土屋先生
> ますから、オープンアクセスにはなりません。オープンアクセスにするために
> は、大学図書館が出版費を負担すればよいわけですし、それは実際に購読の形
> で行なわれていますから、金を出す名目がかわるだけのことではあります。
はい、ハーナッドが目指すオープン・アクセスの最終的な形は、結局これ
ですよね(と私は理解しているのですが、間違っていたらご指摘ください)。
『大学図書館研究』は世界初の究極のOA誌を目指す、というのはダメで
しょうか(^_^;)?
> 図書館が講読料という形ではなく、出版賛助金として金を出せばオー
> プンアクセスは不可能ではありません。ただし、その場合の理由づけは大学に
> よっては案外難しいでしょう。
金を出さない大学でも無料で見られるわけですからね。
何年か前の電子ジャーナルの経費負担の議論を思い出します。
これまでの各学部の雑誌購入実績に応じて電子ジャーナルの
費用を負担してもらおうとすると、他学部も自由に見られるように
なるのにそれはおかしい、とか、、、
「ただ乗り」論をいかに克服すべきか、という問題でしょうか。
> また、『大学図書館研究』を大学図書館のそとのひとに是非読んでも
> らいたいという強い意志がどこかにないと、オープンアクセスにしたいと動き
> はでないと思います。
鈴木さんのような方もいらっしゃいますが。
#「そとのひと」とは言えないか、、、
> 要するにOA化は、理屈の上では
> 金の流れと名目の問題にすぎないので、不可能ではないのですが、慣行に依存
> しているために、なかなかそこから逃れられなければならないという強い意志
> がどこからも生まれないということなのだと思います。
inertiaですね。私も人のことは言えません(^^;)。
栗山 正光
常磐大学人間科学部現代社会学科
〒310-8585 水戸市見和1-430-1