DSpace Collection: 2016-12-15
http://hdl.handle.net/2115/63903
2016-12-15
2024-03-28T12:36:48Z
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日本のジオパークにおけるジオツーリズムの現状と課題 : 苗場山麓ジオパークを事例に
http://hdl.handle.net/2115/63925
Title: 日本のジオパークにおけるジオツーリズムの現状と課題 : 苗場山麓ジオパークを事例に
Authors: 肖, 錕
Abstract: ジオパークは,地球科学的な価値を持つ遺産の保全を目的とした場所である。ジオパークでは,大地の遺産を保全し,教育やツーリズムに活用しながら,地域の持続可能な開発を進める仕組みを構築しようとしている。ジオパークではジオツーリズムの開発が重要である。日本においては2008年から日本国内のナショナルジオパークの認定活動が始まった。現在日本においては世界ジオパークの8地域を含む39地域のジオパークが存在する。欧米では主に地質学者と地理学者がジオツーリズムを研究している。多くの研究成果はヨーロッパの地質遺産保護協会が主催する「Geoheritage」(地質遺産)の雑誌で掲載される。ジオツーリズムに関する研究は,主にジオツーリズムの概念と機能,地質観光資源,地質観光者,地質公園とジオツーリズムの開発などの方面に集中している。日本におけて,一番早いジオパークに関する研究は2005年から始まった。その後は,ジオパークに関する研究成果がどんどん増えた。近年は,ジオパークに関心を寄せる人が多くなって,今後研究論文が増える傾向にある。本研究では日本苗場ジオパークを事例にして,管理者とガイドのジオツーリズムに対する意識に注目することから,ジオツーリズムの課題を解明することを目的とする。研究方法は現地で苗場ジオパークの行政管理者,ガイドがジオパークとジオツーリズムに対する意識の聞き取り調査である。それらの調査資料を分析し,ジオツーリズムの現状を把握して今後の課題を論じた。
2016-12-14T15:00:00Z
肖, 錕
ジオパークは,地球科学的な価値を持つ遺産の保全を目的とした場所である。ジオパークでは,大地の遺産を保全し,教育やツーリズムに活用しながら,地域の持続可能な開発を進める仕組みを構築しようとしている。ジオパークではジオツーリズムの開発が重要である。日本においては2008年から日本国内のナショナルジオパークの認定活動が始まった。現在日本においては世界ジオパークの8地域を含む39地域のジオパークが存在する。欧米では主に地質学者と地理学者がジオツーリズムを研究している。多くの研究成果はヨーロッパの地質遺産保護協会が主催する「Geoheritage」(地質遺産)の雑誌で掲載される。ジオツーリズムに関する研究は,主にジオツーリズムの概念と機能,地質観光資源,地質観光者,地質公園とジオツーリズムの開発などの方面に集中している。日本におけて,一番早いジオパークに関する研究は2005年から始まった。その後は,ジオパークに関する研究成果がどんどん増えた。近年は,ジオパークに関心を寄せる人が多くなって,今後研究論文が増える傾向にある。本研究では日本苗場ジオパークを事例にして,管理者とガイドのジオツーリズムに対する意識に注目することから,ジオツーリズムの課題を解明することを目的とする。研究方法は現地で苗場ジオパークの行政管理者,ガイドがジオパークとジオツーリズムに対する意識の聞き取り調査である。それらの調査資料を分析し,ジオツーリズムの現状を把握して今後の課題を論じた。
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大都市における子育て家族の社会的孤立要因 : SSP2015を用いた地域信頼度の分析より
http://hdl.handle.net/2115/63924
Title: 大都市における子育て家族の社会的孤立要因 : SSP2015を用いた地域信頼度の分析より
Authors: 遠山, 景広
