北大法学論集 第 69 巻   第 1 号 論 説 カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2)   ── 第二帝政末期からヴァイマル共和政中期まで ──    松 本 彩 花    1 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2)   ── 日本の債権法改正に寄せて ──    呉   逸 寧  204[  1] 講 演 動的システム論(Bewegliches System)をめぐる誤解または 過大評価:中国法の動向    解     亘  132[ 73] 判 例 研 究 刑事判例研究   堀 田 尚 徳  100[105] 雑 報 北海道大学法学会記事       75 2018(平成30)年 北 大 法 学 論 集 第 六 九 巻   第 一 号 ( 二 〇 一 八 )  北 海 道 大 学 大 学 院 法 学 研 究 科 THE HOKKAIDO LAW REVIEW CONTENTS ISSN 0385-5953 Vol. 69  May 2018  No. 1 ARTICLES Die Entstehungsgeschichte der Demokratielehre Carl Schmitts (2):  Von der letzten Periode des deutschen Kaiserreichs bis zur Mitte der  Weimarer Republik ☆   Ayaka MatsuMoto    1 The function and practical use on the increment and reduction of the  penalty by the People’s court in Chinese law: contribute to Japanese  law of obligations reform (2)    Wu Yining  204[  1] LECTURE Lecture:“Misunderstood and Overestimated of Flexible  System Approach”     Xie Gen  132[ 73] CASE NOTE Note on Criminal Law Case    Hisanori Hotta  100[105] [ ]…Indicates the pagination for articles typeset horizontally that begin at  the end of the journal  ☆…Includes an European language summary Published by Hokkaido University, School of Law Kita 9-jō, Nishi 7-chōme, Kita-ku, Sapporo, Japan 平成30年5月24日  印 刷 平成30年5月31日  発 行  編 集 人 眞 壁   仁  発 行 人 北海道大学大学院法学研究科長 加 藤 智 章  印  刷   北海道大学生活協同組合 情報サービス部 札幌市北区北8条西8丁目 TEL 011(747)8886  発 行 所 北海道大学大学院法学研究科 札幌市北区北9条西7丁目 TEL 011(706)3074 FAX 011(706)4948 ronshu@juris.hokudai.ac.jp 執 筆 者 紹 介 ( 掲 載 順 ) 松   本   彩   花 北 海 道 大 学 大 学 院 法 学 研 究 科 助 教 呉       逸   寧 北 海 道 大 学 大 学 院 法 学 研 究 科 附 属 高 等 法 政 教 育 研 究 セ ン タ ー 研 究 員 郭           薇 北 海 道 大 学 大 学 院 法 学 研 究 科 講 師 解           亘 南 京 大 学 法 学 院 教 授 班       天   可 復 旦 大 学 法 学 院 講 師 堀   田   尚   徳 広 島 大 学 学 術 院 大 学 院 法 務 研 究 科 准 教 授 眞   壁       仁 北 海 道 大 学 大 学 院 法 学 研 究 科 教 授 北 海 道 大 学 大 学 院 法 学 研 究 科 ・ 附 属 高 等 法 政 教 育 研 究 セ ン タ ー 教 員 名 簿 雑 誌 編 集 委 員   ○   印 * は 大 学 院 公 共 政 策 学 連 携 研 究 部 専 任 教 員 △ は 理 事 ( 副 学 長 ) 名 誉 教 授 厚 谷 襄 兒 ( 経 済 法 ) 今 井 弘 道 ( 法 哲 学 ) 臼 杵 知 史 ( 国 際 法 ) 大 塚 龍 児 ( 商 法 ) 岡 田 信 弘 ( 憲 法 ) 小 川 晃 一 ( 政 治 思 想 史 ) 小 川 浩 三 ( 法 史 学 ) 奥 田 安 弘 ( 国 際 私 法 ) 神 原   勝 ( 行 政 学 ) 木 佐 茂 男 ( 行 政 法 ) 小   菅   芳 太 郎 ( 法 史 学 ) 近 藤 弘 二 ( 商 法 ) 笹 田 栄 司 ( 憲 法 ) 東 海 林   邦   彦 ( 民 法 ) 白 取 祐 司 ( 刑 事 訴 訟 法 ) 杉 原 髙 嶺 ( 国 際 法 ) 鈴 木   賢 ( 比 較 法 ) 瀨 川 信 久 ( 民 法 ) 曽 野 和 明 ( 比 較 法 ) 高 見 勝 利 ( 憲 法 ) 高 見   進 ( 民 事 訴 訟 法 ) 道 幸 哲 也 ( 労 働 法 ) 長 井 長 信 ( 刑 法 ) 中 村 研 一 ( 国 際 政 治 ) 中 村 睦 男 ( 憲 法 ) 畠 山 武 道 ( 行 政 法 ) 林 竧 ( 商 法 ) 林 田 清 明 ( 法 社 会 学 ) 稗 貫 俊 文 ( 経 済 法 ) 人   見       剛 ( 行 政 法 ) 藤 岡 康 宏 ( 民 法 ) 古 矢   旬 ( ア メ リ カ 政 治 史 ) 町 村 泰 貴 ( 民 事 訴 訟 法 ) 松 澤 弘 陽 ( 政 治 思 想 史 ) 松   久   三 四 彦 ( 民 法 ) 松 村 良 之 ( 法 社 会 学 ) 宮 本 太 郎 ( 比 較 政 治 経 済 学 ) 山 口 二 郎 ( 行 政 学 ) 吉 田 克 己 ( 民 法 ) 亘 理   格 ( 行 政 法 ) 教       授 會 澤   恒 ( 比 較 法 ) 池 田 清 治 ( 民 法 ) 岩   谷       將 ( 政 治 史 ) 上   田   信 太 郎 ( 刑 事 訴 訟 法 ) 遠 藤   乾 ( 国 際 政 治 ) * 尾 﨑 一 郎 ( 法 社 会 学 ) 小 名 木   明   宏 ( 刑 法 ) 加 藤 智 章 ( 社 会 保 障 法 ) 岸 本 太 樹 ( 行 政 法 ) 桑 原 朝 子 ( 日 本 法 制 史 ) 児 矢 野   マ   リ ( 国 際 法 ) 権 左 武 志 ( 政 治 思 想 史 ) 齊 藤 正 彰 ( 憲 法 ) 佐 々 木   雅   寿 ( 憲 法 ) 嶋   拓 哉 ( 国 際 私 法 ) 城 下 裕 二 ( 刑 法 ) 鈴 木 一 人 ( 国 際 政 治 経 済 学 ) * 曽 野 裕 夫 ( 民 法 ) 空 井   護 ( 現 代 政 治 分 析 ) * 田 口 正 樹 ( 法 史 学 ) 田 村 善 之 ( 知 的 財 産 法 ) 辻   康 夫 ( 政 治 学 ) * 常 本 照 樹 ( 憲 法 ) ○ 中   川   晶 比 兒 ( 経 済 法 ) 中 川 寛 子 ( 経 済 法 ) 野 田 耕 志 ( 商 法 ) △ 長 谷 川       晃 ( 法 哲 学 ) 林       誠   司 ( 民 法 ) ○ 眞 壁   仁 ( 日 本 政 治 思 想 史 ) 水 野 浩 二 ( 法 史 学 ) 宮 脇   淳 ( 行 政 学 ) * 山 崎 幹 根 ( 行 政 学 ) 山 下 竜 一 ( 行 政 法 ) 山 本 哲 生 ( 商 法 ) 吉 田 邦 彦 ( 民 法 ) ○ 吉 田   徹 ( ヨ ー ロ ッ パ 政 治 史 ) 吉 田 広 志 ( 知 的 財 産 法 ) ○ 米 田 雅 宏 ( 行 政 法 ) 特 任 教 授 朝   倉       靖 ( 民 事 実 務 ) 磯   部   真   士 ( 刑 事 実 務 ) 藏   重   有   紀 ( 刑 事 実 務 ) 橋   場   弘   之 ( 法 実 務 基 礎 ) 花   形       満 ( 法 実 務 基 礎 ) 藤 原 正 則 ( 民 法 ) 村   井   壯 太 郎 ( 民 事 実 務 ) 准   教   授 池 田   悠 ( 労 働 法 ) 伊 藤 一 頼 ( 国 際 法 ) * 伊   藤       隼 ( 民 事 訴 訟 法 ) ○ 岩 川 隆 嗣 ( 民 法 ) 川 村   力 ( 商 法 ) 櫛 橋 明 香 ( 民 法 ) 栗 原 伸 輔 ( 民 事 訴 訟 法 ) 小 濵 祥 子 ( ア メ リ カ 政 治 史 ) * 佐 藤 陽 子 ( 刑 法 ) 田 中 啓 之 ( 行 政 法 ) * 津 田 智 成 ( 行 政 法 ) 西 村 裕 一 ( 憲 法 ) 根 本 尚 徳 ( 民 法 ) ハ ズ ハ ・ ブ ラ ニ ス ラ ブ ( 知 的 財 産 法 ) 馬 場 香 織 ( 比 較 政 治 ) * 前 田 亮 介 ( 日 本 政 治 史 ) 三 宅   新 ( 商 法 ) 村 上 裕 一 ( 行 政 学 ) 山 木 戸   勇 一 郎 ( 民 事 訴 訟 法 ) 山 本 周 平 ( 民 法 ) 講       師 郭           薇 ( 法 社 会 学 ) 助       教 橘       雄   介 ( 知 的 財 産 法 ) 張       子   弦 ( 民 事 訴 訟 法 ) 福 島 卓 哉 ( 行 政 法 ) 松 本 彩 花 ( 政 治 思 想 史 ) ロ ド リ ゲ ス ・ サ ム デ ィ オ ・ ル ベ ン ・ エ ン リ ケ ( 比 較 法 ) 北法69(1・1)1           目    次 序 論      ( 一 ) 先 行 研 究 の 概 観 と 近 年 の 研 究 動 向           ( 二 ) 本 稿 の 目 的 と シ ュ ミ ッ ト 民 主 主 義 論 に 関 す る 先 行 研 究 論      説       カ ー ル ・ シ ュ ミ ッ ト に お け る 民 主 主 義 論 の 成 立 過 程 ( 二 )                     ─ ─  第 二 帝 政 末 期 か ら ヴ ァ イ マ ル 共 和 政 中 期 ま で  ─ ─松  本  彩  花 論   説 北法69(1・2)2           ( 三 ) 本 稿 の 研 究 視 角 と 全 体 構 成 第 一 章    シ ュ ト ラ ス ブ ル ク 大 学 時 代 に お け る シ ュ ミ ッ ト の 思 想 ( 一 九 一 〇 ─ 一 九 一 九 年 )   第 一 節  『 国 家 の 価 値 と 個 人 の 意 義 』 に お け る 国 家 論   第 二 節  最 初 期 シ ュ ミ ッ ト に お け る 共 同 体 と 個 人   第 三 節  法 学 方 法 論 を め ぐ る 一 九 一 〇 年 代 に お け る シ ュ ミ ッ ト と ケ ル ゼ ン  ( 以 上 、 六 十 八 巻 六 号 ) 第 二 章    第 一 次 世 界 大 戦 期 に 始 ま る シ ュ ミ ッ ト の 独 裁 論 研 究 ( 一 九 一 五 ─ 一 九 二 一 年 )   第 一 節  独 裁 論 の 出 発 点 と し て の 戒 厳 状 態 論   第 二 節  第 一 次 大 戦 直 後 の シ ュ ミ ッ ト に お け る ボ ダ ン 論 と ホ ッ ブ ズ 論   第 三 節  『 独 裁 』 成 立 の 諸 状 況 と 委 任 独 裁 論 の 形 成   第 四 節  『 独 裁 』 に お け る 主 権 独 裁 論 ─ ─ 人 民 の 意 志 に つ い て の 考 察   第 五 節  プ ロ レ タ リ ア 独 裁 評 価 を め ぐ る シ ュ ミ ッ ト と ケ ル ゼ ン 第 三 章    シ ュ ミ ッ ト の 人 民 主 権 論 批 判 ( 一 九 二 二 年 )   第 一 節  『 政 治 神 学 』 に お け る 政 治 神 学 的 方 法   第 二 節  政 治 神 学 の 由 来 ─ ─ 反 革 命 国 家 哲 学 者 か ら の 影 響   第 三 節  シ ュ ミ ッ ト に お け る 政 治 神 学 的 方 法 の 継 承 と 独 自 の 展 開   第 四 節  人 民 主 権 の 成 立 過 程 を め ぐ る シ ュ ミ ッ ト と ケ ル ゼ ン  ( 以 上 、 本 号 ) 第 四 章    シ ュ ミ ッ ト 民 主 主 義 論 の 変 容 ( 一 九 二 三 ─ 一 九 二 六 年 ) 第 五 章    シ ュ ミ ッ ト 民 主 主 義 論 の 新 た な 展 開 と そ の 起 源 ( 一 九 二 七 年 ) 第 六 章    『 憲 法 論 』 に お け る シ ュ ミ ッ ト 民 主 主 義 論 の 完 成 ( 一 九 二 八 年 ) 結 び ※ 文 献 か ら の 引 用 を 示 す た め に 本 文 中 で 用 い た 略 号 に つ い て は 、六 十 八 巻 六 号 に 記 載 し た「 引 用 に つ い て 」を 参 照 さ れ た い 。 カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2) 北法69(1・3)3 第 二 章  第 一 次 世 界 大 戦 期 に 始 ま る 独 裁 論 研 究 ( 一 九 一 五 ─ 一 九 二 一 年 )   本 章 は 第 一 次 世 界 大 戦 開 戦 か ら ド イ ツ が 敗 戦 と 革 命 を 経 験 す る ま で の 時 期 を 対 象 と し 、 一 方 で は シ ュ ミ ッ ト の 思 想 に 内 在 的 な 視 点 か ら 、 他 方 で は 彼 の 戦 争 体 験 等 の 時 代 体 験 を 踏 ま え た 歴 史 的 視 点 か ら 、『 独 裁 』( 一 九 二 一 年 ) が 形 成 さ れ る ま で の 過 程 を 解 明 す る こ と を 目 的 と す る 。 そ の た め に 以 下 で は 、 次 の よ う な 順 序 で 論 述 を 進 め る 。 第 一 に 、 近 年 公 刊 さ れ た 日 記 帳 と メ ー リ ン グ に よ り 著 さ れ た 新 た な 伝 記 に 基 づ き 、 第 一 次 大 戦 開 戦 直 後 に お け る シ ュ ミ ッ ト の 戦 争 や 軍 隊 に 対 す る 見 解 、 初 年 兵 と し て の 兵 営 で の 彼 自 身 の 戦 争 体 験 を 明 ら か に す る 。 第 二 に 、 バ イ エ ル ン 副 総 司 令 部 に 配 属 さ れ た シ ュ ミ ッ ト が そ こ で の 一 任 務 と し て 戒 厳 状 態 論 研 究 に 着 手 す る 経 緯 を 確 認 す る 。 こ こ で は 、 そ の 研 究 結 果 と し て 成 立 し た 「 独 裁 と 戒 厳 状 態 ─ ─ 国 法 学 的 研 究 」( 一 九 一 六 年 ) の 内 容 を 検 討 し 、 の ち に 『 独 裁 』 へ と 結 実 す る 萌 芽 的 研 究 が ど の よ う な も の で あ っ た の か を 明 ら か に す る 。 第 三 に 、 近 年 公 開 さ れ た 、 ミ ュ ン ヘ ン 商 科 大 学 講 師 時 代 の シ ュ ミ ッ ト の 講 義 録 ( 一 九 一 九 年 ) に 基 づ き 、 戦 後 の シ ュ ミ ッ ト に お け る ボ ダ ン 論 お よ び ホ ッ ブ ズ 論 を 再 構 成 す る 。 こ こ で は 、 当 時 彼 が す で に 近 代 の 絶 対 君 主 政 に よ り 確 立 し た 主 権 の 意 義 を 強 調 し 、 こ れ に よ り 「 国 家 的 統 一 」 が 可 能 と な っ た と 把 握 し て い た こ と 、 ま た 分 裂 し た 諸 個 人 を 統 合 し 国 家 的 統 一 の 状 態 を 作 り 出 す こ と を 可 能 に し た も の と し て 「 絶 対 的 代 表 」 の 思 想 を 評 価 し て い た こ と を 明 ら か に す る 。 第 四 に 、 こ う し た 構 想 が 発 展 し た 帰 結 と し て 『 独 裁 』 の 成 立 を 説 明 で き る こ と を 示 す 。 こ こ で は ま ず 、 シ ュ ミ ッ ト が ボ ダ ン の 主 権 論 に 即 し て 委 任 独 裁 を 概 念 化 し た こ と を 明 ら か に し た 上 で 、 ホ ッ ブ ズ 、 ル ソ ー 、 シ ー エ ス の 政 治 思 想 を 独 自 に 解 釈 す る こ と で 主 権 独 裁 の 概 念 化 に 成 功 す る 過 程 を 解 明 す る 。 つ ま り 人 民 の 意 志 と の 「 同 一 化 」 を そ の 根 拠 と し 、人 民 の 意 志 を 代 表 す る こ と を 特 徴 と す る 「 主 権 独 裁 」 が 定 式 化 さ れ る 背 景 に は 、 ル ソ ー の 人 民 主 権 論 に 対 す る 独 自 の 解 釈 、 お よ び シ ー エ ス の 制 定 権 力 論 か ら の 「 人 民 の 意 志 の 代 表 可 能 性 」 と い う 思 想 論   説 北法69(1・4)4 の 受 容 が あ っ た こ と を 明 ら か に す る 。 さ ら に シ ュ ミ ッ ト は 、 主 権 独 裁 の 一 事 例 と し て プ ロ レ タ リ ア 独 裁 を 捉 え 、 こ れ を 民 主 主 義 と 矛 盾 し な い も の と し て 把 握 し た 。 こ れ に 対 し て 同 時 代 の ヴ ィ ー ン 出 身 の 法 学 者 ハ ン ス ・ ケ ル ゼ ン は 、『 独 裁 』 公 刊 の 前 年 に 発 表 し た 論 文 (「 社 会 主 義 と 国 家 」 第 一 版 、 一 九 二 〇 年 ) に お け る マ ル ク ス 主 義 批 判 お よ び レ ー ニ ン 批 判 の 中 で 、 プ ロ レ タ リ ア 独 裁 は 民 主 主 義 と は 決 定 的 に 対 立 す る と 論 じ て い た 。 こ の 点 を 踏 ま え て 最 後 に 、 シ ュ ミ ッ ト と ケ ル ゼ ン そ れ ぞ れ の プ ロ レ タ リ ア 独 裁 観 を 対 比 し 、 シ ュ ミ ッ ト に よ る 独 裁 論 の 独 自 性 と 特 殊 性 に つ い て 検 討 す る 。 第 一 節  独 裁 論 の 出 発 点 と し て の 戒 厳 状 態 論 研 究 ( 一 ) 第 一 次 世 界 大 戦 開 戦 直 後 の シ ュ ミ ッ ト   周 知 の 通 り 、 一 九 一 四 年 六 月 二 八 日 に サ ラ エ ヴ ォ で 発 生 し た 、 オ ー ス ト リ ア ・ ハ ン ガ リ ー 二 重 帝 国 皇 位 継 承 者 フ ラ ン ツ ・ フ ェ ル デ ィ ナ ン ト 大 公 夫 妻 の 暗 殺 事 件 を 契 機 と し て 、ド イ ツ は 同 盟 国 オ ー ス ト リ ア と 共 に 戦 争 へ の 道 を 歩 ん で い く 。 翌 七 月 二 八 日 に オ ー ス ト リ ア が セ ル ビ ア に 対 し て 宣 戦 布 告 す る と 、 こ れ を 受 け て ロ シ ア が 総 動 員 令 を 発 令 し 、 ド イ ツ は 八 月 一 日 に ロ シ ア に 、 三 日 に フ ラ ン ス に 対 し て 宣 戦 布 告 す る に 至(1 )る 。   W .A .ヴ ィ ン ク ラ ー に よ れ ば 、 開 戦 直 後 の ド イ ツ で は 愛 国 主 義 的 気 分 が 蔓 延 し て い た 。 例 え ば 当 時 、 プ ロ テ ス タ ン ト 教 会 に お い て も カ ト リ ッ ク 教 会 に お い て も 、 聖 職 者 た ち が 教 壇 か ら 、 熱 狂 的 民 族 主 義 を 内 容 と す る 説 教 を 行 っ て い た と い う 。 同 様 の 状 況 は 講 壇 に お い て も 看 取 さ れ 、ド イ ツ の 大 学 教 授 た ち に お け る「 戦 時 ナ シ ョ ナ リ ズ ム 」の 高 揚 は「 一 九 一 四 年 の 理 念 」 の 喧 伝 に 示 さ れ て い た 。 こ れ は フ ラ ン ス に お け る 自 由 、 平 等 、 人 権 尊 重 を 謳 っ た 「 一 七 八 九 年 の 理 念 」 に 対 抗 し て 、 一 九 一 五 年 に ミ ュ ン ス タ ー の 経 済 学 者 J . プ レ ン ゲ に よ り 作 り 出 さ れ た ス ロ ー ガ ン で あ る 。 そ れ は 自 由 主 義 や カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2) 北法69(1・5)5 個 人 主 義 、 民 主 主 義 や 基 本 的 人 権 と い っ た 「 西 欧 的 価 値 」 を 否 定 し 、 強 力 な 国 家 に よ っ て の み 保 証 さ れ う る も の と し て 義 務 や 秩 序 、 公 正 を 「 ド イ ツ 的 価 値 」 と し て 称 揚 す る も の で あ っ(2 )た 。 こ う し た 時 代 潮 流 の 中 で 、 一 九 一 五 年 六 月 に は 帝 国 主 義 的 な い し 膨 張 主 義 的 政 策 に 対 す る 支 持 を 表 明 す る 「 大 学 教 授 請 願 書 (Professoreneingabe )」 が 提 出 さ れ 、 著 名 な 学 者 や 芸 術 家 ら を 含 む 一 三 四 七 名 の 知 識 人 が 賛 同 し た 。 こ の 内 の 三 五 二 名 は 大 学 教 授 で あ り 、 そ こ に は 歴 史 学 者 E . マ イ ヤ ー や 法 学 者 O .v .ギ ー ル ケ も 含 ま れ て い(3 )た 。 こ の 請 願 書 は ベ ル リ ン の 神 学 者 R . ゼ ー ベ ル ク に よ り 発 案 さ れ た も の で あ り 、 ロ シ ア か ら 割 譲 さ れ る べ き で あ る と さ れ た 地 域 に お い て 大 多 数 の ロ シ ア 系 住 民 を 追 放 し 、 人 口 過 密 が 問 題 と さ れ た 他 の 地 域 か ら ド イ ツ 系 農 民 を 入 植 さ せ 、 当 該 地 域 の 「 ド イ ツ 化 (Eindeutschung )」 を 目 指 す も の で あ っ た 。   さ ら に 、 一 九 一 五 年 七 月 に は 『 ベ ル リ ン 日 刊 紙 』 の 編 集 者 T .ヴ ォ ル フ と 歴 史 学 者 H .デ ル ブ リ ュ ッ ク を 中 心 と し て 新 た な 声 明 が 表 明 さ れ た 。 こ れ は 「 政 治 的 に 自 立 し 、 独 立 性 に 習 熟 し た 諸 国 民 を 同 化 し 、 あ る い は 併 合 す る こ と は 非 難 さ れ る べ き だ 」 と す る 立 場 か ら 、 西 方 に お け る 領 土 拡 大 に 反 対 し つ つ も 、 東 方 に お け る 領 土 合 併 の 可 能 性 を 容 認 す る も の で あ っ(4 )た 。 す な わ ち こ れ は 、前 年 に 提 出 さ れ た 「 大 学 教 授 請 願 書 」 と 比 較 す る な ら ば 穏 健 な 政 策 を 支 持 す る も の で は あ っ た が 、 帝 国 主 義 的 な 領 土 拡 大 政 策 を 否 定 す る も の で は な か っ た 。 こ の 声 明 に 対 し て は 、 ド イ ツ 知 識 人 の 内 一 九 一 名 ば か り が 支 持 を 表 明 し た に 過 ぎ な か っ た が 、 し か し 神 学 者 A .v .ハ ル ナ ッ ク や 社 会 学 者 M .ヴ ェ ー バ ー 、 A .ヴ ェ ー バ ー 、 法 学 者 G .ア ン シ ュ ッ ツ と い っ た 錚 錚 た る 学 者 が 名 を 連 ね て い(5 )た 。 こ う し た 事 実 を 考 慮 す る な ら ば 、 第 一 次 開 戦 直 後 に お け る ド イ ツ の 大 学 で は 、 そ の 主 張 の 強 弱 に は 差 が あ っ た と は い え 、 愛 国 主 義 的 立 場 か ら 戦 争 を 肯 定 し 正 当 化 す る ナ シ ョ ナ リ ズ ム が 蔓 延 し て い た の で あ る 。   シ ュ ミ ッ ト の 日 記 帳 に よ れ ば 、 サ ラ エ ヴ ォ 事 件 の 報 に 接 し た シ ュ ミ ッ ト は 非 常 に 動 揺 し 、 衝 撃 を 受 け た 。 こ の 事 件 が 勃 発 し た 当 日 に 、彼 は 次 の よ う に 書 き 留 め て い る 。「〔 デ ュ ッ セ ル ド ル フ に ─ ─ 引 用 者 〕 帰 り 、カ イ ザ ー ホ フ で 夕 食 を と っ 論   説 北法69(1・6)6 て い る と 、 司 法 修 習 生 の カ ペ レ ─ ─ 彼 も そ こ で 愛 人 と 夕 食 を と っ て い た の だ が ─ ─ が や っ て 来 て 、 一 人 の セ ル ビ ア 人 に よ っ て オ ー ス ト リ ア の 帝 位 継 承 者 が そ の 妻 と と も に 射 殺 さ れ た こ と を 語 っ た 。 私 の 心 は 打 ち 砕 か れ 、 枢 密 顧 問 官 の と こ ろ へ 走 っ た 」(T B1:16 ( 6 ) 3 )。 さ ら に 、 そ の 翌 日 に は 次 の よ う に 記 し て い る 。「 冷 笑 す べ き で は な い 。 オ ー ス ト リ ア の 帝 位 継 承 者 は 夫 人 と と も に 、 プ リ ン ツ ィ プ と い う 名 の 十 九 歳 の ギ ム ナ ジ ウ ム 生 徒 に 射 殺 さ れ た の だ 」(T B1:165 )。   サ ラ エ ヴ ォ 事 件 の 報 に 接 す る 直 前 に 、 シ ュ ミ ッ ト は 、 事 故 に 遭 い 瀕 死 の 状 態 で 床 に つ い て い た 同 僚 の 司 法 修 習 生 F . ヴ ュ ル フ ィ ン グ を 訪 れ て い た 。そ の 訪 問 に つ い て シ ュ ミ ッ ト は 次 の よ う に 記 し て い る 。「 私 は 衝 撃 を 受 け た 。不 安 ゆ え に 、 本 当 に 私 自 身 の 生 命 が 苛 ま れ て い る よ う だ っ た 。 な ぜ な ら ば 、 人 生 と 呼 ば れ る こ の 陶 酔 が い か に 哀 れ な 仕 方 で 終 わ る の か を 垣 間 見 た か ら で あ る 。 す べ て が い か に す ば や く 、悲 惨 な 形 で 終 わ る の か と い う こ と 、そ し て 私 が 彼 よ り も 幾 日 か 〔 死 を 迎 え る ま で ─ ─ 引 用 者 〕猶 予 期 間 を も っ て い る と い う こ と は 、終 末 の 平 等 性 を 考 え る な ら ば 問 題 に は な ら な い 」(Ebd. )。 ヴ ュ ル フ ィ ン グ は こ の 翌 日 に 死 去 し た 。 シ ュ ミ ッ ト の 伝 記 著 者 メ ー リ ン グ は 、 こ の 「 友 人 の 死 が 戦 争 の 前 兆 と な(7 )る 」 も の で あ っ た と 述 べ 、 シ ュ ミ ッ ト に と っ て 第 一 次 大 戦 の 帰 趨 を 暗 示 す る 象 徴 的 出 来 事 で あ っ た と 推 測 し て い る 。   同 年 の 八 月 三 日 に は 、 シ ュ ミ ッ ト は 「 こ の 戦 争 は 勝 利 せ ず 、 敗 北 す る だ ろ う 」(T B1:175 ) と 述 べ て お り 、 開 戦 当 初 か ら ド イ ツ の 勝 利 に 対 し て 彼 が 悲 観 的 展 望 を も っ て い た こ と が わ か る 。 ド イ ツ 軍 に よ る ベ ル ギ ー の 中 立 侵 犯 を 理 由 と し て 、 英 国 が 参 戦 し た 八 月 五 日 に は 、「 英 国 が 戦 争 を 宣 言 し た ! 恐 ろ し い こ と だ 。 し か し 私 は 比 較 的 落 ち 着 い て い る 」 (T B1:176 ) と 記 し て い る 。 こ の よ う に シ ュ ミ ッ ト は 、 戦 争 開 始 直 後 に 大 き な 衝 撃 を 受 け る と と も に 、 自 国 の 勝 利 に つ い て は 決 し て 楽 観 的 な 予 断 を 下 し て は い な か っ た の で あ る 。   し か し 同 時 期 に 、 シ ュ ミ ッ ト は 次 の よ う に も 記 し て い た 。「 兵 士 た ち の 一 群 が 私 の 前 を 通 っ て 行 進 す る の を 見 る と 、 私 も い つ か 彼 ら の 内 の 一 人 と な る の だ と 考 え 、 激 し い 興 奮 と 高 揚 感 3 3 3 (Erhebung ) を す ら 感 じ る 」(T B1:175  傍 点 強 調 は カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2) 北法69(1・7)7 引 用 者 に よ(8 )る )。 他 方 で シ ュ ミ ッ ト は 、 軍 隊 に 対 し て 強 い 嫌 悪 感 を も 表 明 し て お り 、 軍 隊 に 対 す る 彼 の 見 方 は ア ン ビ ヴ ァ レ ン ト な も の で あ っ た と 言 え よ う 。 軍 隊 を 構 成 す る 「 個 々 人 は 嫌 悪 感 を 催 さ せ る し 、 そ の 一 群 の 中 に い る と い う こ と は 不 快 極 ま り な い 。 私 は 彼 ら の 卑 劣 さ を 知 っ て い る 。 彼 ら は 勝 利 す れ ば 粗 暴 に な り 、そ の 悪 趣 味 は も は や 限 界 を 知 ら な い 。 彼 ら の 傲 慢 さ は 耐 え 難 い も の で あ り 、〈 素 朴 で 〉 愉 快 な 、 か つ 偏 狭 な エ ゴ イ ズ ム は 全 く 否 定 で き な い も の と な っ た 。〔 中 略 〕 そ れ は 想 像 を 絶 す る も の だ ろ う 」(T B1:17 ( 9 ) 5 )。   同 年 十 月 に は 、 シ ュ ミ ッ ト の 旧 友 F .ア イ ス ラ ー の 戦 死 の 報 が 伝 え ら れ 、 そ の 翌 日 に は シ ュ ミ ッ ト 自 身 が デ ュ ッ セ ル ド ル フ で 敵 機 に よ る 爆 撃 を 受 け ) (1 ( る 。 シ ュ ミ ッ ト の 弟 も 召 集 さ れ 、 そ の 翌 年 二 月 に は 彼 自 身 も 軍 務 に 就 く よ う 催 告 を 受 け ) (( ( る 。 二 月 七 日 に は ミ ュ ン ヘ ン の G .ア イ ス ラ ー ( 戦 死 し た F .ア イ ス ラ ー の 弟 ) か ら 、 シ ュ ト ラ ス ブ ル ク 大 学 時 代 の か つ て の 指 導 教 授 F .v .カ ル カ ー が シ ュ ミ ッ ト の た め に 親 衛 隊 に お け る 地 位 を 用 意 す る つ も り だ と い う 旨 の 書 簡 を 受 け 取 る 。 こ れ に つ い て シ ュ ミ ッ ト は 、「 す ば ら し い 」 と コ メ ン ト す る と 同 時 に 、「 興 奮 し て い た 」「 午 後 は も は や 仕 事 が 手 に つ か な か っ た 」 と 述 べ 、 す ぐ に ミ ュ ン ヘ ン に 向 か う こ と を 決 心 す る 。「 私 は お そ ら く 召 集 さ れ 〔 中 略 〕、 そ れ か ら お そ ら く は 親 衛 隊 に 配 属 さ れ る だ ろ う 」(T B1:311 )。 そ の 翌 々 日 に は 早 速 、 カ ル カ ー に 伴 わ れ て ミ ュ ン ヘ ン の ト ル コ 通 り に あ る 兵 営 ( 通 称 「 ト ル コ 兵 営 」) に 赴 き 、 徴 兵 検 査 を 受 け る 。 兵 営 自 体 に つ い て シ ュ ミ ッ ト は 、「 ぞ っ と す る 」 と い う 印 象 を 書 き 留 め る 一 方 、 兵 営 事 務 所 の 将 校 や 兵 士 た ち の 様 子 に つ い て は 好 意 的 感 想 を 述 べ る 。「 私 は 喜 ば し い 様 子 で 、 非 常 に 親 切 に 迎 え 入 れ ら れ た 」(T B1:313 )。「 カ ル カ ー は 大 佐 だ 。 兵 士 た ち は 私 が ど れ だ け カ ル カ ー と 親 し い か と い う こ と を 見 て と る と 、 当 然 私 を 立 派 な 態 度 で 遇 し た 」(Ebd. )。 検 査 の 結 果 、 シ ュ ミ ッ ト は 視 力 不 良 の た め 不 適 格 と な る 。「 残 念 だ 。 と い う の も 私 は す で に ミ ュ ン ヘ ン で 何 か を 見 出 し た と 考 え て い た か ら だ 」(T B1:314 )。 し か し そ の 直 後 に カ ル カ ー か ら 、 戦 線 勤 務 で は な く 、 駐 留 地 に 勤 務 す る 志 願 兵 と し て す ぐ に 採 用 さ れ る 旨 を 伝 え ら れ る (Ebd. )。 こ う し て 志 願 兵 論   説 北法69(1・8)8 に 登 録 し た シ ュ ミ ッ ト は 、 そ の 翌 々 日 に 次 の よ う に 記 し て い る 。「 兵 役 期 間 に 対 し て 怯 え て い た 。 し か し 耐 え な け れ ば な ら な い と 感 じ る 」(T B1:315 )。   こ の よ う に 兵 役 に 対 す る 不 安 と ミ ュ ン ヘ ン で の 新 た な 生 活 へ の 期 待 が 入 り 混 じ っ た 複 雑 な 感 情 を 抱 え つ つ 、 シ ュ ミ ッ ト は 一 九 一 五 年 二 月 一 五 日 に 歩 兵 親 衛 連 隊 補 充 大 隊 の 初 年 兵 第 二 部 隊 へ 召 集 さ れ る 。 同 月 二 五 日 に ベ ル リ ン で 試 補 試 験 の 口 述 試 験 を 終 え る と 、 シ ュ ミ ッ ト は す ぐ に ミ ュ ン ヘ ン に 向 か い 、 ト ル コ 兵 営 に 入 営 す る 。 こ う し て シ ュ ミ ッ ト は 、「 殆 ど 耐 え 難 い 、 二 月 二 五 日 か ら 三 月 二 三 日 ま で の 四 週 間 の 初 年 兵 時 代 」(T B2:7 ) を 過 ご す こ と に な る 。 メ ー リ ン グ が 日 記 帳 か ら 引 用 し 強 調 す る よ う に 、シ ュ ミ ッ ト に と っ て ト ル コ 兵 営 で の 軍 務 は 「 暴 力 的 強 制 」 で あ り 、兵 営 と い う 「 監 獄 」 で 「 奴 隷 状 態 」「 悪 夢 」 を 経 験 し な け れ ば な ら な か っ ) (1 ( た 。 例 え ば 三 月 十 日 に 、 彼 は 兵 営 で の 生 活 に つ い て 次 の よ う に 記 し て い る 。「 私 は し ば し ば 、 夜 に 長 い 間 眠 ら ず に い て 、 自 分 に 関 係 す る 出 来 事 に つ い て 熟 考 し た 。 つ ま り 兵 営 で の 生 活 、 全 く 醜 い 私 の 制 服 姿 、 下 士 官 の 命 令 。 こ れ ら は す べ て 、 現 実 味 の な い こ と 、 悪 夢 の よ う で あ り 、 魔 法 、 地 獄 、 つ ま り ス ウ ェ ー デ ン ボ ル ク の 地 獄 の よ う に 思 わ れ る 。 し ば し ば 私 は 気 が ふ れ た よ う に 憤 激 し 、 そ れ か ら 再 び 放 心 状 態 に 陥 る 。 こ れ ま で に 未 だ 経 験 し た こ と の な い 非 人 間 的 な 、 精 神 の な い 状 態 」(T B2:23 )。 さ ら に 、 三 月 一 六 日 に は 次 の よ う な 経 験 を 印 象 的 に 書 き 留 め て い る 。「 一 人 の 下 士 官 が 通 り 過 ぎ る 。 私 は 彼 に 気 が つ か な か っ た 。 彼 は 私 を 怒 鳴 り つ け て 言 っ た 。 「 な ぜ 敬 礼 を し な い の か 。 な ん と か 言 え 、 無 作 法 な 男 、 愚 か な 初 年 兵 」。 私 は 怒 り の あ ま り 泣 い た 。 何 と い う 残 酷 な 暴 力 的 強 制 だ ろ う 。〔 中 略 〕 私 は 祈 り 、 神 を 認 識 し た い と 望 む 。 こ れ は 重 要 な 試 練 な の だ と 予 感 す る 。 神 よ 、 こ の 試 練 を 乗 り 越 え ら れ ま す よ う に 。〔 中 略 〕 兵 営 の 中 は ど こ も か し こ も 悪 臭 が す る 。 ま る で 豚 の 屠 殺 場 の よ う だ 」(T B2:28f. )。   こ の よ う な 過 酷 な 日 々 は 三 月 二 三 日 に 終 わ り を 告 げ る 。 再 び カ ル カ ー の 采 配 に よ り 、 シ ュ ミ ッ ト は マ ッ ク ス ・ ブ ル ク 公 バ イ エ ル ン 第 一 軍 隊 副 総 司 令 部 に 配 置 換 え さ れ る こ と に な っ た の で あ る (T B2:7, 32 )。 こ う し て シ ュ ミ ッ ト は 、約 一 ヶ カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2) 北法69(1・9)9 月 間 に わ た る ト ル コ 兵 営 で の 軍 隊 生 活 か ら 解 放 さ れ 、「 幸 運 」 と 「 自 由 」(T B2:32 ) を 取 り 戻 す こ と と な っ た 。 ( 二 ) 第 一 次 大 戦 期 シ ュ ミ ッ ト の 戒 厳 状 態 論 ─ ─ そ の 着 手 の 経 緯   新 た に 配 属 さ れ た バ イ エ ル ン 第 一 軍 隊 副 総 司 令 部 に お い て シ ュ ミ ッ ト は 、 部 門 「 P 」 の 内 七 つ に 分 け ら れ た 部 局 の 一 つ で あ る 「 P 6 」 に 勤 務 す る こ と と な っ た 。 近 年 、 こ の 時 期 に お け る シ ュ ミ ッ ト の 日 記 帳 の 公 刊 と 同 時 に 、「 P 6 」 で 彼 が 従 事 し た 任 務 の 内 容 が 公 表 さ れ た (T B2:183-391 )。 そ れ に よ れ ば 、「 P 6 」 は 次 の 事 柄 を 管 轄 す る 部 局 で あ っ た 。「 平 和 運 動 の 監 視 、 独 立 社 会 民 主 党 の 監 視 、 全 ド イ ツ 運 動 の 監 視 、 外 国 の 雑 誌 を 含 む 出 版 物 の 輸 入 の 監 視 、 敵 対 的 プ ロ パ ガ ン ダ 文 書 や ビ ラ の 頒 布 の 監 視 と 防 止 、 出 版 物 の 押 収 、 出 版 物 の 輸 出 の 監 視 、 ミ ュ ン ヘ ン 以 外 の 地 域 に お け る 講 演 と 集 会 の 許 可 、戦 傷 に よ る 身 体 障 害 を も つ 労 働 者 の た め の 劇 興 行 の 監 視 、戦 時 集 会 の 監 視 」(T B2:183 )。 そ の 内 の 任 務 の 一 つ が 、 「 戒 厳 状 態 法 律 に つ い て 報 告 す る 」と い う 課 題 で あ っ ) (1 ( た 。一 九 一 五 年 九 月 七 日 に シ ュ ミ ッ ト は 、次 の よ う に 記 し て い る 。「 午 後 、 戒 厳 状 態 法 律 に つ い て の 報 告 を 行 う 。 戦 争 後 な お 数 年 間 、 戒 厳 状 態 が 維 持 さ れ る 理 由 を 説 明 す る 。 よ り に よ っ て 私 が ! 一 体 何 の た め に 、 神 の 摂 理 (V orsehung ) は 私 を そ の よ う に 定 め た の か 」(T B2:125 )。   こ こ で 与 え ら れ た 任 務 を 契 機 と し て 、シ ュ ミ ッ ト は 戒 厳 状 態 に 関 す る 理 論 的 著 作「 独 裁 と 戒 厳 状 態 ─ ─ 国 法 学 的 研 究 」 ( 一 九 一 六 年 ) を 完 成 さ せ ) (1 ( る 。 従 来 の 研 究 に お い て も 、 こ の 論 文 は 副 総 司 令 部 に 勤 務 し て い た 頃 に 構 想 さ れ た の だ ろ う と 推 測 さ れ て は い た ) (1 ( が 、 近 年 公 開 さ れ た 前 述 の 新 資 料 に 基 づ き 、 副 総 司 令 部 で 従 事 し た 任 務 を 契 機 に 開 始 さ れ た 研 究 で あ っ た こ と が 実 証 さ れ た 。   実 際 に 、 ド イ ツ で は 開 戦 と と も に 戦 時 戒 厳 状 態 が 布 告 さ れ 、 執 行 権 は 軍 管 区 副 司 令 官 に よ り 掌 握 さ れ て い ) (1 ( た 。 皇 帝 に 直 属 す る 個 々 の 副 総 司 令 官 は 、 管 区 内 の 処 置 に つ い て 大 き な 権 限 を も ち 、 国 内 行 政 に お け る 軍 の 役 割 は 増 大 し た 。 こ れ 論   説 北法69(1・10)10 に よ り 、 各 軍 管 区 は 事 実 上 の 新 た な 行 政 単 位 と な っ た が 、 検 閲 、 集 会 の 規 制 や 認 可 等 を め ぐ る 対 応 の 点 で 軍 管 区 ご と に 相 違 が 生 じ 、 戦 時 下 の ド イ ツ 社 会 に 権 限 の 錯 綜 と 対 立 、 混 乱 を も た ら す こ と と な っ た 。 ま た 、 政 治 や 社 会 情 勢 に 疎 い 軍 人 が 行 政 に 介 入 す る こ と に よ り 、 国 内 の 統 合 は よ り 一 層 困 難 と な っ ) (1 ( た 。 こ う し た 状 況 の 中 で 、 戒 厳 状 態 に つ い て 報 告 す る と い う 任 務 が シ ュ ミ ッ ト に 課 せ ら れ た の で あ る 。 ( 三 ) 第 一 次 大 戦 期 シ ュ ミ ッ ト の 例 外 状 態 論 ─ ─ そ の 内 容 と 成 果   そ の 理 論 的 成 果 は 、 論 文 「 独 裁 と 戒 厳 状 態 ─ ─ 国 法 学 的 研 究 」( 一 九 一 六 年 ) に 結 実 し 、『 ド イ ツ 全 刑 法 学 雑 誌 』 第 三 十 八 巻 に 所 収 さ れ る こ と と な る 。 こ の 論 文 に お け る シ ュ ミ ッ ト の 理 論 的 問 題 関 心 は 、「 例 外 状 態(A usnahm ezustand )」 と い う 概 念 の 下 で 従 来 一 括 り に 理 解 さ れ 、 混 同 さ れ て き た 諸 概 念 、 す な わ ち 「 戒 厳 状 態 (Belagerungszustand )」、「 戦 争 状 態 (K riegszustand )」、「 独 裁 (D iktatur )」 の 相 違 点 を 明 ら か に し 、 区 別 す る と い う こ と で あ っ た 。 ま た 同 時 に 、 戒 厳 状 態 の 特 質 を 明 確 化 す る こ と に よ り 、 戦 時 下 の ド イ ツ で 当 時 効 力 を も っ て い た プ ロ イ セ ン の 戒 厳 状 態 法 律 を 批 判 的 に 検 討 す る と い う 実 践 的 な い し 政 治 的 な 意 図 を も っ て い た の で あ る 。 戒 厳 状 態 と 独 裁 の 区 別 ─ ─ フ ラ ン ス に お け る 一 七 九 三 年 と 一 八 三 〇 年 な い し 一 八 四 八 年 の 例 外 状 態 の 比 較 を 通 じ て   シ ュ ミ ッ ト に よ れ ば 、「 戒 厳 状 態 、戦 争 状 態 、独 裁 と し て 示 さ れ る 例 外 状 態 」 は 、従 来 、混 同 し て 理 解 さ れ て き た 。 特 に 、 戒 厳 状 態 と 独 裁 と い う 「 両 概 念 の 等 置 は 、 西 欧 全 土 で 革 命 に 関 し て 用 い ら れ た 術 語 に お い て 継 承 さ れ た 。 そ の 混 同 は 、 今 日 ま で 継 続 し て い る 」(BD : 4 )。 そ こ で シ ュ ミ ッ ト は 、「 か の 例 外 状 態 の 法 学 的 本 質 な ら び に 政 治 的 本 質 を 認 識 す る 」 た め に 、 こ れ ら の 概 念 に お け る 「 異 質 な 諸 要 素 を 解 き ほ ぐ す 」(D B:3 ) 必 要 が あ る と 述 べ る 。 そ の た め に 参 照 し な け れ カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2) 北法69(1・11)11 ば な ら な い の は 、 シ ュ ミ ッ ト に よ れ ば 、 フ ラ ン ス 史 に お け る 例 外 状 態 で あ る 。 と い う の も 、 当 時 の ド イ ツ に お い て 妥 当 し て い る 例 外 状 態 に 関 す る 諸 法 律 は 、 本 質 的 な 点 で フ ラ ン ス 立 法 の 影 響 下 に 成 立 し た か ら で あ る 。「 確 か に 、 フ ラ ン ス に お け る 諸 概 念 が プ ロ イ セ ン の 内 政 改 革 や 軍 事 制 度 改 革 に 与 え た 影 響 は 大 し て 重 大 で は な い し 、 多 様 な 点 に お い て 受 け 入 れ ら れ た わ け で は な い 。 し か し 、 ド イ ツ 諸 国 家 の 体 制 は い ず れ に せ よ 、 フ ラ ン ス の 諸 概 念 の 術 語 を ─ ─ こ れ は 長 ら く 諸 概 念 か ら 切 り 離 さ れ な い も の で あ っ た が ─ ─ 継 承 し て き た の で あ る 。 ま た 、 プ ロ イ セ ン に お け る 戒 厳 状 態 の 歴 史 は 、 プ ロ イ セ ン の 憲 政 史 か ら 切 り 離 さ れ え な い 」(Ebd. )。 そ れ ゆ え に シ ュ ミ ッ ト は 、 フ ラ ン ス 史 か ら 例 外 状 態 に 関 す る 歴 史 的 資 料 が 引 き 出 さ れ る べ き だ と 述 べ 、 フ ラ ン ス に お け る 一 七 九 三 年 の 事 例 と 一 八 三 〇 年 お よ び 一 八 四 八 年 の 事 例 を 検 討 対 象 と す る 。   シ ュ ミ ッ ト に よ れ ば 、 一 八 四 八 年 の 二 月 革 命 以 来 、「 内 乱 鎮 圧 の た め に 施 行 さ れ た 、 政 治 的 な 戒 厳 状 態 」 に 「 軍 事 独 裁 (M ilitärdiktatur )」 の 名 を 与 え 、 法 制 度 と し て の 戒 厳 状 態 と 独 裁 と を 同 一 視 す る こ と が 慣 例 と な っ て い る 。 し か し 戒 厳 状 態 と 独 裁 を 同 一 視 し 、等 し い も の と 見 做 す こ と は 、歴 史 的 に は 全 く 根 拠 の な い も の で あ る(Ebd. )。と い う の も 、シ ュ ミ ッ ト に よ れ ば「 独 裁 の 名 に 値 す る 」フ ラ ン ス 大 革 命 後 の 一 七 九 三 年 の 国 民 公 会(N ationalkonvent )の 統 治 に お い て は 、 独 裁 と 戒 厳 状 態 と は 全 く 異 な る も の で あ る と 理 解 さ れ て い た か ら で あ る 。 そ れ 以 前 の 一 七 九 一 年 七 月 八 日 か ら 十 日 の 法 律 に お い て は 、 戒 厳 状 態 お よ び 戦 争 状 態 と い う 文 言 が 見 出 さ れ る が 、 一 七 九 三 年 の 国 民 公 会 に お い て は 戒 厳 状 態 が 問 題 と さ れ る こ と は な か っ た 。 な ぜ な ら ば 、 国 民 公 会 に お い て は 「 国 家 の 防 衛 と 公 共 の 福 祉 の た め に 必 要 で あ る と 考 え ら れ た 」 例 外 状 態 の 概 念 が 戒 厳 状 態 と 関 わ り を も つ と は 全 く 考 え ら れ ず 、 戒 厳 状 態 は 「 自 由 な 国 民 に は 相 応 し く な い も の と 考 え ら れ 、 憤 慨 の 感 情 と と も に 拒 絶 さ れ た 」(D B:4 ) か ら で あ る 。   こ れ に 対 し て 一 八 四 八 年 の 憲 法 制 定 国 民 議 会 (N ationalversam m lung ) に お い て は 、 戒 厳 状 態 は 「 憲 法 規 定 の 停 止 と 論   説 北法69(1・12)12 結 び つ い た 、 軍 事 命 令 権 者 へ の 執 行 権 力 の 移 行 」 と し て 理 解 さ れ た 。   シ ュ ミ ッ ト に よ れ ば 、 戒 厳 状 態 と 独 裁 と を 同 一 視 す る と い う 誤 解 と 混 同 は 、 今 日 ま で 続 い て お り 、 概 念 を め ぐ る 様 々 な 混 乱 を も た ら し て い る が 、 実 際 に は 、 一 七 九 三 年 に お け る 例 外 状 態 と 一 八 四 八 年 の 例 外 状 態 の 相 違 は 明 白 で あ っ た (D B:4 )。 そ の 相 違 は 、 前 者 が 諸 外 国 か ら の 攻 撃 に 対 す る 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 防 衛 戦 争 か ら 生 じ た 独 裁 で あ っ た の に 対 し 、 後 者 は 国 内 に お 0 0 0 0 け る 反 乱 の 鎮 圧 0 0 0 0 0 0 0 を 目 的 と す る 非 常 措 置 で あ っ た こ と に あ る 。「 一 七 九 三 年 に お い て 共 和 国 に と っ て 問 題 で あ っ た の は 、 ほ ぼ 全 て の ヨ ー ロ ッ パ 列 強 諸 国 の 大 同 盟 に 抵 抗 す る こ と で あ っ た 。 敵 国 の 進 攻 は 北 フ ラ ン ス 、 ア ル ザ ス 、 テ ュ ー ロ ン ま で 迫 っ て い た 。 自 国 を 外 側 に 向 け て 防 衛 す る 必 要 か ら 、 独 裁 が 生 じ た の で あ る 。 そ こ で は 、 公 安 委 員 会 (Com ité de  salut public ) が 統 治 し た 」(Ebd. )。 シ ュ ミ ッ ト は 、 フ ラ ン ス 革 命 史 家 ア ル フ ォ ン ス ・ オ ラ ー ル の 著 書 『 フ ラ ン ス 革 命 政 治 史 』( 初 版 、 一 九 一 九 年 ) か ら 次 の 一 節 を 引 用 し 、 説 明 を 補 足 す る 。 一 七 九 三 年 の 独 裁 は 、「 全 ヨ ー ロ ッ パ に 対 し て 戦 争 状 態 に 置 か れ た 人 民 、 す な わ ち 総 じ て 武 装 化 し た 人 民 が 、 主 と し て 戦 陣 と 化 し た 国 に お い て そ の 実 存 を 防 衛 す る た め に 連 続 的 に 生 じ た 緊 急 状 態 」 の 漸 進 的 出 来 事 で あ っ た 」(Ebd. )。 こ の よ う に シ ュ ミ ッ ト は 、 列 強 諸 国 に よ り 結 成 さ れ た 対 仏 大 同 盟 に 対 し て 共 和 国 を 防 衛 す る 必 要 か ら 生 じ た 一 七 九 三 年 に お け る 例 外 状 態 を 独 裁 と し て 把 握 し 、 そ の 統 治 の 主 体 は 公 安 委 員 会 で あ っ た と 理 解 し て い た 。   こ れ に 対 し て 、 一 八 三 〇 年 七 月 革 命 お よ び 一 八 四 八 年 二 月 革 命 に お い て 問 題 で あ っ た の は 、 国 内 の 反 乱 に 対 す る 闘 争 と そ の 鎮 圧 で あ っ た 。 七 月 革 命 は 復 古 王 政 に 対 抗 す る 憲 法 闘 争 す な わ ち 既 存 の 体 制 と の 紛 争 で あ り 、 一 八 四 八 年 革 命 も ま た 、 諸 外 国 に 与 え た 印 象 が い か に 甚 大 で あ っ た と し て も 、「 フ ラ ン ス 国 内 の 問 題 」 で あ っ た (D B:4f. )。 す な わ ち 国 内 に お い て 脅 威 と な る 危 険 の 除 去 を 目 的 と し 、 内 乱 を 鎮 圧 す る た め に と ら れ た 非 常 措 置 で あ っ た (D B:5 )。   シ ュ ミ ッ ト は さ ら に 、 一 七 九 三 年 の 例 外 状 態 と 一 八 三 〇 年 な い し 一 八 四 八 年 の 例 外 状 態 と の 間 に あ る 、 国 法 学 上 の 相 カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2) 北法69(1・13)13 違 点 に つ い て 分 析 を 進 め る 。 端 的 に 述 べ る な ら ば 、〈 立 法 権 と 執 行 権 の 分 離 が 維 持 さ れ て い る か 〉、 す な わ ち 権 力 分 立 の 原 則 が 貫 か れ て い る か 否 か を 基 準 と し て 、 こ れ ら の 例 外 状 態 は 区 別 さ れ な け れ ば な ら な い と 論 じ る 。 一 七 九 三 年 の 例 外 状 態 す な わ ち 独 裁 に お い て は 、 立 法 権 と 執 行 権 の 分 離 と い う 原 則 は 廃 棄 さ れ て い る 。 す な わ ち 「 一 七 九 三 年 に お け る 独 裁 の 発 展 は 、 国 法 上 の 形 態 と し て は 権 力 分 立 の 漸 次 的 廃 棄 の み を 意 味 し た 」(Ebd. )。 周 知 の 通 り 、 一 七 八 九 年 の 人 権 宣 言 第 十 六 条 に は 、「 三 権 の 分 立 が 貫 徹 さ れ て い な い 社 会 は す べ て 、 憲 法 と 自 由 を 欠 い て い る 」 と 規 定 さ れ て い る 。 権 力 分 立 原 則 の 理 論 的 創 始 者 で あ る ロ ッ ク と モ ン テ ス キ ュ ー に と り 、 権 力 分 立 は 、 国 家 権 力 に よ る 個 人 の 抑 圧 の 防 止 を 目 的 と し た 、 国 家 権 力 の 均 衡 を と る た め の 実 践 的 か つ 技 術 的 手 段 で あ っ た 。 確 か に 革 命 政 府 は 、 少 な く と も 形 式 的 に は 権 力 分 立 を 絶 対 的 原 則 と し た が 、シ ュ ミ ッ ト に よ れ ば 実 際 に そ こ で 現 出 し た の は「 公 安 委 員 会 に よ る 無 制 約 の 独 裁 」で あ っ た 。 つ ま り 、 一 七 九 三 年 四 月 六 日 の 国 民 公 会 の 決 議 に よ り 公 安 委 員 会 が 設 置 さ れ た と き 、 立 法 権 と 執 行 権 の 分 離 は 現 実 に は 放 棄 さ れ て い た (D B:5 ) と 述 べ る 。 公 安 委 員 会 の 原 型 は 同 年 一 月 に 設 置 さ れ て い た 「 一 般 防 衛 委 員 会 」 で あ り 、 権 力 集 中 を 図 る た め に 、 よ り 強 力 な 権 限 を も つ 委 員 会 と し て 改 組 さ れ 成 立 し た 組 織 で あ っ ) (1 ( た が 、 シ ュ ミ ッ ト に よ れ ば 、 こ の 一 般 防 衛 委 員 会 の 設 立 と と も に す で に 独 裁 の 進 展 は 押 し と ど め よ う の な い も の と な っ て い た (Ebd. )。 と い う の も 、 公 安 委 員 会 に は 実 質 的 に 、 立 法 権 を も 執 行 権 を も 含 む 強 大 な 権 限 が 認 め ら れ る こ と と な っ た か ら で あ る 。 公 安 委 員 会 の 設 置 後 も 執 行 部 や 諸 大 臣 は 存 在 し 続 け た が 、 公 安 委 員 会 は 執 行 部 の 諸 活 動 を 監 視 す る と と も に 、 緊 急 時 に は 内 外 に 対 し て 共 和 国 防 衛 の た め の 非 常 措 置 を 講 じ る こ と が で き 、 し か も 即 座 に 執 行 す る こ と が で き た 。 公 安 委 員 会 は 、 自 ら 公 布 し た 暫 定 的 な 指 令 を 執 行 す る 権 限 を も っ た だ け で は な く 、 国 民 公 会 に よ り 公 布 さ れ た 法 律 の 執 行 権 を も 握 っ て い た 。 た だ し 実 際 に は 、 公 安 委 員 会 自 体 が 法 案 を 提 出 し 、 国 民 公 会 に お い て い か な る 討 論 も な し に 、 満 場 一 致 の 採 決 を 経 て 成 立 し た も の で あ っ た 。 し た が っ て 公 安 委 員 会 は 事 実 上 、自 ら 立 法 し 、そ の 法 律 を 即 座 に 執 行 す る 地 位 に あ っ た の で あ る(D B:7 )。 論   説 北法69(1・14)14 し た が っ て 一 七 九 三 年 の 独 裁 に お い て は 、 実 際 に は 、 公 安 委 員 会 と い う 同 一 の 機 関 が 立 法 権 と 執 行 権 を 行 使 し て お り 、 権 力 分 立 の 原 則 は 放 棄 さ れ て い た 。 シ ュ ミ ッ ト は オ ラ ー ル に 倣 い 、 立 法 権 と 執 行 権 を 分 離 す る 原 則 の 廃 棄 、 す な わ ち 二 権 の 一 致 を 通 じ て フ ラ ン ス は 救 済 さ れ た の だ と 述 べ て い る (D B:6 )。   こ れ に 対 し て 、 一 八 三 〇 年 お よ び 一 八 四 八 年 に は 、 立 法 権 と 執 行 権 の 分 離 は 廃 棄 さ れ ず 、 権 力 分 立 の 原 則 は 維 持 さ れ た 。 二 月 革 命 に お い て は 、 憲 法 制 定 国 民 議 会 は 一 八 四 八 年 六 月 二 十 三 日 に 、 当 時 の 軍 司 令 官 カ ヴ ェ ニ ャ ッ ク に 全 軍 事 権 力 を 与 え 、翌 日 に 民 事 官 庁 の 権 限 を も 委 託 し た 。 こ の 同 日 に 、国 民 議 会 は 戒 厳 状 態 を 宣 言 し た の で あ る が 、カ ヴ ェ ニ ャ ッ ク に と り 、 戒 厳 状 態 は 「 共 和 国 の 原 理 を 擁 護 す る た め の 手 段 」 で あ っ た (Ebd. )。 彼 は 新 聞 や 報 道 機 関 を 抑 圧 し 、 ま た 各 地 に 委 員 を 派 遣 す る な ど し て 権 限 を 大 い に 利 用 し た が 、 彼 は 自 ら を 単 な る 執 行 機 関 で あ る と 認 識 し て い た 。 す な わ ち 軍 事 命 令 権 者 は 、 現 行 体 制 上 の 制 約 に は 制 約 さ れ な い が 、 国 民 議 会 に よ り 与 え ら れ た 、 あ ら ゆ る 手 段 を も っ て 革 命 な い し 内 乱 を 鎮 圧 す る と い う 委 託 に 拘 束 さ れ て い た 。 そ し て 委 託 を 完 遂 し た の ち に は 、 た だ ち に 全 権 限 を 委 託 付 与 者 す な わ ち 国 民 議 会 に 返 還 す る こ と と さ れ て い た (D B:7 )。 し た が っ て 、 一 八 三 〇 年 お よ び 一 八 四 八 年 に お い て は 、 国 王 命 令 あ る い は 国 民 議 会 の 法 律 を 通 じ て 軍 事 命 令 権 者 に 執 行 権 力 が 集 中 し 、具 体 的 な 課 題 に 対 処 す る こ と が 求 め ら れ た 。 つ ま り 、 軍 事 命 令 権 者 は 全 官 庁 の 有 す る 執 行 権 を 集 中 的 に 掌 握 し た が 、 立 法 権 を も た な か っ た と い う こ と が そ の 特 徴 で あ っ た 。   シ ュ ミ ッ ト は 、 一 七 九 三 年 の 例 外 状 態 と 一 八 三 〇 年 な い し 一 八 四 八 年 の 例 外 状 態 と が 従 来 の 見 解 に お い て 混 同 さ れ て き た こ と の 背 景 と し て 、 両 者 が と も に 「 国 家 を 脅 か す 危 険 を 除 去 す る 」 と い う 目 的 を も っ て い た こ と 、 し か も 軍 事 的 手 段 を 利 用 し て そ の 目 的 を 達 成 し た 点 に 共 通 性 が あ っ た こ と を 指 摘 す る 。 し か し 実 際 に は 、 対 外 的 な 防 衛 戦 争 に も ち こ た え る こ と を 目 的 と す る 独 裁 で あ っ た か 、 あ る い は 内 乱 の 鎮 圧 を 目 的 と す る 非 常 措 置 で あ っ た か と い う 点 で 両 事 例 は 事 実 上 の 相 違 点 を も つ の み な ら ず 、 権 力 分 立 の 原 則 が 維 持 さ れ て い る か 否 か と い う 理 論 上 の 観 点 か ら し て も 根 本 的 に 異 な っ カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2) 北法69(1・15)15 て い た の で あ る 。 戒 厳 状 態 論 ─ ─ 実 質 的 戒 厳 状 態 と 擬 制 的 戒 厳 状 態 の 区 別   さ ら に シ ュ ミ ッ ト は 、 法 制 度 と し て の 戒 厳 状 態 は 二 通 り に 区 別 し て 理 解 さ れ な け れ ば な ら な い と 論 じ る 。 す な わ ち 戒 厳 状 態 は 、 現 前 す る 危 機 に 直 面 し た 場 合 に 純 粋 に 「 軍 事 的 目 的 を 貫 徹 す る た め の 手 段 」 と し て の 「 真 の 意 味 に お け る 戒 厳 状 態 」 す な わ ち 「 実 質 的 (effektiv ) 戒 厳 状 態 」 と 、 治 安 維 持 を 目 的 と す る 「 政 治 的 な い し 擬 制 的 戒 厳 状 態 」 と に 区 別 さ れ る べ き で あ る (D B:8 ) と い ) (1 ( う 。 こ う し た 戒 厳 状 態 に お け る 「 軍 事 的 観 点 と 治 安 警 察 上 の 観 点 」 は 通 常 、 明 白 に 区 別 さ れ ず 、 個 々 の 戒 厳 状 態 立 法 に お い て 「 戦 争 状 態 な い し 戒 厳 状 態 と 戒 厳 令 (Standrecht ) と の 対 立 」 と い う 形 で 継 承 さ れ て き た (D B:8f. )。   シ ュ ミ ッ ト に よ れ ば 、 十 九 世 紀 フ ラ ン ス の 歴 史 的 展 開 を 通 じ て 、 こ う し た 法 制 度 と し て の 戒 厳 状 態 に お け る 二 つ の 異 な る 要 素 が 見 出 さ れ る 。 治 安 警 察 上 の 目 的 の た め に 戒 厳 状 態 が 始 め て 用 い ら れ た 歴 史 的 事 例 は 、 一 八 一 六 年 五 月 の 戒 厳 状 態 で あ っ た 。 こ こ で 初 め て 、戒 厳 状 態 は 反 政 府 派 に 対 す る 闘 争 の 中 で 、政 府 に よ り 「 内 政 上 の 道 具 」 と し て 用 い ら れ 、 そ の 後 、 一 八 四 九 年 八 月 の 法 律 に よ り 、 戒 厳 状 態 概 念 の 展 開 は 完 結 に 至 っ た (D B:13f. )。   シ ュ ミ ッ ト の 議 論 を 整 理 す る な ら ば 、 こ う し て 確 立 し た 戒 厳 状 態 の 特 徴 は 次 の よ う に 理 解 で き る 。 第 一 に 、 反 乱 の 鎮 圧 は 裁 判 権 上 の 手 段 を 用 い て 成 功 し う る 、 す な わ ち 「 危 機 は 即 決 裁 判 の 手 続 き に よ り 除 去 さ れ る 」 か ら 、 軍 事 命 令 権 者 は 戒 厳 令 を 通 じ て 、 即 決 裁 判 と そ の 即 時 執 行 と い う 「 擬 制 的 司 法 権 限 」 を 手 に 入 れ る (D B:11 )。 第 二 に 、 戒 厳 状 態 が 布 告 さ れ た 地 域 に お い て は 、 軍 事 命 令 権 者 が そ の 地 域 の 軍 事 、 民 事 を 含 む 全 官 庁 の 権 限 を 一 手 に 掌 握 す る (Ebd. )。 第 三 に 、戒 厳 状 態 法 律 は す べ て 、軍 事 命 令 権 者 の 権 限 を 限 定 し よ う と す る が 、戒 厳 状 態 が 敷 か れ た 地 域 に お い て は 事 実 上 、 論   説 北法69(1・16)16 軍 事 命 令 権 者 に 対 す る 法 律 的 制 約 は な く な る 。(D B:15 )。 以 上 か ら シ ュ ミ ッ ト が 結 論 づ け る と こ ろ に よ れ ば 、 戒 厳 状 態 の 本 質 は 、 特 定 の 地 域 内 に お け る 法 律 的 制 約 の 廃 棄 で あ り (Ebd. )、 全 官 庁 の 行 為 が 全 て 法 律 に 適 合 す る 完 全 な 法 治 国 家 を 前 提 と す る な ら ば 、こ れ は 執 行 権 力 の 集 中(K onzentration )を 意 味 す る が 、法 治 国 家 原 理 の 廃 棄 を 意 味 し な い(D B:11 )。   た だ し こ の と き 、 権 力 分 立 の 原 則 が 維 持 さ れ 、 軍 事 命 令 権 者 は 立 法 権 を も た な い と し て も 、 軍 事 命 令 権 者 に 委 ね ら れ た 領 域 、 す な わ ち 戒 厳 状 態 が 敷 か れ た 地 域 内 部 で は 「 も は や 権 力 分 立 は 存 在 し な い 」 か の よ う な 状 況 に 陥 る (D B:19 )。 戒 厳 状 態 に お い て は 、 そ の 目 的 は 純 粋 に 事 実 、 例 え ば 反 乱 は 鎮 圧 さ れ な け れ ば な ら な い と い う 事 実 や 、 特 定 の 軍 事 的 成 果 が 保 証 さ れ な け れ ば な ら な い と い う 事 実 に よ っ て 規 定 さ れ て お り 、 こ の 目 的 の 達 成 だ け が 重 要 で あ る 。 こ の 目 的 を 貫 徹 す る た め に 、 軍 事 命 令 権 者 は 法 律 的 制 約 に よ っ て 妨 げ ら れ る こ と な く 、 自 ら が 適 切 だ と 判 断 す る あ ら ゆ る 手 段 を 用 い る こ と が で き る 。 す な わ ち 軍 事 命 令 権 者 は 法 律 を 廃 棄 す る こ と は で き な い が 、 法 律 に よ る 制 約 を 免 れ る の で あ る 。 つ ま り 、 そ の 領 域 内 部 で 法 律 は 妥 当 し 続 け る と し て も 、 軍 事 命 令 権 者 は あ た か も 「 法 か ら 自 由 な 領 域 を 画 定 す る 」 こ と が で き 、 彼 は そ の 制 約 を 無 視 す る こ と が で き る 。 し た が っ て 、 そ こ で は 「 原 始 状 態 へ の 回 帰 」 が 生 じ 、 権 力 分 立 は 存 在 し な い か の よ う な 法 的 状 況 、 す な わ ち 「 権 力 分 立 以 前 の 行 政 国 家 」(BD :19 ) へ と 逆 行 す る の で あ る 。   こ う し た 現 象 が 生 じ る 理 由 を 、シ ュ ミ ッ ト は 執 行 お よ び 行 政 の 特 別 な 性 格 か ら 説 明 す る 。す な わ ち こ う し た 現 象 は 、「 特 定 の 目 的 を 達 成 す る と い う 顧 慮 ゆ え に 軍 部 に 手 段 の 選 択 を 委 ね る た め 、 法 律 が 後 退 す る 」 と い う 前 述 の 事 情 に 起 因 す る と と も に 、 行 政 は 「 特 定 の 法 律 の 単 な る 執 行 以 上 の も の で あ る 」 こ と に 由 来 す る (D B:19 )。 シ ュ ミ ッ ト は ル ソ ー の 国 家 論 を 批 判 的 に 解 釈 し な が ら 、 行 政 は 「 単 な る 法 律 の 執 行 以 上 の も の 」 で あ る と い う こ と を 次 の よ う に 論 じ る 。 ル ソ ー の 国 家 論 で は 、 国 家 の 全 活 動 は 立 法 権 と 執 行 権 に 分 割 さ れ て お り 、 司 法 権 は 抜 け 落 ち て い る た め 、 権 力 の 三 分 割 と い う 理 論 は そ の 基 礎 を も た な い 。 さ ら に ル ソ ー の 議 論 に お い て は 「 同 時 に 、 執 行 権 も も は や そ れ 以 前 の 議 論 〔 ル ソ ー 以 前 の カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2) 北法69(1・17)17 思 想 家 の 議 論 ─ ─ 引 用 者 〕 と 同 じ 権 利 を 持 た な い 」。 す な わ ち 、 命 令 す る 主 権 者 で あ る 立 法 者 と そ の 命 令 に 服 従 す る 執 行 部 と が 対 置 さ れ 、 こ こ で 後 者 は 前 者 に 対 し て 従 属 的 な 地 位 に あ る 。 こ こ で は 「 立 法 は 脳 で あ り 、 執 行 は 単 な る 腕 で あ る 」 か の よ う に 見 做 さ れ て い る 。 こ れ に 対 し て シ ュ ミ ッ ト は 、 執 行 お よ び 行 政 の 意 義 を ル ソ ー は 正 当 に 評 価 し て い な い と し て 批 判 す る 。 シ ュ ミ ッ ト に よ れ ば 、 行 政 と は 「 実 定 的 法 律 諸 規 定 を 単 に 遂 行 す る 以 上 の も の 」 で あ り 、「 あ ら ゆ る 国 家 活 動 の 始 ま り は 行 政 で あ る 」(D B:17 )。 歴 史 的 に も 、 最 初 に 執 行 さ れ る べ き 意 志 と し て の 法 律 が 表 明 さ れ 、 そ れ か ら 執 行 が 行 わ れ る と い う 仕 方 で は 進 展 し て い な い 。 立 法 と 司 法 は 後 続 的 に 、 行 政 か ら 分 離 さ れ る こ と で 初 め て 確 立 し た と い う 。   以 上 の 議 論 を 踏 ま え て 、 シ ュ ミ ッ ト は ヘ ー ゲ ル の 弁 証 法 の 論 理 を 用 い て 、 独 裁 と 戒 厳 状 態 の 相 違 を 次 の よ う に 要 約 す る 。「 ヘ ー ゲ ル 的 定 式 化 が 未 だ に 許 さ れ る な ら ば 、 こ の 〔「 独 裁 」 と 「 戒 厳 状 態 」 の ─ ─ 引 用 者 〕 相 違 は 次 の よ う に 表 現 さ れ う る だ ろ う 。 国 家 的 諸 機 能 が 区 別 さ れ て い な い 最 初 の 統 一 が 肯 定 (Position ) で あ っ た 。 権 力 分 立 は そ の 否 定 (N egation )で あ る 。 戒 厳 状 態 は( 特 定 の 空 間 に と り )肯 定 へ の 回 帰(Rückkehr zur Position )を 意 味 す る 。 一 方 で 独 裁 は 、 否 定 の 否 定(N egation der N egation )で あ る 。 す な わ ち 権 力 分 立 は 確 か に 廃 棄 さ れ る が 、継 承 さ れ 前 提 さ れ る 」(D B:19 )。 す な わ ち 、 権 力 分 立 の 原 則 が 維 持 さ れ た 状 態 を 二 権 が 分 離 さ れ 区 別 さ れ た 「 否 定 」 の 状 態 で あ る と す れ ば 、 特 定 の 地 域 に お い て 権 力 が 一 者 に 集 中 し 、「 権 力 分 立 以 前 の 行 政 国 家 」 へ の 回 帰 を 意 味 す る 戒 厳 状 態 は 「 肯 定 へ の 回 帰 」、 す な わ ち 直 接 的 統 一 へ の 回 帰 と し て 捉 え ら れ る 。 さ ら に 、 権 力 分 立 の 原 則 が 認 識 さ れ 前 提 さ れ な が ら も 、 そ の 上 で 同 一 の 機 関 が 二 権 を 行 使 す る 独 裁 は 「 否 定 の 否 定 」、 す な わ ち 綜 合 の 状 態 と し て 説 明 さ れ る の で あ る 。 論   説 北法69(1・18)18 現 行 の 戒 厳 状 態 法 律 に お け る 問 題 点   戒 厳 状 態 に お け る 二 つ の 要 素 、 す な わ ち 「 軍 事 的 目 的 を 貫 徹 す る た め の 手 段 」 と し て の 「 実 質 的 戒 厳 状 態 」 と 国 内 の 治 安 維 持 を 目 的 と す る 「 擬 制 的 戒 厳 状 態 」 と を 区 別 す る こ と は 、 シ ュ ミ ッ ト に と り 、 理 論 的 意 義 を も つ の み な ら ず 、 現 行 の 戒 厳 状 態 法 律 に お け る 問 題 点 を 明 ら か に す る と い う 実 際 的 な 意 義 を 有 す る も の で あ っ た 。 シ ュ ミ ッ ト に よ れ ば 、 ラ イ ヒ 憲 法 第 六 十 八 条 に よ り ラ イ ヒ 法 律 と な っ た 、 戒 厳 状 態 に 関 す る 一 八 五 一 年 六 月 四 日 の プ ロ イ セ ン 法 律 は 、 戒 厳 状 態 に お け る 二 つ の 要 素 、す な わ ち 対 外 的 軍 事 目 的 お よ び 治 安 警 察 上 の 目 的 を 区 別 せ ず に 並 存 さ せ て い る (BD :9 )。 そ れ は 、 こ の 法 律 が 対 外 戦 争 よ り も 内 乱 や 革 命 を 考 慮 し て 制 定 さ れ た と い う 成 立 事 情 に 起 因 す る も の で あ っ た 。 そ れ ゆ え 、「 法 学 的 解 釈 の 方 法 に よ っ て は 解 決 さ れ え な い 困 難 な 論 争 が 生 じ た 」 と い う 。 す な わ ち プ ロ イ セ ン に お い て 「 戦 争 状 態 は 、 と き に は 治 安 警 察 上 の 措 置 と し て 、 ま た 政 府 の 法 律 と し て 取 り 扱 わ れ る が 、 と き に は ラ イ ヒ の 最 高 指 揮 官 と し て の 皇 帝 の 権 限 に 属 す る 軍 事 的 案 件 と し て 扱 わ れ る 」(Ebd. )。 こ れ に つ い て 通 説 で は 、「 ラ ー バ ン ト に よ る 見 事 な 説 明 」に 従 い 、「 皇 帝 は 軍 事 命 令 権 者 と し て 、 戦 争 状 態 を 宣 言 す る 」 と い う 立 場 が 採 用 さ れ て い る が 、 こ こ で は 不 当 に も 軍 事 的 契 機 が 一 方 的 に 強 調 さ れ て い る (D B:10 )。   こ の 点 で シ ュ ミ ッ ト は 、 一 九 一 二 年 十 一 月 五 日 に 成 立 し た バ イ エ ル ン 戦 争 状 態 法 律 を 評 価 す る 。 と い う の も 、 バ イ エ ル ン 戒 厳 状 態 法 律 は 、 純 粋 な 軍 事 的 考 慮 か ら 制 定 さ れ た も の で あ り 、 そ の 目 的 は 円 滑 な 動 員 を 保 証 す る こ と で あ っ た 。 こ こ で は 、 国 内 の 反 乱 に 対 す る 憂 慮 と そ れ に 対 処 と い う 観 点 は 明 白 に 退 け ら れ て い た (D B:9 )。   さ ら に シ ュ ミ ッ ト は 、 第 一 次 大 戦 中 に ド イ ツ の 裁 判 所 が 軍 事 命 令 権 者 に 対 し て 白 紙 委 任 を 通 じ て 立 法 権 に 類 す る 権 限 を も 認 め て い る こ と を 批 判 的 に 指 摘 す る 。「 今 日 の 戦 争 中 、 ド イ ツ 裁 判 所 は そ の 一 致 し た 、 恒 常 的 な 実 践 に お い て 、 軍 事 命 令 権 者 に 〔 執 行 権 の み な ら ず ─ ─ 引 用 者 〕 立 法 権 を も 認 め て い る 。 