[73] 北法69(1・132)132 解  題 郭     薇  Ⅰ はじめに  2017年10月13日、法理論研究会、民事法研究会、民法理論研究会の共催によ り、「『動的システム論(Bewegliches System)』をめぐる誤解または過大評価: 中国法の動向」と題する講演会が行われた。  「動的システム論」は、オーストリアの民法学者ヴィルブルク(Walter Wilburg)が初めて提示し、オーストリアやドイツで影響力のある法解釈方法 論の一つである。日本においでも、山本敬三教授1や石田喜久夫教授2によって 紹介され、注目を集めてきた。本講演では、民法学の視点から、日本での議論 状況を参照しつつ、近時の中国における「動的システム論」の受容とその特徴 が取り上げられた。本講演のベースとなる論文は、中国で最も権威ある法律雑 誌の一つ『法学研究』に掲載され、直ちに注目を集めた3。その意味で、本講演は、 1 山本敬三「民法における動的システム論の検討─法的評価の構造と方法に関 する序章的考察─」法学論叢138巻1=2=3合併号(1995)208頁以下 2 石田喜久夫「ひとつの動的体系論」京都学園法学第2号(1998)129頁以下 3 解亘=班天可(訳)「被高估和被误解的动态系统论」法学研究(中国社会科学院) 講 演 動的システム論 (Bewegliches System)をめぐる 誤解または過大評価:中国法の動向 解     亘 動的システム論(Bewegliches System)をめぐる誤解または過大評価:中国法の動向 [74]北法69(1・131)131 中国の民法学に関する最新の議論を紹介するものといえる。また、本講演から 日中両国の法学の共通課題と相違点を見ることができる。  報告者である解亘教授は、中国における日本法研究と民法学の中堅の一人で あり、とりわけ債権法および知的財産権法の造詣が深い。また、判例制度など いわゆる法学方法論に関する論考も多数公表している4。同氏は、西安交通大学 材料工学部と中国人民大学法学部、二つの学部教育を受けた後、京都大学で山 本敬三教授に師事、2001年同大学法学部修士・博士課程を修了し、現在南京大 学法学部の教授である。2003年に、解教授は山本敬三教授が執筆した「民法に おける動態システムの検討─法的評価の構造と方法に関する序章的考察」(法 学論叢138巻1=2=3合併号,208-298頁)の中国語訳を公表した5。これは、 中国国内で「動的システム論」を紹介する早期文献の一つとされる。 Ⅱ 講演の内容  本講演は、このような解教授の法学方法論への問題関心や比較法研究の展開 を背景に、中国民法学の現状、その法継受の特徴や直面している課題などを明 快に考察したものである。本講演の内容で特に注目すべき点を挙げるとすれば、 以下のようになろう。  第一に、中国における「動的システム論」の流行は、単なる海外の研究動向 や特定の研究者の影響ではなく、現実の事情に沿って柔軟に法を解釈すべきと いう従来からの支配的な理念と合致しているがゆえであるということである。 このことは、政策判断や、多様な主体の意見に影響されやすい中国の法学・司 法のあり方と関係している。近時法解釈学を重視する傾向が見られる中国の民 事法領域も例外ではない。  第二に、近時の中国における「動的システム論」の受容において中心的関心 2017年第2期41頁以下 4 代表作として、『法政策学-有关制度设计的学问』(法政策学─制度設計に関 する学問)环球法律评论(中国政法大学)2005年2期;『论学者在案例指导制度 中的作用』(判例指導制度における学者の役割について)南京大学学报(中国南 京大学)2010年2期;『正当化视角下的民法比较法研究』(「正当化」の視点から みる民法比較法研究)法学研究(中国社会科学院)2013年6期。 5 山本敬三=解亘(訳)『民法中的动态系统论』「民商法论丛23卷」香港金桥文化 出版有限公司,2003年 講   演 [75] 北法69(1・130)130 となっているのはまさに解釈の柔軟性であり、本来「動的システム論」の柱で ある基準価値の所在が軽視されがちであるということである。「動的システム 論」に言及する中国の研究者の議論において、「動的システム論」といわゆる「利 益衡量論」とを同一視する傾向が強いことがその証左である。この一つの背景 として、日本の「法解釈論争」のような、リアリズム法学に対する反省的検討 を経験して来なかったことが挙げられている。判断の柔軟性を求めるこうした 傾向に対して、中国民法学がいまだに有効な対抗手段を習得していないことも 指摘されている。  第三に、「社科法学」という名で近年急速に広がっている、経済学や心理学 など社会諸科学と法学との学際的研究が、「動的システム論」の浸透に拍車を かけたということである。この点に関する教授の見解は講演の最後で簡単に述 べられているが、この問題は中国に限らない。日本においても、経済学、心理 学、神経科学などと実定法学との連携が進んでおり、改めて動的システム論の 射程がアクチュアルな問題として立ち現れてくるはずである。 Ⅲ 質疑応答  講演の後、参加者と報告者の間で1時間以上の質疑応答が行われた。以下に、 その主な論点をまとめる。  第一に、「動的システム論」の評価とその流行の背後にある社会的環境につ いてのものである。最初、日本が経験した第一次法解釈論争や第二次法解釈論 争を参照しながら、「動的システム論」の基盤である(と思われる星野英一教授 流の)「価値のヒエラルヒア」の体系化の可否、さらには「動的システム論」の オリジナリティについての質問がなされた。これに対し、解教授によれば今回 の講演の主眼は本来の「動的システム論」からかけ離れた展開を見せている中 国の理論状況の批判的検討であり、「動的システム論」自体の妥当性は括弧に 入れられている。とはいえ、東アジア、とりわけ日本と中国における法継受に 共通する社会的・歴史的基盤が、概念法学よりもむしろ法の外にある社会規範 や利益を取り入れる「動的システム論」への関心を導いている面もあるのでは ないかとの指摘もなされた。また、国や時代の背景といったファクター以外に、 分野の特性も「動的システム論」の受容に影響を与えるという指摘もあった。 具体的に、「産業の発展」といった明確な目的があり、原理の衝突が少ない特 許法の分野からみる「動的システム論」の評価は民法学のそれと異なり得ると 動的システム論(Bewegliches System)をめぐる誤解または過大評価:中国法の動向 [76]北法69(1・129)129 いうことである。  第二に、中国における「動的システム論」の効果との関係で、裁判官や法学 者の反応についての質問が集中した。特に「動的システム論」を扱う中国の学 者が持っている問題意識や、「動的システム論」が裁判官の裁量にいかなる影 響を与えるかという点である。解教授によれば、中国の裁判官は裁量の拡大に 対して消極的であり、裁判の運営にとって「動的システム論」の考え方が過剰 な負担をもたらす可能性があるという。また、教授は、中国では、「動的シス テム論」が、裁判官が判決理由を正当化する局面ではなく、立法過程での利益 調整や当事者の説得という局面で使われつつあることを指摘した。このことは、 日本の学者にとって、やや不思議なもののように思われるかもしれない。ただ、 「動的システム論」の流行の背景には、中国の司法過程が、紛争の正しい解決 策を導くことよりもしばしば秩序維持の観点から訴訟当事者や世論の不満に対 処するという立場をとっているという事情があることに留意すべきである6。  以下では、解亘教授の意思を尊重し、当日の講演原稿(日本語)をそのまま 再現する形をとっている。また、本講演に関わる研究をより詳しく紹介するた め、講演の元となる論文の共著者であり、北海道大学大学院博士課程の OB で もある班天可講師(復旦大学法学部)に補足コメント論文を執筆して頂いた。 このコメントは、近時のドイツ・オーストリアにおける動的システム論の展開 に関するものである。その詳細は、解亘=班天可「被高估和被误解的动态系统论」 法学研究(2017年第2期、中国社会科学院)の一部としてすでに公表されている。 6 裁判の社会的・政治的機能を重視する近時の中国司法のあり方について、以 下の翻訳論文(日本語)がある:呉英姿=坂口一成(訳)「リスク時代の秩序再 建と能働司法」新世代法政策学研究 Vol.14(2012)71頁以下、呂芳=徐行(訳)「幾 つかの裁判例からみる法院の裁判における法的効果と社会的効果の統一」同誌 97頁以下。これらの論文は、いずれも「社会的効果の重視」を標榜する中国司 法の特徴を指摘するものである。呂論文によれば、「社会的効果」は「特定の社 会環境と社会利益に結びついて考慮し、現実と法律との間で切り口を探し出し て、合法、合情、合理かつ公平な解決方法を見出す」ことを指すという。「社会 的効果」といった議論の歴史的経緯について、宋亜輝「追求裁判的社会效果: 1983-2012」(裁判の社会的効果を求めて:1983-2012)法学研究(中国社会科学院) 2017年5期18頁以下。 講   演 [77] 北法69(1・128)128 「動的システム論(bewegliches System)」をめぐる誤解 または過大評価:中国法の動向7 解     亘  Ⅰ.はじめに  動的システム論は、オーストリアの学者である Walter Wilburg 教授によっ て主張された法学方法論であるが、中国で紹介されてからの歴史はさほど長く ない。報告者は、2001年に、山本敬三教授のご論著「民法における動的システ ム論の検討」を中国語に翻訳し、公表した。