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技術者と持続可能性 : 三種の倫理学(マクロ倫理、ミクロ倫理、メソ倫理)の微妙な区別について

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Please use this identifier to cite or link to this item:https://doi.org/10.14943/ouyourin.5.25

Title: 技術者と持続可能性 : 三種の倫理学(マクロ倫理、ミクロ倫理、メソ倫理)の微妙な区別について
Authors: Davis, Michael1 Browse this author
Authors(alt): デイヴィス, マイケル1
Keywords: 専門職倫理
市民社会
John Ladd
政治哲学
道徳
Issue Date: Nov-2011
Publisher: 北海道大学大学院文学研究科応用倫理研究教育センター
Journal Title: 応用倫理
Volume: 5
Start Page: 25
End Page: 40
Abstract: 近年、社会政策、技術哲学、技術に関する社会的研究にかかわる多くの人々の間で、マクロ倫理とミクロ倫理の区別に対する関心が再燃している。この区別に関心を寄せる人々は一般に、工学倫理(engineering ethics)、とりわけ教室や教科書で教えられているような種類の工学倫理を批判してきた。それらが微視的(ミクロ)な倫理ばかりを重視しているからだ。(彼らにいわせれば)工学倫理はもっと巨視的(マクロ)な倫理を扱うべきである。さて、持続可能な開発という論点は、工学倫理がまさしくこの批判に甘んじねばならない論点かもしれない。今日の工学倫理の大部分の教科書には、環境保護に関する記述は見られるものの、持続可能な開発それ自体に関しては何の記述も見られない。工学倫理は持続可能な開発のような「マクロな主題」をうまく扱うために劇的な変化を遂げる必要があるのではないか? この問いに対し私はこう答えよう――否、その必要はない。工学倫理は(ごくわずかの新しい問題やいくつかの背景的情報を取り入れさえすれば)さほど大きな変化を遂げずとも容易に、持続可能な開発の問題――工学に関する問題を含む限りでの――を扱うことができる。私はこの答えを次の三点の主張から擁護する。(1)ミクロ・マクロ二分法は倫理学における重要な中間的領域(「メソ」倫理)を見落としている。(2)工学倫理――少なくとも標準的な仕方で教えられる場合の、つまり専門職倫理として教えられる場合の工学倫理――は、この中間的領域に属すものである。(3)「マクロ倫理」擁護者が工学倫理の授業に含めようとしているものはそもそも(何か興味深い意味での)倫理であるとは思えない。仮に倫理であるとしても工学倫理ではないだろうし、工学倫理であるとしても「マクロ倫理」ではないだろう。持続可能な開発の問題のうち、技術者がまさに技術者として取り組むであろう問題は、ミクロ倫理でもマクロ倫理でもなく、むしろこの中間的領域に属している。持続可能な開発をいかに工学倫理の授業や教科書に組み込むべきかを論じる上で「マクロ倫理」という語は必要ない。事実、この語を工学倫理に適用する際に生じてしまう概念的混同を考えると、この語は用いないほうがよい。
Type: bulletin (article)
URI: http://hdl.handle.net/2115/51874
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OAI-PMH ( junii2 , jpcoar_1.0 )

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