一 八 五 一 年 の プ ロ イ セ ン 法 律 第 九 条 、 そ し て カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2) 北法69(1・19)19 一 九 一 二 年 バ イ エ ル ン 戦 争 状 態 法 律 第 四 条 第 二 項 は 、 軍 事 命 令 権 者 の 命 令 に 違 反 す る 行 為 に 対 し て 〔 軍 事 命 令 権 者 が ─ ─ 引 用 者 〕 処 罰 を 与 え る と い う 白 紙 委 任 を 含 ん で お り 、 そ の た め に 必 要 な 立 法 権 力 の 委 譲 が 認 め ら れ た 。 こ の 解 釈 が ど の 程 度 正 当 で あ る か と い う こ と は 、 こ こ で は 検 証 さ れ な い 」(D B:14 )。 す な わ ち シ ュ ミ ッ ト は 、 立 法 権 と 執 行 権 の 分 離 は 維 持 さ れ 、 特 定 地 域 に お い て の み 軍 事 命 令 権 者 に 全 執 行 権 力 を 認 め る と い う 、 十 九 世 紀 フ ラ ン ス 史 を 通 じ て 確 認 さ れ た 戒 厳 状 態 の 概 念 と は 相 容 れ な い 現 象 が 現 下 の ド イ ツ で 生 じ て い る 、 と 現 状 を 把 握 し て い た 。 と い う の も 、 シ ュ ミ ッ ト の 定 義 に よ れ ば 、 執 行 権 を 行 使 す る 軍 事 命 令 権 者 に 立 法 権 限 を も 認 め る な ら ば 、 そ れ は 戒 厳 状 態 で は な い か ら で あ る 。 一 者 な い し 一 機 関 が 立 法 権 と 執 行 権 を 同 時 に 行 使 す る な ら ば 、 そ れ は 一 七 九 三 年 の フ ラ ン ス に 現 出 し た 独 裁 で あ る 。   シ ュ ミ ッ ト は 「 独 裁 と 戒 厳 状 態 」 末 尾 の 脚 注 で 次 の よ う に 記 し て い る 。「 軍 事 命 令 権 者 の 下 し た す べ て の 命 令 が 、 ラ イ ヒ 議 会 の よ う な 中 心 機 関 に よ り 公 布 さ れ た 法 律 的 諸 命 令 と 全 く 同 等 で あ り 、 と き に は こ れ に 優 先 し さ え す る [ こ と を 許 す ─ ─ 引 用 者 ] な ら ば 、 あ ら ゆ る 個 々 の 軍 事 命 令 権 者 に 対 し て 立 法 権 限 を 認 め る 今 日 の 裁 判 所 の 実 践 は 、〔 執 行 権 力 の ─ ─ 引 用 者 〕 集 中 と は 真 逆 の 事 態 を 引 き 起 こ す と い う こ と が 僅 か ば か り で も 言 及 さ れ て 然 る べ き だ ろ う 」(D B:20,  A nm . 52 )。 本 論 文 で シ ュ ミ ッ ト は 、 当 時 の ド イ ツ に お け る 戒 厳 状 態 法 律 の 運 用 に つ い て 明 白 に 批 判 す る こ と は 避 け て い る が 、軍 事 命 令 権 者 の 裁 量 や 権 限 の 範 囲 が 法 制 度 と し て の 戒 厳 状 態 が 許 容 す る 範 囲 を 逸 脱 し て い る と い う 認 識 を も ち 、 批 判 的 に 検 討 し て い た の で あ る 。 ( 四 ) シ ュ ミ ッ ト の 戒 厳 状 態 論 に 対 す る 同 時 代 の 法 学 者 に よ る 評 価   ド イ ツ に お け る 戒 厳 状 態 法 律 に 対 す る 従 来 の 解 釈 と そ の 運 用 を 批 判 す る と い う 、 以 上 に 見 た シ ュ ミ ッ ト の 実 践 的 意 図 は 、 同 時 代 の 法 学 者 に は 明 ら か な こ と と し て 映 っ て い た よ う で あ る 。 シ ュ ト ラ ス ブ ル ク 大 学 法 学 部 に 勤 務 し て い た 頃 に 論   説 北法69(1・20)20 シ ュ ミ ッ ト の 同 僚 で あ っ た 、 ド イ ツ 歴 史 学 派 の 国 家 学 者 ヴ ェ ル ナ ー ・ ヴ ィ テ ィ ヒ は 、 一 九 一 六 年 十 二 月 三 十 一 日 付 の 書 簡 で 次 の よ う に 述 べ て い る 。   「〔 独 裁 と 戒 厳 状 態 と い う 〕 二 つ の 法 的 な 分 離 は 非 常 に 説 得 的 で あ り 、 副 総 司 令 部 に お け る 独 裁 の 職 務 に つ い て 驚 く べ き 洞 察 を も た ら す も の で す 。 た だ し 現 在 の 時 流 に お い て は 、 軍 部 の 掌 中 に 立 法 権 と 執 行 権 が 一 致 し て い る と い う 実 質 的 結 論 に つ い て 、 暗 示 す る こ と し か 許 さ れ て い な い の が 残 念 で す 。〔 中 略 〕 あ な た が 平 時 に お い て こ の 作 品 を 、 こ の 主 題 に つ い て の 浩 瀚 な 研 究 へ と 完 成 さ せ る こ と を 望 ん で い ま す 」(T B2:500 )。   ま た 、 シ ュ ミ ッ ト の 戒 厳 状 態 研 究 は 、 国 法 学 者 パ ウ ル ・ ラ ー バ ン ト か ら も 非 常 に 高 い 評 価 を 受 け て い た 。 本 稿 第 一 章 で 確 認 し た 通 り 、 ラ ー バ ン ト は 当 時 の シ ュ ト ラ ス ブ ル ク 大 学 法 学 部 を 代 表 す る 法 学 者 で あ っ た が 、 一 九 一 六 年 に 同 大 学 の 私 講 師 に 着 任 し た シ ュ ミ ッ ト は 、 同 年 末 に ラ ー バ ン ト に こ の 論 文 の 写 し を 送 っ て い た (T B2:501 )。 こ れ に 対 し て ラ ー バ ン ト は 、 一 九 一 七 年 一 月 六 日 付 の 書 簡 で 次 の よ う に 応 答 す る 。   「 あ な た の 論 文 を 大 変 興 味 深 く 拝 読 し ま し た 。 独 裁 と 戒 厳 状 態 の 対 立 の 発 展 、 ま た 、 立 法 と 実 務 に お け る 両 概 念 の 混 同 は 明 快 で あ り 、 説 得 的 で す 。 予 想 さ れ て い る 戒 厳 状 態 に つ い て の プ ロ イ セ ン 法 律 が 改 正 さ れ る 際 に は 、 あ な た の 論 述 が 必 ず 考 慮 に 入 れ ら れ 、 そ の 有 用 性 が 証 明 さ れ る で し ょ う 」(T B2:501 )。   以 上 に み た ヴ ィ テ ィ ヒ 、ラ ー バ ン ト の 書 簡 か ら 、次 の 事 実 を 窺 う こ と が で き る 。 す な わ ち シ ュ ミ ッ ト の 戒 厳 状 態 論 は 、 国 法 学 上 の 理 論 的 研 究 と し て 評 価 さ れ た の み な ら ず 、 戦 時 下 の ド イ ツ に お け る 戒 厳 状 態 法 律 の 運 用 状 況 の 問 題 点 を 指 摘 し 、 今 後 予 想 さ れ る こ の 法 律 の 改 正 に あ た っ て 優 れ た 実 践 的 提 言 を 用 意 す る も の で あ る と 期 待 さ れ た の で あ る 。 し か し 敗 戦 と 帝 政 崩 壊 を 経 た ド イ ツ に お い て 、 プ ロ イ セ ン 戒 厳 状 態 法 律 を 改 正 す る と い う 計 画 は 水 泡 に 帰 し た の で あ っ た 。 カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2) 北法69(1・21)21 第 二 節  第 一 次 大 戦 直 後 の シ ュ ミ ッ ト に お け る ボ ダ ン 論 ・ ホ ッ ブ ズ 論   独 裁 と 国 家 を め ぐ る シ ュ ミ ッ ト の 研 究 に お け る 次 な る 発 展 は 、 ミ ュ ン ヘ ン 商 科 大 学 講 師 時 代 の 講 義 録 に 見 出 さ れ る 。 敗 戦 と 革 命 後 の 一 九 一 九 年 六 月 末 に 除 隊 し た シ ュ ミ ッ ト は 、 ミ ュ ン ヘ ン 商 科 大 学 学 長 M .J .ボ ン の 助 力 を 受 け て 、 一 九 一 九 年 七 月 か ら 一 九 二 一 年 夏 学 期 ま で そ こ で 講 師 の 職 を 得 る (T B2:13 )。 シ ュ ミ ッ ト が ミ ュ ン ヘ ン 商 科 大 学 で 行 っ た 、 政 治 思 想 史 を 内 容 と す る 講 義 ノ ー ト ( 以 下 、 一 九 一 九 年 講 義 録 ) の 一 部 が 、 近 年 公 開 さ れ た 。 そ の 冒 頭 に 記 さ れ た 講 義 各 回 の 見 出 し は 次 の 通 り で あ る 。 「 第 一 冊     § 1 と § 2  見 出 し な し (S.1-14 )     § 3  宗 教 改 革 、 ド イ ツ 農 民 戦 争 、 ミ ュ ン ス タ ー 再 洗 礼 派 (S.15-27 )     § 4  モ ナ ル コ マ キ 〔 暴 君 討 伐 論 者 〕(S. 28-36 )     § 5  統 一 国 家 の 理 念 . ジ ャ ン ・ ボ ダ ン (S. 37-48 )   第 二 冊     § 6  十 七 世 紀 の 自 然 法 (S. 1-23 )     § 7  イ ン グ ラ ン ド 革 命 と 英 国 自 然 法 ( 権 )(S. 25-40 )     § 8  ジ ョ ン ・ ロ ッ ク (S. 42-52 )     § 9  十 八 世 紀 . 啓 蒙 (S. 53-56 )     § 10  モ ン テ ス キ ュ ー (S. 57-65 ) 論   説 北法69(1・22)22     § 11  ル ソ ー (S. 66-7 ) 11 (7 )」   こ れ ま で に 公 表 さ れ 、 現 在 利 用 す る こ と の で き る 講 義 録 は 、「 § 5  統 一 国 家 の 理 念 . ジ ャ ン ・ ボ ダ ン 」 と 「 § 6  十 七 世 紀 の 自 然 法 」 の 二 つ で あ る 。 前 者 は ボ ダ ン の 政 治 理 論 を 、 後 者 は 主 に ホ ッ ブ ズ の 政 治 理 論 を 、 講 義 出 席 者 に 向 け て 解 説 し た も の で あ る 。 講 義 録 と い う 性 質 上 、 こ こ で は 主 に 、 政 治 思 想 史 に お け る こ れ ら 政 治 理 論 の 意 義 に つ い て の 標 準 的 な 説 明 が 与 え ら れ る が 、 同 時 に シ ュ ミ ッ ト 独 自 の 視 点 か ら 、 そ の 後 の シ ュ ミ ッ ト の ボ ダ ン お よ び ホ ッ ブ ズ 理 解 に つ な が る 思 想 史 解 釈 が 示 さ れ て い る と 言 え る 。 本 節 で は 、 こ の 一 九 一 九 年 講 義 録 を 用 い て 、 国 家 的 統 一 と 主 権 概 念 を め ぐ る 論 考 を 中 心 に 、 シ ュ ミ ッ ト に お け る 国 家 論 研 究 の 発 展 を 解 明 す る 。 ( 一 ) ボ ダ ン 論 ─ ─ 主 権 と 国 家 的 統 一   一 九 一 九 年 講 義 録 ・ § 5 で は 、一 六 世 紀 後 半 に お け る フ ラ ン ス 宗 教 戦 争 、す な わ ち 宗 派 中 心 主 義 (K onfessionalism us ) を め ぐ る 闘 争 が 主 題 と さ れ 、 こ の 闘 争 を 克 服 す る た め に 主 権 概 念 を 形 成 し た ジ ャ ン ・ ボ ダ ン の 政 治 思 想 が 論 じ ら れ る 。   シ ュ ミ ッ ト は 第 一 に 、 国 内 に お け る 分 裂 を 克 服 し 、 統 一 を も た ら そ う と す る 要 求 が 生 じ た 背 景 を 説 明 す る 。 す な わ ち 当 時 、 ロ ー マ ・ カ ト リ ッ ク 教 会 内 部 に お い て 「 絶 対 的 統 一 」 を 目 指 す 動 向 が 高 ま っ て い た こ と を 指 摘 し 、 教 会 の 「 絶 対 的 な 教 会 統 一 」 と の ア ナ ロ ジ ー に お い て 国 家 の 統 一 要 求 を 理 解 す る の で あ る 。   シ ュ ミ ッ ト に よ れ ば 、 教 会 分 裂 と 宗 教 戦 争 と い う 経 験 を 経 て 、 教 会 に お い て は 次 の よ う な 経 緯 で 「 絶 対 的 な 統 一 」 が 目 指 さ れ た 。「 教 会 分 裂 と 宗 教 戦 争 は 、 イ エ ズ ス 会 士 に 体 現 さ れ た よ う に 、 絶 対 的 な 教 会 の 統 一 に 対 す る 熱 意 を 鼓 舞 し た 」(Ebd. )。 こ の と き 教 会 の 統 一 を 保 証 す る 者 は 教 皇 で あ る と 見 做 さ れ 、「 イ エ ズ ス 会 士 た ち は 、教 皇 君 主 政 (päpstliche  M onarchie ) に お け る 絶 対 的 に 機 能 す る 組 織 で あ っ た 」(Ebd. )。 当 時 、修 道 会 と イ エ ズ ス 会 士 は 敵 対 者 か ら 、「 暗 殺 者 」「 イ カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2) 北法69(1・23)23 エ ニ チ ェ リ 〔 原 語 は ト ル コ 語 で 、 歩 兵 軍 団 を 意 味 す る ─ ─ 引 用 者 〕」、 す な わ ち 「 軍 事 的 権 力 装 置 に 対 応 す る 戦 争 の 主 要 な 手 段 」 と 呼 ば れ 、 非 難 さ れ た と い う 。   さ ら に シ ュ ミ ッ ト は 、 リ ー グ 派 の イ エ ズ ス 会 士 ベ ラ ル ミ ー ノ を 引 き 合 い に 出 し 、 教 会 の 統 治 形 式 は 君 主 主 義 的 性 格 を も つ と 考 え ら れ て い た こ と に 言 及 す る 。「 教 会 の 統 治 形 式 が 民 主 主 義 的 で も な け れ ば 、 貴 族 主 義 的 で も な く 、「 主 と し て (praecipue )」 君 主 主 義 的 で あ ら ね ば な ら な い こ と を 、 ベ ラ ル ミ ー ノ は 表 現 し た 。 ス ペ イ ン や フ ラ ン ス に お い て 国 王 が 諸 身 分 に 優 位 し て い た よ う に 、 教 会 組 織 に お い て は 教 皇 が 公 会 議 (K onzil ) を 圧 倒 す る 」(V 1919B:479 )。   そ の 上 で シ ュ ミ ッ ト は 、 こ う し た 教 皇 に よ る 教 会 の 統 一 と 、 絶 対 君 主 に よ る 国 家 の 統 一 を ア ナ ロ ジ ー の 関 係 で 把 握 す る 。 す な わ ち 、「 教 皇 制 度 を 、 教 会 を 統 治 す る 絶 対 君 主 政 と し て 捉 え る 解 釈 は 、 絶 対 君 主 を 国 家 の 主 権 者 と し て 捉 え る 解 釈 に 対 応 し た 。 教 皇 は 教 会 の 統 一 を 保 証 し 、 絶 対 君 主 は 国 家 の 統 一 を 保 証 す る 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 〔 傍 点 は 引 用 者 に よ る 〕」(Ebd. )。 統 一 に と っ て の 弊 害 は 、 教 会 に お い て は 「 公 会 議 」 で あ り 、 世 俗 国 家 に お い て は 「 諸 身 分 の 代 表 」 で あ っ た 。 そ れ ゆ え 、 教 皇 な い し 絶 対 君 主 に 対 立 す る 権 力 を 排 除 し 、 教 皇 と 「 公 会 議 」、 お よ び 絶 対 君 主 と 「 諸 身 分 の 代 表 」 と い う 「 二 元 主 義 (D ualism us )」 を 克 服 す る こ と が 目 指 さ れ た 。「 絶 対 的 統 一 の 理 念 は 、 教 会 に お い て は 公 会 議 と い う 身 分 制 的 観 念 の 否 定 、 ま た 世 俗 国 家 に お い て は 貴 族 や 聖 職 者 、 諸 身 分 の 代 表 の 否 定 を 意 味 す る 。 身 分 制 国 家 は 、 同 等 の 権 利 を も つ 二 つ の 党 派 間 の 契 約 と い う 弁 証 法 的 基 礎 に 基 づ く 。 統 一 と い う 新 た な 思 想 は そ の よ う な 二 元 主 義 を 、 秩 序 あ る 共 同 体 (Gem einw esen ) 内 部 の 対 立 、 す な わ ち ア ナ ー キ ー と 内 乱 で あ る と 考 え た 」(Ebd. )。   こ う し て 国 内 の 二 元 主 義 の 克 服 、す な わ ち 諸 身 分 の 代 表 の 権 力 の 排 除 が 試 み ら れ た 。 し た が っ て シ ュ ミ ッ ト に よ れ ば 、 「 統 一 と い う 思 想 は 諸 々 の 内 乱 の 経 験 か ら 生 じ た 」 も の で あ っ た 。 当 然 、 こ の 内 乱 は 内 面 の 信 仰 を 問 題 と す る 宗 教 戦 争 で も あ っ た か ら 、 克 服 す べ き 対 象 は 諸 身 分 だ け で は な く 、 宗 教 的 不 寛 容 者 で も あ っ た ─ ─ 「 宗 教 戦 争 の 経 験 か ら 、 十 六 論   説 北法69(1・24)24 世 紀 フ ラ ン ス に お い て は す で に 、 宗 教 的 寛 容 と 宗 教 的 平 和 へ の 強 い 要 求 が 生 じ て い た 。 こ の 平 和 は 、 教 会 を 国 家 の 利 益 の 下 に 服 従 さ せ る こ と に よ っ て 達 成 す る こ と が 望 ま れ た 」(V 1919B:478 )。「 内 乱 は 同 時 に 宗 教 戦 争 で も あ っ た か ら 、 統 一 と い う 思 想 は 同 等 の 権 利 を も つ 諸 身 分 に 対 し て だ け で は な く 、 教 会 の 権 力 要 求 に 対 し て も 向 け ら れ る 観 念 で あ っ た 。 新 た な 統 一 の た め の 術 語 は 、 あ る 概 念 、 す な わ ち 「 主 権 」 と い う 国 法 学 上 の 概 念 で あ る 。 そ れ は 二 つ の 側 に 向 か っ て 、 す な わ ち 諸 身 分 の 権 利 と 教 会 の 権 利 に 対 し て 向 け ら れ た 「 論 争 的 な 概 念 」( ギ ー ル ケ ) で あ っ た 」(V 1919B:480 )。   こ う し て 本 講 義 録 で シ ュ ミ ッ ト は 第 二 に 、主 権 概 念 の 創 始 者 で あ る ジ ャ ン ・ ボ ダ ン の 政 治 思 想 の 意 義 に つ い て 論 じ る 。 ボ ダ ン の 真 の 功 績 は 、 主 権 概 念 を う ち 立 て 定 義 し た こ と に 基 づ く 。 そ の 主 権 の 定 義 は 「 主 権 は い か な る 他 の 世 俗 の 権 力 か ら も 演 繹 さ れ な い 最 高 権 力 で あ り 、 時 間 に よ っ て も 委 託 に よ っ て も 制 限 さ れ な い 、 そ し て 法 律 に も 拘 束 さ れ な い 最 高 権 力 で あ る 」 と い う も の で あ る 。 そ し て 主 権 の メ ル ク マ ル は 、「 戦 争 と 平 和 を 決 定 す る こ と 、 自 立 的 な 、 す な わ ち 他 者 の 同 意 に 拘 束 さ れ な い 立 法 行 為 、 高 級 官 吏 の 任 命 、 司 法 の 最 高 審 級 、 恩 赦 権 、 貨 幣 鋳 造 権 、 課 税 権 、 信 義 ・ 服 従 を 要 求 す る 権 利 で あ る 」(Ebd. )。 こ こ で シ ュ ミ ッ ト は 、 主 権 と 国 家 の 統 一 の 関 係 を 強 調 し 、 次 の よ う に 述 べ る ─ ─ 「 国 家 自 体 は 主 権 的 権 力 が 存 立 す る こ と に よ っ て 初 め て 統 一 へ と 、 一 つ の 全 体 へ と 生 成 す る 。 主 権 は 国 家 に 拠 り 所 を 与 え 、 様 々 な 構 成 要 素 か ら 国 家 を つ な ぎ 合 わ せ る 」(Ebd. )。   ボ ダ ン が 君 主 政 こ そ を 最 善 の 国 家 形 式 で あ る と 捉 え て い た と い う こ と に つ い て 、 シ ュ ミ ッ ト は 次 の よ う に 説 明 す る 。 シ ュ ミ ッ ト に よ れ ば 、 ボ ダ ン の 政 治 思 想 に お い て は 「 国 家 の 統 一 」 と 主 権 的 君 主 の 「 人 格 (Person )」 と は 密 接 な 関 係 に あ る 。 君 主 政 が 最 善 の 国 家 形 式 で あ る の は 、「 そ れ が 主 権 的 君 主 の 人 格 に お い て 国 家 の 統 一 を 最 も よ く 表 し て い る (darstellen ) か ら で あ る 。 こ れ は 家 族 の 中 で 、 父 親 が 家 族 の 統 一 を 形 成 し て い る こ と と 同 様 で あ る 」(V 1919B:482 )。   た だ し 、 シ ュ ミ ッ ト の ボ ダ ン 解 釈 に よ れ ば 、 ボ ダ ン の 構 想 し た 君 主 政 論 は 、 民 主 政 の 「 平 等 」 と 貴 族 政 の 選 良 思 想 と カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2) 北法69(1・25)25 を 排 斥 す る も の で は な く 、こ れ ら と 両 立 す る 制 度 で あ る 。 つ ま り 君 主 の 人 格 に お い て 国 家 の 統 一 を 表 現 す る も の と し て 、 「 君 主 政 は 、 民 主 政 と 貴 族 政 と い う 二 つ の 矛 盾 す る 原 理 の 調 和 的 統 一 を も 意 味 す る 。 つ ま り 、 こ う し た 君 主 政 は 、 民 主 政 の 原 理 で あ る 平 等 (égalité ) と 、 貴 族 政 の 原 理 で あ る 成 果 と 貢 献 に 従 っ た 差 異 の あ る 待 遇 と を 相 互 に 結 び つ け る こ と を 可 能 に す る 。 そ し て 正 し い 国 家 の 三 つ の 諸 原 則 、 す な わ ち 統 一 (unité )、 分 配 的 正 義 (proportion )、 平 等 (égalité,  com m utative Gerechtigkeit ) を 正 当 に 評 価 す る こ と を 可 能 に す る 」(Ebd. )。 確 か に 、「 主 権 の 絶 対 主 義 的 性 格 」 ゆ え に 「 主 権 は 何 も の に も 拘 束 さ れ え ず 、 自 ら の 法 律 に も 服 従 し な い 」(V 1919B:481 )。 し か し ボ ダ ン の 論 じ る 主 権 的 君 主 政 が 恣 意 的 統 治 で は な い こ と を 、 シ ュ ミ ッ ト は 次 の よ う に 説 明 す る 。「 正 統 な 君 主 政 は 、 形 式 的 に は 、 法 的 に 何 も の に も 拘 束 さ れ な い が 、 そ れ に も か か わ ら ず 神 の 規 範 と 道 徳 規 範 と を 遵 守 す る 。〔 権 力 の ─ ─ 引 用 者 〕 正 統 な 行 使 の う ち に 、 正 統 な 君 主 政 の メ ル ク マ ル が 存 在 す る 」 ─ ─ す な わ ち ボ ダ ン は 「 臣 民 が 君 主 の 所 有 物 で あ る 封 建 君 主 政 と 純 粋 な 恣 意 的 支 配 で あ る 僭 主 的 君 主 政 、 お よ び 正 統 な 君 主 政 と の 間 に 区 別 を 設 け る 。〔 中 略 〕 こ れ に よ っ て 主 権 は 君 主 の 掌 中 に あ る こ と を 止 め な い し 、( 法 的 に 考 察 す れ ば 常 に 自 発 的 で の み あ る )道 徳 法 則 へ の 人 格 の 自 己 拘 束 は 、主 権 を 廃 棄 し な い 」(Ebd. )。   ボ ダ ン が 批 判 し た 対 象 は 、 モ ナ ル コ マ キ や 教 会 、 君 主 と 対 立 す る 諸 身 分 だ け で は な く 、「 一 般 に 正 当 に も 無 心 論 者 、 無 知 な 者 と 称 さ れ て い た マ キ ャ ヴ ェ リ 」 と 「 マ キ ャ ヴ ェ リ ス ト 」 と 呼 称 さ れ た 政 治 的 陰 謀 家 で も あ っ た 。 そ の 理 由 は 、 ボ ダ ン に と っ て 「 政 治 学 は 、イ タ リ ア の 片 田 舎 か ら 片 端 に 集 め ら れ た 陰 険 な 術 策 の う ち に 存 立 す る の で は な い 」(Ebd. ) か ら で あ っ た 。 シ ュ ミ ッ ト に よ れ ば 、ボ ダ ン の 国 家 論 に と っ て は「 む し ろ 正 義 こ そ が 国 家 の 必 然 的 な メ ル ク マ ル で あ る 」。 「 君 主 は 法 律 に 服 従 し て は い な い が 、 合 法 的 な 権 力 行 使 、 す な わ ち 臣 民 の 自 由 と 私 有 財 産 を 尊 重 す る よ う な 権 力 行 使 が 正 統 な 君 主 政 に と っ て は 必 要 で あ る 」。 シ ュ ミ ッ ト は 「 こ の 点 に 、 マ キ ャ ヴ ェ リ の 素 朴 な 技 術 的 見 地 と 、〔 ボ ダ ン に お け る ─ ─ 引 用 者 〕 フ ラ ン ス 君 主 政 の よ う な 偉 大 な 国 家 的 (national ) 君 主 政 の も つ 自 負 と の 間 の 相 違 が 際 立 っ て い る 」 と 論   説 北法69(1・26)26 述 べ 、 ボ ダ ン の 政 治 思 想 を 高 く 評 価 す る 。   以 上 に 見 た よ う に 、 本 講 義 録 で は ボ ダ ン の 主 権 論 に お い て 「 国 家 的 統 一 」 と 「 主 権 的 君 主 」、 お よ び そ の 「 人 格 」 と の 間 の 密 接 な 関 係 が 示 さ れ て い た 。 こ う し た ボ ダ ン 解 釈 か ら 出 発 し 、『 独 裁 』 に お い て は 、 ボ ダ ン の も う 一 つ の 功 績 と し て 、 主 権 者 と 独 裁 官 の 区 別 に つ い て の 議 論 が 評 価 さ れ 、 さ ら に 『 政 治 神 学 』 に お い て は 、 人 格 主 義 と 決 断 主 義 を 特 徴 と す る 主 権 概 念 が 形 成 さ れ る の で あ る 。 ( 二 ) ホ ッ ブ ズ 論 ─ ─ 代 表 、 主 権 、 統 一   一 九 一 九 年 講 義 録 ・ § 6 「 十 七 世 紀 の 自 然 法 」 で は 、 シ ュ ミ ッ ト に よ り 「 自 然 科 学 的 自 然 法 の 偉 大 な る 代 表 者 」 と 呼 称 さ れ る 、 ト マ ス ・ ホ ッ ブ ズ の 政 治 理 論 に つ い て 論 じ ら れ る 。 こ こ で は 「 自 然 状 態 」 と そ の 克 服 の た め の 社 会 契 約 論 に つ い て 、 ホ ッ ブ ズ の 思 想 に 対 す る シ ュ ミ ッ ト の 解 釈 が 示 さ れ て い る 。   周 知 の 通 り 、 ホ ッ ブ ズ の 思 想 に お い て は 、 自 然 状 態 に お け る 人 間 の 存 在 (D asein ) は 常 に 危 険 に 晒 さ れ て い る 。 シ ュ ミ ッ ト は 、 ホ ッ ブ ズ に お け る 自 然 状 態 を 歴 史 的 に 解 釈 す る こ と は 誤 り で あ る と 指 摘 し 、 自 然 状 態 は 原 始 状 態 や 「 歴 史 の 始 ま り 」 に 存 在 す る も の で は な い と 述 べ る 。 む し ろ 自 然 状 態 は 「 潜 在 的 に 、 常 に 現 在 す る 」(V 1919H :12 ) も の で あ り 、 近 代 国 家 は 他 の 諸 外 国 と の 関 係 に お い て 、潜 在 的 に 「 恒 常 的 な 戦 争 」 状 態 に あ る 。 す な わ ち 、常 に 他 国 か ら 襲 撃 を 受 け 、 滅 ぼ さ れ る と い う 危 険 に 晒 さ れ て い る 。 そ れ ば か り で は な く 、 国 家 内 部 に お い て も 自 然 状 態 は 再 現 さ れ う る 。「 一 旦 、 国 家 の 強 制 が 弱 ま る と 、 革 命 期 に お い て 自 然 状 態 は 復 活 し 、 歯 止 め を 知 ら な い 残 虐 な 仕 方 で 、 存 在 を め ぐ る 闘 争 が 行 わ れ る 」(Ebd. )。 こ う し た 自 然 状 態 に お い て は 「 法 と 不 法 の 区 別 」 は な く 、 暴 力 と 策 略 が 「 徳 (T ugend )」 で あ る 。   さ ら に シ ュ ミ ッ ト は 、 ホ ッ ブ ズ の 社 会 契 約 論 の 概 要 を 、 端 的 に 次 の よ う に 整 理 す る 。 死 に 対 す る 不 安 と 恐 怖 か ら 、「 万 カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2) 北法69(1・27)27 人 の 万 人 に 対 す る 闘 争 」 を 回 避 し よ う と す る 理 性 的 考 慮 に 導 か れ て 、国 家 が 成 立 す る (V 1919H :13 )。『 リ ヴ ァ イ ア サ ン 』 に お い て は 、 国 家 を 作 り 出 す 国 家 契 約 は 「 代 表 機 関 の 創 設 」 を 意 味 す る 。「 各 人 は 主 権 者 の 行 為 を 自 ら の 行 為 で あ る か の よ う に 見 做 し て 行 為 す る 。 こ の 契 約 は 絶 対 的 代 表 (Repräsentation ) を 創 り 出 す 。 各 人 は 主 権 者 を 顧 慮 し て 他 の 各 々 と 契 約 を 結 ぶ こ と を 通 じ て 、 諸 個 人 は 、 主 権 者 に 服 従 す る 統 一 へ と 生 成 し た 。 こ れ に よ り 国 家 は 成 立 し た 。 今 や 平 和 は 保 証 さ れ た 」(V 1919H :13f. )。   以 上 の 帰 結 と し て 、 シ ュ ミ ッ ト は 「 諸 個 人 の 結 合 契 約 が 国 家 を 創 設 す る の で は な く 、 主 権 的 で 不 可 分 の 統 一 体 に 対 し て す べ て の 者 が 服 従 す る と い う こ と が 、 国 家 を 創 設 す る 」 と 述 べ る 。 こ う し て 「 結 合 契 約 (pactum  unionis ) と 服 従 契 約 (pactum  subjectionis ) と を 結 合 す る 」 ア ル ト ジ ウ ス 以 来 の 二 元 主 義 が 除 去 さ れ 、「 国 家 の 主 権 と 統 一 と い う 概 念 が 、 非 常 に 明 晰 な 仕 方 で 展 開 さ れ た 」 と し て 評 価 す る 。   次 に シ ュ ミ ッ ト は 、 ホ ッ ブ ズ 思 想 に お い て 「 一 度 成 立 し た 国 家 の 権 力 は 無 制 約 で あ る 」 と 規 定 さ れ る こ と に つ い て 次 の よ う に 説 明 す る 。「 主 権 者 は 世 俗 の 神 で あ る 。 人 間 は 主 権 者 の お か げ で 平 和 と 保 護 を 享 受 す る 。 主 権 者 は 臣 民 か ら す べ て を 要 求 で き る 」。 そ し て 『 リ ヴ ァ イ ア サ ン 』 か ら 、次 の 諸 命 題 を 引 用 す る ─ ─ 「 市 民 の 自 由 は 法 律 へ の 服 従 で あ る 」 (Lev. C.21 )、「 宗 教 は 国 家 に よ り 認 め ら れ な い 限 り 、 迷 信 で あ る 」(C.12 )、「 国 家 に お い て は 、 国 家 法 律 に 対 し て 服 従 す る 以 上 に 服 従 し な け れ ば な ら な い よ う な 私 的 良 心 は 存 在 し な い 。 す べ て の 者 に と っ て 、 国 家 法 律 が 最 も 高 次 の 良 心 的 義 務 で な け れ ば な ら な い 」(C.29 )。   そ れ ゆ え 「 法 と 不 法 の 対 立 は 、 国 家 を 通 じ て の み 存 在 す る 」 と さ れ る 。 あ る 命 題 が 法 (Recht ) で あ る と 見 做 さ れ る の は 、「 国 家 が そ の 内 容 を 命 じ る 」 か ら で あ る 。 そ う 述 べ た 上 で 、 シ ュ ミ ッ ト は 、 後 に 繰 り 返 し 言 及 す る こ と に な る ホ ッ ブ ズ の 命 題 「 真 理 で は な く 、権 威 が 法 を 定 め る (auctoritas, non veritas facit legim )」(C.26 ) を 引 用 す る (V 1919H :15 )。 論   説 北法69(1・28)28   以 上 に み た ホ ッ ブ ズ 解 釈 は 、『 独 裁 』 に お い て 再 び 繰 り 返 さ れ る 。 シ ュ ミ ッ ト は 、『 独 裁 』 に お い て 十 七 世 紀 に お け る 自 然 法 解 釈 を め ぐ る 分 裂 に つ い て 論 じ る 中 で 、 ホ ッ ブ ズ の 自 然 法 理 解 を 「 科 学 的 自 然 法 」 と 称 し 、 グ ロ チ ウ ス に 代 表 さ れ る 「 正 義 の 自 然 法 」 に 対 置 す る 。「 特 定 の 内 容 を 伴 な う 法 が 、 国 家 以 前 の 法 と し て 存 立 し て い る こ と を 前 提 と す る 」 グ ロ チ ウ ス の 「 正 義 の 自 然 法 」 と は 対 照 的 に 、 ホ ッ ブ ズ の 法 理 解 に お い て は 、「 国 家 以 前 お よ び 国 家 の 外 部 に は 法 は 存 在 し な い 。 国 家 の 価 値 は 、国 家 が 法 を 作 り 出 す こ と に よ り 、法 を め ぐ る 争 い に 決 着 を つ け る と い う 点 に 存 す る 」(D D :21 )。 こ う し た 文 脈 で 、『 リ ヴ ァ イ ア サ ン 』 か ら 引 用 し た 前 述 の 諸 命 題 が 繰 り 返 さ れ る の で あ る 。   シ ュ ミ ッ ト は 、 ホ ッ ブ ズ の 思 想 に お い て は 「 平 和 と 保 護 」 が 国 家 の 最 高 次 の 目 的 と さ れ て い た こ と を 強 調 す る 。 そ し て 、 こ う し た 国 家 の 目 的 ゆ え に 、 ホ ッ ブ ズ は 他 の 政 体 に 君 主 政 が 優 位 す る と 考 え た 、 と 説 明 す る 。 君 主 政 に お い て は 、 君 主 の 私 的 利 益 は 共 同 体 の 利 益 と 最 も 容 易 に 一 致 す る 。 そ の 一 方 で 民 主 政 に お い て は 、 内 戦 や 派 閥 化 、 デ マ ゴ ー グ の 支 配 に よ り 、 簡 単 に 再 び 自 然 状 態 が 再 現 し う る 。   以 上 に み た よ う に 、一 九 一 九 年 の シ ュ ミ ッ ト は 、す で に ホ ッ ブ ズ の 政 治 思 想 か ら 、主 権 者 命 令 説 と し て の 自 然 法 解 釈 、 国 家 成 立 時 に お け る「 絶 対 的 代 表 」の 創 設 と 統 一 の 形 成 、主 権 者 の 概 念 と い っ た 諸 論 点 に つ い て 理 解 を 得 て い た の で あ る 。 第 三 節  『 独 裁 』 成 立 の 諸 状 況 と 委 任 独 裁 論 の 形 成 ( 一 ) ミ ュ ン ヘ ン に お け る 革 命 と 内 乱   以 上 に 見 た よ う に 、 シ ュ ミ ッ ト は 一 九 一 九 年 七 月 以 来 、 ミ ュ ン ヘ ン 商 科 大 学 で 講 師 を 務 め 、 右 に 確 認 し た 内 容 の 講 義 録 を 書 き 残 し た 。 こ れ に 先 立 つ 時 期 、 す な わ ち 一 九 一 八 年 の 十 一 月 革 命 か ら 翌 年 六 月 末 に 除 隊 す る ま で の 期 間 、 バ イ エ カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2) 北法69(1・29)29 ル ン 都 市 駐 留 司 令 部 に 転 属 し た シ ュ ミ ッ ト は 、 君 主 政 崩 壊 と 敗 戦 、 続 く 革 命 と 内 乱 を ミ ュ ン ヘ ン で 経 験 し た 。 国 王 や 旧 勢 力 が 国 外 へ と 亡 命 し た 後 の ミ ュ ン ヘ ン で は 、 K .ア イ ス ナ ー が 一 九 一 八 年 十 一 月 に 急 進 的 社 会 主 義 者 の 支 持 を 得 て 、 殆 ど 武 力 抵 抗 を 受 け ず に 数 時 間 で 革 命 を 宣 言 し 、 バ イ エ ル ン 自 由 国 民 国 家 の 樹 立 を 宣 言 し ) 1( ( た 。 そ こ で 新 た に 政 治 権 力 を 掌 握 し た 急 進 的 社 会 主 義 者 た ち は 、 ま さ に 大 戦 中 の 副 総 司 令 部 勤 務 時 に シ ュ ミ ッ ト が 監 視 対 象 と し て い た 人 々 で あ っ た (T B2:12 )。 翌 年 一 月 に 行 わ れ た 州 議 会 選 挙 で は 、 ア イ ス ナ ー が 党 首 を 務 め る 独 立 社 会 民 主 党 は 大 敗 を 喫 し 、 社 会 民 主 党 お よ び ブ ル ジ ョ ワ 政 党 の 勢 力 が 復 活 す る 。 翌 二 月 に ア イ ス ナ ー が 暗 殺 さ れ る と 、 革 命 的 状 況 と 内 乱 が 再 び ミ ュ ン ヘ ン を 支 配 す る こ と と な ) 11 ( る 。 四 月 に レ ー テ 共 和 国 が 宣 言 さ れ 、 同 月 末 に 左 右 勢 力 の 武 力 闘 争 が 頂 点 に 達 し た と き 、 都 市 駐 留 司 令 部 に 下 士 官 と し て 勤 務 し て い た シ ュ ミ ッ ト は 、 自 ら 生 命 の 危 機 を 経 験 す る (T B2:13 )。   本 章 第 一 節 で 見 た よ う に 、 副 総 司 令 部 勤 務 時 に 与 え ら れ た 任 務 を 契 機 と し て 行 わ れ た 戒 厳 状 態 に つ い て の 研 究 で は 、 従 来 の 解 釈 に お い て 戒 厳 状 態 と 混 同 さ れ て い た 独 裁 概 念 と の 区 別 を 通 じ て 、 戒 厳 状 態 を 明 確 に 定 式 化 し よ う と す る も の で あ っ た 。 こ の と き 独 裁 に つ い て は 簡 潔 に 論 及 さ れ る に 留 ま っ て い た が 、 ミ ュ ン ヘ ン で 革 命 的 状 況 と 内 乱 を 経 験 す る こ と を 通 じ て 、 独 裁 概 念 を 究 明 し よ う と す る 問 題 関 心 が 醸 成 さ れ 、 研 究 意 欲 が よ り 一 層 強 く 喚 起 さ れ た と 推 定 さ れ る 。 先 に 見 た 、 ミ ュ ン ヘ ン 商 科 大 学 講 義 録 に 見 出 さ れ る ボ ダ ン 、 ホ ッ ブ ズ の 政 治 思 想 に 対 す る 透 徹 し た 理 解 と 解 釈 は 、 こ の 時 期 に 形 成 さ れ つ つ あ っ た 独 裁 に 対 す る 問 題 関 心 に 基 づ き 、 独 裁 概 念 の 定 式 化 を 試 み る 過 程 で な さ れ た も の で あ っ た と 言 え る 。 ( 二 )『 独 裁 』 に お け る ボ ダ ン 論 ─ ─ 主 権 者 と 独 裁 官 の 区 別   『 独 裁 』( 一 九 二 一 年 ) で は 一 九 一 九 年 講 義 録 か ら 発 展 し て 、 ボ ダ ン の 主 権 論 の 成 立 過 程 に つ い て シ ュ ミ ッ ト 独 自 の 新 論   説 北法69(1・30)30 た な 解 釈 が 示 さ れ る 。 ま ず シ ュ ミ ッ ト は 、 一 九 一 九 年 講 義 録 に お い て も 言 及 し た よ う に 、 ボ ダ ン を 「 近 代 国 法 に お け る 主 権 概 念 」 の 創 始 者 と し て 再 び 評 価 す る 。 す な わ ち 「 主 権 は 国 家 の 絶 対 的 か つ 永 続 的 権 力 で あ る 」 と い う ボ ダ ン に よ る 主 権 の 定 義 は 、「 今 日 に お い て も 未 だ に 根 本 的 で あ る と 見 做 さ れ な け れ ば な ら な い 定 義 」 で あ る と い う 。 さ ら に 、 本 書 で シ ュ ミ ッ ト は 新 た に 、「 主 権 の 問 題 と 独 裁 の 関 連 を 認 識 し た 」 こ と も ボ ダ ン の 功 績 で あ る と 述 べ る 。 そ し て シ ュ ミ ッ ト は 、 ボ ダ ン の 議 論 に 即 し て 、 主 権 者 と 独 裁 官 の 区 別 、 す な わ ち 主 権 的 君 主 政 と 委 任 独 裁 と の 相 違 を 次 の よ う に 明 確 化 す る 。   シ ュ ミ ッ ト に よ れ ば 、 君 主 す な わ ち 主 権 者 は す べ て の 臣 民 に 対 す る 支 配 者 で あ る か ら 、 当 然 、 正 規 の 官 吏 や 委 員 に 対 す る 支 配 者 で も あ っ た 。 主 権 者 は 官 吏 な り 委 員 に 委 託 し た 権 力 を い か な る 場 合 に も 引 き 上 げ 、 そ の 行 動 に 介 入 す る こ と が で き る (D D :25 )。 非 常 時 に 権 限 と 任 期 を 限 定 さ れ た 上 で 絶 大 な 権 力 を 行 使 し た 独 裁 官 も ま た 、 主 権 者 に よ り 任 務 を 委 託 さ れ た 委 員 で あ る 。 そ れ ゆ え 独 裁 官 は 、 委 託 さ れ た 権 力 が い か に 大 き い と し て も 主 権 者 で は な い 。 そ し て 、 独 裁 官 の 権 力 は 任 務 の 完 遂 と と も に 消 滅 す る の で あ る 。「 国 家 に お い て 一 個 人 、 あ る い は 一 官 庁 が 無 制 約 の 権 限 を 保 持 し 、 そ の 措 置 に 対 す る い か な る 法 的 手 段 も 存 在 し な い と し て も 、 彼 の も つ 権 力 が 永 続 的 で は な い 限 り 、 こ れ は 主 権 的 権 力 で は な い 。 な ぜ な ら ば 、 そ れ は 他 の 者 か ら 導 き 出 さ れ た 権 力 だ か ら で あ る 。 真 の 主 権 者 は 自 ら の 上 位 に 、 神 以 外 の い か な る 者 も 認 め な い 」(D D :26 )。 し た が っ て 、 主 権 者 と 独 裁 官 を 区 別 す る 際 の 基 準 と し て は 、 そ の 権 力 が 自 ら に 由 来 す る 永 続 的 な も の で あ る か 否 か 、 あ る い は そ の 権 力 が 他 者 に 由 来 す る 派 生 的 な も の で あ り 、 か つ 一 時 的 な も の で あ る か 否 か と い う 点 が 決 定 的 と な る 。   こ う し て ボ ダ ン の 議 論 に お い て は 、 主 権 者 と 独 裁 官 と は 明 確 に 区 別 さ れ て い た 。 た だ し 原 理 的 に は 、「 独 裁 は 概 念 上 、 本 当 に 主 権 的 事 例 で は な い の か 」 と い う 問 題 、 す な わ ち 主 権 者 と 独 裁 官 が 一 致 す る 可 能 性 が あ る の で は な い か と い う 問 カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2) 北法69(1・31)31 い が 提 起 さ れ う る 。 し か し ボ ダ ン に と っ て は 、 主 権 者 と 独 裁 官 が 一 致 す る と い う 可 能 性 、 す な わ ち 主 権 独 裁 の 事 例 は 考 察 の 対 象 外 で あ っ た 。 な ぜ な ら ば 、 十 六 、十 七 世 紀 に 君 主 政 を 論 じ た 国 法 学 者 に と っ て 、 主 権 者 で あ る 君 主 は 独 裁 官 で は あ り え ず 、 委 員 で あ る 独 裁 官 は 君 主 で は あ り え な か っ た か ら で あ る 。「 君 主 政 的 国 家 論 は 確 か に 、 緊 急 時 に は 一 個 人 に よ る 絶 対 的 な 支 配 が 不 可 避 的 で あ る こ と を 示 す た め に 、 常 に 好 ん で 独 裁 に 言 及 し た 。 し か し 政 治 的 実 践 に お い て 広 範 な 全 権 を も つ 委 員 的 官 吏 を 常 時 利 用 し た 正 統 的 絶 対 主 義 の 観 点 か ら は 、〔 主 権 者 と ─ ─ 引 用 者 〕 委 員 と の 相 違 は あ ま り に も 大 き く 、 何 ら か の 種 類 の 「 委 任 (com m issio )」 に 際 し て 、 主 権 が 委 員 の 側 に あ る も の と し て 主 権 に つ い て 論 じ る こ と は で き な か っ た 」(D D :27 )。   そ こ で シ ュ ミ ッ ト は 次 に 、 ボ ダ ン が 考 察 対 象 と は し な か っ た 、 主 権 者 と 独 裁 官 が 一 致 す る 場 合 を 検 討 す る 。 委 任 独 裁 か ら 主 権 独 裁 へ の 移 行 段 階 と し て 考 察 し た の は 、 ホ ッ ブ ズ の 政 治 理 論 、 特 に 「 代 表 」 に 関 す る 議 論 で あ っ た 。 第 四 節  『 独 裁 』 に お け る 主 権 独 裁 論 ─ ─ 人 民 の 意 志 に つ い て の 考 察 ( 一 )『 独 裁 』 に お け る ホ ッ ブ ズ 論 ─ ─ 代 表 と 主 権 独 裁 の 関 係   一 九 一 九 年 講 義 録 で シ ュ ミ ッ ト は 、 ホ ッ ブ ズ の 理 論 の 核 心 は 社 会 契 約 論 を 通 じ た 「 絶 対 的 代 表 」 の 形 成 で あ る こ と を 強 調 し て い た 。『 独 裁 』 で は 新 た に 、 ホ ッ ブ ズ の 政 治 理 論 に お い て は 「 政 治 権 力 の 時 限 的 委 譲 の 問 題 」(D D :29 ) が 提 起 さ れ て い る と い う 認 識 が 付 加 さ れ る 。   シ ュ ミ ッ ト に よ れ ば 、 ホ ッ ブ ズ の 理 論 の 構 成 は 「 主 権 独 裁 の 問 題 を 指 示 す る 」(D D :31 ) も の で あ っ た 。 と い う の も 、 ホ ッ ブ ズ は 独 裁 官 が 同 時 に 主 権 者 と な る と い う 事 態 を 考 慮 し て い た か ら で あ る 。 ホ ッ ブ ズ の 理 論 に お い て は 、 一 人 格 と 論   説 北法69(1・32)32 し て の 人 民 の 全 体 が 一 個 人 に 支 配 を 最 終 的 に 委 譲 す る 場 合 に は 君 主 政 が 成 立 す る 。 他 方 、 そ の 支 配 が 一 時 的 に の み 委 譲 さ れ る 場 合 に は 、 時 限 的 支 配 の 間 に 人 民 の 全 体 が 集 会 を 持 つ 権 利 を 持 つ か 否 か に よ り 、 そ の 政 治 権 力 の 法 的 性 格 が 決 ま る 。 第 一 に 、 人 民 が 集 会 を も つ 権 利 を 保 持 し 、 支 配 を 委 譲 さ れ た 者 す な わ ち 代 表 者 を そ の 任 期 満 了 以 前 に 解 任 で き る 場 合 に は 、 代 表 者 は 君 主 で は な い 。 そ う で は な く 、 彼 は 「 民 衆 の 最 高 奉 仕 者 」 で あ り 、 人 民 が 主 権 者 で あ る 。 つ ま り 代 表 者 に 対 し て 政 治 権 力 が 時 限 的 に 委 譲 さ れ る 場 合 、 す な わ ち 代 表 者 を 常 に 解 任 で き る 場 合 に は 、 代 表 者 は 主 権 者 で あ る 人 民 の 名 に お い て 統 治 す る の で あ る (D D :30 )。   こ れ に 対 し て 第 二 に 、 人 民 が 集 会 を も つ 権 利 を 奪 わ れ 、 代 表 者 を 任 期 満 了 前 に 解 任 す る こ と が で き な い 場 合 に は 、 代 表 者 は 君 主 と 同 等 の 権 力 を 持 つ 。 す な わ ち こ こ で は 、 実 質 的 に は 、 支 配 を 委 譲 さ れ た 者 が 君 主 す な わ ち 主 権 者 で あ る 。 こ れ に つ い て シ ュ ミ ッ ト は 、「 イ ン グ ラ ン ド 革 命 の 経 験 と ク ロ ム ウ ェ ル の 護 国 卿 統 治 へ の そ の 発 展 」 が ホ ッ ブ ズ に 与 え た 印 象 が 、 彼 の 独 裁 に 対 す る 評 価 に 反 映 さ れ て い る と 論 じ る 。「 リ ヴ ァ イ ア サ ン ( 一 六 五 一 年 ) に お い て ホ ッ ブ ズ は 、 ク ロ ム ウ ェ ル を 暗 示 し つ つ 、 彼 が 護 国 卿 と 並 置 す る 独 裁 官 を 時 限 的 君 主 と 呼 称 し た 。 そ の 際 に 、 こ こ で は 君 主 の 権 力 と 同 等 の も の と 評 価 さ れ る 権 力 が 前 提 さ れ て い る と い う こ と が 根 拠 と さ れ て い た 」(Ebd. )。 し た が っ て 、 ホ ッ ブ ズ は 独 裁 官 と 主 権 者 が 一 致 す る 可 能 性 、 す な わ ち 主 権 独 裁 の 問 題 を 認 識 し て い た 、 と 指 摘 す る の で あ る 。   た だ し シ ュ ミ ッ ト に よ れ ば 、 ホ ッ ブ ズ は 主 権 自 体 と 主 権 の 行 使 と を 区 別 す る こ と で 、 究 極 的 な 帰 結 に 至 る こ と を 免 れ た 。 し か し 、 そ の 構 成 は 「 主 権 独 裁 」、 す な わ ち 「 主 権 者 で あ る 人 民 に 支 配 を 委 託 さ れ た 独 裁 者 に よ る 支 配 」 を 指 し 示 す も の で あ っ た 。 ( 三 ) 主 権 独 裁 の 成 立 ─ ─ 同 一 化 原 理 と 人 民 の 意 志 の 形 成 カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2) 北法69(1・33)33   『 独 裁 』 に お い て 「 主 権 独 裁 」 を 定 式 化 す る 際 に シ ュ ミ ッ ト が 前 提 と し て い た も の は 、 第 一 次 大 戦 中 に 着 手 し た 戒 厳 状 態 研 究 ( 一 九 一 五 年 ) に お け る 認 識 で あ っ た 。 前 節 で 確 認 し た よ う に 、 シ ュ ミ ッ ト は 立 法 権 と 執 行 権 が 一 機 関 な い し 一 者 に 一 元 的 に 掌 握 さ れ る 例 外 状 況 を 「 独 裁 」 と 定 義 し 、 こ れ を 法 制 度 と し て の 戒 厳 状 態 か ら 区 別 し た 。 そ こ で は 一 七 九 三 年 に お け る 国 民 公 会 の 統 治 こ そ が 真 に 独 裁 の 名 に 値 す る も の で あ っ た と 論 じ ら れ て い た 。こ れ に 基 づ き 、『 独 裁 』 に お い て は 、立 法 権 と 独 裁 の 権 限 が 結 合 す る と き に 主 権 独 裁 が 成 立 す る と 論 じ ら れ る 。「 立 法 者 に 独 裁 者 の 権 力 を 与 え 、 独 裁 的 立 法 者 や 憲 法 を 制 定 す る 独 裁 者 を 構 成 す る こ と を 可 能 に す る よ う な 結 合 が な さ れ る や 否 や 、 委 任 独 裁 か ら 主 権 独 裁 が 成 立 す る 」(D D :126 )。 そ の 上 で シ ュ ミ ッ ト は 、 以 下 に 述 べ る よ う に 、 ル ソ ー の 人 民 主 権 論 と シ ー エ ス の 憲 法 制 定 権 力 論 を 援 用 し つ つ 主 権 独 裁 を 定 式 化 す る 。   シ ュ ミ ッ ト に よ れ ば 、 主 権 独 裁 の 基 盤 は 人 民 主 権 原 理 に あ り 、 人 民 こ そ が あ ら ゆ る 正 統 性 の 源 泉 で あ る と す る 思 想 に 基 づ く 。 人 民 主 権 論 の 祖 で あ る ル ソ ー の 理 論 は 、 本 来 、「 抽 象 的 構 成 を も つ 」 が 、 実 践 的 に は 「 革 命 的 イ デ オ ロ ギ ー 」 へ と 変 化 し 、「 独 裁 の 正 当 化 に 奉 仕 し 、自 由 の 専 制 の た め の 図 式 を 提 供 す る 」(D D :121 ) と い う 。 な ぜ な ら ば 、こ れ は 「 自 ら を 人 民 で あ る と 称 し 、 人 民 と 同 一 化 す る 権 利 を も つ 」 者 の 「 徳 (T ugend )」 の 道 徳 的 パ ト ス 」 に よ る 支 配 を 認 め る こ と に な る か ら で あ る 。「 道 徳 的 に 善 で あ る 者 だ け が 自 由 で あ り 、 自 ら を 人 民 で あ る と 称 し 、 人 民 と 同 一 化 す る 権 利 を も つ 」(Ebd. )。   そ し て 、 フ ラ ン ス 大 革 命 後 の ジ ャ コ バ ン 派 独 裁 に 見 出 さ れ る こ う し た 「 徳 」 の 支 配 に お い て 、 独 裁 者 が 立 法 権 を も 掌 握 す る と き に 「 主 権 独 裁 」 は 成 立 す る (D D :126 )。 こ こ で 独 裁 を 正 統 化 す る 根 拠 は 、 独 裁 者 が 自 ら を 、 主 権 者 で あ る 人 民 の 意 志 と 同 一 化 さ れ た 存 在 で あ る と 主 張 し う る こ と に あ る 。 そ こ か ら シ ュ ミ ッ ト は 、 人 民 主 権 論 を 基 盤 と し 、 人 民 の 意 志 と 同 一 化 す る 者 に よ る 独 裁 を 意 味 す る も の と し て 主 権 独 裁 を 定 式 化 す る の で あ る 。 論   説 北法69(1・34)34   さ ら に 、 人 民 の 意 志 と の 同 一 化 を 究 極 的 根 拠 と す る 主 権 独 裁 に つ い て 考 察 を 進 め る 中 で 、 シ ュ ミ ッ ト は 人 民 の 意 志 の 形 成 過 程 に 着 目 し 、 人 民 の 意 志 と 「 代 表 」 と の 間 の 不 可 分 の 関 係 を 強 調 す る 。 シ ュ ミ ッ ト は シ ー エ ス に よ り 論 じ ら れ た 制 定 権 力 論 を 人 民 主 権 の 理 論 と し て 受 容 し 、 制 定 権 力 は 原 理 的 に 無 限 定 で あ り 、 何 事 を も 成 し う る 力 を も つ こ と を 強 調 す る 。 さ ら に シ ュ ミ ッ ト は 、 こ の 理 論 を 主 権 独 裁 に 適 用 し 、 主 権 独 裁 は 人 民 の 制 定 権 力 の 委 託 に 基 づ く と 述 べ る 。 そ し て 、 人 民 の 意 志 す な わ ち 一 般 意 志 は 代 表 さ れ え な い と 論 じ た ル ソ ー と は 対 照 的 に 、 シ ー エ ス は 制 定 権 力 論 と 「 代 表 (Repräsentation ) 可 能 性 」 と を 結 び つ け た 点 を 指 摘 す る (D D :140 )。   シ ュ ミ ッ ト に よ れ ば 、 シ ー エ ス は 一 七 八 九 年 の 憲 法 制 定 議 会 の 議 員 を 「 命 令 的 委 任 (m andat im peratif )」 の 保 有 者 と し て で は な く 、 代 表 者 (Repräsentant ) と し て 理 解 し た 。 代 表 者 は 人 民 の 意 志 の 単 な る 伝 達 者 な い し 使 者 で は な い 。 シ ー エ ス の 思 想 に お い て は 、 代 表 者 は す で に 確 立 し た 制 定 権 力 の 意 志 な い し 人 民 の 意 志 を 伝 達 す る の で は な く 、 そ の 意 志 を ま ず 「 形 成 す る (form ieren )」 べ き で あ る と 考 え ら れ て い た と い う 。 こ こ に 「 制 定 意 志 の 全 能 性 に 対 す る 奇 妙 な 関 係 」 が 成 立 す る 。   「 人 民 の 意 志 が 内 容 的 に 全 く 存 在 せ ず 、 代 表 者 に よ っ て は じ め て 形 成 さ れ る 場 合 で あ っ て も 、 こ の 意 志 に 対 す る 代 表 者 の 依 存 、 し か も 明 白 な 意 味 に お い て 無 制 約 の 委 任 的 依 存 が 存 続 す る 。 も し も 制 定 権 力 が 実 際 に 制 定 し え な い も の な ら ば 制 定 権 力 の 意 志 は 不 明 確 で あ り う る 。 む し ろ そ れ は 不 明 確 で な け れ ば な ら な い 」(Ebd. )。   「 代 表 者 に よ る 無 制 約 の 委 任 的 依 存 」 と い う 思 想 に は 本 来 、「 命 令 的 委 任 」 の 観 念 も 含 ま れ て い た が 、 シ ー エ ス は こ う し た 帰 結 を 引 き 出 さ な か っ た 。 そ の 論 拠 は 、「 人 民 の 意 志 は 内 容 的 に 明 確 で は な い 」 か ら で あ る 。「 し た が っ て そ の 意 志 は 、 代 表 者 の 人 物 と 代 表 が 存 続 す べ き か 否 か と い う 決 定 に の み 関 わ る 。 実 際 に 、 そ の 意 志 は 明 確 で あ っ て は な ら な い 。 な ぜ な ら ば 、 そ れ が 何 ら か の 形 で 形 成 さ れ る や い な や 、 制 定 す る も の で あ る こ と を 止 め 、 自 ら 制 定 さ れ た も の と な る か カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2) 北法69(1・35)35 ら で あ る 」(D D :141 )。   以 上 に み た よ う に 、 主 権 独 裁 は 人 民 の 意 志 と の 同 一 化 を 根 拠 と し て 成 立 し 、 人 民 の 意 志 を 形 成 す る 代 表 者 の 存 在 を 不 可 欠 と す る こ と を 特 徴 と す る こ と が 論 じ ら れ た 。 こ の よ う に し て シ ュ ミ ッ ト は ボ ダ ン 論 、 ホ ッ ブ ズ 論 で 考 察 し た 国 家 の 統 一 と 主 権 概 念 、 代 表 思 想 を 前 提 と し て 、 ル ソ ー 、 シ ー エ ス と い っ た 人 民 主 権 論 者 に よ る 理 論 を も 受 容 し 、 主 権 独 裁 を 構 想 す る た め に 独 自 に 援 用 し た の で あ る 。 ( 四 ) 戒 厳 状 態 研 究 か ら 『 独 裁 』 へ の 継 承 と 発 展   以 上 に 見 た よ う に 、シ ュ ミ ッ ト は 一 九 一 五 年 の 戒 厳 状 態 研 究 、一 九 一 九 年 講 義 録 に お け る ボ ダ ン 、ホ ッ ブ ズ 論 を 経 て 、 『 独 裁 』( 一 九 二 一 年 ) を 成 立 さ せ た 。 こ れ は 当 初 の 概 念 区 分 (「 独 裁 」 と 「 戒 厳 状 態 」) を さ ら に 細 分 化 し て 概 念 を 明 確 化 し 、 こ れ を 主 権 国 家 成 立 と い う 歴 史 過 程 の 説 明 に 組 み 込 む こ と で 形 成 さ れ た も の で あ る と 言 え る 。 本 節 で は 最 後 に 、 一 九 一 五 年 の 議 論 か ら の 連 続 性 と 発 展 に つ い て 確 認 す る 。   一 九 一 五 年 の 戒 厳 状 態 研 究 で は 、 対 外 戦 争 を 前 提 と し て 立 法 権 と 執 行 権 が 国 民 公 会 ( 実 際 に は 公 安 委 員 会 ) に 集 中 し た 「 本 来 の 独 裁 」 と 、 立 法 権 と 執 行 権 の 分 離 は 形 式 上 維 持 さ れ つ つ 、 軍 事 命 令 権 者 に 全 執 行 権 が 集 中 す る 内 政 上 の 措 置 と し て の 戒 厳 状 態 が 区 別 さ れ た 。 後 者 に つ い て シ ュ ミ ッ ト は 、 形 式 上 権 力 分 立 が 維 持 さ れ る と し て も 、 戒 厳 令 が 敷 か れ た 領 域 内 部 で は 、 実 際 に は 軍 事 命 令 権 者 が 法 的 制 約 を 無 視 し て 全 権 力 を 行 使 す る 「 原 始 状 態 」 が 発 生 す る こ と を 指 摘 し て い た 。 こ う し た 戒 厳 状 態 の 基 本 的 特 徴 は 、『 独 裁 』 に お い て 継 承 さ れ る (D D :169f. )。   一 九 一 九 年 の ボ ダ ン 論 、 ホ ッ ブ ズ 論 を 経 て 、『 独 裁 』 に お い て は 、 そ の 発 展 的 成 果 と し て 「 独 裁 」 概 念 が 「 委 任 独 裁 」 と 「 主 権 独 裁 」 に 区 別 さ れ る 。 こ の 点 が 一 九 一 五 年 研 究 と の 間 の 最 も 大 き な 相 違 で あ る 。 一 九 一 五 年 研 究 に お い て は 、 論   説 北法69(1・36)36 シ ュ ミ ッ ト は 一 七 九 三 年 の 国 民 公 会 な い し 公 安 委 員 会 の 支 配 を 「 本 来 の 独 裁 」 と し て 説 明 し 、 執 行 権 と 立 法 権 が と も に 一 機 関 や 一 者 に 掌 握 さ れ る 事 例 を 「 独 裁 」 し て 定 義 し た 。 こ の 事 例 は 『 独 裁 』 に お い て は 、 一 八 世 紀 以 降 の 新 た な 独 裁 の 現 象 す な わ ち 「 主 権 独 裁 」 と し て 捉 え 直 さ れ る 。 十 八 世 紀 以 前 の 君 主 政 国 家 に お け る 委 員 と し て の 独 裁 官 制 度 が 歴 史 的 に は 先 行 す る た め 、こ こ で は 「 委 任 独 裁 」 が 本 来 の 独 裁 と し て 捉 え ら れ 、一 七 九 三 年 の ジ ャ コ バ ン 派 を 主 体 と す る 「 革 命 的 独 裁 」 や ボ ル シ ェ ヴ ィ キ に よ る 「 プ ロ レ タ リ ア 独 裁 」 は 新 た な 独 裁 の 事 例 と し て 理 解 さ れ た 、 と 考 え ら れ る 。 第 五 節  プ ロ レ タ リ ア 独 裁 評 価 を め ぐ る シ ュ ミ ッ ト と ケ ル ゼ ン   本 節 で は シ ュ ミ ッ ト に お け る プ ロ レ タ リ ア 独 裁 に 対 す る 評 価 と 、 プ ロ レ タ リ ア 独 裁 と 民 主 主 義 の 関 係 に 対 す る 見 解 を 把 握 す る 。 そ こ で 、 ま ず 『 独 裁 』 で 端 的 に 言 及 さ れ た 、 シ ュ ミ ッ ト に よ る プ ロ レ タ リ ア 独 裁 に 対 す る 評 価 を 確 認 し 、 そ の 上 で ケ ル ゼ ン の 論 稿 「 社 会 主 義 と 国 家 」( 初 版 、 一 九 二 〇 年 ) に お け る プ ロ レ タ リ ア 独 裁 観 を 参 照 す る 。 こ う し て 両 者 の 議 論 を 比 較 す る こ と で 、 シ ュ ミ ッ ト に お け る 独 裁 と 民 主 主 義 の 関 係 に つ い て の 理 解 を 相 対 化 し 、 そ の 独 自 性 を 浮 き 彫 り に し た い 。 ( 一 ) シ ュ ミ ッ ト に お け る プ ロ レ タ リ ア 独 裁 論   『 独 裁 』に お い て シ ュ ミ ッ ト は 、プ ロ レ タ リ ア 独 裁 を 主 権 独 裁 の 一 事 例 と し て 理 解 す る 。 前 節 で 確 認 し た 通 り 、シ ュ ミ ッ ト に よ れ ば 、 主 権 独 裁 と は 「 人 民 の 意 志 と 同 一 化 す る 」 こ と に 根 拠 を も つ 独 裁 で あ り 、 根 本 的 に 人 民 主 権 原 理 に 基 づ く も の で あ っ た 。 カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2) 北法69(1・37)37   『 独 裁 』 第 四 章 「 既 成 の 法 治 国 家 的 秩 序 に お け る 独 裁 」 末 尾 に お い て 、 シ ュ ミ ッ ト は プ ロ レ タ リ ア 独 裁 を 「 人 民 と 同 一 化 さ れ た プ ロ レ タ リ ア の 独 裁 」(D D :202 ) と 規 定 す る 。 本 章 に お い て シ ュ ミ ッ ト は 、 戒 厳 状 態 な い し 戒 厳 令 の 歴 史 的 成 立 と そ の 発 展 過 程 を 叙 述 す る の で あ る が 、そ の 上 で 次 の よ う に 述 べ る 。「 戒 厳 状 態 の 法 制 度 化 の 発 展 に と っ て 重 要 な 年 」 で あ る 一 八 三 二 年 と 一 八 四 八 年 に お い て 「 す で に 、 プ ロ レ タ リ ア 独 裁 の 要 求 に お い て 存 在 す る よ う な 独 裁 の 概 念 は 、 そ の 理 論 的 特 殊 性 に お い て 存 在 し て い た 」(D D :201 )。 シ ュ ミ ッ ト に よ れ ば 、 マ ル ク ス や エ ン ゲ ル ス に よ り 提 唱 さ れ た 「 独 裁 」 と い う 観 念 は 、 す で に 当 時 一 般 に 慣 用 化 し て い た 政 治 的 ス ロ ー ガ ン を 継 承 し 、 利 用 し た も の に 過 ぎ な い 。 一 八 三 〇 年 以 来 、 独 裁 と い う 語 は 政 治 的 ス ロ ー ガ ン と し て 様 々 な 人 物 や 抽 象 物 に 対 し て 適 用 さ れ て き た 。 例 え ば 、「 ラ フ ァ イ エ ッ ト の 独 裁 、 カ ヴ ェ ニ ャ ッ ク 、 ナ ポ レ オ ン 三 世 の 独 裁 」、 ま た 同 様 に 、「 政 府 の 独 裁 、 街 頭 、 報 道 、 資 本 、 官 僚 制 の 独 裁 」 と 呼 称 さ れ て い た (D D :201 )。   こ こ で シ ュ ミ ッ ト は 、 さ ら に 詳 細 に こ の 問 題 を 論 究 す る こ と は 避 け 、「 独 裁 概 念 が 十 九 世 紀 の 哲 学 と ど の よ う な 体 系 的 関 連 性 に お い て 発 展 し 、 世 界 大 戦 の 経 験 と の ど の よ う な 政 治 的 関 連 性 に お い て 発 展 し た か と い う こ と は 、 別 個 の 記 述 に 残 さ れ な け れ ば な ら な い 」 と す る 。 な ぜ な ら ば 、 マ ル ク ス 、 エ ン ゲ ル ス に 継 承 さ れ る プ ロ レ タ リ ア 独 裁 の 観 念 に 見 出 さ れ る 独 裁 概 念 と は 別 に 、「 バ ブ ー フ と ブ ォ ナ ロ ッ テ ィ か ら ブ ラ ン キ へ と 進 む 伝 統 」 が 、 一 七 九 三 年 の 主 権 独 裁 に お け る 明 瞭 な 独 裁 観 念 を 一 八 四 八 年 へ と 伝 え て い る か ら で あ る (Ebd. )。   た だ し シ ュ ミ ッ ト は 、 次 の こ と は 確 言 で き る と 言 う 。「 一 般 的 国 家 論 の 観 点 か ら 考 察 す る な ら ば 、 人 民 と 同 一 化 す る プ ロ レ タ リ ア の 独 裁 は 、 そ こ に お い て 国 家 が 「 死 滅 す る (absterben )」 よ う な 経 済 的 状 態 へ の 移 行 と し て 、 主 権 独 裁 の 概 念 を 前 提 と す る 。 国 民 公 会 の 理 論 と 実 践 の 基 礎 に 主 権 独 裁 の 概 念 が 存 在 し た の と 同 様 に 」(D D :202 )。 す で に 確 認 し た 通 り 、 一 七 九 三 年 の フ ラ ン ス 国 民 公 会 に お け る 独 裁 は 、 主 権 独 裁 の 古 典 的 事 例 で あ る 。 し た が っ て シ ュ ミ ッ ト は こ こ 論   説 北法69(1・38)38 で 、 十 九 世 紀 に 登 場 す る プ ロ レ タ リ ア 独 裁 を 一 七 九 三 年 の 独 裁 と 同 一 視 し 、 両 者 を と も に 主 権 独 裁 の 概 念 を 前 提 と す る 独 裁 と し て 捉 え て い る 。 さ ら に シ ュ ミ ッ ト は 、 続 け て 次 の よ う に 述 べ 、『 独 裁 』 最 終 章 を 締 め く く る 。 マ ル ク ス 、 エ ン ゲ ル ス の 唱 え た 、「 無 国 家 状 態 へ 移 行 す る と い う 国 家 理 論 に と っ て も 、 エ ン ゲ ル ス が 一 八 五 〇 年 三 月 に 共 産 主 義 者 同 盟 に 対 す る 挨 拶 に お い て 、 彼 の 実 践 の た め に 要 求 し た こ と は 当 て は ま っ て い る 。 す な わ ち 、 そ れ は 「 一 七 九 三 年 の フ ラ ン ス と 同 様 に 」 と い う こ と で あ る 」(Ebd. )。   以 上 に 見 た よ う に 、 シ ュ ミ ッ ト に と り 、 プ ロ レ タ リ ア 独 裁 は 、 プ ロ レ タ リ ア 階 級 が 人 民 と 同 一 化 さ れ る こ と に 基 づ く 独 裁 で あ り 、 す な わ ち 人 民 主 権 原 理 に 基 づ く 主 権 独 裁 の 一 事 例 で あ っ た 。 ( 二 ) ケ ル ゼ ン に お け る プ ロ レ タ リ ア 独 裁 論 ─ ─ 「 社 会 主 義 と 国 家 」   シ ュ ミ ッ ト が 『 独 裁 』 を 公 刊 す る 前 年 、 ケ ル ゼ ン は マ ル ク ス 主 義 理 論 お よ び レ ー ニ ン 、 ボ ル シ ェ ヴ ィ ズ ム 批 判 を 主 題 と す る 論 文「 社 会 主 義 と 国 家 ─ ─ マ ル ク ス 主 義 政 治 理 論 の 一 研 究 」( 初 版 、一 九 二 〇 年 )を 発 表 し ) 11 ( た 。 第 二 版 序 文( 一 九 二 三 年 ) に お い て ケ ル ゼ ン 自 身 に よ り 言 明 さ れ て い る 通 り 、 こ の 論 稿 は 社 会 主 義 の 否 定 を 意 図 す る も の で は な く 、 主 に マ ル ク ス 主 義 の 政 治 理 論 に お け る 民 主 主 義 観 を 考 察 の 対 象 と す る も の で あ ) 11 ( り 、 そ れ が 孕 む 理 論 上 の 問 題 点 が 検 討 さ れ る 。   ケ ル ゼ ン は マ ル ク ス 、 エ ン ゲ ル ス の 著 作 に 即 し て 、 彼 ら の 政 治 理 論 に お い て は 、 プ ロ レ タ リ ア 独 裁 が 民 主 主 義 的 形 式 を と る と 考 え ら れ て い る こ と を 確 認 す る 。『 共 産 党 宣 言 』 に お い て 「 マ ル ク ス と エ ン ゲ ル ス に よ り 好 ん で 「 独 裁 」 と 名 付 け ら れ た プ ロ レ タ リ ア 支 配 の た め の 国 家 形 ) 11 ( 式 」 は 「 民 主 主 義 の 国 家 形 ) 11 ( 式 」 で あ る 。「「 プ ロ レ タ リ ア を 支 配 階 級 に 高 め る こ と 」、「 民 主 主 議 を 勝 ち 取 る こ と 」 は 、 最 も 緊 密 な 関 連 性 に お い て 労 働 者 革 命 の 目 標 と 称 さ れ て い ) 11 ( た 」。   マ ル ク ス 、エ ン ゲ ル ス に お け る プ ロ レ タ リ ア 独 裁 観 に 対 し て 、ケ ル ゼ ン は 次 の よ う に 分 析 を 加 え る 。ケ ル ゼ ン に よ れ ば 、 カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2) 北法69(1・39)39 彼 ら の 政 治 理 論 は 一 つ の 原 理 的 前 提 の 帰 結 に 過 ぎ な い 。 す な わ ち 「 ブ ル ジ ョ ワ ジ ー に 抑 圧 さ れ 搾 取 さ れ た 階 級 で あ る プ ロ レ タ リ ア ー ト が 、 数 的 に 圧 倒 的 多 数 派 で あ る 」 と い う 前 提 で あ ) 11 ( る 。 こ れ は 『 共 産 党 宣 言 』、 ま た こ れ を 基 礎 と す る す べ て の 社 会 主 義 的 文 献 の 出 発 点 と し て 共 有 さ れ て い る と 言 う 。 そ し て 、『 共 産 党 宣 言 』 か ら 次 の 一 節 を 引 用 す る 。「 従 来 の す べ て の 運 動 は 、 少 数 派 の 運 動 か 、 少 数 派 の 利 益 の た め の 運 動 で あ っ た 。 プ ロ レ タ リ ア の 運 動 は 、 膨 大 な 多 数 派 の 利 益 の た め の 膨 大 な 多 数 派 の 運 動 で あ る 」。 す な わ ち 従 来 、プ ロ レ タ リ ア は ブ ル ジ ョ ワ ジ ー に 抑 圧 さ れ 、搾 取 さ れ て き た が 、 数 の 点 で 多 数 派 で あ る の は プ ロ レ タ リ ア で あ る 。 そ れ ゆ え 多 数 決 原 理 を 採 用 す る な ら ば 、 必 然 的 に プ ロ レ タ リ ア が 支 配 階 級 と な る と 考 え ら れ て い た 。   本 論 文 と 同 年 に 発 表 さ れ た 「 民 主 主 義 の 本 質 と 価 値 」( 初 版 、一 九 二 〇 年 ) に お い て も 、上 記 と 同 様 の 見 解 が 示 さ れ る 。 こ こ で ケ ル ゼ ン は 、マ ル ク ス 、エ ン ゲ ル ス の プ ロ レ タ リ ア 独 裁 論 に つ い て 、よ り 具 体 的 に 次 の よ う に 述 べ る 。「 マ ル ク ス 、 エ ン ゲ ル ス 以 来 の 社 会 主 義 の 政 治 理 論 、 経 済 理 論 の 基 礎 を な す 出 発 点 は 、 搾 取 さ れ 、 窮 乏 化 し た プ ロ レ タ リ ア が 人 口 の 大 多 数 を 占 め て お り 、 消 え 去 る べ き 少 数 派 に 対 す る 階 級 闘 争 の た め に 社 会 主 義 政 党 に お い て 自 ら を 組 織 す る た め に は 、 プ ロ レ タ リ ア は 自 ら の 階 級 的 状 況 を 自 覚 す る だ け で よ い と い う こ と で あ っ ) 11 ( た 」。   し た が っ て ケ ル ゼ ン に よ れ ば 、 プ ロ レ タ リ ア が 支 配 権 力 を 獲 得 す る た め に は 、 多 数 決 原 理 を 採 用 す る こ と が 有 利 で あ る と 見 做 さ れ た 。 そ し て 、 こ の 前 提 ゆ え に 、 マ ル ク ス 、 エ ン ゲ ル ス を は じ め と す る 社 会 主 義 の 政 治 理 論 は 民 主 主 義 を 必 然 的 に 要 請 し た の だ と 論 じ る 。「 支 配 権 力 の 掌 握 に つ い て 多 数 派 が 決 定 す る な ら ば 、 確 実 に 支 配 権 力 を 自 ら 掌 握 し う る と 確 信 し て い る が ゆ え に の み 、 社 会 主 義 は 民 主 主 義 を 要 請 し た の で あ ) 11 ( る 」。   こ れ に 対 し て ケ ル ゼ ン は 、 次 の よ う に 指 摘 す る 。 民 主 主 議 内 部 に お い て は 、 政 治 的 に 多 数 派 を 獲 得 し た 政 党 だ け が 支 配 を 主 張 で き る 。 