DSpace Collection: 2006-11-29
http://hdl.handle.net/2115/16961
2006-11-29
2024-03-29T07:34:23Z
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マーティン・イエニッケ「環境に優しい近代化 : 新たな展望」
http://hdl.handle.net/2115/16975
Title: マーティン・イエニッケ「環境に優しい近代化 : 新たな展望」
Authors: 吉田, 文和
Abstract: 体系的な環境技術の革新と普及という意味での「環境に優しい近代化」は,環境改善を成し遂げるための,飛びぬけて大きな潜在的可能性がある。一般に,近代化の市場論理と技術革新への競争が,世界的な環境の必要性の潜在的な市場と結びつくことで,「環境に優しい近代化」の大きな推進力となる。ところが最近,さらに新しい2つの要因が「環境に優しい近代化」の興隆に有利なものとしてあらわれる。まず第1に,「洗練された」環境規制の重要性がますますはっきりと示されつつある。第2に,世界的な環境政治のますます複雑な参画者の関係で,汚染者のビジネス・リスクが増大し,その後環境技術の革新への圧力が強まっている。このような有利な枠組み条件があるにもかかわらず,「環境に優しい近代化」の戦略は数多くの本来的な限界に直面している。これらのなかには,全ての環境問題に対しては技術的な解決が市場において入手できないこと,経済成長によって漸次的な環境改善が中和されてしまうこと(「Nカーブ」の矛盾),「近代化の敗者」による権力を基礎とした抵抗などがある。こうしたことを背景として,構造的な改革が不可欠のように見える。ここでは,環境技術の革新は移行期の管理あるいは環境に優しい構造政策によって支援されなければならない。後者は創造的で道は遠いが,「創造的な破壊」を避けるべきである。
2006-11-28T15:00:00Z
吉田, 文和
体系的な環境技術の革新と普及という意味での「環境に優しい近代化」は,環境改善を成し遂げるための,飛びぬけて大きな潜在的可能性がある。一般に,近代化の市場論理と技術革新への競争が,世界的な環境の必要性の潜在的な市場と結びつくことで,「環境に優しい近代化」の大きな推進力となる。ところが最近,さらに新しい2つの要因が「環境に優しい近代化」の興隆に有利なものとしてあらわれる。まず第1に,「洗練された」環境規制の重要性がますますはっきりと示されつつある。第2に,世界的な環境政治のますます複雑な参画者の関係で,汚染者のビジネス・リスクが増大し,その後環境技術の革新への圧力が強まっている。このような有利な枠組み条件があるにもかかわらず,「環境に優しい近代化」の戦略は数多くの本来的な限界に直面している。これらのなかには,全ての環境問題に対しては技術的な解決が市場において入手できないこと,経済成長によって漸次的な環境改善が中和されてしまうこと(「Nカーブ」の矛盾),「近代化の敗者」による権力を基礎とした抵抗などがある。こうしたことを背景として,構造的な改革が不可欠のように見える。ここでは,環境技術の革新は移行期の管理あるいは環境に優しい構造政策によって支援されなければならない。後者は創造的で道は遠いが,「創造的な破壊」を避けるべきである。
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J.N.ケインズにおける理論と歴史
http://hdl.handle.net/2115/16974
Title: J.N.ケインズにおける理論と歴史
Authors: 成田, 泰子
Abstract: 経済学において,理論と現実(歴史)との対立問題は,古くから多くの人々によって議論されているが,いまだに解決されていない問題の一つである。このような理論と歴史の関係をめぐる論争で特に有名なのはメンガーとシュモラーとの間に起こった「方法論争」である。これと同様な論争がイギリスにおいても展開されていた。イギリスにおける方法論争は,イギリス古典派経済学に対し,歴史的方法を採用するように訴えた,イギリス歴史学派と呼ばれる一群の経済学者たちの台頭過程において起こった。イギリス歴史学派は,古典派に代って主流派を形成するかのような勢いを示したが,こうした動きに対して,理論派側からの反撃も次第に活発になっていった。この理論派側からの反撃において重要な役割を担ったのが,ジョン・ネヴィル・ケインズであった。本稿は,ケインズとイギリス歴史学派との見解を比較し,イギリス歴史学派からの批判に対して,ケインズが具体的にどのような回答を与えたのかという点を中心に考察を行う。そして,その回答が経済学史上いかなる意義を持っていたかということを明らかにし,イギリスにおける方法論争において,ケインズが果たした役割を明確にするものである。