公表された当初は、同書で紹介さ れた動的システム論の影響はほとんど見られなかった。しかし、時間が経つに つれて、動的システム論の影響力は次第に強くなりつつあり、近年、当該理論 はもはや有力な方法論として主張され、利用されつつある。とりわけ、「ヨー ロッパ不法行為法原則」(PETL)の公表を契機に、中国の民法学界における動 的システム論の人気は、急騰し始めている。その主な理由として推測されるの は、PETL は動的システム論を駆使して草案が起草されたという理由である。 具体的に、PETL においては保護される利益の範囲(2:102条)、注意義務の 判断(4:102条)ないし責任の範囲(第3:201条)について、動的システム論が 採用されている。ヨーロッパ不法行為法起草グループが動的システム論を指導 的方法論とする理由は、グループのリーダーである Helmut Koziol 教授自身、 動的システム論の主な継承者および提唱者であったところにある。  最近、PETL をめぐるいくつかの研究論著が中国語に翻訳された。動的シス テム論の誕生を象徴する文献であり、また1950年に Walter Wilburg 教授のグ ラーツ大学学長就任の際に行われたスピーチである、「民法における動的シス テムの展開」も中国語に翻訳され、公表された。  今日、中国の権威ある法学雑誌で動的システム論に言及した論文は数多く見 られる。2016年12月現在、CNKI という中国最大の学術サイトに「動的システム」 をキーワードとする論文は73本ある。これらの論文には動的システム論を支持 する文献が圧倒的に多く、そのうち、いくつかの論文は、動的システム論を主 7 本講演は、解亘=班天可「被高估和被误解的动态系统论」法学研究2017年第2 期を改編したものである。 動的システム論(Bewegliches System)をめぐる誤解または過大評価:中国法の動向 [78]北法69(1・127)127 なツールとして、解釈論および立法論を展開している。  まず、解釈論の展開を概観しよう。  動的システム論をもって、実定法上の一般条項、さらには固定的構成要件を もつ規範を動的に再解釈することは、ときにはルールの脱構築を意味するとい う指摘がある。たとえば、尚連傑氏は、情報の重要性、公開可能性、期待され る合理性および信頼の緊密度という四つの要素で構成された動的システムに よって、契約締結の段階における説明義務の有無とその程度を判断すべきであ る、という8。解釈論レベルの利用は、規範に含まれるある要件を対象とすると いう考え方もある。たとえば、葉金強氏は、不法行為法における損害賠償の範 囲について、「具体的な事案で侵害された利益の要保護性、侵害行為が正当化 された程度、因果関係上の寄与度、過責の程度などの要素の総合的考量で損害 賠償の範囲を決めるべきだ」と主張している9。このほか、風俗違反行為によっ て他人に被害をもたらした、いわゆる純粋な経済的損失の判断について、於飛 氏は、「動的システム論を指導理論とし、わが国の判例をていねいに分析した うえで、類型化作業を行う」ことが望ましいとしている10。不法行為の要件であ る過失については、李中原氏は、「実務における『法律上の予見可能性』および 過失の判断は、全体的には依然として各要因の範囲、程度およびウエイトなど に対する総合的な動的評価という形で現れよう」と述べる11。さらに、即時取得 の判断について、呉国喆氏は、「真の権利者の帰責可能性」と「第三者の善意」 という要素の協働によって要件判断の弾力化を図るべきであるという12。なお、 周曉晨氏は、最近、動的システム論をもって不法行為法における過失相殺制度 の再構成を試みている13。  次に立法論の展開を概観しよう。 8 尚連傑「締結過程中説明義務的动動态体系論」法学研究2016年3期250-251頁。 9 葉金強「論損害賠償範囲的確定」中外法学2012年1期155頁。 10 於飛「違背善良風俗故意致人损害与純粋経済損失保護」法学研究2012年4期 57頁。 11 李中原「論侵権法上因果関係与過错的競合及其解決路径」法律科学2013年6 期103頁。 12 呉国喆「善意認定的属性及反推技術」法学研究2007年6期25頁。 13 周晓晨「過失相抵制度的重構─動态系統論的研究路径」清華法学2016年第4 期113-128頁。 講   演 [79] 北法69(1・126)126 これについて、大半の研究は、不法行為法領域に集中している。その理由は、 中国における不法行為法の立法作業は PETL が公表されてから間もなく展開 されたところにあるといえる。中国の不法行為法の起草作業の過程において、 Wilburg が提唱していた不法行為法モデルおよび PETL の影響を受けて、王 洪亮氏は動的システムに基づく立法モデルで過失責任と危険責任との融合を力 説する。このような立法モデルは、過失責任と危険責任という全く関係がない ように見える制度を有機的に、シームレスに結べるからであるという。そして、 中国法については細部にわたるよりも大づかみに規定するほうが無難であると 見られており、動的システム論に基づいて作られた不法行為法はまさにアジア 社会、とりわけわが国に適合するだろう、とも述べている14。このような立法 論レベルの判断は、固定的な構成要件を持つ規範と動的システムとが対置する 図式を前提としている。これに対して、同じく無過失責任に対する関心をもつ 葉金強氏は、不法行為の中で危険責任の考え方を取り入れることを主張してい る。すなわち、過失責任と同様に、危険責任については一般条項において動的 システム化された立法モデルを採用し、考慮すべき要素を可能な限り明文で列 挙し、加えて特別法において具体化されたルールをも設けるべきであるとす る15。謝鴻飛氏は、さらに一歩進めて、民法典の立法テクニックについて全面 的な動的システムを採用すべきであると主張している。論者による、「抽象的 な規範モデルの利点は簡明さにあり、そして簡明であるため法規範の開放性や 解釈の可能性が極めて高くなる一方、効果面においては安定性が低くなってし まう。それに対して、決疑論的なスタイルの利点は細かさにあって、法的安定 性が高い反面、体系化の程度が低く、それによって作られた法典は法典の名前 だけで、法典として持つべき体系的な効果は期待できない。したがって、わが 国の民法典は折衷的な視点から、弾力的なモデルを採用したほうが良い」とさ れる16。この見解は、すべての規範を動的システムにすべきだと主張している わけではないが、急進的と言わざるを得ない。民法典編纂作業の推進につれて、 立法論レベルにおける動的システム論の主張はますます多くなるだろう。 14 王洪亮「侵権帰責標準与責任前提」清華法律評論4卷1輯54頁以下。 15 葉金強「風険領域理論与侵権法二元帰責体系」法学研究2009年2期49頁、55頁。 16 謝鴻飛「中国民法典的生活世界、価値体系与立法表達」清華法学2014年6期 32頁。 動的システム論(Bewegliches System)をめぐる誤解または過大評価:中国法の動向 [80]北法69(1・125)125  以上、中国における動的システム論の継受状況を概観した。きわめて簡略的 だが、法学方法論としての動的システム論は、ますます多くの民法学者の共感 を得ていることが明らかである。動的システム論は万能な方法として、どんな テーマをも扱うことができそうだ。今後、立法と実務の両面に影響を及ぼすこ とが予測される動的システム論の継受は、中国民法学界にとって軽視できない 出来事であろう。しかし、中国におけるこのような熱意は、日本側のやや冷や やかな態度とは対照的である。今まさに、一旦足を止めて、この傾向を慎重に 振り返ることこそ、これからの歩みを歪ませないということにつながるであろ う。中国における動的システム論の理解において誤解はないのか。過大評価は ないのか。本稿の問題意識はこれらにある。  通常の学術批評は、ある学者のある論文またはシリーズ論文を対象とするが、 本稿は中国における動的システム論継受の全体状況を対象とするため、なるべ くミクロ的な検討を避けて、複数の学者による異なるテーマの論文に焦点をあ てて、パノラマ的な観察を行う。その際、基本的に諸論者によって主張された 見解の当否に対しては判断を控える。 Ⅱ.動的システム論の位置付けとその特徴  動的システム論とは、「一定の法領域において働きうる諸『要素』を特定し、 それらの「要素の数と強さに応じた協働作用」に基づき、法規範ないし法的効 果を説明または正当化するという考え方」である17。以下、中国における学術継 受を検討する前に、動的システム論の内容を簡単に確認しよう。 1.動的システム論の位置づけ (1)法学方法論  まず、動的システム論は法解釈ないし立法に関する方法論であって、法律行 為の解釈方法論ではない。したがって、法律行為の解釈については、動的シス テム論を用いる余地はない。まれではあるが、継続的契約を動的システム論と 結び付ける見解18がある。こうした見解は、継続的契約における当事者間の債 17 山本敬三「民法における動的システム論の検討」法学論叢138巻1・2・3合 併号(1995)208頁以下。 18 屈茂輝=张紅「継続性合同:基於合同法理与立法技術的多重考量」中国法学 講   演 [81] 北法69(1・124)124 権債務が次第に形成されるという契約内容の動的な形成を動的システム論にお ける「動的」と理解していると考えられるものであるが、動的システム論にお ける「動的」という用語は、通時的なプロセスを表現するものではなく、むし ろ規範の基礎にある諸要素間の協働関係を意味する。