北方人文研究 = Journal of the Center for Northern Humanities;第11号 : 北方研究教育センター10周年記念特集号 = No.11

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東京地学協会による北方探検家の顕彰活動 : 「近世探検家」の創出

武藤, 三代平

Permalink : http://hdl.handle.net/2115/70074

Abstract

本稿は、明治期全般を対象とし、東京地学協会が行った近世期の探検家たちの顕彰活動とその展開過程を明らかにする。同協会は、「地理学知」を政治・外交に利用していく目的のもと、1879(明治12)年に設立された地理学団体である。具体的に検討対象とするのは、伊能忠敬、間宮林蔵、最上徳内、近藤重蔵といった、日本の北方圏域を探検したとされる人物である。近世期の探検家は、同時代において国家に貢献した人物として周知されていなかった。そもそも、「探検家」としても認知されていない。彼らが地理学上において偉業を成し遂げたとされ、日本の国威を輝かせる「探検家」として認知された背景には、明治期を通じて行われた東京地学協会による顕彰活動が存在した。彼らが地理学上の「偉人」となることで、西洋列強が競合する国際社会のなかで、近代日本は新たな周縁を統治していく正当性を主張することができたのである。伊能忠敬をめぐる顕彰活動においては、葛西昌丕によって建てられた近世期の伊能測量碑に再検討を加え、そこに顕彰という意図がなかったことを論証する。また、陸海軍による積極的な寄付金活動が存在したことを明示する。間宮林蔵の顕彰においては、探検の証明となる第一次資料の少なさにぶつかりつつも、東京地学協会によって入念な事蹟調査がなされ、1904(明治37)年に間宮への追贈を達成する過程を明らかにした。極めて人工的に、「近世の偉大な探検家」として、間宮の人物像が生産される。最上徳内、近藤重蔵の顕彰では、彼らが「北方経営」を象徴する存在として位置づけられ、郷土意識を背景に北海道庁からの申請によって追贈が実現する過程を検討する。以上のような構成により、国民国家の形成を背景として、東京地学協会による「近世探検家」の創出過程を解明する。

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