DSpace Collection: 2013-12-20
http://hdl.handle.net/2115/54059
2013-12-202024-03-29T06:51:15Z自然を楽しむ作法 : 沖縄県における寄り物漁を事例として
http://hdl.handle.net/2115/54094
Title: 自然を楽しむ作法 : 沖縄県における寄り物漁を事例として
Authors: 髙﨑, 優子
Abstract: 本稿は,人が自然とかかわる上で,楽しみという感覚がもつ重要性と,そ
のかかわりのなかで築き上げられた,自然を楽しむ作法とを明らかにするこ
とを目的とする。
沖縄には,地先の海としてイノー(礁池)と呼ばれる空間が存在する。イ
ノーでは様々な漁撈採集活動が行われ,人びとはその空間に深く親しみ,そ
して身体化してきた。その熟知の空間に,未知の外洋から自ら寄り来る恵み
の数々を,人びとは「ユイムン」と呼びならわしてきた。
ユイムンとは沖縄における寄り物の呼称であり,それは神からの贈り物と
されている。なかでもスクとよばれるアイゴ類の稚魚は,人びとに広く親し
まれてきたユイムンである。体長がわずか40mm程度のこの小さな個体は,
決まって旧暦6月1日の大潮にのってイノーに来遊する。その規則性は人び
とを深く驚かせてきた。そして人びとはそれを獲る活動,すなわちスク漁と
よばれる集団での追い込み漁に,熱中してきたのである。
神という概念を軸として楽しまれるスク漁は,生産性や経済性をその主目
的とはしていない。しかし,人びとはその微細な活動をさまざまに楽しむこ
とで,神あるいは自然と豊かなかかわりをもち,そして,自然を楽しむ作法
を身につけてきた。そのことはまた,平等性や協働性といった,自然のもつ
社会的意味をひきだしてきた。
自然とのかかわり方を模索する時代に,このような微細な活動に注目し,
人びとが自然との間に築き上げてきた自然を楽しむ作法を明らかにしていく
ことは,自然との関係をより豊かなものにするうえで,少なくない役割を果
たすだろう。2013-12-19T15:00:00Z髙﨑, 優子本稿は,人が自然とかかわる上で,楽しみという感覚がもつ重要性と,そ
のかかわりのなかで築き上げられた,自然を楽しむ作法とを明らかにするこ
とを目的とする。
沖縄には,地先の海としてイノー(礁池)と呼ばれる空間が存在する。イ
ノーでは様々な漁撈採集活動が行われ,人びとはその空間に深く親しみ,そ
して身体化してきた。その熟知の空間に,未知の外洋から自ら寄り来る恵み
の数々を,人びとは「ユイムン」と呼びならわしてきた。
ユイムンとは沖縄における寄り物の呼称であり,それは神からの贈り物と
されている。なかでもスクとよばれるアイゴ類の稚魚は,人びとに広く親し
まれてきたユイムンである。体長がわずか40mm程度のこの小さな個体は,
決まって旧暦6月1日の大潮にのってイノーに来遊する。その規則性は人び
とを深く驚かせてきた。そして人びとはそれを獲る活動,すなわちスク漁と
よばれる集団での追い込み漁に,熱中してきたのである。
神という概念を軸として楽しまれるスク漁は,生産性や経済性をその主目
的とはしていない。しかし,人びとはその微細な活動をさまざまに楽しむこ
とで,神あるいは自然と豊かなかかわりをもち,そして,自然を楽しむ作法
を身につけてきた。そのことはまた,平等性や協働性といった,自然のもつ
社会的意味をひきだしてきた。
自然とのかかわり方を模索する時代に,このような微細な活動に注目し,
人びとが自然との間に築き上げてきた自然を楽しむ作法を明らかにしていく
ことは,自然との関係をより豊かなものにするうえで,少なくない役割を果
たすだろう。生業活動の組み合わせとコモンズの役割 : 徳之島におけるソテツ利用を焦点に
http://hdl.handle.net/2115/54093
Title: 生業活動の組み合わせとコモンズの役割 : 徳之島におけるソテツ利用を焦点に
Authors: 金城, 達也
Abstract: 本稿は,地域社会における生業の組み合わせを明らかにしながら,地域社
会の生活戦略とコモンズの関係性を検討することを目的とする。まず,主要
な生業からマイナーサブシステンスまで,資源へのかかわりの濃淡に焦点を
あてる。つぎに,それらが冗長性の確保やレジリエンスの向上にどう寄与し
ているかを明らかにし,在地リスク管理におけるコモンズの役割を指摘した。
奄美群島に属する徳之島における人々は,多様な生業を組み合わせること
で生活を営んできた。それぞれの生業は,資源の性質や所有形態,金銭的価
値などによって,生活戦略に対する重要度や貢献度が異なっている。特に徳
之島におけるソテツ(Cycas revoluta)資源は私的に利用されるのみならず,
コモンズとしても利用されることで地域社会における生活戦略に厚みを持た
せる役割を果たしてきた。
徳之島における生業複合を検討した結果,ソテツ資源の利用と所有のしく
みが多様であることも,資源利用の冗長性を高め,生活戦略上の選択肢を増
やすことに寄与しているといえる。2013-12-19T15:00:00Z金城, 達也本稿は,地域社会における生業の組み合わせを明らかにしながら,地域社
会の生活戦略とコモンズの関係性を検討することを目的とする。まず,主要
な生業からマイナーサブシステンスまで,資源へのかかわりの濃淡に焦点を
あてる。つぎに,それらが冗長性の確保やレジリエンスの向上にどう寄与し
ているかを明らかにし,在地リスク管理におけるコモンズの役割を指摘した。
奄美群島に属する徳之島における人々は,多様な生業を組み合わせること
で生活を営んできた。それぞれの生業は,資源の性質や所有形態,金銭的価