Abstract: 近代の都市社会は社会で近隣関係の希薄化が指摘されており,要因として都市は多様な人々が集まる場であるために共通する社会規範が持ち難いことや,居住地域での社会関係の維持・形成自体が難しいことがある。これは,中間集団としての地域社会の縮小・弱体化,社会関係を家族や職場などに依存し易い状況である。こうした地縁の希薄化に加え,他人に干渉すること,されることを忌避する私化(金子2011:76)のような,社会関係に対する人々の意識の変化も指摘されている。このような状況下で,子どものいる家庭と地域社会の関係はどのような状態にあるのか。特に都市部では,大日向(1999など)が指摘している「母子カプセル」のように,子どもとその家族が孤立してしまうリスクが危惧される。女性は,血縁や職縁からも離脱し易く,地域との関係も薄いことから母子単位での孤立するリスクが高いと考えられる。そこで,2015年に実施された「第1回階層と社会意識全国調査(SSP2015)」のデータを用い,地域社会との関係を測る指標の1つとして「信頼度」を取り上げ,子どもを持つ家庭と地域社会の関係について,地域信頼度を従属変数として主に重回帰分析による検証を行った。その結果,子どもがいる場合には地域信頼度は高まる傾向にあるが,効果が母親に限定され易いこと,また子どもの年代によって効果が異なることがわかった。特に,未就学児のみがいる段階では地域信頼度が低下する傾向があり,主に質的な研究からの指摘が多かった母親の孤立リスクが,統計的にも確認された。子どもを持つことを躊躇する夫婦が多いことは,こうした孤立のリスクが潜在化していることも要因と考えられる。地域社会を志向する子育て支援を含む社会福祉をみる上では,単に子どものケアを代替するだけではなく,家庭など血縁以外の関係,職場の外での人間関係の構築を支えていくことを考慮する必要がある。
2016-12-14T15:00:00Z
遠山, 景広
近代の都市社会は社会で近隣関係の希薄化が指摘されており,要因として都市は多様な人々が集まる場であるために共通する社会規範が持ち難いことや,居住地域での社会関係の維持・形成自体が難しいことがある。これは,中間集団としての地域社会の縮小・弱体化,社会関係を家族や職場などに依存し易い状況である。こうした地縁の希薄化に加え,他人に干渉すること,されることを忌避する私化(金子2011:76)のような,社会関係に対する人々の意識の変化も指摘されている。このような状況下で,子どものいる家庭と地域社会の関係はどのような状態にあるのか。特に都市部では,大日向(1999など)が指摘している「母子カプセル」のように,子どもとその家族が孤立してしまうリスクが危惧される。女性は,血縁や職縁からも離脱し易く,地域との関係も薄いことから母子単位での孤立するリスクが高いと考えられる。そこで,2015年に実施された「第1回階層と社会意識全国調査(SSP2015)」のデータを用い,地域社会との関係を測る指標の1つとして「信頼度」を取り上げ,子どもを持つ家庭と地域社会の関係について,地域信頼度を従属変数として主に重回帰分析による検証を行った。その結果,子どもがいる場合には地域信頼度は高まる傾向にあるが,効果が母親に限定され易いこと,また子どもの年代によって効果が異なることがわかった。特に,未就学児のみがいる段階では地域信頼度が低下する傾向があり,主に質的な研究からの指摘が多かった母親の孤立リスクが,統計的にも確認された。子どもを持つことを躊躇する夫婦が多いことは,こうした孤立のリスクが潜在化していることも要因と考えられる。地域社会を志向する子育て支援を含む社会福祉をみる上では,単に子どものケアを代替するだけではなく,家庭など血縁以外の関係,職場の外での人間関係の構築を支えていくことを考慮する必要がある。
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タイ学生の政治意識・行動 : 政治的有効性感覚・政治参加を中心に
http://hdl.handle.net/2115/63923
Title: タイ学生の政治意識・行動 : 政治的有効性感覚・政治参加を中心に
Authors: シリヌット, クーチャルーンパイブーン
Abstract: 近年,タイにおいて若年層とくに大学生による政治に対する意識―行動が
低下し,政治への関心の減退に関する議論がメディアや研究者によって指摘
されてきた。本稿では,このような状況が問題視されているなか,政治的有
効性感覚及び政治参加に焦点を置いて,その実態や特徴の考察を試みた。そ
の結果,政治参加という点では,政治的問題の解決には,選挙以上の行動を
行わない傾向が見られた。その理由として,現代の政治の巨大化,複雑化か
らくる無力感があると見られる。政治的有効性感覚では,自分の行動は国の
政治に直接影響を与えられるといった内的有効性感覚は強いが,政治への信
頼ともいえる外的有効性感覚は全体的に弱い傾向が見られた。政治システム
