研究論集 = Research Journal of the Graduate School of Humanities and Human Sciences;第18号

FONT SIZE:  S M L

『詩品』と「雑体詩」における陶淵明 : 「中品」という評価をめぐって

熊, 征

Permalink : http://hdl.handle.net/2115/72438
JaLCDOI : 10.14943/rjgsl.18.l77

Abstract

中国文学史上初めての詩論専著である『詩品』において,陶淵明が「中品」にランク付けられたことは従来議論されている点である。日本と中国の陶淵明研究の学界に大きな反響を呼んだ岡村繁氏の『陶淵明:世俗と超俗』にもこれについての論述がある。岡村氏によると,斉梁時代における陶詩はその前の時代と比べると評価が低く,一流の詩人として見られていない。根拠として,当時の貴族階層の代表者である蕭統と蕭綱が彼の人徳だけ慕っていることと,『詩品』における「中品」の評価などを挙げている。また『詩品』と継承の関係を持つ「雑体詩」の作者江淹も陶淵明を「中品」程度の詩人と見ている可能性が大きいと推測している。 本稿は岡村氏の論点から出発し,「雑体詩」と『詩品』の関係についての先行研究と「中品」をめぐっての先行研究を踏まえた上で,斉梁時代における文学背景を考察し,鍾嶸と江淹の文学観及び『詩品』と「雑体詩」における陶詩評価の真相の究明を試みた。その結果は次の三点にまとめられる。 ①「質」より「文」の方を極端に重視する斉梁時代では一般評価として,陶詩は確かに評価されていない。ただ,二蕭の陶淵明評価として,人徳を慕っているだけではなく,詩文そのものへの愛好も十分にある。 ②『詩品』における「中品」のランク付けは,まず,陶詩をランク付けの対象に入れたこと自体に意義があり,さらに,品語から見ると,「文」と「質」の均衡を重視する文学観を持っている鍾嶸は陶詩が「文」と「質」を兼ね備えている点を高く評価しており,「隠逸詩の宗」という評価も彼の地位を肯定しているものである。 ③『詩品』と「雑体詩」とでは,取り扱う対象と陶詩への評価など一致している点が見える。ただ,江淹は「兼愛」の詩観を持っているので,ランク付けの意識はなく,江淹も陶淵明を「中品」程度の詩人と見ているとすることは難しい。「文」より「質」の方を重視している彼は陶詩の質の充実に親近感を持っており,彼の詩文に潜んでいる隠逸思想も陶詩からの影響を受けている可能性が高い。

FULL TEXT:PDF