値などによって,生活戦略に対する重要度や貢献度が異なっている。特に徳
之島におけるソテツ(Cycas revoluta)資源は私的に利用されるのみならず,
コモンズとしても利用されることで地域社会における生活戦略に厚みを持た
せる役割を果たしてきた。
徳之島における生業複合を検討した結果,ソテツ資源の利用と所有のしく
みが多様であることも,資源利用の冗長性を高め,生活戦略上の選択肢を増
やすことに寄与しているといえる。高校生によるオオムラサキの森づくり : 学校林活動における学びの意義
http://hdl.handle.net/2115/54092
Title: 高校生によるオオムラサキの森づくり : 学校林活動における学びの意義
Authors: 和田, 貴弘
Abstract: 北海道札幌南高等学校では,2005年度から2012年度にかけて「札幌南高校
学校林にはばたけ国蝶オオムラサキ」をスローガンに,学校林を教育林・環
境林として活用するプロジェクトが展開された。このプロジェクトは,環境
教育活動として全国的に注目・評価されたが,その教育効果や意義の検討は
十分には行われていない。そこで本稿では,同プロジェクトの一環として取
り組まれた定時制課程における学校林での植樹,除草作業について,参加し
た生徒が活動をどのようにとらえていたかを,事前学習アンケートと事後感
想文の記述を素材として検討し,本活動における学びの意義を考察した。事
前学習アンケートの結果によると,オオムラサキの放蝶計画に対しては男子
の6割近く,女子の4割近くが「肯定的」にとらえ,エゾエノキの育苗と学
校林での植栽計画に対しては男女ともに約半数の生徒が「肯定的」にとらえ
ていた。事後感想文の記述からは,学校林における植樹と除草作業には,訓
育的機能と知育的機能という「作業」の教育的意味(高橋1985)があること
が伺えた。また,彼らの「明るさ」や「快活さ」は単に本人の性格に帰せら
れるべきものではなく,「自分のもっている能力をすべて出しきって人々と協
力しあおうという試み」(佐伯1995)などに帰せられるべきであると思われ
た。事前学習アンケートの記述にも,たとえ苦手な対象であっても前向きに
取り組もうとする様子が見受けられた。ただし,事後感想文の記述からは,
従来の実践報告で指摘されている「自然への理解,興味,関心」,「やりがい」
は見受けられたが,「森に生かされている」,「森とのつながり」(宮村・佐藤
2011)といった感覚は見出せなかった。学校林活動には,作業の教育的意味
に加え,彼らの「能力」を磨く一つのきっかけとして十分な意義があった反
面,環境教育活動としてみた場合には,さらに踏み込んだ実践が必要である
と思われた。2013-12-19T15:00:00Z和田, 貴弘北海道札幌南高等学校では,2005年度から2012年度にかけて「札幌南高校
学校林にはばたけ国蝶オオムラサキ」をスローガンに,学校林を教育林・環
境林として活用するプロジェクトが展開された。このプロジェクトは,環境
教育活動として全国的に注目・評価されたが,その教育効果や意義の検討は
十分には行われていない。そこで本稿では,同プロジェクトの一環として取
り組まれた定時制課程における学校林での植樹,除草作業について,参加し
た生徒が活動をどのようにとらえていたかを,事前学習アンケートと事後感
想文の記述を素材として検討し,本活動における学びの意義を考察した。事
前学習アンケートの結果によると,オオムラサキの放蝶計画に対しては男子
の6割近く,女子の4割近くが「肯定的」にとらえ,エゾエノキの育苗と学
校林での植栽計画に対しては男女ともに約半数の生徒が「肯定的」にとらえ
ていた。事後感想文の記述からは,学校林における植樹と除草作業には,訓
育的機能と知育的機能という「作業」の教育的意味(高橋1985)があること
が伺えた。また,彼らの「明るさ」や「快活さ」は単に本人の性格に帰せら
れるべきものではなく,「自分のもっている能力をすべて出しきって人々と協
力しあおうという試み」(佐伯1995)などに帰せられるべきであると思われ
た。事前学習アンケートの記述にも,たとえ苦手な対象であっても前向きに
取り組もうとする様子が見受けられた。ただし,事後感想文の記述からは,
従来の実践報告で指摘されている「自然への理解,興味,関心」,「やりがい」
は見受けられたが,「森に生かされている」,「森とのつながり」(宮村・佐藤
2011)といった感覚は見出せなかった。学校林活動には,作業の教育的意味
に加え,彼らの「能力」を磨く一つのきっかけとして十分な意義があった反
面,環境教育活動としてみた場合には,さらに踏み込んだ実践が必要である
と思われた。移民子弟の周辺化と教育的公正 : 栃木・群馬両県の事例から
http://hdl.handle.net/2115/54091
Title: 移民子弟の周辺化と教育的公正 : 栃木・群馬両県の事例から
Authors: 矢板, 晋
Abstract: 近年グローバル化する日本社会において,移民の子どもをめぐる教育問題
が顕在化している。そこでは,彼/彼女らが周辺化―不就学・不登校・学業
不達成―される実態がある。では,移民子弟はどのように周辺化されている
のか。また,それはなぜか。さらに「日本の教育」は,どのような教育的公
正を実現すべきか。
筆者は2010年に栃木県真岡市で,2012年に同市と群馬県伊勢崎市で調査
を行った。調査対象は,真岡市の公立小中学校,国際交流協会,教育委員会,
NPO法人「SAKU・ら」,伊勢崎市のNPO多言語教育研究所ICS(InternationalCommunitySchool)
である。調査方法は主に半構造化面接調査と参与