そ れ ゆ え に 民 主 主 義 に お い て 政 治 権 力 を 獲 得 す る の は 階 級 で は な く 、 プ ロ レ タ リ ア の 政 党 で あ る 。 し 論   説 北法69(1・40)40 か し 議 会 に お い て 、 プ ロ レ タ リ ア 政 党 が 多 数 派 を 獲 得 し て い る か と い う と 、 実 際 に は そ う で は な い 。 と い う の も 、 プ ロ レ タ リ ア 全 体 が 複 数 の 政 党 に 分 裂 し 、 絶 対 的 多 数 派 を 形 成 す る 能 力 を も た な い 場 合 や 、 農 業 国 家 、 あ る い は 高 度 の 工 業 国 家 に お い て も し ば し ば 、 プ ロ レ タ リ ア は 人 口 の 過 半 数 を 構 成 し て い な い 場 合 が あ る か ら で あ る 。 ま た 、 プ ロ レ タ リ ア の 相 当 部 分 が プ ロ レ タ リ ア の 社 会 主 義 政 党 に 同 調 し な い と い う 可 能 性 も 十 分 に あ ) 1( ( る 。「『 共 産 党 宣 言 』 は こ う し た 可 能 性 を す べ て 考 慮 に 入 れ て い な か っ た よ う で あ る が 、 プ ロ レ タ リ ア が 革 命 に よ っ て 政 権 を 奪 取 し た 諸 国 は 、 ま さ し く こ う し た 状 況 に 直 面 し た の だ っ ) 11 ( た 」。   ケ ル ゼ ン が 批 判 す る の は 、 プ ロ レ タ リ ア が 多 数 派 を 構 成 し て い な い 、 あ る い は 構 成 し な い 可 能 性 が あ る に も か か わ ら ず 、プ ロ レ タ リ ア 独 裁 を 民 主 主 義 と 同 一 視 す る こ と で あ る 。 こ の 論 理 に 従 う な ら ば 、プ ロ レ タ リ ア が 多 数 派 を 形 成 す る 、 あ る い は プ ロ レ タ リ ア 政 党 が 多 数 派 を 獲 得 す る 限 り に お い て 、 プ ロ レ タ リ ア 独 裁 は 民 主 主 義 と 矛 盾 し な い こ と に な る 。 し た が っ て 、 本 論 文 に お い て ケ ル ゼ ン は 、 プ ロ レ タ リ ア 独 裁 と 民 主 主 議 が 両 立 す る 可 能 性 を 原 理 的 に 否 定 し た わ け で は な い こ と に 留 意 す べ き で あ る 。 ケ ル ゼ ン が こ う し た 批 判 を 加 え る 背 景 に は 、 マ ル ク ス ・ エ ン ゲ ル ス 以 降 の マ ル ク ス 主 義 の 政 治 理 論 が 辿 る 経 緯 が 存 在 す る と 推 測 さ れ る 。 ケ ル ゼ ン は レ ー ニ ン の 唱 え た 前 衛 党 に よ る 支 配 を 批 判 し 、「 少 数 派 で あ る プ ロ レ タ リ ア ー ト の 独 裁 」 は 民 主 主 義 と 対 立 す る と 強 く 主 張 す る の で あ る 。 ( 三 ) プ ロ レ タ リ ア 独 裁 を め ぐ る シ ュ ミ ッ ト と ケ ル ゼ ン   以 上 に 見 た 両 者 の プ ロ レ タ リ ア 独 裁 観 は 、 次 の よ う に 整 理 で き る 。   シ ュ ミ ッ ト に と り 、 プ ロ レ タ リ ア 独 裁 は 人 民 主 権 原 理 に 基 づ く 主 権 独 裁 の 一 事 例 で あ る 。『 独 裁 』 を 執 筆 し て い た 時 点 で シ ュ ミ ッ ト は 、 独 裁 と 民 主 主 義 が 両 立 し う る と は 言 明 し て お ら ず 、 ま た 翌 年 の 『 政 治 神 学 』 に お い て は 民 主 主 義 と カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2) 北法69(1・41)41 反 革 命 思 想 家 が 求 め る 権 威 的 独 裁 を 対 立 的 に 捉 え て い た 。 し か し 『 独 裁 』 で の 議 論 を 通 じ て 、 シ ュ ミ ッ ト は 人 民 と 同 一 化 す る プ ロ レ タ リ ア の 支 配 と し て 人 民 主 権 原 理 に 基 礎 付 け ら れ て い る 限 り 、 プ ロ レ タ リ ア 独 裁 は 民 主 主 義 と は 矛 盾 し な い と 考 え て い た こ と が わ か る 。   ま た 、 革 命 的 な 移 行 期 間 、 過 渡 期 に 現 象 す る と い う 本 来 の 主 権 独 裁 の 性 格 規 定 に も か か わ ら ず 、 プ ロ レ タ リ ア 独 裁 を 主 権 独 裁 の 一 事 例 と し た 点 に 、民 主 主 義 と 独 裁 は 両 立 し う る と す る 、の ち の 議 論 と の 連 続 性 を 見 出 す こ と が 可 能 で あ る 。 マ ル ク ス 主 義 理 論 に お い て 、 プ ロ レ タ リ ア 独 裁 は 共 産 主 義 社 会 樹 立 に 至 る ま で の 過 渡 期 に お け る 一 時 的 現 象 と し て 位 置 付 け ら れ て い た 。 し か し 歴 史 的 経 験 を 鑑 み る な ら ば 、 レ ー ニ ン の プ ロ レ タ リ ア 独 裁 論 に 典 型 的 に 見 出 さ れ る よ う に 、 実 際 に は 前 衛 党 に よ る 長 期 的 支 配 を も 肯 定 す る こ と と な る 。   他 方 で ケ ル ゼ ン に と り 、 プ ロ レ タ リ ア 独 裁 は 原 理 的 に 民 主 主 義 と 背 反 す る わ け で は な い が 、 プ ロ レ タ リ ア あ る い は プ ロ レ タ リ ア 政 党 の 支 持 者 が 少 数 派 で あ る に も か か わ ら ず 支 配 を 主 張 す る 限 り 、 民 主 主 義 と 矛 盾 す る 。   以 上 か ら 、 両 者 の プ ロ レ タ リ ア 独 裁 観 に お け る 相 違 は 、 シ ュ ミ ッ ト が そ の 支 配 の 根 拠 を 人 民 の 意 志 と の 同 一 化 に 、 他 方 で 、 ケ ル ゼ ン が 数 に お け る 多 数 派 の 支 配 に 見 出 し た こ と に あ る と 一 旦 結 論 づ け る こ と が で き る 。 ( 1 )H . A . W inkler, D er lange W eg nach W esten, B d.1, D eutsche G eschichte vom  E nde des A lten R eiches bis zum   U ntergang der W eim arer Republik, M ünchen 2014 (1. A ufl. 2000), S.329-332.  後 藤 俊 明 、 奥 田 隆 男 、 中 谷 毅 、 野 田 昌 吾 訳 『 自 由 と 統 一 へ の 長 い 道 I 』 昭 和 堂 、 二 〇 〇 八 年 、 三 三 四 ─ 三 三 六 頁 。 ( 2 )W inkler, a.a.O ., S.337.  前 掲 邦 訳 三 四 〇 ─ 三 四 二 頁 。「 一 九 一 四 年 の 理 念 」 と 保 守 革 命 運 動 と の 関 連 に つ い て は 、 山 下 威 士 論   説 北法69(1・42)42 『 カ ー ル ・ シ ュ ミ ッ ト 研 究 : 危 機 政 府 と 保 守 革 命 運 動 』 南 窓 社 、 一 九 八 六 年 、 一 一 六 ─ 一 一 八 頁 を 参 照 。 ( 3 )W inkler, a.a.O ., S.341f.  邦 訳 三 四 五 ─ 三 四 六 頁 。 ( 4 )W inkler, a.a.O ., S.342.  邦 訳 三 四 六 頁 。 ( 5 )Ebd. ( 6 )V gl. auch R. M ehring, Carl Schm itt: A ufstieg und Fall, M üunchen 2009, S.70.  ( 7 )Ebd. ( 8 )V gl. auch M ehring, a.a.O ., S.71. ( 9 )Ebd. ( 10 )Ebd. ( 11 )M ehring, a.a.O ., S. 75. ( 12 )M ehring, a.a.O ., S.76. ( 13 )V gl. M ehring, a.a.O ., S.88f., ders, K riegstechniker des Begriffs, T übingen 2014, S.8. ( 14 ) 日 記 帳 編 集 者 は 、 こ の 報 告 か ら 論 文 「 独 裁 と 戒 厳 状 態 」 が 成 立 し た こ と を 言 明 し て い る 。V gl. T B2:125. A nm . 151.  メ ー リ ン グ は 日 記 帳 の 記 載 か ら 、「 戒 厳 状 態 と い う 主 題 に 対 し て シ ュ ミ ッ ト は 自 ら の 任 務 と し て 向 き 合 う こ と に な っ た 」 と 述 べ て い る (vgl. M ehring, a.a.O ., S.88. )。 ( 15 )V gl. J. W . Bendersky, Carl Schm itt. T heorist for the R eich, Princeton 1983, 19f.  ( 16 ) 木 村 靖 二 「 第 一 次 世 界 大 戦 下 の ド イ ツ 」、 成 瀬 治 ・ 山 田 欣 吾 ・ 木 村 靖 二 編 『 世 界 歴 史 大 系 : ド イ ツ 史 3 : 一 八 九 〇 年 ~ 現 在 』 山 川 出 版 社 、 一 九 九 七 年 、 八 三 頁 。 ( 17 ) 木 村 前 掲 、 八 三 、 八 四 頁 。 ( 18 ) 松 浦 義 弘 「 フ ラ ン ス 革 命 期 の フ ラ ン ス 」、 柴 田 三 千 雄 ・ 樺 山 紘 一 ・ 福 井 憲 彦 編 著 『 世 界 歴 史 体 系 : フ ラ ン ス 史 2 : 一 六 世 紀 ~ 一 九 世 紀 な か ば 』 山 川 出 版 社 、 一 九 九 六 年 、 三 七 七 頁 。 ( 19 )「 戒 厳 状 態 あ る い は 戦 争 状 態 は 真 の 意 味 に お い て 、 い わ ゆ る 「 実 質 的 」 戒 厳 状 態 で あ り 、 国 内 の 反 乱 に よ り 引 き 起 こ さ れ た 「 政 治 的 」 あ る い は 「 擬 制 的 」 戒 厳 状 態 と は 区 別 さ れ る 」(D B:8 )。 シ ュ ミ ッ ト は 戒 厳 状 態 を 区 別 す る こ う し た 見 解 を テ カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2) 北法69(1・43)43 オ ド ー ア ・ ラ イ ナ ッ ハ の 著 書 『 戒 厳 状 態 に つ い て 』( 一 八 八 五 ) か ら 受 容 し た こ と を 注 記 し て い る (ebd. anm . 17 )。 こ う し た 継 承 関 係 に 言 及 し た 研 究 と し て は 、 大 竹 弘 二 『 正 戦 と 内 戦 : カ ー ル ・ シ ュ ミ ッ ト の 国 際 秩 序 思 想 』 以 文 社 、 二 〇 〇 九 年 、 一 〇 〇 頁 ・ 注 四 三 を 参 照 。 ( 20 )Carl Schm itt, „D rei Inedita (1919-1922-1930)“, Piet T om m issen (H rsg.), Schm ittiana. Beiträge zu Leben und W erk Carl Schm itts, Bd. V II, Berlin 2001, S.10. V gl. auch, T B2:476. ( 21 )V gl. W inkler, a.a.O ., S.367. 『 自 由 と 統 一 へ の 長 い 道 I 』、 三 七 〇 頁 。 ( 22 )W inkler, a.a.O ., S.396f.  『 自 由 と 統 一 へ の 長 い 道 I 』、 三 九 六 ─ 三 九 七 頁 。M ehring, a.a.O ., S. 114f. ( 23 )H ans K elsen, „Sozialism us und Staat. Eine U ntersuchung der politischen T heorie des M arxism us“, Carl Grünberg  (H rsg.), A rchiv für die G eschichte des Sozialism us und der A rbeiterbew egung. Im  V erbindung m it einer Reihe nam hafter  Fachm änner aller Länder, N eunter Jahrgang, Leipzig 1921, S. 1-129. ( 24 )K elsen, Sozialism us und Staat: E ine U ntersuchung der politischen T heorie des M arxism us, zw eite erw eiterte A uflage,  Leipzig 1923, S.V . ( 25 )K elsen, a.a.O ., S.29. ( 26 )K elsen, .a.a.O ., S.30. V gl. auch, S.15. ( 27 )K elsen, .a.a.O ., S.15. ( 28 )Ebd. ( 29 )H ans K elsen, V om W esen und W ert der D em okratie, T übingen 1920, S.35.  ( 30 )Ebd. ( 31 )K elsen, a.a.O ., S.16. ( 32 )Ebd. 論   説 北法69(1・44)44 第 三 章  シ ュ ミ ッ ト の 人 民 主 権 論 批 判 ( 一 九 二 二 年 )   本 章 で は 『 政 治 神 学 ─ ─ 主 権 論 第 四 章 』( 一 九 二 二 年 ) に 対 す る 分 析 を 通 じ て 、 シ ュ ミ ッ ト が ど の よ う に 人 民 主 権 を 歴 史 的 に 位 置 づ け 、 理 論 的 に 定 式 化 し た の か と い う 問 題 を 検 討 す る 。 第 一 に 、『 政 治 神 学 』 に お い て シ ュ ミ ッ ト が 提 示 し 、 人 民 主 権 の 特 徴 を 説 明 す る た め に 援 用 し た 「 政 治 神 学 的 方 法 」 が ど の よ う な も の で あ る の か を 確 認 し 、 従 来 の 研 究 に お け る 議 論 を 整 理 す る 。 第 二 に 、 日 本 に お け る 従 来 の シ ュ ミ ッ ト 研 究 に お い て は 知 ら れ て い な い 、「 政 治 神 学 的 方 法 」 の 由 来 に つ い て 検 討 す る 。 第 三 に 、 シ ュ ミ ッ ト が こ の 方 法 を 用 い て 独 自 に 、 君 主 政 と 民 主 政 を ど の よ う に 特 徴 付 け た の か を 明 ら か に し 、 ま た 世 俗 化 論 を 用 い て 人 民 主 権 の 成 立 を 近 代 史 に 位 置 付 け た こ と を 確 認 す る 。 さ ら に 、 こ う し て 理 解 さ れ た 民 主 主 義 に 対 し て シ ュ ミ ッ ト が 当 時 ど の よ う な 評 価 を 下 し て い た の か を 検 討 す る 。 第 四 に 、 シ ュ ミ ッ ト と ケ ル ゼ ン に お け る 人 民 主 権 の 成 立 過 程 に つ い て の 叙 述 を 対 比 し 、 民 主 主 義 と 個 人 の 自 由 と の 関 係 に つ い て の 両 者 の 見 解 の 相 違 を 把 握 す る 。 第 一 節  『 政 治 神 学 』 に お け る 政 治 神 学 的 方 法 ( 一 )『 政 治 神 学 』 に お け る 政 治 神 学 の 二 義 牲   シ ュ ミ ッ ト は ミ ュ ン ヘ ン 商 科 大 学 に 勤 務 し て い た 頃 、 晩 年 の マ ッ ク ス ・ ヴ ェ ー バ ー が ミ ュ ン ヘ ン 大 学 で 行 っ た 演 習 に 参 加 し 、講 義 を 聴 講 し た 。ヴ ェ ー バ ー 学 派 の 一 人 で あ り 、ヴ ェ ー バ ー の 妻 と と も に『 経 済 と 社 会 』編 集 に 携 わ っ た M .パ リ ュ イ を 通 じ て 、 シ ュ ミ ッ ト は ヴ ェ ー バ ー 追 悼 論 集 へ の 寄 稿 を 依 頼 さ れ る 。『 政 治 神 学 』 と し て 公 刊 さ れ た も の う ち の 第 一 カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2) 北法69(1・45)45 章 か ら 第 三 章 は 最 初 、 ヴ ェ ー バ ー 追 悼 論 集 に 寄 稿 さ れ た も の で あ る 。『 政 治 神 学 』 は こ の 三 章 に 加 え 、 別 誌 で 発 表 し て い た 「 反 革 命 の 国 家 哲 学 者 ─ ─ ボ ナ ー ル 、 ド ノ ソ ・ コ ル テ ス 、 ド ・ メ ー ス ト ル 」 を 第 四 章 と し て 公 刊 さ れ た 。   シ ュ ミ ッ ト の 政 治 神 学 と は 一 般 に 、『 政 治 神 学 』 第 三 章 冒 頭 で 掲 げ ら れ る 一 節 、「 近 代 国 家 理 論 の あ ら ゆ る 簡 潔 な 諸 概 念 は 、世 俗 化 さ れ た 神 学 の 諸 概 念 で あ る 」(PT :37 )と し て 知 ら れ て い る 。 シ ュ ミ ッ ト は こ れ に 続 け て 次 の よ う に 説 明 す る 。 「 こ れ は 神 学 か ら 諸 概 念 が 国 家 学 へ と 転 用 さ れ た こ と に よ る 、 例 え ば 全 能 の (allm ächtig ) 神 が 全 能 の (om nipotent ) 立 法 者 と な っ た と い う 、 そ の ( 近 代 国 家 理 論 の 諸 概 念 の ) 歴 史 的 発 展 に 従 う も の だ け で は な く 、 こ れ ら の 諸 概 念 の 社 会 学 的 考 察 に と っ て 不 可 欠 な 認 識 で あ る 、 そ の 体 系 的 構 造 に お い て も そ う で あ る 」(Ebd. )。   『 政 治 神 学 』 第 三 章 に お け る シ ュ ミ ッ ト の 議 論 を 分 析 す る な ら ば 、 彼 の 政 治 神 学 は 二 つ の 側 面 を も つ こ と が わ か る 。 第 一 に 、 政 治 神 学 は 「 神 学 か ら 諸 概 念 が 国 家 論 へ と 転 用 さ れ た 」 こ と に 基 づ く 、 概 念 の 「 世 俗 化 」 を 意 味 す る 。 こ れ は 同 時 に 「 近 代 国 家 理 論 の 諸 概 念 の 歴 史 的 発 展 に 従 う 」 も の で あ る 。 神 の 全 能 性 と い う 神 学 的 起 源 を も つ 主 権 概 念 が 、 初 期 近 代 以 降 に は 絶 対 君 主 に 世 俗 化 し 、 啓 蒙 期 以 降 に は 人 民 に 世 俗 化 し て い く 、 と す る 主 権 概 念 の 歴 史 的 移 行 過 程 と し て 示 さ れ る 。   第 二 に 、 政 治 神 学 は 「 諸 概 念 の 社 会 学 的 考 察 に と っ て 不 可 欠 な 認 識 で あ る 、 そ の 体 系 的 構 造 」 に 関 す る も の で あ る 。 シ ュ ミ ッ ト に よ れ ば 、「 あ る 特 定 の 時 代 が 世 界 に つ い て 作 り 出 す 形 而 上 学 的 像 は 、 そ の 世 界 に と り そ の 政 治 的 組 織 の 形 式 と し て 簡 単 に は っ き り と わ か る も の と 同 一 の 構 造 を も つ 」(PT :42 )。 つ ま り 、 特 定 の 時 代 に お け る 形 而 上 学 的 世 界 像 と 政 治 形 式 と は 構 造 的 に 同 一 性 を も つ と い う 。 そ し て 「 そ の よ う な 同 一 性 の 確 認 が 主 権 概 念 の 社 会 学 で あ る 」(PT :40 ) と い う 。 し た が っ て シ ュ ミ ッ ト に と っ て 政 治 神 学 と は 、 特 定 の 時 代 の 形 而 上 学 的 世 界 像 と 政 治 形 式 と の 間 に 構 造 的 な 同 一 性 が あ る と 仮 定 し 、 こ の 同 一 性 を 確 認 す る と い う 方 法 を 意 味 す る 。 こ の 「 主 権 概 念 の 社 会 学 」 だ け が 「 主 権 の よ う な 論   説 北法69(1・46)46 概 念 に 対 し 、 唯 一 学 問 的 成 果 の 見 通 し を も つ 」(PT :42 ) 方 法 論 で あ る と い う 。   以 上 に 簡 潔 に 見 た よ う に 、 シ ュ ミ ッ ト の 政 治 神 学 は 厳 密 に 理 解 す る な ら ば 二 つ の 意 味 内 容 を も つ も の で あ る が 、 従 来 の 研 究 に お い て は こ れ ら は 区 別 さ れ て い な か っ た 。 以 下 で は ま ず 、 第 二 の 政 治 神 学 、 す な わ ち 主 権 概 念 の 社 会 学 と し て の 政 治 神 学 ( 以 下 で は 、 政 治 神 学 的 方 法 と 表 記 す る ) に 焦 点 を 合 わ(1 )せ 、『 政 治 神 学 』 に お い て シ ュ ミ ッ ト は 政 治 神 学 的 方 法 論 を ど の よ う な も の と し て 説 明 し た の か を 確 認 す る 。 次 に 、 こ の 政 治 神 学 的 方 法 は 先 行 研 究 に お い て ど の よ う に 受 け 止 め ら れ 、 論 じ ら れ て き た の か を 概 観 す る 。 ( 二 ) シ ュ ミ ッ ト の 政 治 神 学 的 方 法   『 政 治 神 学 』 に お い て シ ュ ミ ッ ト は 、「 究 極 的 な 唯 心 論 的 歴 史 哲 学 」 と 「 究 極 的 な 唯 物 論 的 歴 史 哲 学 」 に お け る 方 法 論 を 斥 け る こ と で 政 治 神 学 的 方 法 論 を 確 立 し た 。 シ ュ ミ ッ ト は M .ウ ェ ー バ ー に よ る 指 摘 ─ ─ 「 究 極 的 唯 物 論 的 歴 史 哲 学 に 対 し 、 反 論 で き な い 仕 方 で 、 同 様 に 究 極 的 な 唯 心 論 的 歴 史 哲 学 を 対 置 す る こ と が で き る 」 ─ ─ を 引 き 合 い に 出 し な が ら 、 以 下 の よ う に 述 べ る 。 シ ュ ミ ッ ト に よ れ ば 、 一 方 で 反 革 命 派 の 思 想 家 は 政 治 的 変 化 を 世 界 観 の 変 化 か ら 説 明 し 、 フ ラ ン ス 革 命 を 啓 蒙 哲 学 に 起 因 す る も の と 見 做 し た(「 物 理 的 諸 現 象 の 唯 心 論 的 説 明 」と し て の 究 極 的 な 唯 心 論 的 歴 史 哲 学 ) が 、 他 方 で 急 進 的 な 革 命 家 は 思 想 の 変 化 を 政 治 的 な い し 社 会 的 諸 関 係 の 変 化 に よ っ て 説 明 し た (「 物 理 的 諸 現 象 の 唯 心 論 的 説 明 」 と し て の 究 極 的 な 唯 物 論 的 歴 史 学 )。 こ れ ら の 「 究 極 的 な 唯 心 論 的 歴 史 哲 学 」 と 「 究 極 的 唯 物 論 的 歴 史 哲 学 」 と い う 「 両 者 は と も に 因 果 関 係 を 突 き 止 め よ う と す る の で あ る が 、 ま ず 二 つ の 領 域 の 対 立 を 立 て 、 一 方 の 領 域 を も う 一 方 へ と 還 元 す る こ と に よ っ て こ の 対 立 を 再 び 無 に 解 消 し よ う と す る 。こ れ ら は 方 法 論 的 必 然 性 に よ っ て 戯 画(K arikatur ) と な ら ざ る を 得 な い 」(PT :40f. )。 そ こ で シ ュ ミ ッ ト は 、 形 而 上 学 的 思 考 様 式 と 政 治 形 式 と の 間 の 構 造 的 同 一 性 な い し カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2) 北法69(1・47)47 類 比 関 係 を 認 識 す る と い う 独 自 の 社 会 学 的 方 法 論 を 提 示 す る 。 こ の 方 法 論 に お い て は 「 究 極 的 で 根 源 的 な 体 系 的 構 造 が 見 出 だ さ れ 、 こ の 概 念 的 構 造 が あ る 特 定 の 時 代 の 社 会 的 構 造 の 概 念 的 変 容 と 比 較 さ れ る 。 こ こ で は 根 本 的 な 概 念 性 の 理 念 が 社 会 学 的 現 実 の 反 映 で あ る か 、 あ る い は 社 会 的 現 実 が 一 定 の 思 考 様 式 の 結 果 と し て 捉 え ら れ る か と い う こ と は 問 題 に な ら な い 。 む し ろ 二 つ の 精 神 的 で あ る が 実 在 的 な 同 一 性 (zw ei geistige, aber substanzielle Identitäten ) が 証 明 さ れ な け れ ば な ら な い 」(PT :42 )。 ( 三 ) 先 行 研 究 に お け る 政 治 神 学 的 方 法 に 対 す る 注 目   こ う し た シ ュ ミ ッ ト の 政 治 神 学 的 方 法 は 、 従 来 の 研 究 に お い て 多 様 に 評 価 さ れ て き た 。 例 え ば ド イ ツ に お い て は 、 憲 法 学 者 E .W .ベ ッ ケ ン フ ェ ル デ が シ ュ ミ ッ ト の 政 治 神 学 を 「 神 学 概 念 の 国 家 的 ・ 法 学 的 領 域 へ の 移 行 と い う 現 象 」 と 定 義 し 、 こ れ を 「 法 学 的 政 治 神(2 )学 」 と 呼 称 し て 積 極 的 に 評 価 し た 。「 カ ー ル ・ シ ュ ミ ッ ト は 一 九 二 二 年 に 「 政 治 神 学 」 と い う 概 念 を 学 問 的 論 議 の 場 に 導 入 し 、こ れ に 古 典 的 意 味 内 容 を 与 え た 」。 ベ ッ ケ ン フ ェ ル デ に よ れ ば 、「 法 学 的 政 治 神 学 」 は 政 教 分 離 を 否 定 す る 神 学 、 す な わ ち 「 制 度 的 政 治 神 学 」 や 、 信 仰 に 基 づ い て 実 践 的 活 動 を 喚 起 し よ う と す る 神 学 、 す な わ ち「 普 通 名 詞 と し て の 政 治 神 学 」と は 区 別 さ れ る も の で あ る 。 ベ ッ ケ ン フ ェ ル デ は 、「 法 学 的 政 治 神 学 」に お い て は「 概 念 の 社 会 学 、 し か も 法 学 概 念 の 社 会 学 、 正 確 に は 国 法 学 上 の 諸 概 念 の 社 会 学 が 問 題 と な っ て い(3 )る 」 と 述 べ 、 何 ら か の 神 学 的 な 意 味 内 容 が 問 わ れ て い る の で は な い こ と を 強 調 し た 。 こ の よ う に 第 二 次 大 戦 後 の ド イ ツ に お い て は 、 シ ュ ミ ッ ト の 政 治 神 学 的 方 法 を 「 法 学 的 政 治 神 学 」 と し て 理 解 し 、そ の 学 問 的 意 義 を 積 極 的 に 評 価 し よ う と す る こ と が 試 み ら れ た 。 し か し 国 法 学 に 対 す る こ の 方 法 論 の 実 際 上 の 意 義 は 、 明 確 化 さ れ な い ま ま で あ っ た た め 、 そ の 影 響 力 は 僅 か な も の に 留 ま っ た 。 論   説 北法69(1・48)48   日 本 に お い て は 、 す で に 一 九 七 〇 年 代 後 半 か ら 政 治 神 学 的 方 法 が 注 目 さ れ た が 、 シ ュ ミ ッ ト 思 想 解 釈 に お け る そ の 潜 在 的 可 能 性 が 指 摘 さ れ る に と ど ま っ た 。 新 正 幸 に よ る 一 九 七 八 年 の 論 文 に よ れ ば 、シ ュ ミ ッ ト に お け る「 概 念 の 社 会 学 」 と は 「 一 定 の 時 代 の 歴 史 的 現 実 の 中 核 を な す も の の 端 的 な あ ら わ れ が 形 而 上 学 ・ 神 学 に 他 な ら な い こ と 、 し た が っ て そ の 時 代 の 社 会 学 ・ 政 治 的 体 制 の 法 学 的 定 式 も そ の 究 極 的 な 表 現 が そ の 時 代 に 特 徴 的 な 形 而 上 学 ・ 神 学 の 中 に 示 さ れ て い る と い う こ と で あ る 。 逆 に 言 え ば 、 そ の 時 代 に 特 徴 的 な 形 而 上 学 ・ 神 学 を 見 れ ば 、 そ こ か ら 逆 に そ の 時 代 の 歴 史 的 現 実 が 明 瞭 且 つ 最 も 鋭 い 形 で 認 識 さ れ る と い う こ と で あ(4 )る 」。 し た が っ て 、「 結 局 シ ュ ミ ッ ト の い う 「 概 念 の 社 会 学 」 と は 、 一 切 の も の の 根 底 に 形 而 上 学 ・ 神 学 的 な る も の を 見 、 ま さ し く か か る 形 而 上 学 的 ・ 神 学 的 世 界 像 が と り も な お さ ず そ の 時 代 の 現 実 を 端 的 に あ ら わ し て い る の で あ る か ら 、 逆 に 今 度 は そ こ か ら 一 切 の も の を 説 明 し 解 釈 し て ゆ く と い う こ(5 )と 」 で あ る 。 そ れ ゆ え 新 は こ れ を 「 精 神 史 的 思 想 史 的 方 法(6 )論 」 と し て 解 釈 す る 。   一 九 八 七 年 に は 山 下 威 士 が 次 の よ う に 政 治 神 学 的 方 法 を 評 価 し て い る 。「 従 来「 方 法 が な い 」「 体 系 が な い 」「 直 観 的 」、 し た が っ て そ の 理 論 は 「 鋭 い 」 な が ら も 「 カ メ レ オ ン 的 」 に 、 御 都 合 主 義 的 に 変 節 す る と 評 さ れ て き た シ ュ ミ ッ ト に つ い て 、 敢 え て そ の 理 論 に お け る 根 本 的 な る も の を 問 い 続 け て き た 少 数 の 研 究 者 の 努 力 は 、 今 日 彼 の 理 論 を 貫 く 赤 い 糸 と し て 、 そ の 「 政 治 神 学 論 文 」 に お け る 思 考 に 注 目 す る に い た っ(7 )た 」。 そ の 上 で 山 下 は 、「 政 治 神 学 的 方 法 」 を 次 の よ う に 要 約 す(8 )る 。「( 1 ) 形 而 上 学 ・ 神 学 こ そ は 、 そ の 時 代 の も っ と も 強 烈 な 、 ま た 明 確 な 表 現 で あ り 、 そ こ に こ そ そ の 時 代 の 歴 史 的 現 実 が も っ と も 明 確 に 、 先 鋭 的 に 表 現 さ れ て い る 。( 2 ) こ の 命 題 を 前 提 と し て 、 そ の 時 代 の 形 而 上 学 的 神 学 的 世 界 像 と 法 学 的 形 象 と の 構 造 的 同 一 性 を 確 認 す る 。( 3 ) さ ら に そ の よ う に し て 確 認 さ れ た 形 而 上 学 ・ 神 学 か ら 一 切 を 、 し た が っ て 法 を も 説 明 し 、 解 釈 し て 行 く 」。   さ ら に 、 政 治 神 学 的 方 法 は 歴 史 認 識 の た め の 方 法 論 と し て だ け で は な く 、「 自 己 の 形 而 上 学 、 神 学 的 世 界 像 に よ っ て 、 カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2) 北法69(1・49)49 現 状 を 変 革 す る 」 機 能 を 果 た す 可 能 性 を も つ こ と が 期 待 さ れ た 。 石 村 修 に よ る と 、 こ の 方 法 は 「 歴 史 観 察 お よ び 現 状 分 析 に は も っ て こ い 」 で あ る が 、「 同 時 に 積 極 的 な 意 味 、 つ ま り 自 己 の 新 た な 形 而 上 学 、 神 学 的 世 界 像 に よ っ て 、 現 状 を 変 革 す る と い う 意 味 で も 用 い る こ と が 出 来(9 )る 」。   本 稿 第 一 章 第 三 節 で は 、 一 九 一 〇 年 代 に お い て シ ュ ミ ッ ト は 、 神 学 と 法 学 と が 類 比 関 係 に あ る と す る 独 創 的 な 議 論 、 す な わ ち 神 学 ─ 法 学 並 行 論 を 展 開 し て お り 、 こ れ が の ち に 政 治 神 学 的 方 法 を 形 成 す る 素 地 と な っ た こ と を 確 認 し た 。 こ う し た 彼 の 独 特 の 見 解 は 、 実 は 『 国 家 の 価 値 と 個 人 の 意 義 』 に お い て も す で に 示 さ れ て い た 。 第 一 章 第 一 節 で は こ の 著 作 に お い て 示 さ れ た シ ュ ミ ッ ト の 国 家 論 を 詳 ら か に し た が 、 そ の 際 に 彼 は ロ ー マ ・ カ ト リ ッ ク 教 会 と 国 家 が 類 比 関 係 に あ る も の と 想 定 し 、 教 会 制 度 を モ デ ル と し て あ る べ き 国 家 の あ り 方 、 す な わ ち 「 理 念 的 国 家 」 に つ い て 論 じ て い た 。 例 え ば 、 シ ュ ミ ッ ト は 次 の よ う に 述 べ る ─ ─ 「 国 家 概 念 は 法 に 対 し て 、 神 概 念 ─ ─ こ れ は 実 在 の 世 界 に お け る 道 徳 的 な も の の 実 現 の 必 要 性 に 由 来 す る の で あ る ─ ─ が 倫 理 に 対 し て 占 め る 地 位 と ま さ し く 類 比 的 な 地 位 を も つ 」(W S:5 ) (1 (8 )。 第 一 章 で 確 認 し た 通 り 、こ の 著 作 に お い て シ ュ ミ ッ ト は 、法 を 経 験 的 世 界 に お い て 実 現 す る と い う 課 題 に 専 念 す る 国 家 を 「 法 の 最 初 の 奉 仕 者 」(W S:54 )と 称 し 、こ う し た 国 家 を「 理 念 に お い て 把 握 さ れ た 国 家 」、す な わ ち 理 念 的 国 家 と 規 定 し ) (( ( た 。 シ ュ ミ ッ ト に よ れ ば 、 理 念 的 国 家 は 「 事 実 の 世 界 に お い て 「 国 家 」 と い う 名 を 課 さ れ て い る も の 」(W S:45 )、 す な わ ち 経 験 的 に 存 在 す る 諸 国 家 と は 区 別 さ れ る べ き も の で あ り 、 そ の 模 範 的 制 度 は ロ ー マ ・ カ ト リ ッ ク 教 会 で あ る 。「 教 会 法 を 論 じ る カ ト リ ッ ク の 理 論 家 た ち は 、 全 員 一 致 で 次 の こ と を 強 調 す る 。「 国 家 そ れ 自 体 は ど こ に も 存 在 し な い 。 実 際 に 、 国 家 は 単 な る 歴 史 の 産 物 で あ り 、 個 々 の 国 家 が 存 在 す る だ け で あ る 」。〔 中 略 ─ ─ 引 用 者 〕 こ れ に 対 し て 、 教 会 法 学 者 に よ れ ば 教 会 は 唯 一 で あ り 、 教 会 は 自 ら と 並 ぶ い か な る 他 の も の を も 容 認 し え な い 。 ま た 、 そ れ 自 体 で 一 つ の 理 念 の 実 現 を 代 表 す る 教 会 は 、 個 々 の 国 家 に 対 し て 無 際 限 に 有 利 な 立 場 に あ る 」。 シ ュ ミ ッ ト は さ ら に 次 の よ う に 続 け る 。「 教 会 は 自 論   説 北法69(1・50)50 己 の た め に 、 理 念 的 国 家 の 哲 学 的 基 礎 づ け に 関 す る あ ら ゆ る 論 証 を 用 い る こ と が で き 、 具 体 的 国 家 に 対 す る 反 論 と し て 利 用 す る こ と が で き る 。 教 会 が 唯 一 で あ る な ら ば 、 教 会 は 必 然 的 に 完 全 (vollkom m en ) で あ る 。 百 の 国 家 が 存 在 す る な ら ば 、一 個 の 具 体 的 国 家 は 必 然 的 に 不 完 全 (unvollkom m en ) で あ る 」(W S:49 )。 つ ま り シ ュ ミ ッ ト は 、ロ ー マ ・ カ ト リ ッ ク 教 会 は 唯 一 で あ る が ゆ え に 完 全 で あ る と 捉 え 、 こ れ を 国 家 の 模 範 と し て 想 定 し て い た 。   こ う し た 初 期 以 来 の シ ュ ミ ッ ト に お け る 政 治 神 学 的 方 法 に 着 目 し た 和 仁 陽 に よ れ ば 、 一 九 二 七 年 ま で の 時 期 に お い て シ ュ ミ ッ ト は 、 カ ト リ シ ズ ム の 「 再 現 前 ( 代 表 )」 概 念 を 応 用 し 、 ロ ー マ ・ カ ト リ ッ ク 教 会 制 度 を モ デ ル と し て そ の 公 法 学 上 の 学 説 を 形 成 し た 。 シ ュ ミ ッ ト の 初 期 思 想 全 体 が 「 カ ト リ ッ ク 教 会 と ( そ れ を モ デ ル に し た ) 初 期 近 代 の 絶 対 主 義 国 家 と の 下 で の 秩 序 な い し 観 念 世 界 を 、 再 現 前 の 概 念 を 核 と し て 表 現 し 、 こ の 秩 序 な い し 観 念 世 界 を 公 法 学 の 場 で 復 権 す る こ と を 通 じ て 、 十 九 世 紀 以 降 の ド イ ツ 近 代 の 国 家 ・ 社 会 ・ 文 化 の あ り 方 を 批 判 す る 試 み 」 で あ っ ) (1 ( た 。   こ う し て シ ュ ミ ッ ト の 思 想 形 成 過 程 に お け る 政 治 神 学 的 方 法 の 意 義 が 確 認 さ れ た の で あ る が 、 神 学 ─ 法 学 並 行 論 に つ い て 独 自 の 見 解 を 示 し た 一 九 一 〇 年 代 か ら 『 政 治 神 学 』 に か け て 、 政 治 神 学 的 方 法 に 関 す る シ ュ ミ ッ ト の 構 想 が ど の よ う に し て 発 展 し た の か と い う 問 題 は 解 明 さ れ て い な い 。 例 え ば 和 仁 は 、 神 学 的 な い し は 形 而 上 学 的 世 界 像 と 政 治 形 式 と が 構 造 的 に 同 一 性 を も つ と す る シ ュ ミ ッ ト の 主 張 に つ い て 、 シ ュ ミ ッ ト 自 身 に よ っ て は 「 ラ イ プ ニ ッ ツ の 権 威 を 援 用 す る 以 上 の 論 証 は 遂 に 行 わ れ る こ と が な ) (1 ( い 」と 言 及 す る の み で あ る 。 和 仁 に よ れ ば 、「 こ の 命 題 の 実 体 的 真 偽 は 措 い て 、シ ュ ミ ッ ト の 構 想 に と っ て も つ 意 味 に 問 題 を 限 れ ば 、 こ れ は 彼 が 世 界 像 と 国 家 像 と の 対 応 を 想 定 す る 際 の 理 論 的 根 拠 を 実 際 に 提 供 し て い る と い う よ り は 、 シ ュ ミ ッ ト が 公 法 学 者 と し て の 自 意 識 か ら 、 国 家 像 の 生 産 が 法 学 者 ( 公 法 学 者 ) に 独 占 さ れ て き た か の ご と き 印 象 を 与 え る た め の 議 論 と し て の 機 能 し か 果 た し て い な ) (1 ( い 」。 カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2) 北法69(1・51)51 第 二 節  政 治 神 学 の 由 来 ─ ─ 反 革 命 派 国 家 哲 学 者 か ら の 影 響   そ こ で 次 に 、『 政 治 神 学 』 に お け る 政 治 神 学 的 方 法 が そ も そ も ど の よ う に し て 形 成 さ れ た の か を 明 ら か に す る 。『 政 治 神 学 』 に お い て は シ ュ ミ ッ ト 自 身 に よ り 、 政 治 神 学 的 方 法 が 反 革 命 派 の 国 家 哲 学 者 に よ っ て 用 い ら れ て き た も の で あ る と 言 及 し て い る 。「 こ の よ う な 〔 神 学 と 法 学 と の 間 の ─ ─ 引 用 者 〕 ア ナ ロ ジ ー の 最 も 興 味 深 い 政 治 的 利 用 は 、ボ ナ ー ル 、 ド ・ メ ー ス ト ル 、 ド ノ ソ ・ コ ル テ ス と い っ た 反 革 命 の カ ト リ ッ ク 系 国 家 哲 学 者 た ち に み ら れ る も の で あ る 」。   シ ュ ミ ッ ト と カ ト リ ッ ク 系 知 識 人 と の 関 係 を 考 察 し た 古 賀 は 、 英 米 圏 の 著 者 に よ る ド ノ ソ ・ コ ル テ ス の 伝 記 に 基 づ い て ド ノ ソ の 生 涯 と 思 想 に つ い て 紹 介 し て い る 。 そ こ で 古 賀 は 、 ド ノ ソ の 歴 史 哲 学 に お い て は 「 特 定 の 神 学 が 必 然 的 に 特 定 の 政 治 体 制 と 表 裏 一 体 の 関 係 に あ る こ ) (1 ( と 」が 前 提 と さ れ て い た こ と を 指 摘 し た 。 こ れ に 続 い て 、ス ペ イ ン 人 研 究 者 J . R . H . ア リ ア ) (1 ( ス は 一 九 九 七 年 に フ ラ イ ブ ル ク 大 学 に 提 出 し た 博 士 論 文 に お い て 、 政 治 神 学 的 方 法 を め ぐ る ド ノ ソ ら 反 革 命 派 の 国 家 哲 学 者 か ら シ ュ ミ ッ ト へ の 影 響 関 係 を 究 明 し た 。 以 下 で は ア リ ア ス の 研 究 に 依 拠 し つ つ 、 シ ュ ミ ッ ト に お け る 政 治 神 学 的 方 法 の 成 立 に 対 し て 反 革 命 の 国 家 哲 学 者 が 与 え た 影 響 に つ い て 確 認 す る 。 ( 一 ) 反 革 命 国 家 哲 学 者 に お け る 歴 史 認 識 ─ ─ ─ ─ 政 治 概 念 と 神 学 概 念 と の 類 比   ア リ ア ス に よ れ ば 、 政 治 概 念 と 神 学 概 念 と を 類 比 す る 、 と い う 政 治 神 学 的 方 法 の 「 最 も 重 要 な 先 駆 者 」 は 、 ボ ナ ー ル ( 一 七 五 四 ─ ─ 一 八 四 〇 年 ) で あ っ た 。 ボ ナ ー ル はT heorie du pouvoir politique et religieux dans la societe cobvile,dem ontree par le raisonnem ent et par l’histoire に お い て 「 神 観 念 と 政 治 的 社 会 秩 序 と の 間 に は ア ナ ロ ジ ー が 存 在 す る と い う 思 想 」 を 展 開 し 、「 政 治 的 権 力 関 係 に つ い て 実 践 的 、 具 体 的 に 、 各 国 に お い て 支 配 的 な 宗 教 や イ デ オ ロ ギ ー 論   説 北法69(1・52)52 の 観 点 か ら 分 析 を 行 っ ) (1 ( た 」。 ボ ナ ー ル の 議 論 に 基 づ く な ら ば 、 西 洋 諸 国 に お け る 政 治 な い し は 統 治 形 式 と そ こ で 支 配 的 な 宗 教 と は 対 応 関 係 に あ る 。 ア リ ア ス は そ の 対 応 関 係 を 次 の よ う に 図 式 化 す る 。   「 君 主 制 ─ カ ト リ シ ズ ム     貴 族 制 ─ ル タ ー 主 義     民 主 制 ─ カ ル ヴ ィ ニ ズ ム 、 ピ ュ ー リ タ ニ ズ ム 、 長 老 派 ( プ レ ス ビ テ リ ア ニ ズ ム )     混 合 政 体 ─ 英 国 国 教 会 主 義 ( カ ト リ シ ズ ム と ル タ ー 主 義 、 カ ル ヴ ィ ニ ズ ム の 混 ) (1 ( 合 )」   ボ ナ ー ル に よ れ ば 、 こ う し た 諸 々 の 対 応 関 係 の 中 で 「 最 も 完 璧 な 同 一 性 (Identität )」 が 成 り 立 っ て い る の は 、 カ ト リ シ ズ ム と 革 命 以 前 の フ ラ ン ス に お け る 君 主 制 と の 間 に お い て で あ る 。 こ れ に つ い て ア リ ア ス は 、 ボ ナ ー ル が 政 治 体 制 と 宗 教 と の 間 の 均 衡 と 調 和 を 最 も 重 要 視 し て い た と 指 摘 す る 。 す な わ ち ボ ナ ー ル は 、 国 家 に お い て は 「 宗 教 的 原 理 と 市 民 的 原 理 と の 間 に 均 衡 と 確 か な 調 和 が 支 配 し て い な い な ら ば 、 内 政 上 の 平 和 は 存 在 し な い 」 と 考 え て い た と い う 。 そ れ ゆ え ボ ナ ー ル は 「 あ ら ゆ る 政 府 は そ れ と 類 比 的 な 関 係 に あ る 宗 教 を 確 立 す る よ う 努 力 す る 」 と 論 じ た 。 こ の 点 で 、 政 治 体 制 と 宗 教 と の 「 自 然 的 で 確 か な 対 応 」 関 係 を も つ 君 主 制 が 他 の 政 体 に 優 越 す る 。 貴 族 制 は 君 主 制 よ り も 宗 教 的 権 威 の 点 で 劣 っ て お り 、 民 主 制 と 混 合 政 体 は 「 キ リ ス ト 教 共 同 体 に お け る 普 遍 的 で 伝 統 的 な 原 理 を 表 現 す る こ と が で き な い 」 た め に 脆 弱 な 政 治 体 制 で あ ) (1 ( る 。   こ う し て 政 治 形 式 と 宗 教 的 形 式 の 間 の 本 質 的 親 近 性 を 体 系 的 に 構 築 し よ う と し た ド ・ ボ ナ ー ル の 試 み を 継 承 し た の が 、 ド ・ メ ー ス ト ル ( 一 七 五 三 ─ ─ 一 八 二 一 年 ) で あ る 。 ド ・ メ ー ス ト ル は 、「 人 民 の 政 治 体 制 が 人 間 の 手 に よ っ て の み 作 り 出 さ れ た も の で あ る 」 と す る 思 想 を 根 本 的 な 誤 謬 と 見 做 し 、 危 険 視 し て い た 。 そ の 上 で ド ・ メ ー ス ト ル は 、「 宗 教 と 政 治 の 関 係 」 を 重 視 し 、「 宗 教 の 正 し い 使 用 」 こ そ が 社 会 の 安 定 に と っ て 本 質 的 に 重 要 で あ る と 強 調 し た 。 ア リ ア ス に カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2) 北法69(1・53)53 よ れ ば 、 ド ・ メ ー ス ト ル は 「 伝 統 主 義 者 」 と し て 、 カ ト リ ッ ク 教 会 と 西 洋 の 絶 対 君 主 制 と が 理 想 的 な 政 治 神 学 的 構 成 を と っ て い る と 考 え ) 11 ( た 」。 そ の 際 に 彼 は ロ ー マ ・ カ ト リ ッ ク 教 会 と 君 主 制 と の 両 方 に お い て 主 権 が 存 在 す る と 捉 え 、 こ の 主 権 論 に 基 づ い て 政 治 神 学 に お け る 議 論 を 構 築 し た 。 こ れ が 所 以 と な り 、 ド ・ メ ー ス ト ル は 「 キ リ ス ト 教 に お け る マ キ ャ ヴ ェ リ 」「 神 権 政 治 の マ キ ャ ヴ ェ リ 」 と 呼 ば れ る よ う に な っ た と い う 。   ア リ ア ス に よ れ ば 、 ボ ナ ー ル 、 ド ・ メ ー ス ト ル に よ る こ う し た 考 察 は 、 彼 ら 反 革 命 の 思 想 家 に 固 有 の も の で あ っ た わ け で は な い 。 む し ろ 政 治 神 学 に 関 す る こ う し た 議 論 は 、 当 初 、 同 時 代 に お け る 革 命 派 に よ り 展 開 さ れ て い た も の で あ っ た 。 ア リ ア ス は 、フ ラ ン ス 革 命 期 に お け る 革 命 派 の 議 論 は「 政 治 神 学 的 に 構 想 さ れ て い た 」と 指 摘 す る 。 例 え ば サ ン ・ ジ ュ ス ト は 、 ル イ 十 六 世 に 対 し て 死 罪 を 求 刑 す る 演 説 に お い て 、 ル ソ ー か ら の 引 用 を 駆 使 し つ つ 、 政 治 神 学 的 議 論 を 展 開 し た 。 サ ン ・ ジ ュ ス ト に よ れ ば 、「 国 王 と 神 は 同 一 の 運 命 を 共 有 し て お り 、 国 王 が 死 刑 に 処 せ ら れ る な ら ば 、 キ リ ス ト 教 の 神 の 理 念 も 同 様 に 死 に 至 る 」。 ア リ ア ス は 、 革 命 派 は 君 主 制 を 犯 罪 な い し は 冒 涜 で あ る と 主 張 し て お り 、 国 王 に 対 す る 裁 判 を 法 学 的 な も の と で は な く 、 根 本 的 に 神 学 的 な も の と 見 做 し て い た と い う 。「 革 命 派 に よ る 国 王 殺 害 に つ い て の こ う し た 過 激 な 神 学 政 治 的 主 張 は 、 反 革 命 派 に 受 け 入 れ ら れ 、 新 た な 力 を も っ て そ の 敵 〔 革 命 派 ─ ─ 引 用 者 〕 に 対 し て 向 け ら れ ) 1( ( た 」。   さ ら に 反 革 命 派 は 、 国 王 と 神 観 念 の 存 在 に 密 接 な 関 係 が あ る 、 す な わ ち 「 同 一 の 運 命 を 共 有 し て い る 」 と す る 反 革 命 派 の 議 論 を 理 論 化 す る こ と に よ り 、 政 治 体 制 と 宗 教 と の 間 に 相 関 関 係 を 見 出 す と い う 国 家 哲 学 的 考 察 方 法 へ と 発 展 さ せ た 。 し た が っ て フ ラ ン ス 革 命 期 に お け る 反 革 命 の 思 想 家 は 、 革 命 派 に 対 抗 し よ う と す る 意 図 を も っ て 政 治 神 学 に 関 す る 議 論 を 形 成 し た の で あ っ た 。 つ ま り 、 反 革 命 派 が 行 な っ た 政 治 神 学 的 考 察 は 、 革 命 派 の 政 治 神 学 的 議 論 に 対 す る 反 動 と し て 生 じ た も の で あ り 、 政 治 神 学 的 考 察 を 用 い る 点 で 両 者 は 元 来 、 共 通 点 を も っ て い た 。 論   説 北法69(1・54)54 ( 二 ) ド ノ ソ ・ コ ル テ ス に お け る 歴 史 認 識 の た め の 方 法 論   ア リ ア ス に よ れ ば 、 こ う し て フ ラ ン ス 革 命 期 の 反 革 命 思 想 家 が 展 開 し た 国 家 哲 学 的 考 察 を 継 承 す る こ と は 、 ス ペ イ ン の カ ト リ ッ ク 知 識 人 ド ノ ソ ・ コ ル テ ス に と り 「 知 的 責 任 」 で あ る よ う に 感 じ ら れ ) 11 ( た 。 フ ラ ン ス 革 命 後 の 西 欧 で は 、 保 守 的 な サ ー ク ル に お い て 世 俗 化 の 進 行 を 押 し と ど め る た め に 類 似 し た 政 治 神 学 的 議 論 を 展 開 す る こ と は し ば し ば 見 ら れ た 現 象 で あ り 、 ド ノ ソ の 試 み は 唯 一 の も の で は な か っ た 。 し か し ド ノ ソ に お い て 独 創 的 で あ っ た の は 、 こ う し た 政 治 神 学 的 考 察 を 継 承 し 、 こ れ を 歴 史 認 識 の 方 法 論 と し て 発 展 さ せ た 点 に で あ っ た 。   ア リ ア ス に よ れ ば 、 ド ノ ソ ・ コ ル テ ス は 神 学 者 で は な か っ た し 、 ま た 神 学 者 に な ろ う と も し な か っ た が 、 そ の 著 作 に お い て 神 学 を 論 じ る こ と に な っ た の は 、 次 の よ う な 確 信 の 帰 結 で あ っ た ─ ─ 「 文 明 化 と は す べ て 、 そ の 神 学 の 反 映 で あ り 、 神 学 が 死 滅 す れ ば 文 明 化 も ま た 根 絶 さ れ る こ と を 意 味 す る 」。 ド ノ ソ に よ れ ば 、 ロ ー マ 帝 国 は そ の 神 学 が 衰 退 し た が ゆ え に 没 落 し た の で あ る が 、 十 九 世 紀 の 西 欧 諸 国 に お い て も 同 様 の 現 象 が 見 ら れ る 。 す な わ ち 神 学 の 教 義 が 不 可 逆 的 に 衰 退 し 、 現 実 と 学 問 的 神 学 が 離 反 し て い る 。 こ う し た 〈 神 学 の 衰 退 と 政 治 体 制 の 没 落 と の 相 関 関 係 〉 に つ い て は 、 の ち に シ ュ ペ ン グ ラ ー が 体 系 的 に 論 じ る こ と に な る の で あ る が 、 ア リ ア ス に よ れ ば 、 カ ト リ ッ ク で あ る ド ノ ソ に と っ て 関 心 事 で あ っ た の は 、 こ う し た 歴 史 哲 学 的 立 場 か ら 、 何 が 必 然 的 な 帰 結 と し て 導 き 出 さ れ る こ と に な る の か 、 と い う 問 題 で あ っ ) 11 ( た 。   こ う し た 問 題 関 心 に 導 か れ て ド ノ ソ は 、「 か つ て の 哲 学 が そ う で あ っ た よ う に 、 究 極 的 に 歴 史 を 照 ら す も の 、 諸 学 問 の 中 で 最 も 普 遍 的 な も の 」 と し て 神 学 を 理 解 す る 。「 神 学 を 通 じ て 、 あ ら ゆ る 歴 史 的 現 象 や 政 治 的 事 象 を 非 常 に よ く 理 解 す る こ と が 可 能 と な る 」。 し た が っ て 「 政 治 理 論 の 核 心 を 認 識 す る た め の 最 も 良 い 方 法 は 、 そ れ が ど の よ う な 神 に つ い て の 解 釈 を 描 写 し て い る か を 確 認 す る こ と で あ ろ う 。 そ れ ゆ え 政 治 史 は 神 学 の 歴 史 で あ ) 11 ( る 」。 こ う し て ド ノ ソ は 「 政 カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2) 北法69(1・55)55 治 的 概 念 と 神 学 的 概 念 と を 類 比 的 に 位 置 付 け る 」 と い う 方 法 論 に 基 づ き 、「 ヨ ー ロ ッ パ の 状 況 に つ い て の 講 演 」( 一 八 五 一 年 ) に お い て 次 の よ う な 歴 史 理 解 を 提 示 し た 。   「 有 神 論 ─ 絶 対 君 主 制 あ る い は 穏 健 君 主 制     ( 否 定 的 期 間 あ る い は 革 命 期 を 経 て )     理 神 論 ─ 立 憲 ・ 進 歩 主 義 的 君 主 制     汎 神 論 ─ 共 和 主 義     無 神 論 ─ ア ナ ー キ ズ ム 、 社 会 主 ) 11 ( 義 」   こ う し た 議 論 に 対 し 、 ド イ ツ 語 版 の ド ノ ソ の 著 書 の 編 集 者 は 次 の よ う に 評 価 す る 。「 ド ノ ソ の 真 の 業 績 」 は 「 政 治 神 学 的 認 識 を 歴 史 に 、 す な わ ち そ の 過 去 と 将 来 の 経 過 に 適 用 し 、 そ こ か ら 国 家 哲 学 的 体 系 を 発 達 さ せ た 」 と い う 「 大 胆 な 一 面 性 」 に あ ) 11 ( る 。 ド ノ ソ は 政 治 神 学 的 認 識 を 用 い て 君 主 制 の 没 落 を 予 言 し 、 同 時 に 「 最 も 危 険 な 敵 」 で あ る 社 会 主 義 が 勝 利 す る だ ろ う と 予 想 し て い た 。 ド ノ ソ に よ れ ば 、 社 会 主 義 が 他 の 政 体 に 対 し て 優 越 し て い る の は 、 例 え ば 自 由 主 義 と は 違 い 、「 強 力 か つ 論 理 的 な 神 学 ─ 異 教 的 特 徴 を も つ 神 学 ─ を そ の イ デ オ ロ ギ ー の 背 後 に 隠 し て い ) 11 ( る 」 か ら で あ る 。 こ の よ う に 政 治 神 学 的 考 察 を 歴 史 解 釈 に 適 用 し た こ と が ド ノ ソ の 功 績 で あ っ た 。 第 三 節  シ ュ ミ ッ ト に お け る 政 治 神 学 的 方 法 の 継 承 と 独 自 の 展 開   シ ュ ミ ッ ト の 「 政 治 神 学 」 は 、 政 治 神 学 的 方 法 を フ ラ ン ス の 反 革 命 思 想 家 の 思 想 を 受 容 し て 歴 史 認 識 の た め に 応 用 し た ド ノ ソ ・ コ ル テ ス の 議 論 を 継 承 す る こ と に よ り 形 成 さ れ た も の で あ っ た 。 シ ュ ミ ッ ト は 、 政 治 体 制 と 神 学 的 世 界 像 と 論   説 北法69(1・56)56 の 対 応 関 係 に つ い て の 基 本 的 な 理 解 を 反 革 命 思 想 家 か ら 受 容 し た の で あ る 。 シ ュ ミ ッ ト に よ れ ば 、 初 期 近 代 に お け る 絶 対 君 主 制 す な わ ち 君 主 主 権 は 有 神 論 神 学 と 類 比 関 係 に あ る 。 さ ら に 、 法 治 国 家 な い し 立 憲 君 主 制 は 理 神 論 神 学 に 対 応 す る と い う 。「 理 神 論 の 神 学 ・ 形 而 上 学 は 、世 界 か ら 奇 跡 を 排 除 し 、神 が 直 接 世 界 に 介 入 し て 例 外 的 に 自 然 法 則 を 破 る と い う 、 奇 跡 概 念 に 含 ま れ た 思 想 を 排 除 し た が 、法 治 国 家 論 も 同 様 に 、主 権 者 の 実 定 法 秩 序 へ の 直 接 的 介 入 を 排 除 し た 」(PT :37 )。 理 神 論 的 世 界 観 に お い て は 、主 権 者 は 「 世 界 外 に 存 在 す る と し て も 偉 大 な 機 械 の 組 立 工 と し て 留 ま っ て い た 」(PT :44 )。 さ ら に 民 主 制 す な わ ち 人 民 主 権 は 、 汎 神 論 、 あ る い は 形 而 上 学 一 般 に 対 し て 無 関 心 な 態 度 と 類 比 的 関 係 に あ る 。「 教 養 層 の 下 で は あ ら ゆ る 超 越 観 念 が 消 え 去 り 、 多 か れ 少 な か れ 明 確 な 内 在 ─ 汎 神 論 あ る い は あ ら ゆ る 形 而 上 学 に 対 す る 実 証 主 義 的 無 関 心 が 明 瞭 に な る 」(PT :45 )。   以 下 で は ま ず 、 政 治 神 学 的 方 法 を 用 い て シ ュ ミ ッ ト が ど の よ う に し て 絶 対 君 主 制 な い し 君 主 主 義 的 正 統 性 を 特 徴 付 け た の か 、 次 に 、 民 主 制 な い し 民 主 主 義 的 正 統 性 を 特 徴 付 け た の か と い う こ と を 明 ら か に す る 。 そ の 上 で シ ュ ミ ッ ト が 当 時 、 民 主 制 に 対 し て な ぜ 否 定 的 評 価 を 下 し た の か 、 そ の 理 由 を 説 明 す る 。 ( 一 ) 絶 対 君 主 制 な い し 君 主 主 義 的 正 統 性 の 特 徴 ─ ─ 超 越 性   シ ュ ミ ッ ト に よ る と 「 主 権 概 念 の 社 会 学 」 す な わ ち 政 治 神 学 的 方 法 は 、 例 え ば 「 君 主 制 の 歴 史 的 政 治 的 存 続 は 、 当 時 の 西 欧 人 の 全 体 的 意 識 状 況 に 対 応 し た も の で あ り 、 そ の 歴 史 的 ・ 政 治 的 現 実 を 法 的 に 構 成 す る な ら ば 、 そ の 構 造 が 形 而 上 学 的 諸 概 念 の 構 造 と 一 致 す る よ う な あ る 概 念 を 見 出 し う る こ と を 示 す 」(PT :42 ) も の で あ る 。 先 に 確 認 し た よ う に 、 超 越 神 の 存 在 と 絶 対 君 主 の 存 在 、 お よ び 国 家 に お け る 君 主 の 地 位 と 世 界 に お け る 神 の 地 位 は 類 比 的 関 係 に あ る も の と 捉 え ら れ た 。 シ ュ ミ ッ ト は F . ア ジ ェ を 引 用 し て 次 の よ う に 述 べ る 。「 十 七 世 紀 国 家 学 に お け る 君 主 は 神 と 同 一 化 さ れ て カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2) 北法69(1・57)57 お り 、 君 主 は 国 家 に お い て 、 世 界 に お い て デ カ ル ト 哲 学 の 体 系 の 神 に 対 し て 与 え ら れ る 地 位 と 全 く 類 比 的 地 位 を も つ 」 (PT :43 )。   シ ュ ミ ッ ト に よ る と 、「 あ ら ゆ る 懐 疑 の 末 に 、 自 ら の 知 性 を 過 た ず 用 い よ う と す る 新 た な 合 理 主 義 精 神 の 記 録 」 で あ る デ カ ル ト の 『 方 法 序 説 』 に お い て 、「 形 而 上 学 的 ・ 政 治 的 ・ 社 会 学 的 観 念 に 完 全 な 同 一 性 が 貫 徹 し て お り 、 主 権 者 が 統 一 的 人 格 で あ り 同 時 に 究 極 的 創 造 者 で あ る は ず だ と さ れ て い る こ と の 例 」が 示 唆 的 に 示 さ れ て い る 。万 事 に 確 信 を も っ て 理 性 を 用 い 、 省 察 に 心 を 集 中 し た 精 神 に 突 如 閃 い た 第 一 の こ と は 、「 多 数 の マ イ ス タ ー た ち に よ っ て 作 ら れ た 作 品 は 、 一 人 が 作 っ た 作 品 ほ ど に は 完 全 で は な い 」 と い う こ と で あ る 。「 唯 一 の 建 築 家 」 が 家 や 都 市 を 建 築 し な け れ ば な ら な い 。 最 良 の 憲 法 は 唯 一 の 賢 明 な 立 法 者 に よ る 作 品 で あ り 、「 唯 一 の 発 明 」 で あ る 。 そ し て 究 極 的 に は 、 唯 一 の 神 が 世 界 を 支 配 し て い る 。 デ カ ル ト の メ ル セ ン ヌ 宛 の 書 簡 に は 「 王 が そ の 国 に 法 を 定 立 す る よ う に 、 神 は 自 然 に 法 則 を 定 立 し た 」 と あ る 。 十 七 世 紀 お よ び 十 八 世 紀 は こ う し た 思 想 に 支 配 さ れ て い た 」(PT :43 )。 こ う し て 唯 一 神 を 奉 じ る 有 神 論 神 学 に お け る 神 と 絶 対 君 主 は 「 唯 一 性 」、 す な わ ち そ の 存 在 が 唯 一 無 二 で あ る と い う 点 で 共 通 す る と 論 じ る 。   世 界 に 対 す る 神 の 関 係 と 国 家 に 対 す る 君 主 の 関 係 と が 類 比 的 で あ る と い う 認 識 は 、 シ ュ ミ ッ ト に よ り 、 教 授 資 格 申 請 論 文 に お い て す で に 示 さ れ て い た 。「 君 主 は 、 神 が 世 界 に 対 し て 占 め る の と 同 様 の 地 位 を 国 家 に 対 し て 占 め て い る 」。 和 仁 は 、 教 授 資 格 申 請 論 文 に お い て シ ュ ミ ッ ト が 「 君 主 の 自 然 人 と し て の 側 面 と 、 ア ム ト 保 持 者 と し て の 側 面 の 厳 格 な 分 離 」 を 主 張 し た こ と を 指 摘 し 、 こ れ が ロ ー マ ・ カ ト リ ッ ク 教 会 の 教 皇 の 地 位 と 並 行 的 に 構 築 さ れ た 議 論 で あ る こ と を 示 し た 。 す な わ ち 教 皇 は 自 然 人 と し て は 「 無 に 等 し い 」 が 、「 道 具 、 す な わ ち 地 上 に お け る 神 の 代 理 人 、 神 の 僕 た ち の 僕 」 と し て 価 値 を も ) 11 ( つ 。 こ れ と 同 様 に 君 主 は 、 自 然 人 と し て は そ れ 自 体 に 価 値 を 持 た な い が 、 法 実 現 の た め の 「 道 具 」、「 法 の 最 初 の 奉 仕 者 」 と な る と き に 価 値 を 持 ち う る 。「 絶 対 君 主 は 、 あ ら ゆ る 世 俗 の 相 対 性 を 超 越 し て お り 、 彼 は そ も そ も 論   説 北法69(1・58)58 人 間 と し て は も は や 考 慮 さ れ な い 」。   以 上 に 見 た よ う に 、 シ ュ ミ ッ ト は 世 界 に 対 す る 神 の 関 係 、 お よ び 国 家 に 対 す る 君 主 の 関 係 は 類 比 的 で あ る と 考 え て い た 。 で は 、 世 界 に 対 す る 神 、 ま た 国 家 に 対 す る 神 は ど の よ う な 関 係 に あ っ た の だ ろ う か 。 シ ュ ミ ッ ト に よ れ ば 、「 十 七 世 紀 お よ び 十 八 世 紀 の 神 学 に お い て は 、 世 界 に 対 す る 神 の 超 越 性 (T ranszendenz ) が 不 可 欠 で あ り 、 同 様 に そ の 国 家 哲 学 に お い て は 、 国 家 に 対 す る 主 権 者 の 超 越 性 が 不 可 欠 で あ っ た 」(PT :44 )。 つ ま り 、 神 と 絶 対 君 主 は そ の 存 在 の 「 唯 一 性 」 と い う 点 の 他 に 、 世 界 あ る い は 国 家 に 対 す る 「 超 越 性 」 を 特 徴 と す る の で あ る 。   で は 、「 絶 対 君 主 が 国 家 に 対 し て 超 越 す る 」 と は 具 体 的 に は 何 を 意 味 す る の か 。 シ ュ ミ ッ ト は 『 政 治 神 学 』 に お い て 、 絶 対 君 主 が 「 国 家 的 統 一 」 を 基 礎 づ け た と す る 、一 九 一 九 年 ミ ュ ン ヘ ン 商 科 大 学 講 義 録 に 見 出 さ れ る 思 想 を 再 び 論 じ る 。 「 絶 対 君 主 は 対 立 す る 利 益 と 連 合 と の 闘 争 に お い て 決 定 を 与 え 、 そ れ に よ り 国 家 的 統 一 (Einheit ) を 基 礎 づ け た 」。 以 上 を 踏 ま え る な ら ば 、『 政 治 神 学 』 の 叙 述 に お い て は 、 有 神 論 神 学 と 類 比 的 関 係 に あ る 君 主 制 は 、 主 権 者 が 一 者 で あ る こ と 、 君 主 は 国 家 に 超 越 す る こ と 、 国 家 的 統 一 を 基 礎 付 け る こ と を 特 徴 と す る 。 こ う し た 特 徴 が 「 君 主 主 義 的 正 統 性 」 (PT :46 ) に と り 重 要 な 契 機 を 成 し て い た 。 ( 二 ) シ ュ ミ ッ ト の 代 表 思 想 『 政 治 神 学 』 と 『 ロ ー マ ・ カ ト リ ッ ク 教 会 と 政 治 形 式 』 の 関 係   シ ュ ミ ッ ト は 『 政 治 神 学 』 の 初 版 扉 に 次 の よ う に 記 し て い る ─ ─ 「『 政 治 神 学 』 の 全 四 章 は 「 カ ト リ シ ズ ム の 政 治 的 理 念 」 と い う 論 文 と 同 時 に 、 一 九 二 二 年 三 月 に 執 筆 さ れ ) 11 ( た 」。「 カ ト リ シ ズ ム の 政 治 的 理 念 」 と い う 論 文 」 と は 、『 ロ ー マ ・ カ ト リ ッ ク 教 会 と 政 治 形 式 』( 初 版 、 一 九 二 三 年 。 以 下 で は 、 カ ト リ シ ズ ム 論 と 表 記 す る ) を 指 す の で あ る が 、 こ カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2) 北法69(1・59)59 の カ ト リ シ ズ ム 論 に お い て シ ュ ミ ッ ト は 独 特 な「 代 表(Repräsentation )」に 関 す る 議 論 を 展 開 し て い る 。 和 仁 に よ れ ば 、 ロ ー マ ・ カ ト リ ッ ク 教 会 の 特 徴 は そ の 代 表 と い う 性 格 に あ る と 把 握 し て い た シ ュ ミ ッ ト は 当 時 、 こ の 代 表 の 性 格 を 君 主 制 に 対 し て も 同 様 に 認 め て い た と 論 じ る 。 し か し 実 際 に は 、『 政 治 神 学 』 と カ ト リ シ ズ ム 論 の 両 著 作 に お い て 、 シ ュ ミ ッ ト 自 身 は 君 主 制 が 代 表 と 何 ら か の 関 係 を も つ と は 述 べ て お ら ず 、 す で に 当 時 に お い て 彼 が 君 主 制 の 原 理 を 代 表 と 把 握 し て い た と 断 定 す る こ と は で き な い 。 た だ し 周 知 の 通 り 、 シ ュ ミ ッ ト は の ち の 著 作 で あ る 『 憲 法 論 』 に お い て 、 同 一 性 を 民 主 制 原 理 と し て 捉 え る と と も に 、 代 表 を 君 主 制 原 理 と し て 理 解 し て い る 。 こ う し た 事 実 を 鑑 み る な ら ば 、 当 時 の シ ュ ミ ッ ト に お け る 代 表 思 想 を 、『 憲 法 論 』 に お い て 政 治 的 構 成 原 理 と し て 把 握 さ れ る 代 表 論 の 萌 芽 的 な 構 想 で あ っ た 、 と 理 解 す る こ と は 牽 強 付 会 で は な い だ ろ う 。 そ こ で 以 下 で は 、 カ ト リ シ ズ ム 論 に お け る シ ュ ミ ッ ト の 代 表 思 想 の 内 容 を 把 握 す る と と も に 、 代 表 を 論 じ た 古 典 的 政 治 思 想 家 T . ホ ッ ブ ズ 、 お よ び 同 時 代 に お い て 代 表 を 論 じ た ケ ル ゼ ン の 議 論 と 比 較 し 、 シ ュ ミ ッ ト の 代 表 思 想 の 独 自 性 お よ び 特 殊 性 を 明 ら か に す る 。 カ ト リ シ ズ ム 論 に お け る 代 表 思 想   シ ュ ミ ッ ト に よ れ ば 、 近 代 社 会 に お い て は 経 済 的 思 考 と 技 術 至 上 主 義 が 支 配 的 と な り 、 そ の 結 果 今 日 で は 「 代 表 す る 能 力 」 が 失 わ れ て い る (RK :34 )。 シ ュ ミ ッ ト に よ れ ば 、 そ の よ う な 現 代 に お い て 代 表 原 理 を 厳 格 に 維 持 し て い る 制 度 は ロ ー マ ・ カ ト リ ッ ク 教 会 だ け で あ る (RK :14 )。「 教 皇 ・ 皇 帝 ・ 僧 侶 ・ 騎 士 ・ 商 人 と い う 、 中 世 が 創 り 出 し た 代 表 を 示 す 諸 形 象 の 中 で 、 教 会 は 現 代 に お け る 最 後 の 孤 立 し た 例 証 で あ り 、 あ る 学 者 が か つ て 列 挙 し た 最 後 の 四 本 柱 の 中 で も 、 確 か に 一 番 最 後 に 残 っ た 柱 で あ る 」(RK :32 )。   シ ュ ミ ッ ト は 、 代 表 さ れ う る も の 、 す な わ ち 「 代 表 の 内 容 」 は 高 次 の 価 値 を も つ も の で な け れ ば な ら な い と い う 。 代 論   説 北法69(1・60)60 表 さ れ う る も の と し て シ ュ ミ ッ ト が こ こ で 想 定 し て い る も の は 、「 神 」「 民 主 主 義 的 イ デ オ ロ ギ ー に お け る 人 民 」「 自 由 や 平 等 と い た 抽 象 的 理 念 」(RK :36 ) で あ る 。   さ ら に シ ュ ミ ッ ト に よ れ ば 、 代 表 す る 者 も ま た 価 値 を も た な け れ ば な ら な い 。 と い う の も 、「 高 次 の 価 値 を 代 表 す る 者 は 無 価 値 で は あ り え な い か ら 、 代 表 は 代 表 す る 者 の 人 格 に 固 有 の 尊 厳 (W ürde ) を 授 け る 」(RK :36 ) か ら で あ る と さ れ る 。 す な わ ち 代 表 す る 者 は 単 な る 「 代 理 人 (Stellvertretung )」 で は な く 、「 権 威 あ る 人 格 」 か 「 代 表 さ れ る や 否 や 同 様 に 人 格 化 さ れ る 理 念 」 の い ず れ か で あ る 。 し た が っ て シ ュ ミ ッ ト は 、 代 表 概 念 は 「 人 格 的 権 威 の 観 念 」 に よ り 支 配 さ れ て お り 、「 物 質 的 観 念 」 と は 本 質 的 に 相 容 れ な い も の で あ る と 述 べ る 。 こ れ に つ い て シ ュ ミ ッ ト は 近 年 公 刊 さ れ た 、 彼 自 身 に よ り 「 神 の 影 (D er Schatten Gottes )」 と 題 さ れ た 草 ) 11 ( 稿 の 中 で 、 一 九 二 二 年 九 月 三 日 に 次 の よ う に 記 し て い る ─ ─ ─ ─ 「 キ リ ス ト は 代 表 さ れ う る 。 自 由 と 正 義 の 理 念 は 代 表 さ れ う る 。 し か し 生 産 物 と 消 費 は 代 表 さ れ え な い 」 (T B3:399 )。 シ ュ ミ ッ ト に よ れ ば 、 こ う し た 特 徴 を も つ 「 代 表 の 世 界 (W elt der Repräsentativen )」 に お い て こ そ 「 カ ト リ シ ズ ム の 政 治 的 理 念 」 は 生 命 を も つ (RK :36 )。   以 上 に 見 た よ う に 、ロ ー マ ・ カ ト リ ッ ク 教 会 は 「 代 表 原 理 の 厳 格 な 貫 徹 」(RK :14 ) を 特 徴 と す る の で あ る が 、シ ュ ミ ッ ト は こ の 特 性 ゆ え に 教 会 の 「 形 式 的 特 性 」 が 基 礎 付 け ら れ る (Ebd. ) の だ と 断 定 す る 。「 カ ト リ シ ズ ム の 政 治 的 理 念 の 観 点 か ら す れ ば 、 ロ ー マ ・ カ ト リ ッ ク の 対 立 物 の 複 合 体 (com plexio oppositorum ) と い う 本 質 は 、 人 間 生 活 の 質 量 に 対 す る 特 殊 に 形 式 的 な 優 越 性 に あ る 」(Ebd. )。「 対 立 物 の 複 合 体 」 と は シ ュ ミ ッ ト に よ れ ば 、 あ ら ゆ る 政 治 的 対 立 を 自 己 の 内 に 包 摂 す る こ と を 可 能 に す る 組 織 を 意 味 す る (RK :11f. )。 ロ ー マ ・ カ ト リ シ ズ ム の よ う に 確 固 と し た 世 界 観 を も つ 党 派 に と っ て は 、 一 つ の 政 治 闘 争 の 策 略 と し て 、 い か に 政 治 思 想 の 異 な る 集 団 で あ ろ う と 、 自 ら と 対 立 す る 集 団 と 結 び つ く こ と が 可 能 で あ る 。 