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樺太深海村からの引揚げ : 『引揚者在外事実調査票』による分析
Title: | 樺太深海村からの引揚げ : 『引揚者在外事実調査票』による分析 |
Other Titles: | Repatriation from Fukami Village, Karafuto : An Analysis of the Japanese Government Survey into Repatriates' Postwar Lives |
Authors: | 木村, 由美1 Browse this author |
Authors(alt): | Kimura, Yumi1 |
Issue Date: | 31-Mar-2018 |
Publisher: | 北海道大学大学院文学研究科北方研究教育センター |
Journal Title: | 北方人文研究 |
Journal Title(alt): | Journal of the Center for Northen Humanities |
Volume: | 11 |
Start Page: | 43 |
End Page: | 71 |
Abstract: | 本稿では国立公文書館所蔵『引揚者在外事実調査票』を基本資料とし、戦後、樺太深海村から北海道への引揚げについて分析した。これにより、樺太南部の漁村である深海村から北海道への引揚げについて実態を明らかにし、「樺太-北海道の上陸地-最初の住所-昭和31(1956)年現在の住所」と長いスパンで引揚者の動向を分析し、職業等と関連付けて定着地への軌跡を検証した。深海村では樺太全体と比べて「公式引揚」以前の、「緊急疎開」と「脱出」で引揚げた者の割合が高かった。また引揚出発港が、「公式引揚」で使用された真岡ではなく、大泊が最多であったことも特徴といえる。北海道では引揚げの最初の上陸地である稚内、函館、枝幸に定着した者が多く、また炭鉱都市へ定着した者も多かった。引揚げから昭和31年までの間に、6割以上の世帯が転居をしていることも明らかとなった。引揚後は漁業から、農業、炭鉱、日雇、公務員への転職が見られ、無職となった者もあった。深海村の公務員の引揚げについては、個別の事例を挙げて明らかにした。公務員は優先的に「再就職」されるよう考慮されたが、全員が「再就職」できたわけではなく、郵便局員と教員は同じ職に「再就職」したが、役場吏員の「再就職」は1名だけであった。学校は、教員の「再就職」先としてだけでなく、「小使」や「学校事務員」として転職した者もみられ、引揚者の受入先としても大きな役割を果たした。 |
Type: | bulletin (article) |
URI: | http://hdl.handle.net/2115/70075 |
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