研究論集 = Research Journal of the Graduate School of Humanities and Human Sciences;第12号

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従属節におけるノダの機能

安田, 崇裕

Permalink : http://hdl.handle.net/2115/51967
KEYWORDS : 従属節;ノダ;no da

Abstract

ノダは本質的に「認識の内容」を提示する形式である。これを肯定的に「P のだ」と断定すると,概略「ここでPと認識するのが適切だ」という表現と なる。そこに聞き手がいる場合は,聞き手に対しても同様に「ここでPと認 識するのが適切だ」と伝達することになり,結果として会話参与者間の「認 識の共有」を求める発話になる。 「認識の共有」は,そのノダ節の内容がどこから得られる情報に基づいてい るかという文脈上の条件によって,「述べた通りに話し手が認識として受け入 れる」場合と,「述べた通りの認識を持つように聞き手に要求する」場合と, 「認識を共有していることを確認する」場合に分けられる。加えて,ノダの肯 定が「既に決まっている」「反対せずに受け入れる」「話し手自身の判断とし て表現しない」「認識に働きかけようとする」といったニュアンスを帯びるこ とも,「認識の内容」を表現するという本質的機能から導き出せる。 こうしたノダの特徴は,ガ・カラ・ナラの従属節内で用いられた場合にも 観察できる。カラには命題レベルと認知レベルの両用法が存在するのに,ノ ダカラとすると認知レベルの解釈しかできなくなるのは,ノダが命題を「単 なる命題」ではなく「認識の内容」として提示するためである。 ノダガ節が聞き手にとっての新情報を,ノダカラ節が聞き手の「十分認識 していないこと」を提示することが多いように思われるのは,ノダが情報の 新旧そのものを表しているのではない。どちらもノダを用いずに必要な情報 を提示できるが,敢えてノダを使うことで「認識の共有」の必要性を積極的 に表明する発話となるため,そこからの推論によってそのような解釈が生ず ると考えられる。 判断などの根拠を非ノダのナラ節で提示すると,一般的・全称的な条件判 断の言明となる。それに対してノナラとした場合は「ここでPと認識するの が適切なら」といった仮定によって判断を下す表現となるため,「現状を踏ま えている」感の強い判断となる。また,疑わしい事柄はノナラで受けること により「反対せずに受け入れる」「話し手自身の判断として表現しない」態度 を表明できる。

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