研究論集 = Research Journal of the Graduate School of Humanities and Human Sciences;第22号

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太宰治『正義と微笑』における引用に注目して

田中, 帆南

Permalink : http://hdl.handle.net/2115/87875
JaLCDOI : 10.14943/rjgshhs.22.r39

Abstract

『正義と微笑』は、「僕」の「青春」や成長過程における内的変化であり、太宰自身や時局との関連性の中で読まれてきた。また、タイトルにもなっている「微笑もて正義を為せ!」という「モツトオ」の解釈自体、十分に行われていないと言える。本稿は、作中に散りばめられた聖書の引用に注目し、「僕」の出来事や考え方と聖書の相互的な関係性を指摘し、先行研究で論点になっている「僕」の「モツトオ」が、晩年の作品『人間失格』まで見られる「道化」を示していることについて考察する。本作品は堤康久の日記を基礎とし、聖書等の引用が多く見られる「僕」の日記の形式をとっている。聖書は、日記を豊かにするための副次的な要素ではない。このことは作品に見られる断片性と結びつき、『正義と微笑』全体から統一的な主義主張を回収できないと結論づけられる。また、「道化」は俳優という職業と密接に関わっている。これが最終的に「僕」の「創造の技術」になると言える。本作品は、結末で作中の「僕」が至る「道化」というあり方をタイトルで示していた。だが、それ以外を読み取ることは読者に大きく譲られているところである。

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