と い う の も ロ ー マ ・ カ ト リ シ ズ ム に 限 ら ず 、 信 念 を も っ た 社 会 主 義 、 ま た 国 民 運 動 の よ う な カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2) 北法69(1・61)61 世 界 観 を も つ 政 治 党 派 に と り 、 あ ら ゆ る 政 治 的 形 式 や 闘 争 は 「 実 現 さ れ る べ き 理 念 の た め の 単 な る 道 具 」 と 化 す か ら で あ る (RK :8f. )。   シ ュ ミ ッ ト の 草 稿 「 神 の 影 」 に は 一 九 二 二 年 九 月 三 日 に 執 筆 さ れ た 、 次 の よ う な 記 述 が 残 さ れ て い る 。「 カ ト リ シ ズ ム の 政 治 的 理 念 は 秩 序 と 形 式 で あ る 。 形 式 の 形 式 、 政 治 的 事 象 の 形 式 的 背 景 で あ る 」(T B3:395 )。「 し か し 形 式 自 体 は 自 ら を 実 現 し え な い 。 そ れ は 腕 を 必 要 と す る 」(T B3:396 )。「 教 会 の 偉 大 な 組 織 は そ の 具 体 的 な 歴 史 的 か つ 社 会 学 的 現 実 に お い て 、 ロ ー マ 帝 国 に お け る 無 数 の 諸 要 素 を 未 だ に 保 持 し て い る 。 法 学 的 定 式 化 や 、 宗 教 に 関 す る 判 断 に つ い て 。 カ ト リ シ ズ ム の 政 治 的 理 念 に つ い て 問 う こ と は 、 法 学 的 な も の の 政 治 的 理 念 に つ い て 問 う こ と を 意 味 す る 。 こ れ は 決 し て 無 意 味 で は な い 。 法 学 的 な も の は 秩 序 を 前 提 と す る 。 具 体 的 現 実 に お け る そ の 妥 当 は 秩 序 を 必 要 と す る 。 こ れ は い か に 決 定 さ れ る か よ り も 重 要 で あ る 。 私 は こ れ を 決 断 主 義 的 (dezisionistisch ) と 名 付 け る 」(T B3:395 )。 こ の よ う に シ ュ ミ ッ ト に と り 、 代 表 と い う 性 格 を も つ ロ ー マ ・ カ ト リ ッ ク 教 会 は 「 形 式 性 」 を 特 徴 と す る も の で あ り 、 こ れ は ま た 決 断 主 義 と 密 接 な 関 係 を も つ も の で あ っ た 。 シ ュ ミ ッ ト に お け る 代 表 思 想 の 特 殊 性   こ う し て カ ト リ シ ズ ム 論 の 文 脈 で 論 じ ら れ た シ ュ ミ ッ ト の 代 表 思 想 は 、 政 治 思 想 に お い て 論 じ ら れ て き た 古 典 的 な 代 表 思 想 と は 性 格 を 異 に す る も の で あ る 。 先 に 見 た よ う に シ ュ ミ ッ ト は 神 や 民 主 主 義 的 イ デ オ ロ ギ ー に お け る 人 民 、 自 由 や 平 等 と い た 抽 象 的 理 念 と い っ た 高 次 の 価 値 が 人 格 的 に 代 表 さ れ る と 論 じ た 。 本 稿 第 二 章 で 確 認 し た 通 り 、 シ ュ ミ ッ ト は ミ ュ ン ヘ ン 商 科 大 学 時 代 の 講 義 録 に お い て ホ ッ ブ ズ の 政 治 思 想 に つ い て 論 及 し て お り 、 そ こ で ホ ッ ブ ズ の 代 表 思 想 を 簡 潔 に 要 約 し て い る 。 そ こ で 彼 は 、『 リ ヴ ァ イ ア サ ン 』に お い て 国 家 を 創 設 す る 行 為 で あ る 国 家 契 約 を「 代 表 機 関 の 創 設 」 論   説 北法69(1・62)62 を 意 味 す る も の と し て 説 明 す る 。「 各 人 は 主 権 者 の 行 為 を 自 ら の 行 為 で あ る か の よ う に 見 做 し て 行 為 す る 。 こ の 契 約 は 絶 対 的 代 表 を 創 り 出 す 。 各 人 は 主 権 者 を 顧 慮 し て 他 の 各 々 と 契 約 を 結 ぶ こ と を 通 じ て 、 諸 個 人 は 、 主 権 者 に 服 従 す る 統 一 へ と 生 成 し た 。 こ れ に よ り 国 家 は 成 立 し た 。 今 や 平 和 は 保 証 さ れ た 」。   シ ュ ミ ッ ト に よ る 以 上 の 説 明 か ら 、 彼 は H ・ ピ ト キ ン が 「 権 威 付 与 な い し 授 権 理 論 (authorization theory )」 と し て 定 式 化 し た ホ ッ ブ ズ の 理 論 を 熟 知 し て い た こ と が わ か る 。 す な わ ち ホ ッ ブ ズ の 議 論 に よ る な ら ば 、 自 然 的 人 格 と し て の 各 人 の 言 葉 と 行 為 を 真 に ま た は 擬 制 的 に 代 表 す る 人 為 的 人 格 と し て の 政 治 体 (Com m on-w ealth ) に 対 し て 各 人 が 相 互 に 自 然 権 を 譲 渡 し 、 授 権 契 約 を 結 ぶ 。 し か し そ れ に も か か わ ら ず 、 シ ュ ミ ッ ト は カ ト リ シ ズ ム 論 に お い て 、 ホ ッ ブ ズ の 代 表 概 念 と は 全 く 異 な る 独 自 の 代 表 思 想 を 展 開 し た の で あ る 。   以 上 に 見 た よ う に 、 シ ュ ミ ッ ト の 代 表 思 想 は 政 治 思 想 の 古 典 的 代 表 概 念 と は 全 く 異 な る も の で あ っ た が 、 そ れ だ け で は な く 同 時 代 の 代 表 論 と 比 較 し て も 特 殊 な も の で あ っ た 。 ケ ル ゼ ン は 『 民 主 主 義 の 本 質 と 価 値 』( 初 版 、 一 九 二 〇 年 ) に お い て 、 代 表 概 念 お よ び 代 議 制 に つ い て 検 討 し て い る 。 ケ ル ゼ ン に よ れ ば 、 代 表 概 念 は そ れ 自 体 と し て 、 常 に 擬 制 で あ る わ け で は な い 。 す な わ ち あ る 者 が 国 家 機 関 と し て 行 為 す る 場 合 に そ の 行 為 が 国 家 行 為 と 見 做 さ れ る な ら ば 、 代 表 概 念 は 擬 制 で は な く 、「 規 範 的 ─ 法 的 構 成 」 で あ る 。 し か し 、 議 会 は 国 民 を 代 表 す る と い う 論 理 は 擬 制 に 他 な ら な い 。 と い う の も 、 私 法 に お い て 代 理 人 が 本 人 の 意 志 に 拘 束 さ れ て い る と い う 事 態 と は 異 な り 、 議 会 に お い て は 、 代 議 員 は 国 民 の 意 志 に よ り 実 質 的 に 拘 束 さ れ て は い な い か ら で あ ) 1( ( る 。 本 稿 第 一 章 で 確 認 し た 通 り 、 ケ ル ゼ ン は 一 九 一 〇 年 代 か ら 方 法 論 と し て の 擬 制 に 関 心 を 寄 せ て お り 、当 時 す で に 、擬 制 を 通 じ て 表 象 さ れ た も の は 現 実 と は 異 な る と い う こ と を 強 調 し て い た 。   こ の よ う に 代 表 概 念 を 理 解 す る ケ ル ゼ ン に と り 、 代 表 民 主 政 に お け る 代 表 概 念 は 擬 制 で あ り 、 支 配 を 正 統 化 す る イ デ オ ロ ギ ー と し て の 機 能 を 果 た す 危 険 性 を 孕 む も の で あ る 。「 代 表 概 念 が 民 主 主 義 的 諸 原 則 と い か に 無 関 係 で あ る か と い カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2) 北法69(1・63)63 う こ と は 、 専 制 政 が こ の 擬 制 を 利 用 し う る と い う こ と か ら 認 識 で き る 。 君 主 、 と く に 絶 対 君 主 、 そ し て 君 主 に よ り 任 命 さ れ た 個 々 の 官 僚 も ま た 、 機 関 す な わ ち 人 民 全 体 の 代 表 で あ る と 見 做 さ れ る 。 こ う し た 仕 方 で 自 己 の 権 力 を 正 統 化 す る こ と を 放 棄 し た 簒 奪 者 や 僭 主 は 存 在 し な か っ た 。 専 制 主 義 的 な 代 表 の 定 式 と 選 出 さ れ た カ エ サ ル の 擬 似 民 主 主 義 と は 殆 ど 相 違 し な ) 11 ( い 」。   さ ら に 、 ケ ル ゼ ン に よ れ ば 、 そ も そ も 代 表 概 念 が 前 提 と す る 「 国 民 の 統 一 」 や 「 統 一 的 な 国 民 の 意 志 」 も ま た 、 擬 制 を 通 じ て 表 象 さ れ た 観 念 で あ る 。 オ ー ス ト リ ア ・ ハ ン ガ リ ー 二 重 帝 国 と い う 多 民 族 国 家 に 生 ま れ 育 っ た ケ ル ゼ ン に と り 、 国 民 と は 自 明 の こ と と し て 「 凝 集 し た 一 体 で は な く 、 民 族 的 ・ 宗 教 的 ・ 経 済 的 対 立 に よ り 分 裂 し た 、 諸 集 団 の 束 に 他 な ら な い 」 も の で あ っ た 。 す な わ ち 「 国 民 の 統 一 と は せ い ぜ い の と こ ろ 倫 理 的 ・ 政 治 的 要 請 で あ ) 11 ( る 」。 こ の よ う に 、シ ュ ミ ッ ト が カ ト リ シ ズ ム 論 を 展 開 す る 以 前 の 時 期 に お い て 、 ケ ル ゼ ン は 代 表 民 主 制 に お け る 代 表 概 念 に つ い て 批 判 的 に 検 討 を 加 え て い た の で あ っ た 。   以 上 に 簡 潔 に み た よ う に 、 ホ ッ ブ ズ お よ び ケ ル ゼ ン が 論 じ た 代 表 思 想 を 参 照 す る な ら ば 、 カ ト リ シ ズ ム 論 で 展 開 さ れ た シ ュ ミ ッ ト の 代 表 思 想 の 特 異 性 は 明 白 で あ る 。 ( 三 ) 民 主 制 な い し 民 主 主 義 的 正 統 性 の 基 礎 付 け ─ ─ 内 在 性   シ ュ ミ ッ ト に よ れ ば 、 民 主 主 義 思 想 が 普 及 す る 十 九 世 紀 に は 「 す べ て が 内 在 観 念 に よ り 支 配 さ れ る 」(PT :44 )。 先 に 述 べ た よ う に 、 民 主 政 す な わ ち 人 民 主 権 は 、 汎 神 論 、 あ る い は 形 而 上 学 一 般 に 対 し て 無 関 心 な 態 度 と 類 比 関 係 に あ る 。 十 七 世 紀 な い し 十 八 世 紀 に は 、 神 観 念 に は 「 世 界 に 対 す る 神 の 超 越 性 」 が 属 し 、 ま た 国 家 哲 学 に は 「 世 界 に 対 す る 主 権 者 の 超 越 性 」 が 属 し て い た が 、 超 越 性 は 十 九 世 紀 に 入 る と 人 々 の 意 識 の 中 か ら 完 全 に 消 え 去 っ て い く 。 そ れ ゆ え 「 十 九 論   説 北法69(1・64)64 世 紀 国 家 理 論 の 発 展 」 は 第 一 に 、「 あ ら ゆ る 有 神 論 的 、 超 越 的 観 念 の 除 去 」 を 特 徴 的 契 機 と す る (PT :45 )。 そ こ で は 「 伝 統 的 な 正 統 性 概 念 は 、明 白 に 明 証 性 を 失 う 。〔 伝 統 的 正 統 性 、君 主 制 に 対 す る 〕王 政 復 古 期 に お け る 私 法 的 ─ 世 襲 的 理 解 も 、 情 緒 的 で 敬 虔 さ に 満 ち た 愛 着 に 基 づ く 基 礎 づ け も 、 こ の 発 展 に 耐 え ら れ な い 」(PT :45 )。   シ ュ ミ ッ ト に よ る と 、 こ う し た 「 内 在 観 念 」 に 基 づ い て 、 一 九 世 紀 の 政 治 学 な い し 国 法 学 上 の 学 説 に お い て 、「 同 一 性 (Identität )」 思 想 が 繰 り 返 さ れ た (PT :44 )。 同 一 性 思 想 と し て シ ュ ミ ッ ト は 次 の よ う な 例 を 挙 げ る 。「 治 者 と 被 治 者 の 同 一 性 と い う 民 主 主 義 的 命 題 」、「 有 機 的 国 家 論 」 に お け る 「 国 家 と 主 権 と の 同 一 性 」、「 ク ラ ッ ベ の 国 法 学 上 の 理 論 」 に お け る 「 主 権 と 法 秩 序 と の 同 一 性 」、「 ケ ル ゼ ン の 理 論 」 に お け る 「 国 家 と 法 秩 序 と の 同 一 性 」(PT :44f. )。   同 一 性 思 想 の 第 一 の 例 と し て 挙 げ ら れ た 、「 治 者 と 被 治 者 の 同 一 性 と い う 民 主 主 義 的 命 題 」 は 、 シ ュ ミ ッ ト に お い て ル ソ ー の 人 民 主 権 論 を 念 頭 に お い て 形 成 さ れ た も の で あ る 。「 ル ソ ー に お い て は 、 一 般 意 志 が 主 権 者 の 意 志 と 同 一 で あ る 」、 す な わ ち 「 人 民 が 主 権 者 と な る 」(PT :44 )。「 人 民 の 意 志 は 常 に 善 良 で あ り 、 人 民 は 常 に 有 徳 で あ る 」(Ebd. )。 シ ュ ミ ッ ト は こ こ で 、「 人 民 が ど の よ う に し て 意 志 を も と う と も 、 意 志 を も て ば 十 分 で あ る 。 そ の 形 式 は す べ て 善 で 、 そ の 意 志 は 常 に 至 高 の も の で あ る 」と い う シ ー エ ス の 命 題 を 引 用 す る 。 こ う し て 一 八 四 八 年 革 命 以 降 、「 国 法 学 は 実 証 化 し て 、 通 常 〔 実 証 的 と い う ─ ─ 引 用 者 〕 こ の 語 の 背 後 に そ の 窮 状 を 隠 蔽 す る か 、 あ る い は 様 々 な 言 い 換 え に よ っ て す べ て の 権 力 を 人 民 の 制 定 権 力 (pouvoir constituent ) に 基 礎 付 け る 」 こ と に な っ た 。   こ の よ う に 、 シ ュ ミ ッ ト に よ る と 、 十 九 世 紀 以 降 、「 内 在 観 念 」 が 支 配 的 と な り 、 こ れ に 基 づ い て 「 治 者 と 被 治 者 の 同 一 性 」 と い う 民 主 主 義 的 命 題 を は じ め と す る 同 一 性 思 想 が 展 開 さ れ る 。 こ う し た 発 展 に 伴 い 、「 君 主 主 義 的 正 統 性 に 代 わ り 、 民 主 主 義 的 正 統 性 が 登 場 す る 」(PT :45f. )。「 民 主 主 義 的 正 統 性 」 と い う 「 新 た な 正 統 性 概 念 の 形 成 」 が 、「 十 九 世 紀 国 家 理 論 の 発 展 」 に お け る 第 二 の 特 徴 で あ る 。 カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2) 北法69(1・65)65 ( 四 ) 世 俗 化 テ ー ゼ に よ る 人 民 主 権 成 立 の 説 明 と そ の 評 価   シ ュ ミ ッ ト は 君 主 主 権 か ら 人 民 主 権 へ 、 君 主 主 義 的 正 統 性 か ら 民 主 主 義 的 正 統 性 へ の 転 換 を 初 期 近 代 以 降 の 歴 史 過 程 と し て 理 解 し 、「 世 俗 化 」 と 表 現 す る こ と で 、 政 治 体 制 が 最 終 的 に は 社 会 主 義 と ア ナ ー キ ズ ム に 行 き 着 く と 予 想 し た ド ノ ソ ・ コ ル テ ス の 歴 史 解 釈 を 踏 襲 す る 。 初 期 近 代 以 降 、 政 治 体 制 は 絶 対 君 主 制 か ら 立 憲 君 主 制 を 経 て 、 民 主 制 へ 移 行 す る 。 シ ュ ミ ッ ト に よ る と 、 初 期 近 代 の 絶 対 君 主 に お け る 主 権 概 念 す な わ ち 君 主 主 権 は 、 超 越 神 、 ま た は 「 キ リ ス ト の 代 理 人 」 と し て の 教 皇 の 「 全 能 性 」 と い う 性 質 が 世 俗 化 さ れ た も の で あ る 。 君 主 主 権 と し て 当 初 確 立 し た 主 権 概 念 は 、 ル ソ ー の 人 民 主 権 論 が 普 及 し て 以 降 、 人 民 へ と さ ら に 世 俗 化 さ れ る (PT :37, 43-4 ) 11 (6 )。   先 に み た よ う に 、 君 主 主 義 的 正 統 性 と は 対 照 的 に 、 民 主 主 義 的 正 統 性 は 内 在 観 念 と こ れ に 基 づ く 同 一 性 思 想 を 特 徴 と す る 。 こ う し て シ ュ ミ ッ ト は 同 一 性 思 想 に 基 づ く 民 主 主 義 理 解 を 示 し た が 、 こ れ に 対 す る シ ュ ミ ッ ト 自 身 の 評 価 は 『 政 治 神 学 』 に お い て 否 定 的 な も の で あ っ た 。 と い う の も 、 シ ュ ミ ッ ト に よ れ ば 、 ル ソ ー の 人 民 主 権 論 に お い て 一 般 意 志 は 主 権 者 の 意 志 と 同 一 で あ る が 、「 一 般 的 な も の と い う 概 念 は 、 主 体 の 点 で 量 的 規 定 を も つ 」 か ら で あ る 。 す な わ ち 絶 対 君 主 政 に お い て 見 出 さ れ た 君 主 す な わ ち 主 権 者 の 唯 一 性 と い う 特 徴 を 欠 く 。「 こ れ に よ り 、 従 来 の 主 権 概 念 に お け る 決 断 主 義 的 要 素 、 人 格 主 義 的 要 素 は 失 わ れ て い っ た 」。 つ ま り 君 主 政 に お い て は 、 人 格 的 主 権 者 が 「 国 家 的 統 一 を 基 礎 付 け る こ と が で き た が 、「 人 民 が 表 現 す る 統 一 は 、 こ の 決 断 主 義 的 性 格 を も た な い 」 が ゆ え に 、 国 家 的 統 一 を 基 礎 付 け る こ と が で き な い と い う 。 人 民 が 表 現 す る 統 一 は 「 有 機 的 統 一 で あ り 、 国 民 意 識 と と も に 有 機 的 全 体 国 家 の 諸 観 念 が 成 立 し た 。 こ う し て 政 治 的 形 而 上 学 に と り 、 有 神 論 的 神 概 念 も 、 理 神 論 的 神 概 念 も 理 解 不 可 能 な も の と な る 」。 同 一 性 思 想 に 基 づ く 人 民 主 権 論 は 、君 主 主 権 と は 異 な り 国 家 的 統 一 を 基 礎 付 け る こ と が で き な い と い う こ と を 理 由 と し て 、シ ュ ミ ッ ト は 人 民 主 権 、 民 主 制 に 対 し て 否 定 的 評 価 を 下 し た の で あ っ た 。 論   説 北法69(1・66)66   以 上 に 見 た よ う に シ ュ ミ ッ ト は 、 元 来 君 主 主 権 と し て 確 立 さ れ た 主 権 概 念 が 人 民 へ 世 俗 化 し た 帰 結 と し て 人 民 主 権 の 成 立 を 説 明 し た 。 人 民 主 権 は 、 主 権 者 の 唯 一 性 、 国 家 に 対 す る 超 越 、 代 表 、 そ し て 人 格 主 義 、 決 断 主 義 と い っ た 諸 特 徴 を も つ 君 主 主 権 と は 異 な り 、国 家 的 統 一 を 基 礎 付 け る こ と が で き な い 。 そ れ ゆ え シ ュ ミ ッ ト は 、主 権 の 人 民 へ の 世 俗 化 、 お よ び そ の 所 産 で あ る 人 民 主 権 に 対 し て 否 定 的 態 度 を 示 し た の で あ る 。 第 四 節  人 民 主 権 の 成 立 過 程 を め ぐ る シ ュ ミ ッ ト と ケ ル ゼ ン   前 節 で み た よ う に 、 シ ュ ミ ッ ト は 反 革 命 思 想 家 か ら 政 治 神 学 的 方 法 を 継 承 し 、 こ れ を 発 展 的 に 応 用 す る こ と で 人 民 主 権 の 成 立 過 程 を 描 い た 。 本 節 で は 、シ ュ ミ ッ ト と 同 様 に ル ソ ー の 『 社 会 契 約 論 』 に お け る 人 民 主 権 論 を 継 承 し な が ら も 、 こ の 議 論 に 対 す る 批 判 的 視 点 を 保 持 し つ つ 、 シ ュ ミ ッ ト と は 全 く 異 な る 仕 方 で 人 民 主 権 の 成 立 過 程 を 叙 述 し た ケ ル ゼ ン の 議 論 を 簡 潔 に 整 理 し 、 参 照 す る 。 シ ュ ミ ッ ト と ケ ル ゼ ン に お け る 人 民 主 権 と そ の 歴 史 的 成 立 過 程 に つ い て の 理 解 に お け る 相 違 は 、 個 人 の 自 由 と 国 家 な い し 共 同 体 の 関 係 に 対 す る 両 者 の 異 な る 見 解 に 基 づ く も の で あ る 。 そ こ で 個 人 の 自 由 と 国 家 と の 関 係 を 中 心 に 、 両 者 に お け る 人 民 主 権 の 成 立 に 対 す る 見 解 を 対 比 し 、 両 者 の 差 異 を 明 ら か に す る 。 ( 一 ) シ ュ ミ ッ ト に お け る 人 民 主 権 の 成 立 過 程 国 家 と 個 人 の 関 係   第 一 章 で 確 認 し た よ う に 、 シ ュ ミ ッ ト は 一 九 一 〇 年 代 か ら す で に 、 人 間 の 本 性 は 本 来 悪 で あ る と い う 悲 観 主 義 的 人 間 観 を 有 し て い た 。 一 九 一 四 年 の 教 授 資 格 申 請 論 文 に お い て は 、 性 悪 説 を 基 盤 と し て 「 人 間 の エ ゴ イ ズ ム と 放 縦 」 を 抑 圧 カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2) 北法69(1・67)67 し た 国 家 の 成 果 と 意 義 を 積 極 的 に 評 価 し て い た 。 こ う し た 人 間 本 性 に 対 す る 否 定 的 確 信 は 、 カ ト リ ッ ク の 環 境 で 成 長 し た シ ュ ミ ッ ト が 、 原 罪 の 教 義 を 内 面 化 し た 結 果 で あ る と 理 解 す る こ と も で き る 。 第 一 次 大 戦 中 に 執 筆 さ れ た 一 九 一 七 年 の 「 教 会 の 可 視 性 」 に お い て 、 こ う し た 人 間 観 が よ り 明 瞭 に 表 現 さ れ た こ と は す で に 確 認 し た 通 り で あ る 。 こ の 小 論 に お い て シ ュ ミ ッ ト は 、 人 間 本 性 に 対 す る 徹 底 し た 不 信 の 念 か ら 、 人 間 が 構 成 す る 共 同 体 が 神 の 観 念 に 媒 介 さ れ ず 、 共 同 体 の あ り 方 が 人 間 自 身 の 手 に 委 ね ら れ る 場 合 に は 、 不 正 義 と 不 法 が 蔓 延 る と 断 定 し 、「 可 視 的 教 会 」 を 通 じ た 世 俗 世 界 に お け る 神 観 念 の 媒 介 の 重 要 性 を 強 調 し て い た 。   教 授 資 格 申 請 論 文 に お い て も 、 法 や 正 義 の 存 在 し な い 経 験 的 世 界 の う ち に 法 を も た ら す こ と が 国 家 の 第 一 の 課 題 で あ る と さ れ て い た 。 国 家 以 前 の 状 態 に お い て は 、 自 律 し た 世 界 に 留 ま る 法 は 経 験 的 世 界 の う ち に 存 在 し な い 。 し た が っ て 個 人 は 全 く の 無 権 利 状 態 で あ り 、 不 法 、 不 自 由 の 状 態 に 置 か れ て い る 。 そ れ ゆ え シ ュ ミ ッ ト は 、 国 家 に よ る 法 の 媒 介 と 実 現 が 最 も 重 要 な 課 題 で あ り 、 こ の 課 題 を 達 成 す る と い う 点 に 国 家 の 意 義 が 認 め ら れ る べ き で あ る と 論 じ た 。   以 上 に 見 た よ う に 、 シ ュ ミ ッ ト が 前 提 と す る 世 界 観 に お い て は 、 自 然 状 態 な い し は 国 家 以 前 の 状 態 に お け る 人 間 は 全 く の 無 権 利 状 態 に あ り 、 所 与 と し て の 自 然 権 や 人 権 は 存 在 し な い 。 シ ュ ミ ッ ト は 、 自 然 権 や 人 権 と は 国 家 に よ る 法 の 媒 介 を 通 じ て 初 め て 実 現 さ れ る 理 念 で あ る と 考 え て い た と い え る 。 シ ュ ミ ッ ト に と っ て は 、 国 家 の 存 在 こ そ が 人 権 保 護 や 個 人 の 自 由 の 保 障 に と っ て 不 可 欠 の 前 提 で あ っ た 。 君 主 主 権 の 成 立 過 程   こ う し た 国 家 と 個 人 の 関 係 に つ い て の 認 識 、 そ し て 国 家 の 価 値 に 対 す る 高 い 評 価 は 、 国 家 的 統 一 を 達 成 し た 初 期 近 代 の 絶 対 君 主 に 対 す る 歴 史 的 評 価 に 結 び つ く こ と に な る 。 前 章 で 見 た 通 り 、 一 九 一 九 年 の ミ ュ ン ヘ ン 商 科 大 学 講 義 録 を 参 論   説 北法69(1・68)68 照 す る な ら ば 、 シ ュ ミ ッ ト は ボ ダ ン 論 に お い て 、 初 期 近 代 の 絶 対 君 主 政 が 主 権 の 確 立 と 国 家 的 統 一 と を 達 成 し え た と 述 べ 、こ れ を 歴 史 的 偉 業 と し て 評 価 し て い た 。 シ ュ ミ ッ ト に よ れ ば 、君 主 の 絶 対 的 権 力 が 主 権 と し て 確 立 す る こ と に よ り 、 既 存 の 封 建 的 身 分 制 の 状 態 を 克 服 し 、 国 家 と 個 人 の 間 に 存 在 し た 諸 々 の 中 間 的 諸 権 力 を 排 除 す る こ と が 可 能 と な っ た 。   そ の 後 、 シ ュ ミ ッ ト は 『 政 治 神 学 』 に お い て 、 世 俗 化 テ ー ゼ を 用 い て 君 主 主 権 の 歴 史 的 成 立 過 程 を 叙 述 す る 。 す な わ ち 前 節 で 確 認 し た 通 り 、 シ ュ ミ ッ ト に よ れ ば 、 君 主 主 権 は 超 越 神 な い し は 神 の 代 理 人 と し て の 教 皇 が 有 す る 「 全 能 性 」 と い う 性 質 が 世 俗 化 す る こ と に よ り 成 立 し た 。 つ ま り 、 神 の 全 能 性 と い う 神 学 的 起 源 を も つ 主 権 概 念 が 、 初 期 近 代 以 降 に 絶 対 君 主 に 世 俗 化 し た 。 人 民 主 権 の 成 立 過 程   シ ュ ミ ッ ト は 、 歴 史 が 進 行 す る 中 で 、 主 権 概 念 は 世 俗 化 し て い く と 論 じ る 。 す な わ ち 君 主 主 権 と し て 確 立 し た 主 権 概 念 は 、 啓 蒙 期 以 降 、 具 体 的 に は ル ソ ー の 人 民 主 権 論 が 普 及 し た の ち に 、 人 民 へ と 世 俗 化 さ れ る (PT :37, 43-4 ) 11 (6 )。 し た が っ て 人 民 主 権 は 、 超 越 神 な い し 神 の 代 理 人 と し て の 教 皇 の 属 性 で あ る 全 能 性 が 世 俗 化 さ れ る こ と で 君 主 主 権 が 成 立 し た の ち に 、 さ ら に そ の 主 権 概 念 が 君 主 か ら 人 民 へ と 世 俗 化 す る こ と に よ り 成 立 し た と 説 明 す る 。   以 上 に 概 観 し た 、 人 民 主 権 成 立 に 至 る ま で の シ ュ ミ ッ ト の 歴 史 理 解 に お い て 、 個 人 の 権 利 や 自 由 に 対 す る 視 座 は 欠 如 し て い る 。 先 に 述 べ た 通 り 、 絶 対 君 主 に よ っ て も た ら さ れ た 主 権 と 国 家 の 政 治 的 統 一 に よ り 、 国 家 以 前 の 状 態 に お い て は 容 易 に 蹂 躙 さ れ う る 個 人 の 権 利 と 自 由 を 保 障 す る た め の 基 盤 が 形 成 さ れ た 。 国 家 権 力 は 制 限 さ れ る べ き で あ る が 個 人 の 権 利 は 原 理 的 に 無 制 約 で あ る と す る 、『 憲 法 論 』 で 示 さ れ た 立 憲 主 義 的 法 治 国 家 思 想 も ま た 、 こ う し た 歴 史 的 経 緯 を 前 提 と す る も の で あ っ た 。 シ ュ ミ ッ ト に と り 、 人 民 主 権 原 理 と 個 人 の 自 由 と い う 理 念 は 、 そ の 起 源 を 異 に す る も の で あ カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2) 北法69(1・69)69 り 、 本 来 無 関 係 の も の で あ る と 捉 え ら れ て い た 。 し た が っ て 、 シ ュ ミ ッ ト の 民 主 主 義 論 に お い て は 、 個 人 の 自 由 や 意 志 の 多 様 性 が 問 題 と さ れ る こ と は な く 、 む し ろ こ う し た 論 点 は 排 除 さ れ て い る 。 シ ュ ミ ッ ト の 民 主 主 義 に お い て 少 数 派 の 権 利 や 保 護 と い う 視 点 が 欠 如 し て い る こ と は 、 こ う し た 経 緯 か ら 説 明 さ れ る 。 ( 二 ) ケ ル ゼ ン に お け る 人 民 主 権 の 成 立 過 程   こ う し た 議 論 と は 対 照 的 に 、 ケ ル ゼ ン は 、 人 民 主 権 と 自 由 は 不 可 分 の 関 係 に あ る と 主 張 す る 。 ケ ル ゼ ン に よ れ ば 、 自 由 こ そ が 人 民 主 権 な い し 民 主 主 義 の 本 来 の 目 的 で あ る 。 民 主 主 義 の 理 念 に お い て は 「 我 々 の 実 践 理 性 に お け る 二 つ の 最 上 級 の 要 請 」 す な わ ち 「 自 由 と 平 等 」 が 結 び つ い て い ) 11 ( る 。 と い う の も 、ケ ル ゼ ン に と り 、人 民 主 権 原 理 の 祖 で あ る ル ソ ー は 自 由 こ そ を 「 そ の 政 治 的 体 系 の 基 礎 で あ り 要 ) 11 ( 石 」 と し て 見 做 し た 思 想 家 で あ っ た か ら で あ る 。 ル ソ ー は 社 会 契 約 の 結 果 と し て 共 同 体 な い し は 国 家 が 設 立 さ れ 、 そ れ に よ り 個 人 は 市 民 的 自 由 お よ び 道 徳 的 自 由 を 獲 得 し う る と 論 じ た 。   以 上 の 議 論 か ら ケ ル ゼ ン は 、 個 人 の 自 然 的 自 由 を 出 発 点 と し て 、 社 会 契 約 を 経 て 国 家 の 政 治 的 自 律 が 達 成 さ れ 、 人 民 主 権 が 成 立 し た と 論 じ る の で あ る 。 こ の 点 で 、ケ ル ゼ ン と シ ュ ミ ッ ト に お け る 人 民 主 権 成 立 の 叙 述 は 対 照 を 成 し て い る 。   た だ し ケ ル ゼ ン は 、 ル ソ ー の 議 論 を 無 批 判 に 受 容 し た わ け で は な く 、 独 自 の 視 点 か ら そ の 問 題 点 を 検 討 す る 。 ケ ル ゼ ン に よ れ ば 、 ル ソ ー の 理 論 に お い て は 、 社 会 契 約 と 同 時 に 〈 個 人 の 自 由 と 自 律 〉 と い う 理 念 は 、〈 国 家 な い し 共 同 体 の 自 由 と 自 律 〉 へ と 置 き 換 え ら れ て し ま う 。 す な わ ち 全 員 一 致 の 合 意 に よ り 社 会 契 約 が 締 結 さ れ た の ち に 、 個 々 の 立 法 過 程 に お い て は 多 数 派 の 意 志 が 少 数 者 を 拘 束 す る 。 し か し そ れ に も か か わ ら ず 、 主 権 者 で あ る 一 般 意 志 に 従 う こ と が 万 人 に と っ て の 「 自 由 」 で あ る と さ れ る の で あ る 。 こ れ は 、 共 同 体 な い し 国 家 の 自 由 が 個 人 の 自 由 に 優 先 す る こ と を 帰 結 す る 。 し た が っ て 社 会 契 約 の 元 来 の 目 的 で あ っ た 個 人 の 自 由 と 自 律 は 一 般 意 志 の 前 に 後 景 に 退 か ざ る を え な い 。 そ し て 実 論   説 北法69(1・70)70 ( 1 ) 第 一 の 意 味 に お け る 政 治 神 学 に つ い て は 、 本 章 第 三 節 ( 四 ) で 論 じ る こ と と す る 。 ( 2 )Ernst-W olfgang Böckenförde, „Politische T heorie und politische T heologie: Bem erkungen zu ihrem  gegenseitigen  際 に は 、 多 数 派 の 意 志 に 従 う こ と が 自 由 で あ る と 見 做 さ れ る こ と に な る の で あ る 。   以 上 に 見 た よ う に 、 人 民 主 権 成 立 に 関 す る ケ ル ゼ ン の 叙 述 に お い て は 、 当 初 は 個 人 の 自 由 と 自 律 を 目 的 と し て 人 民 主 権 が 達 成 さ れ る が 、 そ の 結 果 、 個 人 の 自 由 と 自 律 で は な く 、 全 体 の 意 志 が 優 先 さ れ う る と い う 帰 結 が 導 き だ さ れ る 。 こ う し た 認 識 に 基 づ い て ケ ル ゼ ン は 、 む し ろ 個 人 の 自 由 や 意 志 の 多 様 性 を 認 め る こ と が 民 主 主 義 の 前 提 条 件 で あ る と 主 張 す る 。 し た が っ て ケ ル ゼ ン は 、 ル ソ ー の 人 民 主 権 論 か ら 学 び な が ら も 、 こ れ に 対 し て 一 定 の 距 離 を と り 、 そ の 実 質 的 な 政 治 的 帰 結 を 受 け 入 れ ず に む し ろ こ れ を 民 主 主 義 の 危 機 と し て 警 戒 し て い た の で あ る 。 こ う し て ケ ル ゼ ン は 、 ル ソ ー の 人 民 主 権 論 か ら は 自 動 的 に は 導 き 出 さ れ な い 思 想 を 独 自 に 展 開 し た と 言 え る 。   な お 、 ケ ル ゼ ン は 同 時 に 、 民 主 主 義 に お け る 政 治 的 意 思 決 定 方 式 と し て は 多 数 決 原 理 を 採 用 す る こ と が 最 も 適 し て お り 、 多 数 派 の 意 志 が 全 体 の 意 志 と 見 做 さ れ る と す る 。 な ぜ な ら ば 、 よ り 多 く の 者 が 自 由 で あ る べ き で あ り 、 よ り 多 く の 者 の 意 志 が 社 会 全 体 の 意 志 と 一 致 す る べ き で あ る か ら で あ る 。し た が っ て 民 主 主 義 は 多 数 決 原 理 を 採 用 す べ き で あ る が 、 多 数 派 が 存 在 す る 以 上 、 少 数 派 も 同 様 に 存 在 す る 。 そ れ ゆ え 、 多 数 決 原 理 を 採 用 す る 民 主 主 義 は 少 数 派 の 保 護 を 必 然 的 に 前 提 す る と 述 べ る 。   以 上 に 見 た よ う に 、 民 主 主 義 と 個 人 の 関 係 に つ い て の 見 解 、 ま た 民 主 主 義 に お け る 少 数 派 保 護 に つ い て の 見 解 の う ち に 、 シ ュ ミ ッ ト と ケ ル ゼ ン の 民 主 主 義 論 に お け る 思 想 的 相 違 が 明 確 に 示 さ れ て い る の で あ る 。 カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2) 北法69(1・71)71 V erhältnis“, H rsg., von Jacob T aubes, R eligionstheorie und P olitische T heologie, Bd.1, D er Fürst dieser W elt. C arl Schm itt und die Folgen, M ünchen-Paderborn-W ien-Zürich 1983, S. 19-21.  ベ ッ ケ ン フ ェ ル デ に よ れ ば 、「 政 治 神 学 」 と い う 概 念 は 今 日 多 義 的 で あ り 、そ の 意 味 内 容 は 以 下 の 三 つ に 整 理 さ れ る 。 第 一 に 「 法 学 的 政 治 神 学 」、第 二 に 「 制 度 的 政 治 神 学 」、 第 三 に 「 普 通 名 詞 と し て の 政 治 神 学 」 で あ る 。 第 一 の 意 味 に お け る 「 政 治 神 学 と は 、 神 学 概 念 の 国 家 的 ・ 法 学 的 領 域 へ の 移 行 と い う 現 象 を 指 す 。 ( 3 )Böckenförde, a.a.O ., S. 19. ( 4 ) 新 正 幸 「 有 神 論 的 憲 法 学 ─ カ ー ル ・ シ ュ ミ ッ ト の 精 神 史 的 方 法 」『 カ ー ル ・ シ ュ ミ ッ ト 論 集 』 木 鐸 社 、 一 九 七 八 年 、 一 六 六 頁 。 ( 5 ) 新 、前 掲 、一 六 六 頁 。 新 は 、こ の よ う な 方 法 論 が シ ュ ミ ッ ト の 憲 法 学 に 適 用 さ れ て い た こ と を 論 証 す る 。 新 に よ る と 、「 シ ュ ミ ッ ト は ま ず 第 一 に 『 独 裁 論 』 で 独 裁 を 法 的 に 再 構 成 し 、 従 来 国 家 学 の 外 に し め だ さ れ て い た 独 裁 者 を 法 ド グ マ テ ィ ー ク の 中 に 組 み 入 れ る の に 成 功 し た 後 、次 い で 『 政 治 神 学 』 に お い て 法 律 学 を も っ て 「 世 俗 化 さ れ た 神 学 」 に ほ か な ら ぬ と 「 開 き 直 」 り 、 そ う い う 立 場 を 「 精 神 史 的 」 方 法 で も っ て 正 当 化 す る と い う 一 連 の 布 石 を 張 っ た 後 に 、 今 度 は ワ イ マ ー ル 憲 法 を 素 材 と し て 、 あ た か も 神 学 の 如 き ド グ マ 体 系 を 打 ち 立 て ん と 試 み た 」( 新 、 前 掲 、 一 七 〇 、 一 七 一 頁 )。「 シ ュ ミ ッ ト 憲 法 学 の 全 体 系 は 、「 最 高 の 最 も 確 実 な 実 在 と し て の 、 そ れ と と も に 歴 史 的 現 実 に お け る 究 極 の 認 証 基 準 と し て の 神 の 役 割 を だ れ が 引 き 受 け る か 」 と い う 問 に 帰 着 す る 。」 シ ュ ミ ッ ト の 憲 法 学 の 試 み は 、「 失 わ れ た 神 の 役 割 を 引 き 受 け る 主 体 と し て の 国 民 」 を 基 礎 と し 、「 そ こ で 失 わ れ た 決 断 主 義 的 要 素 と 人 格 主 義 的 要 素 を い か に し て と り も ど し 、 か か る 要 素 を い か に し て 憲 法 学 の 体 系 に 組 み 入 れ る か 、 つ ま り 一 言 で い え ば ワ イ マ ー ル 憲 法 を い か に し て 有 神 論 的 に 体 系 づ け る か と い う こ と 」 で あ っ た ( 新 、 前 掲 、 一 七 一 、 一 七 二 頁 )。 ( 6 ) 新 、 前 掲 、 一 六 六 頁 。 石 村 修 「 カ ー ル ・ シ ュ ミ ッ ト と カ ト リ シ ズ ム 」『 カ ー ル ・ シ ュ ミ ッ ト 論 集 』 宮 本 盛 太 郎 、 初 宿 正 典 編 、 木 鐸 社 、 一 九 七 八 年 、 四 五 頁 。 ( 7 ) 山 下 威 士 、『 憲 法 学 と 憲 法 』 南 窓 社 、 一 九 八 七 年 、 八 一 頁 。 ( 8 ) 山 下 、 前 掲 、 八 〇 、 八 一 頁 。 ( 9 ) 石 村 、 前 掲 、 四 五 頁 。 論   説 北法69(1・72)72 ( 10 ) 例 え ば ク ル パ は 、 本 書 は 「 そ の 精 神 的 起 源 を カ ト リ ッ ク の 法 理 論 ・ 国 家 理 論 の 内 に も っ て 」 い る こ と を 指 摘 す る (H ans  K rupa.  「Carl Schm itt の 「 政 治 的 な る も の 」 の 理 論 一 九 三 七 試 訳 」 山 下 威 士 訳 、 埼 玉 大 学 紀 要 社 会 科 学 編 、 第 十 九 巻 、 埼 玉 大 学 、 一 九 一 七 年 、 十 四 頁 )。 ま た 、 以 下 の よ う に 論 じ ら れ る 。「 こ の 著 作 に み ら れ る シ ュ ミ ッ ト の 初 期 思 想 が 「 神 ─ 教 会 国 家 ─ 人 民 と い う カ ト リ ッ ク 的 自 然 法 の 理 論 を 、法 ─ 国 家 ─ 人 民 に 焼 き 直 し た も の で あ っ た こ と は 明 ら か で あ る 」( 杉 本 、 前 掲 「 C . シ ュ ミ ッ ト 初 期 思 想 の 研 究 ( 報 告 要 旨 ) ─D as W esen ( マ マ ) des Staates und die Bedeutung der ( マ マ ) Einzelnen, 1914 に お け る 法 お よ び 国 家 理 論 の 研 究 」、 一 二 四 頁 )。「 シ ュ ミ ッ ト の 「 自 然 主 義 的 で な い 自 然 法 」 → 理 念 的 国 家 → 個 人 と い う 図 式 は 、 カ ト リ ッ ク 的 自 然 法 に お け る 神 の 英 知 の 法 則 → 普 遍 教 会 ( 自 然 法 ) → 世 俗 国 家 → 法 律 と い う 論 理 図 式 を 下 図 に し な が ら 構 成 さ れ た こ と は 明 ら か で あ る 。」( 杉 本 、 前 掲 「 カ ー ル ・ シ ュ ミ ッ ト に お け る 規 範 主 義 と 決 定 主 義 」、 二 一 七 頁 )。 ま た 、 こ の よ う に 指 摘 さ れ た 、 シ ュ ミ ッ ト の 初 期 思 想 に お け る 国 家 と カ ト リ ッ ク 教 会 と の 関 係 は 、「 教 会 の 可 視 性 」 に お け る 教 会 論 と の 比 較 考 察 に よ っ て よ り 厳 密 に 論 証 さ れ た ( 佐 野 、前 掲 、一 二 二 ─ 一 二 七 頁 、参 照 )。 こ こ で は 「 国 家 が 法 的 エ ー ト ス の 主 体 で あ り 、 そ の 主 体 的 決 断 に よ っ て 法 を 実 現 し 、 個 人 が そ れ を 担 う 課 題 を 与 え ら れ た よ う に 、 キ リ ス ト お よ び 教 会 は 、 神 の 法 ( ロ ゴ ス ) を 主 体 的 決 断 に よ っ て 選 び 取 り 、 そ の 法 ( ロ ゴ ス ) を 説 き 明 か す こ と に よ っ て 、 人 間 の 罪 か ら の 解 放 を 成 就 す る 」 と 述 べ ら れ 、「『 国 家 の 価 値 と 個 人 の 意 義 』 に お け る 法 ・ 国 家 ・ 個 人 の 関 係 と 「 教 会 の 可 視 性 」 に お け る 神 ・ キ リ ス ト ( 教 会 )・ 人 間 の 関 係 が 並 行 関 係 に あ る 」 こ と が 論 じ ら れ た 。 ( 11 ) 本 書 に お け る 「 理 念 的 国 家 」 を シ ュ ミ ッ ト の 「 国 家 原 像 」 と し て 捉 え 、 こ の 観 点 か ら 「 全 体 国 家 」 概 念 を 考 察 し た も の と し て 、 中 道 寿 一 「 カ ー ル ・ シ ュ ミ ッ ト の 「 全 体 国 家 」 の 概 念 に つ い て 」『 カ ー ル ・ シ ュ ミ ッ ト 論 集 』 宮 本 盛 太 郎 、 初 宿 正 典 編 、 木 鐸 社 、 一 九 七 九 年 、 二 三 五 ─ 二 七 六 頁 、 参 照 。 ( 12 ) 和 仁 、 前 掲 、 七 頁 。 ( 13 ) 和 仁 、 前 掲 、 二 三 九 頁 。 ( 14 ) 和 仁 、 前 掲 、 同 頁 。 ( 15 ) 古 賀 敬 太 『 カ ー ル ・ シ ュ ミ ッ ト と カ ト リ シ ズ ム ─ 政 治 的 終 末 論 の 悲 劇 』 創 文 社 、 一 九 九 九 年 、 八 一 ─ 八 三 頁 。 ( 16 )José R afael H ernández A rias, D onoso C ortés und C arl Schm itt. E ine U ntersuchung über die staats- und rechtsphilosophische B edeutung von D onoso C ortés im W erk von C arl Schm itt, Paderborn, M ünchen, W ien, Zürich,  カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2) 北法69(1・73)73 Schöningh, 1998.  こ れ は 教 会 法 学 者A lexander H ollerbach をD oktorvater と し て 、 一 九 九 七 年 に フ ラ イ ブ ル ク 大 学 に 提 出 さ れ た 博 士 論 文 で あ る 。 ( 17 )Ebd. ( 18 )A rias, a.a.O ., S. 192f. ( 19 )A rias, a.a.O ., S. 193. ( 20 )A rias, a.a.O ., S. 193f. ( 21 )A rias, a.a.O ., S. 194. ( 22 )A rias, a.a.O ., S. 195. ( 23 )A rias, a.a.O ., S. 188f. ( 24 )A rias, a.a.O ., S. 189. ( 25 )A rias, a.a.O ., S. 195f. ( 26 )A rias, a.a.O ., S. 197. V gl. Paul V iator, “Einleitung: T heologie und Politik”, D er A bfall vom A bendland, H erder, S.10f. ( 27 )Ebd. ( 28 ) 和 仁 、 前 掲 、 二 一 四 、 二 一 五 頁 、 参 照 。 ( 29 ) 和 仁 は 、 シ ュ ミ ッ ト 自 身 に よ り 『 政 治 神 学 』 初 版 扉 に 記 さ れ た 一 節 に 注 目 し 、 次 の よ う に 述 べ る 。「 こ の 書 物 〔 カ ト リ シ ズ ム 論 ─ ─ 引 用 者 〕 とPolitische T heologie と は 、 両 者 の 同 時 成 立 を 主 張 す る 、 シ ュ ミ ッ ト 自 身 の 異 例 な コ メ ン ト が 暗 に 要 求 し て い る よ う に 、 密 接 な 関 係 に お い て 読 ま れ な け れ ば な ら な い 。 現 に 、 こ れ か ら 明 ら か に す る よ う に 、 両 者 は 、 教 会 論 と 国 家 論 と に お け る フ ォ ル ム の 追 求 、 と り わ け 法 学 的 フ ォ ル ム 、 即 ち 再 現 前 の 核 心 を な す 決 断 主 義 的 秩 序 の 追 求 の 試 み と し て パ ラ レ ル な 関 係 に 立 っ て お り 、 双 方 相 俟 っ て 、 近 代 の 経 済 ・ 技 術 思 考 と 革 命 的 正 統 性 に 対 す る 共 同 戦 線 を 形 成 し て い る の で あ る 」( 和 仁 、 前 掲 、 一 七 六 、 一 七 八 頁 )。 な お 、 通 常 の 場 合 「 代 表 」 と 訳 さ れ るRepräsentation を 敢 え て 「 再 現 前 」 と 訳 出 す る こ と の 根 拠 と 意 義 を 説 明 す る 、 和 仁 、 前 掲 、 一 七 二 、 一 七 三 頁 、 参 照 。 本 稿 で は 、 先 行 研 究 と し て 和 仁 の 議 論 を 参 照 す る が 、「 再 現 前 」 と い う 訳 語 は 和 仁 か ら の 引 用 箇 所 に お い て の み 用 い る こ と と す る 。 ( 30 ) こ れ は シ ュ ミ ッ ト の 日 記 帳 (T B3: Carl Schm itt, D er Schatten G ottes. Introspektionen, T agebücher und Briefe 1921 bis 論   説 北法69(1・74)74 1924, v. Gerd Giesler, Ernst H üsm ert und W olfgang H . Spindler (H rsg.), Berlin 2014. ) に 収 録 さ れ た 、 速 記 文 字 で 記 さ れ た ノ ー ト で あ る 。 ( 31 )H ans K elsen, V on W eden und W ert der D em okratie, T übingen 1920, S. 15, A nm ., 14. ( 32 )K elsen, a,a,O ., S. 20. ( 33 )K elsen, a,a,O ., S. 26. ( 34 ) 権 左 武 志 「 ワ イ マ ー ル 期 カ ー ル ・ シ ュ ミ ッ ト の 政 治 思 想 ─ 近 代 理 解 の 変 遷 を 中 心 と し て 」『 北 大 法 学 論 集 』 五 十 四 巻 六 号 、 北 海 道 大 学 大 学 院 法 学 研 究 科 、 二 〇 〇 四 年 、 二 〇 一 四 ─ 二 五 〇 三 頁 、 参 照 。 ( 35 ) 権 左 、 前 掲 、 二 〇 二 四 頁 、 参 照 。 ( 36 ) 権 左 、 前 掲 、 二 〇 一 四 ─ 二 五 〇 三 頁 、 参 照 。 ( 37 )K elsen, a.a.O ., S. 4. ( 38 )K elsen, a.a.O ., S. 6. 北法69(1・75)75     北 海 道 大 学 法 学 会 記 事 ○ 二 〇 一 七 年 一 二 月 二 一 日 ( 木 ) 午 後 三 時 よ り 「 中 村 研 一 『 こ と ば と 暴 力 ─ ─ 政 治 的 な も の と は 何 か 』( 北 海 道 大 学 出 版 会 、 二 〇 一 七 年 ) を め ぐ っ て 」 報 告 者  川  崎      修 出 席 者  四 十 二 名        一  体 系   ハ ン ナ ・ ア レ ン ト は 、 暴 力 よ り も こ と ば を 重 視 す る 思 想 家 と さ れ る 。 し か し 、『 革 命 に つ い て 』 で は 暴 力 へ の 言 及 が 少 な く な い 。 ア レ ン ト は 「 生 の 政 治 的 圏 域 に お い て は 言 論 (speech ) が 至 上 権 を も っ て い る 」 と す る 一 方 で 、「 暴 力 を 犯 さ な い で は は じ ま り は あ り え な か っ た 」 と 記 す 。 そ し て 、「 暴 力 は 政 治 的 領 域 に お い て は 限 界 現 象 (a m arginal phenom enon ) で あ る 」 と 述 べ る 。 著 者 も 本 書 で 、「 政 治 的 な も の 」 は 「 こ と ば と 暴 力 が 出 会 い せ め ぎ 合 う 」、「 臨 界 域 」 に 生 れ る と い う 。 な ぜ 「 こ と ば と 暴 力 」 か 、 そ の 意 味 は 何 か 。   こ と ば と 暴 力 で 政 治 を 語 る こ と は 、 マ キ ア ベ リ 、 ホ ッ ブ ス 、 ウ ェ ー バ ー 、ラ ス ウ ェ ル 、シ ュ ミ ッ ト か ら ア レ ン ト に 至 る ま で 、 あ る 意 味 で 正 統 的 で あ る 。 だ が 彼 ら は 「 暴 力 そ の も の 」 を 政 治 の 内 在 的 要 素 と し て は 論 じ な い 。 政 治 学 に と っ て 、 暴 力 は む し ろ 「 他 人 の 領 分 」 と い え る 。   そ れ に 対 し て 本 書 の 特 色 は 、 第 一 に 、 暴 力 関 係 の 質 ・ 量 の 「 厚 さ 」に あ る 。こ れ に 関 連 し て 第 二 に 、テ ロ リ ズ ム 関 連 の 叙 述 が「 過 剰 」 な ほ ど 多 い 。 国 内 ・ 国 際 二 元 論 を 前 提 と す る 一 般 的 な 政 治 学 原 論 に お い て は 、 暴 力 の 世 界 は 国 家 が 登 場 し て 終 わ る か 、 あ る い は 国 家 が 主 体 と な っ た 次 元 で 発 生 す る 。 し か し 本 書 で は 、 国 家 の 形 態 を 構 成 し て も 暴 力 は 収 束 せ ず 、 テ ロ リ ズ ム に お い て 国 家 と 国 家 以 外 の も の が 同 等 に 闘 争 す る 。 さ ら に 第 三 に 、 現 代 の 政 治 学 原 論 は 規 範 的 な 結 論 に ま と め ら れ る こ と が 多 い が 、 本 書 は 「 暴 力 」 に 始 ま り 「 ユ ー ト ピ ア 」 で 終 わ る と い う 極 め て 異 例 な 構 成 を と る 。   二  各 論 雑       報 雑   報 北法69(1・76)76   「 政 治 学 入 門 」 の 講 義 案 を も と に す る た め 、 本 書 の 内 容 に は オ ー ソ ド ッ ク ス な 事 柄 が 多 い 。 た だ そ の な か で も 、 著 者 の メ ッ セ ー ジ は 明 瞭 に 打 ち 出 さ れ て い る 。「 第 Ⅰ 部 人 間 文 化 の 問 題 性 」 で は 、「 人 間 文 化 の 否 定 性 」 に 焦 点 を あ て つ つ も 、 そ の 応 答 と し て 「〈 共 存 の 努 力 〉 と い う 政 治 ─ ─ 人 間 文 化 の 一 つ の 傾 向 性 」 が 呼 び 起 こ さ れ る 。 暴 力 は 象 徴 に よ っ て 誘 発 さ れ ( 第 一 章 )、 そ の 対 と し て 、こ と ば の シ ス テ ム も 権 力 性 を 有 す る ( 第 二 章 )。   「 第 Ⅱ 部 こ と ば と 暴 力 の 臨 界 域 」 で は 、 各 章 の 結 論 は す べ て 重 な る 。 暴 力 を よ り 少 な く す る こ と 、 そ れ が 政 治 の 世 界 で 努 力 と し て 求 め ら れ る 、 と い う 明 確 な 主 張 が 示 さ れ る 。 紛 争 は 不 可 避 で あ り 、必 ず し も 悪 と は 限 ら な い 。 し か し 、そ れ を い か に 「 制 御 」 し 「 不 可 測 性 を 管 理 」 す る か ( 第 六 章 )。 こ の 「 暴 力 の 発 動 を 最 小 限 に 封 じ 込 め て い く 暴 力 の ガ バ メ ン タ リ テ ィ こ そ 、 政 治 の 重 要 な 課 題 」 と さ れ る ( 第 七 章 )。 当 初 国 家 に よ っ て 使 用 さ れ た テ ロ リ ズ ム は 、 民 間 に も 用 い ら れ 、 技 術 と 宣 伝 効 果 が 優 位 と な り 、「 見 る 人 々 」 を 意 識 し た も の へ と 変 化 す る ( 第 八 章 )。 9 ・ 11 事 件 を 分 析 し た 「 第 Ⅲ 部 暴 力 の 劇 場 」 で は 、 こ の 内 実 が 詳 論 さ れ る 。   「 第 Ⅳ 部 統 治 の 言 語 的 構 成 」の「 制 度 」( 第 一 三 章 )・「 儀 礼 」( 第 一 四 章 ) で は 、 保 守 主 義 と の 親 和 性 が 窺 わ れ 、 制 定 さ れ た 秩 序 よ り も 「 自 発 的 秩 序 」 が 優 位 に 置 か れ て い る よ う で あ る 。 こ と ば に よ っ て 定 義 さ れ た 「 主 権 」 の 目 的 は 「 ア ナ ー キ ー の 回 避 」 に あ る と す る が ( 第 一 五 章 )、 そ れ に 従 え ば 、 国 家 に 規 範 的 中 身 を 与 え る も の が い る こ と に な ろ う 。 し か し 、 最 終 章 で は 、「 国 家 の 外 部 か ら 」「 な い 場 所 」へ の 想 像 力 」に よ っ て 、「 統 治 の ヴ ィ ジ ョ ン 」 が 与 え ら れ て き た と す る 。 む し ろ 「 実 現 可 能 で あ る こ と 」 が 「 ユ ー ト ピ ア 的 思 考 を 腐 食 さ せ た 」 と 述 べ ら れ 、政 治 が 、 計 画 し て 実 行 す る こ と と は 区 別 さ れ て い る 。   三  「 第 四 章  共 存 ─ ─ 政 治 入 門 」 に つ い て   政 治 の 定 義 が 検 討 さ れ た 第 四 章 は 、 本 書 の な か で も 極 め て メ ッ セ ー ジ 性 が 高 い 箇 所 で あ る 。 著 者 に よ れ ば 、 政 治 学 の 特 色 は 、 唯 一 の 解 や 第 一 原 理 が な い こ と で あ り 、「 答 え で は な く 、 問 い を 発 す る こ と 」 が 重 要 で あ る 。   著 者 の 分 析 の 特 色 は 、 第 一 に 、 政 治 と 非 政 治 の 定 義 に こ だ わ り 、 秩 序 や 価 値 配 分 で は 済 ま さ れ な い 、 特 殊 な 営 み と し て の 政 治 を 位 置 づ け て い る こ と に あ ら わ れ る 。 第 二 に 、 人 間 の 複 数 性 と 可 変 性 を 前 提 と し て 「 共 存 す る 努 力 」 を 「 政 治 」 と 定 義 し 、 そ の 認 識 に も と づ い て 「 反 政 治 」 が 区 別 さ れ る 。 そ こ に は 、 一 般 的 認 識 に お け る 一 貫 性 へ の 高 い 評 価 に も 拘 わ ら ず 、 政 治 は む 北海道大学法学会記事 北法69(1・77)77 し ろ 予 測 が つ か ず ブ レ る も の で あ る と い う 主 張 や 、 他 者 が 他 者 で い る こ と を 承 認 し 、 そ の 他 者 の 存 在 を 拒 絶 す る こ と は 政 治 的 な 営 み と は 言 え な い と い う 主 張 も 含 ま れ て い る 。 こ の 偶 発 性 ・ 偶 然 性 の 強 調 は 、 第 三 に 、 偶 然 性 の 極 み で あ り 暴 力 を 誘 発 す る ア ナ ー キ ー と 、 全 体 主 義 の 極 限 で も あ る 完 全 秩 序 と の 、「 間 」 と い う 、 興 味 深 い 問 題 に も つ な が っ て い る 。   四  質 問   こ の よ う に 整 理 し た 議 論 の う ち 、 改 め て 問 い 直 し た い 論 点 が 三 つ あ る 。 第 一 に 、 政 治 に お け る 暴 力 の 「 臨 界 」 性 に つ い て 、 す な わ ち 暴 力 は 政 治 の 内 部 か 外 部 か と い う 問 題 が あ る 。 冒 頭 に 引 い た ア レ ン ト の 師 で あ る ヤ ス パ ー ス は 、「 限 界 状 況 」 の 最 た る も の を 死 と し た 。 死 は 生 の 否 定 で あ る が 、 人 間 の 生 は 死 を 前 提 に し な け れ ば 考 え ら れ な い 。 そ の 意 味 で 、 生 は 死 の 内 側 に あ る と も 言 え る 。「 こ と ば と 暴 力 」 の 「 臨 界 」 性 は 、 こ の 生 と 死 の 対 比 と は 異 な る 意 味 合 い を も つ の か 。 第 二 に 、 テ ロ リ ズ ム の 政 治 的 意 味 づ け に つ い て 、 本 書 が そ れ を 強 調 す る の は 、 現 代 世 界 の 問 題 で あ る た め か 、 そ れ と も 近 代 国 家 ・ 主 権 国 家 以 降 の 暴 力 問 題 の 核 心 と 認 識 す る た め な の か 。 第 三 に 、 ユ ー ト ピ ア の 評 価 で あ る 。 暴 力 を 制 御 ・ 縮 減 し 「 よ り 少 な い 悪 」 と い う 「 リ ア リ ズ ム 」 の 側 面 と 、 ユ ー ト ピ ア 的 想 像 力 の 肯 定 と い う 理 想 主 義 の 側 面 、 こ の 両 者 の 関 係 は 、 ど の よ う に 位 置 づ け ら れ る の か 。 完 全 秩 序 を 否 定 し 偶 然 性 を 評 価 す る ア レ ン ト の 政 治 観 と 、 プ ラ ト ン の よ う な ユ ー ト ピ ア 構 想 の 探 究 は 両 立 す る の か 。 ま た 、 計 画 や 政 策 的 な も の を 重 ね て も 、 政 治 に は な ら な い と い う こ と を 含 意 し て い る の か 。 さ ら に 、「 主 権 」 は か ら っ ぽ で あ る と の 議 論 を 踏 ま え る と 、政 治 体 制 は 内 在 的 に 正 当 化 さ れ な い の か 。「 統 治 の ヴ ィ ジ ョ ン 」 は 「 国 家 の 外 部 」 に 必 要 な の か 。   以 上 の 書 評 報 告 を う け て 、 当 日 の 質 疑 応 答 に お い て は と く に 第 一 の 論 点 が 検 討 さ れ た 。 そ も そ も 暴 力 は 政 治 の 外 側 に あ る の で は な い か 、 そ れ を 曖 昧 化 し て 「 臨 界 点 」 と い う 物 理 学 的 な 表 現 を 用 い る こ と は 誤 解 を 招 き か ね な い と の 出 席 者 か ら の 批 判 に 、 著 者 自 身 が 自 説 で 応 え 、 本 書 の 特 徴 が 一 層 鮮 明 に な っ た 。 ( 文 責 眞 壁 仁 ) I Vol.69 No.1(2018) The Hokkaido Law Review 北法69(1・206)206 THE HOKKAIDO LAW REVIEW Vol. 69 No. 1(2018) SUMMARY OF CONTENTS * Assistant Professor of Graduate School of Law Hokkaido University. Die Entstehungsgeschichte der Demokratielehre Carl Schmitts (2) ─ Von der letzten Periode des deutschen Kaiserreichs bis zur Mitte der Weimarer Republik ─ Ayaka MatsuMoto* Im vorliegenden zweiten Kapitel meiner Abhandlung geht es darum, den Entwicklungsprozess der Gedanken Carl Schmitts vom Anfang des Ersten Weltkriegs bis zur Herausgabe seines bedeutendsten Werkes Diktatur im Jahr 1921 zu beschreiben. Erstens beschäftige ich mich mit seiner Erfahrung in der Kriegszeit anhand seiner neu veröffentlichten Tagebücher. Dabei ergibt sich, dass Schmitt anlässlich seines militärischen Dienstes im stellvertretenden Generalkommando einen theoretischen Unterschied zwischen einer Diktatur und einem Belagerungszustand erkannte. Der auf der Basis dieser Erkenntnis entstandene Aufsatz „Diktatur und Belagerungszustand“ (1916) wurde zu einem großen wissenschaftlichen Erfolg. Zweitens wird seine damalige Auslegung der politischen Theorien von J. Bodin und T. Hobbes anhand der zum ersten Mal publizierten Notizen analysiert , die Schmitt für seine Vorlesungen an der Münchner Handelshochschule (1919) vorbereitete. Hier zeigt sich, dass Schmitt damals einerseits auf den Begriff der Repräsentation und andererseits auf den Begriff der staatlichen Einheit großen Wert legte, wobei seiner Ansicht nach die staatliche Einheit erst durch die Souveränität des absoluten Fürsten im modernen Staat ermöglicht wurde. Drittens wird beschrieben, wie Schmitt in Vol.69 No.1(2018) II The Hokkaido Law Review 北法69(1・205)205 seiner Schrift Diktatur die Souveränitätstheorie Bodins auslegte und dadurch die kommissarische Diktatur definierte. Viertens wird die Bedeutung der Tatsache untersucht, dass Schmitt die souveräne Diktatur als ein geschichtlich neues Phänomen beschrieb. Indem er einerseits die Staatstheorie von Hobbes analysierte, bezog er die Möglichkeit in seine Überlegungen ein, dass sich eine Person oder ein Organ nicht nur als Diktator, sondern auch als Souverän verhalten könnte. Die Diktatur wird bei ihm durch die Identif ikation mit dem sogenannten „Volkswillen“ gerechtfertigt, indem er andererseits die revolutionären Gedanken von J. J. Rousseau und E. J. Sieyès aufnahm; erst dadurch konnte Schmitt die proletarische Diktatur als eine souveräne Diktatur annehmen. Abschließend analysiere ich seine Auslegung des Zusammenhangs zwischen der proletarischen Diktatur und der Demokratie und vergleiche sie mit der des Rechtswissenschaftlers Hans Kelsen, der den Zusammenhang aus seiner eigenen Perspektive sah. Im dritten Kapitel versuche ich zu erklären, warum Schmitt die Volkssouveränitätstheorie negativ beurteilte. Dabei geht es um seine Schriften wie z. B. Politische Theologie (1922) und Römischer Katholizismus und politische Form (1923). Erstens wird der Ursprung der „politischen Theo log ie “ a l s e ine Methodo log ie ermi t te l t , m i t der s i ch d ie Volkssouveränitätstheorie im geschichtlichen Kontext erfassen lassen soll. Dabei kann nachgewiesen werden, dass diese Methodologie aus den Geschichtsanschauungen der gegenrevolutionären Staatsphilosophen des 19. Jahrhunderts stammte, besonders von Donoso Cortes. Zweitens wird der Hintergrund seiner negativen Ansicht über die Volksouveränität ermittelt, indem ich seine Auffassung der „staatlichen Einheit“ betrachte. Dabei verbindet Schmitt einerseits die Volksouveränität bzw. Demokratie mit den Begriffen der Immanenz und der „Identität“, andererseits die Monarchie mit denen der Transzendenz und der Repräsentation. Drittens werden die Auslegungen Schmitts und Kelsens der Volkssouveränitätstheorie von J. J. Rousseau vergleichend analysiert. [1] 北法69(1・204)204 論   説 目  次    はじめに  1 問題の所在  2 課題  3 本稿の構成  4 本研究の意義 第1章 違約金増減の概要  第1節 違約金増減の趣旨  第2節 違約金増減の対象  第3節 違約金増減の要件  第4節 違約金増減の立法史 (以上、68巻6号) 第2章 違約金増減の運用実態──数量分析を中心に  第1節 違約金増額の運用実態に関する数量分析   1.全体図の概要   2.検討  第2節 違約金減額の運用実態に関する数量分析   1.全体図の概要   2.検討 (以上、本号) 第3章 違約金増減の運用実態──論理分析を中心に 第4章 学界の評価と改革案 第5章 台湾法・日本法との比較 むすび 資料 関連条文 中国法における裁判所による 違約金増減の運用と理念(2) ──日本の債権法改正に寄せて── 呉   逸 寧 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2) [2]北法69(1・203)203 第2章 違約金増減の運用実態──数量分析を中心に  第1章は、違約金増減の概要を検討してきた。これらの検討によって、 理論的に違約金増減を把握することができる。それに対して、裁判実務 上、違約金増減はどのようにして働いているのか。またどういった特徴 があるのかを明らかにする必要がある。本章と第3章は、違約金増減の 運用実態の解明に取りくむこととする。違約金増減の運用実態を解明す る場合には、2つの検証の手法が考えられる。一つは、特定時期の裁判 例群を対象とし数量分析を行い、違約金増減の運用の傾向を明らかにす ることである。もう一つは、重要度が高い、代表的、特殊な法的意味を 有する裁判例を対象とし具体的な裁判例の判決内容、理由に関する分析 を行い、違約金増減の運用の論理を明らかにすることである。本稿は、 前者の解明を本章にて行う予定であり、後者の解明を第3章にゆだねる こととする。  本章は、違約金増減の運用に関する特定の数量分析を行うため、特定 の時期、特定のデータベースを通して分析を行う必要がある。それゆえ に、本章は、2014年の一年間を対象とし、「北大法意」という中国法に 関する裁判例が比較的に豊富であるデータベースを選ぶことにする。検 討する前に、次の3つ点を説明しておきたい。  第1に、裁判実務の分析に当たって2つ重要な物差しを設定する。一 つ目は、違約金増減の法規定・学説の部分で明らかにしたように、増額 の適用と減額の適用において違約金が呈する法的性格、機能が異なるた め、裁判実務の検討も両者を分けて分析する必要がある。二つ目は、裁 判例の中には、法院が違約金の増減を認めた裁判例がある一方で、違約 金の増減を認めなかった裁判例もある。それゆえに、違約金増減の運用 の傾向を全面的に捉えるため、本章は、違約金の増減を認めた裁判例の みならず、違約金増減を認めなかった裁判例をも視野に入れることとする。  第2に、裁判実務の分析に当たって増額と減額をめぐる紛争について 訴訟の構造がそれぞれ異なるため、訴訟の基本的構造を把握することも 必要である。法院が違約金増額を適用する場合には、債権者が最初の訴 訟の請求において違約金の増額の請求を提起する。それに対して、法院 が違約金減額を適用する場合には、債務者が違約金の減額の請求を抗弁 論   説 [3] 北法69(1・202)202 として申し立てるのが一般的である。すなわち、違約金の増額をめぐる 紛争において、違約金の増額を請求する者は債権者であり、増額請求は 最初の訴訟請求段階に行われる。他方、違約金の減額をめぐる紛争にお いて、違約金の減額を請求する者は債務者であり、請求は抗弁の段階に おいて行われる。  第3に、裁判実務の分析に当たって、分析の力点を絞る必要もある。 本稿の目的は、法院がどのような法理に基づいて、違約金への介入を行っ ているのかを明らかにすることである。それゆえに、法院がいかなる理 由で違約金の増減を認めたのか、またいかなる理由で違約金の増減を認 めなかったのかを検討するのが重要である。換言すれば、本章は、分析 の力点を法院による増額の肯定または否定の判決理由に絞ることで、違 約金増減の運用の特徴を析出したい。 第1節 違約金増額の運用実態に関する数量分析  本節は、違約金増額の運用実態に関する数量分析を行う。以下では、 各事例における留意点を示しておく。  第1に、紛争の類型。違約金増額の運用をめぐる裁判例がどのような 紛争を念頭に置くのかを明らかにすることが必要がある。具体的には、 紛争の契約類型は何か、紛争の違約金類型は何なのか(いかなる契約不 履行を対象とする違約金なのか)である。  第2に、当事者の属性。違約金増額の運用において当事者がいかなる 主体であるかに着目する。原告(X)と被告(Y)の属性を、個人か企業 かによって分けることとする。  第3に、違約金の定め方。当事者がいかなる違約金の定め方をしたの かが重要である。法規定の検討の部分では明らかにしたように、当事者 が一定額の違約金を定めることができるのみならず、違約金の計算方法 を定めることもできる。それゆえに、当事者による違約金の定め方にも 留意する。  第4に、債権者の請求内容。訴訟の構造に照らすと、債権者が最初の 訴訟の請求において違約金の増額の請求を提起するが、いくらの増額を 請求したのかを注目する必要がある。 