| 抄録 |
NH3 は前生物的化学進化に必須な物質の一つであるだけでなく, その強力な温室効果が, 若年期の暗い太陽の下にあった初期地球に温暖湿潤気候をもたらした可能性がかねてから指摘されてきた. しかし NH3 は光化学的に不安定であるため, 晴天大気条件下では太陽紫外線による光分解を経て迅速に N2 に転換され, 十分な温暖化をもたらすのに必要な混合比の大気 NH3 は数年程度で大気から除去されてしまう. 酸素に乏しい原始地球大気における, CH4 由来の有機質ヘイズによる紫外線の遮蔽効果を考慮しても, 大気 NH3 の寿命はせいぜい 5000 年程度にまでしか延びず, これは地質学的なタイムスケールと比較すると非常に短い. 一方, NH3 は水への溶解度が非常に大きいため, ひとたび原始地球大気に NH3 が存在すれば, それに接する原始海洋が巨大な NH3 貯蔵庫として振る舞うことが予想される. これは原始海洋における前生物的化学進化の促進だけでなく, 原始地球表層の NH3 の滞留時間の著しい長期化をもたらすかもしれない. しかし, 原始大気と原始海洋間の NH3 の分配については, これまで理論的検討がなされてこなかった.本研究では原始地球における大気と海洋間の NH3 分配を記述する数値モデルを構築し,原始海洋の NH3 容量, H2O の融点を超える温室効果および海洋中での前生物的化学進化をもたらすのに必要な NH3 総量, そして光化学的な損失に対する大気海洋系の NH3 の寿命を明らかにする. 数値モデルは, 大気 NH3 分圧と水温の関数として海水への NH3 溶存量を求める溶解平衡モデルと, 大気 NH3 分圧及び背景大気組成を与えて地表面温度を求める鉛直一次元放射対流平衡モデルからなる. 以下に本研究で得られた結果を示す.N2 0.78 bar の無酸素大気が, 現在の 75% の光度を持つ太古の太陽の下で NH3 なしに273 K 以上の地表面温度を得るには, 体積混合比 1.7 × 10- 2 以上の大気 CO2 が必要であり, これは地質記録から求められてきた太古代初期の大気 CO2 分圧の推定よりも高い.また, 大気に CH4 を加えると CH4 由来ヘイズがアルベドを増大させ, 地表はむしろ冷える. これらは, 前生物学的化学進化が, 比較的還元的な組成の大気と表層水の存在下で進んだならば, 原始地球に別の温室効果源が望まれることを示唆している. 一例として CH4と CO2 の混合比をそれぞれ 10−3, 10−2 としたヘイズ含有大気においては, 大気におよそ2.5 × 10−7 bar の NH3 を与えれば地表面温度が 273 K まで上昇し, このとき現海洋と同質量の海水には 4.8 × 1019 mol の NH3 が分配される. これは大気中の NH3 量のおよそ106 倍で, NH3 は大部分海洋に分配されることを示す. このときの NH3 総量は現在の大気 N2 量の 17% に相当する. つまり NH3 は地球表層の窒素在庫量の一部を占めるだけでも, 暗い太陽の下での地球表層における液体の水の生成に寄与しうる.2背景大気組成と NH3 総量をパラメータに, 放射対流平衡と溶解平衡を同時にみたす地表面温度と大気 NH3 分圧の値の組み合わせ, すなわち同時平衡状態を得ることができる.同時平衡状態における地表面温度と NH3 分圧は, NH3 総量が多いほど上昇し, 同時に海洋への NH3 分配比は溶解度の温度依存性によりやや低下するが, 海洋が支配的な NH3 貯蔵庫となることは変わらない. 大気 CO2 の増加は, 温室効果の増強化と海水中の酸生成を通じて, NH3 の海洋分配をそれぞれ減増させる. 大気 CH4 の増加は, ヘイズの生成を合わせた正味の温室効果を通じ NH3 の海洋分配を強める.生命必須アミノ酸が原始海洋中で維持されるのに必要な NH+4 濃度条件を当てはめると, 大気海洋系に 1 × 1018 mol 以上の NH3 が存在すれば海洋中でアミノ酸が維持される.本研究で得た同時平衡状態は, 広いパラメータ範囲でこの条件をみたす. このとき, 海洋中ではアデニン合成に必要な NH+4 濃度も達成される.NH3 の消費過程として光分解を仮定すると, ヘイズ含有大気下で, 273 K を上回る地表面温度をもたらす量の大気海洋 NH3 の滞留時間は, CH4 と CO2 混合比の広いパラメータ範囲において ∼ 108 年に達する. NH3 の溶解度の温度依存性によって低温環境ほど NH3の溶解度が上昇し, 海洋への NH3 分配比が増すため, NH3 総量が比較的少ない (< 1020mol: 現大気 N2 の 35% 相当未満), 地表面温度が 280 K 以下の比較的低温な環境ほど滞留時間が延びる. つまり, 温暖化や化学進化に有意な NH3 は地質学的タイムスケールにわたって維持でき, しかも現大気の N2 量に匹敵するほどの多量の初期 NH3 は必要ではない. また, 後期隕石集積による NH3 供給は, こうした量の NH3 の蓄積に十分な大きさの供給率と継続期間を持ちうる.NH3 と CO2 が共存する大気海洋系では, CO2 の増加は温室効果を強める一方で, 海洋pH を低下させ海洋への NH3 の吸収を促し, 大気 NH3 混合比を下げる. そのため, NH3総量によっては大気 CO2 量と地表面温度の間に負の相関が生じる場合があり, このとき大気 CO2 量と地表面温度のそれぞれの増減の間には正の化学風化フィードバックがかかる. これは原始地球大気海洋系での NH3 存在が, ウォーカーフィードバックによる気候の安定化を阻害する可能性があることを示唆する.
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