や政治家への失望や不信感が学生の外的有効性感覚の弱さの要因だと思われ
る。また,学生たちの間では,以前と変わらず,国民より学生である自分こ
そ国の政治への影響力が強いといった考えを持っているという傾向が見られ
た。現在,学生は小数のエリート層の立場から離れたが,そのエリート意識
は学生の考えの中に継承されている。
また,メディアとりわけソーシャルメディアが,情報の発信,運動体の動
員,活動形態の拡大などタイにおける政治全体に影響を与えていることが明
確になった。しかし,メディアの信頼という点では,テレビが一番信頼され
ており,その次は新聞,インターネットの順である。そして,政治参加・政
治活動を直接促進するものとして,テレビが挙げられる。このようなことを
考えると,テレビや新聞といった典型的なメディアは政治情報や知見を受容
するために,信頼性を持ち有力なメディアであることが分かる。
2016-12-14T15:00:00Z
シリヌット, クーチャルーンパイブーン
近年,タイにおいて若年層とくに大学生による政治に対する意識―行動が
低下し,政治への関心の減退に関する議論がメディアや研究者によって指摘
されてきた。本稿では,このような状況が問題視されているなか,政治的有
効性感覚及び政治参加に焦点を置いて,その実態や特徴の考察を試みた。そ
の結果,政治参加という点では,政治的問題の解決には,選挙以上の行動を
行わない傾向が見られた。その理由として,現代の政治の巨大化,複雑化か
らくる無力感があると見られる。政治的有効性感覚では,自分の行動は国の
政治に直接影響を与えられるといった内的有効性感覚は強いが,政治への信
頼ともいえる外的有効性感覚は全体的に弱い傾向が見られた。政治システム
や政治家への失望や不信感が学生の外的有効性感覚の弱さの要因だと思われ
る。また,学生たちの間では,以前と変わらず,国民より学生である自分こ
そ国の政治への影響力が強いといった考えを持っているという傾向が見られ
た。現在,学生は小数のエリート層の立場から離れたが,そのエリート意識
は学生の考えの中に継承されている。
また,メディアとりわけソーシャルメディアが,情報の発信,運動体の動
員,活動形態の拡大などタイにおける政治全体に影響を与えていることが明
確になった。しかし,メディアの信頼という点では,テレビが一番信頼され
ており,その次は新聞,インターネットの順である。そして,政治参加・政
治活動を直接促進するものとして,テレビが挙げられる。このようなことを
考えると,テレビや新聞といった典型的なメディアは政治情報や知見を受容
するために,信頼性を持ち有力なメディアであることが分かる。
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挿絵から読む川端康成『美しさと哀しみと』 : 結末の再検討
http://hdl.handle.net/2115/63922
Title: 挿絵から読む川端康成『美しさと哀しみと』 : 結末の再検討
Authors: 李, 雅旬
Abstract: 川端康成『美しさと哀しみと』は雑誌連載当時、加山又造の挿絵が六十六葉も添えられていた。それらが非常に好評であったにもかかわらず、これまでの『美しさと哀しみと』論ではほとんど考慮に入れられてこなかった。また、初出の結び方について、同時代評にも先行研究にも批判の声が絶えなかったが、その原因はいったいどこにあるだろうか。さらに、『日本の文学』の第三十八巻『川端康成』(中央公論社、一九六四・三)に収録される際に結末の部分は書き加えられた。この加筆をめぐってどう解釈すればよいか。この小論の目的は、『美しさと哀しみと』の物語内容と挿絵とを合わせて分析し、とりわけ最後の一葉、およびそれに関連する小説の結末を再検討することにある。つまるところ、初出の結末は古賀春江の「煙火」に描かれた画面に向かって進んでいたのであり、川端所蔵の美術品は隠された形で物語の展開に関与していたのである。なお、結末の加筆に関しは、時間論的観点から、加筆によってテクストに余韻が無くなったという批判的な解釈を導き出す。
2016-12-14T15:00:00Z
李, 雅旬
