28 北海道教育庁社会教育部文化課 編 1997 ⽝平成⚙年度 アイヌ民俗文化財調査報告書(アイヌ民俗調査ⅩⅦ):補足調査⚔⽞ 札幌:北海道教育委員会 29 北海道教育庁社会教育部文化課 編 1999 ⽝平成 10 年度 アイヌ民俗文化財調査報告書(アイヌ民俗調査ⅩⅧ):補足調査⚕⽞ 札幌:北海道教育委員会 30 北海道教育庁社会教育部文化課 編 1989 ⽝昭和 63 年度 アイヌ無形民俗文化財記録刊行シリーズⅡ:アイヌのくらしと言葉⚑⽞ 札幌:北海道教育委員会 31 北海道教育庁社会教育部文化課 編 1991 ⽝平成⚒年度 アイヌ無形民俗文化財記録刊行シリーズⅣ:アイヌのくらしと言葉⚒⽞ 札幌:北海道教育委員会 32 北海道教育庁社会教育部文化課 編 1993 ⽝平成⚔年度 アイヌ無形民俗文化財記録刊行シリーズⅥ:アイヌのくらしと言葉⚓⽞ 札幌:北海道教育委員会 33 北海道教育庁社会教育部文化課 編 1995 ⽝平成⚖年度 アイヌ無形民俗文化財記録刊行シリーズⅧ:アイヌのくらしと言葉⚔⽞ 札幌:北海道教育委員会 34 北海道教育庁社会教育部文化課 編 1997 ⽝平成⚘年度 アイヌ無形民俗文化財記録刊行シリーズ 10:アイヌのくらしと言葉⚕⽞ 札幌:北海道教育委員会 35 北海道教育庁社会教育部文化課 編 1999 ⽝平成 10 年度 アイヌ無形民俗文化財記録刊行シリーズ 12:アイヌのくらしと言葉⚖⽞ 札幌:北海道教育委員会 36 北海道教育庁社会教育部文化課 編 2001 ⽝平成 12 年度 アイヌ無形民俗文化財記録刊行シリーズ 14:アイヌのくらしと言葉⚗⽞ 札幌:北海道教育委員会 37 北海道教育庁社会教育部文化課 編 2004 ⽝平成 14 年度 アイヌ無形民俗文化財記録刊行シリーズ 16:アイヌのくらしと言葉⚘⽞ 札幌:北海道教育委員会 38 本別町教育委員会 1989 ⽝沢井トメノ:十勝本別分類アイヌ語辞典⽞ 本別:本別町教育委員会 39 吉田巌著帯広市教育委員会社会教育係編 1957 ⽝帯広市社会教育叢書 No.3:愛郷譚叢 アイヌ古事風土記資料⽞ 帯広:帯広市教育委員会 ※⚑:本文中で使用資料名を引用する際は以下の通り略記し,本表に対応する番号を付記する。 ⚑.⽝虎尾ハルの伝承⽞ ⚒.⽝河野広道ノート⽞ ⚓.⽛聴き取り調査で得られた民族学的情報(⚑)⽜ ⚔.⽛釧路アイヌの縞梟送り⽜ ⚕.⽛コタン夜話一⽜ ⚖,⚘.⽝コタン生物記⽞ ⚗.⽝コタン探訪帳⽞ ⚙.⽛川魚の神⽜ 10.⽝分類アイヌ語辞典⽞ 11.⽝民俗技術調査⚑(狩猟技術)⽞ 12-29.⽝アイヌ民俗調査⽞(例:⽝アイヌ民俗調査Ⅰ:旭川地方⽞) 30-37.⽝アイヌのくらしと言葉⽞(例:⽝アイヌのくらしと言葉⚑⽞) 38.⽝十勝本別分類アイヌ語辞典⽞ 39.⽝愛郷譚叢⽞ ※⚒:⽝コタン探訪帳⽞(全 19 冊)は弟子屈町立図書館に所蔵される,更科源蔵の調査記録(ノート)である。 表⚑に記載のある資料からシマフクロウ(表⚒),エゾフクロウ(表⚓),フクロウ(表⚔) の呼称に関する記述を抽出し,10 に大別した。これらの分類を含め,本文では,特定の資料に 拠らない呼称および記述に言及する場合は“ ”付きで記したほか,アイヌ語表記を片仮名に 統一した。なお,表⚒から表⚔の呼称下部の日本語訳は服部四郎編⽝アイヌ語方言辞典⽞(岩波 ― 34 ― 北海道大学大学院文学研究科 研究論集 第 17 号 書店 1964)を参照し,筆者が補足したものである。便宜上の試みとして設定したものであるた め,この表記および訳が厳密なものではないことについては,予め御容赦いただきたい。 抽出・分類した呼称は,資料に記載のある地名と現在地を比定し,地方ごとに整理した1。こ の際の地方区分は,使用した文献資料における聴き取り調査の採録時期を鑑み,昭和 23(1948) 年に制定された⽛北海道支庁設置条例⽜における 14 支庁の所管区域を採用した。表⚒から表⚔ には,表⚑に対応する資料番号および呼称,地名を記載した(例:[⚗]kotan kor kamui(新十津 川))。表中の呼称および地名は,原則として原文の表記に従っている。ただし,⽝分類アイヌ語 辞典⽞[10;1962]のように地名を一部略記している場合は凡例に立ち返り,表現に適宜修正を 加えた。 本文中で引用する資料の表記は原則として原文に従うが,句読点と濁点を適宜補い,旧字体 を新字体に改めた。引用文中の傍線は筆者による補足であり,汚損などで判読できない文字は □で示した。話者が明確な記述には話者名を併記しており,その際,氏名に旧字体を含む場合 はそのままの表記としている。また,表⚑と対応する地名も併せて記載している。ただし,⽝コ タン探訪帳⽞[⚗;1950-1970]は弟子屈町立図書館に所蔵される更科源蔵の調査記録(ノート) であり,その話者については,本人および親族の承諾を得ていないことから,齋藤(2002)に 準じて姓・名の順のイニシャル表記とした。地名は原則として⽛地方名/地域名⽜の順で表記 しているが,特定の地域に言及するときは⽛地域名(地方名)⽜とした。 ⚓.結果および論議 今回の文献調査では,檜山,留萌,宗谷の⚓地方を除く,石狩,渡島,後志,空知,上川, 網走,胆振,日高,十勝,釧路,根室2の 11 地方で,フクロウ類に関する呼称を確認すること ができた(図⚑)。以下で,シマフクロウ,エゾフクロウ,フクロウとして現れる呼称について 述べる。 3-1.シマフクロウの呼称 シマフクロウは北海道内に局地的に分布する,世界最大のフクロウである。体長は 70 cm弱 で,翼を広げると 180 cmを超える個体も少なくない。河川や湖沼周辺の原生林で,主に魚類を 主食として生息している。明治時代頃までは北海道の広い範囲に生息していたと考えられてい るが,現在は知床半島を中心に約 130 羽程度が生息していると推定されている(竹中 2006: 86-92;山本 1999:10-11,132;山本 2004:207)。今回の調査では,石狩,渡島,後志,空知, 網走,胆振,日高,十勝,釧路,根室の 10 地方で,シマフクロウに関する呼称を確認すること ができた(表⚒)。道南(檜山)および道北(留萌・宗谷)ついては,山本(1999:12)が⽛シ マフクロウは明治の頃には北海道に広く分布していたと思われるが,地域によってかなり密度 ― 35 ― 山本:北海道アイヌにおけるフクロウ類の呼称に関する研究 差があったように思われる。残されている文献や生態から推測してみると道東地域が最も密度 が高く,道北地域と日本海側は少なかったようである。それに標高の高い地域も少なかったよ うだ⽜と述べていることから,生息数の少なさゆえに記述がみられなかったことが推察される。 これらの地方については,時代を遡って史料調査を行うなど,扱う文献の幅を広げることで新 たな情報を追加できる可能性があると考えており,引き続き調査を進めていく。 3-1-1.コタンコロカムイ “コタンコロカムイ”は長谷川(1995),宇田川(2004a)をはじめとする従来の研究において, シマフクロウを指す一般的な呼称として認識されてきた。 シマフクロウという国内では北海道にしか生息していない,大型のフクロウに関心を持 ち,この鳥に関するいろいろなことを調べていくうちに,アイヌの人々がこの鳥を⽛コタ ンコルカムイ(村を守護する神)⽜とか⽛モシリコルカムイ(国を守護する神)⽜と呼んで, 古くから信仰の対象としていたことを知りました(長谷川 1995:75)。 一般的に,コタンコロカムイ(集落を守る神)とはシマフクロウを指している言葉のよ うで,私自身も,佐藤直太郎氏の⽝釧路アイヌのイオマンデ⽞(釧路図書館叢書⚔,1958) ― 36 ― 北海道大学大学院文学研究科 研究論集 第 17 号 図 1.