これは共時的な評価プロ セスであって、諸要素がともに働く。 (2)評価の枠組み  Wilburg が動的システム論を確立する時期に直面していた法律学の危機的状 況は、「精緻な概念法学を基礎とした伝統的な体系と自由な法発見」という潮 流の対立であった。前者は過度に硬直的で、激しく変化する現実に応えられず、 個別的な正義を確保できない。それに対して、後者は恣意的裁判の危険にさら され、法の安定性を脅かす。このような状況で、動的システム論は最初から両 面作戦を展開しなければならなかった。すなわち、概念法学の硬直性は克服す べきであるが、他方で、自由法学の恣意性も克服しなければならない。 Wilburg のこのような問題意識は評価法学における基本認識と一致するため、 動的システム論は評価法学のバージョンの一つであると確認できよう。  しかしながら、中国において動的システム論が支持される理由は、評価法学 であるという性質決定がなされたことではなく、動的システムが効果において 柔軟性をもちうることにあり、評価のプロセスをコントロールするという動的 システムのもう一つの側面は看過された。しかし、弾力的な効果を目標とする なら、自由法学はもっと優れているのではないか。ひたすら弾力的な法的効果 を求めるとすれば、再び自由法学の陣営に復帰しかねない。この点については、 後述する。  むろん、動的システム論がもつ評価法学の遺伝子に十分に留意した学者もい る。たとえば、葉氏は、「評価法学は開放的な姿勢で、倫理的判断を適時に導 入し、基礎レベルにおける価値判断の妥当性を求め、もって価値の安定性を基 礎に法的安定性を再び実現した」と述べている。しかし、そこで強調されてい るのはやはり法的安定性のみである。法的安定性はむろん重要だが、評価法学 がもっと直視すべきなのは、評価そのものに合理性があるかどうかという問題 であろう。ある議論が合理的かどうかを判断する最も重要な基準は、反論可能 性であり、中国における動的システム論の継受においては、この側面への関心 2010年4期29頁脚注28。 動的システム論(Bewegliches System)をめぐる誤解または過大評価:中国法の動向 [82]北法69(1・123)123 が薄いと言わざるを得ない。  上記のような現象が起こった根本的な原因は、中国の民法学界においては、 日本民法学界が経験した法解釈学論争が起こって来なかったというところにあ ると考えられる。とりわけ、利益衡量または利益考量を代表とする利益法学的 な法学方法論に対する深刻な反省は、中国民法学界にとって未経験のものであ る。動的システム論を紹介する中国語の文献を詳しく読むと、二つのバージョ ン、すなわち、オーストリアやドイツから輸入されたヨーロッパ版と日本版が みられる。ニュアンスの違いは、自由法学に対する反省がより強調されたかど うかという点である。この点について、戦後日本における法解釈論争を多少把 握できた者にとっては、その理解はさほど難しくない。戦後日本における法解 釈学の歩みを一言でまとめると、リアリズム法学の影響力が増大してきた過程 であった。すなわち、法解釈は価値判断が伴う実践であるという認識から出発 して、裁判に影響する心理的な要素の役割をますます重要視する代わりに、価 値判断の基礎づけを軽視し、言い換えれば法律構成を軽視していた。このよう な傾向はやがて、法律家たちに深く影響を及ぼした利益衡量論または利益考量 論にまで至った。加藤一郎博士が主張していた利益衡量論によれば、紛争に直 面する裁判官は、まず実定法による拘束から自己を解放して、対立しあう利益 を比較し、衡量した上で、妥当な結論を見出す。その後、結論に法的な衣を着 せる。星野英一博士が主張していた利益考量論は、紛争に適用される規範から 出発して、当該規範が適用される社会問題を類型化して、相互間の利益状態を 明らかにする。複数の解釈があれば、どの解釈によってどのような利益が保護 され、どのような利益が犠牲にされるかを明らかにして、最終的に価値のヒエ ラルキーによって解決案を決定する。  しかしながら、衡量あるいは考量される利益や価値は閉鎖的でないのみなら ず、法解釈の客観性を確保するための価値のヒエラルキー自体も存在しない。 仮に、誰にも否認できない終局的な価値があるとしても、このような価値は具 体的な法解釈には意味を持たないだろう19。そして、これらの方法論は発見の プロセスと正当化のプロセスを区別しないため、展開された法解釈には反論可 能性が失われてしまう。このような状況に対して、平井宜雄教授は法解釈に関 する論争を起こした。平井教授は認識論と議論論の洞察によって、法的推論の 19 平井宜雄『法律学基礎論の研究』有斐閣(2010)124頁(初出1989年)。 講   演 [83] 北法69(1・122)122 重要性を再発見すべきであると主張する。平井教授によれば、法実践はその他 の理性的世界における言説と同様に、発見のプロセスと正当化のプロセスが区 別されるべきである。そのうち、発見のプロセスは把握できないが、真の意味 があり、かつ法実践の理性を確保する意味のあるのは、正当化のプロセスであ る。このプロセスにおいて、言明は理性のある議論によって言明の反論可能性 を確保する。良い法律論の判断基準は、反論可能性の有無と程度である。動的 システム論が一般化されて日本に導入されたときは、ちょうど平井教授の議論 が日本で強い共感を得た時期であったため、新たな意味合いが不可避的に寄せ られた。山本敬三教授はその論文の冒頭に動的システム論の位置づけを明言し た。それによると、動的システム論は平井教授による戦後解釈論における非合 理主義的傾向への清算を出発点とし、「議論」をなり立たせるための共通の枠 組みを設定するための「方法」である。  このような特殊な歴史を持つからこそ、日本バージョンの動的システム論に おいては、評価プロセスに反論可能性の有無が強調される。しかしながら、ヨー ロッパのような概念法学から自由法学へ、さらに自由法学から評価法学までの 歴史段階は中国民法学界にははっきりした形で表れていない。むしろ概念法学 の歴史段階を経験していないにもかかわらず、利益衡量が依然として主流の法 学方法論として積極的に評価されている。20利益衡量という方法に対する批判 は多少見られるが、民法学界におけるような共通認識にはいまだに至っていな い。現在、動的システム論における評価の枠組みという側面を強調する意義は、 法的効果の弾力化を強調するそれよりも大きいであろう。だが、学術継受の状 況からみれば、この点は動的システム論に与する論者たちにも認識されていな い。それどころか、一部の学者は動的な特徴を強調しすぎるため、意識的では ないにせよ、動的システム論と利益衡量論との間にニアリーイコールを置いて いるのである。21 20 たとえば、梁慧星「電視節节目予告表的法律保護与利益衡量」法学研究1995 年2期、梁上上「利益的層次結構与利益衡量的展開──兼評加藤一郎的利益衡 量論」法学研究2002年1期。 21 たとえば、王雷「論情誼行為与民事法律行為的区分」清華法学2013年6期171 頁、王雷「見義勇為行為中受益人補償義務的体系效応」華東政法大学学報2014 年4期91頁。 動的システム論(Bewegliches System)をめぐる誤解または過大評価:中国法の動向 [84]北法69(1・121)121 (3)正当化の方法  発見のプロセスと正当化のプロセスとの区分は、中国において哲学や法理学 における共通認識となっている。  概念法学は自由法学や利益法学とは立場がまったく異なるが、発見のプロセ スと正当化のプロセスを区別しないという点で、これらの法学との間に共通の 間違いが見られる。両面作戦をしようとする以上、法的効果の弾力化を求める と同時に、動的システム論は法的評価の合理化をも求めなければならない。合 理化という目標の達成は正当化のプロセスに焦点を当てて、法的評価のプロセ スを可視化するしかない。動的システム論は「『要素の数および強度に相応す る協働作用』によって法規範と法的効果を説明し、正当化する」ものである。 これはまさに正当化の方法にほかならない。  それでは、動的システム論は正当化の方法であるとともに、発見の方法であ りうるのか。動的システム論は法解釈者にガイドラインを提供しているように 見える。しかし、答えは否である。動的システム論は衡量するための因子ない し各因子のウエイトを提供するが、法解釈者が決まった公式に従って具体的結 論を導き出せるという保証がない。法的効果の獲得は、本質的には発見という 把握が不可能に近いプロセスなのである。あたかも固定的構成要件を持つ規範 は、法解釈者がかかる要件に従って結論を見出すということを保証しない。こ れでは、法解釈者は流れ作業のラインで働く生産者になってしまうのではない か。法解釈に対する理解も再び概念法学時代に戻りかねないのではないか。 2.動的システムの位置づけ  立法論のレベルにおいては、動的システムは法的効果の弾力性問題について、 固定的な構成要件システムと一般条項の「中間の道」を行く。完全な動的シス テムによって設けられた規範は、通常一般条項と同様に射程が長い。そのため、 時には一般条項とも名付けられる。例えば、王利明氏は PETL において動的 システムモデルで設けられている損害に関する規範(2:102)を「一般条項」と 称する22。前述したように、葉金強氏は危険責任につき動的な一般条項の設立 を主張しているが23、そこにおける「一般条項」もこういう意味で使われている 22 王利明「侵権法一般条款的保護範囲」法学家2009年3期24頁。 23 葉金強・前掲(15)55頁。 