川端康成『美しさと哀しみと』は雑誌連載当時、加山又造の挿絵が六十六葉も添えられていた。それらが非常に好評であったにもかかわらず、これまでの『美しさと哀しみと』論ではほとんど考慮に入れられてこなかった。また、初出の結び方について、同時代評にも先行研究にも批判の声が絶えなかったが、その原因はいったいどこにあるだろうか。さらに、『日本の文学』の第三十八巻『川端康成』(中央公論社、一九六四・三)に収録される際に結末の部分は書き加えられた。この加筆をめぐってどう解釈すればよいか。この小論の目的は、『美しさと哀しみと』の物語内容と挿絵とを合わせて分析し、とりわけ最後の一葉、およびそれに関連する小説の結末を再検討することにある。つまるところ、初出の結末は古賀春江の「煙火」に描かれた画面に向かって進んでいたのであり、川端所蔵の美術品は隠された形で物語の展開に関与していたのである。なお、結末の加筆に関しは、時間論的観点から、加筆によってテクストに余韻が無くなったという批判的な解釈を導き出す。
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有島武郎『クララの出家』論 : 越境するセクシュアリティ
http://hdl.handle.net/2115/63921
Title: 有島武郎『クララの出家』論 : 越境するセクシュアリティ
Authors: 張, 輝
Abstract: 有島武郎の「クララの出家」は発表されて以来、クララの聖女という位置付けと過剰な性欲描写の衝突が注目され、争点となっている。霊肉一致と聖・俗の二択一の解釈はいずれも、クララの性的指向の変化を看過した読みであると言える。つまり、夢におけるヘテロセクシュアルな欲望以外に、クララの同性に対する愛欲も描かれているためである。作中では、夢という空間は異性愛の暴力性を露呈させる装置として機能しているにほかならない。セクシュアリティの規範から逸脱し、夢から現実世界への越境はクララのセクシュアリティの越境と見ることができる。「クララの出家」はジェンダーの曖昧さが
呈示される有島のほかの作品と一脈相通じる面がある一方で、有島武郎文学におけるジェンダー・セクシュアリティの越境を達成している。
2016-12-14T15:00:00Z
張, 輝
有島武郎の「クララの出家」は発表されて以来、クララの聖女という位置付けと過剰な性欲描写の衝突が注目され、争点となっている。霊肉一致と聖・俗の二択一の解釈はいずれも、クララの性的指向の変化を看過した読みであると言える。つまり、夢におけるヘテロセクシュアルな欲望以外に、クララの同性に対する愛欲も描かれているためである。作中では、夢という空間は異性愛の暴力性を露呈させる装置として機能しているにほかならない。セクシュアリティの規範から逸脱し、夢から現実世界への越境はクララのセクシュアリティの越境と見ることができる。「クララの出家」はジェンダーの曖昧さが
呈示される有島のほかの作品と一脈相通じる面がある一方で、有島武郎文学におけるジェンダー・セクシュアリティの越境を達成している。
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<木戸孝允>を支えた女 : 幾松の「維新」と「復古」
http://hdl.handle.net/2115/63920
Title: <木戸孝允>を支えた女 : 幾松の「維新」と「復古」
Authors: 髙橋, 小百合
Abstract: 本論文は、明治期における木戸孝允と幾松に関する言説を、二人の関係性の描写から分析し、同時代の男女交際論等、男女関係についての思潮をふまえながら、文化史中に占める二人の描写の位置および意義について考察したものである。論者には『日本近代文学会北海道支部会報』一九号掲載予定の別稿「<木戸孝允>像の生成」があり、そこでは木戸孝允が死去から明治末年までのあいだ、どのように語られていったのか、その変容と文脈パターンについて論じた。本論文では、そこで見出した六つの文脈パターンのうち、以後、大正、昭和期とより重要性を濃くするであろう<木戸と幾松> <幾松あっての木戸>について一歩踏み込んだ論を展開したつもりである。本論文の第一章「木戸表象の傾向と類別」は、木戸を語る文脈パターンについてまとめ、右の別稿の内容を引き継いだかたちである。よって、本論文の核は第二章以降にあるといえる。幾松はなぜ、木戸を語る言説のなかで存在感を増し、大衆的歓迎をうけたのか。第二章では、木戸と幾松の関係が、近代的恋愛の文脈に読み替え可能であることを論じ、同時に、幾松の芸妓という出自に着目して、近代と前近代の微妙なあわいに、ふたりの「恋愛」があることを明らかにした。第三章は、一方で二人の関係表象がもつ「復古」性について論じている。「王政復古」「一君万民」のイデオロギーとからめながら、<尊いから尊い>カミの論理で語られる木戸と、太古、国運を占う巫でありえた(元)芸妓幾松との関係が、国生み神話に準ずる「復古」の国づくりを表徴しうると指摘した。幾松あることによって、木戸のイメージは①愛妓とついには恋愛結婚を遂げた②<勤王の志士・桂小五郎>として定型化していく。それは同時に<近代>化と<復古>の二律背反、あるいは混淆を示す営為でもある。これこそ、日本の<近代化>の姿そのままであり、本論文のもっとも強調しておきたいところである。