フクロウ類に関する呼称を収集できた地域3 ― 37 ― 山本:北海道アイヌにおけるフクロウ類の呼称に関する研究 表 2 . シ マ フ ク ロ ウ の 呼 称 “ コ タ ン コ ロ カ ム イ ” “ カ ム イ チ カ プ ” “ カ ム イ エ カ シ ” “ モ シ リ コ ロ カ ム イ ” “ フ ム フ ム カ ム イ ” “ ニ ヤ シ コ ロ カ ム イ ” “ ア ノ ノ カ カ ム イ ” “ ク ン ネ レ ク カ ム イ ” “ イ ソ サ ン ケ カ ム イ ” “ ユ ク チ カ プ カ ム イ ” そ の 他 村 ・ を 所 有 す る ・ 神 神 ・ 鳥 神 ・ お じ い さ ん 国 土 ・ を 所 有 す る ・ 神 フ ム フ ム ( 鳴 き 声 )・ 神 木 ・ 枝 ( ? )・ を 守 る ・ 神 人 ・ 見 え る ・ 神 夜 ・ 鳴 く ・ 神 熊 ・ 出 す ・ 神 鹿 ・ 鳥 ・ 神 石 狩 [2 1] コ タ ン コ ロ カ ム ィ ko ta n ko r ka m uy ( 千 歳 ) [2 0] カ ム ィ チ カ プ ka m uy ci ka p( 千 歳 ) [2 1] カ ム ィ チ カ プ ka m uy ci ka p( 千 歳 ) [2 1] フ ッ フ ー カ ム ィ m um m u: ka m uy ( 千 歳 ) 渡 島 【 類 】 [ ] hu n hu m ( 長 万 部 ) 檜 山 後 志 【 類 】 [ ] hu m hu m ( 虻 田 ) 空 知 [ ] K ot an K or K am uy ( 新 十 津 川 ) [ ] K ot an K ur K am uy ( 新 十 津 川 ) [ ] K ot an K or K am uy to no ( 新 十 津 川 ) [ ] is o an i ka m uy ( 新 十 津 川 ) [ ] sa pa ne K am uy ( 新 十 津 川 ) 上 川 留 萌 宗 谷 網 走 [ ] コ タ ン ク ル カ ム イ ( 美 幌 ) [1 0] ko ta n- ko r- ka m uy ( コ タ ン コ ル カ ム イ )( 美 幌 ) [ ] K am uy ch ik ap ( 紋 別 ) 【 類 】 [1 0] ko ta n- ko t- ci ka p( コ タ ン コ ッ チ カ プ )( 美 幌 ) 胆 振 [3 7] コ タ ン コ ロ カ ム イ ( 登 別 ) [ ] コ タ ン コ ル ・ チ カ プ ・ カ ム イ ( 村 を 支 配 す る 鳥 の 神 )( 穂 別 ) [1 0] ko ta n- ko r- ka m uy ( コ タ ン コ ル カ ム イ )( 幌 別 町 ) [ ] コ タ ン コ ル チ カ プ カ ム イ ( 鵡 川 川 筋 ) [3 7] カ ム ィ チ カ プ K am ui ch ik ap ( 登 別 ) [1 0] ka m uy ci ka p( カ む イ チ カ プ )( 幌 別 町 ) [1 0] ka m uy ci ka pp o( カ む イ チ カ ッ ポ )( 幌 別 町 ) [ ] カ ム イ チ カ プ ( 幌 別 町 ) [1 0] ka m uy -e ka si ( カ ム イ エ カ シ ) ( 幌 別 町 ) [1 0] m os ir -k or -k am uy ( モ シ リ コ ル カ ム イ ) ( 幌 別 町 ) 【 類 】 [ ] フ ム フ ム ( 幌 別 町 ) [ ] フ ム フ ム ( 内 浦 湾 ) [ ] フ ム フ ム ( 内 浦 湾 ) 日 高 [ ] コ タ ン コ ル ・ カ ム イ ( 日 高 ) [ ] コ タ ン コ ル カ ム イ ( 日 高 地 方 ) [1 5] コ タ ン コ ル カ ム ィ ko ta n ko r ka m uy (浦 河 町 野 深 ) [3 2] コ タ ン コ ロ カ ム イ ( 浦 河 町 野 深 ) [1 0] ko ta n- ko r- ka m uy ( コ タ ン コ ル カ ム イ )( 沙 流 ) [1 5] コ タ ン コ ル カ ム ィ ( 様 似 ) [2 2] コ タ ン コ ロ カ ム イ ko ta n ko r ka m uy ( 静 内 町 東 別 ) [3 2] コ タ ン コ ル カ ム イ 〈 k o ta n- k o r- k am u y= 集 落 を -統 率 す る -神 〉( 静 内 町 東 別 ) [3 2] コ タ ン コ ロ カ ム イ ( 静 内 町 東 別 ) [3 3] コ タ ン コ ロ カ ム イ 〈 k o ta n- k o r- k am u y= 集 落 を -統 率 す る -神 〉( 静 内 町 東 別 ) [ ] コ タ ン コ ロ カ ム イ ko ta nk or ka m uy ( 静 内 町 農 屋 ( 旧 ノ ヤ サ ル コ タ ン )) [3 7] コ タ ン コ ロ カ ム イ 〈 k o ta n- k o r- k am u y= 村 -を お さ め る -神 〉( 三 石 町 ) [ ] カ ム イ ・ チ カ プ ( 神 鳥 )( 日 高 ) [ ] カ ム イ チ カ プ ( 神 鳥 )( 日 高 地 方 ) [ ] K am uy ci ka p( 荷 負 ) [ ] カ ム イ チ カ プ ( 二 風 谷 ) [3 3] ノ ヤ ス ッ ト ク , ア ノ ラ ン ケ , チ カ プ カ ム イ 〈 n o y a- su t- to k, a n= o- ra n k e, c ik a p- k a - m uy =( 静 内 町 ) 農 屋 村 の -根 元 ・ つ け 根 の -先 へ ,神 に よ っ て -そ こ に -降 下 さ れ た , 鳥 の -神 様 〉( 静 内 町 東 別 ) [3 3] ノ ヤ ス ッ ト ク , ア ノ ラ ン ケ , カ ム イ チ カ ッ ポ 〈 n o y a- su t- to k- a n= o ra n k e- k a m u y, k a - m uy -c ik ap po = 農 屋 ( 村 ) の -根 元 の -先 に -降 臨 さ れ た -神 , 神 の -小 鳥 〉( 静 内 町 東 別 ) [ ] カ ム イ ・ エ カ シ ( 神 翁 )( 日 高 ) [ ] カ ム イ エ カ シ ( 神 翁 )( 日 高 地 方 ) [1 0] ka m uy -e ka si ( カ ム イ エ カ シ ) ( 沙 流 ) [ ] K a m u y e k a si ( 新 冠 ) [ ] フ ム フ ム カ ム イ hm hm ka m uy ( 静 内 町 農 屋 ( 旧 ノ ヤ サ ル コ タ ン )) 【 類 】 [ ] フ ム フ ム ( 三 石 町 ) 【 類 】 [ ] ya k ci ka p ( 荷 負 ) 十 勝 [ ] K ot an K or K am uy ( 十 勝 清 水 ) [ ] コ タ ン コ ル ・ カ ム イ ( 村 を 支 配 す る 神 )( 十 勝 川 筋 ) [ ] コ タ ン コ ル カ ム イ ( 十 勝 川 筋 ) [ ] ko ta n ko ro ka m uy ( 本 別 ) [3 8] ko ta nk or ka m uy コ タ ン コ ロ カ ム ィ ( 本 別 ) [ ] ニ ヤ シ コ ル ・ カ ム イ ( 木 の 枝 を 支 配 す る 神 ) ( 十 勝 川 筋 ) [ ] ニ ヤ シ コ ル カ ム イ ( 十 勝 川 筋 ) [ ] an o an un uk a K am uy ( 十 勝 清 水 ) [ ] ア ノ ノ カ ・ カ ム イ ( 人 間 の 形 を し た 神 ) ( 十 勝 川 筋 ) [ ] ア ノ ノ カ カ ム イ ( 十 勝 川 筋 ) 釧 路 [ ] コ タ ン コ ル カ ム イ ( 釧 路 地 方 ) [ ] K ot an K or K am uy ( 阿 寒 ) [1 6] コ タ ン コ ロ カ ム ィ ko ta n ko r ka m uy ( 阿 寒 町 上 徹 別 ) [3 0] コ タ ン コ ロ カ ム イ 〈 k o ta n- k o r- k am u y〉 ( 鶴 居 村 下 雪 裡 ) [ ] コ タ ン コ ロ カ ム ィ ( 部 落 を 支 配 す る 神 )( 釧 路 春 採 ) [ ] コ タ ン ク ル カ ム イ ( 屈 斜 路 ) [ ] コ タ ン コ ル カ ム イ ( 屈 斜 路 コ タ ン ) [1 0] ko ta n- ko r- ka m uy ( コ タ ン コ ル カ ム イ ) ( 屈 斜 路 コ タ ン ) [2 9] コ タ ン コ ロ カ ム ィ ko ta n ko r ka m uy ( 屈 斜 路 ) [ ] コ タ ン コ ル カ ム イ ( 部 落 を 護 る 神 )( 根 釧 地 方 ) [ ] ko ta nk or o ka m uy ( 標 茶 町 塘 路 ) [ ] モ シ リ ・ コ ト ロ カ ム イ ( 大 地 の 胸 板 の 神 )( 釧 路 地 方 ) [ ] モ シ リ コ ロ カ ム イ ( 国 土 を 支 配 す る 神 ) ( 釧 路 春 採 ) [ ] モ シ リ ク ル カ ム イ ( 屈 斜 路 ) [ ] モ シ リ コ ト ロ カ ム イ ( 大 地 の 胸 板 の 