研究論集 = Research Journal of the Graduate School of Humanities and Human Sciences;第23号

FONT SIZE:  S M L

F. S. Fitzgerald “My Lost City”と村上春樹の閉塞した都市 : 都市小説作家としてのフィッツジェラルド受容

大野, 建

Permalink : http://hdl.handle.net/2115/91122
JaLCDOI : 10.14943/rjgshhs.22.r65

Abstract

村上春樹を対象にした比較文学研究は盛んに行われているが、彼のアメリカ文学との関係を実証的に明らかにする作業は意外と進んでいない。フィッツジェラルドFrancis Scott Fitzgerald の受容が村上の文学の形成にとってとりわけ重要であることは周知の通りであるが、本格的な研究は少なかった。本論は村上の独自のフィッツジェラルド受容のあり方を明らかにする。そのために「フィッツジェラルド体験」(『マイ・ロスト・シティー』中央公論社、一九八一年五月)、「都市小説の成立と展開─ チャンドラーとチャンドラー以降」(『海』中央公論社、一九八二年五月)を中心とした村上の発言と、村上の最初の翻訳集の表題に採用されたフィッツジェラルドのエッセイ「マイ・ロスト・シティー」“My Lost City”(『マイ・ロスト・シティー』)を検討する。その上で『風の歌を聴け』(講談社、一九七九年八月)、「中国行きのスロウ・ボート」(『中国行きのスロウ・ボート』中央公論社、一九八三年五月)といった初期小説の形成におけるフィッツジェラルド受容の関与を測定する。村上はフィッツジェラルドを都市とモラルを対立させながら華やかな都市風俗を描いた都市小説作家であると見なしている。都市生活に主体性を制限されながらも、救済を信じて小説を書き続けるモラリスティックな姿勢を村上は評価する。この姿勢に加えて、都市の精神的な閉塞性を空間的な限定性になぞらえて語る「マイ・ロスト・シティー」を受容して、村上は初期小説において、書くことの不可能性をもたらす閉塞的空間として都市を表わし、その中で救済を信じ小説を書こうとする小説家の主人公を設定するのである。作品を通して感受された作家の姿勢を小説の構成へと変換する、一種の〈翻訳〉の手法が認められる。

FULL TEXT:PDF