2016-12-14T15:00:00Z
髙橋, 小百合
本論文は、明治期における木戸孝允と幾松に関する言説を、二人の関係性の描写から分析し、同時代の男女交際論等、男女関係についての思潮をふまえながら、文化史中に占める二人の描写の位置および意義について考察したものである。論者には『日本近代文学会北海道支部会報』一九号掲載予定の別稿「<木戸孝允>像の生成」があり、そこでは木戸孝允が死去から明治末年までのあいだ、どのように語られていったのか、その変容と文脈パターンについて論じた。本論文では、そこで見出した六つの文脈パターンのうち、以後、大正、昭和期とより重要性を濃くするであろう<木戸と幾松> <幾松あっての木戸>について一歩踏み込んだ論を展開したつもりである。本論文の第一章「木戸表象の傾向と類別」は、木戸を語る文脈パターンについてまとめ、右の別稿の内容を引き継いだかたちである。よって、本論文の核は第二章以降にあるといえる。幾松はなぜ、木戸を語る言説のなかで存在感を増し、大衆的歓迎をうけたのか。第二章では、木戸と幾松の関係が、近代的恋愛の文脈に読み替え可能であることを論じ、同時に、幾松の芸妓という出自に着目して、近代と前近代の微妙なあわいに、ふたりの「恋愛」があることを明らかにした。第三章は、一方で二人の関係表象がもつ「復古」性について論じている。「王政復古」「一君万民」のイデオロギーとからめながら、<尊いから尊い>カミの論理で語られる木戸と、太古、国運を占う巫でありえた(元)芸妓幾松との関係が、国生み神話に準ずる「復古」の国づくりを表徴しうると指摘した。幾松あることによって、木戸のイメージは①愛妓とついには恋愛結婚を遂げた②<勤王の志士・桂小五郎>として定型化していく。それは同時に<近代>化と<復古>の二律背反、あるいは混淆を示す営為でもある。これこそ、日本の<近代化>の姿そのままであり、本論文のもっとも強調しておきたいところである。
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中国映画における分身の表象に関する史的考察 : 『舞台女優』(1987)を中心に
http://hdl.handle.net/2115/63919
Title: 中国映画における分身の表象に関する史的考察 : 『舞台女優』(1987)を中心に
Authors: 王, 玉輝
Abstract: 本稿は、中国映画における分身の表象およびその歴史的展開について、欧米の映画理論とその他の諸言説に関わらせながら史的に考察することを課題とする。まず中国映画史を軸に、一九四九年までの民国期、一九四九年から文化大革命が幕を閉じる一九七六年までの共和国期、文革後から今日に至る改革開放期という、中国近現代史の流れに沿った三つの部分に分けつつ、中国映画における分身表象のそれぞれの相貌を捉え、その歴史的展開を描き出す。次に、中国の第四世代の監督黄蜀芹による『舞台女優』(人鬼情、1987)を取り上げる。本稿では、「重層的な鏡像と分身」、「反復と分身」、「フェミニズムと分身」といった諸点に絞りつつ、同作品を具体的に考察するが、このことを通して、中国映画史の研究分野において分身論の視点による映画史の再構築を目指したい。
2016-12-14T15:00:00Z
王, 玉輝
本稿は、中国映画における分身の表象およびその歴史的展開について、欧米の映画理論とその他の諸言説に関わらせながら史的に考察することを課題とする。まず中国映画史を軸に、一九四九年までの民国期、一九四九年から文化大革命が幕を閉じる一九七六年までの共和国期、文革後から今日に至る改革開放期という、中国近現代史の流れに沿った三つの部分に分けつつ、中国映画における分身表象のそれぞれの相貌を捉え、その歴史的展開を描き出す。次に、中国の第四世代の監督黄蜀芹による『舞台女優』(人鬼情、1987)を取り上げる。本稿では、「重層的な鏡像と分身」、「反復と分身」、「フェミニズムと分身」といった諸点に絞りつつ、同作品を具体的に考察するが、このことを通して、中国映画史の研究分野において分身論の視点による映画史の再構築を目指したい。
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草創期の中国連環漫画における「運動」 : 葉浅予の『王先生』を中心として