観察である。
まず,周辺化の実態には大きく二つ考えられる。即ち,「親の周辺化」と「子
の周辺化」である。さらに,前者は「地域」「学校」において,後者は「学校」
「教育機会」「家庭」という空間で周辺化されている。
次に,周辺化の原因は大きく3つ考えられる。第一に,積極的ラベリング
と消極的ラベリングというラベリング論からのアプローチである。第二に,
移民子弟や教員の使用言語をめぐる,言語コード論的アプローチだ。第三に,
就学段階における必須要素の欠如である。移民子弟の就学には,学校に「接
触」し,学校生活に「適応」,最後に「継続」して学校に通い続けるという3
段階が存在し,各段階で言語資本や社会関係資本などの不足がキーとなる。
最後に,移民子弟を考慮した教育的公正が必要である。「公正」とは,「平
等」の十分条件と解釈され,日本における多文化共生や多文化教育の重要な
概念である。移民子弟の教育的公正に関しては,各就学段階における公正を
実現すべきである。即ち「接触」段階では言語や文化的背景に着目した「象
徴的公正」,「適応」段階においては学習資源や人間関係を中心とする「資源
的公正」,「継続(移行)」段階では進級や進学制度における「制度的公正」の
達成が望まれる。2013-12-19T15:00:00Z矢板, 晋近年グローバル化する日本社会において,移民の子どもをめぐる教育問題
が顕在化している。そこでは,彼/彼女らが周辺化―不就学・不登校・学業
不達成―される実態がある。では,移民子弟はどのように周辺化されている
のか。また,それはなぜか。さらに「日本の教育」は,どのような教育的公
正を実現すべきか。
筆者は2010年に栃木県真岡市で,2012年に同市と群馬県伊勢崎市で調査
を行った。調査対象は,真岡市の公立小中学校,国際交流協会,教育委員会,
NPO法人「SAKU・ら」,伊勢崎市のNPO多言語教育研究所ICS(InternationalCommunitySchool)
である。調査方法は主に半構造化面接調査と参与
観察である。
まず,周辺化の実態には大きく二つ考えられる。即ち,「親の周辺化」と「子
の周辺化」である。さらに,前者は「地域」「学校」において,後者は「学校」
「教育機会」「家庭」という空間で周辺化されている。
次に,周辺化の原因は大きく3つ考えられる。第一に,積極的ラベリング
と消極的ラベリングというラベリング論からのアプローチである。第二に,
移民子弟や教員の使用言語をめぐる,言語コード論的アプローチだ。第三に,
就学段階における必須要素の欠如である。移民子弟の就学には,学校に「接
触」し,学校生活に「適応」,最後に「継続」して学校に通い続けるという3
段階が存在し,各段階で言語資本や社会関係資本などの不足がキーとなる。
最後に,移民子弟を考慮した教育的公正が必要である。「公正」とは,「平
等」の十分条件と解釈され,日本における多文化共生や多文化教育の重要な
概念である。移民子弟の教育的公正に関しては,各就学段階における公正を
実現すべきである。即ち「接触」段階では言語や文化的背景に着目した「象
徴的公正」,「適応」段階においては学習資源や人間関係を中心とする「資源
的公正」,「継続(移行)」段階では進級や進学制度における「制度的公正」の
達成が望まれる。Religious Economy Theory Revisited : Towards a New Perspective of Religious Dynamics in the East Asian Settings
http://hdl.handle.net/2115/54090
Title: Religious Economy Theory Revisited : Towards a New Perspective of Religious Dynamics in the East Asian Settings
Authors: Ng Ka, Shing
Abstract: Originating from the American contexts, the religious economy model has provided new insights to the study of religion in the United States using the market perspectives to explain, interpret, and predict the dynamics of religious suppliers and consumers. And because of its rather successful application in the American settings(i.e.a free market of religion with relative dominance of Christianity), scholars of religions began to adopt this model to study the sociology of religion of various areas from a market perspective. However, this presents both opportunities and challenges to these scholars dedicated to use this approach to study non-American societies where religious cultures and social contexts are very different. On the