メディア・コミュニケーション研究 = Media and Communication Studies;68

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On the Preconditions for the Appearance of “Public Communication”in the Mass Media : A New Introduction to Media Studies

Yamada, Kichijiro

Permalink : http://hdl.handle.net/2115/58531

Abstract

メディア研究とは何をどのように研究すべきか―― すなわち、メディア研究の方法論について考察したもの。メディア研究が一つの独立した「科学」となりうるかどうかを、マスメディアに公共コミュニケーションが規則的に出現する「前提条件」を考察することで探究しようとした。 【はじめに】 科学は「法則の探究」であるから、ある一定の前提条件の下である一定の事象がマスメディアに規則的に出現することが確認できれば、そこに科学性の端緒があると考えられる。「一定の事象」とは公共コミュニケーションのことである。 【第1節】理念型 経済学・社会学・政治学はそれぞれ固有の方法論をもっていて、科学として確立している。既存の科学の方法論のなかでメディア研究の方法論として活用できるものがあるかどうかを検討してみた。理念型は何にでも使える汎用的概念にみえるが、ウェーバーは限定的に使用している。新しい経済現象が発生したとき、その発生を促す精神的要素が人々の「生活態度」にどのような形で結実したかを述べる説明様式といえる。メディア研究に直ちに応用できるものではない。 【第2節】道徳と法 ハーバーマスの公共圏概念の構成要素として「道徳」と「法」があることを述べた。道徳が社会全体に共有されるのは法の力が大きいが、法を制御できるものとして道徳がある。しかし、現代社会は多くの小集団に分裂していて、その各々が自己の利益を「共通善」として主張している。ハーバーマスは、公共圏におけるコミュニケーションの過程で真の「共通善」が形成されることを主張するが、「どのように」形成されるのかは不明のままである。 【第3節】エートス ばらばらの個人からなる現代社会に統一がありうるとするならば、それは、ばらばらに見える個々人が「どこか深いところで」つながっているからだと考えることは可能である。アリストテレスは、人々の心の深いところにあると同時に、社会の根底にあるこの基層を「エートス」(習慣)とよんだ。エートスは「徳」となって個々人をつなぐが、さらに、「法」によって強制されることが必要とされた。 【第4節】習俗(Sitte) この考え方を継承したドイツ新歴史学派の思想家たち(特に、シュモーラー)は、これを「習俗」と名づけた。習俗は国民または社会に共通で固有のものとされる一方で、歴史的に再編成され浄化されうるものとされた。こうして、浄化された習俗によって、歴史的過程の果てに「文化の世界」が実現する。 【第5節】社会政策 これまで述べてきた「道徳」「法」「エートス」「習俗」は新歴史学派の「倫理的経済学」の「社会政策」に集約された。人間を「自発的」賃金労働者に作り変えること―― ここに近代資本主義の成立の成否がかかっていた。労働市場の成立は、国家社会政策による「習俗」の改変の結果であって、法の強制のみによるものではない。 【第6節】メディア研究の方法論 既存の方法論を組み合わせて、メディア研究の方法論を試作してみよう。経済的必然性がすみずみまで浸透している現代社会において、労働市場のみは経済外的強制力(すなわち、国家社会政策)が働く領域であるが、社会政策の「法」にもとづく強制力によって「コミュニケーション」が発現すること、「法」のみならず「道徳」が関与することで、そこに「公共性」が発現すること、その「コミュニケーション」発現の場は「マスメディア」であることを、クラウス・オッフェの理論を援用して証明しようとした。

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