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2) [4]北法69(1・201)201  第5に、法院による増額の肯定と否定の判決理由。この要件が本節に よる検証の核心的な部分である。本節は法院がいかなる理由で違約金の 増額を認めたのかまたいかなる理由で違約金の増額を認めなかったのか を要約したうえで、裁判例ごとに検討を行う。  第6に、法院による増額の計算要件および結果。法院が違約金の増額 を認めた場合にいくら違約金の増額をしたのか、すなわち法院が増額し た結果に注目する。  以上は、裁判例に関する6つの基本的な情報である。これらの要件に 基づき、本節は、違約金の増額が認められた裁判例リスト(北大法意  判決年月日2014年度)と違約金の増額が認められなかった裁判例リスト (北大法意 判決年月日2014年度)を作成し、それぞれ附表1と附表2 としてその内容を示しておく。また裁判例が多いため、本節は、附表1 と附表2を本文に付けずに、参考資料にて本節の最後に添付する。それ を踏まえて、以下では、法院による違約金の増額が認められた裁判例 (2014年度、附表1)と法院による違約金の増額が認められなかった裁 判例(2014年度、附表2)について検討を行うこととする。 1 全体図の概要  2014年の一年間に判決が下された違約金の増額が認められた裁判例 (以下では、違約金の増額を認められた裁判例を、増額肯定例と称する) は21件あり、認められなかった裁判例(以下では、違約金の増額を認め られなかった裁判例を、増額否定例と称する)は25件あった。以下では、 まず裁判例の概要をまとめる。  第1に、違約金紛争の類型という要件から増額肯定例を見ると、21件 すべて遅延違約金の紛争である。このうち、2件が金銭債務の不履行(契 約給付義務の不履行)を対象とする紛争であり、残る19件がなす債務の 不履行(契約行為義務の不履行)を対象とする紛争である。また、なす 債務の不履行を対象とする紛争の中には、不動産の引渡し義務の不履行 を対象とする紛争が16件、不動産名義書換義務の不履行を対象とする紛 争が3件あった。  他方、増額否定例の場合には、25件すべて遅延違約金の紛争である。 このうち、1件が金銭債務の不履行(契約給付義務の不履行)を対象と 論   説 [5] 北法69(1・200)200 する紛争であり、残る24件がなす債務の不履行(契約行為義務の不履行) を対象とする紛争である。またなす債務の不履行を対象とする紛争の中 には、不動産名義書換義務の不履行を対象とする紛争が16件、不動産の 引渡し義務の不履行を対象とする紛争が7件、売買目的物の引渡し義務 の不履行を対象とする紛争が1件あった。  第2に、当事者の属性という要件から増額肯定例を見ると、原告X(個 人)、被告Y(企業)の間の紛争が19件、X(企業)とY(企業)の間の紛 争が2件あった。他方、増額否定例の場合において、原告X(個人)、 被告Y(企業)の間の紛争が22件、X(個人)とY(個人)の間の紛争が 1件、X(企業)とY(企業)の間の紛争が2件あった。  第3に、違約金の定め方から、増額肯定例と増額否定例を合わせて見 ると、基本的に当事者が一定額の違約金を約定した裁判例と当事者が違 約金の計算方法を約定した裁判例に分かれるが、細かく見ると、4パター ンの定め方があった。  ① 当事者が純粋に一定額の違約金(具体額か契約代金の何%)を約 定するパターン。このパターンにおいて増額肯定例11件、増額否定例13 件があった。  ② 当事者が純粋に違約金の計算方法(日に一定額か日に契約代金の 何%)約束するという仕方で、実際の遅延日数に基づき違約金を発生さ せるパターン。このパターンにおいて増額肯定例4件、増額否定例9件 があった。  ③ 当事者が違約金の計算方法(日に一定額か日に契約代金の何%) を約束するが、最高額(具体額か契約代金の何%)による制限をかける パターン。換言すれば、当事者が日に具体額か契約代金の何%かを基準 に実際の遅延日数に基づき違約金を発生させるが、違約金に上限を設け るパターン。このパターンにおいて肯定例4件、否定例3件があった。  ④ 当事者が違約金の計算方法(日に一定額か日に契約代金の何%) を約束するが、一定額(具体額か契約代金の何%)に転化させるパターン。 換言すれば、当事者が日に具体額か契約代金の何%かを基準に実際の遅 延日数に基づき違約金を発生させるが、一定の遅延日数を過ぎると、こ のような計算方法が採用されなくなる。その代わりとして債務者が一定 額の違約金を支払うことになる、というパターンである。このパターン 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2) [6]北法69(1・199)199 において肯定例2件があった。  第4に、債権者の請求内容から肯定例を見ると、Xが違約金の約定と 異なる違約金の計算基準を主張し、実際の遅延日数に基づき違約金を新 たに確定するよう増額を求めた肯定例は19件あった。このうち、Xが中 国人民銀行の同期・同類の貸付利率を基準とし実際の遅延日数に基づき 違約金を新たに確定するよう増額を求めていた肯定例が16件あり、違約 金の約定と異なるほかの違約金の計算基準を主張し実際の遅延日数に基 づき違約金を新たに確定するよう増額を求めていた肯定例も3件あっ た。残る2件の増額肯定例は、Xがあたらな違約金の計算基準を主張し たのではなく、直接に一定額の増額を求めたものである。  他方、増額否定例の場合において、Xが違約金の約定と異なる計算基 準を主張し違約金の額を新たに確定するよう増額を求めた否定例は19件 あった。このうち、Xが中国人民銀行の同期・同類の貸付利率を基準と し実際の遅延日数に基づき違約金を新たに確定するよう増額を求めてい た否定例が11件あり、違約金の約定と異なるほかの計算基準を主張し実 際の遅延日数に基づき違約金を新たに確定するよう増額を求めていた否 定例も8件あった。残る6件の増額否定例がいずれもXがあたらな違 約金の計算基準を主張したのではなく、直接に一定額の増額を求めたも のである。  第5に、法院による増額の判決理由から増額肯定例を見ると、次の6 つの事由にまとめられる。①約定額または約定計算基準が著しく低いか Xの損失の填補に不足すること(5件)、②Yの違約期間の長さ(7件)、 ③契約代金(未払い代金含む)の大きさ(2件)、④Xの損失が法定遅延 利息損失と認定されること(4件)、⑤Xの増額請求が法律に適合して いること(3件)、⑥違約金責任の約定不対等性(2件)。  他方、法院による増額の判決理由から増額否定例を見ると、次の5つ の事由にまとめられる。①Xは、違約金の約定額または約定計算基準 が自分の損失と比較すると低いことを挙証できていないこと(19件)、 ②違約金の約定額または約定計算基準がXの損失を填補できること(1 件)、③Yの違約行為がXに損失をもたらしていないこと(1件)、④ 違約金の約定が明確であり、法律に違反していないこと(4件)、⑤違 約金の約定に従うべきである(2件)。 論   説 [7] 北法69(1・198)198  これらの違約金の増額に関する肯定の事由と否定の事由について如何 にして読み解くのかは、検討の部分にゆだねることとする。  第6に、増額肯定例の場合には、その計算要件および結果を見ると、 二つのパターンがある。一つは、法院がXの違約金の増額請求をその まま容認するものである。換言すれば、法院がXが申し立てた新たな 違約金の計算基準に基づいて増額を認めた肯定例が14件あった。もう一 つは、法院がXの増額請求を認めたが、Xが申し立てた違約金の計算 基準を改定したものである。このような増額肯定例が7件あった。注目 しておきたいのは、法院による容認の肯定例であろうが、法院による改 定の肯定例であろうが、その増額結果を見ると法院が中国人民銀行の同 期・同類の貸付利率を基準にして、実際の遅延日数に基づき違約金を増 額した例がほとんどのものであり、18件あった。わずか3件の増額肯定 例は、法院が総合の考慮に基づいて、違約金の計算基準または一定額の 違約金を改定し増額したものである。  以上のまとめに照らせば、違約金増額の運用に関する基本的な状況を、 肯定例と否定例に分けてそれぞれの図で示しておく。  増額肯定例のまとめを、次の【図】1~ 61で示す。 1 【図】1~6は、附表1(違約金の増額が認めれた裁判例リスト)に基づいて、 その概要を要件ごとに整理するものである。 9.5% 90.5% 金銭債務の不履行を対象とする遅延違約金 2件 なす債務の不履行を対象とする遅延違約金 19件  図1 違約金の紛争類型 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2) [8]北法69(1・197)197 90.5% 9.5% X(個人)vs Y(企業) 19件 X(企業)vs Y(企業) 2件 図2 当事者の類型 52.4% 19.0% 19.0% 9.6% 当事者が純粋に一定額の違約金(具体額と契約代金の何%)を約定したパターン 11件 当事者が純粋に違約金の計算方法(日に契約代金の何%)を約定したパターン  4件 当事者が違約金の計算方法を約束したが、最高額による制限をかけられたパターン 4件 当事者が違約金の計算方法を約束したが、条件付きに一定額の違約金へと転換されたパターン 2件 図3 違約金の定め方 9.5% 76.2% 14.3% 一定額の違約金の増額を求めた 2件 中国銀行遅延貸付利率に基づき違約金を新たに確定するよう増額を求めた 16件 別途の違約金計算基準に基づき違約金を新たに確定するよう増額を求めた 3件 図4 Xの増額請求内容 論   説 [9] 北法69(1・196)196  増額否定例のまとめを、次の【図】7~ 112で示す。 2 【図】7~ 11は、附表2(違約金の増額が認められなかった裁判例リスト)に 基づいて、その概要を要件ごとに整理するものである。 66.7% 19.0% 14.3% Xの増額請求および内容を容認、中国銀行遅延貸付利率による計算額 14件 Xの増額請求を容認、内容を改定、中国銀行遅延貸付利率による計算額 4件 Xの増額請求を容認、内容を改定、綜合考量による計算基準又は一定額 3件 21.7% 30.4% 8.7% 17.4% 13.1% 8.7% 約定額または約定計算基準が著しく低いかXの損失を填補できないこと 5件 Yの違約期間の長さ 7件 契約代金(未払い代金含む)の大きさ 2件 Xの損失を法定遅延利息損失と認定 4件 Xの増額請求が法律に適合していること 3件 XとYによる違約金責任の約定不対等性 2件 図5 法院による増額の判断事由 図6 法院による増額の計算要件および結果 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2) [10]北法69(1・195)195 52.0% 36.0% 12.0% 当事者が純粋に一定額の違約金(具体額と契約代金の何%)を約定したパターン 13件 当事者が純粋に違約金の計算方法(日に契約代金の何%)を約定したパターン  9件 当事者が違約金の計算方法を約束したが、最高額による制限をかけられたパターン 3件 図9 違約金の定め方 88.0% 8.0% 4.0% X(個人)vs Y(企業) 22件 X(企業)vs Y(企業) 2件 X(個人)vs Y(個人) 1件 図8 当事者の類型 4.0% 96.0% 金銭債務の不履行を対象とする遅延違約金 1件 なす債務の不履行を対象とする遅延違約金 24件  図7 違約金の紛争類型 論   説 [11] 北法69(1・194)194 2 検討  以上の整理に照らせば、裁判実務において違約金増額が如何にして働 いているのかについてその全貌を把握することができる。その中で、本 稿の目的との関連で検討する必要があるのは、法院による増額の肯定の 判断事由(【図】5)と法院による増額の否定の判断事由(【図】11)である。 全体図による【図】5と【図】11についての整理は、ただ判決理由に用い られる用語を初歩的に纏めたに過ぎないものである。実際には、これら の事由がどのような法的意味が含まれるのか、また如何にして読み解か れるべきなのかについて、さらなる詳細な検討がかけてはならないよう に思われる。なお、これらの判断事由を検討する場合には、第1章で検 24.0% 44.0% 32.0% 一定額の違約金の増額を求めた 6件 中国銀行遅延貸付利率に基づき違約金を新たに確定するよう増額を求めた 11件 別途の違約金計算基準に基づき違約金を新たに確定するよう増額を求めた 8件 70.4% 3.7% 3.7% 14.8% 7.4% Xは違約金の約定額又は約定計算基準が自分の損失よりも低いことに挙証不能 19件 違約金の約定額又は約定計算基準がXの損失を填補できること 1件 Yの違約行為によりXに損失をもたらしていないこと 1件 違約金の約定が明確であり法律に違反していないこと 4件 違約金の約定に従うべきであること 2件 図10 Ⅹの増額請求内容 図11 法院による増額否定の判断事由 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2) [12]北法69(1・193)193 討した法規定、学説を念頭に置く必要がある。それゆえに、まず法規定、 学説は、法院による増額の判断要件について如何にして説明しているの かを再度確認する。  第1に、法規定、通説の立場に照らせば、法院が違約金の増額の可否 を判断する場合には、まず、債権者の実損害を認定する。次に、法院が 債権者の実損害を違約金と比較して、より低額でありさえすればその増 額を認める。換言すれば、法院が実損害と違約金の差額があるか否かを 認定することで、違約金の増額の可否を判断している、という判断構造 が明らかにされた。このような判断構造を実損害差額主義と定義した3。 裁判実務が実損害差額主義によっているか否かを検証する。  第2に、少数説の立場に照らせば、法規定、通説による実損害差額主 義について批判的な見解もある。少数説は、法院が違約金の増額の可否 を判断する場合には、契約締結時に違約金の約定が当事者の自由な意思 によるか否か、またその約定において詐欺、脅迫などの意思決定におけ る瑕疵があるか否かを審査すべきであるとしている。このような判断構 造が、当事者の意思決定プロセスに重点を置き、当事者の真の意思自治 が達成されるか否かを主眼とする論理である4。それを踏まえて、少数説 の論理が裁判実務において影響を与えるか否かも、注目に値する。  以上の法規定、学説による説明に照らせば、実際の裁判例において法 院が、増額の可否を判断する場合には、どのぐらい実損害差額主義を徹 底しているのか、また、少数説のような論理も持ち込まれるのか、裁判 実務において全体的にどのような特徴があるのかについて、裁判例に基 づいて検討する。 (1)増額の肯定、否定の判決理由  以下では、裁判実務において増額の肯定、否定の判決理由を検証する。 なお違約金増額の運用に関する裁判例が金銭債務の不履行を対象とする 3 法規定、通説の立場についての検討は、第1章「違約金増額の要件」の「法規 定の立場」部分を参照されたい。 4 少数説の立場についての検討は、第1章「違約金増額の要件」の「学説の批判」 部分を参照されたい。 論   説 [13] 北法69(1・192)192 遅延違約金の紛争となす債務の不履行を対象とする遅延違約金の紛争に 分かれるため、検討の順番は、違約金紛争の類型に基づいて進めること とする。 (ⅰ)増額肯定例についての検討  増額肯定例を全体的に見ると、増額肯定例が金銭債務の不履行を対象 とする遅延違約金の紛争となす債務の不履行を対象とする遅延違約金の 紛争に分かれるが、裁判例の数について後者が前者よりも圧倒的に多 かったことは明らかにされた。また、なす債務の不履行を対象とする遅 延違約金の紛争の中には、不動産の引渡し義務の不履行を対象とした裁 判例が16件あり、不動産名義の書換義務の不履行を対象とした裁判例が 3件あった。他方、金銭債務の不履行を対象とする遅延違約金の紛争が 2件しかいなかった。以下では、詳しく検討する。 ① なす債務の不履行(不動産の引渡し義務の不履行)を対象とする遅 延違約金の紛争  増額肯定例21件のうち、16件が不動産の引渡し義務の不履行を対象と する遅延違約金の紛争であった。この16件は、いずれもYが目的物の 不動産をXに期間通りに引き渡さなかったため、遅延違約金責任を問 われた裁判例であった。法院による増額の肯定の判決理由を、次のよう に要約することができる。  (A)、16件のうち、14件において法院による判決理由を、次の6つの 事由に要約することができる。  ア、Xの損失を法定遅延貸付利息の損失と認定(増額肯定例1、3、9、 13)  イ、違約金の約定額または約定計算基準がXの損失と比較すると低 い(増額肯定例10、12、14)  ウ、Xの増額請求が法規定に適合している(増額肯定例15、17、21)  エ、違約金の約定額または約定計算基準がXの損失の填補に不足す る(増額肯定例16、20)  オ、Yの違約行為がXに損失をもたらしていた(増額肯定例5)  カ、違約金をXの損失と一致させるべきである(増額肯定例11) 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2) [14]北法69(1・191)191  この14件において上記に列挙された6つの事由の実質を検討すると、 法院がXの損失を認定したうえで、次に違約金との比較を中心の作業 としていると見て取れる。すなわち、法院は、Xの損失が違約金の約定 額と比較すると低額であることを唯一の増額の理由としているのであろ う。換言すれば、法院は、違約金の約定額がXの損失と比較してより 低額でありさえすれば、その増額を認めると解される。この意味におい て上記の16件はいずれも法院が実損害差額主義を徹底した裁判例である と評価できる。  (B)、16件のうち、残る増額肯定例2と6のみは、法院による増額の 肯定の判決理由において法院が実損害差額主義に基づくほか、違約金の 約定に重点を置いたという特徴が見られる裁判例である。  肯定例2の判旨によれば、法院による増額の肯定の判決理由を、「違 約金内容の約定において、Xの契約代金の未払いを対象とする遅延違約 金の約定計算基準が日に未払い代金の0.3‰であると約定されているの に対して、Yの不動産引渡し義務の不履行を対象とする遅延違約金の約 定計算基準が日に支払い済み代金の0.01‰であると約定されている。違 約金の約定によるXとYの権利義務の負担が対等ではないため、法院 が、権利義務の約定に関する均衡の原則に基づき、Xの増額請求が不当 なものではないと判断する」、とされる。  肯定例6の判旨によれば、法院による増額の肯定の判決理由を、「違 約金の約定において、Xの契約代金の未払いを対象とする遅延違約金の 約定計算基準が日に未払い代金の0.5‰であると約定されるのに対して、 Yの不動産引渡し義務の不履行を対象とする遅延違約金の約定計算基 準が日に支払い済み代金の0.05‰であると約定されている。このような 約定の仕方は、明らかに公平を失するため、Xの増額請求は認められる べきである」、とされる。  上記の2件の判決理由に照らせば、法院は、Xが負担する契約代金の 未払いを対象とする遅延違約金責任とYが負担する不動産引渡し義務 の不履行を対象とする遅延違約金責任という約定内容に主眼を置いた上 に、その約定内容が対等的なものではないということを理由に、違約金 の増額を認めたと見て取れる。換言すれば、上記の2件の判決理由にお いて契約締結時、違約金の約定によるXとYの違約金責任の不対等性 論   説 [15] 北法69(1・190)190 が是正される必要があるという旨が含まれると解される。約定による違 約金責任の不対等性の実質を突き詰めると、当事者の交渉力の格差など の事情により違約金の約定による意思決定のプロセスにおいて自律的な 自己決定が行われていないと十分考えられる。換言すれば、このような 不対等の約定は、当事者による、真の意思自治が達成されていない結果 であると看取できる。この意味において、上記の2件の裁判例は、法院 が単に実損害差額主義を根拠とするものではなく、契約締結時、違約金 の約定において真の意思自治が達成されるか否かも考慮されている例で あると評価できる。 ② なす債務の不履行(不動産名義の書換義務の不履行)を対象とする 遅延違約金の紛争  増額肯定例21件のうち、増額肯定例4、18、19は、不動産名義の書換 義務の不履行を対象とする遅延違約金の紛争であった。この3件は、い ずれもYが目的物の不動産に関する書換義務を期間通りにXに果たさ なかったため、遅延違約金責任を問われた裁判例であった。法院による 増額の肯定の判断理由は、次のようなものである。  肯定例4の判旨によれば、法院による増額の肯定の判決理由を、「X は自分の損失の証拠を提出していなかった。法院は、Yの契約違反期間 が2年半にわたり、しかもXが権利を主張する際に、必要な費用を支 出したこともあった。以上のことを考量すれば、Xの増額請求を容認し、 違約金の額を斟酌する」、とされる。  増額肯定例18の判旨によれば、法院による増額の肯定の判決理由を、 「Xが自分の損失に証拠を提出していなかったが、法院は、Yの契約違 反期間が6年あまりにわたり、一定の程度でXによる不動産の正常な使 用、収益に影響を与えたため、Xの損失が客観的に存在することを考慮 することで、Xの増額請求を認める」、とされる。  増額肯定例19の判旨によれば、法院による増額の肯定の判決理由を、 「Yが目的物の不動産に関する書換義務を期間通りにXに果たさなかっ たため、その違約行為は、Ⅹが目的物の不動産の処分権を行使すること に障害をもたらした。それゆえに、Xの損失が権利の行使の支障および 取引のチャンスの喪失として捉えられ得る。Xが損失に証明責任を果た 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2) [16]北法69(1・189)189 せないにもかかわらず、Xがかならず、一定の程度の損失を抱えること に違いない。したがって法院が、Yの違約期間の長さや契約代金の大き さを考慮して、Xの増額請求を認める」、とされる。  上記の3件による増額の肯定の判決理由に照らせば、3点の共通点を 捉えることができる。一つ目は、3件は、いずれもXが自分の損失を 挙証できていないものである。二つ目は、3件は、いずれもYの契約 違反期間が長かったものである。三つ目は、3件は、いずれもYの契 約違反期間が長かったため、Xに何らかの損失をもたらすであろうと認 定されるものである。それゆえに、不動産名義の書換義務の不履行を対 象とする遅延違約金の紛争においてXの損失が正確に確定されない場 合には、法院がYの違約行為がXにもたらすであろう損失(逸失利益) を考慮する傾向が示されている。とはいえ、ここでの逸失利益について の認定の実質は、依然としてXの実損害を認定する目的であると解さ れる。この意味において、上記の3件はいずれも法院が実損害差額主義 を貫徹した裁判例であると評価できる。 ③ 金銭債務を対象とする遅延違約金の紛争  増額肯定例21件のうち、残る増額肯定例7、8が、売買代金の未払い を対象とする遅延違約金の紛争であった。この2件は、いずれもXが売 買代金をYに支払わなかったため、遅延違約金責任を問われた裁判例で あった。法院による増額の肯定の判決理由は、次のようなものである。  肯定例7の判旨によれば、法院が、Yの違約期間が長かったため、違 約金の約定がXの法定貸付遅延利息の損失の填補に不足することを理 由に、Xの増額請求を認めた、という判決理由が示されている。  肯定例8の判旨によれば、法院が、Yの違約期間と未払い代金の大き さを考量し、違約金の約定計算基準が著しく低いことを理由に、Xの増 額請求を認めた、という判決理由が示されている。  上記の2件の判決理由に照らせば、この2件において法院による増額 の肯定の判決理由は、いずれも法院がⅩの損失を法定貸付遅延利息損失 と認定しうえで、次にそれを違約金の約定額と比較してより低額である ためであると解される。この意味において上記の2件はいずれも実損害 差額主義に依拠した裁判例であると評価できる。 論   説 [17] 北法69(1・188)188 (ⅱ)増額否定例についての検討  増額否定例を全体的に見ると、肯定例の紛争類型と同様に金銭債務の 不履行を対象とする遅延違約金の紛争となす債務の不履行を対象とする 遅延違約金の紛争に分かれている。また、裁判例の数についてなす債務 の不履行を対象とする紛争がほとんどのものであり、24件あった。この うち、不動産名義の書換義務の不履行を対象とした裁判例が16件あり、 不動産の引渡し義務の不履行を対象とした裁判例が7件あり、売買目的 物の引渡し義務の不履行を対象とした裁判例が1件あった。他方、金銭 債務の不履行を対象とする紛争が1件しかいなかった。以下では、詳し く検討に入る。なお検討する場合に、増額肯定例についての検討では言 及した違約金紛争の類型に関する説明は、本部分では繰り返さないこと とする。 ① なす債務の不履行(不動産名義の書換義務の不履行)を対象とする 遅延違約金の紛争  増額否定例の25件のうち、最も多かった紛争の類型は、不動産名義の 書換義務の不履行を対象とする遅延違約金の紛争であり、16件の裁判例 があった。この16件において法院による増額の否定の判決理由を、次の ように要約することができる。  (A)、16件のうち、12件において法院による判決理由を、次の3つの 事由に要約することができる。  ア、Xが自分の損失を挙証できていない(増額否定例2、4、6、7、 10、12、14、17、18、22)  イ、Yの違約行為はXに損失をもたらしていない(増額否定例11)  ウ、Xが自分の増額請求の事実に根拠を提供しなかった(増額否定例 21)  この12件において上記に列挙された3つの事由に照らせば、ある共通 点を捉えることができる。すなわちXが自分の損失を挙証しなかった ことは、Ⅹの増額請求が認められなかった唯一の理由であると思われる。 換言すれば、Xの損失が客観的に確定されにくい本類型の違約金紛争に おいて、Xが自分の損失を挙証しない限り、自分の増額請求は認められ ないであろう。それゆえに、上記の12件において、法院が依然としてX 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2) [18]北法69(1・187)187 の損失を認定することを目的とし、Xが自分の損失に証拠を提出するこ とができない以上、法院がそれを違約金の約定額と比較する前提がなく なるため、当然にXの増額請求を認めないということになると解され る。この意味において、上記の12件はいずれも実損害差額主義を徹底し た裁判例であると評価できる。  (B)、16件のうち、増額否定例1、5、8、15は、いずれも法院が実 損害差額主義と異なる理由で、違約金の増額を否定している裁判例であ る。法院による増額の否定の判決理由を、次の2つの事由に要約するこ とができる。  ア、違約金の約定に従わなければならない。(減額否定例1、5)  イ、違約金の約定が明確であり、法律の規定に違反していない(減額 否定例8、15)  この4件において上記に列挙された2つの事由に照らせば、法院は、 増額の否定の理由を、Xが損失を挙証したか否かということに根拠とせ ず、それと代わりに、違約金の約定による当事者の意思を尊重すべきこ とを根拠としていると思われる。換言すれば、上記の4件において法院 が債権者の実損害を考慮せずにもっぱら当事者の意思に主眼を置いて あった。このような考慮からみると、もし違約金の約定による当事者の 意思決定のプロセスにおいて意思表示の瑕疵がなければ、法院が当事者 の意思自治を尊重すべきであるという旨が含まれると解される。この意 味において上記4件は、いずれも法規定による実損害差額主義の立場と 離れて、法院が当事者の意思自治を尊重した裁判例であると評価できる。 ② なす債務の不履行(不動産の引渡し義務の不履行)を対象とする遅 延違約金の紛争  増額否定例の21件のうち、不動産の引渡し義務の不履行を対象とする 遅延違約金の紛争が7件あった。この7件こおいて法院による増額の否 定の判決理由を、次の2つの事由に要約することができる。  ア、Xが自分の損失を挙証できていない(増額否定例3、16、20、 23、25)  イ、Xは、違約金の約定額が自分の損失と比較して低いことを挙証で きていない(増額否定例13、19) 論   説 [19] 北法69(1・186)186  この7件において上記に列挙された2つ事由に照らせば、法院は、X が自分の損失を挙証できていないため、Xの実損害を違約金の約定額と 比較することができないことを理由に、Xの増額請求を棄却したと解さ れる。この意味において上記の7件は、いずれも法院が実損害差額主義 を依拠した裁判例であると評価できる。 ③ なす債務の不履行(売買目的物の引渡し義務の不履行)を対象とす る違約金の紛争  増額否定例の25件のうち、売買目的物の引渡し義務の不履行による遅 延違約金をめぐる紛争が1件あった。否定例9は、Yが売買目的物を期 間通りにXに引き渡さなかったため、遅延違約金責任を問われた裁判 例である。法院による増額の否定の判断理由は、次のようなものである。  法院は、「Xが提供した証拠の一部に鑑みると、Yの違約行為がXに 大きな損失をもたらした。とはいえ、違約金の約定計算基準に基づき、 算出された違約金が基本的にXの損失を填補することができるため、 法院が違約金の約定に従い、違約金を決めるべきである。」ということ を理由に、違約金の増額請求を棄却した。  上記の法院による判決理由に照らせば、法院は、依然としてXの損 失を認定した上で、次いでそれを違約金の約定額と比較してほぼ同額で あることを理由に、違約金の増額請求を否定したと解される。本件は、 法院が実損害差額主義を依拠した裁判例であると評価できる。 ④ 金銭債務を対象とする遅延違約金の紛争  増額否定例のうち、残る1件の否定例24は、売買代金の未払いを対象 とする遅延違約金をめぐる紛争であった。法院による増額の否定の判断 理由は、次のようなものである。  法院は、「違約金の約定が明確であり、かつXが、違約金が自分の損 失の填補に不足することに挙証できていないため、違約金の約定に基づ いて、違約金の額を決めるべきである」ということを理由に、Xの増額 請求を棄却した。  上記の法院による判決理由に照らせば、法院は、Xによる損失の挙証 不能を理由とするのみならず、違約金の約定が明確であるとことを重視 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2) [20]北法69(1・185)185 している。すなわち、本件の判決理由においてXの損失の認定という 考慮のほか、違約金の約定を尊重すべきという旨も含まれると解される であろう。もっとも法院の判決理由に鑑みると、違約金の約定を尊重す べきという考慮は増額の否定の判断にどのぐらい寄与しているのかにつ いてはっきりとは示されていないが、少なくとも本件は、完全に法院が 実損害差額主義を徹底した裁判例であるとは評価できず、むしろ法院が 実損害差額主義と、当事者の意思自治の尊重を合わせて考慮した一例で あると推測される。 (ⅲ)総括  以上では、増額肯定例、増額否定例においてそれぞれの判決理由を詳 しく検討してきた。これらの検討に照らせば、裁判実務には違約金増額 の運用において法院が違約金の増額の可否を判断する場合には、いかな る傾向があるのかについて、次の2点をまとめることができる。  第1に、増額肯定例21件と増額否定例25件においてそれぞれ19件と20 件の裁判例は、法院が違約金を増額するか否かを判断する場合に、単に Xの損失があるか否か、いくらあるのかを認定し、それを違約金の違約 額と比較して低額であるか否かを理由に違約金の増額の可否を判断して いるものである。したがって、裁判実務において法院が基本的に法規定 による実損害差額主義を徹底したことが明らかにされた。  第2に、増額肯定例21件のうち、2件の裁判例のみは、法院が実損害 差額主義に依拠したほか、契約締結時、違約金の約定において真の意思 自治が達成されるか否かも考慮したものである。他方、増額否定例25件 のうち、4件の裁判例のみは、法院が違約金の約定による当事者の意思 自治を尊重したものであり、1件の裁判例のみは、法院が実損害差額主 義に依拠した同時に、違約金の約定による当事者の意思自治を考量した ものである。  以上のまとめに照らせば、裁判実務において法院は、基本的に法規定 による実損害差額主義の立場を徹底していることは、明らかにされた。 実損害差額主義の立場と離れて、少数説で主張したように、当事者の意 思自治を尊重する旨を貫いた裁判例も見られたが、ごく例外の裁判例で あるとしか評価できない。 論   説 [21] 北法69(1・184)184  以下では、裁判実務において違約金の増額の可否の判決理由について の検証の結果は、次の【図】12と【図】135で示しておく。 (2)違約金増額の運用の特徴  以上では、裁判実務において法院が違約金の増額の可否を判断する場 合には、増額の肯定と否定の判決理由について、裁判例群についての数 量分析によってその運用の傾向を明らかにした。それに基づいて、中国 5 【図】12、【図】13は、附表1(違約金の増額が認められた裁判例リスト)と附 表2(違約金の増額が認められなかった裁判例リスト)に基づいて違約金の増 額の可否の判決理由において本稿による詳細な検討を加えうえでその結果をま とめたものである。 90.5% 9.5% 実損害差額主義 19件 実損害差額主義+意思決定の瑕疵有無 2件 80.0% 16.0% 4.0% 実損害差額主義 20件 約定(意思自治)の尊重 4件 実損害差額主義+約定(意思自治)の尊重 1件 図12 増額の肯定の判決理由 図13 増額の否定の判決理由 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2) [22]北法69(1・183)183 法における違約金増額は、どのような特徴があるのかを析出してみたい。 (ⅰ)責任制限機能の弱体化  違約金の実益は、当事者があらかじめ契約違反の効果について損害賠 償を予定したことによって、違約金が債権者の実損害よりも低額である 場合には、違約金に責任制限機能を働かせるためである。  とはいえ、裁判実務による法院の判決理由についての検証に照らせば、 90.5%の増額肯定例(【図】12参照)と80%の増額否定例(【図】13参照)は、 実損害差額主義を徹底したものである。換言すれば、法院は、違約金の 増額の可否を判断する場合に、基本的に違約金による債権者の実損害の 填補という機能を働かせるため、違約金による責任制限の機能(実益) はほとんど意味が失われていると解される。この意味において、裁判実 務における違約金増額の運用は、違約金の実益を弱体化するという特徴 があると看取できる。 (ⅱ)意思自治の理念の否定  違約金の約定に従うことは、当事者の意思を尊重する意思自治の理念 である。それゆえに、法院が違約金の約定による意思決定プロセスにお いて意思表示の瑕疵がなければ、当事者の約定を尊重すべきである。さ もなくば、法院が当事者が予定していなかった額までの増額を認めるこ とは、当事者の意思自治に深刻な干渉となってしまう。  とはいえ、裁判実務による法院の判決理由についての検証に照らせば、 わずか9.5%の増額肯定例(【図】12参照)と20%の増額否定例(【図】13参 照)は、違約金の約定による当事者の意思自治を尊重する立場を示して いるものである。それに対して、90.5%の増額肯定例(【図】12参照)と 80%の増額否定例(【図】13参照)は、法院が実損害差額主義を徹底した ものであり、すなわち裁判実務において法院は、基本的に違約金と実損 害の均衡が図られていないことのみを理由に、違約金の増額を認めてい る、ということが明らかにされた。この意味において、裁判実務が法院 による違約金の増額に寛容な立場を示すことによって、意思自治の理念 が中国契約法においてまったく配慮されていないという特徴が浮き彫り になると看取できる。 論   説 [23] 北法69(1・182)182 附表1 違約金の増額が認められた裁判例リスト (北大法意 判決年月日2014年度) 番 号 判決号、 判決年月日 契約紛 争類型 当事者 の属性 違約金紛 争の類型 違約金の約定 (約定額または 約定計算基準) 債権者の 請求内容 法院による 増額の肯定 の判決理由 法院による増額の 計算要件と結果 1 (2013)屯 民一初字第 01350号 2014.1.8 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産の 引渡しの 不履行に よる遅延 違約金 支払い済み売 買代金の0.1‰ X 申請 日に支払い済 み売買代金の 0.1‰を基準 に、実際の遅 延日数に基づ き、違約金を 確定するよう 請求する。 Xの損失を法 定遅延貸付利 息の損失と認 定 違約金の額を改定 → 中国人民銀行の同 期・同類の貸付利率 を基準に、実際の遅 延日数に基づき、違 約金の額を計算する。 2 (2013)黄 民 初 字 第 8783号 2014.1.20 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産の 引渡しの 不履行に よる遅延 違約金 日に支払い済 み売買代金の 0.01‰ X 申請 中国人民銀行 の同期 ・同類 の貸付利率を 基準に、実際 の遅延日数に 基づき、違約 金3.1万元を請 求する。 XとYの遅延 違約金責任の 不対等(Xの 売買代金の未 払いによる遅 延違約金の基 準が、日に支 払い済み売買 代金の0.3‰と なっていた) Xの請求を容認 3 (2014)嘉 秀民初字第 32号 2014.1.20 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産の 引渡しの 不履行に よる遅延 違約金 支払い済み売 買代金の1% X 申請 中国人民銀行 の同期・同類 の貸付利率を 基準に、実際 の遅延日数に 基づき、違約 金の額を確定 するよう請求 する。 Xの損失を法 定遅延貸付利 息の損失と認 定 Xの請求を容認 4 (2014)蘇 中民終字第 3262号 2014.2.27 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産名 義書換義 務の不履 行による 遅延違約 金 137元 (支払い済み 売買代金の 0.05%) X 申請 中国人民銀行 の同期・同類 の貸付利率を 基準に、実際 の遅延日数に 基づき、違約 金の額を確定 するよう請求 する。 Xが損失を挙 証不能だが、 違約期間の長 さを考える と、Xが権利 を主張する関 連費用の必然 性 違約金の額を改定 → Yの違約期間 Xの費用支出の必然 性 4000元 5 (2014)鳥 中民四終字 第173号 2014.3.5 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産の 引渡しの 不履行に よる遅延 違約金 支払い済み売 買代金の0.1‰ X 申請 中国人民銀行 の同期・同類 の貸付利率を 基準に、実際 の遅延日数に 基づき、違約 金3.5万元を請 求する。 Yの違約行為 は、Xの収益 損失をもたら した Xの請求を容認 6 (2014)塩 民 終 字 第 0602号 2014.3.26 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産の 引渡しの 不履行に よる遅延 違約金 日に支払い済 み売買代金の 0.02‰ X 申請 中国人民銀行 の同期・同類 の貸付利率を 基準に、実際 の遅延日数に 基づき、違約 金の額を確定 するよう請求 する XとYの遅延 違約金責任の 不対等(Xの 売買代金の未 払いによる遅 延違約金の基 準が、日に支 払い済み売買 代金の0.5‰と なっていた) Xの請求を容認 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2) [24]北法69(1・181)181 7 (2014)衡 民二終字第 135号 2014.4.4 売買 X企業 Y企業 売買代金 の未払い による遅 延違約金 中国人民銀行 の同期 ・同類 の貸付利率を 基準にする が、最高額が 未払い売買代 金の3‰まで とする。 X 申請 中国人民銀行 の同期 ・同類 の貸付利率を 基準に、遅延 日数に基づ き、 違 約 金 9万元を請求 する。 Y違約期間の 長さを考える と、違約金の 約定がXの利 息損失を填補 することに足 りない。 Xの請求を容認 8 (2014)二 中民終字第 04263号 2014.4.10 売買 X個人 Y企業 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に未払い売 買代金の0.2‰ を基準にする が、最高額が 未払い売買代 金の3%まで とする。 X 申請 自分の損失に 基づき、違約 金20万元を請 求する。 Yの未払い売 買代金 Yの違約期間 違約金の額を改定 → 中国人民銀行の同 期・同類の貸付利率 を基準に、実際の遅 延日数に基づき、違 約金の額を計算する。 9 (2014)錫 民 終 字 第 0385号 2014.4.10 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産の 引渡しの 不履行に よる遅延 違約金 支払い済み売 買代金の1% X 申請 中国人民銀行 の同期・同類 の貸付利率を 基準に、遅延 日数に基づ き、違約金の 額を確定する よう請求する。 Xの損失を法 定遅延貸付利 息の損失と認 定 Xの請求を容認 10 (2014)盱 民 初 字 第 0326号 2014.4.16 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産の 引渡しの 不履行に よる遅延 違約金 日に売買代金 の0.05‰ X 申請 自分の損失に 基づき、4.32 万元の違約金 を請求する。 Xが損失を挙 証不能だが、 違約金の約定 が確かに著し く低い 違約金の額を改定 → 契約の約定、当事者 の故意・過失の度合 い、実際的損失など 日に売買代金の0.05 ‰を基準に、実際の 遅延日数に基づき、 違約金2.83万元を確 定する。 11 (2014)蓮 民 初 字 第 00739号 2014.4.21 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産の 引渡しの 不履行に よる遅延 違約金 日に支払い済 み売買代金の 0.1‰、90日を 遅延すると、 支払い済み売 買代金の0.2% X 申請 中国人民銀行 の同期・同類 の貸付利率を 基準に、遅延 日数に基づ き、違約金の 額を確定する よう請求する。 違約金の額が Xの損失と一 致させなけれ ばならない。 Xの請求を容認 12 (2014)防 市民一終字 第74号 2014.4.28 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産の 引渡しの 不履行に よる遅延 違約金 日に支払い済 み売買代金の 0.5‰、90日を 遅延すると、 支払い済み売 買代金の0.5% X 申請 中国人民銀行 の同期 ・同類 の貸付利率を 基準に、遅延 日数に基づ き、違約金の 額を確定する よう請求する。 約定された違 約金が確かに 損失により低 い Xの請求を容認 13 (2014)連 民 終 字 第 0100号 2014.5.8 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産の 引渡しの 不履行に よる遅延 違約金 日に支払い済 み売買代金の 0.1‰ X 申請 中国人民銀行 の同期・同類 の貸付利率を 基準に、遅延 日数に基づ き、違約金の 額を確定する よう請求する。 Xの損失を法 定遅延貸付利 息の損失と認 定 Xの請求を容認 論   説 [25] 北法69(1・180)180 14 (2014)紹 柯民初字第 1280号 2014.5.15 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産の 引渡しの 不履行に よる遅延 違約金 60日を遅延す ると、支払い 済み売買代金 の5% X 申請 中国人民銀行 の同期・同類 の貸付利率を 基準に、遅延 日数に基づ き、違約金の 額を確定する よう請求する。 約定された違 約金がXの損 失よりも著し く低い Xの請求を容認 15 (2014)鞍 民一終字第 00252号 2014.5.19 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産の 引渡しの 不履行に よる遅延 違約金 60日を遅延す ると、支払い 済み売買代金 の0.1% X 申請 中国人民銀行 の同期・同類 の貸付利率を 基準に、遅延 日数に基づ き、違約金の 額を確定する よう請求する。 Xの請求が法 律に適合して いる Xの請求を容認 16 (2014)濱 民二初字第 60号 2014.7.11 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産の 引渡しの 不履行に よる遅延 違約金 180日を遅延す ると、支払い 済み売買代金 の1% X 申請 日に支払い済 み売買代金の 0.21‰を基準 に、実際の遅 延日数に基づ き、4.99万 元 を請求する。 Yの違約期間 の長さ 違約金の約定 がXの損失を 填補できない 違約金の額を改定 → 中国人民銀行の同 期・同類の貸付利率 を基準に、実際の遅 延日数に基づき、違 約金の額を計算する。 17 (2014)穗 南法民三初 字第960号 2014.8.18 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産の 引渡しの 不履行に よる遅延 違約金 30日を遅延す ると、日に売 買代金の0.3‰ を基準にする が、最高額が 未払い売買代 金の5%まで とする。 X 申請 中国人民銀行 の同期・同類 の貸付利率を 基準に、遅延 日数に基づ き、 違 約 金 8万元を請求 する。 Xの請求が法 律に適合して いる 違約金の額を改定 → 中国人民銀行の同 期・同類の貸付利率 を基準に、実際の遅 延日数に基づき、違 約金の額を計算する が、最高額が売買代 金の額までとし、す なわち7.5万元とす る。 18 (2014)青 民一初字第 1713号 2014.8.20 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産名 義書換義 務の不履 行による 遅延違約 金 674.88元 (支払い済み 売買代金の 0.1%) X 申請 中国人民銀行 の同期・同類 の貸付利率を 基準に、遅延 日数に基づ き、 違 約 金 8万元を請求 する。 Y違約期間の 長さ(6年) 損失が客観的 に存在する可 能性 Xの請求を容認 19 (2014)浙 紹民終字第 1009号 2014.10.8 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産名 義書換義 務の不履 行による 遅延違約 金 238元 (支払い済み 売買代金の 0.01%) X 申請 日に支払い済 み売買代金の 0.5%を基準 に、遅延日数 に基づき、違 約金を請求す る。 Y違約期間の 長さ 売買代金の高 さ 違約金の額を改定 → 綜合考慮 1.2万元 20 (2014)穗 中法民五終 字3794号 2014.10.30 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産の 引渡しの 不履行に よる遅延 違約金 日に売買代金 の0.05%を基 準にするが、 最高額が売買 代金の1%ま でとする。 X 申請 中国人民銀行 の同期・同類 の貸付利率を 基準に、遅延 日数に基づ き、違約金を 確定するよう 請求する。 Yの違約期間 の長さ Xの請求を容認 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2) [26]北法69(1・179)179 21 (2014)杭 経開民初字 第1270号 2014.11.17 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産の 引渡しの 不履行に よる遅延 違約金 2.52万元 (60日を遅延 すると、支払 い済み売買代 金の10%) X 申請 中国人民銀行 の同期・同類 の貸付利率を 基準に、遅延 日数に基づき、 違約金7.83万 元を請求する。 Xの請求が法 律に適合して いる Xの請求を容認 附表2 違約金の増額が認められなかった裁判例リスト (北大法意 判決年月日2014年度) 番 号 判決号、 判決年月日 契約紛 争類型 当事者 の属性 違約金紛争 の類型 違約金の約定 (約定額または 約定計算基準) 債権者の請求内容 法院による増額の否定の判決理由 1 (2013)天民 初字第2696号 2014.1.7 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産名義書 換義務の不履 行による遅延 違約金 4700元 (支払い済み売 買代金の1%) X 申請 中国人民銀行の同 期・同類の貸付利率 を基準に、実際の遅 延日数に基づき、違 約金3.5万元を請求 する。 契約の約定に従うべ き 2 (2013)防市 民一終字第 264号 2014.1.15 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産名義書 換義務の不履 行による遅延 違約金 75元 (支払い済み売 買代金の0.3‰) X 申請 日に支払い済み売買 代金の0.3‰を基準 に、実際の遅延日数 に基づき、違約金9.1 万元を請求する。 Xが損失を挙証不能 3 (2013)承民 終字第1786号 2014.1.20 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産の引渡 しの不履行に よる遅延違約 金 日に支払い済み 売 買 代 金 の 0.05‰ X 申請 日に本不動産と同地 域・同類不動産の賃 貸料を基準に、実際 の遅延日数に基づ き、違約金の額を確 定するよう請求する。 Xが損失を挙証不能 4 (2014)潼法 民 初 字 第 00272号 2014.2.17 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産名義書 換義務の不履 行による遅延 違約金 日に支払い済み 売 買 代 金 の 0.01‰ X 申請 中国人民銀行の同 期・同類の貸付利率 を基準に、実際の遅 延日数に基づき、違 約金の額を確定する よう請求する。 Xは、違約金の約定 が自分の損失により 低いことに挙証不能 5 (2014)雲民 一初字第49号 2014.2.26 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産名義書 換義務の不履 行による遅延 違約金 3万元 (支払い済み売 買代金の1%) X 申請 日に支払い済み売買 代金の0.3‰を基準 に、実際の遅延日数 に基づき、違約金25 万元を請求する。 契約の約定に従うべ き 6 (2014)香民 初字第112号 2014.3.8 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産名義書 換義務の不履 行による遅延 違約金 302元 (売買代金の 0.1%) X 申請 売買代金の2%を基 準に、違約金1.5万 元を請求する。 Xが損失を挙証不能 7 (2014)防市 民一終字第37 号 2014.3.10 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産名義書 換義務の不履 行による遅延 違約金 139元 (売買代金の 0.5‰) X 申請 日に支払い済み売買 代金の0.5‰を基準 に、実際の遅延日数 に基づき、違約金の 額を確定するよう請 求する。 Xが損失を挙証不能 論   説 [27] 北法69(1・178)178 8 (2013)益赫 民一初字第 1513号 2014.3.12 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産名義書 換義務の不履 行による遅延 違約金 297.5元 (支払い済み売 買代金の0.1%) X 申請 中国人民銀行の同 期・同類の貸付利率 を基準に、実際の遅 延日数に基づき、違 約金3.9万元を確定 するよう請求する。 契約の約定が明らか であり、法律の規定 に違反していない 9 (2013)青羊 民初字第4962 号 2014.3.21 売買 X売買 Y企業 売買目的物の 引渡しの不履 行による遅延 違約金 日に売買代金の 0.5% X 申請 自分の実際の損失よ り、違約金85.27万 元を請求する。 Xが損失に部分的に 挙証違約金の約定が 基本的にXの損失を 填補できる。 10 (2014)沈和 民二初字第 00040号 2014.3.31 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産名義書 換義務の不履 行による遅延 違約金 971元 (日に支払い済 み売買代金の 0.02‰) X 申請 中国人民銀行の同 期・同類の貸付利率 を基準に、実際の遅 延日数に基づき、違 約金9818元を請求す る。 Xが損失を挙証不能 11 (2014)沈中 民二終字第 459号 2014.4.15 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産名義書 換義務の不履 行による遅延 違約金 1.95万元 (日に支払い済 み売買代金の 0.1‰) X 申請 5万元の違約金を請 求する。 Yの違約により、X に損失をもたらして いない。 12 (2012)歴商 初字第1767号 2014.5.13 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産名義書 換義務の不履 行による遅延 違約金 1.37万元 (支払い済み売 買代金の1.5%) X 申請 中国人民銀行の同 期・同類の貸付利率 を基準に、実際の遅 延日数に基づき、違 約金14.98万元を確 定するよう請求する。 Xが損失を挙証不能 13 (2014)穗中 法民五終字第 1549号 2014.5.29 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産の引渡 しの不履行に よる遅延違約 金 日に未払い売買 代金の0.1‰を 基準にするが、 未払い売買代金 の5%までとす る。 X 申請 日に未払い売買代金 の0.1‰を基準に、 実際の遅延日数に基 づき、未払い売買代 金の額までに違約金 を確定するよう請求 する。 Xが損失を挙証不能 14 (2014)防市 民一終字第 178号 2014.6.12 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産名義書 換義務の不履 行による遅延 違約金 76.7元 (支払い済み売 買代金の0.3‰) X 申請 日に支払い済み売買 代金の0.3‰を基準 に、実際の遅延日数 に基づき、違約金を 確定するよう請求す る。 契約の約定が明らか でありXが損失を挙 証不能 15 (2014)海民 初字第1475号 2014.6.20 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産名義書 換義務の不履 行による遅延 違約金 174.42元 (支払い済み売 買代金の0.1%) X 申請 日に支払い済み売買 代金の0.3‰を基準 に、実際の遅延日数 に基づき、違約金 10.9万元を請求する。 契約の約定が明らか であり、法律の規定 に違反していない 16 (2014)西民 初字第1148号 2014.7.10 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産の引渡 しの不履行に よる遅延違約 金 日に売買代金の 0.01‰ X 申請 日に売買代金の0.1‰ を基準に、実際の遅 延日数に基づき、違 約金8.17万元を請求 する。 Xが損失を挙証不能 17 (2014)蓮民 初字第01203 号 2014.7.16 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産名義書 換義務の不履 行による遅延 違約金 4690元 (支払い済み売 買代金の1%) X 申請 支払い済み売買代金 の2.5%を基準に、 違約金1.17万元を請 求する。 Xが損失を挙証不能 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2) [28]北法69(1・177)177 第2節 違約金減額の運用実態に間する数量分析  本節は、違約金減額の運用実態に関する数量分析を行う。違約金増額 の運用に関する裁判例リストと同様に、違約金減額の運用に関する裁判 例リストを作成する場合に、各裁判例における留意点を示しておく。た だし、違約金増額の運用において債権者の請求内容という留意点と異な 18 (2014)博商 初字第446号 2014.7.23 不動産 売買 X個人 Y個人 不動産名義書 換義務の不履 行による違約 金 3万元 X 申請 違約金6万元を請求 する。 Xが損失を挙証不能 19 (2014)文民 初字第1403号 2014.8.19 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産の引渡 しの不履行に よる遅延違約 金 日に支払い済み 売買代金の0.1‰ X 申請 中国人民銀行の同期 ・同類の貸付利率を 基準に、実際の遅延 日数に基づき、違約 金3.8万元を請求す る。 Xは、違約金の約定 が自分の損失により 低いことに挙証不能 20 (2014)東二 法沙民一初字 第257号 2014.8.27 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産の引渡 しの不履行に よる遅延違約 金 日に支払い済み 売買代金の0.2‰ X 申請 中国人民銀行の同 期・同類の貸付利率 を基準に、遅延日数 に基づき、違約金の 額を確定するよう請 求する。 Xが損失を挙証不能 21 (2014)大東 民小字第2880 号 2014.9.10 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産名義書 換義務の不履 行による違約 金 770元 (支払い済み売 買代金の0.1%) X 申請 支払い済み売買代金 の1%を基準に、違 約金7703元を請求す る。 事実に根拠なし 22 (2014)解民 二初字第212 号 2014.10.10 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産名義書 換義務の不履 行による違約 金 1770.1元 (支払い済み売 買代金の1%) X 申請 中国人民銀行の同 期・同類の貸付利率 を基準に、遅延日数 に基づき、違約金4.5 万元を請求する。 Xが損失を挙証不能 23 (2014)烟民 一終字第850 号 2014.10.22 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産の引渡 しの不履行に よる遅延違約 金 日に支払い済み 売買代金の0.1‰ X 申請 中国人民銀行の同 期・同類の貸付利率 を基準に、遅延日数 に基づき、違約金 1.36万元を請求する。 Xが自分の主張に証 拠なし 24 (2014)卾鍾 祥民二初字第 00187号 2014.11.3 不動産 売買 X企業 Y企業 売買代金の未 払いによる遅 延違約金 日に未払い売買 代金の0.03‰を 基準にするが、 最高額が未払い 売買代金の1% までとする。 X 申請 中国人民銀行の同 期・同類の貸付利率 を基準に、遅延日数 に基づき、違約金の 額を確定するよう請 求する。 契約の約定が明確 Xは、約定された違 約金が著しく低いこ とに挙証不能 25 (2014)二中 速民終字第 2035号 2014.11.28 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産の引渡 しの不履行に よる遅延違約 金 中国人民銀行の 同期・同類の貸 付利率を基準に するが、最高額 が売買代金の 2%までとする。 X 申請 中国人民銀行の同 期・同類の貸付利率 を基準に、遅延日数 に基づき、違約金の 額を確定するよう請 求する。 Xが損失を挙証不能 論   説 [29] 北法69(1・176)176 り、違約金減額の運用において違約金減額の訴訟は如何にして開始され たのかという訴訟上の要件に注目する6。  上記の要件に基づき、本節は、違約金の減額が認められた裁判例リス ト(北大法意 判決年月日2014年度)と違約金の減額が認められなかっ た裁判例リスト(北大法意 判決年月日2014年度)を作成し、それぞれ 附表3と附表4としてその内容を示しておく。また裁判例が多いため、 本節は、附表3と附表4を本文で付けずに参考資料にて本節の最後に添 付する。それを踏まえて、以下では、法院による違約金の減額が認めら れた裁判例(2014年度、附表3)と法院による違約金の減額が認められ なかった裁判例(2014年度、附表4)について検討を行うこととする。 1 全体図の概要  2014年の一年間に判決が下された違約金の減額が認められた裁判例 (以下では、違約金の減額が認められた裁判例を、減額肯定例と称する) は127件あり、認められなかった裁判例(以下では、違約金の減額が認 められなかった裁判例を、減額否定例と称する)は22件しかなかった。 裁判例の数を見ると、減額肯定例が減額否定例に比較して圧倒的に多 かったのである。以下では、まず裁判例の概要をまとめる。  第1に、違約金紛争の類型という要件から減額肯定例を見ると、遅延 違約金、普通違約金、解約違約金を対象とする3つの類型の紛争に分か れる。  遅延違約金を対象とする紛争のうち、金銭債務の不履行(契約代金の 未払い)となす債務の不履行(契約義務の不履行)に分かれる。金銭債 務の不履行を対象とする紛争は、借金11件、賃貸借11件、売買45件、サー 6 違約金減額の適用に関する訴訟要件について、第1章による法規定で検討し たように、違約金減額の適用は、原則的に債務者の申請によるが、法院の釈明 による場合も規定されている。また法規定は明確に規定していないが、裁判実 務において法院の職権による裁判例もあるか否かも一つの注目点である。もっ とも、これらの一連の問題は、違約金減額の運用における訴訟上の論点である ため、本稿の問題関心から離れるものである。それゆえに、本稿は、裁判実務 の検討において違約金減額の適用に関するの訴訟要件を、全体図のまとめにす る。それについての詳細な検討は、別稿で考察する予定である。 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2) [30]北法69(1・175)175 ビス7件、請負10件、特許1件、人身損害賠償1件、株式譲渡1件とい う構成である。それに対して、なす債務の不履行を対象とする紛争は、 不動産の引渡し5件、契約目的物の引渡し2件、請負2件、不動産名義 書換5件、サービス1件という構成である。  普通違約金を対象とする紛争のうち、金銭債務の不履行(契約代金の 未払い)となす債務の不履行(契約義務の不履行)に分かれる。金銭債 務の不履行を対象とする紛争は、賃貸借1件、株式譲渡1件、請負1件 という構成である。それに対して、なす債務の不履行を対象とする紛争 は、競業避止2件、株式譲渡手続き1件、著作権許可使用1件、売買1 件、賃貸借1件、不動産の引渡し1件という構成である。  解約違約金を対象とする紛争のうち、金銭債務の不履行(契約代金の 未払い)、なす債務の不履行(契約義務の不履行)に分かれる。金銭債務 の不履行を対象とする紛争は、賃貸借2件、売買3件という構成である。 それに対して、なす債務の不履行を対象とする紛争は、不動産の引渡し 4件、賃貸借4件、請負1件、委託1件という構成である。  他方、減額否定例の場合において、違約金紛争の類型も遅延違約金、 普通違約金、解約違約金を対象とする3つの類型の紛争に分かれる。  遅延違約金を対象とする紛争のうち、金銭債務の不履行(契約代金の 未払い)となす債務の不履行(契約義務の不履行)に分かれる。金銭債 務の不履行を対象とする紛争は、売買6件、賃貸借2件という構成であ る。それに対して、なす債務の不履行を対象とする紛争は、売買目的物 の引渡し1件、不動産名義書換1件、不動産の引渡し3件という構成で ある。  普通違約金を対象とする紛争のうち、金銭債務の不履行(契約代金の 未払い)となす債務の不履行(契約義務の不履行)に分かれる。金銭債 務の不履行を対象とする紛争は、労災賠償1件、売買1件という構成で ある。それに対して、なす債務の不履行を対象とする紛争は、賃貸借1 件、不動産の引渡し1件、転貸禁止1件、運送1件、株式譲渡手続き1 件という構成である。  解約違約金を対象とする紛争のうち、2件は、いずれもなす債務の不 履行(契約義務の不履行)を対象とする紛争である。その内容は、1件 が売買目的物の引渡し、1件が賃貸借という構成である。 論   説 [31] 北法69(1・174)174  第2に、当事者の属性という要件から減額肯定例を見ると、X(企業) とY(企業)の間の紛争が50件、X(個人)とY(個人)の間の紛争が21 件ある。それに対して、X(企業)・Y(個人)の間の紛争が27件、X(個人) とY(企業)の間の紛争が29件ある。他方、減額否定例の場合において、 X(企業)とY(企業)の間の紛争が9件、X(個人)とY(個人)の間の 紛争が3件ある。それに対して、X(企業)とY(個人)の間の紛争が4件、 X(個人)とY(企業)の間の紛争が6件ある。  第3に、違約金の定め方から、減額肯定例を見ると、最も多かったの は、当事者が純粋に違約金の計算方法(日に一定額か日に契約代金の 何%)を約定するパターンであり、96件がある。次は、当事者が純粋に 一定額の違約金(具体額か契約代金の何%)を約定するパターンであり、 29件がある。上記の2つのパターンの他には、当事者が違約金の計算方 法を約束するが、一定の条件のもと一定額の違約金に転換させるパター ンが1件ある。当事者が違約金の計算方法と一定額の違約金をあわせて 約束するパターンが1件ある。  他方、減額否定例の場合において、当事者が純粋に一定額の違約金(具 体額と契約代金の何%)を約定するパターンが13件ある。当事者が純粋 違約金の計算方法(日に一定額か日に契約代金の何%)を約定するパター ンが9件ある。  第4に、訴訟上の要件から減額肯定例を見ると、次の4パターンを要 約することができる。  ①、Yが違約金の減額を請求するパターン。このパターンの裁判例が 最も多くて114件ある。  ②、Yが欠席する場合に、法院の職権による減額のパターン。このパ ターンの裁判例が5件ある。  ③、法院は、Yによる契約違反否認という答弁を、違約金が著しく高 く減額を請求するという抗弁とみなした上で、違約金を減額するパター ン。このパターンの裁判例が4件ある。  ④、法院が違約金の減額を請求するか否かをYに釈明した場合に、Y は違約金の減額を請求するパターン。このパターンの裁判例が4件ある。  他方、減額否定例の場合において、22件の裁判例は、いずれもYが 違約金の減額を申請するものである。 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2) [32]北法69(1・173)173  第5に、法院による減額の判決理由から減額肯定例を見ると、次の10 の事由にまとめられる。①違約金の約定額または約定計算基準が著しく 高いこと(60件)、②Xが損失を挙証できていないこと(50件)、③Xの 損失が法定遅延貸付利息損失と認定されること(25件)、④Xの損失が 不動産賃貸料の損失と認定されること(3件)、⑤違約金の約定額がX の損失とほぼ同額されるべきであること(3件)、⑥Yによる債務の一 部履行(3件)、⑦Yの故意・過失の度合い(2件)、⑧Xが契約の履行 に過失を寄与すること(2件)、⑨Yの違約行為が重大な契約違反では ない(1件)、⑩Yの違約行為が故意契約違反ではない(2件)。  他方、法院による減額の判断理由から減額否定例を見ると、次の9つ の事由にまとめられる。①違約金の約定額または約定計算基準が著しく 高くないこと(3件)、②違約金の約定額が法定遅延貸付利息と比較し て著しく高くないこと(6件)、③違約金の約定額が不動産賃貸料相場 に基づき算出された損失と比較して著しく高くないこと(1件)、④Y がXの損失を挙証できていないこと(5件)⑤Xの損失が生じる可能性 (3件)、⑥Yが故意(悪意)違約(5件)⑦Yの違約行為が重大な契約 違反を構成すること(3件)。  これらの違約金の減額に関する肯定の事由と否定の事由について如何 にして読み解くのかは、検討の部分にゆだねることとする。  第6に、減額肯定例の場合には、法院による減額要件および結果を見 ると、次の4つのパターンをまとめることができる。  ① 法院が中国人民銀行による同類の貸付利率(1~4倍)7を基準と 7 ここで、なぜ法院が債権者の法定遅延利息を中国人民銀行の貸付利率の1倍 から4倍までに認定しているのかというと、最高人民法院「人民法院による借 金案件への審理に関する若干の意見」(法〈民〉発[1991]21号)6条は、「民間 貸付の利率が銀行の利率よりも適当に高くなることができる。各地の人民法院 が本地域の実際的な状況に基づき自由にその利率を定めることができるが、中 国人民銀行による同類の貸付利率の4倍を超えてはならない。超えた部分の利 息が保護されてはならない。」と規定するからである。それゆえに、本条文が 民間借金による最高貸付利率を定めるものであるが、金融機関による貸付利率 も、中国人民銀行による同類の貸付利率の4倍を超えてはならないと類推適用 されるべきである。さもなくば、法律が民間貸付による高利貸しを禁止しなが 論   説 [33] 北法69(1・172)172 し実際の遅延日数に基づいて違約金を算出した(法定遅延貸付利息損失 と認定)減額肯定例が37件ある。  ② 法院が中国人民銀行による同類の貸付利率(1~4倍)を基準と し実際の遅延日数に基づいて違約金を算出した(法定遅延貸付利息損失 の1.3倍と認定)減額肯定例が36件ある。  ③ 法院が不動産相場を基準とし実際の遅延日数に基づいて違約金を 算出(不動産賃貸料の損失と認定)した減額肯定例が3件ある。  ④ 法院が綜合考量、公平と誠実信用原則に基づき、違約金を斟酌し た減額肯定例が51件ある。  以上のまとめに照らせば、違約金減額の運用に関する基本的な状況を、 肯定例と否定例に分けてそれぞれ図で示しておく。  減額肯定例のまとめを、次の【図】14 ~ 198で示す。 らも、金融機構貸付による高利貸しを認めるという不都合が生じることになる。 したがって、民間貸付、金融機構貸付の場合を問わず、法定貸付利率を認めら れる範囲は、中国人民銀行による同類の貸付利率の1~4倍ということになる。 戴孟勇「関与利息管制的疑問及思考」崔建遠『民法九人行(第6巻)』(法律出版社・ 2012)47 ~ 50頁参照。 8 【図】14~ 19は、附表3(違約金の減額が認めれた裁判例リスト)に基づいて、 その概要を要件ごとに整理するものである。 68.5% 11.8% 2.4% 5.5% 3.9% 7.9% 金銭債務の不履行を対象とする遅延違約金 87件 なす債務の不履行を対象とする遅延違約金 15件  金銭債務の不履行を対象とする普通違約金 3件 なす債務の不履行を対象とする普通違約金 7件 金銭債務の不履行を対象とする解約違約金 5件 なす債務の不履行を対象とする解約違約金 10件 図14 違約金紛争の類型 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2) [34]北法69(1・171)171 89.7% 3.9% 3.2% 3.2% 債務者の申請によるパターン 114件 債務者が欠席する場合、法院の職権によるパターン 5件 法院が債務者の違約否認を債務者の申請とみなすパターン 4件 法院の釈明により債務者の申請によるパターン 4件 図17 訴訟手続き 23% 75% 1% 1% 当事者が純粋に一定額の違約金(具体額と契約代金の何%)を約定したパターン 29件 当事者が純粋に違約金の計算方法(日に契約代金の何%)を約定したパターン  96件 当事者が違約金の計算方法と一定額を両方約束したパターン 1件 当事者が違約金の計算方法を約束したが、条件付きに一定額の違約金へと転換されたパターン 1件 図16 違約金の定め方 22.8% 39.4% 16.5% 21.3% X(個人)vs Y(企業) 29件 X(企業)vs Y(企業) 50件 X(個人)vs Y(個人) 21件 X(企業)vs Y(個人) 27件 図15 当事者の類型 論   説 [35] 北法69(1・170)170  減額肯定例のまとめを、次の【図】20 ~ 239で示す。 9 【図】20~ 23は、附表4(違約金の減額が認められなかった裁判例リスト)に 基づいて、その概要を要件ごとに整理するものである。 39.8% 33.1% 18.5% 2.0% 2.0% 3.3% 1.3% 違約金の約定額又は約定計算基準が著しく高いこと 60件 Xが損失に挙証不能 50件 Xの損失を法定遅延貸付利息損失、不動産賃貸料損失と認定 28件 違約金の約定額をXの損失と相当させなければならないこと 3件 Yが一部履行したこと 3件 Yが重大な契約違反または故意契約違反ではないこと 5件 Xが契約違反に過失寄与 2件 29.1% 28.3%2.4% 40.2% 中国銀行遅延貸付利率(1〜4倍)による計算額 37件 中国銀行遅延貸付利率(1〜4倍)による計算額の1.3倍 36件 不動産賃貸料相場による計算額 3件 綜合考量、公平と誠実信用原則に基づき斟酌した額 51件 図18 法院による減額肯定の判断事由 図19 法院による減額の計算要件および結果 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2) [36]北法69(1・169)169 36.4% 22.7% 9.1% 22.7% 9.1% 金銭債務の不履行を対象とする遅延違約金 8件 なす債務の不履行を対象とする遅延違約金 5件  金銭債務の不履行を対象とする普通違約金 2件 なす債務の不履行を対象とする普通違約金 5件 なす債務の不履行を対象とする解約違約金 2件 図20 違約金紛争の類型 27.3% 41.0% 13.6% 18.1% X(個人)vs Y(企業) 6件 X(企業)vs Y(企業) 9件 X(個人)vs Y(個人) 3件 X(企業)vs Y(個人) 4件 図21 当事者の類型 59.0% 41.0% 当事者が純粋に一定額の違約金(具体額と契約代金の何%)を約定したパターン 13件 当事者が純粋に違約金の計算方法(日に契約代金の何%)を約定したパターン  9件 図22 違約金の定め方 論   説 [37] 北法69(1・168)168 2 検討  以上の整理に照らせば、裁判実務において違約金減額が如何にして働 いているのかについてその全貌を把握することができる。その中で、本 稿の目的との関連で検討する必要があるのは、法院による減額の肯定の 判断事由(【図】18)と法院による増額の否定の判断事由(【図】23)である。 全体図による【図】18と【図】23についての整理は、ただ判決理由に用い られる用語を初歩的に纏めたに過ぎないものである。実際には、これら の事由がどのような法的意味が含まれるのか、如何にして読み解かれる べきなのかについて、さらなる詳細な検討がかけてはならないように思 われる。違約金増額の運用に関する検討の手法と同様に、違約金減額を 検討する場合においても、まず第1章では検討した法規定、学説は、法 院による減額の判断要件について如何にして説明しているのかを再度確 認し、その上で裁判実務においてこられの要件をどのようにして捉える べきなのかを補足する。  第1章による法規定、通説の立場に照らせば、法院は、違約金の減額 の可否を判断する場合には、実損害差額主義を主とし、付加的な要件の 考量を従とするという判断構造が求められる。換言すれば、違約金減額 の運用において法院の判断要件は、基礎的な要件と付加的な要件に分か 11.5% 23.1% 3.8% 19.2% 11.5% 30.9% 違約金の約定額又は約定計算基準が著しく高いのではないこと 3件 違約金の約定額が法定遅延貸付利息よりも著しく高くないこと 6件 違約金の約定額が不動産賃貸料相場に基づく損失計算額よりも著しく高くないこと 1件 YがXの損失に挙証不能 5件 Xの損失が生じる可能性 3件 Yが故意(悪意)違約、重大な契約違反 8件 図23 法院による減額否定の判断事由 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2) [38]北法69(1・167)167 れる。以下では、順次に分析する。  第1に、基礎的な要件 ── 債権者の実損害。違約金増額の運用の 場合と同様に、法院が違約金の減額の可否を判断する場合には、実損害 差額主義を徹底すべき立場は変わらない。ただ注意しておきたいのは、 ここでの実損害差額主義において、違約金と実損害の比較基準が「高い」 のではなく、「著しく高い」となっている。その「著しく高い」について 量化の基準も規定されている。すなわち違約金の約定額が債権者の実損 失の1.3倍よりも高額でありさえすれば、「著しく高い」という比較基準 が満たされることになる。  第2に、付加的な要件── 違約金増額の運用の場合との違いが呈さ れているのは、法院が違約金の減額の可否を判断する場合には、契約の 履行状況(債務の一部履行)、当事者の故意・過失の度合い、逸失利益 が付加的な考量の事由として提示されている。法規定がこれらの付加的 な考量の事由が減額の可否に寄与する意味をはっきりと規定していない が、学説は、これらの付加的な考量の事由を解釈している。以下では、 学説の説明に照らせば、これらの付加的な要件は、どのような法的意味 があるのかを指摘しておく。  まず、学説は契約の履行状況が主に債務の一部履行による減額を指し ていると説明している。とはいえ、その減額の論理に鑑みると、減額の 実質が債権者の実損害から債務の一部履行によって債権者が受けた利益 が差し引かれるという引き算の思考が働くものであるため、依然として 実損害差額主義の思考にとどまると解される。  また、学説は、逸失利益とは当事者が実際に発生した損失ではなく、 単に発生するであろうという期待の利益である、と説明しているが、そ の実質は債権者の損失の一部を構成するものである、と指摘している。 換言すれば、逸失利益も法院が債権者の実損害を認定する段階において 考量するものであるため、その実質も依然として実損害差額主義の論理 に属すると解される。  