one hand,it provides a very interesting perspective to understand religious movements as market economies, especially when the secularization theory has failed to respond to the revival of religion in most parts of the world (i.e.Asia, North and South America,and Africa). On the other hand,given the nature of the model,it is very difficult,if not impossible,to apply it to societies where the religious landscape and social and cultural backgrounds are not identical to the American context,though advocates of this model claim that it has the potential to develop into a “dominant theoretical frame of reference with the social scientific study of religion”( Lawrence 1997: xii). As a piece of work dedicated to this ongoing project and debate, this paper first sets out the main tenets of the economic approach to the sociology of religion and the key arguments of its leading critics. Then, by reviewing how scholars of religion have attempted to improve and modify this theory and applied it on different cultural contexts,it also suggests how this model may be analytically useful in studying religion in the East Asian settings, especially China and Japan, and discusses the modifications that may add value to the model by taking political, economical, social, and cultural factors into consideration.2013-12-19T15:00:00ZNg Ka, ShingOriginating from the American contexts, the religious economy model has provided new insights to the study of religion in the United States using the market perspectives to explain, interpret, and predict the dynamics of religious suppliers and consumers. And because of its rather successful application in the American settings(i.e.a free market of religion with relative dominance of Christianity), scholars of religions began to adopt this model to study the sociology of religion of various areas from a market perspective. However, this presents both opportunities and challenges to these scholars dedicated to use this approach to study non-American societies where religious cultures and social contexts are very different. On the one hand,it provides a very interesting perspective to understand religious movements as market economies, especially when the secularization theory has failed to respond to the revival of religion in most parts of the world (i.e.Asia, North and South America,and Africa). On the other hand,given the nature of the model,it is very difficult,if not impossible,to apply