講   演 [85] 北法69(1・120)120 ものと思われる。固定的構成要件システムに比べて、動的システムに基づく規 範の適用はより弾力的であるから、法的効果は具体的な事案で正義にかなう可 能性が高いかもしれない。それに対して、一般条項に比べて、動的システムは 裁判の恣意性を回避できるのみならず、より高い反論可能性をも保証できる。 これこそ、PETL が動的システム論に基づく立法モデルを採用した主な原因か もしれない。逆にいうと、動的システムは固定的構成要件システムに比べて法 的安定性を確実に保証できないが、一般条項に比べて裁判による法形成を制約 することとなる。前者については、動的システム論を支持するヨーロッパの学 者たちも認めているところである。  動的システム論に対するわずかな疑問は、法的安定性と裁判官の能力への憂 慮に由来する。王利明氏は、PETL2:102が損害を定義する方法に反対する理由 につき、「この条文は抽象的すぎる。PETL における一般条項はフランス民法 典1382条から発展してきたものであるが、損害範囲と類型の判断をもっぱら裁 判官に委ねるため、裁判の統一性を損ないうる。そして、抽象的な損害の概念 は不法行為と契約という全く違ったルールシステムをも区別できず、不法行為 法による保護範囲を真に定めることができない」24と指摘した。Kziol 教授が動 的システム論に基づく立法で純粋な経済的損失をめぐる問題を解決しようとす る考え方に対しては、葛雲松氏は、「その複雑さと弾力性は、現在中国の裁判 所が理解できる範囲を大きく超え、わが国における政治および司法に関する伝 統にも適合しない」と述べている25。  繰り返しとなるが、動的システムがもたらす弾力性は一般条項がもたらす弾 力性より小さい。もし動的システムによる不確定性を危惧するならば、固定的 構成要件システムに戻るしかない。純粋な経済的損失の補填について、葛雲松 氏は、ドイツ法のような固定的構成要件システムに傾く26。それに対して、王 利明氏は、一方で法の適用における不統一を恐れ、動的システムをもって損害 に関する規範を設けることに反対し、他方では権利以外の利益の保護に関する 問題で、PETL のやり方に賛成するが、自己矛盾の印象を与えなくもない。 24 王利明=周友軍=高圣平『中国侵権責任法教程』,人民法院出版社2010年版77 頁。 25 葛雲松「純粋経済損失培養与一般侵権行為条款」中外法学2009年5期730頁。 26 同上730頁。 動的システム論(Bewegliches System)をめぐる誤解または過大評価:中国法の動向 [86]北法69(1・119)119  以上のような消極的な立場に対して、前述したように、謝鴻飛氏は、全面的 な動的システムによる立法論をとっている。しかしながら、ひたすら「細部に わたるよりも大づかみに規定するほうが無難である」と強調するならば、動的 システムよりさらに「大づかみ」な一般条項がより望まれるという結論になる のではないか。  従って、立法論において動的システムの長所と短所は相対的であって、絶対 視してはならない。 Ⅲ.動的システム論の柱  動的システム論は二本の柱によって支えられる。 1.要素 (1)要素の協働  動的システムにおける「動的」特徴とは、法規範または法的効果は「要素の 数と強さに応じた協働作用」によって決まるということである。ここにおける 「協働」とは、要素と要素は補完が可能であることを意味する。Wilburg は「諸 要素の協働作用という観点から評価の枠組みを形成し、それによって実生活の 必要にこたえる可能性を開くとともに、そこになお一定の原則性を確保しよう としたのである」27と指摘した。要素甲と要素乙が充足度を補いあえる理由は、 要素の裏に原理が存在しているからである28。敷衍すると、ある問題に関して、 複数原理が妥当する。これらの原理は価値面で重なる場合もあれば、互いに制 約しあう場合もある。前者の場合には、要素甲の充足は要素乙の充足を意味す る。これに対して、後者の場合には原理間の相互補完性が現れる。原理は最適 な命令である以上、妥当する原理がいずれも最大限に充足しなければならない。 原理は制約しあう場合には衡量を行わなければならない。要素甲の充足度を制 限するのは、制限しあう要素乙の充足を図ろうとするためである。  しかしながら、中国においては、この点を意識していない学者がいる。ある 学者は法的効果の弾力性を求めるため、協働の主語を「要件」に置き換えている。 例えば、冉克平氏は、権利者の名前を名乗って不動産を無断で処分する行為の 27 山本敬三・前掲(17)213頁。 28 山本敬三・前掲(17)2048-251頁。 講   演 [87] 北法69(1・118)118 効果を検討する際に、抽象論として「固定的構成要件モデルの弊害を克服する ため、構成要件の協働作用という観点から評価の枠組みを形成し、実生活の必 要にこたえる可能性を開くとともに、一定の原則性を確保しようとする」29と 主張している。ここでは、山本敬三教授の表現が引用されているが、そのうち 「要素」という表現はいつの間にか「要件」に置き換えられた。葉氏の初期論文 にも「要件の協働」が見られる。すなわち、「当該問題を解決する可能なルート は、個別事案において重要な要素に法的効果に影響を及ぼす機会を与え、法的 効果の弾力化を図る。ここでは、個別事案における重要な要素の取り入れは、 実はすでに要件の構成に関わるため、効果の弾力化はすでに要件の弾力化につ ながり……要件の動的化は二つの場面で現れる。一つは要件判断における孤立 モデルの放棄であって、複数の要件を総合的に判断することとなる。孤立モデ ルにおいては、各要件は独立しあい、いずれの要素の判断結果も法的効果の有 無を左右する。それに対して、総合判断モデルにおいては、各要件の総合考量 が強調される。すなわち、各要件の充足度を総合的に計算し、よって法的効果 を決めるわけである。そこでは、要件の設定自体は法的テクニックに過ぎず、 個別的な事案の結果は全体的な評価の結果であるべきである。異なる要件は通 常衝突しあう主体間に異なる正当な利益訴求を反映するが、それらを切り離し て、取捨選択の努力を放棄することは私法の衡平な目標から離れることになる。 複数の要件を総合的に判断することは、各要件の充足度を十分に考慮に入れる ことができる」30。  しかし、要件の協働はなぜ可能なのか。この点は理解しにくい。葉氏早期の 主張にははっきりしないところがある。彼によれば、「要件の協働はもう一つ の側面がある。つまり、各要件の裏にある要素を引き出して検討を加え、よっ て要件の裏にある要素を浮き彫りにし、全体的な総合考量の枠組みに取り入れ て評価を行う。このようにして、結論の妥当性は要件の設置という技術的な措 置による破壊から救われるし、評価活動も元の状態に復帰できる。要件の協働 は個別事案におけるファクターをできるだけ多く吸収でき、個別事案において 考慮されるべき要素を法的視野に入れるパイプを提供する。個別的事案におい 29 冉克平:「論冒名処分不動産的私法効果」中国法学2015年1期82頁。 30 葉金強「私法効果的弾性化機制──以不合意、錯誤与合同解釈為例」法学研 究2006年1期105-106頁。 動的システム論(Bewegliches System)をめぐる誤解または過大評価:中国法の動向 [88]北法69(1・117)117 て考量されるべきファクターがすべて適切に評価されたとき、個別的な正義の 実現は水のように自然に流れるであろう」31。ここでは、要件を脱構築して、徹 底して要素の次元に遡って取捨選択を決めるように見受けられる。葉氏のその 後の研究はこの曖昧さを克服し、要素という次元の協働という立場に移った32。 (2)要素の限定性  立法論レベルにおいても解釈論レベルにおいても、動的システム論は、極め て鮮明な特徴を有する。すなわち、評価される固定的構成要件のように all or nothing という二者択一の結果に拘束されない。固定的構成要件システムには まりすぎる適用に比べて、動的システムは規範に顕在していない要素を評価対 象に取り入れることができるため、解釈の余地を大きく広げ、法的効果の弾力 化をもたらす。したがって、評価される要素はまったく制限を受けないように 見えよう。これこそ、動的システム論が中国の学者たちに歓迎された理由だと 推測できよう。ところが、動的システム論は評価の枠組み、議論の土台を提供 するものだから、提供された枠組みや土台は安定しているものでなければなら ない。したがって、当該枠組みに評価の対象となる要素は任意に取り入れては ならず、要素は限定的なものでなければならない33。ここにおける「限定性」と は、二つの意味合いがある。一つは要素の数が制限されることである。そして、 もう一つはどういうものが要素に含まれるかについて、答えは確実である。例 え ABC であれば、同時に ABD ではありえない。さもないと、法の解釈者が 任意に新たな要素を取り入れたり、議論の当事者が異なる要素システムを占拠 したりすれば、議論は理性が欠如した信念の間の争いとなる。そうであれば、 動的システムはもはや合格した評価枠組みではなくなる。 (3)「システム」性  動的システムは要素に関するシステムとして、その体系的な性格をどのよう に表しているのか。  繰り返しとなるが、動的システム論が中国で多数の民法学者に歓迎される理 由は、その開放性にあると理解されているからである。このような個別事案に 31 同上、106頁。 32 葉金強・前掲(15)。 33 山本周平「不法行為法における法的評価の構造と方法㈢」法学論叢169卷4号 (2011)56頁。 