神 )( 根 釧 地 方 ) [ ] ニ ヤ シ コ ル ・ カ ム イ( 木 の 枝 を 支 配 す る 神 )( 釧 路 地 方 ) [ ] ニ ヤ シ コ ル カ ム イ ( 木 の 枝 を 支 配 す る 神 )( 根 釧 地 方 ) [1 1] ニ ヤ シ コ ロ カ ム イ 〈 n i- y as -h as -k o r- k am u y= 木 の - 細 枝 を - 掌 握 す る - 神 様 〉( 白 糠 ) [1 1] ニ ワ シ コ ロ カ ム イ 〈 n i- w a s ← h a s- k o r- k a - m u y= 樹 木 の - 枝 を - 掌 握 す る -神 様 〉( 白 糠 ) [ ] ア ノ ノ カ ・ カ ム イ ( 人 間 の 姿 を し た 神 ) ( 釧 路 地 方 ) [ ] ア ノ ノ カ カ ム イ ( 屈 斜 路 コ タ ン ) [ ] ア ノ ノ カ カ ム イ ( 人 間 の 姿 の 神 ) ( 屈 斜 路 コ タ ン ) [ ] ト ー コ ロ カ ム イ ( 屈 斜 路 コ タ ン ) [2 5] ト ー コ ロ カ ム ィ to ko r ka m uy ( 標 茶 町 塘 路 ) [2 5] コ ロ カ ム ィ ko rk am uy ( 標 茶 町 虹 別 ) [2 5] ト コ ロ カ ム ィ to ko rk am uy ( 標 茶 町 塘 路 ) 【 類 】 [ ] コ タ ン コ ル ・ ト リ ( 村 を 支 配 す る 鳥 )( 釧 路 地 方 ) [ ] コ タ ン コ ロ ・ ク ル ( 村 を 支 配 す る お 方 )( 釧 路 地 方 ) [ ] K ot an K or to ri ( 阿 寒 ) [ ] K ot an K or ci ka pp u( 阿 寒 ) [ ] コ タ ン コ ル ト リ ( 村 を 支 配 す る 鳥 )( 根 釧 地 方 ) [ ] コ タ ン コ ル ク ル ( 村 を 支 配 す る お 方 )( 根 釧 地 方 ) 【 類 】 [ ] m os ir i ko to ri ( 阿 寒 ) [3 0] モ シ リ コ ッ ト リ 〈 m o - si ri -k ot ← ko r- to ri 〉( 鶴 居 村 下 雪 裡 ) 【 類 】 [ ] コ ー ・ チ カ ッ ポ ( 釧 路 地 方 ) [ ] K o ci ka pp u( 阿 寒 ) [ ] コ ー チ カ ッ ポ ( ? )( 根 釧 地 方 ) 根 室 [ ] コ タ ン コ ル カ ム イ ( 部 落 を 護 る 神 )( 根 釧 地 方 ) [ ] モ シ リ コ ト ロ カ ム イ ( 大 地 の 胸 板 の 神 )( 根 釧 地 方 ) [ ] ニ ヤ シ コ ル カ ム イ ( 木 の 枝 を 支 配 す る 神 )( 根 釧 地 方 ) 【 類 】 [ ] コ タ ン コ ル ト リ ( 村 を 支 配 す る 鳥 )( 根 釧 地 方 ) [ ] コ タ ン コ ル ク ル ( 村 を 支 配 す る お 方 )( 根 釧 地 方 ) 【 類 】 [ ] コ ー チ カ ッ ポ ( ? )( 根 釧 地 方 ) ※ 10 に 分 類 し た い ず れ か の 呼 称 の 大 意 を 捉 え な が ら “ カ ム イ ” が 付 か な い よ う な 語 ( 例 : コ タ ン コ ロ チ カ プ ) は 類 語 と し ,【 類 】 と 記 し た 。 などをテキストにそのように理解してきました(宇田川 2004a:111)。 シマフクロウに関する呼称を確認できた 10 地方のうち,渡島,後志以外のすべてにおいて, “コタンコロカムイ”を確認することができた。これは最も広い範囲でみられた呼称であると いえる。また,“コタンコロカムイ”という呼称が使われていた場面については,以下のような 記載がみられた。 縞梟(Kotan Kor Kamuy) Nomiするときには Kō cikappuとも Kotan Kor tori Kotan Kor cikappuとも mosiri kotori ともいふ。Kotan Kor Kamuyとは普通にいふ呼び名だ。 ⽝コタン探訪帳⽞[⚗;1950-1970]より A. F氏(男性)による語り(釧路/阿寒) これによると,“コタンコロカムイ”は⽛普通に⽜シマフクロウを指すときに用いた呼称であ るということだが,他にこのような記述は確認できていない。“コタンコロカムイ”を一般的な 呼称として捉えるには,今回フクロウ類の呼称を確認することのできなかった地方を含め,更 なる事例の蓄積が必要であると考える。しかし,この呼称がみられる頻度および地方の幅広さ をふまえると,これが最も一般的な呼称であったことが推察できる。 3-1-2.カムイチカプ 石狩,網走,胆振,日高の⚔地方で,シマフクロウを指す“カムイチカプ”を確認すること ができた。“コタンコロカムイ”に次いで多くの記述がみられたにも関わらず,十勝・釧路地方 でこの呼称がみられなかったことは非常に興味深い。今回の調査においては,史料は対象とし ていないが,竹中(2006:93)によると,⽝松前志⽞(1781)では蝦夷地の産物として⽛シマフ クロ⽜が挙げられており,アイヌの呼称として⽛カムイチカフ(神の鳥)⽜,⽛メナシチカフ(東 の鳥)⽜の記載があるという。アイヌが少なくとも江戸時代から,長きにわたり使用してきた呼 称であることがわかる。 “カムイチカプ”という呼称が使われていた場面について言及する記述はみられなかった。 しかし,以下の記述から,“カムイチカプ”は神謡や祈りの言葉などに現れる呼称であった可能 性が推察できる。 シマフクロオ Bubo blakistoni blakistoni Seebohm (1) kamuycikap(カむイチカプ)[<kamuy-cikap)神・鳥);̒ 神である鳥 ]̓《ホロベツ》 注-さらに kamuyを添えてʻkamuy cikap kamuyʼなどという云いかたをする。(神謡 集 p. 2,74)。直訳すれば̒ 神である鳥の神 で̓あるが,̒ フクロウの神さま の̓気持で ― 38 ― 北海道大学大学院文学研究科 研究論集 第 17 号 あろう。 (2) kamuy cikappo(カむイチカッポ)<kamuy-cikap-po;-poは本来指小辞ででるが親愛の 情を添えるのにも用いられる;̒ 敬愛する神鳥 ]̓《ホロベツ》 注⚑.-神謡のなかに次のような句が出てくる。̒ pirka cikap-po! kamuy cikap-po ⽛̓美 しい鳥さんよ⽑神さまの鳥さんよ⽑⽜(神謡集 p. 2)̒ toan cikap-po kamuy cikap-po ⽛̓あ の鳥さん神の鳥さん⽜(同 p. 2,⚔) ⽝分類アイヌ語辞典⽞[10;1962](胆振/幌別町) (筆者注.⽛⚖.祭る神々とその由来⽜より,カムイノミについて) ……ノヤスットク,アノランケ,チカプカムイ〈noya-sut-tok,an=o-ranke,cikap-ka- muy=(静内町)農屋村の-根元・つけ根の-先へ,神によって-そこに-降下された,鳥の-神 様=集落を見守るシマフクロウの神様〉って言葉使うんだ。 ⽝アイヌのくらしと言葉⚔⽞[33;1995]より葛野辰次郎氏による語り(日高/静内町東別) ただし,“カムイチカプ”という表現はこれらの特別な文脈においてのみでなく,語りのなか にごく普通に現れる言葉でもある。“カムイチカプ”という呼称の特徴は,神謡にも現れる表現 である点,十勝・釧路地方では確認できなかった点にあり,その使用の詳細については時代を 遡って史料を収集するなど,新たな事例を追加することで,より詳細な検討が可能になるもの と考えている。 3-1-3.カムイエカシ,モシリコロカムイ この⚒つの呼称は確認できた地方に偏りがあった。幌別町(胆振)で両方の呼称がみられた ほか,“カムイエカシ”は日高地方,“モシリコロカムイ”は釧路(根釧)地方でのみ確認する ことができた。両地方はフクロウ類の呼称に関する記述を特に多く残していることから,フク ロウとの関わりの強い地域であったことが推測でき,そのために,他の地方に比べより多様な 呼称がみられたものと考える。 これらの呼称については以下の記述から,儀礼などの場面で限定的に用いられる雅語であっ た可能性が推察できた。 ここで注意すべきことは,釧路アイヌは縞梟を呼ぶには,コタンコロカムイよりもモシ リコロカムイの方を用うるのが普通である。また,コタンコロカムイのイオマンデは,モ シリコロカムイ・オブニレと言うのが普通である。 ⽛釧路アイヌの縞梟送り⽜[⚔;1961](釧路/釧路春採) ― 39 ― 山本:北海道アイヌにおけるフクロウ類の呼称に関する研究 シマフクロオ Bubo blakistoni blakistoni Seebohm (3) kamuy-ekasi(カムイエカシ)[<神・翁]《ホロベツ;サル》【雅語】 (8) mosir-kor-kamuy(モシリコルカムイ)[<̒ 国土・を所有する・神 ]̓《ホロベツ》【雅】 注-kotan-kor-kamuyと対語にして用いる。 ⽝分類アイヌ語辞典⽞[10;1962](胆振/幌別町,日高/沙流) また,3-1-1 の“コタンコロカムイ”で言及した,⽝コタン探訪帳⽞[⚗;1950-1970]に記載 のある阿寒の A. F氏(男性)による語りのなかにも,⽛Nomi⽜する際の呼称として⽛mosiri kotori⽜ という類語がみられた。これらの事例から,“カムイエカシ”および“モシリコロカムイ”は雅 語として用いられていた可能性が示唆されるが,地域的な偏りについては,今後更なる検討が 必須である。今回の調査では,日高ならびに釧路(根釧)地方に呼称の偏りがみられたが,幌 別町(胆振)で両方の呼称が確認できたことは特筆すべき事項であり,新たな情報が追加され ることで,この偏向が緩やかになる可能性は高いと考えている。 3-1-4.フムフムカムイ これはシマフクロウの鳴き声に由来する呼称で,今回の調査では,石狩,渡島,空知,胆振, 日高の⚕地方で確認することができた。ただし,“フムフムカムイ”して現れるのは以下⚒つの 事例のみで,他は“カムイ”のつかない“フムフム”という呼称であった。 コタン コロ カムィ kotan kor kamuy(シマフクロウ)を送るときは,ロルンプヤラ ror- unpuyar(神窓)から出し入れする。別名,フッフー カムィ mummu: kamuy,カムィ チカ プ kamuy cikapともいう。 ⽝アイヌ民俗調査Ⅹ:千歳地方⽞[21;1991]より白沢ナベ氏による語り(石狩/千歳) フムフムカムイ hmhmkamuyは覚えてる。フクロウ[シマフクロウか?]のことだな。 ⽝虎尾ハルの伝承⽞[⚑;2001]より虎尾ハル氏による語り(日高/静内町農屋(旧ノヤサルコタン)) 更科・更科(1977:553-556),更科(1984:7-8)は“フムフム”という呼称がみられる日高 三石(日高)や内浦湾(胆振)の事例に注目し,⽛日高三石では,神 カムイ という敬称は消えてただ フムフム(鳴声)と呼んでいる⽜(更科 1984:7),⽛内浦湾に入るとコタンコル・カムイとかカム イ・チカプという名は消えてしまって,フムフム(鳴声)という名になってしまい,これを飼っ ていて送るということはするが,他の地方のように別にむつかしい儀式はない⽜(更科・更科 1977:554)と述べている。そして,⽛シマフクロウを最高の神として尊敬するのは,川漁を生 計の中心にする地方である⽜(更科・更科 1977:555)とし,“フムフム”という呼称がみられる ― 40 ― 北海道大学大学院文学研究科 研究論集 第 17 号 地域については,主な生業が川漁でなかったためにシマフクロウはあまり重要な存在ではなく, このような呼称になったものと論じている。 この論をふまえ,十勝・釧路地方において,比較的まとまった量のシマフクロウの呼称を得 ることができたにも関わらず,“フムフムカムイ”の呼称がみられなかった理由を,この地方に おけるシマフクロウの重要性という観点から説明することもできよう。しかし,“フムフム”が “コタンコロカムイ”や“カムイチカプ”,さらには“カムイエカシ”,“モシリコロカムイ”と いった幅広い呼称がみられる幌別町(胆振)においても確認できること,“フムフム”という鳴 き声にさらに“カムイ”がついた場合にどう解釈するかという問題があることから,この論に は検討の余地が残されているものと考える。 3-1-5.ニヤシコロカムイ,アノノカカムイ これらは,⽝コタン探訪帳⽞[⚗;1950-1970],⽝コタン生物記⽞[⚘;1977],⽛川魚の神⽜[⚙; 1984]など更科の著作を中心に,主に十勝・釧路(根釧)地方で確認できた呼称である。いず れにおいても,“アノノカカムイ”は女性が使用する呼称であるとの記述があるが,“ニヤシコ ロカムイ”は,十勝では男性が用いる呼称,釧路(根釧)では一般的な呼称として説明されて いる。 縞梟 男は Kotan Kor Kamuyといふが女は ano anunuka Kamuyといふ。ニトマップの川で鮭や 鱒をよくとつてくれた。 ⽝コタン探訪帳⽞[⚗;1950-1970]より K. U氏(女性)による語り(十勝/十勝清水) この鳥は釧路地方では一般的にコタンコルカムイというが,コー・チカッポ(?)とかモ シリ・コトロカムイ(大地の胸板の神),コタンコル・トリ(村を支配する鳥),コタンコル・ クル(村を支配するお方)またはニヤシコル・カムイ(木の枝を支配する神)とも呼ぶ。ま た女の人は特別にアノノカ・カムイ(人間の姿をした神)という。 ⽝コタン生物記⽞[⚘;1977](釧路/釧路地方) 太平洋岸の十勝川筋では,釧路川筋と似ていて,シマフクロウを男はコタンコル・カム イ(村を支配する神)とか,ニヤシコル・カムイ(木の枝を支配する神)と呼び,女の人は やはりアノノカ・カムイ(人間の形をした神)と呼んで,クマの仔などより大事にして送っ た。 ⽝コタン生物記⽞[⚘;1977](十勝/十勝川筋) ― 41 ― 山本:北海道アイヌにおけるフクロウ類の呼称に関する研究 なお,⽛川魚の神⽜[⚙;1984]の記述は⽝コタン生物記⽞[⚘;1977]と大部分が重複するこ とから,ここでは割愛する。 これらの地域において,女性が用いる特別な呼称として“アノノカカムイ”がみられる理由 について,シマフクロウ送りとの関係もふまえて考察する必要があると考えている。更科・更 科(1977:547)によると,屈斜路湖畔では⽛古式の儀式をわきまえた位のある古老たちばかり⽜ がシマフクロウ送りに参加でき,⽛女子供や位のないものは,式場に近寄ることすらできなかっ た⽜というが,阿寒や釧路春採の古老たちによる語りで構成される佐藤(1961:250)では,女 性たちは⽛盛装してセツ4の周囲に集まつて,セツカラウポポ(鳥の住居を囲んでする歌と踊 り)を盛んにやる⽜とされている。屈斜路に関して,宇田川(2004a:127)は⽛格式高い長老だ けで実施するというのは,他に記録がなく,事実であったかどうかは不明⽜と述べているが, この“アノノカカムイ”という呼称を考える上で,この地方におけるアイヌの女性たちとシマ フクロウとの関わりを明らかにすることは不可欠であると考える。反対に,十勝の事例が示す ように,“ニヤシコロカムイ”が男性による呼称であったとするならば,この表現もある特別な 意味をもって用いられていたことが推測できる。送り儀礼をはじめ,アイヌとシマフクロウと の関係を幅広く捉えることで,より詳細な検討が可能になるものと考えている。 3-2.エゾフクロウの呼称 エゾフクロウは,小島と琉球列島を除く日本全土に分布する生物種としてのフクロウのうち, 北海道に生息する地域亜種をいう(山本 1999:163-164)。シマフクロウと比較すると,その種 名が資料に現れることは少ないが,⽛クマの居所を知らせてくれる神⽜(宇田川 2004a:113)と して大切にされていたと考えられているフクロウである。今回の調査では,石狩,網走,胆振, 日高,十勝,釧路の⚖地方で,エゾフクロウに関する呼称を確認することができた(表⚓)。 3-2-1.クンネレクカムイ エゾフクロウに関する呼称がみられた⚖地方のうち,網走,日高,十勝,釧路の⚔地方で“ク ンネレクカムイ”を確認することができた。使用場面に言及する記述はみられなかったが,以 下の⚔事例において,“クマの居所を教える”鳥としての説明がみられた。 ……⽛えぞ梟⽜はクンネレクカムイ(夜間導く神)と称して熊狩りに行つたときには, その所在に案内してくれる神様としてありがたがり,…… ⽛釧路アイヌの縞梟送り⽜[⚔;1961](釧路/釧路春採) エゾフクロオ Strix ualensis japonica(Clark) (1) kunne-rek-kamuy(クンネレクカムイ)[̒ 夜・鳴く・神 ]̓《ビホロ;クッシャロ;トオ ― 42 ― 北海道大学大学院文学研究科 研究論集 第 17 号 ― 43 ― 山本:北海道アイヌにおけるフクロウ類の呼称に関する研究 表 3 . エ ゾ フ ク ロ ウ の 呼 称 “ コ タ ン コ ロ カ ム イ ” “ カ ム イ チ カ プ ” “ カ ム イ エ カ シ ” “ モ シ リ コ ロ カ ム イ ” “ フ ム フ ム カ ム イ ” “ ニ ヤ シ コ ロ カ ム イ ” “ ア ノ ノ カ カ ム イ ” “ ク ン ネ レ ク カ ム イ ” “ イ ソ サ ン ケ カ ム イ ” “ ユ ク チ カ プ カ ム イ ” そ の 他 村 ・ を 所 有 す る ・ 神 神 ・ 鳥 神 ・ お じ い さ ん 国 土 ・ を 所 有 す る ・ 神 フ ム フ ム ( 鳴 き 声 ) ・ 神 木 ・ 枝 ( ? )・ を 守 る ・ 神 人 ・ 見 え る ・ 神 夜 ・ 鳴 く ・ 神 熊 ・ 出 す ・ 神 鹿 ・ 鳥 ・ 神 石 狩 [ 3 1 ] イ ソ ア ン パ カ ム イ 〈 is o - a n p a- k a m u y = 獲 物 を - 統 率 す る - 神 〉 ( 恵 庭 市 中 央 ) [  ] is o sa n k e k am u y ( 千 歳 ウ サ ク マ イ , 蘭 越 ) [  ] キ ュ ー セ ・ カ ム イ ( 石 狩 川 筋 ) 【 類 】 [  ] y u k u ci k ap ( 千 歳 ウ サ ク マ イ , 蘭 越 ) 渡 島 檜 山 後 志 空 知 上 川 留 萌 宗 谷 網 走 [ 1 0 ] k u n n e- re k - k am u y ( ク ン ネ レ ク カ ム イ ) ( 美 幌 町 ) 胆 振 [ 1 0 ] in u n - k am u y ( イ ヌ ン カ ム イ )( 幌 別 町 ) 日 高 [  ] ク ン ネ レ ク カ ム イ ( 静 内 町 農 屋 ( 旧 ) ノ ヤ サ ル コ タ ン ) [ 1 0 ] is o - sa n k e- k am u y ( イ そ サ ン カ ム イ )( 沙 流 ) [  ] ユ ク ・ チ カ プ ・ カ ム イ 獲 物 鳥 神 ( 沙 流 川 筋 ) [ 1 0 ] h as in aw - u k - k am u y ( ハ シ ナ ウ ウ カ ム イ ) ( 沙 流 ) [  ] ハ シ ナ ウ カ ム イ ・ カ ム イ カ ッ ケ マ ッ ( 枝 木 幣 を 受 け 取 る 神 , 神 の 奥 方 ) ( 沙 流 川 筋 ) 【 類 】 [  ] フ ム セ チ リ h u m se ci r ( 静 内 町 農 屋 ( 旧 ノ ヤ サ ル コ タ ン ) ) 【 類 】 [  ] ユ ク チ カ プ ( 二 風 谷 ) [  ] y u k u ci k ap ( 農 屋 ) 十 勝 [ 3 8 ] k u n n er ek k am u y ク ン ネ レ ク カ ム ィ ( 本 別 ) 釧 路 [ 1 1 ] コ タ ン コ ロ カ ム イ 〈 k o ta n - k o r- k a m u y = 集 落 を - 掌 握 す る - 神 〉 ( 白 糠 ) [  ] K u n n e re k k i K am u y ( 鶴 居 村 下 雪 裡 ) [  ] ク ン ネ レ ク カ ム イ ( 夜 間 導 く 神 ) ( 釧 路 春 採 ) [ 1 0 ] k u n n e- re k - k am u y ( ク ン ネ レ ク カ ム イ ) ( 屈 斜 路 ) [ 1 6 ] ク ン ネ レ ク カ ム ィ k u n n e re k k am u y ( 屈 斜 路 コ タ ン ) [ 1 0 ] k u n n e- re k - k am u y ( ク ン ネ レ ク カ ム イ ) ( 標 茶 町 塘 路 ) [  ] ク ン ネ レ ク カ ム イ ( 標 茶 町 虹 別 ) [  ] ク ン ネ レ ク カ ム イ ( 標 茶 町 虹 別 ) [ 2 5 ] ク ン ネ レ ク カ ム ィ k u n n er ek k am u y ( 標 茶 町 塘 路 ) [  ] is o sa n k e k am u y ( 鶴 居 村 下 雪 裡 ) 根 室 ※ 1 0 に 分 類 し た い ず れ か の 呼 称 の 大 意 を 捉 え な が ら “ カ ム イ ” が 付 か な い よ う な 語 ( 例 : コ タ ン コ ロ チ カ プ ) は 類 語 と し , 【 類 】 と 記 し た 。 ロ》 注-この鳥は鳴声でクマの居所を教える。はじめ pewrep⽑と泣き,次に pewrep ci- koyki⽑とはっきり云い,そのあまに kot⽑ kot⽑ kot⽑と鳴く。それを聞いて,その方 へ行けば kamuy-cise(クマの穴)が見つかる。(屈斜路) ⽝分類アイヌ語辞典⽞[10;1962](網走/美幌町,釧路/屈斜路,標茶町塘路) クンネレク カムィ kunne rek kamuy⽛エゾフクロウ⽜が鳴くと,その方向にクマ(kamuy) がいるという。 ⽝アイヌ民俗調査Ⅴ:釧路・網走地方⽞[16;1986]より弟子豊治氏による語り(釧路/屈斜路コタン) 今回の調査において,“クンネレクカムイ”はエゾフクロウに関する最頻出の呼称だったが, 確認できた地方にばらつきがあり,この呼称が広く全道的に一般的なものであったとは,現時 点では言い難い。日高地方でも“クンネレクカムイ”は確認できたが,これは一例のみで,同 地方内の他の呼称に比べると現れる頻度が低かった。しかし,少なくとも釧路地方ではエゾフ クロウを指す呼称として“クンネレクカムイ”が最も多く,同地方においてはこれが一般的な 呼称であったものと考えている5。 3-2-2.イソサンケカムイ,ユクチカプカムイ6 “イソサンケカムイ”と“ユクチカプカムイ”の両方の呼称がみられたのは石狩・日高地方で ある。また,釧路地方(鶴居村下雪裡)で“イソサンケカムイ”のみ一例を確認することがで きた。 (⽛⚓.初のヒグマ猟⽜より) ……そうしているうちに,もう日も暮れて,日暮れたらあっちからこっちからイソアン パカムイ〈iso-anpa-kamuy=獲物を-統率する-神=エゾフクロウ〉あと(たちが)⽛ペウレ プ,チコイキプ,チョチョー〈pewrep-cikoykip-co-co=かわいらしい仔グマ-我々がとる親 グマ-さあ-さあ〉⽜というやつがいるんだか,イソサンケ〈iso-sanke=獲物を-出す・下ろ す〉と鳴くので,夜も眠れんくらい晩からニサッタ〈nisatta=晩・明け方〉まで,そういう (の)初めて聞いたもんだから眠られん。 ⽝アイヌのくらしと言葉⚒⽞[31;1991]より栃木政吉氏による語り(石狩/恵庭市中央) エゾフクロ isosanke kamuyとも yuki cikapといふ。 ⽝コタン探訪帳⽞[⚗;1950-1970]より I. S氏(男性)による語り(石狩/千歳ウサクマイ,蘭越) ― 44 ― 北海道大学大学院文学研究科 研究論集 第 17 号 エゾフクロオ Strix ualensis japonica(Clark) (4) iso-sanke-kamuy(イそサンカムイ)[<iso(海幸山幸)sanke(出す)kamuy(神);獲 物を授ける神]《サル》【雅】 ⽝分類アイヌ語辞典⽞[10;1962](日高/沙流) 送る鳥 ユクチカプ(えぞふくろう)…… ⽝コタン探訪帳⽞[⚗;1950-1970]より N. I氏(男性)による語り(日高/二風谷) 蝦夷梟(yuk cikap) この鳥が夜さわいだ沢に必ず鹿がゐる。hurusi cipere ci koyki tu tu tu tuとなく。フルシ チペレ チコイキだけでは入つてはいけない。ツーツーツツといつたら行くとよい。 ⽝コタン探訪帳⽞[⚗;1950-1970]よりW.W氏/ S. S氏/M. T氏(男性)による語り(日高/農屋) 蝦夷梟(kunne rekki kamuy,iso sanke kamuy) これも何といつて啼いてくるかをききわけなければならない。“Kot kot kot kot”といふ のは犬をよんでゐる声。“nioro poke sike cyay”と啼くのは股の下に荷物をおしてくると大 猟ある。縞梟の小使。 ⽝コタン探訪帳⽞[⚗;1950-1970]より Y. K氏(男性)による語り(釧路/鶴居村下雪裡) ⽝分類アイヌ語辞典⽞[10;1962]に“イソサンケカムイ”を⽛雅語⽜とする記述がみられた が,他の資料から使用場面に関する記述は確認できていない。また,上述の資料における文脈 から推察する限りでは,“イソサンケカムイ”および“ユクチカプカムイ”は一般的な場面でも 用いられていた可能性が高いと考えている。 