2006-11-28T15:00:00Z
成田, 泰子
経済学において,理論と現実(歴史)との対立問題は,古くから多くの人々によって議論されているが,いまだに解決されていない問題の一つである。このような理論と歴史の関係をめぐる論争で特に有名なのはメンガーとシュモラーとの間に起こった「方法論争」である。これと同様な論争がイギリスにおいても展開されていた。イギリスにおける方法論争は,イギリス古典派経済学に対し,歴史的方法を採用するように訴えた,イギリス歴史学派と呼ばれる一群の経済学者たちの台頭過程において起こった。イギリス歴史学派は,古典派に代って主流派を形成するかのような勢いを示したが,こうした動きに対して,理論派側からの反撃も次第に活発になっていった。この理論派側からの反撃において重要な役割を担ったのが,ジョン・ネヴィル・ケインズであった。本稿は,ケインズとイギリス歴史学派との見解を比較し,イギリス歴史学派からの批判に対して,ケインズが具体的にどのような回答を与えたのかという点を中心に考察を行う。そして,その回答が経済学史上いかなる意義を持っていたかということを明らかにし,イギリスにおける方法論争において,ケインズが果たした役割を明確にするものである。
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左右田喜一郎の貨幣と理性 : 若き知性と晩年の思索についての補論 (唐渡興宣教授記念号)
http://hdl.handle.net/2115/16973
Title: 左右田喜一郎の貨幣と理性 : 若き知性と晩年の思索についての補論 (唐渡興宣教授記念号)
Authors: 橋本, 努
Abstract: 日本の経済哲学を創立した左右田喜一郎(1881-1927)の初期と晩年の思索について,その学問的意義を再考する。左右田は博士論文Geld und Wert (1909),および,著作Die logische Natur der Wirtschaftsgesetze (1911)によって,弱冠三〇歳にて独自の経済哲学を確立すると,その後は日本において,文化哲学の新たな地平を築いていった。若き左右田にとって,銀行業における不換紙幣制度の確立は,近代社会の偉業となるべき歴史的課題であると同時に,彼の独創的な理論の隠れた中核でもあった。まずこの点を理論的に明らかにする。しかし左右田喜一郎は,実業家としては父から受け継いだ左右田銀行を倒産に追い込み,理論とは裏腹に現実の辛酸をなめている。左右田は惜しくも四七歳にて夭折するが,晩年の左右田は,西田幾太郎の哲学と向き合うことによって,自身の哲学的立場を練り上げようとしていた。本稿では絶筆となった論文「西田哲学の方法について」を読み解くことで,死と向き合う左右田の「理性と尊厳」を省察する。
2006-11-28T15:00:00Z
橋本, 努
日本の経済哲学を創立した左右田喜一郎(1881-1927)の初期と晩年の思索について,その学問的意義を再考する。左右田は博士論文Geld und Wert (1909),および,著作Die logische Natur der Wirtschaftsgesetze (1911)によって,弱冠三〇歳にて独自の経済哲学を確立すると,その後は日本において,文化哲学の新たな地平を築いていった。若き左右田にとって,銀行業における不換紙幣制度の確立は,近代社会の偉業となるべき歴史的課題であると同時に,彼の独創的な理論の隠れた中核でもあった。まずこの点を理論的に明らかにする。しかし左右田喜一郎は,実業家としては父から受け継いだ左右田銀行を倒産に追い込み,理論とは裏腹に現実の辛酸をなめている。左右田は惜しくも四七歳にて夭折するが,晩年の左右田は,西田幾太郎の哲学と向き合うことによって,自身の哲学的立場を練り上げようとしていた。本稿では絶筆となった論文「西田哲学の方法について」を読み解くことで,死と向き合う左右田の「理性と尊厳」を省察する。
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進化主義的制度設計におけるルールと制度 (唐渡興宣教授記念号)
http://hdl.handle.net/2115/16972
Title: 進化主義的制度設計におけるルールと制度 (唐渡興宣教授記念号)
Authors: 西部, 忠
