研究論集 = Research Journal of Graduate Students of Letters;第18号

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成瀬巳喜男『めし』における同一化=交換のメカニズム

黄, 也

Permalink : http://hdl.handle.net/2115/72445
JaLCDOI : 10.14943/rjgsl.18.l157

Abstract

成瀬巳喜男監督の映画作品『めし』(1951)は,近年において,ますます注目されるようになったが,作品それ自体が充分に分析されているとは言えない。 『めし』は,成瀬の映画作品において,複数の意味で分岐点にあたるものであり,また,日本映画史においても,一つの新しいジャンル,すなわち「妻もの」(「夫婦もの」とも言う)を成立させたと考えられる。その見方の上で,本稿では,『めし』は「妻もの」というジャンルを成立させると同時に逸脱するという二重性を指摘したい。 本稿では,作品を主に二つの観点から分析する。まず,妻・三千代(原節子)と姪・里子(島崎雪子)の関係性の変化についてである。映画の前半では,里子のコケティッシュな身振りは,夫・初之輔(上原謙)との擬似的な近親相姦を匂わせる。それによって,三千代と里子の対立関係が発生し,夫婦関係が悪化する。それは,特に身振りと,それが起こる空間の特性において顕在化している。後半では,三千代の甥・一夫(二本柳寛)が登場することで,人間関係はより流動的なものとなる。それによって,三千代と里子の対立構造も,同一化=交換のメカニズムへと変化している。それは,いつくかの主題を通じて画面の反復と人物関係の入れ替わりによって提示されている。 もう一つは結末についてである。『めし』は夫婦が和解して円満に終わったように見える。しかし,実際は,夫婦の関係,初之輔と里子,里子と一夫,三千代と一夫の関係は,最後まで一つも確定していない。宙吊り状態で映画は終わっている。四人の関係は同一化=交換のメカニズムによって,つねに可変的な状態にある。それは物語の水準にとどまらず,ディゾルブ,中間領域,サウンド・ブリッジという手法の多用によって,つねに・すでに相互浸透しあう関係性それ自体を問題化することにも貢献しているのだ。それは,従来指摘されてきた「妻もの」の構図とも異なるものとなっている。 したがって,『めし』は成瀬作品だけではなく,日本映画史において意義深いと考えられる。

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