更科・更科(1977:559)はエゾフクロウについて,⽛一般にクンネレク・カムイ(夜叫ぶ神) といわれているが,イソサンケ・カムイ(獲物を出してくれる神)とか,イソアニ・カムイ(獲 物を持っている神)ともいう⽜と述べた上で,⽛夜叫ぶ神とか獲物を出してくれる神というのは, クマ狩りと関係があるからである⽜と述べる。このことをふまえると,服部四郎編⽝アイヌ語 方言辞典⽞にもみられるように“ユク”はおよそシカを指すため,“ユクチカプカムイ”は特に シカ狩りとの関係が強い地域における呼称とも考えられる。“イソサンケカムイ”および“ユク チカプカムイ”は事例数が少ないため,現段階では地域比較を行うことが困難である。地域的 観点をもってより詳細な比較・検討を行うためには,更なる事例の収集が不可欠である。その 際,これらの呼称が示すように,地域と主生業との関係に注目することで,呼称の分布傾向に 対する何らかの答えを得ることができるのではないかと考えている。 ― 45 ― 山本:北海道アイヌにおけるフクロウ類の呼称に関する研究 3-3.フクロウの呼称 今回の調査では,石狩,後志,空知,上川,網走,胆振,日高,十勝,釧路の 9地方で,“フ クロウ”として説明される呼称を確認することができた(表⚔)。宇田川(2004a:111)は,⽝ア イヌ民俗調査⽞[12-29;1982-1999]などからフクロウに関する呼称の表を作成し,以下のよう に述べている。 シマフクロウをコタンコロカムイとよんでいるのは,千歳・静内・浦河地方だけのよう です。同時に,コタンコロカムイをフクロウにあてているのは,旭川・千歳・沙 さ 流 る ・静内・ 釧路・白 しら 糠 ぬか ・幕別・十勝の伏 ふし 古 こ 地方とかなり広範囲に及んでいます。これは,本来シマフ クロウをコタンコロカムイとよんでいたものが,しだいにフクロウ全体を指すようになっ たことを示しているのかも知れませんが,この辺はもう少し調査を要するところと思われ ます。(宇田川 2004a:111) 冒頭で,“フクロウ”という言葉には少なくとも⚔通りの解釈が想定されると述べた。すなわ ち,①フクロウ類の総称として,②シマフクロウとして,③エゾフクロウとして,④その他の フクロウ類として,この“フクロウ”という表現が用いられている可能性を示したが,シマフ クロウを指すと推測できる記述はみられたものの,フクロウ類の総称を指すと断定できる個別 具体的な記述は見出せず,また,エゾフクロウあるいは他のフクロウ類を指すと考えられる呼 称に関しては,判断材料となる情報が断片的であることから検討が困難であった。 今回,フクロウの呼称としては“コタンコロカムイ”,“カムイチカプ”,“クンネレレクカム イ”が目立ったほか,シマフクロウの呼称として確認された“モシリコロカムイ”,“ニヤシコ ロカムイ”,“フムフムカムイ”を数例,確認することができた。⚓-⚑で述べたシマフクロウの 呼称,⚓-⚒で述べたエゾフクロウの呼称における論議をふまえると,シマフクロウとエゾフク ロウの呼称が混在している状況であるといえる。 “フクロウ”として現れる記述のうち,シマフクロウを指すと考えられるものについては,以 下のような事例がある。 梟 Kotan Koro Kur(mosiri kotoriともいふ)が Kunne rekki Kamuyを使ひにして□師に熊の 居どころを知らせに来て熊のゐるところへ帰つて行く。Kotan Koro Kurでも Kunne rekki Kamuyでも先にとるとクマが遠慮して来なくなるからとらないものだ。 ⽝コタン探訪帳⽞[⚗;1950-1970]より Y. K氏(男性)による語り(釧路/鶴居村下雪裡) ここに現れる⽛mosiri kotori⽜は,同一の話者が⽝アイヌのくらしと言葉⚑⽞[30;1989]でシ ― 46 ― 北海道大学大学院文学研究科 研究論集 第 17 号 ― 47 ― 山本:北海道アイヌにおけるフクロウ類の呼称に関する研究 表 4 . フ ク ロ ウ の 呼 称 “ コ タ ン コ ロ カ ム イ ” “ カ ム イ チ カ プ ” “ カ ム イ エ カ シ ” “ モ シ リ コ ロ カ ム イ ” “ フ ム フ ム カ ム イ ” “ ニ ヤ シ コ ロ カ ム イ ” “ ア ノ ノ カ カ ム イ ” “ ク ン ネ レ ク カ ム イ ” “ イ ソ サ ン ケ カ ム イ ” “ ユ ク チ カ プ カ ム イ ” そ の 他 村 ・ を 所 有 す る ・ 神 神 ・ 鳥 神 ・ お じ い さ ん 国 土 ・ を 所 有 す る ・ 神 フ ム フ ム ( 鳴 き 声 )・ 神 木 ・ 枝 ( ? )・ を 守 る ・ 神 人 ・ 見 え る ・ 神 夜 ・ 鳴 く ・ 神 熊 ・ 出 す ・ 神 鹿 ・ 鳥 ・ 神 石 狩 [ ] k o ta n k o rk u rk am u i ( 千 歳 ウ サ ク マ イ , 蘭 越 ) [ 2 0 ] カ ム ィ チ カ プ k am u y ci k ap ( 千 歳 ) [ 2 1 ] ● カ ム ィ チ カ プ k am u y ci k ap ( 千 歳 ) [ 2 4 ] カ ム ィ チ カ プ k am u y ci k ap ( 千 歳 ) [ ] k am u ic h ik ap ( 浜 益 ) 【 類 】 [ 2 0 ] コ タ ン コ ル チ カ プ k o ta n k o r ci k ap ( 千 歳 ) 渡 島 檜 山 後 志 【 類 】 [  ] K o ta n k o r K u ru ( 虻 田 ) 空 知 [  ] ● K o ta n K o r K am u i( 新 十 津 川 ) 上 川 [ 1 3 ] コ タ ン コ ロ カ ム ィ ( 近 文 川 端 町 ) [  ] ch ik ap n i u n K am u y ( 旭 川 近 文 ) [ 1 3 ] カ ム ィ チ カ プ k am u y ci k ap ( 十 津 川 町 菊 水 町 ) 【 類 】 [ 1 2 ] コ タ ン コ ロ チ カ プ ( 近 文 川 端 町 ) 【 類 】 [ 1 2 ] ク ン ネ レ ク k u n n er ek ( 近 文 川 端 町 ) 留 萌 宗 谷 網 走 [ 2 9 ] コ タ ン コ ロ カ ム ィ k o ta n k o r k am u y ( 美 幌 ) [ 1 6 ] ク ン ネ レ ク カ ム ィ k u n n e re k k am u y( 美 幌 ) [  ] ア フ ラ サ ン ベ ( 美 幌 ) 胆 振 [  ] K o ta n K o r K am u i( 鵡 川 ) 日 高 [ 1 8 ] コ タ ン コ ル カ ム ィ k o ta n k o rk am u y ( 平 取 町 荷 負 本 村 ) [ 3 9 ] コ タ ン ・ コ ル ・ カ ム イ ( ポ ロ サ ル ) [ 2 2 ] ● コ タ ン コ ル カ ム ィ k o ta n k o r k am u y ( 静 内 町 東 別 ) [  ] ● k o ta n k o r k am u y ( 新 冠 ) [ 1 8 ] カ ム ィ チ カ プ k am u y ci k ap ( 平 取 町 荷 負 本 村 ) [ 3 9 ] カ ム イ ・ チ カ プ ( ポ ロ サ ル ) [ 2 6 ] カ ム ィ チ カ プ k am u y ci k ap ( 貫 気 別 ) [ 2 2 ] フ ム フ ム カ ム イ ( 静 内 町 農 屋 ( 旧 ノ ヤ サ ル コ タ ン ) ) [ 3 9 ] ク ン ネ レ ッ キ ( ポ ロ サ ル ) [  ] フ フ ン ポ カ ム イ ( 沙 流 ) [ 3 9 ] ア フ ン ラ サ ン ベ ( ポ ロ サ ル ) 【 類 】 [ 1 8 ] コ タ ン コ ロ チ カ プ k o ta n k o rc ik ap ( 平 取 町 荷 負 本 村 ) 【 類 】 [ 2 7 ] カ ム ィ チ カ プ k am u y ci k ap ( 貫 気 別 ) [  ] si ri te k k u k o k ay ( 静 内 町 豊 畑 ) 十 勝 [  ] K o ta n K o r K am u y ( 帯 広 ) [ 3 9 ] コ タ ン コ ル カ ム イ ( 芽 室 毛 根 ) [ 2 8 ] コ タ ン コ ロ カ ム ィ k o ta n k o r k am u y ( 幕 別 ) [  ] n iy as i K o r K am u y ( 帯 広 ) [  ] K u n n e re k K am u y ( 帯 広 ) 釧 路 [ 1 6 ] ● コ タ ン コ ロ カ ム ィ k o ta n k o r