研究論集 = Research Journal of the Graduate School of Humanities and Human Sciences;第12号

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吉田喜重映画における不穏な空気 : 「もの」のある風景をめぐって

朱, 依拉

Permalink : http://hdl.handle.net/2115/51975
KEYWORDS : 吉田喜重映画;不穏な空気

Abstract

吉田喜重映画の中では,演技する俳優が登場しない,街の風景や室内のセッ トだけが映る,いわゆるストーリーの展開に関係しないシーン,または画面 の中に俳優がいるにもかかわらず,周りにある何かの存在があまりにも目立 ちすぎたせいでストーリーの展開が邪魔されるシーンが,しばしば撮られて いる。観客はそれらのシーンを目の当たりにする時,よく画面の内部から一 種の不安定さ,頼りなさに気をとらわれる。筆者は画面全体に漂っているこ のような安定しない状態を「不穏な空気」と名づける。 「不穏な空気」の成因として,まず考えられるのは,映画または映画監督の 絶対的な優位性を崩壊させる有効な方法とされる「もの」=他者の導入であ る。吉田喜重映画に見る他者の導入は主に二種類に分けられている。一つは, 世界の無秩序さの露呈によるものである。もう一つは,映像内部からの告発 によるものである。 また,「不穏な空気」の二つ目の成因とされるのは,吉田喜重映画における 混在状態である。吉田喜重映画によく見る混在状態は,テーマ的な混在とい う形でよく現れてくるが,そればかりとは限らない。実際,監督の映画には, 同一事物の持つ二つの性質が同時にスクリーンの上で露呈される混在も,し ばしば見られている。 そして,見る者に不安を感じさせる特権的なものを「眼」として風景の中 に設置することによって,一見普通な風景ショットに緊張感または不安を吹 き込んだことも,「不穏な空気」の一つの成因である。 本稿は,吉田喜重映画における「不穏な空気」の成因を考察することを目 的とする。ただし,考察の対象となるのは,音声や照明などの要素を含まず, 「もの」のある風景のみである。

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