研究論集 = Research Journal of the Graduate School of Humanities and Human Sciences;第15号

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日本における『全体新論』医学用語の受容

許, 春艶

Permalink : http://hdl.handle.net/2115/60549
JaLCDOI : 10.14943/rjgsl.15.r39

Abstract

本稿は漢訳洋書の一つである『全体新論』の医学用語の受容について考察したものである。 『全体新論』は近代中国においてはじめて西洋医学を紹介した生理学入門書であり、イギリスのロンドン会に所属する宣教 医ホブソンにより漢文で著され、咸豊元年(一八五一)に出版された。『全体新論』出版後、日本へは嘉永末年(一八五四) ごろに伝わり、安政四年(一八五七)年に翻刻された。明治期に入ると、二種の和訳書である『全体新論訳解』が出版され た。 『全体新論』は日本に伝わったあと、当時の知識人に広く学習された。和刻本と和訳書の刊行は幕末明治初期の日本医学に 影響を与えた。近年、『全体新論』をめぐる日中医学の語彙交流に関する研究成果が蓄積されたが、『全体新論』に見られる 医学用語がどのように受け入れられたのかに関する研究はほとんどなされていない。そこで、本稿は、『全体新論』における 「〜骨」を対象に、二種の『全体新論訳解』と明治初期の医学用語集に受け入れられた状況を考察する。とくに、ホブソンの 造語である「坐骨」「 蝶骨」に注目し、それらの日本における受容状況を分析する。

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