Abstract: 進化主義的制度設計とは,理論モデルと経済主体の内的属性との間の双方向的因果関係を重視する内部観測的な視点に立ち,基底的制度であるメディアのルールやシステム境界をデザインすることで,システムの機能やパフォーマンスを間接的に制御しようとするものであり,進化経済学の応用政策的方法の一つである。また,制度生態系とは,複数の類似的制度が垂直的かつ水平的に共存しうる動的で複雑なシステムである。では,これらが前提とするルールや制度とはいかなるものか。本稿は,この問題を複製子と相互作用子という進化経済学の基礎概念を再吟味しながら,以下の3つの観点から考察する。すなわち,1)生物進化とは異なる経済社会進化の文脈の中で,複製子と相互作用子の定義を行い,その相互関係を明らかにする,2)経済理論の従来のアプローチが使用しているルールや制度の意味を吟味し,複製子や相互作用子という進化経済学の基礎概念からそれらについて独自な定義を提示する,3)進化主義的制度設計においてルールや制度が果たす理論的役割について明らかにする,である。
2006-11-28T15:00:00Z
西部, 忠
進化主義的制度設計とは,理論モデルと経済主体の内的属性との間の双方向的因果関係を重視する内部観測的な視点に立ち,基底的制度であるメディアのルールやシステム境界をデザインすることで,システムの機能やパフォーマンスを間接的に制御しようとするものであり,進化経済学の応用政策的方法の一つである。また,制度生態系とは,複数の類似的制度が垂直的かつ水平的に共存しうる動的で複雑なシステムである。では,これらが前提とするルールや制度とはいかなるものか。本稿は,この問題を複製子と相互作用子という進化経済学の基礎概念を再吟味しながら,以下の3つの観点から考察する。すなわち,1)生物進化とは異なる経済社会進化の文脈の中で,複製子と相互作用子の定義を行い,その相互関係を明らかにする,2)経済理論の従来のアプローチが使用しているルールや制度の意味を吟味し,複製子や相互作用子という進化経済学の基礎概念からそれらについて独自な定義を提示する,3)進化主義的制度設計においてルールや制度が果たす理論的役割について明らかにする,である。
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「資本の商品化」論に関する批判的一考察 (唐渡興宣教授記念号)
http://hdl.handle.net/2115/16971
Title: 「資本の商品化」論に関する批判的一考察 (唐渡興宣教授記念号)
Authors: 岡部, 洋實
Abstract: 本稿は,宇野弘蔵の「資本の商品化」論(原理論で資本家的理念として説かれる「それ自身利子を生む」資本としての株式会社と,段階論で具体的に解明される株式会社という二つの規定)をめぐる議論の検討を通して,原理的な問題提起を行なったものである。 宇野に対しては,生産過程の包摂という産業資本の特質に着目した岩田弘氏の的を得た批判がある。しかし,配当(宇野)あるいは利潤(岩田氏)を利子率で資本還元して株価=擬制資本を導くのは,株価が様々な投資意図により不確定に変動する点を軽視することになる。他方,山口重克氏の「競争論」的立論では,調達動機をもつ資本と資本所有からの利潤のみに関心をもつ資本とでは資本結合のメリットが対称的でなく,また,個別資本の貨幣資本循環は元来短期的であることから,氏のいわれる出資関係は成立しにくいのであって,理念を強調した宇野の難点の解決とはならないのではないかとの疑問が残る。 信用を産業資本の遊休貨幣資本の商品化として説いた宇野において,「資本の商品化」に積極的な意味があったのか。また,原理論は,土地・株式といった収入をもたらしうるもの=資産を,労働生産物と同様の価値物(商品)とする資本家的な観念の根拠を説明しうるものであるのか,どう説明するのか。いずれも検討の余地の多い課題である。
2006-11-28T15:00:00Z
岡部, 洋實
本稿は,宇野弘蔵の「資本の商品化」論(原理論で資本家的理念として説かれる「それ自身利子を生む」資本としての株式会社と,段階論で具体的に解明される株式会社という二つの規定)をめぐる議論の検討を通して,原理的な問題提起を行なったものである。 宇野に対しては,生産過程の包摂という産業資本の特質に着目した岩田弘氏の的を得た批判がある。しかし,配当(宇野)あるいは利潤(岩田氏)を利子率で資本還元して株価=擬制資本を導くのは,株価が様々な投資意図により不確定に変動する点を軽視することになる。他方,山口重克氏の「競争論」的立論では,調達動機をもつ資本と資本所有からの利潤のみに関心をもつ資本とでは資本結合のメリットが対称的でなく,また,個別資本の貨幣資本循環は元来短期的であることから,氏のいわれる出資関係は成立しにくいのであって,理念を強調した宇野の難点の解決とはならないのではないかとの疑問が残る。 信用を産業資本の遊休貨幣資本の商品化として説いた宇野において,「資本の商品化」に積極的な意味があったのか。また,原理論は,土地・株式といった収入をもたらしうるもの=資産を,労働生産物と同様の価値物(商品)とする資本家的な観念の根拠を説明しうるものであるのか,どう説明するのか。いずれも検討の余地の多い課題である。