http://hdl.handle.net/2115/63918
Title: 草創期の中国連環漫画における「運動」 : 葉浅予の『王先生』を中心として
Authors: 余, 迅
Abstract: 『王先生』は、1928年から1937年にかけての10年間に、著名漫画家の葉浅予(1907-1995)が創作した連環漫画作品である。中国漫画史においては、連載期間が最も長い連環漫画と考えられてきた。『上海漫画』の第一号にはじめて姿を現し、徐々に漫画界の注目を浴び、広範な大衆の間で熱狂的な人気を博した。先行研究ではしばしば、『王先生』が「官僚の世界の腐敗を暴露し、下層社会の人民に対する同情を表現した」と指摘されたが、本来の主旨、及び表現論のアプローチからの分析などはまだ十分とは言えない。本論は、二つの部分から構成されている。論文の前半では、まず、『王先生』がジョージ・マクマナスの漫画『親爺教育』からどのような影響を受けたかについて考察した。当時の上海において、英字新聞『大陸報』(China Press)に掲載された『親爺教育』(Bringing up Father)は非常に人気があった。葉浅予は読者を引きつけるため、この漫画を模倣し、中国初の長編漫画を創作した。しかし、この『王先生』は単純な模倣作品ではなく、新たな「上海漫画」として生成されたことを本稿では明らかにした。また葉浅予が『親爺教育』における「妻の尻に敷かれる夫」の話から出発し、テクストの空間を広げ、私的空間から公共空間への流動性を示していたことも発見できた。後半では、王先生を例として取り上げ、表現論のアプローチにより、草創期の中国連環漫画と映画の相関について考察した。また、「逃走-復帰」の主題をめぐり、『王先生』から感じられる人物の「動き」についても検討した。
その結果、草創期の中国連環漫画では、映画からの影響が顕著に見られる。「映画の撮影」や「映画の鑑賞」に関する取材が行われただけではなく、映像文法がコマの間に投入されるため、そこに緊密な繫がりが感じられる。また、漫画家たちは、多くの視点から、ある事件が発生した過程を表すため、連続のコマを読むとき、読者に「運動」の意味を感じさせる。
2016-12-14T15:00:00Z
余, 迅
『王先生』は、1928年から1937年にかけての10年間に、著名漫画家の葉浅予(1907-1995)が創作した連環漫画作品である。中国漫画史においては、連載期間が最も長い連環漫画と考えられてきた。『上海漫画』の第一号にはじめて姿を現し、徐々に漫画界の注目を浴び、広範な大衆の間で熱狂的な人気を博した。先行研究ではしばしば、『王先生』が「官僚の世界の腐敗を暴露し、下層社会の人民に対する同情を表現した」と指摘されたが、本来の主旨、及び表現論のアプローチからの分析などはまだ十分とは言えない。本論は、二つの部分から構成されている。論文の前半では、まず、『王先生』がジョージ・マクマナスの漫画『親爺教育』からどのような影響を受けたかについて考察した。当時の上海において、英字新聞『大陸報』(China Press)に掲載された『親爺教育』(Bringing up Father)は非常に人気があった。葉浅予は読者を引きつけるため、この漫画を模倣し、中国初の長編漫画を創作した。しかし、この『王先生』は単純な模倣作品ではなく、新たな「上海漫画」として生成されたことを本稿では明らかにした。また葉浅予が『親爺教育』における「妻の尻に敷かれる夫」の話から出発し、テクストの空間を広げ、私的空間から公共空間への流動性を示していたことも発見できた。後半では、王先生を例として取り上げ、表現論のアプローチにより、草創期の中国連環漫画と映画の相関について考察した。また、「逃走-復帰」の主題をめぐり、『王先生』から感じられる人物の「動き」についても検討した。
その結果、草創期の中国連環漫画では、映画からの影響が顕著に見られる。「映画の撮影」や「映画の鑑賞」に関する取材が行われただけではなく、映像文法がコマの間に投入されるため、そこに緊密な繫がりが感じられる。また、漫画家たちは、多くの視点から、ある事件が発生した過程を表すため、連続のコマを読むとき、読者に「運動」の意味を感じさせる。
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熊本藩校「時習館學規」に關する一考察
http://hdl.handle.net/2115/63917
Title: 熊本藩校「時習館學規」に關する一考察
Authors: 田海, 秀穗