it to societies where the religious landscape and social and cultural backgrounds are not identical to the American context,though advocates of this model claim that it has the potential to develop into a “dominant theoretical frame of reference with the social scientific study of religion”( Lawrence 1997: xii). As a piece of work dedicated to this ongoing project and debate, this paper first sets out the main tenets of the economic approach to the sociology of religion and the key arguments of its leading critics. Then, by reviewing how scholars of religion have attempted to improve and modify this theory and applied it on different cultural contexts,it also suggests how this model may be analytically useful in studying religion in the East Asian settings, especially China and Japan, and discusses the modifications that may add value to the model by taking political, economical, social, and cultural factors into consideration.現代中国蔵伝仏教の復興にみられた若年層の役割
http://hdl.handle.net/2115/54089
Title: 現代中国蔵伝仏教の復興にみられた若年層の役割
Authors: 熊, 晋
Abstract: 蔵伝仏教は,中国のチベット地区を基盤とする独自に発展してきている仏
教流派である。中国国内では蔵族,モンゴル族などの少数民族を主体とする
信者が数多く存在し,海外ではアメリカや北欧にも大きな影響力を持ってい
る。モダニゼーションとグローバリゼーション過程により,世俗化(secularization)
は世界中の宗教に発生しつつあり,蔵伝仏教も例外ではない。一方,
20世紀50年代に,ダライ・ラマ(the Dalai Lama)14世が逃走して以来,
蔵伝仏教の伝統権力構造が破られ,パンチェン・ラマ(the Panchen Lama)
は中国政府が認定する唯一の蔵伝仏教の最高権力者になる。この点について
中国国内外には激しい論争が行われている。
蔵伝仏教において,トゥルク(tulku,活仏)は信者の精神的支柱とされて
いる。トゥルクは化身ラマ制度により認定されるため,候補者は幼年期から
目立った才能と霊力を表現することにより,神聖性と正統性を確保,「転生霊
童(the reincarnated child)」という身分を認定できる。彼らは従来,年齢以
上の霊力により蔵伝仏教に神秘性を被り,蔵伝仏教の維持と伝播に重要な役
割を果たしているとされる。化身ラマ制度の主体である若いトゥルクは,合
理精神を主流思想とする現代社会と向き合うために,如何に行動すれば神聖
性を維持できるかを検討する必要がある。
本文は先ず,社会学経典理論と歴史資料を踏まえ,新聞記事,メディア報
道を考察,蔵伝仏教がいかなる社会環境に位置するかを分析する。そして,
パンチェン・ラマ11世を代表とする蔵伝仏教の若年層に注目し,彼らがこの
ような社会環境に面して如何なる方法により政教関係を協調させ,大衆輿論
に対応するかを検討する。最後に,このような行動から窺われた蔵伝仏教の
発展モードを検討し,世俗化社会における蔵伝仏教復興の特徴を明らかにす
る。2013-12-19T15:00:00Z熊, 晋蔵伝仏教は,中国のチベット地区を基盤とする独自に発展してきている仏
教流派である。中国国内では蔵族,モンゴル族などの少数民族を主体とする
信者が数多く存在し,海外ではアメリカや北欧にも大きな影響力を持ってい
る。モダニゼーションとグローバリゼーション過程により,世俗化(secularization)
は世界中の宗教に発生しつつあり,蔵伝仏教も例外ではない。一方,
20世紀50年代に,ダライ・ラマ(the Dalai Lama)14世が逃走して以来,
蔵伝仏教の伝統権力構造が破られ,パンチェン・ラマ(the Panchen Lama)
は中国政府が認定する唯一の蔵伝仏教の最高権力者になる。この点について
中国国内外には激しい論争が行われている。
蔵伝仏教において,トゥルク(tulku,活仏)は信者の精神的支柱とされて
いる。トゥルクは化身ラマ制度により認定されるため,候補者は幼年期から
目立った才能と霊力を表現することにより,神聖性と正統性を確保,「転生霊
童(the reincarnated child)」という身分を認定できる。彼らは従来,年齢以
上の霊力により蔵伝仏教に神秘性を被り,蔵伝仏教の維持と伝播に重要な役
割を果たしているとされる。化身ラマ制度の主体である若いトゥルクは,合