講   演 [89] 北法69(1・116)116 おける正義を求めるために多用なファクターを考量するという方法は、どこか で見たことがある。利益衡量論または利益考量論は、まさにこのような考え方 をとっているであろう。中国において動的システム論を支持する学者の中で、 両者の違いに留意する者は少ない。一部の見解では、動的システム論と利益衡 (考)量は類語と受けられているようである。ところが、日本における法解釈 学論争をある程度了解できた人にとって、こうした認識は大きな誤りであろう。  動的システム論は平井宜雄教授が主張された法的議論に対する補強として位 置付けられる。平井理論はまさに利益考量論をはじめとするリアリズム法学方 法論が有する非合理主義的な傾向を克服するために提示されたものであるた め、動的システム論と利益衡(考)量論とは水と油の関係にあるはずである。  動的システムにおいては、ある問題の評価をめぐって、考慮されるべき要素 が限定されているし、各要素が全体においてどれぐらいのウエイトを占めてい るかも決まっている。このような評価システムはまさにある原理から基礎づけ られるものであるといえよう。具体的な法的問題の裏には可能な原理からなる 体系が存在している以上、ある領域の問題群の裏では、このような原理の体系 がいくつか絡みあって、大きな原理体系となるはずである。これはまさに法の 内的システムにほかならない。 2.基礎評価と原則例  動的システムにおいては、協働しあう諸要素の充足度が法的効果を決める。 このような意味において、動的システムは比較命題の一種である。比較命題は 通常「より多い」「より少ない」「よりありそうだ」「よりありそうでない」といっ た事柄を表現するものである。34しかし、比較命題だけでは、確実な効果が決 まらない。完全な動的システムになるため、基礎評価ないし原則例が必要とな る35。基礎評価とは、「比較の起点となる固定的なポイント」である36。ある命題 についてただ一つのファクターを考量する場合に、このファクターの充足度が 34 山本敬三・前掲(17)254頁。 35 山本敬三・前掲(17)265-266頁;前引(29)、山本周平・前掲(26)58頁以下。 36 山本周平「不法行為法における法的評価の構造と方法㈣」法学論叢169卷5号 (2011年)45頁。 動的システム論(Bewegliches System)をめぐる誤解または過大評価:中国法の動向 [90]北法69(1・115)115 T に至ったとき効果は R である37。例えば、「同時期に銀行の貸金利率が約定し た利率の四倍を超えた場合は一部無効とする」。  法的効果は複数の要素による協働作業によって決まるから、実際に複数の要 素に関わる。仮に要素 A の充足度は a1であり、要素 B の充足度は b1であって、 法的効果 R1である。このような複数の要素が変動している場合の等式を原則 例という。標準的な原則例は以下のとおりである:    要素 A *充足度 a1+要素 B *充足度 b1=法的效果 R1  動的システム論に従って法解釈を行う際に、このような原則例があったとき に、初めて確実な効果を導き出すことができる。もちろん、実際の法律命題は 精確な数値を与えられないが、たとえば「加害者に軽度な過失があり、しかも その行動が中度の危険をもたらす恐れがある場合、加害者は損害賠償を負わな ければならない」のように相対的に精確なものであれば、もう十分である。  基礎評価と原則例は通常立法者によって与えられるが、明文化された規定が ない場合には、判例や学説によっても与えられうる38。  ところが、中国で見られる動的システム論の応用は、ほとんど基礎評価ま たは原則例に言及していない。例えば、動的システム論をもって過失相殺を 再構成しようとする周曉晨氏は、最高裁判所が鉄道運輸における人身損害賠 償事案に関する司法解釈においてなされた努力39にマイナスの評価を与えてい 37 山本敬三・前掲(17)265-266頁。 38 山本周平「不法行為法における法的評価の構造と方法㈤」法学論叢169卷6号 (2011年)47頁。 39 当該司法解釈第8条:  鉄道運輸で行為無能力者の人身に損害を与えた場合に、運輸企業は賠償責任 を負わなければならない。後見人に過失があった場合に、過失の程度に従って、 運輸企業の賠償責任を軽減する。ただ、運輸企業が負担する責任は全損害の五 割以上でなければならない。  鉄道運輸で行為制限能力者の人身に損害を与えた場合に、運輸企業は賠償責 任を負わなければならない。後見人に過失があった場合に、過失の程度に従っ て、運輸企業の賠償責任を軽減する。ただ、運輸企業が負担する責任は全損害 の四割以上でなければならない。 講   演 [91] 北法69(1・114)114 る40。  立法論においても解釈論においても、動的システム論を利用する際に、基礎 評価または原則例を看過すると、設計された法制度であれ法解釈であれ、確実 な法的効果が導き出せず、比較命題の次元に足を止めることになる。このよう な利用は、衡量される対象の拡大に限られる。例えば、尚連傑氏は契約締結の 段階において当事者が説明義務を負うか否か、そして負うとした場合にどの程 度の説明義務を負うかという問題に尽くした努力は、我々の視野を大きく広げ たが、原則例が付け加えられていないため、個別事案において、法的評価をい かにコントロールするかという問題が残っている。そして、前述したように、 葉金強氏は、危険責任について一般条項において動的システム化された立法モ デルを採用し、考慮すべき要素を可能な限り明文で列挙し、加えて特別法にお いて具体化されたルールをも設けるべきであるとする。「特別法」としての具 体化されたルールが強調される以上、かかるルールは「一般条項」に含まれな い規範でなければならない。このような規範は「原則例」という役割を演じら れない。  このような意味で、一般条項モデルのもとでは、一般条項の射程内に具体化 したルールを設けることは積極的な意義があろう。このようなルールは特別法 ではなく、基礎評価または原則例なのである。残念ながら、中国不法行為法(侵 権責任法)に特別法と考えられないいくつかのルール、例えばネット役務の提 供者責任に関するルール(36条)41、安全保障義務に関するルール(37条1項)42、 40 周晓晨・前掲(13)。 41 36条:ネットの利用者、ネット役務の提供者はネットを通じて他人の民事権 益を侵害した場合に、不法行為責任を負うべきである。  ネットの利用者はネット上の役務を通じて不法行為を行った場合に、被侵害 者はネット役務の提供者にリンクの削除、遮断ないし切断等必要な措置をとる よう通知することができる。ネット役務の提供者は通知を受けた後に遅滞なく 必要な措置をとらなかった場合に、拡大された損害について当該ネット利用者 と連帯責任を負う。  ネット役務の提供者はネット利用者がその役務を通じて他人の民事権益を侵 害していることを知り、必要な措置をとらなかった場合に、当該ネット利用者 と連帯責任を負う。 42 37条1項;旅館、商店、銀行、駅、娯楽場等の公共場所の管理人、または大 動的システム論(Bewegliches System)をめぐる誤解または過大評価:中国法の動向 [92]北法69(1・113)113 医療機関の責任に関するルール(57条)43などは、このような役割を担えない。 なぜなら、これらのルールは不法行為法の一般条項から演繹されやすいからで ある。 Ⅳ.動的システム論の限界性  以上、中国民法学界における動的システム論に対する誤解を明らかにするこ とができた。一言でいうと、中国においては、法的効果の弾力性が過度に求め られたため、動的システムが議論の場としてもつ反論可能性という機能が看過 されてしまった。このような誤解は立法論と法解釈論を自由法学の陣営に頼っ ていく危険性を孕み、実務における理性を損なう恐れがある。  それでは、もし誤解が一掃されれば、動的システム論は大きく期待されうる か。残念ながら、答えは否である。その根本的理由は動的システム論の限界性 にある。  動的システム論の限界性については、オーストリアやドイツの学者から既に 数多く指摘されている。日本語の文献では、山本敬三教授の論文や山本周平准 教授の論文にも多く触れられている。まず、法的安定性の確保が疑問視されて いる。そして、その適用範囲をめぐっても、争いがある。  ここでは、動的システムの体系性のみを検討する。  前述したように、動的システムは要素と基礎評価または原則例という柱に よって支えられる。これらの柱によって、議論の展開に可視的かつ反論可能な 場が提供される。しかしながら、これらの柱は丈夫なものではなさそうだ。 1.要素の不確実性 (1)要素体系の不確実性  動的システムは要素の確実性を前提とするが、この前提自体は自明なものと は限らない。  要素体系には要素の優先度限定性の二面があるが、この両面どちらにも不確 衆イベントの主催者は、安全配慮義務を尽くさずに他人に損害を及ぼしたとき に、不法行為責任を負うべきである。 43 57条:医者は診療活動において当時の医療水準に相応する診療義務を尽くさ ずに、患者に損害を及ぼしたときに、医療機関が賠償責任を負う。 講   演 [93] 北法69(1・112)112 実性の問題が存在する。  Bydlinski と Canaris はいずれも要素の限定性を主張しているようである。 しかし、このような限定は所与の前提とは限らないため、議論の場で争われる 可能性がある。  要素の不確実性をもたらす根本的な理由は、内的システムの不確実性にある。 