研究論集 = Research Journal of the Graduate School of Humanities and Human Sciences;第11号

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日中戦争期における駐米大使胡適の講演活動の研究

猪野, 慧君

Permalink : http://hdl.handle.net/2115/47878

Abstract

日中戦争期の米国における胡適の講演の旅程や回数について,これまでの研究は,いずれも胡適が1942年5月17日に友人の翁文や王世傑に宛てた「一万六千マイルの旅程で,講演は百余回」という手紙に基づく。しかし,胡適の講演が実際は,何回で,いつ,どこで,誰に対して行われたかついては,一つ一つ裏付けをとって統計的に分析した研究は無いようである。そこで,筆者は現在確認できる資料を基に,胡適の国民使節および駐米大使としての講演活動の全貌を明らかにする。 講演活動に関する資料を整理し考察した結果,次のようなことが分かった。胡適が1937年9月23日から1942年9月18日までに行った講演は,確認できる限りで236件あった。講演を基にした雑誌掲載論文は35篇,その他に論文のみ掲載されたものは34篇にのぼる。1937年9月から国民使節となり,実際にアメリカに滞在した9ヶ月間で,行った講演件数は96件あった。また帰国途中(1938年8月)に経由したイギリスでも4件講演を行い,国民使節としては都合100件を数える。特に1938年1月25日からアメリカを離れる1938年7月11日までに集中している(78件,のべ84回以上)。1938年9月に駐米大使に着任してから,1940年6月26日に宋子文がアメリカに来るまでの1年9ヶ月間は,外交任務に忙しく従事しながら行った講演件数は56件で比較的少ない。その後,1942年9月大使離任までの約2年間は,また講演件数が多くなり80件であった。 胡適の講演の対象者は,様々な層に及ぶが,国会,州議会などの政治界の要人,銀行リーダーなどの商業界の要人もいれば,市民団体,宗教団体,中国の抗日戦争の支援団体などの一般市民もいる。新聞記者,ラジオなどのメディア関係者や,在米の中国人や中国学生もいる。また,大学教員や大学生などに向けて行なったものが比較的多い。アメリカ国民向けのラジオ放送は少なくとも16件はあった。胡適が講演を行った場所は,主にアメリカの東海岸と西海岸に分布しているが,特に,ニューヨーク,ワシントン,ミシガン,カリフォルニア,ペンシルバニア,マサチューセッツが多い。また,カナダも西から東まで広範囲に及ぶ。講演の内容は主に,①九国条約(世界新秩序,国際新秩序,新国際主義,新世界道德),②自殺愚行,③福奇谷作戦(Valley Forge),④苦待変,⑤為世界作戦,為民主国家作戦,⑥民族生存・抵抗侵略,⑦米国の国際的リーダーシップ,⑧日本の侵略行為,という8つのキーワードまたは話題に重点を置いている。

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