理精神を主流思想とする現代社会と向き合うために,如何に行動すれば神聖
性を維持できるかを検討する必要がある。
本文は先ず,社会学経典理論と歴史資料を踏まえ,新聞記事,メディア報
道を考察,蔵伝仏教がいかなる社会環境に位置するかを分析する。そして,
パンチェン・ラマ11世を代表とする蔵伝仏教の若年層に注目し,彼らがこの
ような社会環境に面して如何なる方法により政教関係を協調させ,大衆輿論
に対応するかを検討する。最後に,このような行動から窺われた蔵伝仏教の
発展モードを検討し,世俗化社会における蔵伝仏教復興の特徴を明らかにす
る。1970年代におけるタイ学生運動 : 「野口キック・ボクシング・ジム事件」と「日本製品不買運動」を事例に
http://hdl.handle.net/2115/54088
Title: 1970年代におけるタイ学生運動 : 「野口キック・ボクシング・ジム事件」と「日本製品不買運動」を事例に
Authors: シリヌット, クーチャルーンパイブーン
Abstract: タイにおける学生運動は,言論の自由を含む1968年の憲法公布をきっかけ
に,様々な動きが見られるようになった。本稿では,新聞記事の分析を通じ
て,事例として取り上げた「反野口運動」と「日本製品不買運動」の背景や
関連を考察した上で,タイにおける学生運動の展開かつ運動の成否に関わっ
た資源や運動に貢献した政治的機会の観点から考察を進める。
「野口キック・ボクシング・ジム事件」による「反野口運動」及び「日本製
品不買運動」は,いずれもタイにおける日本の経済侵略に対する不満や不安
感が高揚していた状況の中で起きたものである。「反野口運動」において,新
聞記事を分析した結果,「ムアイ・タイ」を「キック・ボクシング」と呼んで
いることや野口のムアイ・タイに対する捉え方が,タイ人の怒りを招いた一
つの原因であると論じられる。また,「反野口運動」は,学生運動としての位
置付けはこれまでされていないが,学生が大きな役割を果たしていたとは言
える。
一方「日本製品不買運動」は,タイにおける初めての本格的な学生運動で
あったと評価されている。運動を呼び起こした要因としては,日本のタイに
対する経済侵略への不安及び不満が挙げられるが,他にも当時の独裁政権に
対する不満が日本に転移して表現され,日本がスケープゴートにされたとい
うことも考えられる。
両運動の関連については,「野口キック・ボクシング・ジム事件」は「日本
製品不買運動」を導く口火であったと言える。「野口キック・ボクシング・ジ
ム事件」によって,運動のモジュールを獲得した新聞と学生は,同様のパター
ンを用いて一個の国を攻撃対象とした大規模な「日本製品不買運動」を展開
することができたと考えることもできる。
運動の成否を決定する資源について,本稿では①良心的支持者による物資
的援助,②社会問題改善に対する意識を強く持つ大量の学生,③小規模の運
動によるにノウハウ,④タイ全国学生センターと学内における少数のセミ
ナーグループといった学生ネットワーク,そして,⑤政治的機会の増加,と
いった五つの資源が運動の成否に貢献したと論じる。2013-12-19T15:00:00Zシリヌット, クーチャルーンパイブーンタイにおける学生運動は,言論の自由を含む1968年の憲法公布をきっかけ
に,様々な動きが見られるようになった。本稿では,新聞記事の分析を通じ
て,事例として取り上げた「反野口運動」と「日本製品不買運動」の背景や
関連を考察した上で,タイにおける学生運動の展開かつ運動の成否に関わっ
た資源や運動に貢献した政治的機会の観点から考察を進める。
「野口キック・ボクシング・ジム事件」による「反野口運動」及び「日本製
品不買運動」は,いずれもタイにおける日本の経済侵略に対する不満や不安
感が高揚していた状況の中で起きたものである。「反野口運動」において,新
聞記事を分析した結果,「ムアイ・タイ」を「キック・ボクシング」と呼んで
いることや野口のムアイ・タイに対する捉え方が,タイ人の怒りを招いた一
つの原因であると論じられる。また,「反野口運動」は,学生運動としての位
置付けはこれまでされていないが,学生が大きな役割を果たしていたとは言
える。
一方「日本製品不買運動」は,タイにおける初めての本格的な学生運動で
あったと評価されている。運動を呼び起こした要因としては,日本のタイに
対する経済侵略への不安及び不満が挙げられるが,他にも当時の独裁政権に
対する不満が日本に転移して表現され,日本がスケープゴートにされたとい
うことも考えられる。
両運動の関連については,「野口キック・ボクシング・ジム事件」は「日本
製品不買運動」を導く口火であったと言える。「野口キック・ボクシング・ジ
ム事件」によって,運動のモジュールを獲得した新聞と学生は,同様のパター
ンを用いて一個の国を攻撃対象とした大規模な「日本製品不買運動」を展開
することができたと考えることもできる。
運動の成否を決定する資源について,本稿では①良心的支持者による物資
的援助,②社会問題改善に対する意識を強く持つ大量の学生,③小規模の運
動によるにノウハウ,④タイ全国学生センターと学内における少数のセミ
ナーグループといった学生ネットワーク,そして,⑤政治的機会の増加,と
いった五つの資源が運動の成否に貢献したと論じる。都市の育児援助システムにおける「子育てサロン」の機能
http://hdl.handle.net/2115/54087
Title: 都市の育児援助システムにおける「子育てサロン」の機能
Authors: 工藤, 遥
Abstract: 子育て家庭の孤立や育児不安の拡がりを背景に,日本では「子育てサロン」
と呼ばれる地域子育て支援拠点づくりが全国的に進められている。地域に住
