研究論集 = Research Journal of the Graduate School of Humanities and Human Sciences;第15号

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Sherwood Anderson 再考 : Something と Tandy

一瀬, 真平

Permalink : http://hdl.handle.net/2115/60546
JaLCDOI : 10.14943/rjgsl.15.l81

Abstract

本稿はSherwood Andersonの短編集Winesburg,Ohioに描かれる真理のビジョンを考察するものである。プロローグの〝The Book of Grotesque"において,真理の理論が提示されているように,この短編集では,「真理」が重要な主題となる。難しい言葉をどんなに並べても正確には言い表すことのできない真理を,Andersonは,簡潔な言葉と文体によって,いかにして表現するのか。本稿は,各短編の真理の描かれ方に共通のパターンがあることを解き明かしていきたい。これまでの先行研究でも,この作品の主題である真理について論じたものは多くあった。特に注目したいのは,表現主義からAnderson作品を解釈したDavid Stouckの論である。Stouckは,Anderson作品では表現が不可能なものが度々言及されることを指摘している。本稿は,この言語化が困難なものを考察する鍵として,somethingの多用とTandyという不可解な言葉に焦点をあてる。Andersonは,物語における真理に関わる場面を表現する際,「何か(something)」と表したり,意味を持たない言葉を使ったりすることで,具体的な表現を避ける。一方で,各短編において表現が暈された真理には,共通するビジョンが描かれている。それは,老いと若さ,生と死,破壊と創造など,対立する要素が入り交じったイメージである。このシニフィアンにならない真理のビジョンを,Andersonは言語化することはせず,各短編を通してそのイメージを提示することで,そのビジョンを読者の頭の中に浮かび上がらせようとしていた。

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