内的システムは外的システムと違って、きちんとした形がないため、つかみど ころがない。そのため、内的システムとはどのような内実を有するかをめぐっ て、共通認識ができていない。ある問題領域について、どのような原理が妥当 し、そしてどういう関数関係で絡んでいるかという問題について、法律共同体 には常に争いがある。このような前提で、合理的な議論は果たして行えるか。  こうした欠陥は PETL すら回避できなかった。PETL の起草者は動的シス テム論を駆使して PETL を起草したが、各規範にも要素のウエイトが明文で 規定されていない。Koziol 教授も PETL 中国語版の序文にこのように述べて いる。すなわち、「3:201条により確立された責任と賠償範囲は以下の要素に よって決まる。予見可能性、法によって保護される利益の性質と価値、責任の 基礎、生活における通常のリスク、違反された規則の保護目的など。この規定 は満足できるものではないが、各要素の意義と重要性が表明されなかったから である」44。そして、PETL がまとめた規則と原則は要素の限定性を維持したか どうかも疑わしい45。 (2)基礎評価と原則例の不足  基礎評価と原則例は、本来は主として立法によって供給されるべきである。 しかしながら、具体的な問題について、明確な基礎評価と原則例をなかなか決 められない場合が多い。法実践には多様な価値の衝突を伴うため、数学のよう な精確性はあり得ないというわけであろう。実定法が実際に提供しているもの はごく限られた動的システム論を方法論とする PETL もその例外ではない。 この分野では、通常判例による補充が大きく期待されうる。中国においては、 司法解釈と指導案例はその生産性が非常に低いため、それほど期待されないよ 44 欧洲侵権法小組『欧州侵権法原則:文本与評釈』於敏=謝鴻飛訳、法律出版 社2009年、「序」4頁。 45 山本周平「不法行為法における法的評価の構造と方法㈣」法学論叢169卷5号 (2011年)51-52頁。 動的システム論(Bewegliches System)をめぐる誤解または過大評価:中国法の動向 [94]北法69(1・111)111 うだ46。  このように、動的システム論には克服できない限界がある。そのため、両面 作戦で行こうとするこの方法論は二つの戦場のどちらにおいても、圧勝できな い。法的実践は価値判断を伴う活動である以上、非合理的な成分を完全に排除 することができず、100%の反論可能性も不可能である。まさに山本敬三教授 がいうように、「動的システム論は、あらかじめ評価の内容を一義的に確定す るものではない。あくまでも、合理的な評価を可能にする枠組みを提供するだ けである。しかし、その結果、この枠組みに従ったとしても、それによって導 かれうる具体的な評価には幅が残らなければならない。その可能な評価のうち、 どれを取るかは、動的システム論による限り、結局のところ、個々の判断者の 決断にゆだねられることになる」47。 結びにかえて  以上、中国における動的システム論継受の状況とその問題性について検討し てきた。標題に表れたように、中国では、主に、動的システム論に対する誤解 と過大評価が見られる。その原因と考えらえるものに何かあるのか。報告者は、 最後に、この点について述べたい。  あくまでも私見であるが、その根本的な理由は、自由法学やリアリズム法学 に対する警戒心が中国の民法学界にないところにあるといえよう。それどころ か、私法学者の中で、利益衡量を主な法解釈方法論と謳う人もいる48。実は、 法的推論に関する研究は少なくとも十数年前に中国に輸入されていたし、法理 学の学者の間ではすでに常識となっている。民法学者の視野が狭いといえるか もしれない。  ところで、法解釈方法論をめぐる論争を経験していない中国法学界は、最近、 もう一つの論争に巻きこまれている。それは「社科法学」と法教義学との論争 46 2017年3月31日現在、公布された指導案例は87個しかない。 47 山本敬三・前掲(17)295頁。 48 たとえば、梁上上氏は加藤一郎説の改良を図っている。彼によれば、衡量さ れるべき利益は当事人利益、団体利益、制度的利益ないし公共な利益であって、 それらの利益には序列関係があるという。梁上上・前掲(13)58-65頁。列挙さ れた利益は外延があまりも広くて、要素の閉鎖性要請に反するだろう。 講   演 [95] 北法69(1・110)110 である。「社科法学」とは、社会科学の知見を駆使して法を観察する学問ある いは方法論のことを意味し、広い意味での法社会学といえるかもしれない。  この論争の要は、中国法学の成長にとって、どちらが主役を担うべきなのか ということである。科学的観点から考えると、法的な方法には独自性があるの かも疑問である。議論の双方は一部の基礎法学学者と一部の民・刑事法学者で ある。もちろん、基礎法陣営も一枚岩ではなく、そのうち法教義学の役割を強 調する者も相当いる。法教義学の役割を正面から認める論者は主役としての法 教義学を主張する際に、論拠の一つとして、法教義学における論理性を挙げて いる。やや不思議なことではないだろうか。基礎法の学者が実定法の裏にある 政治決定が法解釈によって無視されることを危惧している。それに対して、民 法学者は実定法の論理性、そして形式的決定を重視している。  一方、法的推論に関する理論には馴染みがないと言って、中国の私法学者達は 論理の重要性を軽視する傾向にあるという判断も成り立たない。近年、ドイツ法 から強い影響を受ける民法界においては、請求権の基礎(Anspruchsgrundlage) という考え方はますます重要視されているし、教育の場において実務において も強調されつつある。むろん、法教義学を中心とした法論理を重視することは、 必ずしも法的効果というレベルでの弾力性を批判することに直結しない。ただ、 両者が緊張関係にあることもまた否定できないであろう。反論可能性は議論の 合理性を確保するということについて自覚していないと思われる。  以上のような現象をどのように理解すればよいか。筋が通る理解は二通り考 えられよう。一つは、異なるテーマを考えるときに、その間のつながりを看過 したことである。もう一つは、そもそも論争に参加した者と動的システム論に 与する者とは別々の人たちであることである。やはり、専門より、問題によっ て学者を分類するほうが的確であろう。そして、沈黙しているのは常に多数者 であろう。 (解 亘 南京大学法学院教授) 動的システム論(Bewegliches System)をめぐる誤解または過大評価:中国法の動向 [96]北法69(1・109)109 動的システム論の限界性 ──解報告に対するコメントとして──49 班   天 可  Ⅰ はじめに  解亘教授が、「『動的システム論(bewegliches System)』をめぐる誤解また は過大評価:中国法の動向」と題する報告において、中国法における動的シス テム論の人気が高まっているものの、その人気の背後には、中国の民法学者の 多くがただ動的システム論の「動的」側面(要素の相互補完性に基づく法的評 価の弾力性)のみに熱意を持ち、その「システム的」側面(体系による法的コン トルール)を看過し、実際平井宜雄教授が主張された「法的議論」に対する補 強として位置づけられるべき動的システム論を利益衡量論の一種と同視してい るという誤解があった、ということを指摘されている。  動的システム論の「システム的」側面としては、一般に、要素の数の閉鎖性 やウエイト、要素の協働作用の評価基点としての基礎評価と原則例など、いく つかの体系的コントロールが提示されているが、解亘教授はそれらに疑問を投 じる。すなわち、たとえ動的システム論の「システム的」側面が看過されてい なくても、上述のコントロールでは動的システム論の体系性が維持されうるで あろうか。体系的コントロールが十分でなければ、動的システム論は、方法論 として実際に非常に限界があるものにもかかわらず、過大評価されているので はないかと、解亘教授は考えられている。  解報告の延長として、動的システムに限界があるか、あるいは、その限界が どこになるかが、本稿の取り扱う問題である。以下では、主にオーストリア法 とドイツ法における動的システムに対する批判、疑問および制限をみていくこ とにする。 49 筆者は、解亘教授のご厚意を受け、動的システム論について共同研究を行っ た。その際、動的システム論に関するオーストリアとドイツの議論、特に動的 システム論に対する批判およびその限界性についての状況調査を担当した。本 稿は、微力ながら、解亘教授の報告の延長線にある補足としてコメントしたも のである。 講   演 [97] 北法69(1・108)108  なお、動的システム論の体系性について、解報告にはすでに触れられている ので、以下では、法的安定性の観点から動的システム論に与えられる制限(二) と動的システム論の適用領域の制限(三)に限って検討をしたうえ、中国法と の関連で若干の補足を加え、それを結びに代えたい(四)。   Ⅱ 法的安定性について  固定的構成要件システムではなく、相互補完性にある「要素(Elemente)」の 協働作用によって、法律効果の存否ないし範囲が柔軟に決められるということ は、動的システム論が好まれるところである一方、批判を浴びるところでもあ る。動的システム論の誕生と発展に伴って行われてきた批判は、動的システム 論が法的安定性を害するということである。 1.裁判官の恣意  Wilburg が1950年にはじめて動的システム論を提唱した、「民法における動 的システムの展開」と題する就任演説に対する論評において、Esser は以下の ように批判した。