さらに、学説は、当事者の故意・過失の度合いが債務者の故意違約と 債権者の寄与過失の場合を指していると理解している。すなわち、前者 が法院が減額を否定する判断に寄与する一方で、後者が法院が減額を肯 定する判断に寄与すると説明している。換言すれば、当事者の故意・過 論   説 [39] 北法69(1・166)166 失の度合いという事由は、法院が当事者の帰責性を問うことで、減額の 可否の根拠とするものである。この意味において、当事者の故意・過失 の度合いという要件は、非難可能性という意味を有すると解される。  第3に、法規定は、上記の基礎的な要件と付加的な要件を明文化して いるほか、公平原則と誠実信用原則という原理的な要件を規定している。 とはいえ、学説は、公平原則と誠実信用原則があくまでも抽象的な理念 に過ぎず、法院に判断の自由裁量権を与えるものであると解釈している。 実際の裁判例において法院が公平原則と誠実信用原則を考量しているか 否か、また如何なる意味で考量しているかは、注目に値する。  以上の法規定、学説による説明に照らせば、実際の裁判例において法 院が、減額の可否を判断する場合には、どのぐらい実損害差額主義に依 拠しているのか、またそれ以外には、当事者の故意・過失の度合いによ る非難可能性や、公平原則と誠実信用原則についての考量があるのか。 裁判実務において全体的にどのような特徴があるのかについて、裁判例 に基づいて検討する。 (1)減額の肯定、否定の判決理由  以下では、裁判実務において減額の肯定、否定の判決理由を検証する。 なお違約金減額の運用に関する裁判例を検証する前に、次の2点を説明 しておきたい。  第1に、裁判例の検討の順番について、違約金減額の運用に関する裁 判例において違約金紛争の類型が違約金増額の運用に関する裁判例と比 較して多様であるため、本部分は、遅延違約金の紛争、普通違約金の紛 争、解約違約金の紛争という3つの類型に基づき検討を進めることとす る。  第2に、各裁判例に鑑みると、借金、賃貸料、売買などの様々な契約 紛争は見られるが、契約による違約金責任の実質を見ると、依然として 金銭債務の不履行となす債務の不履行という2種類の契約不履行責任を 要約することができる。それゆえに、本部分は、違約金増額の運用に関 する検討の手法と同様に、金銭債務を対象とする違約金紛争となす債務 を対象とする違約金紛争に基づいて検討を進めることとする。 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2) [40]北法69(1・165)165 (ⅰ)減額肯定例についての検討  減額肯定例を全体的に見ると、最も多かったのは、遅延違約金の紛争 であり、102件ある。次は、普通違約金の紛争が10件ある。さらには、 解約違約金の紛争が15件ある。違約金減額の運用に関する裁判例の件数 が多かったため、違約金類型ごとに示しようとする裁判例について、本 文では件数のみを示すにとどめ、具体的な裁判例の番号を注で示してお く。以下では、詳しく検討する。 ① 遅延違約金の紛争  遅延違約金の紛争において金銭債務の不履行を対象とする裁判例が87 件ある。それに対して、なす債務の不履行を対象とする裁判例が15件し かなかった。以下では、それぞれ検討する。 (a)金銭債務の不履行を対象とする遅延違約金の紛争  違約金の減額を認められた減額肯定例において最も多かったのは、金 銭債務の不履行を対象とする遅延違約金の紛争であり、87件があった。 この87件において、法院による減額の肯定の判決理由を、次のように要 約することができる。  (A)87件のうち、84件において法院による判決理由を、次の8つの 事由に要約することができる。  ア、違約金の約定額または約定計算基準が著しく高い(43件10)  イ、違約金の約定額または約定計算基準が著しく高い、しかもXが 損失を挙証できていない(2件11)  ウ、Xが損失を挙証できていない(14件12) 10 減額肯定例1、5、7、16、23、29、37、85、92、95、110(借金)、減額肯 定例3、17、33、40、61、102、105(賃貸借)、減額肯定例11、27、28、35、 36、46、53、59、60、78、79、82、87、88、106、107、124、126(売買)、減 額肯定例9、15、34、77(サービス)、減額肯定例47(請負)、減額肯定例12(特 許)、減額肯定例25(人身損害賠償)。 11 減額肯定例4、123(売買)。 12 減額肯定例55、98、100(賃貸借)、減額肯定例19、39、49、84、93、119、121(売 買)、減額肯定例74、75(サービス)、減額肯定例114、120(請負)。 論   説 [41] 北法69(1・164)164  エ、Xが損失を挙証できていない、Xの損失を法定遅延貸付利息損失 と認定(11件13)  オ、違約金の約定額または約定計算基準が著しく高く、Xの損失を法 定遅延貸付利息損失と認定(3件14)  カ、XとYがともに損失を挙証できていない(2件15)  キ、Xの損失を法定遅延貸付利息損失と認定(8件16)  ク、違約金の約定額をXの損失とほぼ同額とするべき(1件17)  この84件において上記の列挙された8つの事由の実質を検討すると、 法院がXの損失の認定を中心とし、それを違約金の約定額と比較する ことを唯一の減額の理由としているであろう。換言すれば、法院は、違 約金の約定額がXの損失と比較してより著しく高額でありさえすれば、 その減額を認めると解される。この意味において、上記の84件は、いず れも法院が実損害差額主義を徹底した裁判例であると評価できる。  (B)87件のうち、減額肯定例70と減額肯定例76は、法院が債務の一 部履行によって違約金を減額した裁判例である。以下では、詳しく分析 する。  減額肯定例70の判旨によれば、法院による減額の肯定の判決理由を、 「Yが契約代金の大部分(60%)をすでに支払ったことに鑑みると、違約 金の約定が確かに著しく高いため、法院は違約金を減額する」、とされる。  減額肯定例76の判旨によれば、法院による減額の肯定の判決理由を、 「本件における契約履行の実際的状況に鑑みると、Yが期間通りに支払 わなかった契約代金が契約代金の21.6%しか占めなかったため、違約金 の約定計算基準に基づいて計算された額がⅩの経済的損失および逸失利 益に比較して著しく高くなる。それゆえに、法院は違約金を減額する」、 とされる。 13 減額肯定例38、48、54、64、90、99、112、116、118(売買)、減額肯定例117(サー ビス)、減額肯定例96(請負)。 14 減額肯定例42、94(売買)、減額肯定例41(請負)。 15 減額肯定例45(売買)、減額肯定例115(請負)。 16 減額肯定例7(借金)、減額肯定例58、69、97、103(売買)、減額肯定例63、 101(請負)、減額肯定例50(譲渡)。 17 減額肯定例111(請負)。 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2) [42]北法69(1・163)163  上記の2件の判決理由に照らせば、Yがすでに契約の一部(60%と 21.6%)を履行することで、Ⅹの損失が少なくなった。法院が違約金の 約定Xの損失と比較して著しく高額であることを理由に違約金を減額 する旨が見られる。換言すれば、法院による減額の判決理由は、表面的 にいずれもYによる契約の一部履行のためであるが、その実質が、Ⅹ の実損害から債務の一部履行によって得られた利益が差し引かれるとい う引き算の思考が働いた結果として違約金がXの実損害よりも著しく 高額であると解されるであろう。この意味において、上記の2件は、依 然として法院が実損害差額主義に依拠した裁判例であると評価できる。  (C)87件のうち、残る減額肯定例83のみは、法院がⅩの損失を認定 したほか、Yの過失の度合いを考量したという特徴が見られる裁判例で ある。以下では、詳しく分析する。  減額肯定例83の判旨によれば、法院による減額の肯定の判断理由を、 「違約金の約定は、契約当事者の自由の意思によるものであり、その目 的が債務者の違約行為を未然に防ぐためである。とはいえ、Ⅹの損失よ りも著しく高額な違約金は、明らかに公平合理の原則に違反するもので ある。またYが悪意(故意)違約をしたわけではないため、法院がYの 減額の請求を支持する」、とされる。  本件の判決理由に照らせば、法院が、違約金がXの損失よりも著し く高額であることを認定すると同時に、Yの違約行為が悪意(故意)違 約ではないことを根拠としたことは、特徴的である。換言すれば、Yが 悪意(故意)違約をしたのでなければ、法院が約定された高額な違約金 をもってYへと制裁を与えてはならないと旨が含まれると解される。 この意味において、本件は、法院が実損害差額主義を根拠とするだけで はなく当事者の非難可能性を考量した一例であると評価できる。 (b)なす債務の不履行を対象とする遅延違約金の紛争  遅延違約金の紛争においてなす債務の不履行を対象とする裁判例が15 件あった。法院による減額の肯定の判決理由を、次のように要約するこ とができる。  上記の15件において法院による判決理由を、次の6つの事由に要約す ることができる。 論   説 [43] 北法69(1・162)162  ア、違約金の約定額または約定計算基準が著しく高い(4件18)  イ、違約金の約定額または約定計算基準が著しく高い、しかもXが 損失を挙証できていない(2件19)  ウ、Xが損失を挙証できていない(6件20)  エ、Xが損失を挙証できていない、Xの損失を法定遅延貸付利息損失 と認定(1件21)  オ、XとYがともに損失を挙証できていない(1件22)  カ、Xの損失を不動産賃貸料の損失と認定(1件23)  この15件において上記に列挙された6つの事由の実質を見ると、法院 がXの損失の認定を中心とし、それを違約金の約定額と比較すること を減額の理由としているであろう。注意しておきたいのは、上記の事由 の内容においてXが損失を挙証できていないという事由は最も多く取 り上げられたことである。換言すれば、Xの損失が確定されにくいなす 債務の不履行を対象とする紛争の場合には、法院がⅩの損失を認定する 段階において、違約金の約定額がXの損失と比較して著しく高額であ ることに関する証明責任をXに負わせる傾向が示されており、もしX が損失を挙証できていないのであるならば、法院は、Yの違約金減額請 求を容認すると見て取れる24。とはいえ、このような判断の実質も、X 18 減額肯定例91、113(不動産の引渡し義務)、減額肯定例22、104(請負義務)。 19 減額肯定例6(不動産の引渡し義務)、減額肯定例10(契約目的物の引渡し義 務)。 20 具体的には、減額肯定例84(不動産の引渡し義務)、減額肯定例18(契約目的 物の引渡し義務)、減額肯定例32、43、127(不動産名義書換義務)、減額肯定 例44(サービス契約義務)。 21 減額肯定例80(不動産名義書換義務)。 22 減額肯定例45(売買)、減額肯定例115(請負)。 23 減額肯定例57(不動産の引渡し義務) 24 挙証責任の原則に基づけば、違約金の減額を求めるY(債務者)は、違約金 の約定額がXの損失と比較して著しく高額であることに証明責任を負うべき であるが、裁判実務において法院は、Xの損失に関する証明責任を自分の損失 に詳しいXに転換させる傾向は示されている。もっとも、第1章の法規定、 学説による検討に照らせば、挙証責任の問題は違約金減額の適用に関する訴訟 手続上の一つ大きな論点であるが、本稿の問題関心から離れるため、それにつ 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2) [44]北法69(1・161)161 の損失を認定する目的であり、依然として実損害差額主義の判断構造の 一環として捉えられると解される。この意味において、上記の15件は、 いずれも法院が実損害差額主義に依拠した裁判例であると評価できる。 ② 普通違約金の紛争  遅延違約金の紛争を対象とする裁判例に比較して、普通違約金の紛争 を対象とする裁判例が10件しかなかった。このうち、金銭債務の不履行 を対象とする減額肯定例が3件あった。それに対して、なす債務の不履 行を対象とする減額肯定例が7件あった。普通違約金の責任をめぐる紛 争は、Yが契約履行を果たさなかったため、違約金責任を問われるもの であるが、遅延違約金の責任をめぐる紛争と比較して、次の違いが呈さ れている。すなわち、遅延違約金の責任をめぐる紛争の場合には、Yが 契約義務の履行に遅延することが条件とされているし、違約金の定め方 について当事者が違約金の計算基準を約定することがほとんどである。 それに対して、普通違約金の責任をめぐる紛争の場合には、Yがいった ん契約違反すれば、違約金責任を問われることになる。違約金の定め方 について当事者が一定額の違約金を約定することが一般的である。以下 ではこの10件の普通違約金責任をめぐる紛争において、法院がどのよう な判決の理由で違約金の減額を認めたのかを検討する。 (a)金銭債務の不履行を対象とする普通違約金の紛争  金銭債務の不履行を対象とする普通違約金の紛争が3件あり、この3 件は、減額肯定例2(賃貸借)、13(請負)、73(譲渡代金)というもので ある。この3件において法院による減額の肯定の判決理由を、次の2つ の事由に要約することができる。  ア、違約金の約定額または約定計算基準が著しく高い(減額肯定例2、 73)  イ、違約金の約定額または約定計算基準が著しく高い、しかもXが 損失を挙証できていない(減額肯定例13)  上記の3件の判断事由に照らせば、法院が、Xの損失の認定を中心と いての裁判実務の検討を割愛し、別稿で考察する予定である。 論   説 [45] 北法69(1・160)160 し、次いで、違約金の約定額をXの損失と比較し著しく高額であるこ とを減額の理由としているであろう。この意味において、上記の3件は、 いずれも法院が実損害差額主義を徹底した裁判例であると評価できる。 (b)なす債務の不履行を対象とする普通違約金の紛争  なす債務の不履行を対象とする普通違約金の紛争が7件あった。以下 では、法院による減額の判決理由を見ておこう。  (A)7件のうち、6件において法院による判決理由を、次の3つの 事由に要約することができる。  ア、違約金の約定額または約定計算基準が著しく高い(2件25)  イ、Xが損失を挙証できていない(3件26)  ウ、違約金の約定額をXの損失とほぼ同額させるべき(1件27)  上記の6件の事由に照らせば、この6件は、いずれも、法院がXの 損失の認定を中心とし、次いで違約金の約定額をXの損失と比較し著 しく高額であることを減額の理由としている裁判例であると解される。 この意味において、上記の3件は、いずれも法院が実損害差額主義を徹 底した裁判例であると評価できる。  (B)7件のうち、減額肯定例109のみは、法院が契約の一部履行によっ て違約金を減額した裁判例である。以下では、詳しく分析する。  本件の判旨によれば、法院による増額の肯定の判決理由を、「Yが契 約違反をしている。とはいえ、契約代金の39万元の中には、XがYに 7万元(18%)しか支払っていないため、違約金の約定通りにYが責任 を負担することは、その約定額が著しく高額なものである。しかもX が損失を挙証できていないという事情もある。以上のことに鑑みると、 法院がYの違約金の減額請求を認める」、とされる。  本件の判決理由に照らせば、本件は、上記の減額肯定例70と減額肯定 例76と同様に、契約の一部履行による減額の適用例であると見て取れる 25 減額肯定例8(競業禁止義務)減額肯定例81(賃貸借義務) 26 減額肯定例20(著作権許可使用義務)、減額肯定例24(競業禁止義務)、減額 肯定例68(売買契約義務) 27 減額肯定例14(株式の譲渡手続き義務) 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2) [46]北法69(1・159)159 であろう。注意しておきたいのは、本件による契約の一部履行の認定が、 Yが契約を一部履行したのではなく、Xが契約を一部履行したというこ とである。とはいえ、Xの損失という点に鑑みると、Xが契約の一部し か履行していなかったため、自分が受けた損失も少なくなったという結 果になる。換言すれば、Yが契約を一部履行した場合と同様に、Xが契 約を一部履行した場合も、Xの損失が少なくなるため、実損害よりも違 約金が高くなるという実損害差額主義の論理が捉えられると解される。 この意味において、本件も、法院が実損害差額主義を貫徹した裁判例で あると評価である。 ③ 解約違約金の紛争  違約金紛争の類型の中には、最後に残るのはが解約違約金を対象とす る紛争であり、15件の減額肯定例があった。このうち、金銭債務の不履 行を対象とする減額肯定例が5件ある。それに対して、なす債務の不履 行の減額肯定例が10件ある。解約違約金の責任をめぐる紛争は、Yが契 約違反をしたことで、違約金責任を問われるものであるが、遅延違約金、 普通違約金の責任をめぐる紛争と比較して、次の違いが呈されている。 すなわち、解約違約金の責任をめぐる紛争の場合には、当事者の契約違 反があるならば、XかYが契約を解除してはじめて、Xが違約金を求 めることができるのは一般的である。換言すれば、契約の解除は、法院 が違約金責任を判断する前提となっている。以下では、この15件の解約 違約金責任をめぐる紛争において、法院がどのような判決理由で違約金 の減額を認めたのかを検討する。 (a)金銭債務の不履行を対象とする解約違約金の紛争  金銭債務の不履行を対象とする解約違約金の紛争が5件ある。以下で は、法院による減額の判決理由を見ておこう。  (A)5件のうち、4件において法院による判決理由を、次の2つの 事由に要約することができる。  ア、違約金の約定額または約定計算基準が著しく高い(3件28)、 28 減額肯定例21、減額肯定例30(賃貸借)、減額肯定例122(売買)。 論   説 [47] 北法69(1・158)158  イ、Xが損失を挙証できていない(1件29)  この4件において上記に列挙された2つの事由の実質を検討すると、 法院がXの損失の認定を中心とし、次いで違約金の約定額をXの損失 と比較して著しく高額であることを減額の肯定の理由としていると解さ れる。この意味において、上記の4件は、いずれも法院が実損害差額主 義を徹底する裁判例であると評価できる。  (B)5件のうち、減額肯定例62のみにおいてXの損失を認定したほ か、XとYの故意・過失の度合いを考量したという特徴が見られる。 以下では、詳しく分析する。  減額肯定例62の判旨によれば、法院による減額の肯定の判決理由を、 「法院が、違約金を決める場合に、違約金の約定にこだわる必要はない。 本件においてXの損失がある一方で、X、Yがいずれも過失の度合いが あった。さらにYが悪意(故意)違約でもないため、法院が公平原則と 誠実信用原則に基づき、違約金の減額請求を支持する」、とされる。  本件の判決理由に照らせば、法院がⅩの損失を考量した同時に、契約 違反についてXの過失寄与、Yの違約行為が悪意(故意)違約ではない といったことを減額の肯定の理由としているであろう。本件において上 記の減額肯定例83と類似的な判断の旨があると読み取れる。すなわち、 Xが契約違反に過失を寄与し、しかもYが悪意(故意)違約をしていな い場合に、法院が約定された高額な違約金をもってYへと制裁を与え てはならないと旨が含まれると思われる。換言すれば、本件において法 院が当事者の過失の度合いを違約金の減額の可否の判断に持ち込んだ意 味は、Ⅹの帰責性を問う必要がある一方で、Yの帰責性がそれほど重く ないという当事者の非難可能性を根拠とするものと解される。この意味 において、本件は、法院が実損害差額主義を根拠とするだけではなく当 事者の非難可能性を考量した一例であると評価できる。 (b)なす債務の不履行を対象とする解約違約金の紛争  なす債務の不履行を対象とする解約違約金の紛争が10件ある。この10 件において法院による減額の肯定の判決理由は、次のようなものである。 29 減額肯定例26(売買)。 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2) [48]北法69(1・157)157  (A)10件のうち、8件において法院による判決理由を、次の4つの 事由に要約することができる。  ア、違約金の約定額または約定計算基準が著しく高い(2件30)  イ、Xが損失を挙証できていない(4件31)  ウ、Xの損失を不動産賃貸料の損失と認定(1件32)  エ、違約金の約定額をXの損失とほぼ同額させるべきである(1件33)  この8件において上記に列挙されたに4つの事由の実質を検討する と、Xの損失の認定を中心とし、次いで違約金の約定額をXの損失と の比較して著しく高額であることを減額の肯定の理由としていると解さ れる。この意味において、上記の8件は、いずれも法院が実損害差額主 義を徹底した裁判例であると評価できる。  (B)10件のうち、減額肯定例67と72のみにおいて、法院がⅩの損失 を認定したほか、Yの過失の度合いを考量したといった特徴が見られ る。以下では、詳しく分析する。  減額肯定例67の判旨によれば、法院による減額の肯定の判決理由を、 「違約金の約定額に関する全額の負担は、Yが重大な契約違反をした場 合でしか適用されることができない。それゆえに、法院は、Yが重大な 契約違反を構成していない場合に、違約金の全額を支持せず、Yの減額 請求を認める」、とされる。  減額肯定例72の判旨によれば、法院による減額の肯定の判決理由を、 「Yが契約違反において主観的な悪意がない。またYの違約期間も短く てXも損失を挙証できていないのであるため、違約金の減額請求が支 持されるべきである」、とされる。  上記の2件の判決理由に照らせば、減額肯定例72の場合には、法院が Ⅹの損失を考量した同時に、Yの違約行為が悪意(故意)違約ではない ということを減額の根拠としたことは明確である。それに対して、減額 30 減額肯定例31(不動産の引渡し義務)、減額肯定例51(賃貸借義務)。 31 減額肯定例52(不動産の引渡し義務)、減額肯定例66(賃貸借)、減額肯定例 108(請負義務)、減額肯定例125(委託義務)。 32 減額肯定例56(不動産の引渡し義務) 33 減額肯定例65(賃貸借義務) 論   説 [49] 北法69(1・156)156 肯定例67の場合には、法院は、Yが契約違反に過失があることを直接に 言及していないが、「Yの違約行為は重大な契約違反を構成していない」 という表現に鑑みると、Yが契約違反に過失の度合いが重くないという 意味を読み取れるであろう。換言すれば、この2件においても、減額肯 定例62と83と同様に、Yが悪意(故意)違約をしたのではなければ、Y の帰責性が重いものではなく、Yを非難する可能性が低いという旨が含 まれると解される。この意味において、上記の2件は、いずれも法院が 実損害差額主義を根拠とするだけではなく 当事者の非難可能性を考量 した裁判例であると評価できる。 (ⅱ)減額否定例についての検討  減額肯定例の数と比較して、減額否定例は少なかったのであり、22件 しかいなかった。このうち、最も多かったのは、遅延違約金の紛争であ り、13件があった。次は、普通違約金の紛争であり、8件があった。最 も少なかったのは解約違約金の紛争であり2件があった。以下では、詳 しく検討に入る。 ① 遅延違約金の紛争  遅延違約金責任の紛争において金銭債務の不履行を対象とする裁判例 が8件ある。それに対して、なす債務の不履行を対象とする裁判例が5 件ある。以下では、これらの裁判例において法院がどのような判決理由 で違約金の減額を認めなかったのかを検討する。 (a)金銭債務の不履行を対象とする遅延違約金の紛争  金銭債務の不履行を対象とする遅延違約金の紛争が8件あった。この 8件において法院による減額の否定の判決理由を、次のように要約する ことができる。  (A)8件のうち、7件において法院による判決理由を、次の2つの 事由に要約することができる。  ア、違約金の約定額または約定計算基準が著しく高くない(2件34) 34 減額否定例3(売買)、減額否定例6(賃貸借)。 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2) [50]北法69(1・155)155  イ、違約金の約定額が法定遅延貸付利息損失と比較して著しく高くな い(5件35)  この7件において上記に列挙された2つの事由の実質を検討すると、 法院がXの損失を認定したうえで、違約金がXの損失と比較して著し く高額ではないことを減額の否定の理由としていると解されるであろ う。この意味において、上記の7件は、いずれも法院が実損害差額主義 を徹底した裁判例であると評価できる。  (B)8件のうち、減額否定例4のみは、法院がXの損失を考量した ほか、Yの違約行為が故意(悪意)違約であることを減額の理由と根拠 付けたことは、特徴的である。以下では、詳しく分析する。  減額否定例4の判旨によれば、法院による減額の否定の判決理由を、 「契約の履行の際に、Yが契約代金を支払う条件がすでに満たされてい たことを当然に知っていた、というべきであるが、契約代金の支払いを 拒んだ。その違約行為が故意違約であり、依然としてYが契約代金の 支払いを拒み続けている。さらに、Yの違約行為がXの権利の主張を 遅らせたため、違約金の計算期間を短くさせた。以上のことに鑑みると、 法院がYの減額請求を認めない」、とされる。  上記の法院による判決理由に照らせば、法院が「Yの違約行為がXの 権利の主張を遅らせたため、違約金の計算期間を短くさせた」を理由と するのは、法院が、Yの違約行為がXに多くの損失を与えるというこ とを強調している。換言すれば、法院がXの損失を認定する意味が含 まれるであろう。また、それと並ぶもう一つの理由は、Yの違約行為が 故意(悪意)違約であることとして挙げれている。この点について、減 額肯定例に関する検討では、法院は、Yの違約行為が悪意(故意)違約 ではないことを減額の肯定の理由とした減額肯定例は、4件の裁判例が あった。それと対照的に、本件において、法院は、Yの違約行為が悪意 (故意)違約であったことを減額の否定の理由としたことは反対の趣旨 として捉えられる。換言すれば、Yの違約行為が悪意(故意)違約を構 成したか否かは、法院が違約金の減額の可否を判断する一つ重要な決め 手である。本件においてYが悪意(故意)違約をし、その帰責性が重く 35 減額否定例5、12、17、19(売買)、減額否定例11(賃貸借) 論   説 [51] 北法69(1・154)154 なるため、法院が約定された高額な違約金をもってYを非難する旨が 含まれると解されるであろう。この意味において、本件は、法院が実損 害差額主義を根拠とするだけではなく、当事者の非難可能性を考量した 一例であると評価できる。 (b)なす債務の不履行を対象とする遅延違約金の紛争  なす債務の不履行を対象とする遅延違約金の紛争が5件あった。この 5件において、法院による減額の否定の判決理由を、次のように要約す ることができる。  (A)5件のうち、4件において法院による判決理由を、以下の4つ の事由に要約することができる。  ア、違約金の約定額が法定遅延貸付利息損失と比較して著しく高くな い(1件36)、  イ、Yが Xの損失を挙証できていない(1件37)  ウ、違約金の約定額が不動産賃貸料相場を基準とする計算額と比較し て著しく高くない(1件38)、  エ、Yが Xの損失を挙証できていない、Ⅹの損失が生じる可能性(1 件39)  この4件において上記に列挙された4つの事由の実質を検討すると、 法院がXの損失の認定を中心とし、次いで違約金の約定額を、Xの損失 と比較して著しく高額ではないことを減額の否定の理由としていると解 されるであろう。この意味において、上記の4件は、いずれも法院が実 損害差額主義を徹底した裁判例であると評価できる。  (B)5件のうち、減額否定例2のみは、法院がXの逸失利益を考量 したほか、Yの違約行為が故意(悪意)違約であったことを減額の理由 と根拠付けたことは、特徴的である。以下では、詳しく分析する。  減額否定例2の判旨によれば、法院による減額の否定の判決理由を、 36 減額否定例15(不動産の引渡し義務)。 37 減額否定例14(不動産名義書換義務)。 38 減額否定例16(不動産の引渡し義務)。 39 減額否定例20(不動産の引渡し義務)。 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2) [52]北法69(1・153)153 「本件において、Yは、Ⅹが契約の目的物を自分のプロジェクトに使う 必要があることを明らかに知ったが、契約の約定通りに目的物をXに 提供しなかった。またXが与えた履行の猶予期間まで、依然として提 供義務を果たせなかった。以上の契約の履行状況、Yの帰責性の重さ、 Xの逸失利益などを考慮した上で、法院がYの減額請求を認めない」、 とされる。  上記の法院による判決理由に照らせば、法院がXの逸失利益を考慮 したほか、Yの主観的な帰責性の重さを責める旨が強いであろう。すな わち、本件においてYが「明らかに知る」や「依然として提供義務を果 たさなかった」といった表現に鑑みると、Yの契約違反が故意(悪意) 違約であると解される。本件は、減額否定例4と同様に、法院が実損害 差額主義を根拠とするだけではなく、当事者の非難可能性を考量した一 例であると評価できる。 ② 普通違約金の紛争  普通違約金の紛争において金銭債務の不履行を対象とする裁判例が2 件ある。それに対して、なす債務の不履行を対象とする裁判例が5件あ る。以下では、これらの裁判例において法院がどのような判決理由で違 約金の減額を認めなかったのかを検討する。 (a)金銭債務の不履行を対象とする普通違約金の紛争  金銭債務の不履行を対象とする普通違約金の紛争は、減額否定例8(労 災賠償金の未払い)と減額否定例10(売買代金の未払い)という2件が ある。この2件において法院による減額の否定の判決理由に鑑みると、 この2件は、いずれも法院がⅩの損失を考量したほか、Yの違約行為が 故意(悪意)違約であったと認定したものである。以下では、詳しく分 析する。  減額否定例8の判旨によれば、法院による減額の否定の判決理由を、 「ⅩとYは、労災賠償金を合意している。それゆえに、Yが自分の違約 行為によってⅩの逸失利益の損失をもたらすという違約の効果を明らか に知ったが、ずっと約定通りにⅩに賠償金を支払わなかったため、Yの 違約行為が誠実信用原則に背き、Yの帰責性の重さが明らかである。し 論   説 [53] 北法69(1・152)152 たがってXの違約金請求は、Yの賠償義務を加重するものではないた め、Yの減額請求を支持しない」、とされる。  減額否定例10の判旨によれば、法院による減額の否定の判決理由を、 「Yの違約行為が誠実信用原則に違反し、重大な契約違反を構成したた め、契約の履行状況と契約履行においてYの違約行為が信用を失わせ た度合いに基づいて、違約金の減額を認めない」、とされる。  上記の2件の判決理由に照らせば、減額否定例8においてYの違約 行為による「帰責性の重さ」、減額否定例10においてYの違約行為によ る「重大さ」や「信用を失わせた度合い」といった表現に鑑みると、上記 の2件における減額の否定の理由は、いずれもYの違約行為による帰 責性の重さ、重大さを強調するものであるため、Yの違約行為が故意(悪 意)違約を構成している旨が含まれると解されるであろう。この意味に おいて、上記の2件は、いずれも減額否定例4、21と同様に、法院が実 損害差額主義を根拠とするだけではなく、当事者の非難可能性を考量し た裁判例であると評価できる。 (b)なす債務の不履行を対象とする普通違約金の紛争  なす債務の不履行を対象とする普通違約金の紛争が5件あった。この 5件において法院による減額の否定の判決理由は、次のようなものであ る。  (A)5件のうち、減額否定例7、21において法院による判決理由を、 いずれも、YがⅩの損失を挙証できていないという事由に要約すること ができる。この意味において、この2件は、いずれも、法院が実損害差 額主義を徹底する裁判例であると評価できる。  (B)5件のうち、減額否定例9、18、22は、法院による判決理由に おいて、法院がⅩの損失を認定したほか、Yの違約行為が故意(悪意) であったことを考量した裁判例である。以下では、詳しく分析する。  減額否定例9の判旨によれば、法院による減額の否定の判決理由を、 「Yが故意に契約義務の履行に遅延する疑いがあったため、相応の違約 責任を負わなければならない。それゆえに、Yの違約金の減額請求を認 めない」、とされる。  減額否定例18の判旨によれば、法院による減額の否定の判決理由を、 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2) [54]北法69(1・151)151 「契約履行においてYが誠実信用という態度を持っておらず、悪意違約 という主観的な故意を持っている。違約金は、債権者の損失を填補する 機能を有するもののみならず、債務者の違約行為を懲罰する機能も有す るものであるため、Yの減額請求を支持しない」、とされる。  減額否定例22の判旨によれば、法院による減額の否定の判決理由を、 「Ⅹが契約目的物をYに渡したが、Yが契約代金220万元しか支払って おらず、残金の650万元をずっと支払わなかった。それゆえに、Yの違 約行為がⅩの倒産という結果をもたらしたため、重大な契約違反を構成 した。法院がⅩの損失、Yの帰責性の重さ、契約の履行状況と逸失利益 などを考量した上で、Yの減額請求を認めない」、とされる。  上記の3件の判決理由に照らせば、減額否定例9と減額否定例18にお いて法院がYが故意(悪意)違約したことを減額の否定の理由としてい るのは、明らかである。減額否定例2において、法院が直接にYの故 意違約を言及していないが、「重大な契約違反」や「Yの帰責性の重さ」 といった表現に鑑みると、法院がYの違約行為による帰責性を責める 旨も含まれるとも看取できる。上記の3件の判断の共通点も、Yの帰責 性が重いため、法院がYの違約行為を非難するものであると解される。 この意味において、上記の3件は、いずれも法院が実損害差額主義を根 拠とするだけではなく、当事者の非難可能性を考量した裁判例であると 評価できる。 ③ 解約違約金の紛争  減額否定例のうち、最後に残る2件の裁判例は、解約違約金責任をめ ぐる紛争であった。この2件は、いずれもなす債務の不履行を対象とす る裁判例である。以下では、この2件の裁判例において法院がどのよう な判決理由で違約金の減額を認めなかったのかを検討する。  (A)減額否定例13は、Yが賃貸借義務を違反したため、違約金責任 を問われた裁判例であった。本件は、法院がYがXの損失を挙証でき ていないということを理由に、Yの減額請求を棄却するものである。こ の意味において、本件は、法院が実損害差額主義を徹底した一例である と評価できる。  (B)減額否定例1は、Yが契約目的物の引渡し義務を違反したため、 論   説 [55] 北法69(1・150)150 違約金責任を問われた裁判例であった。法院による減額の否定の判決理 由において、法院がXの損失を認定したほか、Yの違約行為が故意(悪 意)違約であったという特徴が見られる。以下では、詳しく分析する。  減額否定例1の判旨によれば、法院による減額の否定の判決理由を、 「Ⅹの挙証の内容に照らして、違約金の約定額がⅩの損失よりも著しく 高くないという事実が判明された。また、Yが、自分の違約行為がⅩに もたらした損失に予見すべきであり、かつ訴訟においてⅩとの契約関係 を否定していたため、Yが明らかに悪意を抱えている。法院が正常な経 済秩序を保ち、Yに懲罰を与えるため、違約金の減額を認めない」、と される。  本件の判決理由に照らせば、法院が違約金の約定額とⅩの損失との比 較を行ったほか、Yの違約行為が悪意(故意)であったことを減額の否 定の理由としていると見て取れる。換言すれば、本件において法院がY が悪意(故意)違約をしたため、その帰責性が重くて法院がYの違約行 為を非難する旨が含まれると解されるであろう。この意味において、本 件は、法院が実損害差額主義を根拠とするだけではなく、当事者の非難 可能性を考量した一例であると評価できる。 (ⅲ)総括  以上では、減額肯定例、減額否定例においてそれぞれの判決理由を詳 しく検討してきた。これらの検討に照らせば、裁判実務には違約金減額 の運用において法院が違約金の減額の可否を判断する場合には、いかな る傾向がみられるのかについて、次の3点をまとめることができる。  第1に、減額肯定例127件と減額否定例22件においてそれぞれ123件と 14件の裁判例は、いずれも法院が違約金を減額するか否かを判断する場 合に、単に契約違反後、Xの損失の認定を中心とし、次いで違約金の約 定額をXの損失と比較して著しく高額であるかどうかを判断の理由と しているものである。換言すれば、減額肯定例123件において法院が違 約金の約定額をXの損失と比較して、より著しく高額でありさえすれ ば、違約金の減額を認める。それに対して、減額否定例14件において法 院が違約金の約定額をXの損失と比較して、より著しく高額でさえな ければ、違約金の減額を認めない。したがって、裁判実務において法院 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2) [56]北法69(1・149)149 が基本的に、単に法規定が規定している基礎的な要件としての債権者の 実損害による実損害差額主義を徹底したことは、明らかにされた。  第2に、減額肯定例127件と減額否定例22件のうち、それぞれ残る4 件と8件の裁判例は、いずれも法院が違約金を減額するか否かを判断す る場合に、単に実損害差額主義を根拠とするのみならず、Yの違約行為 が故意(悪意)契約に当たるか否かをも理由に判断しているものである。 すなわち、減額肯定例の4件において法院がYが故意(悪意)契約違反 に当たらなかったことを、減額の肯定の一部理由とした。それに対して、 減額否定例の8件において、法院がYが故意(悪意)契約違反に当たっ たことを、減額の否定の一部理由とした。換言すれば、これらの裁判例 は、法院が当事者(債務者)が故意(悪意)契約違反に当たるか否かとい う帰責性の度合いをもって減額の可否の判断に一部の理由として持ち込 んでいた。とはいえ、こられの裁判例が全体の裁判例の数を占める割合 は8%(149件のうち、12件)にとどまった。したがって、ごく少数の裁 判例において法院が実損害差額主義を根拠とするのみならず、法規定が 規定している付加的な要件としての当事者の故意・過失の度合いによる 非難可能性を根拠としたことは、明らかにされた。  第3に、前の2つの傾向に照らせば、裁判実務において法院が違約金 の減額の可否を判断す場合に、基本的に実損害差額主義を徹底している、 例外的に当事者の非難可能性を考慮しているという運用実態は明らかに された。このような運用の傾向に照らせば、法院の判断は、違約金約定 後、契約履行中における出来事に集中していると見て取れる。換言すれ ば、違約金約定時の事情、すなわち当事者による意思決定プロセスにお いて意思表示についての瑕疵有無、当事者の交渉力の格差有無に注目し ている裁判例が一例も見られなかった。したがって、裁判実務において、 法院が違約金の減額の可否を判断す場合に、違約金約定時の事情につい て関心を一切に払っていないという傾向は明らかにされた。  以上のまとめに照らせば、裁判実務において法院が、実損害差額主義 を徹底している裁判例は基本的である。法院が、当事者の非難可能性を 考量している裁判例が見られたが、ごく少数でしかとどまらなかった。 もっとも、違約金約定時の事情について関心を払う裁判例は、一件です らなかったといった違約金減額の運用実態は、明らかにされた。 論   説 [57] 北法69(1・148)148  以下では、裁判実務において違約金の減額の可否の判決理由について の検証の結果は、次の【図】24と【図】2540で示しておく。 (2)違約金減額の運用の特徴  以上では、裁判実務において法院が違約金の減額の可否を判断する場 合には、減額の肯定と否定の判決理由について裁判例群についての数量 分析によってその運用の傾向を明らかにした。それに基づいて、中国法 における違約金減額は、どのような特徴があるのかを析出してみたい。 40 【図】24、【図】25は、附表3(違約金の減額が認められた裁判例リスト)と附 表4(違約金の減額が認められなかった裁判例リスト)に基づいて違約金の減 額の可否の判決理由において本稿による詳細な検討を加えうえでその結果をま とめたものである。 96.9% 3.1% 実損害差額主義 123件 実損害差額主義+非難可能性 4件 図24 減額の肯定の判決理由 63.6% 36.4% 実損害差額主義 14件 実損害差額主義+非難可能性 8件 図25 減額の否定の判決理由 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2) [58]北法69(1・147)147 (ⅰ)履行確保機能の弱体化  違約金の実益は、当事者があらかじめ契約違反の効果について損害賠 償を予定したことによって、違約金が債権者の実損害よりも高額である 場合には、違約金に債務履行を確保する機能を働かせるためである。  とはいえ、裁判実務による法院の判決理由についての検証に照らせば、 96.9%の減額肯定例(【図】24参照)と63.6%の減額否定例(【図】25参照)は、 実損害差額主義を徹底したものである。換言すれば、法院は、違約金の 減額の可否を判断する場合に、基本的に違約金による債権者の実損害の 填補という機能を働かせるため、高額な違約金による債務履行の確保の 機能はほとんど意味が失われると解される。この意味において、裁判実 務における違約金減額の運用は、違約金の実益を弱体化するという特徴 があると看取できる。 (ⅱ)意思自治の理念の軽視  違約金の約定に従うことは、当事者の意思を尊重する意思自治の理念 である。それゆえに、法院が違約金の約定による意思決定プロセスにお いて意思表示の瑕疵がなければ、当事者の約定を尊重すべきである。もっ とも、違約金減額の運用の場合は、違約金増額の運用の場合と比較して、 法院が当事者が約定した額の範囲の中においてその額を改正(減額)す ることは、当事者の意思自治の理念を干渉する度合いが比較的に低いと はいえ、その実質も、意思自治の理念と衝突していることは否めない。  しかしながら、裁判実務による法院の判決理由についての検証に照ら せば、法院が基本的に、実損害差額主義(92%の裁判例)を徹底し、例 外的に、当事者の非難可能性(8%の裁判例)を考量したことに対して、 当事者による意思決定プロセスにおいて意思表示についての瑕疵有無、 当事者の交渉力の格差有無に注目している裁判例が一例ですら見られな かった、という運用の実態が明にされた。裏を返せば、法院が基本的に 違約金と実損害の均衡が図られているかどうかということに注目を与 え、違約金の約定による当事者の意思を尊重する価値観が一切に享有さ れていないと解される。この意味において、裁判実務における違約金減 額の運用に照らせば、中国契約法において意思自治の理念がほとんど根 付いていないという特徴が浮き彫りになると看取できる。 論   説 [59] 北法69(1・146)146 附表3 違約金の減額が認められた裁判例リスト (北大法意 判決年月日2014年度) 番 号 判決号、 判決年月日 契約紛 争類型 当事者 の属性 違約金紛 争の類型 違約金の約定 (約定額また は約定計算基 準) 訴訟手続 きの開始 法院による減額の 肯定の判決理由 法院による減額の 計算要件および結果 1 (2013)杭 蕭商初字第 3703号 2014.1.3 金銭消 費貸借 X個人 Y個人 借金の未 払いによ る遅延違 約金 日に借金の 2% Y申請 違約金の約定計算 基準が中国人民銀 行の同期・同類の 貸付基準利率によ り高い 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の4倍 2 (2014)二 中民二終字 第4号 2014.1.14 一般賃 貸借 X個人 Y個人 賃貸料の 未払いに よる違約 金 7.9万元 (未払い賃貸 料の30%) Y申請 違約金の約定計算 基準が著しく高い 公平原則 5.3万元 (未払い賃貸料の 20%) 3 (2014)宛 龍民商二初 字第158号 2014.1.16 一般賃 貸借 X企業 Y個人 賃貸料の 未払いに よる遅延 違約金 日に未払い代 金の3‰ Y申請 違約金の約定計算 基準が著しく高い 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の4倍 4 (2013)済 商 終 字 第 630号 2014.1.17 売買 X企業 Y個人 売買代金 の未払い による違 約金 日に未払い契 約代金の0.5% Y申請 違約金の約定計算 基準が著しく高い Xが損失を挙証不 能 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の1.3倍 5 (2013)青 民一(民) 初字第1889 号 2014.1.22 金銭消 費貸借 X企業 Y個人 借金の未 払いによ る遅延違 約金 日に未払い借 金の2‰ Y欠席 法院職権 違約金の約定計算 基準が著しく高い 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の4倍 6 (2013)浦 民一(民) 初 字 第 38022号 2014.1.23 不動産 売買 X個人 Y個人 不動産の 引渡し義 務の不履 行による 遅延違約 金 日に支払い済 みの契約代金 の1‰ Y申請 違約金の約定計算 基準が著しく高い Xが損失を挙証不 能 日に支払い済みの 契約代金の0.3‰ 7 (2013)浦 民一(民) 初 字 第 37496号 2014.1.27 金銭消 費貸借 X個人 Y個人 借金の未 払いによ る遅延違 約金と借 金の未払 いによる 違約金 ⑴遅延違約 金: 日に未払い借 金の0.8‰ ⑵違約金: 借金の5% Y申請 違約金の約定計算 基準が中国人民銀 行の同期・同類の 貸付基準利率より も高い 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の4倍 8 (2013)楊 民一(民) 初字第6164 号 2014.1.28 労働 X企業 Y個人 競業避止 義務の違 反による 違約金 44.2万元 (X年間収入 の2倍) Y申請 実際にXにもたら した不利の結果 Yの故意・過失の 度合い 公平、誠実信用原 則 30万元 9 (2014)滬 二 中 民 四 (商)終字 第67号 2014.2.10 サービ ス X企業 Y企業 サービス 代金の未 払いによ る遅延違 約金 日に未払い契 約代金の0.2% Y申請 違約金の約定計算 基準が著しく高い 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の4倍 10 (2013)常 商 終 字 第 539号 2014.2.17 請負 X企業 Y個人 請負目的 物の引渡 しの不履 行による 遅延違約 金 6.6万元 (日に2000元) Y申請 違約金の約定計算 基準がXの損失よ りも著しく高い Xが損失を挙証不 能 3.3万元 (日に1000元) 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2) [60]北法69(1・145)145 11 (2013)黄 浦民二(商) 初字第1041 号 2014.2.17 売買 X企業 Y企業 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に未払い契 約代金の1‰ Y申請 違約金の約定計算 基準が著しく高い 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の4倍 12 (2013)浦 民三(知)初 字第754号 2014.2.21 特許経 営 X企業 Y個人 特許経営 加盟費の 未払いに よる遅延 違約金 日に500元 Y申請 違約金の約定計算 基準が特許経営加 盟費の支払基準 (日に82元)より も著しく高い 日に20元 13 (2013)奉 民二(商)初 字第3264号 2014.2.25 請負 X企業 Y企業 請負代金 の未払い による違 約金 13.35万元(請 負代金の30%) Y申請 違約金の約定計算 基準がXの損失よ りも著しく高い Xが損失を挙証不 能 6.75万元(未払い代 金費用の30%) 14 (2013)卾 東宝民二初 字第00445 号 2014.2.26 株式譲 渡 X個人 Y個人 株式譲渡 手続き義 務の違反 による違 約金 200万元(違約 金が契約代金 の30%、すな わち300万元と なっていたが、 Xが200万元を 請求) Y申請 違約金の額がXの 損失と相当でなけ ればならない。 35万元(中国人民 銀行の同期・同類 の貸付基準利率の 4倍×1.3を基準と し、計算する) 15 (2013)閔 民一(民)初 字第20027 号 2014.2.26 サービ ス X企業 Y企業 サービス 代金の未 払いによ る遅延違 約金 日に未払い サービス費用 の3‰ Y申請 違約金の約定計算 基準が著しく高い 日に未払いサービ ス費用の0.7‰ 16 (2014)商 民一終字第 28号 2014.3.19 金銭消 費貸借 X企業 Y個人 借金の未 払いによ る遅延違 約金 日に借金の 3‰ Y申請 違約金の約定計算 基準が著しく高い 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の4倍 17 (2013)浦 民二(商)字 第3144号 2014.3.20 賃貸借 X企業 Y企業 賃貸料の 未払いに よる遅延 違約金 日に未払い賃 貸料の0.1% Y申請 違約金の約定計算 基準が著しく高い 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の4倍 18 (2013)滬 二 中 民 五 (知)終字第 116号 2014.3.21 請負 X企業 Y企業 請負目的 物の引渡 し義務の 不履行に よる遅延 違約金 20万元(違約 金の約定計算 基準が日に契 約代金の3% となっていた が、Xが20万 元を請求 Y申請 Xが損失を挙証不 能 契約の履行状況 1万元 19 (2013)滬 二中民(商) 終字第118 号 2014.3.21 売買 X企業 Y企業 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に未払い代 金の3‰ Y申請 Xが損失を挙証不 能 契約の履行状況 日に未払いサービ ス費用の0.5‰ 20 (2013)東 民 初 字 第 14393号 2014.3.31 著作権 許可使 用 X企業 Y企業 契約義務 の不履行 による違 約金 契約代金の 30% Y申請 Xが損失を挙証不 能 綜合考慮 中国人民銀行の同 期 ・同類の貸付基 準利率を基準とし 計算する 21 (2014)滬 二 中 民 二 (民)終字 第493号 2014.4.2 不動産 賃貸借 X企業 Y企業 賃貸料の 未払いに よる解約 違約金 21万元(6ヶ 月の賃貸料、 一月3.5万元) Yが契約 違反に否 認法院が これを違 約金が著 しく高い という抗 弁と見な す 違約金の約定額が 著しく高い Xも契約違反に過 失寄与 契約の履行状況 2万元 論   説 [61] 北法69(1・144)144 22 (2014)滬 二 中 民 四 (商)終字第 211号 2014.4.8 請負 X企業 Y企業 請負義務 の不履行 による遅 延違約金 日に請負代金 の5‰ Y申請 違約金の約定計算 基準が著しく高い 契約の履行状況 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の4倍 23 (2014)梁 民 初 字 第 316号 2014.4.13 金銭消 費貸借 X個人 Y個人 借金の未 払いによ る遅延違 約金 日に借金の 5% Y申請 違約金の約定計算 基準が著しく高い 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の4倍 24 (2013)虹 民四(民)初 字第3517号 2014.4.14 労働 X企業 Y個人 競業避止 義務の違 反による 違約金 5万元 (その代わり に、Xが職を 離れてから、 Yが月700元 の補償金を支 払うと約束し た) Y申請 Xが損失を挙証不 能 Xが7700元(10月) の補償金をYに支 払った状況 1.5万元 25 (2014)厦 海法事初字 第7号 2014.4.17 人身損 害賠償 X個人 Y企業 人身損害 賠償金の 未払いに よる遅延 違約金 日に未払い人 身損害賠償金 の3% Y申請 違約金の約定計算 基準がXの損失よ りも著しく高い 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の1.3倍 26 (2014)滬 一 中 民 二 (民)終字第 710号 2014.4.18 不動産 売買 X企業 Y個人 売買代金 の未払い による解 約違約金 230万元 (売買代金の 5%) Y申請 Xが損失を挙証不 能 契約の履行状況、 Xの実際的損失、 逸失利益、公平原 則 138万元(売買代金 の3%) 27 (2013)浦 民二(商)初 字第3725号 2014.5.4 売買 X企業 Y企業 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に未払い売 買代金の3‰ Y申請 違約金の約定計算 基準が著しく高い 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の4倍 28 (2014)霍 民一初字第 00646号 2014.5.8 売買 X個人 Y個人 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に売買代金 の1% Y申請 違約金の約定計算 基準が著しく高い 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の4倍 29 (2013)滬 二 中 民 一 (民)終字第 2660号 2014.5.9 金銭消 費貸借 X個人 Y個人 借金の未 払いによ る遅延違 約金 日に未払い借 金の5‰ Y申請 違約金の約定計算 基準が著しく高い 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の4倍 30 (2014)滬 一 中 民 二 (民)終字第 602号 2014.5.26 不動産 賃貸借 X企業 Y個人 賃貸料の 未払いに よる解約 違約金 40万元(一年 の賃貸料を32 万元とする) Y申請 違約金の約定計算 基準が著しく高い 契約履行の実際的 状況 4万元 31 (2014)滬 二 中 民 二 (民)終字第 547号 2014.5.30 不動産 売買 X個人 Y個人 不動産の 引渡し義 務の違反 による解 約違約金 55.5万 元(売 買代金の30% Y申請 違約金の約定計算 基準が著しく高い Xの実際的損失、 契約の履行状況、 Yの故意・過失の 度合い、公平原則 15万元 32 (2014)成 民 終 字 第 2307号 2014.6.3 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産名 義書換義 務の不履 行による 遅延違約 金 日に10元 Y申請 Xが損失を挙証不 能 Xの損失が逸失利 益の範囲にとどま る 契約の履行状況、 Yの故意・過失の 度合い 日に3元 33 (2014)美 民一初字第 693号 2014.6.3 不動産 賃貸借 X個人 Y個人 賃貸料の 未払いに よる遅延 違約金 日に未払い賃 貸料の3‰ 法院釈明 Y申請 違約金の約定計算 基準が損失よりも 著しく高い 契約の履行状況、 Yの故意・過失の度 合い、Xの損失、公 平と誠実信用原則 日に未払い賃貸料 の0.1‰ 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2) [62]北法69(1・143)143 34 (2014)金 東民初字第 582号 2014.6.5 サービ ス X企業 Y個人 サービス 料金の未 払いによ る遅延違 約金 日に未払い サービス費用 の2‰ Y欠席 法院職権 違約金の約定計算 基準が著しく高い 日に未払いサービ ス費用の0.84‰ 35 (2014)深 羅法民三初 字第494号 2014.6.6 売買 X個人 Y企業 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に売買代金 の1.5‰ Y申請 違約金の本質が損 失の填補にあり 公平原則、X、Y の契約履行状況と Yの過失 中国人民銀行の同 期・同類の貸付利 率の4倍 36 (2014)黔 議民商初字 第13号 2014.6.10 売買 X企業 Y企業 売買代金 の未払い による遅 延違約金 月に未払い売 買代金の4% Y申請 違約金の約定計算 基準が明に著しく 高い 月に未払い契約代 金の1% 37 (2014)玉 民 初 字 第 1587号 2014.6.10 金銭消 費貸借 X個人 Y個人 借金の未 払いによ る遅延違 約金 日に500元(20 万元の借金) 日に1700元 (100万元の借 金) Y申請 違約金の約定計算 基準が明に著しく 高い 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の4×1.3倍 38 (2014)卭 崍民初字第 195号 2014.6.13 売買 X企業 Y企業 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に未払い売 買代金の3‰ Y申請 Xが損失を挙証不 能 Xの損失を法定遅 延貸付利息の損失 と認定 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の1.3倍 39 (2014)商 商初字第80 号 2014.6.18 売買 X企業 Y企業 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に売買代金 の5% Y申請 Xが損失を挙証不 能 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の1.5×1.3倍 40 (2014)穗 天法民四初 字第2065号 2014.6.27 不動産 賃貸借 X個人 Y企業 賃貸料の 未払いに よる遅延 違約金 日に月の賃貸 料の2% Y申請 違約金の約定計算 基準が明に著しく 高い 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率 41 (2014)清 陽法民一初 字第229号 2014.6.30 請負 X個人 Y企業 請負代金 の未払い による遅 延違約金 日に500元 Y欠席 法院職権 Xの損失を法定遅 延貸付利息の損失 と認定 違約金の約定計算 基準が損失よりも 著しく高い 公平と誠実信用原 則 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の2倍 42 (2013)濰 商 初 字 第 168号 2014.7.3 売買 X企業 Y企業 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に売買代金 の1%(一部 の売買目的 物)、日に売 買代金の5‰ (一部の売買 目的物) Y申請 Xが損失を挙証不 能 Xの損失を法定遅 延貸付利息の損失 と認定 中国人民銀行の同 期 ・同類の貸付基 準利率の1.5倍 43 (2014)長 中民三終字 第02670号 2014.7.3 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産名 義書換義 務の不履 行による 遅延違約 金 9万元 (日に支払い 済みの売買代 金の0.3‰) Y申請 Xが損失を挙証不 能 公平原則と誠実信 用原則 7000元 44 (2014)浦 民一(民)初 字第14332 号 2014.7.3 サービ ス X個人 Y企業 サービス 契約義務 の不履行 による遅 延違約金 1.6万元 (日に30元) Y申請 Xが損失を挙証不 能 契約の履行状況、 当事者の故意・過 失の度合いおよび Xの逸失利益 1000元 45 (2014)滁 民一終字第 00722号 2014.7.4 不動産 売買 X個人 Y個人 売買代金 の未支払 いによる 遅延違約 金 日に契約代金 の3‰ Y申請 X、Yがともに損 失を挙証不能 契約の履行状況 日に契約代金の 0.6‰ 論   説 [63] 北法69(1・142)142 46 (2013)睢 商 初 字 第 348号 2014.7.7 売買 X企業 Y企業 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に未払い売 買代金の1‰ Y申請 違約金の計算基準 が明に著しく高い 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の1.3倍 47 (2014)濱 塘民初字第 1599号 2014.7.9 請負 X企業 Y企業 請負代金 の未払い による遅 延違約金 日に未払いの 請負代金の 1‰ Y申請 違約金の約定計算 基準が損失よりも 著しく高い 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の1.3倍 48 (2014)鳥 中民一終字 第654号 2014.7.11 売買 X個人 Y個人 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に売買代金 の10% Y申請 Xが損失を挙証不 能 Xの損失を法定遅 延貸付利息の損失 と認定 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の1.3倍 49 (2014)旌 民 初 字 第 1996号 2014.7.14 売買 X企業 Y企業 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に売買代金 の1% Y申請 Xが損失を挙証不 能 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の1.5×1.3倍 50 (2014)黔 義民商初字 第45号 2014.7.16 株式譲 渡 X個人 Y個人 譲渡代金 の未払い による違 約金 日に未払い譲 渡代金の1% (Ⅹが違約金 を未払い譲渡 代金の30%と 主張) Y申請 Xの損失を法定遅 延貸付利息の損失 と認定 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の1.3倍 51 (2014)溧 商 初 字 第 339号 2014.7.17 賃貸借 X企業 Y企業 賃貸借契 約の義務 の不履行 による解 約違約金 2000元 Y申請 違約金の約定計算 基準が損失よりも 著しく高い Xの損失、契約の 履行状況 1440元 52 (2014)松 民三(民) 初字第1624 号 2014.7.18 不動産 売買 X個人 Y個人 不動産の 引渡し義 務の不履 行による 解約違約 金 25.6万元 (契約代金の 20%) Y申請 Xが損失を挙証不 能 契約の履行状況、 公平原則 12.8万元(契約代金 の10%) 53 (2014)肇 德法民一初 字第54号 2014.7.22 売買 X企業 Y企業 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に未払い売 買代金の4‰ Y申請 違約金の計算基準 が明に損失よりも 著しく高い 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の1.3倍 54 (2014)遵 市法民商終 字第85号 2014.7.22 売買 X企業 Y企業 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に未払い売 買代金の0.5‰ Y申請 Xが損失を挙証不 能 Xの損失を法定遅 延貸付利息の損失 と認定 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率 55 (2014)滬 高民四(海) 終字第69号 2014.7.23 賃貸借 X企業 Y企業 賃貸料の 未払いに よる遅延 違約金 日に未払い賃 貸料の5% Y申請 Xが損失を挙証不 能 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の1.3倍 56 (2013)黔 七民初字第 1128号 2014.7.25 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産の 引渡し義 務の不履 行による 解約違約 金 支払い済みの 売買代金の 2% Y申請 違約金の約定が損 失よりも著しく高 い Xの損失を不動産 賃貸料の損失と認 定 不動産賃貸料の相 場 日に40元×1.3 57 (2014)渝 一中法民終 字第03635 号 2014.7.25 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産の 引渡しの 不履行に よる遅延 違約金 日に支払い済 みの売買代金 の1‰ Y申請 Xが損失を挙証不 能 Xの損失を不動産 賃貸料の損失と認 定 不動産賃貸料の相 場 日に1000元×1.3 58 (2014)張 金商初字第 146号 2014.7.28 売買 X企業 Y企業 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に売買代金 の3% Y申請 Xが損失を挙証不 能 Xの損失を法定遅 延貸付利息の損失 と認定 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の1.3倍 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2) [64]北法69(1・141)141 59 (2014)南 市民二終字 第212号 2014.7.31 売買 X企業 Y企業 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に売買代金 の2‰ Y申請 違約金の約定計算 基準が著しく高い 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の1.3倍 60 (2014)東 一法道民二 初字第124 号 2014.8.1 売買 X企業 Y企業 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に未払い売 買代金の3‰ Y申請 違約金の約定計算 基準が著しく高い 中国人民銀行の同 期の貸付利率の4 倍 61 (2014)徐 民 終 字 第 01319号 2014.8.5 賃貸借 X個人 Y個人 賃貸料の 未払いに よる遅延 違約金 日に未払い賃 貸料の3‰ Y申請 違約金の約定計算 基準が損失よりも 著しく高い 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の1.3倍 62 (2014)深 中法房終字 第571号 2014.8.7 不動産 売買 X企業 Y個人 売買代金 の未払い による解 約違約金 14.4万元 (契約代金の 10%) Y申請 Xが損失を挙証不 能 Xが一部履行 X、Yがともに故 意・過失あり Xの故意・過失の 度合いが比較的に 低い 公平原則と誠実信 用原則 5万元 63 (2014)硯 民 初 字 第 432号 2014.8.7 請負 X企業 Y個人 請負代金 の未払い による遅 延違約金 日に未払い請 負代金の1% Y申請 Xの損失を法定遅 延貸付利息の損失 と認定 契約の履行状況、 Yの故意・過失の 度合い、Xの逸失 利益、Yが自由意 思により3万元を 負担 3万元 64 (2014)黔 東民商終字 第36号 2014.8.14 売買 X企業 Y企業 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に未払い売 買代金の3‰ Y申請 Xが損失を挙証不 能 Xの損失を法定遅 延貸付利息の損失 と認定 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率 65 (2014)舟 定民初字第 421号 2014.8.14 不動産 賃貸借 X個人 Y個人 契約義務 の違反に よる解約 違約金 100万元 Y申請 違約金の額がXの 損失に基づくべき である。 契約の履行状況 50万元 66 (2014)五 法民二初字 第199号 2014.8.20 不動産 賃貸借 X個人 Y企業 契約義務 の違反に よる違約 金 85.5万元 (3年賃貸料 の30%) Y申請 Xが損失を挙証不 能 Xの損失、契約の 履行状況、当事者 の故意・過失の度 合い 18万元 (1年賃貸料の 20%) 67 (2014)岳 中民一終字 第215号 2014.8.21 不動産 賃貸借 X個人 Y企業 契約義務 の違反に よる違約 金 20万元 Y申請 Xが損失を挙証不 能 重大な契約違反で はない 契約履行の実際的 状況 5万元 68 (2014)成 民 終 字 第 4464号 2014.8.25 売買 X企業 Y企業 契約義務 の違反に よる違約 金 185万元 (契約代金の 25%) Y申請 Xが損失を挙証不 能 公平と誠実信用原 則、事実および契 約の履行状況 5万元 69 (2014)遼 民二終字第 00113号 2014.8.25 売買 X企業 Y個人 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に未払い売 買代金の3‰ Y申請 Xの損失を法定遅 延貸付利息の損失 と認定 中国人民銀行の同 期 ・同類の貸付基 準利率 70 (2013)民 提字第203 号 2014.8.27 売買 X企業 Y個人 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に未払い売 買代金の5‰ Y申請 違約金の約定計算 基準が著しく高い Yが一部履行(60% ぐらい) 契約後に契約単価 の変化、違約の期 間 日に未払い契約代 金の4‰ 論   説 [65] 北法69(1・140)140 71 (2014)杭 桐民初字第 623号 2014.8.28 不動産 賃貸借 X企業 Y個人 賃貸料の 未払いに よる遅延 違約金 日に未払い賃 貸料の1‰ Y申請 Xが損失を挙証不 能 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の1.3倍 72 (2014)深 塩法房初字 第102号 2014.9.1 不動産 売買 X個人 Y個人 不動産の 引渡し義 務の違反 による解 約違約金 24.8万元 (契約代金の 20%) Y申請 Xが損失を挙証不 能 Xが悪意ではない 10万元 73 (2014)蛟 民二初字第 147号 2014.9.3 株式譲 渡 X個人 Y個人 譲渡代金 の未払い による違 約金 未払い譲渡代 金の30% 法院釈明 Y申請 違約金の約定計算 基準が損失よりも 著しく高い 違約金の基準を中 国人民銀行の同期・ 同類の貸付基準利 率の4倍とし、計 算する 74 (2014)鉄 東民三初字 第571号 2014.9.5 サービ ス X企業 Y個人 サービス 代金の未 払いによ る遅延違 約金 日に未払い サービス費用 の3‰ Y申請 Xが損失を挙証不 能 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の1.3倍 75 (2014)平 民二終字第 395号 2014.9.11 サービ ス X個人 Y企業 サービス 代金の未 払いによ る遅延違 約金 日に未払い サービス費用 の1% Y申請 Xが損失を挙証不 能 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率 76 (2014)門 民(商)初字 第3062号 2014.9.11 請負 X企業 Y企業 請負代金 の未払い による遅 延違約金 日に請負代金 の0.3‰ Y申請 違約金の約定計算 基準がXの損失と 比べて著しく高い Yが契約の80%を 履行 公平原則と誠実信 用原則 日に請負代金の 0.2‰ 77 (2014)金 東民初字第 572号 2014.9.11 サービ ス X企業 Y個人 サービス 代金の未 払いによ る遅延違 約金 日に未払い サービス費用 の2‰ Y欠席 法院職権 違約金の約定計算 基準が著しく高い 日に未払いサービ ス費用の0.84‰ 78 (2014)徳 民二初字第 53号 2014.9.12 売買 X企業 Y企業 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に売買代金 の1‰ Y申請 違約金の約定計算 基準が著しく高い 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の1.5倍 79 (2014)黔 納民初字第 603号 2014.9.15 売買 X個人 Y企業 売買代金 の未払い による遅 延違約金 未払い売買代 金の10% Y申請 違約金の約定計算 基準が実際的損失 よりも著しく高い 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の1.5倍 80 (2014)成 民 終 字 第 4757号 2014.9.15 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産名 義書換義 務の不履 行による 遅延違約 金 3.6万元 (日に支払い 済みの契約代 金の1‰) Y申請 Xが損失を挙証不 能 7300元 81 (2014)焦 民三終字第 00245号 2014.9.16 不動産 賃貸借 X企業 Y企業 契約義務 の違反に よる違約 金 200万元 法院釈明 Y申請 違約金の約定が著 しく高い 契約の実際的状況 X、Yがともに故 意・過失あり 46万元 82 (2014)穗 中法民二終 字第1307号 2014.9.17 売買 X企業 Y企業 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に未払い売 買代金を基準 に10元 / トン Y申請 Xが損失を挙証不 能 違約金の約定計算 基準が著しく高い 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の4倍 83 (2014)沈 中民三初字 第100号 2014.9.18 売買 X企業 Y企業 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に未払い売 買代金の3‰ Y申請 違約金の約定計算 基準が著しく高い ため、懲罰性が公 平合理の原則に違 反する。 Yが故意違約では ない。 