む乳幼児の親子が集う場である子育てサロンは,育児に関する情報提供や相
談等を行うフォーマルな子育て支援機関であるが,大都市では,母親同士が
「ママ友」等の育児ネットワークを形成し,インフォーマルな育児援助を交換
する場・機会としても機能している。
本稿では,少子化と核家族化が顕著な大都市である札幌市で実施した質的
調査をもとに,子育てサロンおよびその内部における母親同士の育児援助の
機能を,「子育てサポートシステム」の視点から検討した。この分析枠組みで
は,乳幼児の母親の子育てを支える育児援助は,制度的支援と関係的支援の
2つのサポート構造と,3つのサポート機能(直接・間接・複合サポート)
および2つのサポート側面(道具的・表出的サポート側面)でとらえられる。
制度的支援としての子育てサロンは,運営形態により,センター型,児童
館型,地域主体型,常設ひろば型に4分類できる。各類型の子育てサロンで
は,保育や発達教育,リフレッシュ支援といったフォーマルなサポート機能
が異なっている。また,施設内部で母親同士が相互に行うインフォーマルな
関係的支援のサポート機能も,それぞれ異なる特徴や段階がみられる。
また,子育てサロンにおける集まりの一部では,母親同士の互助の進展と
並行して,育児ネットワークや小集団の形成がみられ,集まりの3つの段階
(coming,keeping,working)を経て,「支えあい」の福祉コミュニティへと発
展する可能性もうかがわれる。ただし,「子育ち」の視点に立てば,家庭内お
よび子育てサロンの内部における第一・第二の母子孤立を解消し,子どもの
発達に重要となる性別・世代混成的なコミュニティを目指した子育て環境づ
くりが望まれる。2013-12-19T15:00:00Z工藤, 遥子育て家庭の孤立や育児不安の拡がりを背景に,日本では「子育てサロン」
と呼ばれる地域子育て支援拠点づくりが全国的に進められている。地域に住
む乳幼児の親子が集う場である子育てサロンは,育児に関する情報提供や相
談等を行うフォーマルな子育て支援機関であるが,大都市では,母親同士が
「ママ友」等の育児ネットワークを形成し,インフォーマルな育児援助を交換
する場・機会としても機能している。
本稿では,少子化と核家族化が顕著な大都市である札幌市で実施した質的
調査をもとに,子育てサロンおよびその内部における母親同士の育児援助の
機能を,「子育てサポートシステム」の視点から検討した。この分析枠組みで
は,乳幼児の母親の子育てを支える育児援助は,制度的支援と関係的支援の
2つのサポート構造と,3つのサポート機能(直接・間接・複合サポート)
および2つのサポート側面(道具的・表出的サポート側面)でとらえられる。
制度的支援としての子育てサロンは,運営形態により,センター型,児童
館型,地域主体型,常設ひろば型に4分類できる。各類型の子育てサロンで
は,保育や発達教育,リフレッシュ支援といったフォーマルなサポート機能
が異なっている。また,施設内部で母親同士が相互に行うインフォーマルな
関係的支援のサポート機能も,それぞれ異なる特徴や段階がみられる。
また,子育てサロンにおける集まりの一部では,母親同士の互助の進展と
並行して,育児ネットワークや小集団の形成がみられ,集まりの3つの段階
(coming,keeping,working)を経て,「支えあい」の福祉コミュニティへと発
展する可能性もうかがわれる。ただし,「子育ち」の視点に立てば,家庭内お
よび子育てサロンの内部における第一・第二の母子孤立を解消し,子どもの
発達に重要となる性別・世代混成的なコミュニティを目指した子育て環境づ
くりが望まれる。大都市における子育て支援の現状と課題 : 札幌市事例を中心に
http://hdl.handle.net/2115/54086
Title: 大都市における子育て支援の現状と課題 : 札幌市事例を中心に
Authors: 金, 昌震
Abstract: 本稿の目的は,出生率の向上や子育て支援の一環として運営されている日
本の札幌市における子育て支援施設が持つ社会的機能を比較により明らかに
することである。
まず,子育て支援を行う公共の施設を素材にして,子育てに励んでいる親
たちが直面している問題を考察する。次に,各子育て支援施設の中で形成さ
れているネットワークにどのような違いが見られるのか分析する。最後に,
日本における少子化対策や子育て支援のあり方について検討する。
そこで,本稿では,子育て支援施設で行った半構造化インタビューの調査
結果を用いて分析を行う。その際,子育て支援施設で構築される「ママ友」
集まりや子育てサークルが,コミュニティとしてどのような性質や特徴を
持っているのか,金子の「三段階のコミュニティ論」を援用し,コミュニティ
(集まり)の観点から分析する。また,子育て支援施設はどのような社会関係
資本を生み出し,どのような機能を果たしているのかについて,社会関係資
本論とネットワーク論から考察する。
本稿では,以下の手順で考察を進めていく。第1に,日本の少子化問題の
傾向を踏まえて上で,調査対象地である北海道・札幌市の少子化の現状を明
らかにする。また,子育てに対する不安・負担・ストレスの社会的な要因と
して第一次集団(Primary Group)の変遷から考察する。第2に,札幌市にお
ける子育て支援施設の機能を把握し,それぞれの施設が生み出す社会関係資
本を類型化する。また,各施設で構築された「ママ友」集まりの特徴や性質
を比較し,「三段階のコミュニティ」のうち,どのような段階に該当するかに
ついて分析する。第3に,各施設が生み出す社会関係資本の異なる機能を理