k am u y ( 阿 寒 町 上 徹 別 ) [  ] ● K o ta n k o ro k am u y( 鶴 居 村 下 雪 裡 ) [ 1 6 ] コ タ ン コ ロ カ ム ィ k o ta n k o r k am u y ( 釧 路 春 採 ) [  ] ● K o ta n K o r K am u y ( 屈 斜 路 ) [  ] ● コ タ ン ク ル カ ム イ ( 屈 斜 路 ) [ 2 4 ] ● コ タ ン コ ロ カ ム ィ ( 白 糠 ) [ 2 4 ] ● コ タ ン コ ロ カ ム ィ k o ta n k o rk am u y ( 白 糠 ) [ 2 3 ] コ タ ン コ ロ カ ム ィ k o ta n k o r k am u y ( 白 糠 ) [  ] ● n iy as i K o r K am u y ( 屈 斜 路 ) [  ] K u n n e re k k i K am u y ( 屈 斜 路 ) [  ] af u ra sa n b e ( 屈 斜 路 ) 【 類 】 [  ] ● K o ta n K o ro K u r( 鶴 居 村 下 雪 裡 ) [  ] ● K o ta n K o r K u r( 鶴 居 村 下 雪 裡 ) [ 2 3 ] ● コ タ ン コ ロ k o ta n k o r( 白 糠 ) 【 類 】 [  ] ● m o si ri K o to ri ( 鶴 居 村 下 雪 裡 ) [  ] ● m o si ri k o tt o ri ( 鶴 居 村 下 雪 裡 ) 根 室 ※ 1 0 に 分 類 し た い ず れ か の 呼 称 の 大 意 を 捉 え な が ら “ カ ム イ ” が 付 か な い よ う な 語 ( 例 : コ タ ン コ ロ チ カ プ ) は 類 語 と し , 【 類 】 と 記 し た 。 ※ ● は シ マ フ ク ロ ウ を 指 す と 考 え ら れ る 事 例 で あ る 。 マフクロウを⽛モシリコットリ〈mosiri-kot← kor-tori〉⽜としていることから,シマフクロウを 指す可能性が高いと考えられる。 また,生態に関する説明から,シマフクロウを指すと考えられる記述もある。 梟 Kotan Kor Kamuyとも niyasi Kor Kamuyと。…… コタンクルカムイ 胴木のなかに巣をつくり,雛は二羽よりうままい。 ⽝コタン探訪帳⽞[⚗;1950-1970]より Y. T氏(男性)による語り(釧路/屈斜路) フクロウ (神について,何か昔話で聞いたことがないかとの問に)サコロベ sakorpeとかトィタク tuytakにちょっと聞いたことがある。村で食べるものがなくなったとき,コタンコロカム イ(フクロウ)が川にきて魚を授け,助けてくれた。 フクロウには縄張があって,毎年,同じところに来てアキアジを捕っていた。 ⽝アイヌ民俗調査ⅩⅢ⽞[24;1994]より貫塩米太郎氏による語り(釧路/白糠) 樹洞での営巣はシマフクロウ,エゾフクロウともに共通するが,シマフクロウの産卵が一度 に⚑-⚒個であるのに対し,エゾフクロウは⚒-⚖個で,特に⚓個のことが多い(山本 1999:164; 2004:209)。したがって,前者の記述の⽛梟⽜すなわち⽛コタンクルカムイ⽜は,シマフクロ ウを指す可能性が極めて高いと考えられる。また,魚食はシマフクロウの特徴の一つであり, エゾフクロウの主な獲物は⽛ネズミ類,両生類,大型昆虫類,小中型鳥類,甲殻類⽜(山本 1999: 164)であることから,後者のような事例もシマフクロウを指すことが推察できる7。 “クンネレクカムイ”は記述の内容から,およそエゾフクロウを指すものと推測できる。しか し,“クマの居所を教える”という性格は,確かにエゾフクロウに特徴的なものだが,シマフク ロウに関する記述にも僅かながら“クマの居所を教える”という説明があり,この記述のみを もってエゾフクロウと断言することは,現時点では難しいと考えている。 同一地方内でシマフクロウとエゾフクロウのそれぞれの呼称が確認できる場合,フクロウと して現れる呼称との比較ができ,同定が行いやすい。しかし,上川地方ではフクロウに関する 呼称しか確認できず,また,シマフクロウともエゾフクロウとも解釈できる記述の内容がみら れることから,呼称の実態の把握が困難である。 コタンコロチカプ(フクロウ):肉は固いがおいしい。良い事を知らせる。 コタンコロチカプは夜しか鳴かない。大きいフクロウに似ている。俺(石山長次郎氏) が座っている位大きく,鳴き声もひどく大きい。人が行っても知らん顔で座っている。ヌ カビラ(十勝三股方面)に一匹いるらしい。他には聞いたことがない。昔はこの辺にもい ― 48 ― 北海道大学大学院文学研究科 研究論集 第 17 号 たが今はいなくなった。このトリが鳴いた方向に行けばクマがいる。 ⽝アイヌ民俗調査Ⅰ:旭川地方⽞[12;1982]より 石山長次郎氏,石山キツエ氏,清水キクエ氏による語り(上川/近文川端町) カムィ チカプ kamuy cikap(フクロウ)はイソ サンゲ チカプ iso sanke cikap─クマの居 所を知らせる鳥である。ペゥレプチコィキプ pewrep cikoykipといって iso sankeする。 ⽝アイヌ民俗調査Ⅱ:旭川地方⽞[13;1983]より門野トサ氏による語り(上川/十津川町菊水町) ⽛コタンコロチカプ⽜も⽛カムィチカプ⽜も,他の地方ではシマフクロウを指すものとしてみ られた呼称である。しかし,前者では⽛大きいフクロウに似ている⽜とあり,これはシマフク ロウそのものではない可能性も示唆される。また,後者では⽛カムィチカプ⽜とありながら,エ ゾフクロウに関する記述でよくみられた⽛イソ サンゲ チカプ⽜としての説明がある。かつて, シマフクロウが全道的に生息していたとされる時代においても,その生息密度には地域差が あったと考えられていることをふまえ,この地方をはじめ今回の調査でみられた“フクロウ” が何を指すのかについて,調査・検討を深化させていく必要があると考えている。 ⚔.まとめ 本稿では,北海道アイヌにおけるフクロウ類の呼称について整理・検討を行うため,主に聴 き取り調査資料にみられる記述から,シマフクロウ,エゾフクロウ,フクロウに関する呼称を 抽出して 10 に分類し,考察を行った。 シマフクロウの呼称としては“コタンコロカムイ”が最も広い範囲でみられた。また,“カム イチカプ”および“フムフムカムイ”は石狩,胆振,日高地方を中心に,“ニヤシコロカムイ” や“アノノカカムイ”は主に十勝,釧路地方においてのみ確認することができた。“カムイエカ シ”および“モシリコロカムイ”は特別な文脈で使われる雅語であった可能性を提示し,“カム イエカシ”が日高地方,“モシリコロカムイ”が釧路(根釧)地方に偏ってみられることを指摘 した。ただし,幌別町(胆振)では“カムイエカシ”と“モシリコロカムイ”の両方を一例ず つだが確認できており,今後新たな事例が追加されることで,この地域差はより緩やかなもの になる可能性が高いと考えている。 エゾフクロウの呼称としては“クンネレクカムイ”が最頻出だったが,この呼称が広く一般 的であった可能性が高い地域は,釧路地方に限定することに留めた。石狩,日高地方では“ク ンネレクカムイ”よりも“イソサンケカムイ”および“ユクチカプカムイ”の方が多くみられ たためである。シマフクロウに比べ,エゾフクロウの呼称は収集できた事例数が少なく,体系 的な地域比較ができたとは言い難い。そもそも資料上に現れる記述が少ないため,今後新たな ― 49 ― 山本:北海道アイヌにおけるフクロウ類の呼称に関する研究 情報を膨大に追加できる可能性は極めて低いが,“フクロウ”として曖昧に描写される記述から エゾフクロウに関するものを抽出することは可能であると考えている。 フクロウの呼称としては“コタンコロカムイ”,“カムイチカプ”,“クンネレレクカムイ”が 多くみられ,シマフクロウとエゾフクロウが混在している状況である可能性を指摘した。同一 話者による他の語りとの比較や,生物学的特徴に関する記述から,シマフクロウを指すと推測 できる事例はあったが,“クンネレクカムイ”をエゾフクロウと同定するには判断材料が不足し ていること,また,フクロウ類の総称を指すと断定できる個別具体的な記述は見出せなかった ことを述べた。 石狩,網走,胆振,日高,十勝,釧路地方のように,同一地方内でシマフクロウとエゾフク ロウのそれぞれの呼称が確認できる場合には,フクロウとして現れる呼称との比較ができるこ とから比定を行いやすい。