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の1.3倍 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2) [66]北法69(1・139)139 84 (2014)広 民 初 字 第 356号 2014.9.19 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産の 引渡し義 務の不履 行による 遅延違約 金 日に支払い済 みの売買代金 の0.5‰ Y申請 Xが損失を挙証不 能 契約履行の状況 違約金の賠償性と 懲罰性 公正と誠実信用原 則 日に支払い済みの 売買代金の0.1‰ 85 (2014)鶴 民初字第87 号 2014.9.19 金銭消 費貸借 X個人 Y企業 借金の未 払いによ る遅延違 約金 日に借金の 2% Y申請 違約金の約定計算 基準が著しく高い 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の4倍 86 (2014)海 中法民二終 字第201号 2014.9.19 売買 X企業 Y企業 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に未払い売 買代金の3‰ Y申請 Xが損失を挙証不 能 Xの損失を法定遅 延貸付利息の損失 と認定 日に未払い契約代 金の0.5‰ 87 (2014)卾 民二終字第 00072号 2014.9.21 売買 X企業 Y企業 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に未払い売 買代金の3‰ Y申請 違約金の約定計算 基準が著しく高い Xが損失を挙証不 能 Xの損失を法定遅 延貸付利息の損失 と認定 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の1.3倍 88 (2014)港 北民初字第 2072号 2014.9.23 不動産 売買 X個人 Y個人 売買代金 の未支払 いによる 遅延違約 金 日に未払いの 売買代金の 0.5% Y申請 違約金の約定計算 基準が著しく高い Yに対する懲罰 契約の実際的な状 況 日に未払いの契約 代金の0.15% 89 (2014)岳 民 初 字 第 04180号 2014.9.23 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産名 義書換義 務の不履 行による 遅延違約 金 2.6万元 (日に支払い 済みの売買代 金の1‰) Y申請 損失に関する証明 なし 公平原則と誠実信 用原則 2600元 90 (2014)棗 民四商初字 第12号 2014.9.24 売買 X企業 Y個人 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に売買代金 の5‰ Y申請 Xが損失を挙証不 能 Xの損失を法定遅 延貸付利息の損失 と認定 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率×1.4倍 91 (2014)廊 開民初字第 463号 2014.9.25 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産の 引渡し義 務の不履 行による 遅延違約 金 30日遅延する と、日に支払 い済みの売買 代金の0.8‰ Y申請 違約金の約定計算 基準が明らかに著 しく高い 公正と誠実信用原 則 Yの違約の故意・ 過失の度合いおよ びXの逸失利益 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の1.3倍 92 (2014)滬 一 中 民 四 (商)終字第 1304号 2014.9.26 金銭消 費貸借 X個人 Y企業 借金の未 払いによ る遅延違 約金 日に借金の 2‰ Y申請 違約金の約定計算 基準が著しく高い 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の4倍 93 (2014)防 市民二終字 第4号 2014.9.28 売買 X企業 Y企業 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に未払い売 買代金の2‰ Y申請 Xが損失を挙証不 能 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の1.3倍 94 (2014)德 民三終字第 115号 2014.9.28 売買 X企業 Y企業 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に未払い売 買代金の8‰ Y申請 違約金の約定計算 基準が明らかに著 しく高い Xの損失を法定遅 延貸付利息の損失 と認定 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の1.5×1.3倍 論   説 [67] 北法69(1・138)138 95 (2014)黔 義民初字第 2167号 2014.9.28 金銭消 費貸借 X企業 Y個人 借金の未 払いによ る遅延違 約金 日に借金の 4% Y申請 Xの損失を法定遅 延貸付利息の損失 と認定 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の4×1.3倍 96 (2014)卾 武昌民初字 第00241号 2014.9.29 請負 X企業 Y企業 請負代金 の未払い による違 約金 未払い請負代 金の15% Y申請 Xが損失を挙証不 能 Xの損失を法定遅 延貸付利息の損失 と認定 違約金の額が中国 人民銀行の同期・ 同類の貸付基準利 率 の1.3倍 を 基 準 に、計算する 97 (2014)銀 民商終字第 161号 2014.9.30 売買 X企業 Y企業 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に未払い売 買代金の3‰ Y欠席 法院職権 Xの損失を法定遅 延貸付利息の損失 と認定 日に未払い契約代 金の0.5‰ 98 (2014)興 民 初 字 第 3921号 2014.9.30 賃貸借 X企業 Y企業 賃貸料の 未払いに よる遅延 違約金 日に未払い賃 貸料の5‰ Y申請 Xが損失を挙証不 能 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の1.3倍 99 (2014)夾 江民初字第 1101号 2014.10.09 売買 X企業 Y企業 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に未払い売 買代金の3‰ Y申請 Xが損失を挙証不 能 Xの損失を法定遅 延貸付利息の損失 と認定 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の1.3倍 100 (2014)福 商 初 字 第 115号 2014.10.10 賃貸借 X企業 Y企業 賃貸料の 未払いに よる遅延 違約金 日に未払い賃 貸料の2‰ Y申請 Xが損失を挙証不 能 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の1.3倍 101 (2014)二 中民四終字 第631号 2014.10.10 請負 X企業 Y企業 請負代金 の未払い による遅 延違約金 日に未払い請 負代金の1‰ Y申請 Xの損失を法定遅 延貸付利息の損失 と認定 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の1.3倍 102 (2014)長 民三(民)初 字第1873号 2014.10.10 不動産 賃貸借 X個人 Y企業 賃貸料の 未払いに よる遅延 違約金 10.3万元 (1日賃貸料 の2倍、すな わち3000元 / 日) Y申請 違約金の約定計算 基準が明らかに著 しく高い Yの故意・過失の 度合い Xの損失、Yの故 意・過失の度合い 6.5万元 103 (2014)卾 武昌民初字 第03855号 2014.10.12 売買 X企業 Y企業 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に未払い売 買代金を基準 に10元 / トン Y申請 Xの損失を法定遅 延貸付利息の損失 と認定 公平と誠実信用原 則、違約金の填補 性と懲罰性 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の1.3倍 104 (2014)湖 民一初字第 993号 2014.10.15 請負 X個人 Y企業 請負義務 の不履行 による遅 延違約金 60万元 (5日遅延す ると、契約代 金の50%) Y申請 違約金の約定計算 基準が損失よりも 著しく高い 39.5万元 (契約代金の20%) 105 (2014)慶 商初字第45 号 2014.10.15 賃貸借 X企業 Y企業 賃貸料の 未払いに よる違約 金 30万元 (賃貸料の 30%) Y申請 違約金の約定計算 基準が損失よりも 著しく高い 違約金の額が中国 人民銀行の同期・ 同類の貸付基準利 率を基準に、計算 する 106 (2014)佛 城法民二初 字第878号 2014.10.16 売買 X企業 Y企業 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に売買代金 の3‰ Y申請 違約金の約定計算 基準が明らかにが 著しく高い 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の2倍 107 (2014)渡 法民初字第 01939号 2014.10.17 売買 X企業 Y企業 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に売買代金 の0.2% 30日遅延する と、2.5万元(売 買代金の30%) Y申請 違約金の約定計算 基準がXの損失よ りも著しく高い Xの損失状況、Y の違約程度 8000元 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2) [68]北法69(1・137)137 108 (2014)渝 高法民終字 第00338号 2014.10.17 請負 X企業 Y企業 請負義務 の違反に よる違約 金 500万元 Y申請 Xが損失を挙証不 能 契約の履行状況、 公平と誠実信用原 則 200万元 109 (2014)陽 中法民一終 字第265号 2014.10.21 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産の 引渡し義 務の違反 による違 約金 11.7万元 (契約代金の 30%) Y申請 Xが損失を挙証不 能 Xが契約一部履行 契約履行の状況 3.5万元 110 (2014)匯 民 初 字 第 1905号 2014.10.22 金銭消 費貸借 X企業 Y企業 借金の未 払いによ る遅延違 約金 月に借金の 3% Y申請 違約金の約定計算 基準が著しく高い 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の4倍 111 (2014)嘉 民一終字第 179号 2014.10.27 請負 X個人 Y企業 請負代金 の未払い による遅 延違約金 日に200万元 Y申請 Xの損失を法定遅 延貸付利息の損失 と認定 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の1.3倍 112 (2014)四 商初字第69 号 2014.10.28 売買 X企業 Y企業 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に未払い売 買代金の5% 法院釈明 Y申請 Xが損失を挙証不 能 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の4倍 113 (2014)合 法民初字第 06117号 2014.10.28 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産の 引渡し義 務の不履 行による 遅延違約 金 30日遅延する と、日に支払 い済みの売買 代金の1‰ Y申請 違約金の約定計算 基準が著しく高い 不動産の賃貸料の 相場 月に1200元×1.3 114 (2014)大 民三終字第 852号 2014.10.28 請負 X企業 Y個人 請負代金 の未払い による遅 延違約金 日に未払い請 負代金の3% Y申請 Xが損失を挙証不 能 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の1.3倍 115 (2014)百 中民一終字 第649号 2014.11.4 請負 X企業 Y個人 請負代金 の未払い による遅 延違約金 1.65万元 (月に請負代 金の5%を基 準に) Y申請 X、Yがともに損 失を挙証不能 9000元 (未払い請負代金 の30%) 116 (2014)眉 民 初 字 第 154号 2014.11.6 売買 X企業 Y企業 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に未払い売 買代金の3‰ Y申請 Xが損失を挙証不 能 Xの損失を法定遅 延貸付利息の損失 と認定 Yの過失の度合い 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の4倍 117 (2014)東 中法民一終 字第28号 2014.11.6 サービ ス X企業 Y企業 サービス 代金の未 払いによ る遅延違 約金 日に未払い サービス費用 の1‰ Y申請 Xが損失を挙証不 能 Xの損失を法定遅 延貸付利息の損失 と認定 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の1.3倍 118 (2014)成 民 終 字 第 5597号 2014.11.7 売買 X個人 Y企業 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に未払い売 買代金の2‰ Y申請 XとYがともに損 失を挙証不能 業種の慣例、公平 原則、違約状況 日に未払い契約代 金の0.5‰ 119 (2014)新 都民初字第 3963号 2014.11.7 不動産 売買 X企業 Y個人 売買代金 の未支払 いによる 遅延違約 金 15.8万元 (契約代金の 20%) Y違約金 の支払い に対する 抗弁 Xが損失を挙証不 能 契約の履行状況、 当事者の故意・過 失の度合い 2万元 120 (2014)石 民四終字第 00797号 2014.11.7 請負 X企業 Y企業 請負代金 の未払い による遅 延違約金 日に請負代金 の1‰ Y申請 Xが損失を挙証不 能 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の1.3倍 論   説 [69] 北法69(1・136)136 121 (2014)宿 埇民一初字 第05463号 2014.11.11 売買 X企業 Y個人 売買代金 の未払い による遅 延違約金 3日ごとに遅 延すると、売 買代金の5% Y契約違 反否認 Xが損失を挙証不 能 公平と誠実信用原 則 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率 122 (2014)滬 二 中 民 二 (民)終字策 1146号 2014.11.11 不動産 売買 X企業 Y個人 売買代金 の未払い による解 約違約金 51万元 (契約代金の 10%) Y契約違 反否認 違約金の約定計算 基準が損失よりも 著しく高い Yの故意・過失の 度合い、不動産市 場の相場、契約履 行の状況 9万元 123 (2014)威 商 終 字 第 332号 2014.11.12 売買 X個人 Y個人 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に500元 Y申請 違約金の約定が契 約代金よりも著し く高い Xが損失を挙証不 能 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の1.3倍 124 (2014)穗 中法民二終 字第1772号 2014.11.17 売買 X企業 Y企業 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に未払い売 買代金の2% Y申請 違約金の約定計算 基準が著しく高い 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の4倍 125 (2014)浙 台商終字第 751号 2014.11.17 サービ ス X企業 Y個人 サービス 義務の違 反による 違約金 20万元 Y申請 Xが損失を挙証不 能 Xのブラントによ る逸失利益の損失 の可能性 公平と誠実信用原 則 7万元 126 (2014)広 漢民初字第 1953号 2014.11.25 売買 X企業 Y企業 売買代金 の未払い による遅 延違約金 日に未払い売 買代金の2% Y申請 違約金の約定計算 基準が損失よりも 著しく高い 中国人民銀行の同 期・同類の貸付基 準利率の1.3倍 127 (2014)広 法民終字第 714号 2014.12.5 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産名 義書換義 務の不履 行による 遅延違約 金 8000元 (日に支払い 済みの売買代 金の0.1‰) Y申請 Xが損失を挙証不 能 1000元 附表4 違約金の減額が認められなかった裁判例リスト (北大法意 判決年月日2014年度) 番 号 判決号、 判決年月日 契約紛 争類型 当事者 の属性 違約金紛争 の類型 違約金の約定 (約定額または 約定計算基準) 訴訟手続 きの開始 法院による減額の 否定の判決理由 1 (2013)青民 二(商)初字第 2020号 2014.1.8 売買 X企業 Y企業 売買目的物の引渡 し義務の違反によ る解約違約金 7.3万元 (売買代金の 10%) Y申請 違約金の約定額がXの損 失よりも著しく高いので はない Yが契約履行において明 らかな悪意を持っている 2 (2013)成民 初字第1153号 2014.1.13 売買 X企業 Y企業 売買目的物の引渡 し義務の不履行に よる遅延違約金 日に1万元 Y申請 Yが契約違反によりXに もたらされた損失につい て明らかにしていたはず 3 (2014)滬一 中民二(民)終 字第37号 2014.2.12 不動産 売買 X企業 Y個人 売買代金の未払い による遅延違約金 日に未払い売買 代金の0.3‰ Y申請 違約金の約定計算基準が Xの損失よりも著しく高 いのではない 4 (2014)大民 三終字第207 号 2014.4.3 売買 X企業 Y企業 売買代金の未払い による遅延違約金 日に未払い売買 代金の0.5‰ Y申請 Yが故意違約に当たる 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2) [70]北法69(1・135)135 5 (2014)惠中 法民二終字第 47号 2014.4.29 売買 X企業 Y企業 売買代金の未払い による遅延違約金 月に2% Y申請 違約金の約定計算基準が 中国人民銀行の同期の貸 付利率の4倍を超えてい ない 6 (2013)渝北 法民初字第 16250号 2014.5.8 賃貸借 X企業 Y企業 賃貸料の未払いに よる遅延違約金 未払い賃貸料 の20% Y申請 違約金の約定額がXの損 失よりも著しく高いので はない 7 (2014)愉二 中法民終字第 00711号 2014.6.26 不動産 賃貸借 X個人 Y個人 賃貸借義務の違反 による違約金 7000元 Y申請 Xの損失に証拠なし 8 (2014)寧民 終字第1867号 2014.7.8 労災賠 償 X個人 Y企業 賠償金の未払いに よる違約金 8万元 Y申請 Yの行為が誠実信用原則 に違反し、故意・過失が 明らかである 9 (2014)穗从 法房初字第 179号 2014.7.24 不動産 売買 X個人 Y個人 不動産の引渡し義 務の違反による違 約金 3万元 Y申請 XとYの真の意思表示 法律の規定に違反してい ない 10 (2014)南市 民二終字第 192号 2014.7.31 売買 X企業 Y企業 売買代金の未払い による違約金 未払い契約代金 の30% Y申請 Yの重大な契約違反 Yの違約行為が信用を失 わせた程度 11 (2014)秦紅 民初字第45号 2014.8.16 不動産 賃貸借 X企業 Y企業 賃貸料の未払いに よる遅延違約金 未払い契約代金 の10% Y申請 違約金の約定基準が中国 人民銀行の同期の貸付利 率の4倍を超えていない 12 (2014)穗増 法民二初字第 1280号 2014.9.5 売買 X個人 Y個人 契約代金の未払い による遅延違約金 日に未払い契約 代金の0.6‰ Y申請 違約金の約定計算基準が 強制規定に違反していな い 13 (2014)滬一 中民二(民)終 字第2103号 2014.9.9 不動産 賃貸借 X企業 Y個人 賃貸借義務の違反 による解約違約金 賃貸料の20% Y申請 Yが損失を挙証不能 14 (2014)泉民 終字第3066号 2014.9.16 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産名義書換義 務の不履行による 遅延違約金 日に支払い済み の契約代金の 0.1‰ Y申請 Yが「違約金が著しく高 い」に挙証不能 15 (2014)分民 一初字第68号 2014.9.17 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産の引渡し義 務の不履行による 遅延違約金 30日に遅延する と、支払い済み の契約代金の 0.2‰ Y申請 Xが逸失利益を失う可能 性 違約金の約定額が強行規 定、商業慣例に符合して いる 16 (2014)賽民 初字第00056 号 2014.9.18 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産の引渡し義 務の不履行による 遅延違約金 日に支払い済み の契約代金の 0.1‰ Y申請 違約金の約定計算基準が 合理であり同類、同地域 の不動産賃貸料の相場を 超えていない。 17 (2014)済商 終字第460号 2014.9.23 売買 X企業 Y個人 売買代金の未払い による遅延違約金 月に契約代金の 5% Y申請 違約金の約定計算基準が 中国人民銀行の同期の貸 付利率の4倍を超えてい ない 18 (2014)白山 民二終字第 225号 2014.10.8 リース X個人 Y企業 転貸禁止義務の違 反による違約金 5万元 Y申請 Yの違約行為が誠実信用 原則に違反し、悪意違約 の主観的故意がある 19 (2014)欽北 民初字第1393 号 2014.10.16 売買 X企業 Y企業 売買代金の未払い による遅延違約金 日に未払いの契 約代金の0.3‰ Y申請 違約金の約定計算基準が 強制規定に違反していな い 論   説 [71] 北法69(1・134)134 20 (2014)穗中 法民五終字第 4139号 2014.10.13 不動産 売買 X個人 Y企業 不動産の引渡し義 務の不履行による 遅延違約金 日に契約代金の 0.5‰ Y申請 YがXの損失を挙証不能 Xの損失が賃貸料と転貸 の逸失利益を含める可能 性 21 (2014)津高 民四終字第83 号 2014.11.4 海運 X企業 Y企業 運送契約義務の違 反による違約金 運賃の20% Y申請 Yが「違約金が著しく高 い」に挙証不能 Xが第三者と再契約によ り損失が生じる可能性 22 (2014)広民 終字第291号 株式譲 渡 X企業 Y個人 株式譲渡義務の違 反による違約金 200万元 Y申請 Yが重大な契約違反 (未完) [73] 北法69(1・132)132 解  題 郭     薇  Ⅰ はじめに  2017年10月13日、法理論研究会、民事法研究会、民法理論研究会の共催によ り、「『動的システム論(Bewegliches System)』をめぐる誤解または過大評価: 中国法の動向」と題する講演会が行われた。  「動的システム論」は、オーストリアの民法学者ヴィルブルク(Walter Wilburg)が初めて提示し、オーストリアやドイツで影響力のある法解釈方法 論の一つである。日本においでも、山本敬三教授1や石田喜久夫教授2によって 紹介され、注目を集めてきた。本講演では、民法学の視点から、日本での議論 状況を参照しつつ、近時の中国における「動的システム論」の受容とその特徴 が取り上げられた。本講演のベースとなる論文は、中国で最も権威ある法律雑 誌の一つ『法学研究』に掲載され、直ちに注目を集めた3。その意味で、本講演は、 1 山本敬三「民法における動的システム論の検討─法的評価の構造と方法に関 する序章的考察─」法学論叢138巻1=2=3合併号(1995)208頁以下 2 石田喜久夫「ひとつの動的体系論」京都学園法学第2号(1998)129頁以下 3 解亘=班天可(訳)「被高估和被误解的动态系统论」法学研究(中国社会科学院) 講 演 動的システム論 (Bewegliches System)をめぐる 誤解または過大評価:中国法の動向 解     亘 動的システム論(Bewegliches System)をめぐる誤解または過大評価:中国法の動向 [74]北法69(1・131)131 中国の民法学に関する最新の議論を紹介するものといえる。また、本講演から 日中両国の法学の共通課題と相違点を見ることができる。  報告者である解亘教授は、中国における日本法研究と民法学の中堅の一人で あり、とりわけ債権法および知的財産権法の造詣が深い。また、判例制度など いわゆる法学方法論に関する論考も多数公表している4。同氏は、西安交通大学 材料工学部と中国人民大学法学部、二つの学部教育を受けた後、京都大学で山 本敬三教授に師事、2001年同大学法学部修士・博士課程を修了し、現在南京大 学法学部の教授である。2003年に、解教授は山本敬三教授が執筆した「民法に おける動態システムの検討─法的評価の構造と方法に関する序章的考察」(法 学論叢138巻1=2=3合併号,208-298頁)の中国語訳を公表した5。これは、 中国国内で「動的システム論」を紹介する早期文献の一つとされる。 Ⅱ 講演の内容  本講演は、このような解教授の法学方法論への問題関心や比較法研究の展開 を背景に、中国民法学の現状、その法継受の特徴や直面している課題などを明 快に考察したものである。本講演の内容で特に注目すべき点を挙げるとすれば、 以下のようになろう。  第一に、中国における「動的システム論」の流行は、単なる海外の研究動向 や特定の研究者の影響ではなく、現実の事情に沿って柔軟に法を解釈すべきと いう従来からの支配的な理念と合致しているがゆえであるということである。 このことは、政策判断や、多様な主体の意見に影響されやすい中国の法学・司 法のあり方と関係している。近時法解釈学を重視する傾向が見られる中国の民 事法領域も例外ではない。  第二に、近時の中国における「動的システム論」の受容において中心的関心 2017年第2期41頁以下 4 代表作として、『法政策学-有关制度设计的学问』(法政策学─制度設計に関 する学問)环球法律评论(中国政法大学)2005年2期;『论学者在案例指导制度 中的作用』(判例指導制度における学者の役割について)南京大学学报(中国南 京大学)2010年2期;『正当化视角下的民法比较法研究』(「正当化」の視点から みる民法比較法研究)法学研究(中国社会科学院)2013年6期。 5 山本敬三=解亘(訳)『民法中的动态系统论』「民商法论丛23卷」香港金桥文化 出版有限公司,2003年 講   演 [75] 北法69(1・130)130 となっているのはまさに解釈の柔軟性であり、本来「動的システム論」の柱で ある基準価値の所在が軽視されがちであるということである。「動的システム 論」に言及する中国の研究者の議論において、「動的システム論」といわゆる「利 益衡量論」とを同一視する傾向が強いことがその証左である。この一つの背景 として、日本の「法解釈論争」のような、リアリズム法学に対する反省的検討 を経験して来なかったことが挙げられている。判断の柔軟性を求めるこうした 傾向に対して、中国民法学がいまだに有効な対抗手段を習得していないことも 指摘されている。  第三に、「社科法学」という名で近年急速に広がっている、経済学や心理学 など社会諸科学と法学との学際的研究が、「動的システム論」の浸透に拍車を かけたということである。この点に関する教授の見解は講演の最後で簡単に述 べられているが、この問題は中国に限らない。日本においても、経済学、心理 学、神経科学などと実定法学との連携が進んでおり、改めて動的システム論の 射程がアクチュアルな問題として立ち現れてくるはずである。 Ⅲ 質疑応答  講演の後、参加者と報告者の間で1時間以上の質疑応答が行われた。以下に、 その主な論点をまとめる。  第一に、「動的システム論」の評価とその流行の背後にある社会的環境につ いてのものである。最初、日本が経験した第一次法解釈論争や第二次法解釈論 争を参照しながら、「動的システム論」の基盤である(と思われる星野英一教授 流の)「価値のヒエラルヒア」の体系化の可否、さらには「動的システム論」の オリジナリティについての質問がなされた。これに対し、解教授によれば今回 の講演の主眼は本来の「動的システム論」からかけ離れた展開を見せている中 国の理論状況の批判的検討であり、「動的システム論」自体の妥当性は括弧に 入れられている。とはいえ、東アジア、とりわけ日本と中国における法継受に 共通する社会的・歴史的基盤が、概念法学よりもむしろ法の外にある社会規範 や利益を取り入れる「動的システム論」への関心を導いている面もあるのでは ないかとの指摘もなされた。また、国や時代の背景といったファクター以外に、 分野の特性も「動的システム論」の受容に影響を与えるという指摘もあった。 具体的に、「産業の発展」といった明確な目的があり、原理の衝突が少ない特 許法の分野からみる「動的システム論」の評価は民法学のそれと異なり得ると 動的システム論(Bewegliches System)をめぐる誤解または過大評価:中国法の動向 [76]北法69(1・129)129 いうことである。  第二に、中国における「動的システム論」の効果との関係で、裁判官や法学 者の反応についての質問が集中した。特に「動的システム論」を扱う中国の学 者が持っている問題意識や、「動的システム論」が裁判官の裁量にいかなる影 響を与えるかという点である。解教授によれば、中国の裁判官は裁量の拡大に 対して消極的であり、裁判の運営にとって「動的システム論」の考え方が過剰 な負担をもたらす可能性があるという。また、教授は、中国では、「動的シス テム論」が、裁判官が判決理由を正当化する局面ではなく、立法過程での利益 調整や当事者の説得という局面で使われつつあることを指摘した。このことは、 日本の学者にとって、やや不思議なもののように思われるかもしれない。ただ、 「動的システム論」の流行の背景には、中国の司法過程が、紛争の正しい解決 策を導くことよりもしばしば秩序維持の観点から訴訟当事者や世論の不満に対 処するという立場をとっているという事情があることに留意すべきである6。  以下では、解亘教授の意思を尊重し、当日の講演原稿(日本語)をそのまま 再現する形をとっている。また、本講演に関わる研究をより詳しく紹介するた め、講演の元となる論文の共著者であり、北海道大学大学院博士課程の OB で もある班天可講師(復旦大学法学部)に補足コメント論文を執筆して頂いた。 このコメントは、近時のドイツ・オーストリアにおける動的システム論の展開 に関するものである。その詳細は、解亘=班天可「被高估和被误解的动态系统论」 法学研究(2017年第2期、中国社会科学院)の一部としてすでに公表されている。 6 裁判の社会的・政治的機能を重視する近時の中国司法のあり方について、以 下の翻訳論文(日本語)がある:呉英姿=坂口一成(訳)「リスク時代の秩序再 建と能働司法」新世代法政策学研究 Vol.14(2012)71頁以下、呂芳=徐行(訳)「幾 つかの裁判例からみる法院の裁判における法的効果と社会的効果の統一」同誌 97頁以下。これらの論文は、いずれも「社会的効果の重視」を標榜する中国司 法の特徴を指摘するものである。呂論文によれば、「社会的効果」は「特定の社 会環境と社会利益に結びついて考慮し、現実と法律との間で切り口を探し出し て、合法、合情、合理かつ公平な解決方法を見出す」ことを指すという。「社会 的効果」といった議論の歴史的経緯について、宋亜輝「追求裁判的社会效果: 1983-2012」(裁判の社会的効果を求めて:1983-2012)法学研究(中国社会科学院) 2017年5期18頁以下。 講   演 [77] 北法69(1・128)128 「動的システム論(bewegliches System)」をめぐる誤解 または過大評価:中国法の動向7 解     亘  Ⅰ.はじめに  動的システム論は、オーストリアの学者である Walter Wilburg 教授によっ て主張された法学方法論であるが、中国で紹介されてからの歴史はさほど長く ない。報告者は、2001年に、山本敬三教授のご論著「民法における動的システ ム論の検討」を中国語に翻訳し、公表した。公表された当初は、同書で紹介さ れた動的システム論の影響はほとんど見られなかった。しかし、時間が経つに つれて、動的システム論の影響力は次第に強くなりつつあり、近年、当該理論 はもはや有力な方法論として主張され、利用されつつある。とりわけ、「ヨー ロッパ不法行為法原則」(PETL)の公表を契機に、中国の民法学界における動 的システム論の人気は、急騰し始めている。その主な理由として推測されるの は、PETL は動的システム論を駆使して草案が起草されたという理由である。 具体的に、PETL においては保護される利益の範囲(2:102条)、注意義務の 判断(4:102条)ないし責任の範囲(第3:201条)について、動的システム論が 採用されている。ヨーロッパ不法行為法起草グループが動的システム論を指導 的方法論とする理由は、グループのリーダーである Helmut Koziol 教授自身、 動的システム論の主な継承者および提唱者であったところにある。  最近、PETL をめぐるいくつかの研究論著が中国語に翻訳された。動的シス テム論の誕生を象徴する文献であり、また1950年に Walter Wilburg 教授のグ ラーツ大学学長就任の際に行われたスピーチである、「民法における動的シス テムの展開」も中国語に翻訳され、公表された。  今日、中国の権威ある法学雑誌で動的システム論に言及した論文は数多く見 られる。2016年12月現在、CNKI という中国最大の学術サイトに「動的システム」 をキーワードとする論文は73本ある。これらの論文には動的システム論を支持 する文献が圧倒的に多く、そのうち、いくつかの論文は、動的システム論を主 7 本講演は、解亘=班天可「被高估和被误解的动态系统论」法学研究2017年第2 期を改編したものである。 動的システム論(Bewegliches System)をめぐる誤解または過大評価:中国法の動向 [78]北法69(1・127)127 なツールとして、解釈論および立法論を展開している。  まず、解釈論の展開を概観しよう。  動的システム論をもって、実定法上の一般条項、さらには固定的構成要件を もつ規範を動的に再解釈することは、ときにはルールの脱構築を意味するとい う指摘がある。たとえば、尚連傑氏は、情報の重要性、公開可能性、期待され る合理性および信頼の緊密度という四つの要素で構成された動的システムに よって、契約締結の段階における説明義務の有無とその程度を判断すべきであ る、という8。解釈論レベルの利用は、規範に含まれるある要件を対象とすると いう考え方もある。たとえば、葉金強氏は、不法行為法における損害賠償の範 囲について、「具体的な事案で侵害された利益の要保護性、侵害行為が正当化 された程度、因果関係上の寄与度、過責の程度などの要素の総合的考量で損害 賠償の範囲を決めるべきだ」と主張している9。このほか、風俗違反行為によっ て他人に被害をもたらした、いわゆる純粋な経済的損失の判断について、於飛 氏は、「動的システム論を指導理論とし、わが国の判例をていねいに分析した うえで、類型化作業を行う」ことが望ましいとしている10。不法行為の要件であ る過失については、李中原氏は、「実務における『法律上の予見可能性』および 過失の判断は、全体的には依然として各要因の範囲、程度およびウエイトなど に対する総合的な動的評価という形で現れよう」と述べる11。さらに、即時取得 の判断について、呉国喆氏は、「真の権利者の帰責可能性」と「第三者の善意」 という要素の協働によって要件判断の弾力化を図るべきであるという12。なお、 周曉晨氏は、最近、動的システム論をもって不法行為法における過失相殺制度 の再構成を試みている13。  次に立法論の展開を概観しよう。 8 尚連傑「締結過程中説明義務的动動态体系論」法学研究2016年3期250-251頁。 9 葉金強「論損害賠償範囲的確定」中外法学2012年1期155頁。 10 於飛「違背善良風俗故意致人损害与純粋経済損失保護」法学研究2012年4期 57頁。 11 李中原「論侵権法上因果関係与過错的競合及其解決路径」法律科学2013年6 期103頁。 12 呉国喆「善意認定的属性及反推技術」法学研究2007年6期25頁。 13 周晓晨「過失相抵制度的重構─動态系統論的研究路径」清華法学2016年第4 期113-128頁。 講   演 [79] 北法69(1・126)126 これについて、大半の研究は、不法行為法領域に集中している。その理由は、 中国における不法行為法の立法作業は PETL が公表されてから間もなく展開 されたところにあるといえる。中国の不法行為法の起草作業の過程において、 Wilburg が提唱していた不法行為法モデルおよび PETL の影響を受けて、王 洪亮氏は動的システムに基づく立法モデルで過失責任と危険責任との融合を力 説する。このような立法モデルは、過失責任と危険責任という全く関係がない ように見える制度を有機的に、シームレスに結べるからであるという。そして、 中国法については細部にわたるよりも大づかみに規定するほうが無難であると 見られており、動的システム論に基づいて作られた不法行為法はまさにアジア 社会、とりわけわが国に適合するだろう、とも述べている14。このような立法 論レベルの判断は、固定的な構成要件を持つ規範と動的システムとが対置する 図式を前提としている。これに対して、同じく無過失責任に対する関心をもつ 葉金強氏は、不法行為の中で危険責任の考え方を取り入れることを主張してい る。すなわち、過失責任と同様に、危険責任については一般条項において動的 システム化された立法モデルを採用し、考慮すべき要素を可能な限り明文で列 挙し、加えて特別法において具体化されたルールをも設けるべきであるとす る15。謝鴻飛氏は、さらに一歩進めて、民法典の立法テクニックについて全面 的な動的システムを採用すべきであると主張している。論者による、「抽象的 な規範モデルの利点は簡明さにあり、そして簡明であるため法規範の開放性や 解釈の可能性が極めて高くなる一方、効果面においては安定性が低くなってし まう。それに対して、決疑論的なスタイルの利点は細かさにあって、法的安定 性が高い反面、体系化の程度が低く、それによって作られた法典は法典の名前 だけで、法典として持つべき体系的な効果は期待できない。したがって、わが 国の民法典は折衷的な視点から、弾力的なモデルを採用したほうが良い」とさ れる16。この見解は、すべての規範を動的システムにすべきだと主張している わけではないが、急進的と言わざるを得ない。民法典編纂作業の推進につれて、 立法論レベルにおける動的システム論の主張はますます多くなるだろう。 14 王洪亮「侵権帰責標準与責任前提」清華法律評論4卷1輯54頁以下。 15 葉金強「風険領域理論与侵権法二元帰責体系」法学研究2009年2期49頁、55頁。 16 謝鴻飛「中国民法典的生活世界、価値体系与立法表達」清華法学2014年6期 32頁。 動的システム論(Bewegliches System)をめぐる誤解または過大評価:中国法の動向 [80]北法69(1・125)125  以上、中国における動的システム論の継受状況を概観した。きわめて簡略的 だが、法学方法論としての動的システム論は、ますます多くの民法学者の共感 を得ていることが明らかである。動的システム論は万能な方法として、どんな テーマをも扱うことができそうだ。今後、立法と実務の両面に影響を及ぼすこ とが予測される動的システム論の継受は、中国民法学界にとって軽視できない 出来事であろう。しかし、中国におけるこのような熱意は、日本側のやや冷や やかな態度とは対照的である。今まさに、一旦足を止めて、この傾向を慎重に 振り返ることこそ、これからの歩みを歪ませないということにつながるであろ う。中国における動的システム論の理解において誤解はないのか。過大評価は ないのか。本稿の問題意識はこれらにある。  通常の学術批評は、ある学者のある論文またはシリーズ論文を対象とするが、 本稿は中国における動的システム論継受の全体状況を対象とするため、なるべ くミクロ的な検討を避けて、複数の学者による異なるテーマの論文に焦点をあ てて、パノラマ的な観察を行う。その際、基本的に諸論者によって主張された 見解の当否に対しては判断を控える。 Ⅱ.動的システム論の位置付けとその特徴  動的システム論とは、「一定の法領域において働きうる諸『要素』を特定し、 それらの「要素の数と強さに応じた協働作用」に基づき、法規範ないし法的効 果を説明または正当化するという考え方」である17。以下、中国における学術継 受を検討する前に、動的システム論の内容を簡単に確認しよう。 1.動的システム論の位置づけ (1)法学方法論  まず、動的システム論は法解釈ないし立法に関する方法論であって、法律行 為の解釈方法論ではない。したがって、法律行為の解釈については、動的シス テム論を用いる余地はない。まれではあるが、継続的契約を動的システム論と 結び付ける見解18がある。こうした見解は、継続的契約における当事者間の債 17 山本敬三「民法における動的システム論の検討」法学論叢138巻1・2・3合 併号(1995)208頁以下。 18 屈茂輝=张紅「継続性合同:基於合同法理与立法技術的多重考量」中国法学 講   演 [81] 北法69(1・124)124 権債務が次第に形成されるという契約内容の動的な形成を動的システム論にお ける「動的」と理解していると考えられるものであるが、動的システム論にお ける「動的」という用語は、通時的なプロセスを表現するものではなく、むし ろ規範の基礎にある諸要素間の協働関係を意味する。これは共時的な評価プロ セスであって、諸要素がともに働く。 (2)評価の枠組み  Wilburg が動的システム論を確立する時期に直面していた法律学の危機的状 況は、「精緻な概念法学を基礎とした伝統的な体系と自由な法発見」という潮 流の対立であった。前者は過度に硬直的で、激しく変化する現実に応えられず、 個別的な正義を確保できない。それに対して、後者は恣意的裁判の危険にさら され、法の安定性を脅かす。このような状況で、動的システム論は最初から両 面作戦を展開しなければならなかった。すなわち、概念法学の硬直性は克服す べきであるが、他方で、自由法学の恣意性も克服しなければならない。 Wilburg のこのような問題意識は評価法学における基本認識と一致するため、 動的システム論は評価法学のバージョンの一つであると確認できよう。  しかしながら、中国において動的システム論が支持される理由は、評価法学 であるという性質決定がなされたことではなく、動的システムが効果において 柔軟性をもちうることにあり、評価のプロセスをコントロールするという動的 システムのもう一つの側面は看過された。しかし、弾力的な効果を目標とする なら、自由法学はもっと優れているのではないか。ひたすら弾力的な法的効果 を求めるとすれば、再び自由法学の陣営に復帰しかねない。この点については、 後述する。  むろん、動的システム論がもつ評価法学の遺伝子に十分に留意した学者もい る。たとえば、葉氏は、「評価法学は開放的な姿勢で、倫理的判断を適時に導 入し、基礎レベルにおける価値判断の妥当性を求め、もって価値の安定性を基 礎に法的安定性を再び実現した」と述べている。しかし、そこで強調されてい るのはやはり法的安定性のみである。法的安定性はむろん重要だが、評価法学 がもっと直視すべきなのは、評価そのものに合理性があるかどうかという問題 であろう。ある議論が合理的かどうかを判断する最も重要な基準は、反論可能 性であり、中国における動的システム論の継受においては、この側面への関心 2010年4期29頁脚注28。 動的システム論(Bewegliches System)をめぐる誤解または過大評価:中国法の動向 [82]北法69(1・123)123 が薄いと言わざるを得ない。  上記のような現象が起こった根本的な原因は、中国の民法学界においては、 日本民法学界が経験した法解釈学論争が起こって来なかったというところにあ ると考えられる。とりわけ、利益衡量または利益考量を代表とする利益法学的 な法学方法論に対する深刻な反省は、中国民法学界にとって未経験のものであ る。動的システム論を紹介する中国語の文献を詳しく読むと、二つのバージョ ン、すなわち、オーストリアやドイツから輸入されたヨーロッパ版と日本版が みられる。ニュアンスの違いは、自由法学に対する反省がより強調されたかど うかという点である。この点について、戦後日本における法解釈論争を多少把 握できた者にとっては、その理解はさほど難しくない。戦後日本における法解 釈学の歩みを一言でまとめると、リアリズム法学の影響力が増大してきた過程 であった。すなわち、法解釈は価値判断が伴う実践であるという認識から出発 して、裁判に影響する心理的な要素の役割をますます重要視する代わりに、価 値判断の基礎づけを軽視し、言い換えれば法律構成を軽視していた。このよう な傾向はやがて、法律家たちに深く影響を及ぼした利益衡量論または利益考量 論にまで至った。加藤一郎博士が主張していた利益衡量論によれば、紛争に直 面する裁判官は、まず実定法による拘束から自己を解放して、対立しあう利益 を比較し、衡量した上で、妥当な結論を見出す。その後、結論に法的な衣を着 せる。星野英一博士が主張していた利益考量論は、紛争に適用される規範から 出発して、当該規範が適用される社会問題を類型化して、相互間の利益状態を 明らかにする。複数の解釈があれば、どの解釈によってどのような利益が保護 され、どのような利益が犠牲にされるかを明らかにして、最終的に価値のヒエ ラルキーによって解決案を決定する。  しかしながら、衡量あるいは考量される利益や価値は閉鎖的でないのみなら ず、法解釈の客観性を確保するための価値のヒエラルキー自体も存在しない。 仮に、誰にも否認できない終局的な価値があるとしても、このような価値は具 体的な法解釈には意味を持たないだろう19。そして、これらの方法論は発見の プロセスと正当化のプロセスを区別しないため、展開された法解釈には反論可 能性が失われてしまう。このような状況に対して、平井宜雄教授は法解釈に関 する論争を起こした。平井教授は認識論と議論論の洞察によって、法的推論の 19 平井宜雄『法律学基礎論の研究』有斐閣(2010)124頁(初出1989年)。 講   演 [83] 北法69(1・122)122 重要性を再発見すべきであると主張する。平井教授によれば、法実践はその他 の理性的世界における言説と同様に、発見のプロセスと正当化のプロセスが区 別されるべきである。そのうち、発見のプロセスは把握できないが、真の意味 があり、かつ法実践の理性を確保する意味のあるのは、正当化のプロセスであ る。このプロセスにおいて、言明は理性のある議論によって言明の反論可能性 を確保する。良い法律論の判断基準は、反論可能性の有無と程度である。動的 システム論が一般化されて日本に導入されたときは、ちょうど平井教授の議論 が日本で強い共感を得た時期であったため、新たな意味合いが不可避的に寄せ られた。山本敬三教授はその論文の冒頭に動的システム論の位置づけを明言し た。それによると、動的システム論は平井教授による戦後解釈論における非合 理主義的傾向への清算を出発点とし、「議論」をなり立たせるための共通の枠 組みを設定するための「方法」である。  このような特殊な歴史を持つからこそ、日本バージョンの動的システム論に おいては、評価プロセスに反論可能性の有無が強調される。しかしながら、ヨー ロッパのような概念法学から自由法学へ、さらに自由法学から評価法学までの 歴史段階は中国民法学界にははっきりした形で表れていない。むしろ概念法学 の歴史段階を経験していないにもかかわらず、利益衡量が依然として主流の法 学方法論として積極的に評価されている。20利益衡量という方法に対する批判 は多少見られるが、民法学界におけるような共通認識にはいまだに至っていな い。現在、動的システム論における評価の枠組みという側面を強調する意義は、 法的効果の弾力化を強調するそれよりも大きいであろう。だが、学術継受の状 況からみれば、この点は動的システム論に与する論者たちにも認識されていな い。それどころか、一部の学者は動的な特徴を強調しすぎるため、意識的では ないにせよ、動的システム論と利益衡量論との間にニアリーイコールを置いて いるのである。21 20 たとえば、梁慧星「電視節节目予告表的法律保護与利益衡量」法学研究1995 年2期、梁上上「利益的層次結構与利益衡量的展開──兼評加藤一郎的利益衡 量論」法学研究2002年1期。 21 たとえば、王雷「論情誼行為与民事法律行為的区分」清華法学2013年6期171 頁、王雷「見義勇為行為中受益人補償義務的体系效応」華東政法大学学報2014 年4期91頁。 動的システム論(Bewegliches System)をめぐる誤解または過大評価:中国法の動向 [84]北法69(1・121)121 (3)正当化の方法  発見のプロセスと正当化のプロセスとの区分は、中国において哲学や法理学 における共通認識となっている。  概念法学は自由法学や利益法学とは立場がまったく異なるが、発見のプロセ スと正当化のプロセスを区別しないという点で、これらの法学との間に共通の 間違いが見られる。両面作戦をしようとする以上、法的効果の弾力化を求める と同時に、動的システム論は法的評価の合理化をも求めなければならない。合 理化という目標の達成は正当化のプロセスに焦点を当てて、法的評価のプロセ スを可視化するしかない。動的システム論は「『要素の数および強度に相応す る協働作用』によって法規範と法的効果を説明し、正当化する」ものである。 これはまさに正当化の方法にほかならない。  それでは、動的システム論は正当化の方法であるとともに、発見の方法であ りうるのか。動的システム論は法解釈者にガイドラインを提供しているように 見える。しかし、答えは否である。動的システム論は衡量するための因子ない し各因子のウエイトを提供するが、法解釈者が決まった公式に従って具体的結 論を導き出せるという保証がない。法的効果の獲得は、本質的には発見という 把握が不可能に近いプロセスなのである。あたかも固定的構成要件を持つ規範 は、法解釈者がかかる要件に従って結論を見出すということを保証しない。こ れでは、法解釈者は流れ作業のラインで働く生産者になってしまうのではない か。法解釈に対する理解も再び概念法学時代に戻りかねないのではないか。 2.動的システムの位置づけ  立法論のレベルにおいては、動的システムは法的効果の弾力性問題について、 固定的な構成要件システムと一般条項の「中間の道」を行く。完全な動的シス テムによって設けられた規範は、通常一般条項と同様に射程が長い。そのため、 時には一般条項とも名付けられる。例えば、王利明氏は PETL において動的 システムモデルで設けられている損害に関する規範(2:102)を「一般条項」と 称する22。前述したように、葉金強氏は危険責任につき動的な一般条項の設立 を主張しているが23、そこにおける「一般条項」もこういう意味で使われている 22 王利明「侵権法一般条款的保護範囲」法学家2009年3期24頁。 23 葉金強・前掲(15)55頁。 講   演 [85] 北法69(1・120)120 ものと思われる。固定的構成要件システムに比べて、動的システムに基づく規 範の適用はより弾力的であるから、法的効果は具体的な事案で正義にかなう可 能性が高いかもしれない。それに対して、一般条項に比べて、動的システムは 裁判の恣意性を回避できるのみならず、より高い反論可能性をも保証できる。 これこそ、PETL が動的システム論に基づく立法モデルを採用した主な原因か もしれない。逆にいうと、動的システムは固定的構成要件システムに比べて法 的安定性を確実に保証できないが、一般条項に比べて裁判による法形成を制約 することとなる。前者については、動的システム論を支持するヨーロッパの学 者たちも認めているところである。  動的システム論に対するわずかな疑問は、法的安定性と裁判官の能力への憂 慮に由来する。王利明氏は、PETL2:102が損害を定義する方法に反対する理由 につき、「この条文は抽象的すぎる。PETL における一般条項はフランス民法 典1382条から発展してきたものであるが、損害範囲と類型の判断をもっぱら裁 判官に委ねるため、裁判の統一性を損ないうる。そして、抽象的な損害の概念 は不法行為と契約という全く違ったルールシステムをも区別できず、不法行為 法による保護範囲を真に定めることができない」24と指摘した。Kziol 教授が動 的システム論に基づく立法で純粋な経済的損失をめぐる問題を解決しようとす る考え方に対しては、葛雲松氏は、「その複雑さと弾力性は、現在中国の裁判 所が理解できる範囲を大きく超え、わが国における政治および司法に関する伝 統にも適合しない」と述べている25。  繰り返しとなるが、動的システムがもたらす弾力性は一般条項がもたらす弾 力性より小さい。もし動的システムによる不確定性を危惧するならば、固定的 構成要件システムに戻るしかない。純粋な経済的損失の補填について、葛雲松 氏は、ドイツ法のような固定的構成要件システムに傾く26。それに対して、王 利明氏は、一方で法の適用における不統一を恐れ、動的システムをもって損害 に関する規範を設けることに反対し、他方では権利以外の利益の保護に関する 問題で、PETL のやり方に賛成するが、自己矛盾の印象を与えなくもない。 24 王利明=周友軍=高圣平『中国侵権責任法教程』,人民法院出版社2010年版77 頁。 25 葛雲松「純粋経済損失培養与一般侵権行為条款」中外法学2009年5期730頁。 26 同上730頁。 動的システム論(Bewegliches System)をめぐる誤解または過大評価:中国法の動向 [86]北法69(1・119)119  以上のような消極的な立場に対して、前述したように、謝鴻飛氏は、全面的 な動的システムによる立法論をとっている。しかしながら、ひたすら「細部に わたるよりも大づかみに規定するほうが無難である」と強調するならば、動的 システムよりさらに「大づかみ」な一般条項がより望まれるという結論になる のではないか。  従って、立法論において動的システムの長所と短所は相対的であって、絶対 視してはならない。 Ⅲ.動的システム論の柱  動的システム論は二本の柱によって支えられる。 1.要素 (1)要素の協働  動的システムにおける「動的」特徴とは、法規範または法的効果は「要素の 数と強さに応じた協働作用」によって決まるということである。ここにおける 「協働」とは、要素と要素は補完が可能であることを意味する。Wilburg は「諸 要素の協働作用という観点から評価の枠組みを形成し、それによって実生活の 必要にこたえる可能性を開くとともに、そこになお一定の原則性を確保しよう としたのである」27と指摘した。要素甲と要素乙が充足度を補いあえる理由は、 要素の裏に原理が存在しているからである28。敷衍すると、ある問題に関して、 複数原理が妥当する。これらの原理は価値面で重なる場合もあれば、互いに制 約しあう場合もある。前者の場合には、要素甲の充足は要素乙の充足を意味す る。これに対して、後者の場合には原理間の相互補完性が現れる。原理は最適 な命令である以上、妥当する原理がいずれも最大限に充足しなければならない。 原理は制約しあう場合には衡量を行わなければならない。要素甲の充足度を制 限するのは、制限しあう要素乙の充足を図ろうとするためである。  しかしながら、中国においては、この点を意識していない学者がいる。ある 学者は法的効果の弾力性を求めるため、協働の主語を「要件」に置き換えている。 例えば、冉克平氏は、権利者の名前を名乗って不動産を無断で処分する行為の 27 山本敬三・前掲(17)213頁。 28 山本敬三・前掲(17)2048-251頁。 講   演 [87] 北法69(1・118)118 効果を検討する際に、抽象論として「固定的構成要件モデルの弊害を克服する ため、構成要件の協働作用という観点から評価の枠組みを形成し、実生活の必 要にこたえる可能性を開くとともに、一定の原則性を確保しようとする」29と 主張している。ここでは、山本敬三教授の表現が引用されているが、そのうち 「要素」という表現はいつの間にか「要件」に置き換えられた。葉氏の初期論文 にも「要件の協働」が見られる。すなわち、「当該問題を解決する可能なルート は、個別事案において重要な要素に法的効果に影響を及ぼす機会を与え、法的 効果の弾力化を図る。ここでは、個別事案における重要な要素の取り入れは、 実はすでに要件の構成に関わるため、効果の弾力化はすでに要件の弾力化につ ながり……要件の動的化は二つの場面で現れる。一つは要件判断における孤立 モデルの放棄であって、複数の要件を総合的に判断することとなる。孤立モデ ルにおいては、各要件は独立しあい、いずれの要素の判断結果も法的効果の有 無を左右する。それに対して、総合判断モデルにおいては、各要件の総合考量 が強調される。すなわち、各要件の充足度を総合的に計算し、よって法的効果 を決めるわけである。そこでは、要件の設定自体は法的テクニックに過ぎず、 個別的な事案の結果は全体的な評価の結果であるべきである。異なる要件は通 常衝突しあう主体間に異なる正当な利益訴求を反映するが、それらを切り離し て、取捨選択の努力を放棄することは私法の衡平な目標から離れることになる。 複数の要件を総合的に判断することは、各要件の充足度を十分に考慮に入れる ことができる」30。  しかし、要件の協働はなぜ可能なのか。この点は理解しにくい。葉氏早期の 主張にははっきりしないところがある。彼によれば、「要件の協働はもう一つ の側面がある。つまり、各要件の裏にある要素を引き出して検討を加え、よっ て要件の裏にある要素を浮き彫りにし、全体的な総合考量の枠組みに取り入れ て評価を行う。このようにして、結論の妥当性は要件の設置という技術的な措 置による破壊から救われるし、評価活動も元の状態に復帰できる。要件の協働 は個別事案におけるファクターをできるだけ多く吸収でき、個別事案において 考慮されるべき要素を法的視野に入れるパイプを提供する。個別的事案におい 29 冉克平:「論冒名処分不動産的私法効果」中国法学2015年1期82頁。 30 葉金強「私法効果的弾性化機制──以不合意、錯誤与合同解釈為例」法学研 究2006年1期105-106頁。 動的システム論(Bewegliches System)をめぐる誤解または過大評価:中国法の動向 [88]北法69(1・117)117 て考量されるべきファクターがすべて適切に評価されたとき、個別的な正義の 実現は水のように自然に流れるであろう」31。ここでは、要件を脱構築して、徹 底して要素の次元に遡って取捨選択を決めるように見受けられる。葉氏のその 後の研究はこの曖昧さを克服し、要素という次元の協働という立場に移った32。 (2)要素の限定性  立法論レベルにおいても解釈論レベルにおいても、動的システム論は、極め て鮮明な特徴を有する。すなわち、評価される固定的構成要件のように all or nothing という二者択一の結果に拘束されない。固定的構成要件システムには まりすぎる適用に比べて、動的システムは規範に顕在していない要素を評価対 象に取り入れることができるため、解釈の余地を大きく広げ、法的効果の弾力 化をもたらす。したがって、評価される要素はまったく制限を受けないように 見えよう。これこそ、動的システム論が中国の学者たちに歓迎された理由だと 推測できよう。ところが、動的システム論は評価の枠組み、議論の土台を提供 するものだから、提供された枠組みや土台は安定しているものでなければなら ない。したがって、当該枠組みに評価の対象となる要素は任意に取り入れては ならず、要素は限定的なものでなければならない33。ここにおける「限定性」と は、二つの意味合いがある。一つは要素の数が制限されることである。そして、 もう一つはどういうものが要素に含まれるかについて、答えは確実である。例 え ABC であれば、同時に ABD ではありえない。さもないと、法の解釈者が 任意に新たな要素を取り入れたり、議論の当事者が異なる要素システムを占拠 したりすれば、議論は理性が欠如した信念の間の争いとなる。そうであれば、 動的システムはもはや合格した評価枠組みではなくなる。 (3)「システム」性  動的システムは要素に関するシステムとして、その体系的な性格をどのよう に表しているのか。  繰り返しとなるが、動的システム論が中国で多数の民法学者に歓迎される理 由は、その開放性にあると理解されているからである。このような個別事案に 31 同上、106頁。 32 葉金強・前掲(15)。 33 山本周平「不法行為法における法的評価の構造と方法㈢」法学論叢169卷4号 (2011)56頁。 講   演 [89] 北法69(1・116)116 おける正義を求めるために多用なファクターを考量するという方法は、どこか で見たことがある。利益衡量論または利益考量論は、まさにこのような考え方 をとっているであろう。中国において動的システム論を支持する学者の中で、 両者の違いに留意する者は少ない。一部の見解では、動的システム論と利益衡 (考)量は類語と受けられているようである。ところが、日本における法解釈 学論争をある程度了解できた人にとって、こうした認識は大きな誤りであろう。  動的システム論は平井宜雄教授が主張された法的議論に対する補強として位 置付けられる。平井理論はまさに利益考量論をはじめとするリアリズム法学方 法論が有する非合理主義的な傾向を克服するために提示されたものであるた め、動的システム論と利益衡(考)量論とは水と油の関係にあるはずである。  動的システムにおいては、ある問題の評価をめぐって、考慮されるべき要素 が限定されているし、各要素が全体においてどれぐらいのウエイトを占めてい るかも決まっている。このような評価システムはまさにある原理から基礎づけ られるものであるといえよう。具体的な法的問題の裏には可能な原理からなる 体系が存在している以上、ある領域の問題群の裏では、このような原理の体系 がいくつか絡みあって、大きな原理体系となるはずである。これはまさに法の 内的システムにほかならない。 2.基礎評価と原則例  動的システムにおいては、協働しあう諸要素の充足度が法的効果を決める。 このような意味において、動的システムは比較命題の一種である。比較命題は 通常「より多い」「より少ない」「よりありそうだ」「よりありそうでない」といっ た事柄を表現するものである。34しかし、比較命題だけでは、確実な効果が決 まらない。完全な動的システムになるため、基礎評価ないし原則例が必要とな る35。基礎評価とは、「比較の起点となる固定的なポイント」である36。ある命題 についてただ一つのファクターを考量する場合に、このファクターの充足度が 34 山本敬三・前掲(17)254頁。 35 山本敬三・前掲(17)265-266頁;前引(29)、山本周平・前掲(26)58頁以下。 36 山本周平「不法行為法における法的評価の構造と方法㈣」法学論叢169卷5号 (2011年)45頁。 動的システム論(Bewegliches System)をめぐる誤解または過大評価:中国法の動向 [90]北法69(1・115)115 T に至ったとき効果は R である37。例えば、「同時期に銀行の貸金利率が約定し た利率の四倍を超えた場合は一部無効とする」。  法的効果は複数の要素による協働作業によって決まるから、実際に複数の要 素に関わる。仮に要素 A の充足度は a1であり、要素 B の充足度は b1であって、 法的効果 R1である。このような複数の要素が変動している場合の等式を原則 例という。標準的な原則例は以下のとおりである:    要素 A *充足度 a1+要素 B *充足度 b1=法的效果 R1  動的システム論に従って法解釈を行う際に、このような原則例があったとき に、初めて確実な効果を導き出すことができる。もちろん、実際の法律命題は 精確な数値を与えられないが、たとえば「加害者に軽度な過失があり、しかも その行動が中度の危険をもたらす恐れがある場合、加害者は損害賠償を負わな ければならない」のように相対的に精確なものであれば、もう十分である。  基礎評価と原則例は通常立法者によって与えられるが、明文化された規定が ない場合には、判例や学説によっても与えられうる38。  ところが、中国で見られる動的システム論の応用は、ほとんど基礎評価ま たは原則例に言及していない。例えば、動的システム論をもって過失相殺を 再構成しようとする周曉晨氏は、最高裁判所が鉄道運輸における人身損害賠 償事案に関する司法解釈においてなされた努力39にマイナスの評価を与えてい 37 山本敬三・前掲(17)265-266頁。 38 山本周平「不法行為法における法的評価の構造と方法㈤」法学論叢169卷6号 (2011年)47頁。 39 当該司法解釈第8条:  鉄道運輸で行為無能力者の人身に損害を与えた場合に、運輸企業は賠償責任 を負わなければならない。後見人に過失があった場合に、過失の程度に従って、 運輸企業の賠償責任を軽減する。ただ、運輸企業が負担する責任は全損害の五 割以上でなければならない。  鉄道運輸で行為制限能力者の人身に損害を与えた場合に、運輸企業は賠償責 任を負わなければならない。後見人に過失があった場合に、過失の程度に従っ て、運輸企業の賠償責任を軽減する。ただ、運輸企業が負担する責任は全損害 の四割以上でなければならない。 講   演 [91] 北法69(1・114)114 る40。  立法論においても解釈論においても、動的システム論を利用する際に、基礎 評価または原則例を看過すると、設計された法制度であれ法解釈であれ、確実 な法的効果が導き出せず、比較命題の次元に足を止めることになる。このよう な利用は、衡量される対象の拡大に限られる。例えば、尚連傑氏は契約締結の 段階において当事者が説明義務を負うか否か、そして負うとした場合にどの程 度の説明義務を負うかという問題に尽くした努力は、我々の視野を大きく広げ たが、原則例が付け加えられていないため、個別事案において、法的評価をい かにコントロールするかという問題が残っている。そして、前述したように、 葉金強氏は、危険責任について一般条項において動的システム化された立法モ デルを採用し、考慮すべき要素を可能な限り明文で列挙し、加えて特別法にお いて具体化されたルールをも設けるべきであるとする。「特別法」としての具 体化されたルールが強調される以上、かかるルールは「一般条項」に含まれな い規範でなければならない。このような規範は「原則例」という役割を演じら れない。  このような意味で、一般条項モデルのもとでは、一般条項の射程内に具体化 したルールを設けることは積極的な意義があろう。このようなルールは特別法 ではなく、基礎評価または原則例なのである。残念ながら、中国不法行為法(侵 権責任法)に特別法と考えられないいくつかのルール、例えばネット役務の提 供者責任に関するルール(36条)41、安全保障義務に関するルール(37条1項)42、 40 周晓晨・前掲(13)。 41 36条:ネットの利用者、ネット役務の提供者はネットを通じて他人の民事権 益を侵害した場合に、不法行為責任を負うべきである。  ネットの利用者はネット上の役務を通じて不法行為を行った場合に、被侵害 者はネット役務の提供者にリンクの削除、遮断ないし切断等必要な措置をとる よう通知することができる。ネット役務の提供者は通知を受けた後に遅滞なく 必要な措置をとらなかった場合に、拡大された損害について当該ネット利用者 と連帯責任を負う。  ネット役務の提供者はネット利用者がその役務を通じて他人の民事権益を侵 害していることを知り、必要な措置をとらなかった場合に、当該ネット利用者 と連帯責任を負う。 42 37条1項;旅館、商店、銀行、駅、娯楽場等の公共場所の管理人、または大 動的システム論(Bewegliches System)をめぐる誤解または過大評価:中国法の動向 [92]北法69(1・113)113 医療機関の責任に関するルール(57条)43などは、このような役割を担えない。 なぜなら、これらのルールは不法行為法の一般条項から演繹されやすいからで ある。 Ⅳ.動的システム論の限界性  以上、中国民法学界における動的システム論に対する誤解を明らかにするこ とができた。一言でいうと、中国においては、法的効果の弾力性が過度に求め られたため、動的システムが議論の場としてもつ反論可能性という機能が看過 されてしまった。このような誤解は立法論と法解釈論を自由法学の陣営に頼っ ていく危険性を孕み、実務における理性を損なう恐れがある。  それでは、もし誤解が一掃されれば、動的システム論は大きく期待されうる か。残念ながら、答えは否である。その根本的理由は動的システム論の限界性 にある。  動的システム論の限界性については、オーストリアやドイツの学者から既に 数多く指摘されている。日本語の文献では、山本敬三教授の論文や山本周平准 教授の論文にも多く触れられている。まず、法的安定性の確保が疑問視されて いる。そして、その適用範囲をめぐっても、争いがある。  ここでは、動的システムの体系性のみを検討する。  前述したように、動的システムは要素と基礎評価または原則例という柱に よって支えられる。これらの柱によって、議論の展開に可視的かつ反論可能な 場が提供される。しかしながら、これらの柱は丈夫なものではなさそうだ。 1.要素の不確実性 (1)要素体系の不確実性  動的システムは要素の確実性を前提とするが、この前提自体は自明なものと は限らない。  要素体系には要素の優先度限定性の二面があるが、この両面どちらにも不確 衆イベントの主催者は、安全配慮義務を尽くさずに他人に損害を及ぼしたとき に、不法行為責任を負うべきである。 43 57条:医者は診療活動において当時の医療水準に相応する診療義務を尽くさ ずに、患者に損害を及ぼしたときに、医療機関が賠償責任を負う。 講   演 [93] 北法69(1・112)112 実性の問題が存在する。  Bydlinski と Canaris はいずれも要素の限定性を主張しているようである。 しかし、このような限定は所与の前提とは限らないため、議論の場で争われる 可能性がある。  要素の不確実性をもたらす根本的な理由は、内的システムの不確実性にある。 内的システムは外的システムと違って、きちんとした形がないため、つかみど ころがない。そのため、内的システムとはどのような内実を有するかをめぐっ て、共通認識ができていない。ある問題領域について、どのような原理が妥当 し、そしてどういう関数関係で絡んでいるかという問題について、法律共同体 には常に争いがある。このような前提で、合理的な議論は果たして行えるか。  こうした欠陥は PETL すら回避できなかった。PETL の起草者は動的シス テム論を駆使して PETL を起草したが、各規範にも要素のウエイトが明文で 規定されていない。Koziol 教授も PETL 中国語版の序文にこのように述べて いる。すなわち、「3:201条により確立された責任と賠償範囲は以下の要素に よって決まる。予見可能性、法によって保護される利益の性質と価値、責任の 基礎、生活における通常のリスク、違反された規則の保護目的など。この規定 は満足できるものではないが、各要素の意義と重要性が表明されなかったから である」44。そして、PETL がまとめた規則と原則は要素の限定性を維持したか どうかも疑わしい45。 (2)基礎評価と原則例の不足  基礎評価と原則例は、本来は主として立法によって供給されるべきである。 しかしながら、具体的な問題について、明確な基礎評価と原則例をなかなか決 められない場合が多い。法実践には多様な価値の衝突を伴うため、数学のよう な精確性はあり得ないというわけであろう。実定法が実際に提供しているもの はごく限られた動的システム論を方法論とする PETL もその例外ではない。 この分野では、通常判例による補充が大きく期待されうる。中国においては、 司法解釈と指導案例はその生産性が非常に低いため、それほど期待されないよ 44 欧洲侵権法小組『欧州侵権法原則:文本与評釈』於敏=謝鴻飛訳、法律出版 社2009年、「序」4頁。 45 山本周平「不法行為法における法的評価の構造と方法㈣」法学論叢169卷5号 (2011年)51-52頁。 動的システム論(Bewegliches System)をめぐる誤解または過大評価:中国法の動向 [94]北法69(1・111)111 うだ46。  このように、動的システム論には克服できない限界がある。そのため、両面 作戦で行こうとするこの方法論は二つの戦場のどちらにおいても、圧勝できな い。法的実践は価値判断を伴う活動である以上、非合理的な成分を完全に排除 することができず、100%の反論可能性も不可能である。まさに山本敬三教授 がいうように、「動的システム論は、あらかじめ評価の内容を一義的に確定す るものではない。あくまでも、合理的な評価を可能にする枠組みを提供するだ けである。しかし、その結果、この枠組みに従ったとしても、それによって導 かれうる具体的な評価には幅が残らなければならない。その可能な評価のうち、 どれを取るかは、動的システム論による限り、結局のところ、個々の判断者の 決断にゆだねられることになる」47。 結びにかえて  以上、中国における動的システム論継受の状況とその問題性について検討し てきた。標題に表れたように、中国では、主に、動的システム論に対する誤解 と過大評価が見られる。その原因と考えらえるものに何かあるのか。報告者は、 最後に、この点について述べたい。  あくまでも私見であるが、その根本的な理由は、自由法学やリアリズム法学 に対する警戒心が中国の民法学界にないところにあるといえよう。それどころ か、私法学者の中で、利益衡量を主な法解釈方法論と謳う人もいる48。実は、 法的推論に関する研究は少なくとも十数年前に中国に輸入されていたし、法理 学の学者の間ではすでに常識となっている。民法学者の視野が狭いといえるか もしれない。  ところで、法解釈方法論をめぐる論争を経験していない中国法学界は、最近、 もう一つの論争に巻きこまれている。それは「社科法学」と法教義学との論争 46 2017年3月31日現在、公布された指導案例は87個しかない。 47 山本敬三・前掲(17)295頁。 48 たとえば、梁上上氏は加藤一郎説の改良を図っている。彼によれば、衡量さ れるべき利益は当事人利益、団体利益、制度的利益ないし公共な利益であって、 それらの利益には序列関係があるという。梁上上・前掲(13)58-65頁。列挙さ れた利益は外延があまりも広くて、要素の閉鎖性要請に反するだろう。 講   演 [95] 北法69(1・110)110 である。「社科法学」とは、社会科学の知見を駆使して法を観察する学問ある いは方法論のことを意味し、広い意味での法社会学といえるかもしれない。  この論争の要は、中国法学の成長にとって、どちらが主役を担うべきなのか ということである。科学的観点から考えると、法的な方法には独自性があるの かも疑問である。議論の双方は一部の基礎法学学者と一部の民・刑事法学者で ある。もちろん、基礎法陣営も一枚岩ではなく、そのうち法教義学の役割を強 調する者も相当いる。法教義学の役割を正面から認める論者は主役としての法 教義学を主張する際に、論拠の一つとして、法教義学における論理性を挙げて いる。やや不思議なことではないだろうか。基礎法の学者が実定法の裏にある 政治決定が法解釈によって無視されることを危惧している。それに対して、民 法学者は実定法の論理性、そして形式的決定を重視している。  一方、法的推論に関する理論には馴染みがないと言って、中国の私法学者達は 論理の重要性を軽視する傾向にあるという判断も成り立たない。近年、ドイツ法 から強い影響を受ける民法界においては、請求権の基礎(Anspruchsgrundlage) という考え方はますます重要視されているし、教育の場において実務において も強調されつつある。むろん、法教義学を中心とした法論理を重視することは、 必ずしも法的効果というレベルでの弾力性を批判することに直結しない。ただ、 両者が緊張関係にあることもまた否定できないであろう。反論可能性は議論の 合理性を確保するということについて自覚していないと思われる。  以上のような現象をどのように理解すればよいか。筋が通る理解は二通り考 えられよう。一つは、異なるテーマを考えるときに、その間のつながりを看過 したことである。もう一つは、そもそも論争に参加した者と動的システム論に 与する者とは別々の人たちであることである。やはり、専門より、問題によっ て学者を分類するほうが的確であろう。そして、沈黙しているのは常に多数者 であろう。 (解 亘 南京大学法学院教授) 動的システム論(Bewegliches System)をめぐる誤解または過大評価:中国法の動向 [96]北法69(1・109)109 動的システム論の限界性 ──解報告に対するコメントとして──49 班   天 可  Ⅰ はじめに  解亘教授が、「『動的システム論(bewegliches System)』をめぐる誤解また は過大評価:中国法の動向」と題する報告において、中国法における動的シス テム論の人気が高まっているものの、その人気の背後には、中国の民法学者の 多くがただ動的システム論の「動的」側面(要素の相互補完性に基づく法的評 価の弾力性)のみに熱意を持ち、その「システム的」側面(体系による法的コン トルール)を看過し、実際平井宜雄教授が主張された「法的議論」に対する補 強として位置づけられるべき動的システム論を利益衡量論の一種と同視してい るという誤解があった、ということを指摘されている。  動的システム論の「システム的」側面としては、一般に、要素の数の閉鎖性 やウエイト、要素の協働作用の評価基点としての基礎評価と原則例など、いく つかの体系的コントロールが提示されているが、解亘教授はそれらに疑問を投 じる。すなわち、たとえ動的システム論の「システム的」側面が看過されてい なくても、上述のコントロールでは動的システム論の体系性が維持されうるで あろうか。体系的コントロールが十分でなければ、動的システム論は、方法論 として実際に非常に限界があるものにもかかわらず、過大評価されているので はないかと、解亘教授は考えられている。  解報告の延長として、動的システムに限界があるか、あるいは、その限界が どこになるかが、本稿の取り扱う問題である。以下では、主にオーストリア法 とドイツ法における動的システムに対する批判、疑問および制限をみていくこ とにする。 49 筆者は、解亘教授のご厚意を受け、動的システム論について共同研究を行っ た。その際、動的システム論に関するオーストリアとドイツの議論、特に動的 システム論に対する批判およびその限界性についての状況調査を担当した。本 稿は、微力ながら、解亘教授の報告の延長線にある補足としてコメントしたも のである。 講   演 [97] 北法69(1・108)108  なお、動的システム論の体系性について、解報告にはすでに触れられている ので、以下では、法的安定性の観点から動的システム論に与えられる制限(二) と動的システム論の適用領域の制限(三)に限って検討をしたうえ、中国法と の関連で若干の補足を加え、それを結びに代えたい(四)。   Ⅱ 法的安定性について  固定的構成要件システムではなく、相互補完性にある「要素(Elemente)」の 協働作用によって、法律効果の存否ないし範囲が柔軟に決められるということ は、動的システム論が好まれるところである一方、批判を浴びるところでもあ る。動的システム論の誕生と発展に伴って行われてきた批判は、動的システム 論が法的安定性を害するということである。 1.裁判官の恣意  Wilburg が1950年にはじめて動的システム論を提唱した、「民法における動 的システムの展開」と題する就任演説に対する論評において、Esser は以下の ように批判した。すなわち、「法的ドグマティックは、我われを政治的偏見と 煽動から守ってきた概念的保護である。それを捨てると、(カズイスティック) が捲土重来するであろう。刑法においては、構成要件の意義が認識されている が、民法はなぜこのような留保ができないのか。技術的操作が法の統一性と安 定性を維持してきたが、それがなければ、我々への法的保護は完全に裁判官個 人に委ねられることになる。それが『組織化された』保障であるともいわれるが、 端的にいえば、それは人々に司法機関を強制的に信頼させるものである」50。  法的安定性の確保のため、要素の数の閉鎖性やウエイト、比較級命題、基礎 評価と原則例など体系的コントロールが提示されてきたが、それらが成功して いるか否かは別として(下記「Ⅲ」で詳論する)、裁判官の裁量の範囲が拡大さ れることには間違いない。Pawlowski は、「動的システム論の論者たちが裁判 官の恣意を排除するために大いに努力してきたことは否定しないが、それはた だ恣意を正当化するための可能性を作っただけである。動的システム論の欠点 は、法の実質的秩序の側面のみを重視し、法がつねに組織と連なっていること 50 Esser, AcP 151 (1951), S. 555-556. 動的システム論(Bewegliches System)をめぐる誤解または過大評価:中国法の動向 [98]北法69(1・107)107 を全く見逃していることにある」と揶揄した51。つまり、構成要件の拘束を受け ない裁判官が適切な判断を下すことはとうてい期待できないということである。  ところで、1997年に、Frankfurt a.M./Offenbach a.M. の区裁判所の裁判官 Frank O. Fischer が AcP において、動的システム論を擁護する論文を公表し た52。