解し,子育て支援としてどのように生かすかについて考察する。2013-12-19T15:00:00Z金, 昌震本稿の目的は,出生率の向上や子育て支援の一環として運営されている日
本の札幌市における子育て支援施設が持つ社会的機能を比較により明らかに
することである。
まず,子育て支援を行う公共の施設を素材にして,子育てに励んでいる親
たちが直面している問題を考察する。次に,各子育て支援施設の中で形成さ
れているネットワークにどのような違いが見られるのか分析する。最後に,
日本における少子化対策や子育て支援のあり方について検討する。
そこで,本稿では,子育て支援施設で行った半構造化インタビューの調査
結果を用いて分析を行う。その際,子育て支援施設で構築される「ママ友」
集まりや子育てサークルが,コミュニティとしてどのような性質や特徴を
持っているのか,金子の「三段階のコミュニティ論」を援用し,コミュニティ
(集まり)の観点から分析する。また,子育て支援施設はどのような社会関係
資本を生み出し,どのような機能を果たしているのかについて,社会関係資
本論とネットワーク論から考察する。
本稿では,以下の手順で考察を進めていく。第1に,日本の少子化問題の
傾向を踏まえて上で,調査対象地である北海道・札幌市の少子化の現状を明
らかにする。また,子育てに対する不安・負担・ストレスの社会的な要因と
して第一次集団(Primary Group)の変遷から考察する。第2に,札幌市にお
ける子育て支援施設の機能を把握し,それぞれの施設が生み出す社会関係資
本を類型化する。また,各施設で構築された「ママ友」集まりの特徴や性質
を比較し,「三段階のコミュニティ」のうち,どのような段階に該当するかに
ついて分析する。第3に,各施設が生み出す社会関係資本の異なる機能を理
解し,子育て支援としてどのように生かすかについて考察する。生活基盤としての社会的共通資本の機能
http://hdl.handle.net/2115/54085
Title: 生活基盤としての社会的共通資本の機能
Authors: 遠山, 景広
Abstract: 社会的共通資本は,主に産業基盤を中心として考察の対象となり,中でも
社会インフラの整備は経済的な理由を優先して進められてきた。社会的共通
資本が注目された高度成長期には,社会インフラの整備は国民の生活と経済
力という2つの意味から全体社会を向上させるとされ目標の1つに挙げられ
ていた。個人の生活の充実は,産業への寄与と結びつけられた上で全体社会
へと還元されると見做されたため,議論には主に経済的な視点が反映されて
きたのである。1950~1960年代の社会的共通資本の配分は高度成長期の特性
を表し,産業基盤に8割,生活基盤に2割と振り分けられており,産業基盤
の偏重傾向を示すものとされる。
現代では,社会的共通資本に期待される役割は生活基盤に重点が移行して
いる。生活基盤としての側面については,1970年代の都市化に対しシビル・
ミニマムとして議論され,生活権という観点から個々の生活における最低限
が論じられた。今日は,育児や介護の社会化など個々の生活を考慮した,社
会的共通資本の提供段階に目を向ける必要性が高まっている。しかし,これ
までの議論は主に制度の設定や資本の設置による経済学的な意義や効率につ
いての指摘にとどまり,利用段階での提供者と利用者に観点を移した議論は
まだ少ない。これは,高度成長期には社会的共通資本の設置が不十分で,ど
のような視点から資本整備を進めることができるか,いわば設置の正当化に
焦点が残っていたことも影響している。しかし,現代の社会的共通資本に求
められるのは,個人の利用を前提として個々の社会的行為が関与する機能か
ら政策を評価する段階にあると考えられる。本稿では,社会的共通資本を産
業基盤と生活基盤の2面から検討し,生活基盤における新たな人間関係を形
成する機能を考察する。2013-12-19T15:00:00Z遠山, 景広社会的共通資本は,主に産業基盤を中心として考察の対象となり,中でも
社会インフラの整備は経済的な理由を優先して進められてきた。社会的共通
資本が注目された高度成長期には,社会インフラの整備は国民の生活と経済
力という2つの意味から全体社会を向上させるとされ目標の1つに挙げられ
ていた。個人の生活の充実は,産業への寄与と結びつけられた上で全体社会
へと還元されると見做されたため,議論には主に経済的な視点が反映されて
きたのである。1950~1960年代の社会的共通資本の配分は高度成長期の特性
を表し,産業基盤に8割,生活基盤に2割と振り分けられており,産業基盤
の偏重傾向を示すものとされる。
現代では,社会的共通資本に期待される役割は生活基盤に重点が移行して
いる。生活基盤としての側面については,1970年代の都市化に対しシビル・
ミニマムとして議論され,生活権という観点から個々の生活における最低限
が論じられた。今日は,育児や介護の社会化など個々の生活を考慮した,社
会的共通資本の提供段階に目を向ける必要性が高まっている。しかし,これ
までの議論は主に制度の設定や資本の設置による経済学的な意義や効率につ
いての指摘にとどまり,利用段階での提供者と利用者に観点を移した議論は
まだ少ない。これは,高度成長期には社会的共通資本の設置が不十分で,ど
のような視点から資本整備を進めることができるか,いわば設置の正当化に
焦点が残っていたことも影響している。しかし,現代の社会的共通資本に求
められるのは,個人の利用を前提として個々の社会的行為が関与する機能か
ら政策を評価する段階にあると考えられる。本稿では,社会的共通資本を産
業基盤と生活基盤の2面から検討し,生活基盤における新たな人間関係を形
成する機能を考察する。