しかし,上川地方のようにフクロウに関する呼称しか確認すること ができない場合は,シマフクロウともエゾフクロウとも,あるいは別のフクロウとも解釈でき る記述が現れる頻度が高まり,呼称と種との対応関係を把握することが難しくなっている。 また,今回は議論の対象としなかったが,フクロウの呼称として美幌(網走)やポロサル(日 高),屈斜路(釧路)でみられた“アフンラサンベ”が⽛釧路アイヌの縞梟送り⽜[⚔;1961] では⽛みみつく⽜とされていることを鑑みると,地域によってフクロウの分類に揺らぎがあっ たことが推測できる。シマフクロウが全道的に生息していたとされる時代においても,その生 息密度に地域差があった可能性は十分に考えられ,地域によって分類に差が生じたことは想像 に難くない。この点については今後,シマフクロウとエゾフクロウ以外の他のフクロウ類にも 対象を広げて事例を収集することで,より詳細な検討を行うことが可能になると考えている。 今後の課題としては,まず上述の通り,他のフクロウ類に関する記述を収集し,フクロウと して現れる呼称との比較・検討を行うことが挙げられる。また,今回は対象としなかった,“コ タンコロカムイ”とだけ記載があり,和名は明記されていないがフクロウを指すと考えられる ような記述について,検証していく必要がある。これにより,今回は表中において“その他” に分類した,他にあまり例のみられない呼称についての考察も可能になると考える。今後は対 象とする資料の幅を広げながら引き続き調査を行い,その成果については,北海道アイヌが捉 えたフクロウの文化的性格という観点も含め,稿を改めて報告したいと考えている。 最後に,卒業論文の執筆に際しては山本純郎氏,弟子屈町図書館の松橋秀和氏に多大なる御 高配を賜った。本稿はその一部を抜粋したものであり,改めて,ここに厚く謝意を表する。 (やまもと あきえ・歴史地域文化学専攻) 注 1 本稿では,使用されていた地名あるいは地方が明記されていない呼称については,抽出・分類の対象 ― 50 ― 北海道大学大学院文学研究科 研究論集 第 17 号 としていない。 2 根室地方において,今回確認することのできた呼称の地名表記は⽛根釧地方⽜(更科:1984)であり, 根室地方の個別具体的な地域に関する事例が確認できなかった。本稿ではこれ以降,根室地方につ いて言及する際は⽛釧路(根釧)地方⽜と表記する。 3 図の作成に際しては⽛CraftMAP⽜を使用した(http://www.craftmap.box-i.net/)。 4 佐藤(1961:247)に記載のある⽛チカツプ・セツ(鳥の住居,鳥の家,つまり鳥籠)⽜を指す。 5 白糠に一例のみ,“コタンコロカムイ”をエゾフクロウとする記述がみられた。 ニヤシコロカムイ(筆者注.シマフクロウ)は,鳴き声が,フーン,フーンと鳴くが,俺らが言うコ タンコロカムイ〈kotan-kor-kamuy=集落を-掌握する-神=エゾフクロウ〉は,ホ~,ホ~と鳴く。 だから,ニヤシコロカムイがフーン,フーンと鳴いているのを聞くと,物すごく寂しくなるが,その 鳴き声を聞けば,必ずヒグマが,その方角にいると判断する。 ⽝民俗技術調査⚑(狩猟技術)⽞[11;2009]より根本與三郎氏による語り(釧路/白糠) 根本氏はシマフクロウとエゾフクロウを明確に分けた上で“コタンコロカムイ”をエゾフクロウと している。このような記述は他にみられなかったため,比較・検討が難しいが,氏は長きにわたり猟 を行っており,また,⽛俺らが言うコタンコロカムイ⽜と表現していることから,猟との関係で自ら とエゾフクロウとの結びつきを強く感じ,そのために⽛コタンコロカムイ⽜と特別に呼んでいたので はないかと推測している。 6 新十津川(空知)で⽛iso ani kamuy⽜,荷負(胆振)で⽛yak cikap⽜をシマフクロウとする記述がみら れた。“イソサンケカムイ”および“ユクチカプカムイ”はエゾフクロウを示すことが多かったが, この⚒つの呼称は収集できた事例数が少なく,それぞれが示す種について引き続き調査・検討を行 う必要がある。 7 知里(1962:197)の⽛エゾフクロオ Strix ualensis japonica⽜の項に⽛inun-ikamuy(イヌンカムイ) [<(漁する・神)]《ホロベツ》⽜という記述がみられる。注記によると,⽛サケの漁期になるとフクロ オがそれをとりにくる。朝,フクロオのくい殺したサケが川ばたのあちこちに落ちている。そうい うフクロオたちを inun-kamuy utra(漁神たち)と称する⽜という。エゾフクロウは魚食性でないた め,これはシマフクロウを指す可能性が高いと考えている。 引用文献 秋野茂樹 2004⽛北海道アイヌの動物神の送り儀礼:シカの霊送りを中心に考える⽜宇田川洋先生華甲記念論文 集刊行実行委員会編⽝アイヌ文化の成立:宇田川洋先生華甲記念論文集⽞pp. 511-525,札幌:北海道 出版企画センター 2009⽛アイヌの祭り:動物神の霊送り儀礼を例に⽜⽝季刊考古学⽞(107),pp. 59-64,東京:雄山閣 宇田川洋 2004a⽛シマフクロウの送り儀礼⽜宇田川洋編⽝クマとフクロウのイオマンテ─アイヌの民族考古学⽞ pp. 111-131,東京:同成社 ― 51 ― 山本:北海道アイヌにおけるフクロウ類の呼称に関する研究 2004b⽛聴き取り調査で得られた民族学的情報(1)⽜宇田川洋編⽝クマとフクロウのイオマンテ─ア イヌの民族考古学⽞pp. 143-181,東京:同成社 大塚和義 1987⽛なぜ,アイヌ最高の儀礼なのか(梟送り,コタンコルカムイ・イオマンテ)⽜⽝季刊民族学⽞11 (4),pp. 81-84,吹田:千里文化財団 齋藤玲子 2002⽛更科源蔵氏⽝コタン探訪帳⽞の概要について:弟子屈町立図書館所蔵ノートの紹介⽜⽝北海道 立北方民族博物館研究紀要⽞(11),pp. 79-107,網走:北海道立北方民族博物館 佐藤孝雄 2004⽛送られた動物⽜宇田川洋編⽝クマとフクロウのイオマンテ─アイヌの民族考古学⽞pp. 73-89, 東京:同成社 佐藤直太郎 1961⽛釧路アイヌの縞梟送り:モシリコロカムイオブニレ⽜佐藤直太郎⽝佐藤直太郎郷土研究論文集⽞ 釧路:釧路市 更科源蔵 1984⽛川魚の神⽜更科源蔵ほか⽝シマフクロウ:神鳥・コタンコルカムイ⽞pp. 4-9,東京:平凡社 更科源蔵,更科光 1977⽝コタン生物記 Ⅲ 野鳥・水鳥・昆虫篇⽞東京:法政大学出版局 竹中健 2006⽛ヒグマとシマフクロウ⽜天野哲也,増田隆一,間野勉編著⽝ヒグマ学入門:自然史・文化・現 代社会⽞pp. 86-101,札幌:北海道大学出版会 知里真志保 1962⽝分類アイヌ語辞典 第二巻 動物篇⽞東京:日本常民文化研究所 長谷川充 1995⽛アイヌ民族とシマフクロウ⽜⽝ゆのみ⽞21,pp. 75-93 2003⽛⽛日本の天然記念物 エゾシマフクロウ⽜を読む⽜⽝ゆのみ⽞29,pp. 70-87 服部四郎編 1964⽝アイヌ語方言辞典⽞東京:岩波書店 北海道教育庁社会教育部文化課編 1999⽝平成 10 年度 アイヌ民俗文化財調査報告書(アイヌ民俗調査ⅩⅧ):補足調査⚕⽞札幌:北海 道教育委員会 北海道立北方民族博物館編 1991⽝北海道立北方民族博物館展示解説⽞網走:北海道立北方民族博物館 山田孝子 2009⽛アイヌ文化の世界観:カムイの観念にみる領有性と相補的互酬性⽜⽝季刊考古学⽞(107),pp. 27-29,東京:雄山閣 山本晶絵 2014⽛北海道アイヌとシマフクロウの関係:地域・時代差から捉えなおす名称と送り⽜(平成 26 年度 北海道大学文学部卒業論文) 山本純郎 ― 52 ― 北海道大学大学院文学研究科 研究論集 第 17 号 1999⽝シマフクロウ⽞札幌:北海道新聞社 2004⽛シマフクロウの生態⽜宇田川洋編⽝クマとフクロウのイオマンテ─アイヌの民族考古学⽞pp. 205-212,東京:同成社 参考HP 環境省“国内希少野生動植物種一覧” http://www.env.go.jp/nature/kisho/domestic/list.html#header(閲覧:2017 年⚘月 22 日) 文化庁“国指定文化財等データベース” http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails.asp(閲覧:2017 年⚘月 22 日) 北海道“支庁制度について” http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ss/cks/shichou/sichoutowa.htm(閲覧:2017 年⚘月 22 日) ― 53 ― 山本:北海道アイヌにおけるフクロウ類の呼称に関する研究