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資本主義的帝国主義と低開発 : 資本主義VS非資本主義 (唐渡興宣教授記念号)
http://hdl.handle.net/2115/16970
Title: 資本主義的帝国主義と低開発 : 資本主義VS非資本主義 (唐渡興宣教授記念号)
Authors: 平野, 研
Abstract: 国際的支配-従属関係を非資本主義的帝国主義と資本主義的帝国主義とに分類して考察する。この概念を明らかにしながら,現在まで続く資本主義的帝国主義の起源を19世紀末ラテンアメリカにおける国民経済設立に求める。周辺が帝国に対して従属的で,かつ国内的には非資本主義的な経済外的強制力で統治する政治的機関として,従属的国民国家の確立することによって,非資本主義的帝国主義を脱却し,資本主義的帝国主義へと移行していった。そこでは支配-従属関係が隠蔽され,余剰収奪が強化されていく。初期資本主義的帝国主義では,周辺部の資本主義化による成長を押さえ込める程の経済的権力を中心部が有していなかったため,中心部は周辺部を非資本主義的生産関係に押しとどめておこうとした。これを再編非資本主義的低開発とする。グローバル資本主義段階に入ると資本主義的帝国主義は,周辺部における資本主義的生産関係の拡大を,帝国の資本蓄積へと結びつけることができるようになった。このような資本主義的帝国主義の変化は,低開発国の一部を資本主義的低開発として位置づけた。アジア,BRICs諸国などの成長はこのような流れから捉えられるべきである。
2006-11-28T15:00:00Z
平野, 研
国際的支配-従属関係を非資本主義的帝国主義と資本主義的帝国主義とに分類して考察する。この概念を明らかにしながら,現在まで続く資本主義的帝国主義の起源を19世紀末ラテンアメリカにおける国民経済設立に求める。周辺が帝国に対して従属的で,かつ国内的には非資本主義的な経済外的強制力で統治する政治的機関として,従属的国民国家の確立することによって,非資本主義的帝国主義を脱却し,資本主義的帝国主義へと移行していった。そこでは支配-従属関係が隠蔽され,余剰収奪が強化されていく。初期資本主義的帝国主義では,周辺部の資本主義化による成長を押さえ込める程の経済的権力を中心部が有していなかったため,中心部は周辺部を非資本主義的生産関係に押しとどめておこうとした。これを再編非資本主義的低開発とする。グローバル資本主義段階に入ると資本主義的帝国主義は,周辺部における資本主義的生産関係の拡大を,帝国の資本蓄積へと結びつけることができるようになった。このような資本主義的帝国主義の変化は,低開発国の一部を資本主義的低開発として位置づけた。アジア,BRICs諸国などの成長はこのような流れから捉えられるべきである。
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アナリティカル・マルクシズムにおける労働搾取理論 (唐渡興宣教授記念号)
http://hdl.handle.net/2115/16969
Title: アナリティカル・マルクシズムにおける労働搾取理論 (唐渡興宣教授記念号)
Authors: 吉原, 直毅
Abstract: アナリティカル・マルクシズムの,数理的マルクス経済学の分野における労働搾取論に関する主要な貢献について概観する。第一に,1970年代に置塩信雄や森嶋通夫等を中心に展開してきたマルクスの基本定理についての批判的総括の展開である。第二に,ジョン・E・ローマーの貢献による「搾取と階級の一般理論」に関する研究の展開である。本稿はこれら二点のトピックに関して,その主要な諸定理の紹介及び意義付け,並びにそれらを通じて明らかになった,マルクス的労働搾取概念の資本主義社会体制批判としての意義と限界について論じる。
2006-11-28T15:00:00Z
吉原, 直毅
アナリティカル・マルクシズムの,数理的マルクス経済学の分野における労働搾取論に関する主要な貢献について概観する。第一に,1970年代に置塩信雄や森嶋通夫等を中心に展開してきたマルクスの基本定理についての批判的総括の展開である。第二に,ジョン・E・ローマーの貢献による「搾取と階級の一般理論」に関する研究の展開である。本稿はこれら二点のトピックに関して,その主要な諸定理の紹介及び意義付け,並びにそれらを通じて明らかになった,マルクス的労働搾取概念の資本主義社会体制批判としての意義と限界について論じる。