Abstract: 熊本藩校「時習館學規」は、寶暦五年に時習館初代敎授に就任した秋山玉山が起草した時習館の根本規則である。
本稿では、はじめに時習館の施設と人的な概要を概觀した後、時習館の設立を發意した熊本藩第六代藩主細川重賢と重賢の信任を受け、藩校開學に盡力した秋山玉山の敎育觀を檢討した。そこでは若いころから徂徠學派の學風に親しんでいた重賢と玉山が、人材の育成という觀點から個性の伸長を重視する自由で寛容な敎育觀を抱いていたことが確認できた。
次に「時習館學規」の各條文の檢討からは、時習館で行われていた學業課程を定めた條文の中に、一人一人の學生の能力と個性に應じた様々な敎育的配慮を見ることができた。しかしその反面において重賢が寶改革の一環として、新たに制定した「知行世減の法」が、父の勤務成績と子の文武の才能次第では知行を減ずると定めていたために、それがその後の時習館の學風を成績第一主義へと傾斜させる要因となったのではないかと指摘した。
また「時習館學規」の條文と中國明代の總合行政法典である『明會典』の條文との比較檢討から、時習館における學生の
成績や賞罰に關する規則の多くが、『明會典』を參考に作られていたことが確認できた。
2016-12-14T15:00:00Z
田海, 秀穗
熊本藩校「時習館學規」は、寶暦五年に時習館初代敎授に就任した秋山玉山が起草した時習館の根本規則である。
本稿では、はじめに時習館の施設と人的な概要を概觀した後、時習館の設立を發意した熊本藩第六代藩主細川重賢と重賢の信任を受け、藩校開學に盡力した秋山玉山の敎育觀を檢討した。そこでは若いころから徂徠學派の學風に親しんでいた重賢と玉山が、人材の育成という觀點から個性の伸長を重視する自由で寛容な敎育觀を抱いていたことが確認できた。
次に「時習館學規」の各條文の檢討からは、時習館で行われていた學業課程を定めた條文の中に、一人一人の學生の能力と個性に應じた様々な敎育的配慮を見ることができた。しかしその反面において重賢が寶改革の一環として、新たに制定した「知行世減の法」が、父の勤務成績と子の文武の才能次第では知行を減ずると定めていたために、それがその後の時習館の學風を成績第一主義へと傾斜させる要因となったのではないかと指摘した。
また「時習館學規」の條文と中國明代の總合行政法典である『明會典』の條文との比較檢討から、時習館における學生の
成績や賞罰に關する規則の多くが、『明會典』を參考に作られていたことが確認できた。
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林羅山「寄朝鮮國三官使」に關する考察
http://hdl.handle.net/2115/63916
Title: 林羅山「寄朝鮮國三官使」に關する考察
Authors: 関, 雅泉
Abstract: 江戸時代初期の幕府の朝鮮に對する外交政策上、通信使の招待は重要な政策であり、日朝兩國の政治、文化、經濟などの交流を促すのに、深い意味があった。永十三年の朝鮮通信使の來日に際して、林羅山は幕府の文教、外交の責任者として通信使と交渉した。「寄朝鮮國三官使」は、羅山が永十三年に著した外交書簡であり、羅山の學問と思想的特徴の一端を窺い知ることができる。本稿では、「寄朝鮮國三官使」を中心に、その成立背景及び羅山の見解を明らかにした上で、書簡における通信使への七つの質問について詳らかに分析し、そこに見える羅山の思想と意圖を證してみたい。羅山は朝鮮の學者
に對して、高い見識を示したが、その質問は中國の思想と歴史の影響を受けていたことが確認できる。また、この書簡には、朝鮮を日本の藩國とみなす意圖が窺え、彼の強い國家意識が認められる。
2016-12-14T15:00:00Z
関, 雅泉
江戸時代初期の幕府の朝鮮に對する外交政策上、通信使の招待は重要な政策であり、日朝兩國の政治、文化、經濟などの交流を促すのに、深い意味があった。永十三年の朝鮮通信使の來日に際して、林羅山は幕府の文教、外交の責任者として通信使と交渉した。「寄朝鮮國三官使」は、羅山が永十三年に著した外交書簡であり、羅山の學問と思想的特徴の一端を窺い知ることができる。本稿では、「寄朝鮮國三官使」を中心に、その成立背景及び羅山の見解を明らかにした上で、書簡における通信使への七つの質問について詳らかに分析し、そこに見える羅山の思想と意圖を證してみたい。羅山は朝鮮の學者
に對して、高い見識を示したが、その質問は中國の思想と歴史の影響を受けていたことが確認できる。また、この書簡には、朝鮮を日本の藩國とみなす意圖が窺え、彼の強い國家意識が認められる。