すなわち、「法的ドグマティックは、我われを政治的偏見と 煽動から守ってきた概念的保護である。それを捨てると、(カズイスティック) が捲土重来するであろう。刑法においては、構成要件の意義が認識されている が、民法はなぜこのような留保ができないのか。技術的操作が法の統一性と安 定性を維持してきたが、それがなければ、我々への法的保護は完全に裁判官個 人に委ねられることになる。それが『組織化された』保障であるともいわれるが、 端的にいえば、それは人々に司法機関を強制的に信頼させるものである」50。  法的安定性の確保のため、要素の数の閉鎖性やウエイト、比較級命題、基礎 評価と原則例など体系的コントロールが提示されてきたが、それらが成功して いるか否かは別として(下記「Ⅲ」で詳論する)、裁判官の裁量の範囲が拡大さ れることには間違いない。Pawlowski は、「動的システム論の論者たちが裁判 官の恣意を排除するために大いに努力してきたことは否定しないが、それはた だ恣意を正当化するための可能性を作っただけである。動的システム論の欠点 は、法の実質的秩序の側面のみを重視し、法がつねに組織と連なっていること 50 Esser, AcP 151 (1951), S. 555-556. 動的システム論(Bewegliches System)をめぐる誤解または過大評価:中国法の動向 [98]北法69(1・107)107 を全く見逃していることにある」と揶揄した51。つまり、構成要件の拘束を受け ない裁判官が適切な判断を下すことはとうてい期待できないということである。  ところで、1997年に、Frankfurt a.M./Offenbach a.M. の区裁判所の裁判官 Frank O. Fischer が AcP において、動的システム論を擁護する論文を公表し た52。Fischer によると、ドイツの裁判実務では、複雑な事案において、いかな る伝統的解釈法でも確実な帰結へと導きえないという「法教義学の危機」が発 生している。たとえ裁判官が法教義学を利用して自分の満足できる判決を出せ たとしても、そこで示された理由は単に見せかけのもの(Scheinbegründung) にすぎず、実質的な判断要素は当事者に伝えられていない53。Fischer の考えで は、判決は実際、法知識のみならず、感情、世界観、道徳観、判断力、人生経 験ないしレトリックも含む54。法的推論の本質は、判決とその理由づけを当事 者に確信させるための説得である55。それゆえ、構成要件にとどまらず、その 背後にある価値判断を露呈させる正々堂々とした方法論として、動的システム 論こそが「法教義学の危機」を克服する道であると、Fischer は主張する56。  Fischer 論文は、判決の非合理的な側面を強調し、柔軟性のある方法論で判 決の説得力を増やそうとしているものであるといえよう。しかし、他方、 Fischer 論文には、動的システム論の「システム的」側面が全く触れられてい ない。体系性を抜かれた動的システム論は、実際、トピック論ではないかと思 われる。Fischer のように、判決の本質が説得力であるという考えを貫くと、「判 決の中身も当事者次第」という問題が起こるであろう。57 51 Pawlowski, Methodenlehre für Juristen, 1991, S. 120. 52 この論文が日本でも紹介されている。石田喜久夫「ひとつの動的体系論」京 都学園法学1998年第2号129頁以下を参照。 53 Vgl. Fischer, Das „Bewegliche System“ als Ausweg aus der „dogmatischen Krise“ in der Rechtspraxis, AcP 197 (1997), S. 603. 54 Vgl. Fischer, a. a. O., S. 592f. 55 Vgl. Fischer, a. a. O., S. 598. 56 Vgl. Fischer, a. a. O., S. 603f. 57 実は Fischer 自身も、あまりにも弾力性のある方法論をとることは、同じよ うな事案を異なるように扱うという結果をもたらしかねないことを自覚してい る。しかし、Fischer は、「同じ状況であるといっても、必ずしも同じ結論をつ ける必要はなかろう」という(Fischer, a. a. O., S. 592f.)。憲法違反に当たりうる 講   演 [99] 北法69(1・106)106 2.憲法違反  法的安定性を維持するにせよ、法的安定性を犠牲にして実質的正義を求める にせよ、解釈方法論としてはどちらも選択肢になりうるようにみえる。しかし、 ある方法論があまりにも恣意的で、同じような状況を同じように扱っていない 事態を招く場合には、憲法上の平等の原則に違反することになりうると指摘さ れている58。Lothar Michael は、ドイツ基本法第3条1項(平等の原則)を「方 法論規範(Methodennorm)」と名づけている59。Westerhoff の言い方では、「こ の観点が正しければ、……Wilburg の説は、死刑を宣告されたようなものにな ろう」60とされる。  また、立法論としては、要素の列挙や基礎評価の設置による動的システム論 的な立法スタイルが可能であり、「ヨーロッパ不法行為法原則」と「オーストリ ア損害賠償法改正議論草案」が Helmut Koziol 主導で動的システム論による立 法スタイルをとったということは周知のとおりである。その際にも、憲法の視 点から批判がなされた。すなわち、立法者は、原則として、明確な構成要件を もって司法を拘束しなければならない。それは、憲法上の権力分立と法治主義 が命じるところである。動的システム論による立法があまりにも不明確である ゆえ、それをとったことは、法形成そのものを司法に任せ、司法を拘束すると いう立法者の憲法上の任務を無責任に放棄することと等しいと思われる。61 ことは自覚されていないようである。 58 Vgl. Schilcher, Gesetzgebung und Bewegliches System, in Bydlinski u.a., Das Bewegliche System im geltenden und künftigen Recht, Wien 1986, S. 302. ; Westerhoff, Die Elemente des beweglichen Systems, Berlin 1991, S. 67f.; Pawlowski, a. a. O., S. 120. 59 Vgl. Michael, Der allgemeiner Gleichheitssatz als Methodennorm komparativer Systeme. Analyse und Fortentwicklung der Theorie der „beweglichen Systeme“ (Wilburg), Berlin 1997, S. 44ff; S. 223ff. 60 Westerhoff, a. a. O. (Fn.10), S. 67. とはいえ、Westerhoff は、動的システム論 をとること自体が憲法違反であるとは考えておらず、程度の問題であるとして いる。 61 大久保邦彦「損害賠償法の内的体系と動的体系論による立法」国際公共政策 研究第18巻第1号(2013)122-123頁。 動的システム論(Bewegliches System)をめぐる誤解または過大評価:中国法の動向 [100]北法69(1・105)105 Ⅲ 適用範囲について  動的システム論が法的安定性の観点からの批判に耐えられたとしても、それ がすべての法の領域において適用可能なのか。強いていえば、固定的構成要件 に留保されるような適用領域があるのかを検討する必要がある。 1.動的システム論に向いている領域  学説の発展からいえば、動的システム論は、不当利得と不法行為から発足し、 その後、意思表示の瑕疵、公序良俗、暴利行為などの領域にも使われるように なった。これらの領域で動的システム論が発達し始めたのは、ここがいわゆる 「二重の立法(duale Legistik)」の被害地であったからである。二重の立法とは、 法適用における連続性の喪失状態のことをいう。つまり、裁判官が実定法に明 記された固定的構成要件を機械的に適用する一方、明記された固定的構成要件 で問題解決を図ることができない場合に、不確定概念をいじったり一般条項へ 逃避したりして自由な法形成に着手し始める、という現象である。このような 状態で、固定的構成要件の機械的適用は必ずしも妥当な結論に導けないし、不 確定概念と一般条項に対する恣意的な操作は法的安定性にもたらす被害が決し て小さくはない。62いかにして、ある中間の道で、その両方を結びつけられる かは、動的システム論の念頭に置かれた問題である。  その結びつけ方は、動的システム論の論者によってかなり相違がある。たと えば、Bydlinski は、確定概念(および下記例外)を除いて、ほぼ全般に動的シ ステム論を適用することができるとした63。これに対し、Canaris は、動的シス テム論を、固定的構成要件と「衡平規範(Billigkeitsklausel)」との間の狭い領 域──例えば、契約締結上の過失──においてのみ適用されうるものとして位 置づけた64。 62 Schilcher, a. a. O. (Fn.10), S. 289. 