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救貧法改革と古典派経済学 (唐渡興宣教授記念号)
http://hdl.handle.net/2115/16968
Title: 救貧法改革と古典派経済学 (唐渡興宣教授記念号)
Authors: 森下, 宏美
Abstract: 1834年の新救貧法制定に導いたとされるタウンゼンドやマルサスの思想は,救貧法の「廃止」を唱えるものであったが,古典派経済学の立場もまた事実上の「廃止論」として論ぜられる傾きがある。しかし,1820年代後半には,それまでの「改革論者」対「廃止論者」の論争は,異なったタイプの「改革論者」同士の論争にとって代わられており,古典派経済学の内部にも,「よく管理された救貧制度はどのようなものであるべきか」をめぐる多様な議論が生まれていた。シーニア,マカロク,スクロウプは,それぞれに救貧法の「改革」を論じている。彼らは,旧救貧法の原理に対する理解,貧民の被救済権を承認することの是非,救貧行政における納税者および教区の役割の評価,労働能力者への院外救済が勤勉と慎慮の形成に及ぼす影響等について異なる見解をとりながら,独自の「改革」論を展開している。古典派経済学者を「改革論者」として描くにしても,旧救貧法の諸原理を擁護する立場を農村的パターナリズムの「反改革論者」とみなしてその対極に置くような見方は退けられなければならない。
2006-11-28T15:00:00Z
森下, 宏美
1834年の新救貧法制定に導いたとされるタウンゼンドやマルサスの思想は,救貧法の「廃止」を唱えるものであったが,古典派経済学の立場もまた事実上の「廃止論」として論ぜられる傾きがある。しかし,1820年代後半には,それまでの「改革論者」対「廃止論者」の論争は,異なったタイプの「改革論者」同士の論争にとって代わられており,古典派経済学の内部にも,「よく管理された救貧制度はどのようなものであるべきか」をめぐる多様な議論が生まれていた。シーニア,マカロク,スクロウプは,それぞれに救貧法の「改革」を論じている。彼らは,旧救貧法の原理に対する理解,貧民の被救済権を承認することの是非,救貧行政における納税者および教区の役割の評価,労働能力者への院外救済が勤勉と慎慮の形成に及ぼす影響等について異なる見解をとりながら,独自の「改革」論を展開している。古典派経済学者を「改革論者」として描くにしても,旧救貧法の諸原理を擁護する立場を農村的パターナリズムの「反改革論者」とみなしてその対極に置くような見方は退けられなければならない。
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意識の発達とはなにか : 教育論への誘い (唐渡興宣教授記念号)
http://hdl.handle.net/2115/16967
Title: 意識の発達とはなにか : 教育論への誘い (唐渡興宣教授記念号)
Authors: 宮田, 和保
2006-11-28T15:00:00Z
宮田, 和保
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利潤率の傾向的低下法則と恐慌 : 「現実の資本の過剰生産」をめぐって (唐渡興宣教授記念号)
http://hdl.handle.net/2115/16966
Title: 利潤率の傾向的低下法則と恐慌 : 「現実の資本の過剰生産」をめぐって (唐渡興宣教授記念号)
Authors: 前畑, 憲子
Abstract: 『資本論』第3部第3篇でマルクスは利潤率の傾向的低下法則を明らかにし,また,この法則と恐慌との関連について論じている。本論文は,現行版『資本論』では削除された「現実の資本の過剰生産」とはいかなる事態であるかの解明を通して,この法則と恐慌との関連を明らかにしている。特に,この法則を「二重性格の法則」として捉えること,また,諸資本間の競争戦の意義を明らかにすることを重視した。
2006-11-28T15:00:00Z
前畑, 憲子
『資本論』第3部第3篇でマルクスは利潤率の傾向的低下法則を明らかにし,また,この法則と恐慌との関連について論じている。本論文は,現行版『資本論』では削除された「現実の資本の過剰生産」とはいかなる事態であるかの解明を通して,この法則と恐慌との関連を明らかにしている。特に,この法則を「二重性格の法則」として捉えること,また,諸資本間の競争戦の意義を明らかにすることを重視した。