Fischer によると、ドイツの裁判実務では、複雑な事案において、いかな る伝統的解釈法でも確実な帰結へと導きえないという「法教義学の危機」が発 生している。たとえ裁判官が法教義学を利用して自分の満足できる判決を出せ たとしても、そこで示された理由は単に見せかけのもの(Scheinbegründung) にすぎず、実質的な判断要素は当事者に伝えられていない53。Fischer の考えで は、判決は実際、法知識のみならず、感情、世界観、道徳観、判断力、人生経 験ないしレトリックも含む54。法的推論の本質は、判決とその理由づけを当事 者に確信させるための説得である55。それゆえ、構成要件にとどまらず、その 背後にある価値判断を露呈させる正々堂々とした方法論として、動的システム 論こそが「法教義学の危機」を克服する道であると、Fischer は主張する56。  Fischer 論文は、判決の非合理的な側面を強調し、柔軟性のある方法論で判 決の説得力を増やそうとしているものであるといえよう。しかし、他方、 Fischer 論文には、動的システム論の「システム的」側面が全く触れられてい ない。体系性を抜かれた動的システム論は、実際、トピック論ではないかと思 われる。Fischer のように、判決の本質が説得力であるという考えを貫くと、「判 決の中身も当事者次第」という問題が起こるであろう。57 51 Pawlowski, Methodenlehre für Juristen, 1991, S. 120. 52 この論文が日本でも紹介されている。石田喜久夫「ひとつの動的体系論」京 都学園法学1998年第2号129頁以下を参照。 53 Vgl. Fischer, Das „Bewegliche System“ als Ausweg aus der „dogmatischen Krise“ in der Rechtspraxis, AcP 197 (1997), S. 603. 54 Vgl. Fischer, a. a. O., S. 592f. 55 Vgl. Fischer, a. a. O., S. 598. 56 Vgl. Fischer, a. a. O., S. 603f. 57 実は Fischer 自身も、あまりにも弾力性のある方法論をとることは、同じよ うな事案を異なるように扱うという結果をもたらしかねないことを自覚してい る。しかし、Fischer は、「同じ状況であるといっても、必ずしも同じ結論をつ ける必要はなかろう」という(Fischer, a. a. O., S. 592f.)。憲法違反に当たりうる 講   演 [99] 北法69(1・106)106 2.憲法違反  法的安定性を維持するにせよ、法的安定性を犠牲にして実質的正義を求める にせよ、解釈方法論としてはどちらも選択肢になりうるようにみえる。しかし、 ある方法論があまりにも恣意的で、同じような状況を同じように扱っていない 事態を招く場合には、憲法上の平等の原則に違反することになりうると指摘さ れている58。Lothar Michael は、ドイツ基本法第3条1項(平等の原則)を「方 法論規範(Methodennorm)」と名づけている59。Westerhoff の言い方では、「こ の観点が正しければ、……Wilburg の説は、死刑を宣告されたようなものにな ろう」60とされる。  また、立法論としては、要素の列挙や基礎評価の設置による動的システム論 的な立法スタイルが可能であり、「ヨーロッパ不法行為法原則」と「オーストリ ア損害賠償法改正議論草案」が Helmut Koziol 主導で動的システム論による立 法スタイルをとったということは周知のとおりである。その際にも、憲法の視 点から批判がなされた。すなわち、立法者は、原則として、明確な構成要件を もって司法を拘束しなければならない。それは、憲法上の権力分立と法治主義 が命じるところである。動的システム論による立法があまりにも不明確である ゆえ、それをとったことは、法形成そのものを司法に任せ、司法を拘束すると いう立法者の憲法上の任務を無責任に放棄することと等しいと思われる。61 ことは自覚されていないようである。 58 Vgl. Schilcher, Gesetzgebung und Bewegliches System, in Bydlinski u.a., Das Bewegliche System im geltenden und künftigen Recht, Wien 1986, S. 302. ; Westerhoff, Die Elemente des beweglichen Systems, Berlin 1991, S. 67f.; Pawlowski, a. a. O., S. 120. 59 Vgl. Michael, Der allgemeiner Gleichheitssatz als Methodennorm komparativer Systeme. Analyse und Fortentwicklung der Theorie der „beweglichen Systeme“ (Wilburg), Berlin 1997, S. 44ff; S. 223ff. 60 Westerhoff, a. a. O. (Fn.10), S. 67. とはいえ、Westerhoff は、動的システム論 をとること自体が憲法違反であるとは考えておらず、程度の問題であるとして いる。 61 大久保邦彦「損害賠償法の内的体系と動的体系論による立法」国際公共政策 研究第18巻第1号(2013)122-123頁。 動的システム論(Bewegliches System)をめぐる誤解または過大評価:中国法の動向 [100]北法69(1・105)105 Ⅲ 適用範囲について  動的システム論が法的安定性の観点からの批判に耐えられたとしても、それ がすべての法の領域において適用可能なのか。強いていえば、固定的構成要件 に留保されるような適用領域があるのかを検討する必要がある。 1.動的システム論に向いている領域  学説の発展からいえば、動的システム論は、不当利得と不法行為から発足し、 その後、意思表示の瑕疵、公序良俗、暴利行為などの領域にも使われるように なった。これらの領域で動的システム論が発達し始めたのは、ここがいわゆる 「二重の立法(duale Legistik)」の被害地であったからである。二重の立法とは、 法適用における連続性の喪失状態のことをいう。つまり、裁判官が実定法に明 記された固定的構成要件を機械的に適用する一方、明記された固定的構成要件 で問題解決を図ることができない場合に、不確定概念をいじったり一般条項へ 逃避したりして自由な法形成に着手し始める、という現象である。このような 状態で、固定的構成要件の機械的適用は必ずしも妥当な結論に導けないし、不 確定概念と一般条項に対する恣意的な操作は法的安定性にもたらす被害が決し て小さくはない。62いかにして、ある中間の道で、その両方を結びつけられる かは、動的システム論の念頭に置かれた問題である。  その結びつけ方は、動的システム論の論者によってかなり相違がある。たと えば、Bydlinski は、確定概念(および下記例外)を除いて、ほぼ全般に動的シ ステム論を適用することができるとした63。これに対し、Canaris は、動的シス テム論を、固定的構成要件と「衡平規範(Billigkeitsklausel)」との間の狭い領 域──例えば、契約締結上の過失──においてのみ適用されうるものとして位 置づけた64。 62 Schilcher, a. a. O. (Fn.10), S. 289. 63 Vgl. Bydlinski, Fundamentale Rechtsgrundsätze, Wien/Newyork 1988, S. 23f. 期限のような確定概念に動的システム論が適用されることは、動的システム論 の趣旨に反すると Bydlinski は考える。 64 Vgl. Canaris, Systemdenken und Systembegriff, Berlin 1983, S. 82ff.; bes. S. 84.; ders., Bewegliches System und Vertrauensschutz im rechtsgeschäftlichen verkehr, in Bydlinski u.a., Das Bewegliche System im geltenden und künftigen Recht, Wien 1986, S. 107; S.110ff. 講   演 [101] 北法69(1・104)104  たとえここで、Bydlinski のように、動的システム論をその適用範囲が不確 定概念と一般条項を含め広義にわたるものとしてとらえたとしても、以下の問 題は免れない。すなわち、不確定概念と一般条項が憲法、刑法、訴訟法にも存 在するので、これらの領域において動的システム論が依然として適用されうる のか、それとも固定的構成要件の「留保」がなされるべきなのか。 2.固定的構成要件に向いている領域  Wilburg は、1950年の就任演説で、土地登記法や手形法を動的システム論の 適用範囲から除外した。それは、形式化したルールが要求される場合には、動 的システム論による弾力的なルールが適さないからである65。Bydlinski は、も し法の安定性そのものがあるルールの趣旨である場合に、法の安定性からも合 目的性からも、このルールは簡潔で予見可能性でなくてはならず、動的システ ム論の適用される余地はないとしている。土地登記法や手形法のほか、 Bydlinski は訴訟法と刑法を挙げた66。Westerhoff は、公法における国家給付請 求、特に社会福祉事業、手当、税務優遇措置、補助金等の支給に関する憲法訴 訟には動的システム論が適用されるべきではないとしている。なぜなら、この ような事案は、国家がどの程度の給付をすることで国民の公的負担(納税)を 正当化することができるかという、動的システム論ではかりきれない高度に複 雑な問題に関わっているからである67。  司法の実務においては、動的システム論を方法論として援用する判決は、主 にオーストリアの裁判所においてみられる。Adamovic の整理によると、動的 システム論の援用で判断された事案は主に民事裁判に集中しており、動的シス テム論に対する憲法裁判所と行政裁判所の態度は慎重であった。また、刑事裁 判に関しては、罪刑法定主義の制限があるゆえに、動的システム論に対する裁 判所の態度は一層慎重であった68。 65 Vgl. Wilburg, Entwicklung eines Beweglichen Systems im Bürgerlichen Recht, Rectorrede 1950, S. 4. 66 Vgl. Bydlinski, Juristische Methode und Rechtsbegriff, Wien 1982, S.534. 67 Vgl. Westerhoff, a. a. O. (Fn.10), S. 36. 68 Vgl. Adamovic, Das Bewegliche System in der Rechtsprechung, JBl. (2002). Nr.11, S. 681ff, bes.S.693f. 動的システム論(Bewegliches System)をめぐる誤解または過大評価:中国法の動向 [102]北法69(1・103)103  上述の立場とは違って、Schilcher は、動的システム論の適用領域をアプリ オリに法分野の単位で限定するという見方に反対する。それは、「人々は、相 続法や親族法が動的システム論の適用対象にはならないと、初めから断定すべ きでははい。……ある法領域が弾力に富む方法論に距離を置くべきか否かは、 まさに、この領域に関してそれなりの研究をなしてからはじめて答えることが できる問題である」という非常に動的システム論的理由によるものである69。換 言すれば、ある問題が何々法領域に関する問題であるから、動的システム論の 適用は不可能であると安易に断言することはできない。たとえば、ある刑法の 事案に動的システム論が適用されうるかを判断する際、この問題が刑法の問題 だから拒絶すべきだと理由づけるのではなく、この問題に関わる特定の刑法の 規範が動的システム論の適用を拒めると思われる性質を持っている、あるいは、 固定的構成要件の適用が要求されていると理由づけるべきである。Westerhoff によれば、そこで、これらの性質もしくは要求そのものを動的システム論の一 要素(形式要素)とみなし、この形式要素を、それ以外の、判断の実質的妥当 性に関連する一般要素と比較考量して、固定的構成要件の適用を要求する形式 要素が勝つかをまず判断する。もし形式要素が勝てば、動的システム論をやめ、 固定的構成要件での判断に入るのに対し、もし一般要素のほうが勝てば、動的 システム論の枠組みで一般要素を判断する。要するに、動的システム論で判決 を下す際に、まず「形式要素─一般要素」、次に「一般要素内部」という二段階 の動的システム論的判断構造が存在する70。 Ⅳ 中国法の状況──結びにかえて──  解報告において明らかにされたとおり、中国法においては、動的システム論 に好意を示す法学者に比べ、それに疑問をもつ法学者はごく少ない。動的シス テム論の導入を拒絶する主な理由は、裁判官の恣意や法の不統一にあるとされ ている。例えば、周永軍教授は、不法行為に基づく損害賠償の範囲を論ずる際 に、動的システム論によって損害賠償の範囲を決めることに強く反対した。そ の理由は、動的システム論では裁判官に与えられる裁量権限が大きく、法的安 定性を害するおそれがあるからである。周教授によると、中国が現に直面した 69 Vgl. Schilcher, a. a. O. (Fn.10), S. 288. 70 Vgl. Westerhoff, a. a. O. (Fn.10), S. 69f. 講   演 [103] 北法69(1・102)102 法学の状況が、概念法学の硬直から脱却しようとしていた Wilburg 時代の法 学のそれとは根本的に異なり、裁判官に対する現行法の拘束は強くない。この ような状況のもとで、さらに動的システム論を導入し、損害賠償の範囲の判断 を柔軟にしていくことは、現行法の拘束力を一層弱めることになると懸念され ている71。  もっとも、解報告において指摘されたように、中国の民法学者の多くは、動 的システム論の弾力性に目を奪われ、自由法学には警戒心がないことは確かで ある。あくまで私見ではあるが、その原因は、おそらく、国レベルでのルール 提供が不足しているにもかかわらず、裁判官に実質的に妥当な判決が求められ ているという司法体制にあろう。敷衍していえば、立法機関によって作られた 法文が数少ないのみならず、内容もあいまいなものが多い。それは、少なくと も民事法において、立法機関がその具体的ルールの形成を司法機関に委ね、あ まり強く細かく縛ろうとしないからである。また最高人民法院は、具体的な問 題点について「司法解釈」の形でルール提供をしているが、需要の一部しか満 足できない。しかも、「四級法院二審終審」という審級制のもとで、99パーセ ント以上の案件は高級人民法院以下にとどまり、最高人民法院には行けない72。 要するに、立法機関でも最高人民法院でもなく、各地方法院こそがルール提供 の主役を担っている(「司法上の連邦主義」ともいわれる73)。このようなルー ル / 拘束不足の中で、地方法院の裁判官は、かえって、実質的に説得力があり、 同時に敗訴当事者の不満を鎮められる判決を制度上強いられている。そこで、 中国の裁判官の念頭につねに置かれているのは、ルールからの自己満足的な演 繹的思考ではなく、いかにして敗訴当事者が納得しうる結論をゆとりのある解 釈論に結びつけられるかということである。これはまさに、中国における、効 71 周友軍「我国侵権法上完全賠償原則的証立与実現」環球法律評論2015年第2 期102頁。中国における動的システムへの批判は、裁判官の恣意に対する懸念 にとどまり、憲法上の平等の原則や三権分離との関連はまだ意識されていない。 72 年に一回の最高人民法院院長による最高人民法院工作報告によると、2016年 に最高人民法院が受理した案件が22742であったのに対し、各地方人民法院が 受理した案件は2303万であった。 73 張谷「対当前民法典編纂的反思」華東政法大学学報2016年第1期7頁以下。 張教授は、このような司法体制である以上、法の統一を遂げるのは困難であり、 ある審級で法の統一ができるならば、それでよいと考えている。 動的システム論(Bewegliches System)をめぐる誤解または過大評価:中国法の動向 [104]北法69(1・101)101 果からのアプローチによる自由な法の発展に根拠づける方法論が好まれ、容易 に受け入れられる土壌である。中国の裁判官は何かするとすぐに公平の原則を 前面に出す傾向があるのもそれゆえであると考える。この視点からいえば、公 平の原則や総合判断よりは、少なくとも協働作用の分析が不可欠である動的シ ステム論のほうがかなり自律的であろう。 【付記】本稿は、中国国家社科基金青年項目(15CFX066)の助成を受けたもの である。 (班 天可 復旦大学法学院 講師) [105] 北法69(1・100)100  職務質問の対象者及び臨場した弁護士が、職務質問・留め置きに応ない旨を 明示していたにもかかわらず、捜査機関がこれに応じずに対象者に対して有形 力等を行使したところ、かかる有形力等の行使が任意捜査の限界を超える違法 なものとされた事例 東京高裁平成27年10月8日第2刑事部判決 (平成27年(う)第1068号 覚せい剤取締法違反被告事件) 判タ1424号168頁 第1 はじめに  本件は、職務質問の際の留め置きの適法性及びそれに続いて行われた採尿手 続等によって得られた尿の鑑定書等の証拠能力の有無について取り扱ったもの である。本判決の判示事項は、主に次の3点である。  第1、に職務質問の対象者(途中から捜査に移行したため、以下では「被疑者」 で統一する。)が、捜査協力を明確に拒否した上で職務質問の現場から立ち去る旨 の言動を取っていたことに加え、その現場に臨場した弁護士が、これ以上の職務 質問・留め置きに応じられない旨を明確に述べて被疑者と共に帰る意思を明示し ていたにもかかわらず、警察官がこれらの言動に応じず、被疑者の移動を阻止す るために有形力等を行使したという事案について、かかる有形力の行使等の中に は任意捜査の限界を超える違法なものが含まれていたと判断した点である。  第2に、第1の捜査過程における採尿手続・鑑定手続等には令状主義の精神 を没却するような重大な違法があるとまではいえないとして、上記手続等に 判 例 研 究 刑 事 判 例 研 究 堀 田 尚 徳 刑事判例研究 [106]北法69(1・99)99 よって得られた被疑者の尿の鑑定書・押収された覚せい剤等について、違法収 集証拠排除法則の適用を否定し、証拠能力を肯定した点である。  第3に、第1の捜査過程における違法について、軽微なものと見ることはで きず、量刑上相応の考慮をするべきであると判断し、被告人を懲役3年4月(実 刑)に処した点である。  特に第1の判示事項について、本判決は、職務質問の際の留め置き(有形力 行使を含む)の適法性を判断するに際して、職務質問の現場に臨場した弁護士 が、これ以上の職務質問・留め置きに応じられない旨を明確に述べて被疑者と 共に帰る意思を明示したこと(以下、「本件特殊事情」という。)を重視すると 共に、警察官の個々の行為態様ごとに検討を行い、いわゆる二分論を採用しな かった。職務質問の際の留め置きの適法性については、最決平成6年9月16日 刑集48巻6号420頁以降、多数の裁判例が蓄積されている。しかし、その適法 性に関する判断枠組みについては、裁判例の傾向が未だに固まっていないよう に思われる。本判決は、職務質問の際の留め置きの適法性に関する判断枠組み の一例を示したものとして、取り上げる意義があると考えられる1。  以下では、まず本件の事案の概要・判旨を紹介した上で(第2)、任意捜査 の限界を超えているか否かに関する判断枠組みにおける本件特殊事情の位置付 け(第3)、警察官の行為態様ごとに適法性を判断する手法と最高裁判例との 整合性(第4)、二分論に対する本判決の態度(第5)、二分論以外に対象者の 留め置きを正当化する方策の有無(第6)について検討し、最後に本判決の意義・ 射程、残された課題を述べる(第7・第8)。 第2 事案の概要・判旨 1 事案の概要(職務質問・留め置きの経緯) (1)職務質問開始後からディスカウントエチゴヤ前付近  平成26年6月17日(以下、日付は全て同じ)午後7時7分頃、警察官K1らは、 埼玉県川口市内の西川口駅西口付近にて、覚せい剤使用の特徴が見られたAに 対する職務質問を開始した。AがK1らの脇をすり抜けようとする、車道を横 断する等したため、K1らは、Aの肩に手をかける、両手を広げて立ちはだかる、 1 判示事項第2及び第3についての研究は、他日を期したい。また、判旨中のフォ ント変更等は、本論文執筆者によるものである。 判 例 研 究 [107] 北法69(1・98)98 Aの身体等に手をかけてAを元いた側に押し返す等した(以下、「行為ⅰ」という。)。  この間に、警察官K2は、強制手続を取ることとし、午後7時22分頃、川口 警察署に向かった。 (2)ディスカウントエチゴヤ前付近からローソン西川口店前  午後7時25分頃、K1ら及びAは、ディスカウントエチゴヤ前付近からロー ソン西川口店前に向けて移動を開始した。午後9時27分頃、弁護士Bがローソ ン西川口店前に臨場し、自己の身分を明らかにした上でAと話し合った。その 結果、BはK1に対して、任意なのでこのまま行かせてほしいと述べ、Aと共 にその場を立ち去ろうとした。K1らは、Bらに対して裁判所に令状請求中で あることを伝えてその場に止まるように求めたが、BはAと共に帰る旨を明確 に告げた。そこで、K1はBに対して、行き先を告げてタクシーを利用するよ う述べ、Bはこれを了承した。  この間に、警察官K2は、Aの着衣、所持品及び尿に対する捜索差押許可状 の発付を請求するため、午後7時35分頃から、職務質問時の状況を記載した捜 査報告書を作成し、午後8時30分ないし40分頃、上記捜索差押許可状の発付を 請求する準備を終え、午後9時2分頃、覚せい剤取締法違反の嫌疑に基づき、 さいたま簡易裁判所裁判官に上記捜索差押許可状の発付を請求した。 (3)ローソン西川口店前から西川口駅前ロータリー  午後9時46分頃、Bは、ローソン西川口店前から西川口駅前ロータリーに向 かってAと共に移動を開始した。移動の際には、警察官3、4人がA及びBを 囲むようにし、少なくとも20人近い警察官が2人に追従した。そして、移動の 間に、警察官がAを掴んだため、Aは「痛い」という声を発した。また、警察 官が後方からAの身体に何らかの外力を加えた(以下、「行為ⅱ」という。)ため、 Aが前方に転倒して四つん這いになったことがあった。 (4)西川口駅前ロータリーからタクシー停止場所  午後9時50分頃、A及びBは西川口駅前ロータリーにおいてタクシー(以下、 「本件タクシー」という。)に乗車し、本件タクシーは発車した。午後10時10分頃、 パトカーで本件タクシーに追従していたK1は、本件タクシーが首都高速入り 口に進むレーンに近付いたことから、高速道路上で令状執行の為に車を止める となると危険であると考え、本件タクシーに停止を求めた(以下、「行為ⅲ」と いう。)。本件タクシーが、K1の求めに応じて停止したところ、パトカー計3 台が本件タクシーの前方及び両脇に停車し、本件タクシーを囲んだ(以下、「行 刑事判例研究 [108]北法69(1・97)97 為ⅳ」という。)。K1はA及びBに対して一般道を走行するよう説得し、A及び Bが応じたことから、午後10時15分頃、本件タクシーの前方に停車していたパ トカーが移動し、本件タクシーの進行が可能となった。  この間、午後9時56分頃、警察官K2は、前記捜索差押許可状の発付を受け、 午後10時15分頃、本件タクシーの停車場所に到着した。 (5)覚せい剤の発見・採尿手続  その後、前記停止場所付近において、捜索差押許可状に基づきAに対する捜 索・差押えが実施された結果、覚せい剤が発見され差し押さえられた(Aを現 行犯逮捕)。また、その後の採尿手続により得られた尿を鑑定した結果、覚せ い剤の成分が検出されたため、その旨の鑑定書が作成された。Aは覚せい剤取 締法違反により起訴された。  以上の経緯を整理したのが、以下の表である(なお、日付はいずれも平成26 年6月17日であり、被疑者を「A」、弁護人を「B」、警察官を「K」と記載する)。 K1らによる留め置きの態様等 令状関係 職務質問開始(PM7:07頃)後➡ディスカウントエチゴヤ前付近 ・Aの肩に手をかける、両手を広げて立ち はだかる、Aの身体等に手をかけてAを 元いた側に押し返す等した【行為ⅰ】。 ・強制手続を取る旨を決定し、K2が警察 署へ向かう(PM7:22頃)。 ディスカウントエチゴヤ前付近➡ローソン西川口店前(移動開始は PM7:25頃) ・Bがローソン前に臨場(PM9:27頃)。 Aと共に帰る旨をK1に明確に伝える。 ・令状請求関係書類作成開始(PM7:35頃) ・令状請求準備終了(PM8:30 ~ PM8:40 頃) ・令状請求(PM9:02頃) ローソン西川口店前➡西川口駅前ロータリー(移動開始は PM9:46頃) ・Aを掴む、後方からAの身体に何らか の外力を加える等した【行為ⅱ】。 西川口駅前ロータリー➡タクシー停止場所(タクシー発車は PM9:50頃) ・首都高入口に近付いた本件タクシー(A B乗車)に停止を求めた【行為ⅲ】。 ・停車した本件タクシーの前方及び両脇 をパトカー3台で囲んだ【行為ⅳ】 (PM10:10頃) ・説得を受け、ABは一般道の走行に応 じる。これに伴い、タクシー前方のパ トカーが移動(PM10:15頃)。 ・令状発付(PM9:56頃) ・令状を携帯したK2が現場到着(PM10:15 頃)。 ・捜索の結果、覚せい剤が発見され現行 犯逮捕。 ・採尿手続の結果、覚せい剤成分が検出 されたため、尿の鑑定書作成。 覚せい剤取締法違反により起訴。 判 例 研 究 [109] 北法69(1・96)96 2 原審  さいたま地判平成27年4月30日(平成26年(わ)第891号、平成26年(わ)第 1274号公刊物等未登載)は、罪となるべき事実として、 被告人は 「法定の除外事由がないのに、平成26年6月上旬から同月17日までの間に、日 本国内のいずれかの場所において、覚せい剤を自己の身体に摂取し、もって覚 せい剤を使用し」 「みだりに、同日、東京都板橋区の路上において、覚せい剤約6.134g を所持し」 たことを認定2し、前記行為ⅰ・ⅱについては、職務質問において許容される 限度内の行為である等として違法とはいえない、前記行為ⅲ・ⅳについては、 捜索差押許可状の執行のために必要な行為として許容される範囲内のものであ る等として違法とはいえないと判示した。その上で、尿の鑑定書等の証拠能力 を肯定して、被告人を懲役4年(実刑)に処した。  被告人側は、警察官の行為が任意捜査の限界を超えていた違法なものであり、 それに引き続いて為された採尿手続等も違法であるから、被告人の尿の鑑定書 等はいずれも違法収集証拠として証拠能力を否定されるべきである等と主張し て控訴した。この控訴に対して出されたのが、本判決である。 3 判旨(破棄自判、確定。懲役3年4月 実刑)3 (1)行為ⅰ~ⅳの適法性 【行為ⅰ】  「職務質問を継続するため、被告人の肩に手をかけたり、両手を広げて立ち はだかるなどした行為は、職務質問を行うために停止を求める措置として許さ れるものであり、被告人とぶつかった際、その身体に手をかけて被告人を元い た側に押し返すなどした行為も、その延長上にある相当な有形力の行使といえ る」。 【行為ⅱ】 2 原審は、他にも罪となるべき事実を認定していたが、本研究とは直接関係し ないため省略する。 3 本判決に対する評釈として、石田倫識「判批」法学セミナー 743号(2016年) 124頁、加藤和輝「判批」KEISATSUKORON72巻3号(2017年)84頁以下、麻 妻和人「判批」刑事法ジャーナル51号(2017年)103頁以下がある。 刑事判例研究 [110]北法69(1・95)95  「警察官らは、・・・被告人に対する捜索差押許可状の請求中であったことか ら、令状が発付された場合の執行のしやすさを念頭において、被告人をその場 にとどまらせようとしていたものである。したがって、この時点においては、 被告人は、職務質問の対象から、覚せい剤取締法違反被疑事件の任意捜査の対 象に移行していたというべきである。  そこで、警察官のとった行動が任意捜査として許されるかが問題となるとこ ろ、・・・被告人が明確に捜査への協力を拒否し、その場から立ち去る言動を取っ ていたことに加え、法律専門家である弁護士が、警察官に対して、令状がない 以上、その場にとどまる理由がない旨明確に述べ、被告人と共に帰る意思を明 示し、被告人と共にタクシーに乗るために、ローソン前から駅前ロータリーに 向かって移動を始めたのである。警察官が、任意捜査の一環として、令状が到 着するまでその場にとどまるように要請することや移動する被告人を追尾する ことは、もとより許されるが、強制的にその場にとどまらせることができない ことは明らかである。そして、本件においては、・・・弁護士は、弁護士とし ての立場において、これ以上、この場にとどまることはできないと述べて、そ の要請を明確に断り、現に移動を開始することにより態度でも拒否の姿勢を示 したのである。また、・・・弁護士は、警察官が被告人を押したり、つかんだ りした際などに、やめるように警察官に述べている。弁護士がこのような態度 を明確に示しているにもかかわらず、警察官が、それを無視する形で、移動を 阻止するべく、被告人をつかむなど、被告人に『痛い』と言わしめるほどの有 形力を行使し、さらには、後方から被告人を転倒させるほどの有形力を行使す ることは、もはや任意捜査の限界を超える違法なものといわざるを得ない」。 【行為ⅲ】  「本件のようにすでに捜索差押許可状が発付されている場合、その執行を見 据えて一般道を走行するように要請するため、走行中の本件タクシーに停止を 求めることは、任意捜査の範疇に属するものとして許されるというべきである」。 【行為ⅳ】  「しかしながら、この時点では捜索差押許可状が発付されていたとはいえ、 本件停止場所にいた警察官は当該捜索差押許可状を所持していなかったのであ る。しかも、・・・弁護士は、警察官に対し、令状を持ってくるように再三述 べていたところ、本件停止場所でも令状がないことから、このような進路妨害 が違法である旨抗議した上、本件タクシーの運転手に発進するよう依頼してい 判 例 研 究 [111] 北法69(1・94)94 る。本件タクシーの運転手は、1mも空いてないから行けないですよなどと・・・ 弁護士に述べており、パトカーによる封鎖のため、本件タクシーの発進を断念 せざるを得ない状況に追い込まれている・・・。パトカーで三方から挟み込ん で本件タクシーを動けない状況にしたのは、捜索差押許可状の円滑な執行の必 ・・・・・・・・・・・・・・・ 要性を考慮しても ・・・・・・・・ 、任意捜査の限界を超えたものといわざるを得ない」。 (2)被告人の尿の鑑定書等の証拠能力  ローソン前から駅前ロータリーに至るまでの間については、警察官に「令状 主義を潜脱する意図はうかがわれない」ことに加えて、「被告人に対する有形 力の行使といっても、その力の強さや程度は、大きいものであったとまではい えない」。タクシーの進路封鎖についても「令状執行の必要性が高かったとい う事情があり、警察官に令状主義を潜脱しようとする意図があったとは認めら れない」。よって、被告人の尿の鑑定書等の証拠能力を肯定することができる。 (3)捜査過程の違法と量刑  「被告人に対する有形力の行使及びパトカーによる本件タクシーの進路封鎖 が違法であることはすでに認定・説示したとおりである。この違法は、令状主 義の精神を没却する重大な違法とまでは認められないものの、弁護士のいる下 で、同弁護士から違法行為をやめるように言われているにもかかわらず、その 要請を無視する形で行われたという点で、軽微なものと見ることはできず、本 件発覚の端緒に関わる違法であり、このような違法を甘受せざるを得なかった 被告人に対しては、量刑上、相応の配慮をするべきである」。 第3 任意捜査の限界を超えているか否かに関する判断枠組みにおける本件特 殊事情の位置付け 1 問題の所在  本件の事案において、警察官は、被疑者と共にローソンに到着した時点で既 に令状請求準備を開始している。そのため、遅くともこの段階から実体は捜査 と同じことになる4。このような場合、警察官職務執行法と刑事訴訟法とが重畳 4 渡辺修『職務質問の研究』(成文堂、1985年)335頁等。本判決も、「この時点 においては、被告人は、職務質問の対象から、覚せい剤取締法違反被疑事件の 任意捜査の対象に移行していたというべきである」と判示している。ここでの 「この時点」がどの時点を指すのかは曖昧であるが、警察官が令状請求準備に 刑事判例研究 [112]北法69(1・93)93 的に適用され5、刑事訴訟法がより厳格な法的規律を定めている場合には、同法 に基づき警察官の活動の適法性が判断されることになる。  任意捜査の限界を超えているか否かに関する判断枠組みについては、最決昭 和51年3月16日刑集30巻2号187頁(以下、「最高裁昭和51年決定」という)に おいて既に示されている。そのため、本判決も、最高裁昭和51年決定自体を判 決書において明示的に引用していないものの、上記判断枠組みに沿った判断を 行ったものと思われる。もっとも、本件特殊事情を上記判断枠組みの中でどの ように位置付けるべきなのかについては、検討を要する。 2 最高裁昭和51年決定が示した判断枠組み  最高裁昭和51年決定の事案は、物損事故を起こした被告人(当時は被疑者) を警察官が警察署に任意同行した際、外見上酒を飲んでいる様子であったこと から呼気検査に応じるよう説得していたところ、被告人が急に退室しようとし たため、これを防ごうと被告人の左斜め前に立ち両手でその左手首を掴んだ行 為の適法性が争われたというものである。この事案に対して最高裁は、「捜査 において強制手段を用いることは、法律の根拠規定がある場合に限り許容され るものである。しかしながら、ここにいう強制手段とは、有形力の行使を伴う 手段を意味するものではなく、個人の意思を制圧し、身体、住居、財産等に制 約を加えて強制的に捜査目的を実現する行為など、特別の根拠規定がなければ 許容することが相当でない手段を意味するものであつて、右の程度に至らない 有形力の行使は、任意捜査においても許容される場合があるといわなければな らない。ただ、強制手段にあたらない有形力の行使であつても、何らかの法益 を侵害し又は侵害するおそれがあるのであるから、状況のいかんを問わず常に 許容されるものと解するのは相当でなく、必要性、緊急性なども考慮したうえ、 具体的状況のもとで相当と認められる限度において許容されるものと解すべき である」。本件の警察官の行為は、「呼気検査に応じるよう被告人を説得するた 入ったのは午後7時22分頃であるから、少なくとも同時刻以降は捜査段階に移 行したと考えられる。行為ⅰについては、捜査段階に移行前の純粋な行政警察 活動としての職務質問に際して行われたものと見ることができるが、本研究で は検討を省略する。 5 三井誠『刑事手続法(1)〔新版〕』(有斐閣、1997年)94頁、川出敏裕「行政警 察活動と捜査」法学教室259号(2002年)73頁以下、76頁、酒巻匡「行政警察活 動と捜査(1)」法学教室285号(2004年)47頁以下、48頁。 判 例 研 究 [113] 北法69(1・92)92 めに行われたものであり、その程度もさほど強いものではないというのである から、これをもつて性質上当然に逮捕その他の強制手段に当たるものと判断す ることはできない。また、右の行為は、酒酔い運転の罪の疑いが濃厚な被告人 をその同意を得て警察署に任意同行して、被告人の父を呼び呼気検査に応じる よう説得をつづけるうちに、被告人の母が警察署に来ればこれに応じる旨を述 べたのでその連絡を被告人の父に依頼して母の来署を待つていたところ、被告 人が急に退室しようとしたため、さらに説得のためにとられた抑制の措置であ つて、その程度もさほど強いものではないというのであるから、これをもつて 捜査活動として許容される範囲を超えた不相当な行為ということはできず、公 務の適法性を否定することができない」と判示し、警察官による上記行為は強 制処分には当たらず、任意捜査としての限界も超えていないとした。このよう に、最高裁昭和51年決定は、第1に、ある捜査が強制処分に該当するか否かに ついての判断枠組みを示した。そして第2に、当該捜査が強制処分に該当しな い場合であっても(すなわち、任意捜査に該当する場合であっても)、任意捜 査の限界を超えている場合には違法となる余地があることを前提に、任意捜査 の限界を超えているか否かに関する判断枠組みを示した。  第1の判断枠組みについて、有力な見解は、相手方の明示または黙示の意思 に反し、法定の厳格な要件・手続によって保護する必要のあるほど重要な権利・ 利益に対する実質的な侵害ないし制約を伴う場合に強制処分となると分析して いる6。本判決は、行為ⅱ~ⅳが強制処分に該当するか否かについて明示的に検 討していないが、本件の事情からすれば、強制処分といえるほどの権利侵害は 存在しないという判断によるものと思われる。  第2の判断枠組みについて、有力な見解は、用いられた手段の必要性、緊急 性のほか、生じている犯罪の嫌疑の程度、その重大性も併せ考慮要因とされる べきであり、これらの要因と対象者の被った法益侵害の質・程度が、具体的状 況のもとで権衡しているか、により任意捜査の限界を超えたか否かを判断する ものと分析している7。そこで、以下ではこの見解に沿って、本件特殊事情を上 記第2の判断枠組みの中でどのように位置づけるべきなのかについて検討する。 6 井上正仁「強制捜査と任意捜査の区別」同『強制捜査と任意捜査〔新版〕』(有 斐閣、2014年)2頁以下、10~ 12頁。 7 酒巻・前掲注(5)50~ 51頁。 刑事判例研究 [114]北法69(1・91)91 3 本判決の検討 (1)任意捜査の限界を超えているか否かに関する判断枠組みにおける本件特 殊事情の位置付け  本判決も指摘するとおり、職務質問の対象者は、行為ⅱが為される以前から 「明確に捜査への協力を拒否し、その場から立ち去る言動を取っていた」。これ は、対象者自身がこれ以上職務質問の現場に止まらない旨の明確な意思を表明 したことに加えて、その意思に基づいた現実の行動(移動)を取ったことを意 味する。そして、対象者による上記意思表明やその意思に基づいた現実の行動 (移動)が増えるほど、警察官の説得によって対象者が翻意する可能性は減少し、 このような被告人に対して警察官がその行動(移動)を阻止すればするほど、 行動(移動)の自由に対する侵害の程度は高くなってゆくと言い得る。さらに、 臨場した弁護士がこれ以上職務質問・留め置きに応じられない旨を明示した場 合、対象者は、法律の専門家である弁護士が述べたという点を踏まえて更に拒 絶の意思を強くし、警察官の説得により翻意する可能性はほぼ無くなったと評 価できる8。このような対象者に対して、警察官がその行動(移動)を阻止する ことを認めれば、それは、対象者の行動(移動)の自由を完全に否定するのに 等しくなり、対象者の行動(移動)の自由に対する侵害の程度が極めて高いと いえる。このように考えると、本判決は、本件特殊事情を、対象者の法益に対 する侵害の程度を高める事情の1つとして考慮したものといえる9。 (2)本件特殊事情が存在しなかった場合  仮に、本件特殊事情が存在しなかった場合、本判決の結論は左右されたので あろうか。換言すれば、本件特殊事情の存在が、本判決の結論を導く上で必須 のものであったか否かという問題である。  職務質問の際の留め置きの適法性が争われた同種の裁判例に照らすと、本件 において、本判決が判示した程度の被告人の言動では、即座に任意捜査の限界 8 判例タイムズ1424号匿名解説169頁は、本判決について、本件特殊事情が存在 する場合、「被疑者が説得を受けても翻意の可能性が全くないことが客観的に 明らかになったとの前提に立ち、任意捜査としての留め置きの適法性の根拠が なくなるとの立場を明らかにしたもの」と述べる。 9 本判決が本件特殊事情を、権利侵害の程度を高める一事情として考慮した旨 を指摘するものとして、石田・前掲注(3)124頁、麻妻・前掲注(3)107頁。 判 例 研 究 [115] 北法69(1・90)90 を超えたものと結論付けることができない可能性があった10。本判決はこの点 を考慮し、行為ⅱや行為ⅳの適法性判断において、本件特殊事情を強調したも のと考えられる。このように考えると、本件特殊事情の存在は、本判決の結論 を導く上で必須のものであったといえる。 第4 警察官の行為態様ごとに適法性を判断する手法と最高裁判例との整合性 1 問題の所在  本判決は、職務質問に伴う一連の留め置きのうち、令状請求準備開始(着手) 前段階の行為(行為ⅰ)を適法と判断したものの、令状請求準備開始(着手)後 の行為(行為ⅱ)を違法と判断した。先行する部分(本件の行為ⅱ)が違法とさ れたならば、それに引き続く部分(本件の行為ⅲ・ⅳ)も違法な留め置き状態 を延長するものとして違法評価を受けるはずである11。しかし、本判決は、行 為ⅱを違法と判断した後、行為ⅲ・ⅳの適法性を別途検討している。このよう に、本判決が、先行する部分の違法状態を引き継いで判断する手法を採用せず、 行為態様ごとに適法性を判断する手法を採用したことは、従来の判例と整合す るのであろうか。 2 従来の判例 (1)最決平成6年9月16日刑集48巻6号420頁  事案は、警察官が自動車運転中の対象者を停止させて職務質問を開始したと ころ、覚せい剤使用の嫌疑が生じたことから任意同行・尿の提出を求めたが拒 否されたため、自動車の運転キーを取り上げる等して運転を阻止した上で約6 時間半以上(令状請求準備開始(着手)前の留め置き時間は約4時間20分)その 場に留め置き、その後強制採尿令状により強制採尿を行ったというものである。 この事案に対して最高裁は、「被告人の身体に対する捜索差押許可状の執行が 開始されるまでの間、警察官が被告人による運転を阻止し、約6時間半以上も 被告人を本件現場に留め置いた措置は、・・・被告人に対する任意同行を求め るための説得行為としてはその限度を超え、被告人の移動の自由を長時間にわ 10 例えば、後記の札幌高判平成26年12月18日判タ1416号129頁の事案参照。 11 令状請求準備開始(着手)前と後に関する文脈であるが、同旨を述べるもの として、大澤裕「強制採尿に至る被疑者の留め置き」研修770号(2012年)3頁 以下、9頁。 刑事判例研究 [116]北法69(1・89)89 たり奪った点において、任意捜査として許容される範囲を逸脱したものとして 違法といわざるを得ない」。「警察官が、早期に令状を請求することなく長時間 にわたり被告人を本件現場に留め置いた措置は違法であるといわざるを得な い」と判示した。 (2)検討  最高裁平成6年決定については、強制採尿令状を請求して強制捜査に移行す るか否かについての警察官による見極めが遅れた結果、令状に基づくことなく 被告人の移動の自由を長時間奪った点において違法としたとする見方があ る12。この見方によれば、最高裁平成6年決定は令状請求準備開始(着手)前の 留め置きを違法と判断し、その違法状態を引き継いだ結果、令状請求準備開始 (着手)後の留め置きも含めた意味での「約6時間半以上も被告人を本件現場に 留め置いた措置」全体を違法と判断したことになる13。そのため、令状請求準備 開始(着手)前の留め置きが適法である事例についてどのように考えるかは、 最高裁平成6年決定の射程外である。本判決は、令状請求準備着手前段階(本 件の行為ⅰ)を適法と判断したものであるから、職務質問開始から捜索差押許 可状執行までの一連の留め置きの適法性を判断するに際して、先行する部分(本 件の行為 ii)の違法状態を引き継いで判断する手法を採用せず、行為態様ごと に適法性を判断する手法を採用したとしても、最高裁平成6年決定と整合しな いとはいえない。 第5 二分論に対する本判決の態度 1 問題の所在  二分論とは、職務質問に伴う留め置きの適法性判断に際し、“純粋に任意捜 査として行われている段階”と“強制採尿令状請求の準備を開始した後の令状 の発付・執行に至る段階(「強制手続への移行段階」)”とを分けて、後者の段階 では前者の段階に比べて「相当程度強くその場に止まるよう被疑者に求めるこ とも許される」とする考え方(後記2の関連裁判例②③参照)をいう。  この考え方の背後には、特に覚せい剤に代表される薬物の所持・使用が疑わ れる対象者に対する長時間の留め置きを正当化する方策が必要である、という 12 中谷雄二郎「判解」『最高裁判所判例解説刑事篇平成6年度』186頁。 13 大澤・前掲注(11)9頁~ 10頁。 判 例 研 究 [117] 北法69(1・88)88 捜査現場からの要請が存在する。すなわち、職務質問の結果、覚せい剤の所持・ 使用の嫌疑が高まったものの、対象者が所持品検査や尿の任意提出に応じない 場合、所持が疑われる対象者には着衣や所持品の捜索・差押えのために、使用 が疑われる対象者には強制採尿のために、捜索差押許可状の発付請求が為され ることになる。ところが、強制採尿の場合には医師の協力を得る必要がある14 等の事情により、令状発付までには通常数時間かかる。その間に、対象者を解 放した結果、対象者が所在不明になってしまえば、令状の発付を得たとしても 執行不可能となってしまう。このような事態を避けるために、長時間の留め置 きを正当化する方策が必要となるのである。 14 最決昭和55年10月23日刑集34巻5号300頁は、「尿を任意に提出しない被疑者 に対し、強制力を用いてその身体から尿を採取することは、身体に対する侵入 行為であるとともに屈辱感等の精神的打撃を与える行為であるが、右採尿につ き通常用いられるカテーテルを尿道に挿入して尿を採取する方法は、被採取者 に対しある程度の肉体的不快感ないし抵抗感を与えるとはいえ、医師等これに 習熟した技能者によつて適切に行われる限り、身体上ないし健康上格別の障害 をもたらす危険性は比較的乏しく、仮に障害を起こすことがあつても軽微なも のにすぎないと考えられるし、また、右強制採尿が被疑者に与える屈辱感等の 精神的打撃は、検証の方法としての身体検査においても同程度の場合がありう るのであるから、被疑者に対する右のような方法による強制採尿が捜査手続上 の強制処分として絶対に許されないとすべき理由はなく、被疑事件の重大性、 嫌疑の存在、当該証拠の重要性とその取得の必要性、適当な代替手段の不存在 等の事情に照らし、犯罪の捜査上真にやむをえないと認められる場合には、最 終的手段として、適切な法律上の手続を経てこれを行うことも許されてしかる べきであり、ただ、その実施にあたつては、被疑者の身体の安全とその人格の 保護のため十分な配慮が施されるべきものと解するのが相当である。   そこで、右の適切な法律上の手続について考えるのに、体内に存在する尿を 犯罪の証拠物として強制的に採取する行為は捜索・差押の性質を有するものと みるべきであるから、捜査機関がこれを実施するには捜索差押令状を必要とす ると解すべきである。ただし、右行為は人権の侵害にわたるおそれがある点で は、一般の捜索・差押と異なり、検証の方法としての身体検査と共通の性質を 有しているので、身体検査令状に関する刑訴法218条5項〔現6項-本論文執筆 者注〕が右捜索差押令状に準用されるべきであつて、令状の記載要件として、 強制採尿は医師をして医学的に相当と認められる方法により行わせなければな らない旨の条件の記載が不可欠であると解さなければならない。」と判示した。 刑事判例研究 [118]北法69(1・87)87  それでは、本判決は、二分論を採用したのであろうか。以下では、裁判例に おける二分論の形成過程を概観した上で(2)、二分論に対して慎重な態度を 示す裁判例を概観し(3)、本判決が二分論に対してどのような態度を取って いるのかを検討する(4)。 2 裁判例における二分論の形成過程 (1)東京高判平成20年9月25日東高刑59巻1~ 12号83頁15【関連裁判例①】  事案は、警察官が自動車運転中の対象者を停止させて職務質問を開始したと ころ、覚せい剤使用の嫌疑を深めたため、警察署への任意同行と尿の提出を求 めたが拒否されたことから、強制採尿令状による強制採尿が行われたというも のである(令状請求準備から令状執行まで約4時間が経過)。  この事案に対して東京高裁は、傍論ではあるが「付言すると・・・、覚せい 剤使用の嫌疑が濃厚な被告人らにつき、警察官が令状請求の手続をとり、その 発付を受けるまでの間、自動車による自由な移動をも容認せざるを得ないとす れば、令状の発付を受けてもその意義が失われてしまう事態も頻発するであろ う。本件のような留め置きについては、裁判所の違法宣言の積み重ねにより、 その抑止を期待するよりは、令状請求手続をとる間における一時的な身柄確保 を可能ならしめるような立法措置を講ずることの方が望ましいように思われ る」と判示した。この判示から、裁判所が後の二分論につながり得るような問 題意識を有していたことが窺える。 (2)東京高判平成21年7月1日判タ1314号302頁16【関連裁判例②】  事案は、警察官が覚せい剤使用の嫌疑のある対象者を職務質問の現場から警 察署に任意同行し尿の任意提出を求めたところ、これを拒否されたため、強制 15 本判決に対する評釈として、白取祐司「判批」刑事法ジャーナル17号(2009年) 104頁以下[白取祐司『刑事訴訟法の理論と実務』(日本評論社、2012年)90頁以 下所収]、細谷芳明「判批」捜査研究775号(臨増・判例から学ぶ捜査手続の実務  特別編①)(2015年)82頁以下がある。 16 本判決に対する評釈として、正木祐史「判批」法学セミナー 666号(2010年) 124頁、松本英俊「判批」『速報判例解説8巻』(日本評論社、2011年)225頁以下、 前田雅英「令状執行の為の留め置き行為の適法性」警察学論集64巻5号(2011年) 145頁以下、坂田正史「判批」捜査研究725号(2011年)60頁以下、細谷芳明「判批」 捜査研究775号(臨増・判例から学ぶ捜査手続の実務 特別編①)(2015年)20頁 以下がある。 判 例 研 究 [119] 北法69(1・86)86 採尿令状による強制採尿が行われたというものである(令状請求準備から令状 執行まで3時間近くが経過)。  この事案に対して東京高裁は、「本件留め置きの任意捜査としての適法性を 判断するに当たっては、本件留め置きが、純粋に任意捜査として行われている 段階と、強制採尿令状の執行に向けて行われた段階(以下、便宜「強制手続へ の移行段階」という。)とからなっていることに留意する必要があり、両者を一 括して判断するのは相当でない」。「強制採尿令状の請求が検討されるほどに嫌 疑が濃い対象者については、強制採尿令状発付後、速やかに同令状が執行され なければ、捜査上著しい支障が生じることも予想され得ることといえるから、 対象者の所在確保の必要性は高く、令状請求によって留め置きの必要性・緊急 性が当然に失われることにはならない」。「本件における強制手続への移行段階 における留め置きも、強制採尿令状の執行に向けて対象者の所在確保を主たる 目的として行われたものであって、いまだ任意捜査として許容される範囲を逸 脱したものとまでは見られないものであった」。「最後に付言すると、強制手続 への移行段階における留め置きであることを明確にする趣旨で、令状請求の準 備手続に着手したら、その旨を対象者に告げる運用が早急に確立されるのが望 まれるが、本件では、そういった手続が行われていないことで、これまでの判 断が左右されることにはならない」と判示した。この判示により、警察署での 留め置きの事案において二分論が妥当することが明らかとなった。 (3)東京高判平成22年11月8日高刑集63巻3号4頁(判タ1374号248頁)17【関 連裁判例③】  事案は、警察官が自動車運転中の対象者を停止させて職務質問を開始したと ころ、薬物使用の嫌疑を強めたため尿の提出を求めたところ拒否されたことか ら、強制採尿令状による強制採尿が行われたというものである(令状請求準備 から令状執行まで3時間21分が経過)。 17 本判決に対する評釈として、豊崎七絵「判批」判例セレクト2011-Ⅱ法学教 室378号(2012年)別冊付録38頁、白取祐司「判批」『平成23年度重要判例解説』(有 斐閣、2012年)179頁以下、前田雅英「判批」捜査研究764号(2014年)35頁以下、 篠原亘「判批」法学新報121巻5=6号(2014年)409頁以下、細谷芳明「判批」 捜査研究775号(臨増・判例から学ぶ捜査手続の実務 特別編①)(2015年)40頁 以下がある。 刑事判例研究 [120]北法69(1・85)85  この事案に対して東京高裁は、「強制採尿令状の請求に取りかかったという ことは、捜査機関において同令状の請求が可能であると判断し得る程度に犯罪 の嫌疑が濃くなったことを物語るものであり、その判断に誤りがなければ、い ずれ同令状が発付されることになるのであって、いわばその時点を分水嶺とし て、強制手続への移行段階に至ったと見るべきものである。したがって、依然 として任意捜査であることに変わりはないけれども、そこには、それ以前の純 粋に任意捜査として行われている段階とは、性質的に異なるものがあるとしな ければならない」。警察官が強制採尿令状請求の手続に取りかかった段階「以 降強制採尿令状の執行までの段階について検討すると、同令状を請求するため には、予め採尿を行う医師を確保することが前提となり、かつ、同令状の発付 を受けた後、所定の時間内に当該医師の許に被疑者を連行する必要もある。し たがって、令状執行の対象である被疑者の所在確保の必要性には非常に高いも のがあるから、強制採尿令状請求が行われていること自体を被疑者に伝えるこ とが条件となるが、純粋な任意捜査の場合に比し、相当程度強くその場に止ま るよう被疑者に求めることも許されると解される」と判示した。  この判示により、二分論がより詳細に示され、かつ、二分論が警察署での留 め置き(前記【関連裁判例②】の事案)のみならず、職務質問を開始した現場で の留め置きにも妥当することが示された。 3 二分論に慎重な態度を示す裁判例 (1)札幌高判平成26年12月18日判タ1416号129頁18【関連裁判例④】  事案は、警察官が自動車運転中の対象者を停止させて警察車両で職務質問及 び所持品検査を行ったところ、覚せい剤使用の嫌疑が生じたため、尿の提出を 求めたが拒否されたことから、強制採尿令状による強制採尿が行われたという ものである(令状請求準備から令状執行まで約4時間が経過)。  この事案に対して札幌高裁は、「本件現場における職務質問が適法に開始さ れたことが明らかである」ことに加えて、一定の限度で捜査に協力する姿勢を 示していた「被告人の対応から見て、少なくとも当初は、本件警察車両内に任 意にとどまっていたものと認められる」。また、「採尿令状請求の準備が開始さ れた後、それと並行して、・・・被告人に対して任意採尿に向けた説得を続け 18 本判決に対する評釈として、溝端寛幸「判批」研修803号(2015年)17頁以下、 前田雅英「判批」捜査研究782号(2016年)10頁以下がある。 判 例 研 究 [121] 北法69(1・84)84 るなどしたことが直ちに不当であるとはいえない。しかし、A警部補らは、被 告人が、午前3時30分頃及び午前6時頃の2回にわたり、本件警察車両から降 車しようとした際、有形力を行使してその行動を制止し、結果として、被告人 が本件警察車両から降車する意思を明示した午前3時30分頃から本件採尿令状 が執行された午前7時18分頃まで約3時間50分にわたり、上記2回の有形力の 行使を交えつつ、被告人を本件警察車両内に留め置いたものであり、このよう なA警部補らの措置は、長時間にわたり被告人の移動の自由を過度に制約した ものとして、任意捜査の範囲を逸脱した違法なものであったと評価せざるを得 ない」。「犯罪の嫌疑の程度は、採尿令状の請求準備を開始するか否かという警 察官の判断により直ちに左右されるものでない上、本件において、その段階で、 嫌疑を深めるべき新たな証拠や事実が発見されていないから、・・・警察官の 判断時点を境界として、許容される留め置きの程度に有意な違いが生じるもの と解することは、必ずしも説得力のある立論ではないというべきであ」る。ま た、「本件警察車両からの降車を許すことにより、被告人の所在確保が困難に なる状況にあったとはいえない」こと、「被告人の降車を許したとしても、警 察官が、被告人から離れることなく、その動静を厳重に監視することなどによ り、罪証隠滅行為を防ぐことは可能であった」ことから、「被告人の所在確保 や罪証隠滅行為の防止の必要性を勘案しても、有形力を行使して、本件警察車 両からの降車を許さなかった措置を正当化することはできない」と判示し、二 分論に準拠せずに留め置きの適法性を判断した。 (2)東京高判平成27年3月4日判時2286号138頁19【関連裁判例⑤】  事案は、警察官が自転車で走行中の対象者を停止させて職務質問を開始し所 持品の提示を求めたところ、薬物犯罪の疑いが生じたことから、捜索差押許可 状を執行し覚せい剤等を差し押さえたというものである(令状請求準備から令 状執行まで約3時間40分が経過)。  この事案に対して東京高裁は、まず「任意捜査における・・・有形力の行使は、 捜索や逮捕にわたるような、相手方の意思を制圧するものであってはならず、 また、侵害される法益の種類、程度、捜査目的を実現するためにその法益を侵 害することの必要性、緊急性、犯罪の嫌疑の程度、重要性なども考慮して、具 19 本判決に対する評釈として、德永国大「判批」KEISATSUKORON70巻12号 (2015年)84頁以下、岡本梢「判批」創価法学47巻2号(2017年)107頁以下がある。 刑事判例研究 [122]北法69(1・83)83 体的状況のもとで相当と認められる限度内のものでなければならない」との規 範を定立した。その上で、ⅰ「覚せい剤取締法違反という重大事犯」であること、 ⅱ「被告人には、覚せい剤を所持している疑いがあるものの、その程度は、蓋 然性という高度のものではない」こと、ⅲ証拠「隠滅後であれば、捜索差押許 可状の発付を受けても実効性がない」ことを挙げて、留め置きの必要性を肯定 した。他方で、ⅳ「被告人が再三、そこから出たいとの明確な意思表示をして 立ち去る行動に及んでいるにもかかわらず、・・・典型的な有形力の行使も用 いつつ、被告人を警察官による囲いから出られないようにしている」ことは「被 告人の移動の自由、ときに身体の自由という重要な法益を侵害したものであ」 ること、ⅴ「それは被告人の動きに対応した受動的、一時的なものではな」かっ たこと、ⅵ「あらかじめ立ち去りを防止しようとして、約三時間四〇分・・・ という短いとはいえない時間」移動を制限したことを挙げ、「手段の相当性を 欠き、全体として違法というべきである。さらに、違法な本件留め置きの結果 を利用して行われた本件の捜索差押も違法性を帯びることになる」と結論付け た。そして、検察官は、「令状請求の準備開始後、令状執行までの間は被疑者 の所在を確保する必要性が高いとして、相当程度強くその場に止まるよう被疑 者に求めることも許されるとした東京高裁平成二二年一一月八日判決を援用す る(類似の裁判例として東京高裁平成二五年五月九日判決も援用)。当裁判所も、 令状執行のための留め置きの必要性は肯認するものである。しかし、それを踏 まえても、本件で執られた手段は許される範囲を超えているというべきである」 と判示した。本判決は、関連裁判例④と比べて二分論を採用しない旨を明示し ていないものの、令状請求準備開始後の段階であることを理由として対象者へ の強度の留め置きを肯定する、という手法を用いていないことから、二分論に 基づいて判断をしていないといえる。 4 検討 (1)二分論を基礎付ける理論   ア 嫌疑の程度が異なる     関連裁判例②③の判示によれば、「純粋に任意捜査として行われてい る段階」と「強制手続への移行段階」とでは、嫌疑の濃さ(程度)が異なり ・・・・・ ・・ ・・・・ 、 それが、留め置きの際に捜査機関が行い得る行為の強さと結び付くと考 えている、と読むことができそうである。任意捜査の限界を超えている か否かに関する判断枠組みに引き付けて述べるならば、強制手続への移 判 例 研 究 [123] 北法69(1・82)82 行段階(関連裁判例③ならば、「強制採尿令状の請求に取りかかった」段 階以降)に至ると、嫌疑の程度が高まり、留め置きの必要性(緊急性) が高まることから、対象者に対して許容される法益侵害の程度も増加す る、ということになろう。   イ 留め置き目的の違い20     関連裁判例②③は、「対象者の所在確保の必要性」が高い(関連裁判例 ②)、「令状執行の対象である被疑者の所在確保の必要性には非常に高い ものがある」(関連裁判例③)と判示している。これらの判示からは、純 粋に任意捜査として行われている段階の留め置きの目的は対象者の説得 であるのに対して、強制手続への移行段階の留め置きの目的は対象者の 所在確保であるというように、留め置きの目的が区別されることが窺え る。 (2)二分論に対する批判21  二分論に対しては、捜査官の主観的な嫌疑しかない状況で、対象者の所在確 保の必要性を肯定するのは妥当でない、令状請求段階では、実際に令状が発付 されるか否かが不明であるため、将来の令状発付・執行を見込んで所在確保の 必要性を肯定する(そして、それに伴い対象者の不利益が充分に考慮されなく なる)のは妥当でない、所在確保の必要性という概念は、極限まで強制処分に 接着する留め置きを合理化しうるため、強制処分該当性判断の枠組みによる歯 止めが充分にきかない危険がある22等の批判が為されている。これらの批判は、 いずれも二分論が有する危険性を指摘するものであり、正当と考える。 (3)本判決における二分論の採否  本判決について、二分論を採用しなかったと分析する見解は、次のように述 べる。「本件では『強制手続への移行段階』における有形力行使の適法性が問わ れていたにもかかわらず、本判決の説示からは、より強度の留め置きを許容す る含意が窺われないことに照らすと、本判決は二分論には依拠しないものと解 20 大澤・前掲注(11)10頁。 21 豊崎・前掲注(17)38頁等。 22 白取・前掲注(17)180頁が「強制処分法定主義の理想はさらに後退してしま うのではないか」と述べるのも同旨と考えられる。 刑事判例研究 [124]北法69(1・81)81 される」23。  これに対して、二分論に配慮した判断を行ったと分析する見解は、次のよう に述べる。「警察官らは、その時点で、被告人に対する捜索差押許可状の請求 中であったことから、令状が発付された場合の執行のしやすさを念頭において、 被告人をその場にとどまらせようとしていたものである」等と認定しているこ とから、「二分論を否定するのではなく、その考え方にも配慮した判断を行っ ているものとみることができよう」24。  本判決の事案において、行為ⅱの時点で令状請求準備は既に開始されていた が、本判決の判示上、「純粋に任意捜査として行われている段階」と比べて、 対象者に対しその場に止まることを強く求めることを許容する旨の指摘は無い (判決書ではそもそも「純粋に任意捜査として行われている段階」という表現は 出てこない)。このような判示から考えると、本判決は、関連裁判例③のよう な「強制採尿令状の請求に取りかかった ・・・・・・・・・ 」時点 ・・ を「分水嶺として、強制手続へ の移行段階に至った」とする意味での二分論は採用していないといえる。また、 警察官が令状の発付を請求する準備を開始した点を、留め置きの必要性(緊急 性)を高める考慮要素にもしていない。  もっとも、本判決は行為ⅲに関する部分で「すでに捜索差押許可状が発付さ れている場合」と敢えて判示して、行為ⅲ・ⅳの適法性を別途検討している。 この判示は、令状発付時点を分水嶺とした新たな二分論を採用したものであろ うか。行為ⅲ・ⅳの判示の特徴は、以下の3つに要約できる。第1に、任意捜 査の限界を超えているか否かに関する判断枠組みにおける“必要性”は、「捜索 差押許可状の円滑な執行の必要性」であること、第2に、「純粋に任意捜査と して行われている段階」と比べて、対象者に対してその場に止まることを強く 求めることを許容する旨の指摘は無いこと、第3に、「本件タクシーの発進を 断念せざるを得ない状況に追い込まれている」と判示して、対象者の被る不利 益の程度を考慮していることである。これら3つの特徴からすると、本判決は、 令状発付により同じ任意捜査でも“必要性”に質的な変化が生じたことを肯定 するものの、二分論に対する批判で述べられていたような、“必要性”に対す る質的な変化が対象者に対する不利益を充分に考慮しない方向に働くという点 23 石田・前掲注(3)124頁。同旨、麻妻・前掲注(3)108頁。 24 加藤・前掲注(3)91~ 92頁。 判 例 研 究 [125] 北法69(1・80)80 を回避している。そうすると、令状発付時点を分水嶺とした、安易に利益侵害 を正当化する方向での二分論は採用していないといえる。また、行為ⅲ・ⅳが 為された時点においても、行為ⅱで判示されたような「強制的にその場にとど まらせることができない」状態が維持されているといえるから、令状が発付さ れた点を留め置きの必要性(緊急性)を高める考慮要素にもしていない。 第6 二分論以外に対象者の留め置きを正当化する方策の有無 1 問題の所在  本判決は、行為ⅳの時点で既に令状は発付されていたものの、「本件停止場 所にいた警察官は当該捜索差押許可状を携帯していなかった」点を指摘してい る。この判示からは、本判決が、行為ⅳを適法とするためには捜索差押許可状 を携帯していることが必要であると考えていることが窺われる。それでは、本 件のように令状が既に発付されているものの現場にはまだ届いていないような 場合、対象者の留め置きを正当化する方策は考えられるか。 2 令状の効力構成  第1の考え方は、「強制採尿令状が発付された後、令状が到着するまでの必 要不可欠な時間身柄を拘束すること」は、「令状執行のため当然に予定したも のとして許され」る、とするものである25。 3 「必要な処分」構成  第2の考え方は、令状発付後の執行を確保するための措置は、執行の準備行 為ないし「必要な処分」(刑訴法222条1項・同法111条1項)として、捜索差押 えの実効性を確保する活動を行うことができる、とするものである26。「必要な 処分」(刑訴法222条1項・同法111条1項)を認めた規定は、旧刑訴法146条「押 25 仙台高判平成6年1月20日刑集48巻6号446頁以下、451頁。他に、「令状が 発布〔原文ママ〕された後、その令状を執行するため、令状執行に要する相当 の時間、被疑者を強制的に連行したり、留め置くことが令状執行に必然的に伴 う強制として許される場合もある」「(なお、同許されるためには、少なくとも、 被疑者に対し、同令状が発布〔原文ママ〕されていることを述べ、説明するこ とが必要であると解する。)」とした札幌地浦川支判平成12年2月18日無罪事例 集6集135頁(LEX/DB文献番号25420549)等。 26 大久保隆志「任意と強制の狭間―留め置きにおける『二分論』について―」広 島法科大学院論集11号(2015年)153頁以下、175頁。 刑事判例研究 [126]北法69(1・79)79 収又ハ捜索ニ付テハ鎖 さ 鑰 やく 又ハ封緘ノ開披其ノ他必要ナル處分ヲ爲スコトヲ得押 収物ニ付亦同シ」に由来する。同条の趣旨は、立案担当者によれば、押収・捜 索を為す際の目的を達成するため、鎖鑰・封緘の開披その他種々の処分が必要 となるところ、かかる処分を1つ1つ列挙することは出来ないことから、著名 な例を示して広く必要な処分を行える旨の規定を設けたが、その方法は公の秩 序善良な風俗に反せず、かつ事態に適応して妥当であると認められる範囲に限 られなければならない、というものである27。この規定が、大きな変更無く現 行刑訴法111条1項となったことを考えると、同条項は、強制処分の本来の目 的を達成するために必要かつ相当な処分を行える旨を規定したものであるとい える28。このように考えると、強制採尿令状発付後は、執行確保のために留め 置くことが必要かつ相当な処分といえるか否かが検討されなければならない。 4 両構成が乗り越えなければならない問題  令状の効力構成に対しては、強制採尿令状に緊急執行を許す規定(逮捕状に よる逮捕の場合につき、刑訴法201条2項・同法73条3項)はないことから、 令状の効力として身柄確保が許されるのは、令状を呈示して執行を開始した時 点以降というべきである、との疑問が出されている29。これは、留め置きの現 場に令状が無い場合、「必要な処分」もできないのではないか、という疑問が 生じる点で「必要な処分」構成にも当てはまる問題である。また、強制採尿令 状に緊急執行を許す規定が存在しないのは、逮捕状による逮捕の場合以外は、 緊急執行を認めないのが法の趣旨ではないかとも思われる。さらに、身体拘束 が捜索・差押えの概念の範囲内に含まれるのか、という問題もある。これらの 問題点からすると、立法による解決が望ましいという見方に合理性があるよう に思える30。 第7 本判決の意義・射程 27 林頼三郎『刑事訴訟法要義総則下巻』(中央大学、1923年)27頁。 28 「必要な処分」(刑許法111条1項)の沿革をふまえた検討を行ったものとして、 酒巻匡「捜索・押収とそれに伴う処分」刑法雑誌36巻3号(1997年)86頁以下等。 29 大澤・前掲注(11)15頁(注2)、中谷・前掲注(12)181頁。 30 東京高裁平成20年判決【関連裁判例①】、白取・前掲注(15)110頁、大澤・前 掲注(11)15頁、柳川「判批」刑事法ジャーナル27号(2011年)102頁。 判 例 研 究 [127] 北法69(1・78)78 1 意義  本判決の意義は次の3点である。  第1に、本件特殊事情を、任意捜査の限界を超えているか否かに関する判断 枠組みにおける対象者の法益に対する侵害の程度を高める事情の1つとして考 慮することを明らかにした点である。  第2に、令状発付後には捜査の目的(任意捜査の限界を超えているか否かに 関する判断枠組みにおける“必要性”)に質的な変化が生じたことをふまえ、 一連の留め置きの適法性を判断するに際して、先行する部分の違法状態を引き 継いで判断する手法を採用せず、警察官の行為態様ごとに適法性を判断する手 法を採用した点である。  第3に、職務質問に伴う留め置きの適法性判断に際し、二分論を採用しなかっ た点である。 2 射程  本判決の射程は、令状請求準備開始前の留め置きが適法であり、かつ、対象 者及び弁護士の拒絶意思が明確になった事例に対して及ぶ。 第8 残された課題  「第5 二分論に対する本判決の態度」の「1 問題の所在」で述べたとおり、 特に覚せい剤の所持・使用が疑われる対象者に対しては、長時間の留め置きを 正当化する方策が必要である、という捜査現場からの要請が存在する。しかし、 令状の発付を請求する準備を開始した時点を分水嶺とする二分論は、対象者の 移動の自由に対する強度の制約を容易に肯定しかねない点等を考えると、採用 し得ない。令状が既に発付されているものの現場にはまだ届いていない場合に、 対象者の留め置きを正当化する方策は考えられるか、仮に立法による解決が望 ましいのであれば、その内容はどのようなものになるのか、について検討する ことが、残された課題である。 平成30年5月24日  印 刷 平成30年5月31日  発 行  編 集 人 眞 壁   仁  発 行 人 北海道大学大学院法学研究科長 加 藤 智 章  印  刷   北海道大学生活協同組合 情報サービス部 札幌市北区北8条西8丁目 TEL 011(747)8886  発 行 所 北海道大学大学院法学研究科 札幌市北区北9条西7丁目 TEL 011(706)3074 FAX 011(706)4948 ronshu@juris.hokudai.ac.jp 執 筆 者 紹 介 ( 掲 載 順 ) 松   本   彩   花 北 海 道 大 学 大 学 院 法 学 研 究 科 助 教 呉       逸   寧 北 海 道 大 学 大 学 院 法 学 研 究 科 附 属 高 等 法 政 教 育 研 究 セ ン タ ー 研 究 員 郭           薇 北 海 道 大 学 大 学 院 法 学 研 究 科 講 師 解           亘 南 京 大 学 法 学 院 教 授 班       天   可 復 旦 大 学 法 学 院 講 師 堀   田   尚   徳 広 島 大 学 学 術 院 大 学 院 法 務 研 究 科 准 教 授 眞   壁       仁 北 海 道 大 学 大 学 院 法 学 研 究 科 教 授 北 海 道 大 学 大 学 院 法 学 研 究 科 ・ 附 属 高 等 法 政 教 育 研 究 セ ン タ ー 教 員 名 簿 雑 誌 編 集 委 員   ○   印 * は 大 学 院 公 共 政 策 学 連 携 研 究 部 専 任 教 員 △ は 理 事 ( 副 学 長 ) 名 誉 教 授 厚 谷 襄 兒 ( 経 済 法 ) 今 井 弘 道 ( 法 哲 学 ) 臼 杵 知 史 ( 国 際 法 ) 大 塚 龍 児 ( 商 法 ) 岡 田 信 弘 ( 憲 法 ) 小 川 晃 一 ( 政 治 思 想 史 ) 小 川 浩 三 ( 法 史 学 ) 奥 田 安 弘 ( 国 際 私 法 ) 神 原   勝 ( 行 政 学 ) 木 佐 茂 男 ( 行 政 法 ) 小   菅   芳 太 郎 ( 法 史 学 ) 近 藤 弘 二 ( 商 法 ) 笹 田 栄 司 ( 憲 法 ) 東 海 林   邦   彦 ( 民 法 ) 白 取 祐 司 ( 刑 事 訴 訟 法 ) 杉 原 髙 嶺 ( 国 際 法 ) 鈴 木   賢 ( 比 較 法 ) 瀨 川 信 久 ( 民 法 ) 曽 野 和 明 ( 比 較 法 ) 高 見 勝 利 ( 憲 法 ) 高 見   進 ( 民 事 訴 訟 法 ) 道 幸 哲 也 ( 労 働 法 ) 長 井 長 信 ( 刑 法 ) 中 村 研 一 ( 国 際 政 治 ) 中 村 睦 男 ( 憲 法 ) 畠 山 武 道 ( 行 政 法 ) 林 竧 ( 商 法 ) 林 田 清 明 ( 法 社 会 学 ) 稗 貫 俊 文 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吉 田 広 志 ( 知 的 財 産 法 ) ○ 米 田 雅 宏 ( 行 政 法 ) 特 任 教 授 朝   倉       靖 ( 民 事 実 務 ) 磯   部   真   士 ( 刑 事 実 務 ) 藏   重   有   紀 ( 刑 事 実 務 ) 橋   場   弘   之 ( 法 実 務 基 礎 ) 花   形       満 ( 法 実 務 基 礎 ) 藤 原 正 則 ( 民 法 ) 村   井   壯 太 郎 ( 民 事 実 務 ) 准   教   授 池 田   悠 ( 労 働 法 ) 伊 藤 一 頼 ( 国 際 法 ) * 伊   藤       隼 ( 民 事 訴 訟 法 ) ○ 岩 川 隆 嗣 ( 民 法 ) 川 村   力 ( 商 法 ) 櫛 橋 明 香 ( 民 法 ) 栗 原 伸 輔 ( 民 事 訴 訟 法 ) 小 濵 祥 子 ( ア メ リ カ 政 治 史 ) * 佐 藤 陽 子 ( 刑 法 ) 田 中 啓 之 ( 行 政 法 ) * 津 田 智 成 ( 行 政 法 ) 西 村 裕 一 ( 憲 法 ) 根 本 尚 徳 ( 民 法 ) ハ ズ ハ ・ ブ ラ ニ ス ラ ブ ( 知 的 財 産 法 ) 馬 場 香 織 ( 比 較 政 治 ) * 前 田 亮 介 ( 日 本 政 治 史 ) 三 宅   新 ( 商 法 ) 村 上 裕 一 ( 行 政 学 ) 山 木 戸   勇 一 郎 ( 民 事 訴 訟 法 ) 山 本 周 平 ( 民 法 ) 講       師 郭           薇 ( 法 社 会 学 ) 助       教 橘       雄   介 ( 知 的 財 産 法 ) 張       子   弦 ( 民 事 訴 訟 法 ) 福 島 卓 哉 ( 行 政 法 ) 松 本 彩 花 ( 政 治 思 想 史 ) ロ ド リ ゲ ス ・ サ ム デ ィ オ ・ ル ベ ン ・ エ ン リ ケ ( 比 較 法 ) 北大法学論集 第 69 巻   第 1 号 論 説 カール・シュミットにおける民主主義論の成立過程(2)   ── 第二帝政末期からヴァイマル共和政中期まで ──    松 本 彩 花    1 中国法における裁判所による違約金増減の運用と理念(2)   ── 日本の債権法改正に寄せて ──    呉   逸 寧  204[  1] 講 演 動的システム論(Bewegliches System)をめぐる誤解または 過大評価:中国法の動向    解     亘  132[ 73] 判 例 研 究 刑事判例研究   堀 田 尚 徳  100[105] 雑 報 北海道大学法学会記事       75 2018(平成30)年 北 大 法 学 論 集 第 六 九 巻   第 一 号 ( 二 〇 一 八 )  北 海 道 大 学 大 学 院 法 学 研 究 科 THE HOKKAIDO LAW REVIEW CONTENTS ISSN 0385-5953 Vol. 69  May 2018  No. 1 ARTICLES Die Entstehungsgeschichte der Demokratielehre Carl Schmitts (2):  Von der letzten Periode des deutschen Kaiserreichs bis zur Mitte der  Weimarer Republik ☆   Ayaka MatsuMoto    1 The function and practical use on the increment and reduction of the  penalty by the People’s court in Chinese law: contribute to Japanese  law of obligations reform (2)    Wu Yining  204[  1] LECTURE Lecture:“Misunderstood and Overestimated of Flexible  System Approach”     Xie Gen  132[ 73] CASE NOTE Note on Criminal Law Case    Hisanori Hotta  100[105] [ ]…Indicates the pagination for articles typeset horizontally that begin at  the end of the journal  ☆…Includes an European language summary Published by Hokkaido University, School of Law Kita 9-jō, Nishi 7-chōme, Kita-ku, Sapporo, Japan