63 Vgl. Bydlinski, Fundamentale Rechtsgrundsätze, Wien/Newyork 1988, S. 23f. 期限のような確定概念に動的システム論が適用されることは、動的システム論 の趣旨に反すると Bydlinski は考える。 64 Vgl. Canaris, Systemdenken und Systembegriff, Berlin 1983, S. 82ff.; bes. S. 84.; ders., Bewegliches System und Vertrauensschutz im rechtsgeschäftlichen verkehr, in Bydlinski u.a., Das Bewegliche System im geltenden und künftigen Recht, Wien 1986, S. 107; S.110ff. 講   演 [101] 北法69(1・104)104  たとえここで、Bydlinski のように、動的システム論をその適用範囲が不確 定概念と一般条項を含め広義にわたるものとしてとらえたとしても、以下の問 題は免れない。すなわち、不確定概念と一般条項が憲法、刑法、訴訟法にも存 在するので、これらの領域において動的システム論が依然として適用されうる のか、それとも固定的構成要件の「留保」がなされるべきなのか。 2.固定的構成要件に向いている領域  Wilburg は、1950年の就任演説で、土地登記法や手形法を動的システム論の 適用範囲から除外した。それは、形式化したルールが要求される場合には、動 的システム論による弾力的なルールが適さないからである65。Bydlinski は、も し法の安定性そのものがあるルールの趣旨である場合に、法の安定性からも合 目的性からも、このルールは簡潔で予見可能性でなくてはならず、動的システ ム論の適用される余地はないとしている。土地登記法や手形法のほか、 Bydlinski は訴訟法と刑法を挙げた66。Westerhoff は、公法における国家給付請 求、特に社会福祉事業、手当、税務優遇措置、補助金等の支給に関する憲法訴 訟には動的システム論が適用されるべきではないとしている。なぜなら、この ような事案は、国家がどの程度の給付をすることで国民の公的負担(納税)を 正当化することができるかという、動的システム論ではかりきれない高度に複 雑な問題に関わっているからである67。  司法の実務においては、動的システム論を方法論として援用する判決は、主 にオーストリアの裁判所においてみられる。Adamovic の整理によると、動的 システム論の援用で判断された事案は主に民事裁判に集中しており、動的シス テム論に対する憲法裁判所と行政裁判所の態度は慎重であった。また、刑事裁 判に関しては、罪刑法定主義の制限があるゆえに、動的システム論に対する裁 判所の態度は一層慎重であった68。 65 Vgl. Wilburg, Entwicklung eines Beweglichen Systems im Bürgerlichen Recht, Rectorrede 1950, S. 4. 66 Vgl. Bydlinski, Juristische Methode und Rechtsbegriff, Wien 1982, S.534. 67 Vgl. Westerhoff, a. a. O. (Fn.10), S. 36. 68 Vgl. Adamovic, Das Bewegliche System in der Rechtsprechung, JBl. (2002). Nr.11, S. 681ff, bes.S.693f. 動的システム論(Bewegliches System)をめぐる誤解または過大評価:中国法の動向 [102]北法69(1・103)103  上述の立場とは違って、Schilcher は、動的システム論の適用領域をアプリ オリに法分野の単位で限定するという見方に反対する。それは、「人々は、相 続法や親族法が動的システム論の適用対象にはならないと、初めから断定すべ きでははい。……ある法領域が弾力に富む方法論に距離を置くべきか否かは、 まさに、この領域に関してそれなりの研究をなしてからはじめて答えることが できる問題である」という非常に動的システム論的理由によるものである69。換 言すれば、ある問題が何々法領域に関する問題であるから、動的システム論の 適用は不可能であると安易に断言することはできない。たとえば、ある刑法の 事案に動的システム論が適用されうるかを判断する際、この問題が刑法の問題 だから拒絶すべきだと理由づけるのではなく、この問題に関わる特定の刑法の 規範が動的システム論の適用を拒めると思われる性質を持っている、あるいは、 固定的構成要件の適用が要求されていると理由づけるべきである。Westerhoff によれば、そこで、これらの性質もしくは要求そのものを動的システム論の一 要素(形式要素)とみなし、この形式要素を、それ以外の、判断の実質的妥当 性に関連する一般要素と比較考量して、固定的構成要件の適用を要求する形式 要素が勝つかをまず判断する。もし形式要素が勝てば、動的システム論をやめ、 固定的構成要件での判断に入るのに対し、もし一般要素のほうが勝てば、動的 システム論の枠組みで一般要素を判断する。要するに、動的システム論で判決 を下す際に、まず「形式要素─一般要素」、次に「一般要素内部」という二段階 の動的システム論的判断構造が存在する70。 Ⅳ 中国法の状況──結びにかえて──  解報告において明らかにされたとおり、中国法においては、動的システム論 に好意を示す法学者に比べ、それに疑問をもつ法学者はごく少ない。動的シス テム論の導入を拒絶する主な理由は、裁判官の恣意や法の不統一にあるとされ ている。例えば、周永軍教授は、不法行為に基づく損害賠償の範囲を論ずる際 に、動的システム論によって損害賠償の範囲を決めることに強く反対した。そ の理由は、動的システム論では裁判官に与えられる裁量権限が大きく、法的安 定性を害するおそれがあるからである。周教授によると、中国が現に直面した 69 Vgl. Schilcher, a. a. O. (Fn.10), S. 288. 70 Vgl. Westerhoff, a. a. O. (Fn.10), S. 69f. 講   演 [103] 北法69(1・102)102 法学の状況が、概念法学の硬直から脱却しようとしていた Wilburg 時代の法 学のそれとは根本的に異なり、裁判官に対する現行法の拘束は強くない。この ような状況のもとで、さらに動的システム論を導入し、損害賠償の範囲の判断 を柔軟にしていくことは、現行法の拘束力を一層弱めることになると懸念され ている71。  もっとも、解報告において指摘されたように、中国の民法学者の多くは、動 的システム論の弾力性に目を奪われ、自由法学には警戒心がないことは確かで ある。あくまで私見ではあるが、その原因は、おそらく、国レベルでのルール 提供が不足しているにもかかわらず、裁判官に実質的に妥当な判決が求められ ているという司法体制にあろう。敷衍していえば、立法機関によって作られた 法文が数少ないのみならず、内容もあいまいなものが多い。それは、少なくと も民事法において、立法機関がその具体的ルールの形成を司法機関に委ね、あ まり強く細かく縛ろうとしないからである。また最高人民法院は、具体的な問 題点について「司法解釈」の形でルール提供をしているが、需要の一部しか満 足できない。しかも、「四級法院二審終審」という審級制のもとで、99パーセ ント以上の案件は高級人民法院以下にとどまり、最高人民法院には行けない72。 要するに、立法機関でも最高人民法院でもなく、各地方法院こそがルール提供 の主役を担っている(「司法上の連邦主義」ともいわれる73)。このようなルー ル / 拘束不足の中で、地方法院の裁判官は、かえって、実質的に説得力があり、 同時に敗訴当事者の不満を鎮められる判決を制度上強いられている。そこで、 中国の裁判官の念頭につねに置かれているのは、ルールからの自己満足的な演 繹的思考ではなく、いかにして敗訴当事者が納得しうる結論をゆとりのある解 釈論に結びつけられるかということである。これはまさに、中国における、効 71 周友軍「我国侵権法上完全賠償原則的証立与実現」環球法律評論2015年第2 期102頁。中国における動的システムへの批判は、裁判官の恣意に対する懸念 にとどまり、憲法上の平等の原則や三権分離との関連はまだ意識されていない。 72 年に一回の最高人民法院院長による最高人民法院工作報告によると、2016年 に最高人民法院が受理した案件が22742であったのに対し、各地方人民法院が 受理した案件は2303万であった。 73 張谷「対当前民法典編纂的反思」華東政法大学学報2016年第1期7頁以下。 張教授は、このような司法体制である以上、法の統一を遂げるのは困難であり、 ある審級で法の統一ができるならば、それでよいと考えている。 動的システム論(Bewegliches System)をめぐる誤解または過大評価:中国法の動向 [104]北法69(1・101)101 果からのアプローチによる自由な法の発展に根拠づける方法論が好まれ、容易 に受け入れられる土壌である。中国の裁判官は何かするとすぐに公平の原則を 前面に出す傾向があるのもそれゆえであると考える。この視点からいえば、公 平の原則や総合判断よりは、少なくとも協働作用の分析が不可欠である動的シ ステム論のほうがかなり自律的であろう。 【付記】本稿は、中国国家社科基金青年項目(15CFX066)の助成を受けたもの である。 (班 天可 復旦大学法学院 講師)